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組織と個人

2014年5月4日 at 12:18 PM

大学では法学部政治学科に在籍していました。卒論は東大新人会という優秀な人材を多く輩出した組織の宮崎龍介という人物研究でした。ゼミの中ではそもそもこの団体から各界に多くの優秀な人材が輩出したのは何故なのかという課題意識からスタートしていました。当時の歴史的背景、価値観、その組織の強みや思想の基盤あるいは思考メカニズムはどうだったのかが研究テーマの底流にありました。個人研究の過程で様々な人との交わりを通じて生きてきた一人の人生をなぞり研究することは、自分の中で「人間学」そのものを勉強したなあと今でも思い返します。そしてその後私自身が社会で生きていく上での礎になったと思います。

人は一人では生きていけないですし、何らかの形で仲間を作り、お互いに影響しあい、その結果として共通の目標を持って事業を始めたり、あるいは目標は異なるもののお互い刺激しあい、異なる意見を交わしあい、思考を繰り返しながら成長していく社会的動物です。そういう意味で人間が互いに影響しあい相乗効果を上げるといった観点から組織運営というのはひとつの科学なのだと思います。一人よりは二人、二人よりは三人、三人より十人、どんどん効率が良くなっていかなければ複数(組織)でやる意味はありません。指標でよく使われる「一人あたりの~~」というのはその効果を常に意識している証です。反面、組織の構成は個人の集合体であって感情を持った人達の集まりですから、組織論やその中で如何に個々が能力を発揮するかといった研究は様々に行われていますが、一筋縄ではいかない課題ですね。同じことを二人の人が同じ表情で同じ聴衆(構成員)に言ったとしても、その人の日頃の行動、言動、それまでの実績、肩書等々によって全く説得力がなかったり、逆に感動させられたりするわけですから。

学生当時、私が最も興味を持ったのは実は社会学でした。8回の引っ越しをし、沢山の書物を処分しましたが、今でも「社会学の基礎知識」という当時の教科書はずっと書棚から処分せずにいました。いずれ時間ができたら読み返そうと思っていたので、これからじっくり読む積りです。初版発行が昭和44年ですから45年前の本です。目次に目を通すと、社会の構造や家族・経営と労働・社会心理・マスコミュニケーション・社会福祉と社会問題といった項目が並んでいますが、今の社会が抱える課題は昔からそんなに変わっていないなあと感じます。逆説的に言えば、課題は昔からあったが解決されていないということです。ことによっては悪化しているかもしれない課題もありそうです。最近某所で見つけた「実務購買管理」といった本も40年、50年も前に発行された本で、読んでみると中身の構成は本当にきちんとまとまっていて、カバー範囲も十分広義に押さえてあります。30数年間の調達購買実務から離れた後にこういった本に出会うというのはなかなか皮肉なことです。

さて、話を元に戻しますが、大きな有名な会社の社員が全て優秀で清廉潔白でないのは、世の中の事件を見ても明らかです。一方で、小企業の社員は皆凡庸で覇気がないというのも全く違います。よく蟻の実験結果が例に出されますが、蟻の集団で働くのは2割、8割は怠けている。それらをきれいに分けて、働く蟻グループと働かない蟻グループに分けて、それぞれのグループを観察すると、やはりそれぞれに2割の働く蟻と8割の働かない蟻に分かれる。つまり最初働く蟻に区分された8割がサボり、働かない蟻に区分された2割が働き出すということです。但し、最近の研究では2割の働き蟻の中には働きすぎ?で働かなくなる蟻が出現し、8割の働かない蟻の中から働き蟻が出てくるという実験結果があり、どうやら8割の予備要員がいることで長く集団を存続できるというメカニズムがありそうだということです。確かに昔、社内でコーヒーカップを持っていつもぶらぶらしている先輩がいて、皆さんに他愛もない世間話を話しかけていましたが、皆この人が仕事をしていると思ってはいませんでしたが、妙に場の雰囲気はほぐれていましたね。

取引をしていると担当者やその直属の上司、関連部門の上役等にお会いして、意見交換をし、時には激論を交わすこともあります。数万人を擁する大会社であれば、全ての人に会うことは不可能ですから、極一部のお会いした人からその会社の社格や成長性、将来性を見抜かなければなりません。また会社の仕組みが個人に過度に依存するような体制になっていないかどうかも吟味しなければなりません。ですから良い誤解、悪い誤解も含めてお会いした方々の印象から会社(組織)の信頼度を図ります。調達側も営業側も本音の話ができないか探り探り関係を深めていきますが、一方で社会的動物である人間は自社の都合の悪いことをことさら喧伝しないのが通常ですし、何でもかんでもしゃべってしまう人は却って信用置けない人に見られるでしょう。組織を守りすぎた結果、組織が社会的に壊滅に至ることもあるでしょうし、個人が暴走して組織が内部分裂したり、社会的に組織としての信頼を失い衰退することもあるでしょう。個人の能力には様々なモノがあります。蟻と違って適応力も広いはずですし、怠けて見えて実は肝心なところを押さえている上役もいます。なかなか能力は見かけではわからないものです。これまで重要であった能力が技術革新によって重要度が大幅に低下したり、これまでは重要とされていなかった能力が組織の事業変革や社会の構造変化によってクローズアップされる場合もあります。この変化を予見し、タイミングを的確に捉えて組織のTransformationを行える会社が強い組織だと思います。硬直化している組織とはたとえばBrain Stormingで決まった人ばかり悦に入ってしゃべっている、上役の目を気にして当たり障りのない意見ばかりに終始する、昔の成功定理がいつまでも続くと思っている、といったものです。そうならない環境を作ることは簡単なことではありません。たまたま現在所属している組織の業務では発揮できない得意な領域を持っている人もいるでしょう。そういった人達が所属に関係なく遠慮なしにモノが言えて、ひとつの目的に向かって協力していければ、こんなに力強いことはありません。そういった意味では個人の能力を最大限に発揮するには「共通目的の共有」と「構成員すべての個人の尊重」が基礎になくてはなりません。普段遊んで見えてる人が環境の激変に遭遇したときに素晴らしい活躍をすることも決して稀ではありません。もしこういったことが皆無であるという組織体は、人材を埋もれさせていないか、考え方が固定化していないかの再点検が必要です。

ソニーにはこういった逸話が残っています。「総務部にいたころのことです。仕事に余裕があったので、組織図があれば便利だろう…と頼まれもしないのに自主的にソニーの組織図を作ったんですよ。やっと出来上がって上司に提出した。そうしたら上司を通じて盛田さんからひどく怒られましてね、こんなものをなぜ作った。誰が今どこで何をしているかなんてものは、次の瞬間に変わる。こんな組織図なんてなんの意味も持たない、と言うんですよ。」(小澤敏雄~元ソニー・ミュージックエンタテインメント会長)。時に組織図は変化への対応の障害になるものです。特に個人がその組織に馴染もうとすればするほど、その危険度は高くなっているのかもしれません。

人間とチンパンジーの違い

2014年4月18日 at 11:07 AM

京都大学霊長類研究所に松沢哲郎博士という方がおられます。画面に現れた9個の数字を0.5秒で記憶して、それを順序通り再現タッチできるというチンパンジーを映像でご覧になった方もいるのではないでしょうか。博士の研究の一端に触れる機会がありましたので、ちょっとご紹介をしたいと思います。博士はチンパンジーの知性の研究を通して、人間との比較からある特徴について仮説を立てておられますが、それが私の興味を引きました。http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/langint/staff/tetsuro_matsuzawa-j.html (昨年は文化功労者に選出されました)

人間とチンパンジーは500万年前に独自の進化の道のりを歩んだと言われていますが、98.77%のゲノムが共通であることがわかっています。冒頭の数字記憶再現タッチでは人間を遥かに凌ぐ能力をチンパンジーは持っていることが証明されました。これを博士はチンパンジーが人間とは違って、自然界を生き抜くために今ここにあるものを鋭く見極める能力が必要であったためと論じています。このチンパンジーの認知スタイルは目の前に見えているものがすべてであると捉えて、それを細かい点に至るまで観察し、記憶することに注がれていることを示しています。人間の男性と女性の記憶力の違いも良く話題にされますが、他人の部屋に通された時に、女性は瞬時に何がどこにあるか記憶するそうですが、男性は部屋の中の雰囲気は何となく感じて記憶しますが、個々の何がどこにあったかの記憶は総じて低い結果となることが知られています。明らかに興味の対象が違うからこういった差が生まれるのでしょうね。

さて、ちょっと横道に逸れてしまいましたが、チンパンジーの3倍もの脳を持つ人間は、そうした目の前の瞬時の記憶にその脳をあまり活用することなく、いったい何に使っているのでしょうか。博士はチンパンジーの認知が「今」「ここ」にあるものに集中しているのに対し、人間は常にそこにないものまで認知しようとしていると言っています。つまり時間や空間を超えて、ここにない「未来」を思い描くことができる能力を発達させてきたということです。この人間の発達した能力は見方を変えるとかなり厄介なもので、あらゆる物事の意味や背景、他との関係性など、実際には存在しないものについてあれこれ思い悩む。だから自分の発言した内容や行動したことについて後悔もするし、将来を悲観して絶望もする。しかし、これは一方でもう一つのそこにないものである「希望」を持つ能力を持っていることも意味するのではないかというのが、博士の説です。

チンパンジーと人間の違いのもうひとつは、手助けの「自発性」だそうです。チンパンジーも他者と関わろうとする社会的知性はあるそうですが、人間のように状況を自ら判断して、手を差し伸べるということはないそうです。人間社会には「自分のためになる行動」と「みんなのためになる行動」がずれていて、どういう行動をすべきか悩ましい状況に溢れていますが、人間は社会的知性を占める部分が多く、特徴的には①周りからの評価を気にする性質、②公正に扱われないと怒りを感じる性質、③みんなが協力するなら自分も協力する性質等があって、まあこれらが人間の人間たる所以とも言えるのでしょうね。ほとんどの方がこれら3つの関わりにかなりの時間が割かれているのではないでしょうか。昔は隠遁とか出家とか言われましたが、社会との関わりを絶ってひとりで自分自身に向き合う生き様に共感を持つ人も、社会が複雑化すればするほど多くなるようにも思います。週末に自然に触れ合って息吹を感じ取って気持ちを新たにするというのも人間の動物返りの束の間の一瞬なのかもしれません。私も最近山登りに結構嵌っています。

ちなみに博士は高校大学と山岳部で、大学に入った頃は学生運動が盛んで、授業が無かったことから1年120日山行、120日訓練、残った120日哲学を勉強されていたとのこと。その後、実験心理学に移り、色々な過程を経てチンパンジーの「アイ・プロジェクト」に参加されています。多くの人が人間が一番賢くて、人間よりちょっと頭の悪いのがチンパンジーだと勝手に妄想を抱いているけど、数字の記憶力なんてチンパンジーの方が遥かに優れていると博士は語っています。私が中盤で書いた男女の違いは決して、女性がチンパンジーに近いと言っているのではなくて、それぞれ能力の特長があるので、お互い仲良く協力してやっていきましょうね、っていう意味です。念のため。

 

アヘン戦争~東洋の没落と西洋の勃興の分水嶺~

2014年4月7日 at 6:15 PM

久しぶりに一気に読み終える本に出会いました。ライフネット生命保険株式会社の出口治明会長兼CEOの書かれた「仕事に効く教養としての『世界史』」という本です。私が購入した本は出版から1か月も経たないうちに第三刷になっていますから結構売れ行きも良いのだろうと思います。タイトルの「仕事に効く」っていうところは個人的に編集部のセンスを疑いますが、題名を置いても、中身は歴史観において新しい視点を沢山提供してくれる好著です。著者は保険会社を退職後、大学の講師などを経て現職に至りますが、これまでに訪れた都市が1000以上、読んだ歴史書は5000冊以上という博覧強記ぶりとそれを基にした大河的視点を著書の随所に見せてくれます。

私の世代が習った世界史は明らかにヨーロッパ中心の西洋史観で、ギリシャ・ローマから始まりキリスト教の流れを本流に、騎馬民族は北方の脅威で荒くれ者の集団、バイキングは北方の海賊、ムスリムは傍流異端、アジアは野蛮な後進国、自由主義を建国の旗印にアメリカが栄え、ソ連邦の崩壊による冷戦終結を経て、歴史を先導した欧米の価値観がこれからも主流を形成するといったものと記憶しています。日本にとっては第二次世界大戦の敗戦によりアメリカ流教育が強制浸透させられたこととも深い関係性があるでしょう。歴史を違った角度から勉強したいという思いは以前からあって、時間に余裕が持てるようになってからは個人的に色々調べ物をしたりしていますが、そんな時に本書と出会いました。

昨今ではG20時代からからGゼロ時代と呼ばれ、世界の警察官たるアメリカもその余裕がなくなってきたように言われています。経済的にはアジアの時代と言われ成長の中心はこれまでの先進国から新興国にシフトしてきています。政治的には中国がロシアに取って代わってアメリカと対峙する時代を迎えつつあるようです。

著書では標題に書きましたように、アヘン戦争を分水嶺にして西洋のGDPが東洋のそれを初めて凌駕したと紹介されています。興味深いのは1600年から1820年アヘン戦争以前迄は世界のGDPの半分を中国とインドで生み出していたということです。まるで将来を暗示しているかのような数字です。アヘン戦争を挟んで、1913年の第一次世界大戦直前には中印で合わせて16.3%、第二次世界大戦後の1950年には8.7%まで落ち込みました。それまで西洋は東洋のお茶や絹、陶磁器、香辛料等が欲しく、西洋列強同士1600年代の東インド会社を巡る主導権争いを代表例に、各々の権益を固めていきます。英国は綿織物に目を付け、それが産業革命による織機の発明と相まって、綿花をインドやアメリカから買い、高い生産性でインドを綿織物輸出市場から駆逐するに至りました。こうした過程を経て英国はインドを植民地化し、アヘン(勿論アヘンだけではありませんが)を作らせ、第三国の貿易商人を使って中国に輸出し、習慣性の高いアヘンが中国に蔓延することによって結果富が英国へ流出していきました。そういった流れがGDPの数字に表れています。前述したように、決してそれまでもずっと西洋が先進的であった訳ではありません。

話は飛びますが、日本が大東亜共栄圏を打ち上げた背景は、欧米諸国の植民地支配からアジアを解放し、日本・満州・支那(中国)連合を中心に共存共栄の新たな国際秩序(今のEU連合のような)をアジアに建設しようとしたものでした。しかし、アヘンが蔓延した清のあまりの衰退ぶりに、日本と満州だけででも実現しようと軍部が前のめりに突っ走った結果が先の第二次世界大戦の敗戦に繋がります。

沢山ご紹介したい話が書いてありますが、ご興味のある方は本書を読んでいただくとして、最後に科挙の話をご紹介します。科挙という制度は中国で598年~1905年まで1300年続いた官僚登用試験ですが、これは紙と印刷の技術によって、参考書が全国に配布することが可能になったことで始まりました。科挙は儒教的教養を問うもので、平原を縦横無尽に駆け抜けモンゴル帝国を治め、外国語や商業を重んじたクビライの時代に用無しとされて中止されます。10年も20年もかけて科挙の勉強をしてきたインテリ階級は仕方なく地方に散って豪族の家庭教師になったようです。日本の官僚制度も中国を模して作られていますが、教育制度同様制度疲労を来していますね。自由であれば、色々な新しい発想が実現されていくと思います。その意味で自由のない国は突然適応不全に陥ってしまう恐れがありますね。

これに関連して主君が権力を守るには二つあると紹介されています。ひとつは官僚制、一つは貴族制です(日本も大日本帝国憲法下では貴族院がありました)。貴族制は「この領地を与えるから忠勤に励め」とロイヤリティを末代まで求めるもの。反逆はない代わりに子孫が優秀であるとは限らない。官僚制は一代限りで優秀な人材を集める。しかし優秀が故に君主に取って代わる恐れもある。日本の二院制を例に取るのは飛躍しますが、衆議院と参議院だと両院ある意味がないように思いますが、貴族院とするとその有効性があるのかなと感じます。治世ではすっかり世襲はダメ、民主主義でないとダメということになっていますが、こと経営に関しては世襲制(制度ではありませんが、結果御曹司が継ぐ等)で結果を出しているところも少なからずあります。うまく良いとこ取りでミックスできればいいのですが、現実難しいでしょうね。

歴史を大河の流れと解して色々な角度から見てみると、目の前の出来事をより冷静に見られるようになってきます。受験生時代は年号と何が起きたかの順番を覚えることで精いっぱいでしたが、ここで、なぜ、どうして、この時代にこんなことが起こったのかを考えるのが本当の(地理)歴史ですね。まだまだ興味が尽きることはありません。

斜体が主に著書から引用した部分です。それ以外は私の主観です。)

 

ビッグデータ活用と組織の健全性

2014年3月27日 at 10:05 AM

企業経営者は常に現状に何らかの不満を持っており、その現状打破のための新しいパラダイムやコンセプト、テクノロジー、トレンドには敏感である。敏感なことは良いことであるが、得てして万能薬を得られるかのような錯覚に陥り、十分な思慮がないまま形だけ導入して失敗することが数多ある。新しいシステムを導入しても、それを従業員が使いこなせなくては無駄な投資になるし、景気後退を理由に投資を途中で削ってしまい重要Module欠落のまま中途半端なシステム稼働をして全く当初の期待値を得られないばかりか、対投資効果マイナスという例もよく聞く話である。要は道具とそれを使う人間のバランスが重要ということである。使い方を知らなければ道具は宝の持ち腐れであるし、知恵を使うことによって何の変哲もない棒切れが命を救う道具に変わることもあり得る。

ここ数年でビッグデータという言葉はすっかり市民権を得たようで、その運用システム会社のみならず統計学の専門家などが表舞台に現れる状況になっている。ビッグデータでは、効率的に許容経過時間内に大量のデータを処理する卓越した技術、たとえば超並列処理データベースやデータマイニンググリッドなどが必要となる。応用は様々な分野で進んでいて、ゲノミクス・気象学・金融・ソーシャルデータ分析・軍事偵察・医療記録・大規模なeコマースなど多岐に渡る。この手の新しいマーケットやテクノロジーの発展について異議を唱える積りは毛頭無いが、その扱いについて私は上述のような懸念を持たざるを得ない。既にデータ消費者プライバシーの観点から、増加する保存データと個人が特定可能な情報の統合に懸念を示している専門家は多いが、ここでは企業という組織の中で、どのようにビッグデータを扱って成果を上げていくかという視点で論じてみたい。

第一に、膨大なデータを闇雲に分析しても時間と金の浪費であるので、企業は何らかの仮説に基づいてビッグデータを解析する必要がある。初期仮説が正しいかどうかの検証あるいは反証のデータとして使うということである。第二に、果たしてそのデータの母集団は検証に値する偏りのないものであるかも重要である。初期仮説を正しいと導くためにビッグデータが使われるとすれば本末転倒である。最近では夢のSTAP細胞と騒がれた実験データや映像が改ざん捏造ではないかといった疑惑が浮上しているが、それが事実とすれば理化学研究所やネイチャーといった「権威」はそれを見抜けなかったのは何故か大いに疑問であるし、真相究明は非常に興味深い話題である。

第三に、ビッグデータのもうひとつの側面はそのデータが過去あるいはほぼ現在のものであるということである。それらデータを使い将来こうなるであろう、あるいは今後こういう対応をしていこうといった応用がされるのであろうが、その対象が過去および現在の延長線上にあるという前提で応用可能なのかどうかは十分考慮されなければならない。消費材で言えば、あたかもこれまで先進国で歩んだ道をただSpeed Upして新興国が進んできた訳ではないことを我々が知ることとなったことに似ている。電話ボックスを経ずに個人携帯端末に至った多くの新興国はその一例である。インフラが揃ってから電化製品が広まった国と、インフラがない状態で電化製品が流れ込んできた国とでは電気供給のあり方が違う。今後の下水道や交通インフラの整備も同様、最新のテクノロジーとそれぞれの地域に合わせた導入のされ方が模索されていくであろう。つまり過去現在のデータは将来を保証するものではないということである。将来は予測するものではなく、自らが作っていくものとはよく言われることである。

一方これからはアジアの時代と言われており、成長の中心をアジアが占めると予測されている。一昔前はアジアという一括りの市場で見られていたが、中国もタイもマレーシアもインドもトルコもミャンマーもそれぞれの歴史的背景と大きなGlobal化の流れの中で、それぞれに応じた社会発展(あるいは瓦解)を遂げていく。多くの企業がそれらの国々で市場を獲得しようとすれば、それはそれぞれの国の人々、その生活、社会体制、民度、文化、慣習などをまじかに観察して行われて戦略を構築していった方がGoalに早く近づけるのではないかと私は感じる。

多くの日本企業に言われる「変化対応の遅さ」は、企業の組織文化によるものではないかと最近特に感じる。多くの企業は本社が偉くて、現場は指示を受ける立場といった既成概念がまだまだ強いのではないだろうか。組織図ひとつ取っても例のピラミッド型がほとんであろう(敢えて組織図をさかさまにしている企業もあるが、従業員が上にくるのは稀で、せいぜい上は株主)。上位下達がそのまま残った企業でビッグデータを本社が解析し、現場に指示を出す。このような形で果たして機能するであろうか。ほぼ100%機能しないであろう理由は①どんなにわかりやすく、あるいは分析されたビッグデータが本社に提供されたとしても、その処理を正しくできる能力が本社にあるのか、能力不足・工数不足を理由に処理に時間が掛かれば他社に先を越されてしまう、②現場から遠く離れた本社で大きな決断が正しくできるのか、③本社でなされた大きな決断に現場が唯々諾々と従うのか、といった企業の組織健全性といった課題がそれである。東日本大震災の時に現場は一流、マネジメントは三流などと言われたが、現場の強さが日本の成長を支えていたことは衆目の一致するところである。Global化によって現場が本社から遠ざかったことと「変化対応の遅さ」は無縁でないように思う。

増々多様化する世界で、中央集権的な組織体制は見直す時期に来ているのではないか。業績に苦しむ企業の構成員は経営陣は当然のことながら、管理職も一般従業員も変革の必要性を感じているに違いない。ただ人はお仕着せの変革には抵抗する。経営陣の意向にそぐわない人間を排除して外部コンサルタント任せのトップ指針で変革を図ろうとしても大企業ほどうまくいかない。なぜならトップ主導の変革に肚落ちしない多くの従業員の存在があるからである。大企業ほど自ら変革に参加させる体制を作って小さなビジネスユニットの責任を持たせ、本社は活動を管理するのではなく、結果を管理し、現場に自由裁量を与える。本社はビッグデータ分析による提案、そして組織間の調整といった控え目な存在に変わる。本社のアシストを得た現場は事業決断を行い、それが現場で成果を上げているかどうか自らの目で確認し、修正改善していく。評価も上司の評価一辺倒ではなく成果配分型に変えていく。こうした組織変革を促すチャンスにビッグデータを機会として捉えるというのは奇策に映るであろうが、本社と現場が乖離していて血流不全のまま、ビッグデータを本社主導で進めても必ず失敗(対投資効果がマイナス)の憂き目を見ることになろう。

漢字を廃止せよ(昭和20年11月12日付け読売報知新聞)

2014年3月2日 at 12:02 PM

本日付け日本経済新聞の「熱風の日本史」というコーナーで、アメリカが太平洋戦争後に日本から軍国主義を一掃し、民主主義を根付かせるために「漢字の全廃・ローマ字採用」という動きを掛けたことを紹介しています。その論拠となったのが、日本人は漢字学習に膨大な労力を費やしているため、国際社会で常識的な知識を習得する時間がなく、愚民化されてきたというものです。驚くのはこういった主張に日本人自ら同調している人が少なからずいたことです。改革派の国語学者の金田一京助やフランス文学者の桑原武夫などもその賛同者で、志賀直哉に至っては「一番いい、美しいフランス語を国語にしよう」と、本人はフランス語を解さなかったにもかかわらず、こういった珍論を展開したそうです。

明治維新前後にもそのような動きはあり、前島密が徳川慶喜に仮名書き化を建白したとか、森有礼が英語国語論を唱えたとかしたことも紹介されていました。これらの動きは「多くの日本人が過去の日本に自信を失って、初めから出直しだと思った時に盛んになる」と中国文学者の高島俊男氏は「戦後国語改革の愚かさ」で述べているそうです。

小渕内閣の私的諮問機関『「21世紀日本の構想」懇談会』で英語を日本の第2公用語とする構想がありました。その後具体的な計画が進んだという話は聞いていませんが、最近では文部科学省が小学校の英語必修化を打ち出すなど、英語教育の拡充を図る動きは定着しつつあるようです。楽天やユニクロなど英語を社内公用語にすると宣言をしている企業もありますが、メリット・デメリット賛否両論あるでしょう。しかし、ひとたびグローバルビジネスを志し、世界中の顧客を相手にするには、企業として世界中の優秀な人材を引き付ける必要があります。その意味ではその立場にありながらも何十年も一進一退の感がある多くの日本本社の内なる国際化は避けられるテーマでは決してありません。Wikipediaによると2010年の調査で、インターネット上の主要言語は英語が27.3%でトップ、中国語が次いで22.6%、スペイン語7.8%、日本語5%と続くとあります。日本人の人口比からは日本語大健闘というところですが、情報種を広げる意味でも、文化慣習が違う民族とのCommunicationという意味でも英語をはじめとする外国語を理解することに何らのデメリットはありません。

漢字かローマ字か、日本語か英語かといった二者択一の議論こそが偏狭な精神であり、どちらもやればよいし、能力や志のある方は3つでも4つでもやればいいと思います。欧州人の多くはその歴史的・地理的背景もあって数か国語話せる人が少なくありません。中華系マレー人もマルチリンガルが少なくありません。中国人エリートも昨今は英語能力が高いです。「2つの言葉ができる人はバイリンガル、3つできるのがトライリンガル。では、ひとつの言葉しかしゃべれない人を何と呼ぶでしょうか? 」というなぞなぞがありますが、この答えは「アメリカ人」というジョークです。日本人も似たようなレベルかもしれません。私自身も英語は頑張って読んだり書いたりのレベルですから、深い思考を英語ベースでやることは困難ですし、苦痛です。やはり思考を巡らすのは日本語ですし、漢字を主体にした活字です。一目で意味の分かる表意文字の漢字と表音文字のかなを組み合わせて出来た現代の日本語は誇るべき文化財産だと思います。本の厚さを見ても日本語と英語では随分違います(電子書籍ではあまり優劣はないでしょうか)ね。

TVのクイズ番組では昔は難読漢字を答える回答者がもてはやされましたが、最近は「こんな漢字も知らないの?読めないの?書けないの?」といったおバカを売りにするクイズ番組も少なくありません。「これなら私の方がマシ」と視聴者を安心させ、日本人総白痴(差別用語になったのでしょうか、普通に漢字変換されません)化を企てている人がどこかにいるのでしょうか。

ここに語彙数推定テストなるサイトを紹介します。 NTTコミュニケーション科学基礎研究所が単語親密度を利用して開発したテストです。私の結果は何とか大学生レベルはクリアしましたが、知らない単語が結構ありました。これから勉強しなきゃと素直に思います。日本人としては、理解できない日本語が出てくると不安になってしまいます。皆さんはどうですか?

http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/lirg/resources/goitokusei/goi-test.html

グローバル・イノベーター

2014年2月24日 at 4:36 PM

東京エレクトロン株式会社とApplied Materials, Inc.は、昨年9月24日、半導体およびディスプレイ製造装置業界における「グローバル・イノベーター」を目指し、株式対価による経営統合の契約を締結したことを発表しました。業界第1位と第3位の経営統合により第2位のASMLの2倍の売上規模になります。しかし、今後さらに大規模な開発投資が求められる半導体業界で生き抜くには、インテルやサムスン、TSMCといった大手に対して対抗できる知力と体力が必要でしょう。その決断をされた統合新会社の会長に就任される東哲郎氏のお話を伺う機会を得ました。東氏は経営者としては異色の経歴で大学時代には哲学や社会学、そして修士課程ではオランダ経済史などを学び、将来は学者の道を志していたそうです。卒業間際に就職する決意をし、当時社員200名・売上200億円規模の東京エレクトロンに28歳で入社し、96年から18年間トップを務めておられます。東芝会長の西田厚聰氏にも専務時代にお会いしたことがありますが、修士課程では西洋政治思想史を学ばれ、その関係で日本政治史を勉強されていたイラン女性と結婚されています。お二人とも揺るぎない信念を持ち、経営に当たられている印象は共通のものを感じました。学生時代に自ら「考える」という姿勢を確立されているからでしょうか、その経営における決断の裏付けとなる洞察力に並々ならぬものがあると感じました。エレクトロニクス業界でいわゆる「文系」の社長は少数派だろうと思いますが、学生時代の数年の経歴と社会に出てからの数十年のキャリアとを比較すれば、文系・理系と分ける事自体、可能性を狭めているように思います。「文系」だからメカはどうも苦手とか、エンジニアだから金勘定は好きじゃないとか了見の狭い台詞を聞くことが間々ありますが、ビジネスに関わっている以上、それに必要なものは文系・理系区別なく学ぶべきで、その点、日本はまだまだ生涯学習の考え方が浸透していないなあと思います。また私自身グローバルな交渉を行っていた場面で、リベラル・アーツ(基礎教養)の重要性は多々感じるところがありました。これから益々多国籍・多民族・多文化との接点が増えていく中、リベラル・アーツはグローバル・ビジネスにおける必須科目と言っていいだろうと思います。

ちょっと横道に逸れてしまいました。東氏の話に戻りますと「欧米を追う経営はもはや通用せず、アジアの需要を見極め、技術・品質・コスト・スピードで競争力を持つ『グローバルNo.1を目指す経営』」を標榜し、強固な統合への決断をされたとの事です。今、どれほどの日本企業が世界No.1を目指した戦略を持っているでしょうか。世界No.1を目指す戦略とTop3に入るという戦略はまるで違います。勝者総取りのグローバル・ビジネスでは中途半端な存在は市場撤退を余儀なくされます。世界中が猛烈なスピードでめまぐるしく動く現代においては時間という概念も疎かにできません。M&Aも当然視野に入りますし、企業文化の違う組織を統合することも決してたやすいことではありません。うまく行かずに破談した会社、凋落した会社は枚挙にいとまがないでしょう。しかし、その目標を定めたら一心不乱に突き進むしかありません。そこに勝機ありと決断したのですから。その強い決意を東氏に見ることができました。

そんなグローバルな世界No.1なんて話は大企業の話と切って捨て去るのは惜しいことです。中小企業でもベンチャー企業でも、世界一ではなくても、日本一、九州一、町一番の小売でもいいです。規模がすべてを制す訳ではありません。このサービスでは絶対他社に負けないとか、機能面での切り口でもいいです。他社がやらないことをやる。世界初を目指す。何かこの分野では絶対に負けないという信念を持って事に当たる企業が少なくなったような気がします。民主党が政権を取って、事業仕訳をした当時に某議員が「1番にならなきゃいけないんですか?2番じゃいけないんですか?」といって予算の削減を求めていましたが、果たして2番になる戦略ってあるんでしょうか?3番に負けない戦略って何でしょうか?1番になる戦略を取って、結果2番になることはあっても、2番になる戦略(というものがあるのか想像できませんが)を取って2番になれるとは決して思えません。

東氏は「利益志向」についても自説を展開されました。「社会に対して高い価値のある製品を継続的に提供することにより、社会に貢献し、高い利益を上げることができる。利益の大きさは我々の能力の大きさに依存する。つまり日常における全ての活動は、最大の利益を追求することを目的に行われるべきである」と。私の意見とは少々異なりますが、多くの日本企業の利益率が欧米企業に比べ低いことは事実で、これは労働環境の違いもありますが、同時に技術革新によってコモディティ化し利益の取れなくなった事業を抱え込んでしまっていることも要因のひとつでしょう。それゆえ日本企業は欧米企業より早く事業転換の芽を植え、育て始めなければグローバル競争に勝てません。それをチームワークの強さで他社が容易に追随できない要素技術と品質に昇華し、愛着をもって商品やサービスを提供していく事が必要です。日本の強みを活かしたアプローチという特性になるかもしれませんが、新興国含め、皆グローバル・イノベータ―を目指して激烈な競争を繰り広げている中で、No.1を目指す気概と信念・自由闊達な職場とチャレンジ精神、そして目標達成への熱意と責任感が今一度必要であることを再認識させていただいた東氏の講演でした。

(ちなみに東京エレクトロンは2月28日、代表取締役を含む役員4人の月額報酬を30%減額すると発表しました。同社が12年にスイスの会社を買収して本格参入したものの赤字が続き、撤退を決めた太陽電池製造装置事業を中心に2013年4~12月期に467億円の特別損失を計上し、その結果の経営責任を明確にすると同時に、事業に関わった執行役員の降格も発表しています。こういった処し方もなかなか普通の日本企業にはできないことです。)

健康と科学

2014年2月2日 at 2:01 PM

昨年末にIBMが今年で8回目になる「今後5年間で人々の生活を変える5つのイノベーション」を発表しました。その5つは次のようなものです。

  • クラスルームが生徒について学ぶ
  • 地元での買い物がオンラインに勝る
  • 健康維持にDNAを活用する
  • デジタルの番人がオンライン・ユーザーを保護する
  • 都市が市民の生活を支援する

全て深堀したくなる興味深い項目ですが、今日は3番目の「健康維持にDNAを活用する」に触れてみたいと思います。世の中には原因が解明されていない難病や治療法が確立していない重篤な病に冒されている方が少なからずおられると思います。最近報道されたSTAP細胞は若いマウス実験だけでの再現ではあるものの、これまで発表されてきたiPS細胞やES細胞などの万能細胞より短期間で簡便に(つまり安価に)細胞の初期化が行えるという点において、将来の応用の可能性が大きいと言われています。

人は死を免れることができませんが、生きている限りは極力痛みにさらされることなく、幸せに生きることを願っていると思います。PPK(ピンピンコロリ)が一番いいねと言われる所以です。

一般の方の死因というのは、やはりガンが一番多く、次いで心疾患、脳血管疾患が続きます。ガンは、これまでの研究や治療の飛躍的な進歩にもかかわらず、世界でのがんの罹患率は2008年以来10パーセント以上増加しており、毎年世界中で1,400万人を超える患者を悩ませ、810万人の患者の命を奪っているとWHOの調査報告書が伝えています。

「健康維持にDNAを活用する」とは、個々人のDNAを解読し、その患者に最も効果がある治療方法の組み合わせが提案される個別化医療が実現するということです。2003年に解読完了したヒトゲノムはABI社がゲル電気泳動技術を使って当時ひとりの全遺伝子を解読するのに8年の歳月と300億円の巨費が掛かったそうです。現在は各社がその技術を競い合ってRoche社やIllumina社が2か月で1000万円というコストで出来るそうですが、まだ一般民間人の手の届くレベルではありません。先日参加した「ナノバイオデバイス研究の最前線」セミナーでは目標を1日で10万円という低コストで実現しようとする研究者や企業からの報告を聞くことができました(もっと先には1時間1万円も夢ではないとのことです)。

個別化医療の実現には究極の個人情報とも言えるゲノムの収集と解析が必要で、GoogleやMicrosoftなどが早く100万人分のゲノムを集めた方が勝ちと言われるビジネスの主導権争いを競い合っているようです。ビッグデータ・アナリティクスやクラウドベースのコグニティブ・システムなどでは資金力の豊富な米IT企業には日本企業がなかなか対抗できないかも知れませんが、簡便に瞬時にかつ安価で遺伝子診断ができるナノバイオデバイスの分野では十分チャンスがあると思います。セミナーでは東芝がDNAチップカードでウィルスや病原菌を30分で検知する技術、パナソニックが呼気に含まれる匂い成分から健康状態を検知する技術、東レがマイクロRNA(DNAから情報を取り出してタンパク質を作る)量の変化を検出して病気診断に繋げる技術などが報告されました。世界の医療費は年間447兆円(日本は37兆円)だそうです。多くの国が財政負担に苦しむ中、痛くない診査が開発され、それが予防に繋がり、財政負担を減らし、個人個人が少しでも幸せな充実した時間が永く続けばこれに越したことはないと心から思います。今後の研究の発展を大いに期待しています。

しかしながら個人的には今後の医科学の発展が不老不死なるものに至らないことを祈ります。というのも生があって死があるのが自然の摂理と思いますし、死があることで生が輝くとも思っているからです。死因の第一位であるガンが撲滅される日が来ても、必ず生き物に死が訪れるとすれば、必ず死因があることになります。ガンに替わる死因が何であれ、医科学はその撲滅に向かって発展していくものと思いますが、それは有限なる幸福な時間の実現であって欲しいと思います。

手元に年代別の死因の第一位のデータがあります。0~4歳:先天異常、5~9歳:不慮の事故、10~14歳:ガン、15~39歳:自殺、40~89歳:ガン、90歳~99歳:心疾患、100歳以降:老衰。先天異常はまさに妊娠中のお母さん、お父さんの第一の心配を反映しています。不慮の事故は親御さんが子育て中に何回「危ないからやめなさい!」と叫んだかと想像させます。白血病などの若い人のガンは辛いですね。私も高校時代の友人を骨肉種で亡くしています。青年期の悩みは当人には死を選ぶほどの大事ですが、何とか力強く生きて欲しいですし、周囲も何かの力になってあげたいと思います。体と心は互いに影響し合うものと言われていますので、医科学の進歩を見守りつつ、自身の心のバランスを保持して、それぞれが愉快にそして有意義に暮らしていくことが求められているのではないかと思います。

SNS

2014年1月1日 at 10:24 AM

皆さん、新年あけましておめでとうございます。先月、父が亡くなりましたので喪中ということで自重していないといけないのでしょうが、やはり新年を迎えることは気持ちが新たになるというか、清々しい気持ちになりますので、新年の挨拶から始めさせていただきました。毎年元日の新聞は何部にも構成されて厚厚しいものが配達されますが、日経新聞一面の「リアルの逆襲」という記事で後半部に各国首脳の採点が載っていました。各首脳の国家運営をどこかの専門機関が事実に即してその力量を採点したわけではなく、サンフランシスコの新興企業クラウトがネット上の影響力をもとに100点満点で採点したものだそうです。ちなみにオバマ99点、朴83点、安倍70点。多くの日本人がいささかの不満を感じる結果とは思いますが、日本の発信力を高める必要性は多くの人が認めるところでありましょう。この採点に使うのがFacebook(FB)やTwitterなどのSNSでの書き込みに対する反響の大きさ、学歴・職歴、SNSでの友人数などのネット空間に漂う個人情報で、それらを集めて独自の計算式で総合評価を出すそうです。米企業ではこのクラウトの高得点者を採用で優遇する動きもあるそうで、営業など社外との関係作りが大切な職種で点数を重視し、点数が低いと入社は難しいとか。。。

FBをやられている方は「自分新聞」を見たことがあるのではないかと思います。1年の自分のFBでの活動や反響をまとめてくれるなかなか便利で面白いアプリです。このアプリを提供しているグローバルアストロラインズ株式会社は『ハーバード流宴会術』著者の児玉教仁さん率いるグローバル人材教育及び英語教育を事業としている会社です。私には「自分新聞」と同社の事業理念に関係性を見いだせないでのですが、それはここでは置いておきます。ネット上ですでに指摘されていますが、『自分新聞』を利用するためには『ハーバード流宴会術』および男女のマッチングサイト『omiai』に「いいね!」することが求められます。単純に『自分新聞』サービスを利用したいだけなのに、本来利用するつもりもない『Omiai』に「いいね!」を押すこととなり、自ら削除しない限り、FBの広告に自分の名前やプロフィール写真その他がマッチングサイトの広告に利用され続ける可能性があります。なにしろ「いいね!」を押さないとアプリが使えないのですから、軽い気持ちで「いいね!」を押す人は少なからずいるでしょう。その「いいね!」は関係ないところへの「いいね!」なのです。私もFBをやりますが、たまに広告が紛れ込んできますね。「あなたのお友達が『いいね!』と言っています」ってやつですが、この人、これには興味あるとは思えないなあっていうことも感じることは多いです。そんなSNSのカラクリがあちこちに仕掛けられているかもしれない世の中ですから、使う側も注意しないといけないですね。

ちょっと前に「いいね!」を自動でやってくれるToolが紹介されていましたが、空虚な「いいね!」が今年どれほどサイバー空間を駆け巡るのか。。。結局リアルもサイバーも人間がやる以上、根っこのところでは何千年も前と変わらないのかもしれません。今年は少し古典にも手を伸ばそうかと思う元旦でした。皆さんの2014年が良き一年でありますように。

父の死

2013年12月30日 at 10:30 AM

12月12日12時過ぎに電話が鳴った。父の死を知らせる電話だった。満87歳(昭和2年2月2日生まれ)を迎えようという年齢であったし、病院通いをしていた時期もあったので、私としては心の準備をしていた積りであったが、やはりその知らせは「突然」であった。故あって父とは過去20年で一度しか会っていない。最後に会ったのは6年前、生前お世話になった大叔母の葬儀の場であった。父は私が現れることを全く予期していなかったのか、老人性痴呆症からなのか、その場での第一声は「どちら様でしょうか?」であった。さすがに名前を告げると「おぉ、来てくれたか」という返事であったが、父の放蕩にあきれ果てずっと別居していた母に対しても同様の「挨拶」であったことを後日聞いた。そんな父のあっけない最期の知らせであった。

兄夫婦が実家の近くに住んでいて、葬儀の手配を進めてくれていたので、知らせを受けて、取るものも取りあえず「父」が安置された大学病院に向かおうとしていた私は、その日は兄に頼り全てを託すこととして、翌朝の出立とした。葬儀場に着くと大きな和室の部屋で「父」は装束を纏い静かに眠っていた。長年の無沙汰を心で詫びつつも、勝手気儘に、そして自由にかつ無邪気に終えた父の87年の人生に思いを馳せ、そのちょっと痩せた顔に私なりの最期の挨拶をした。

兄の手配により手狭な葬儀場から幾分大きな葬儀場に移ることとなった。葬儀社から手配されたであろう「送り人」が移送前に体を清めてくれるということである。私も映画では見たことがあったが、実際には初めての経験をした。比較的若い感じの男女ふたりが非常に礼儀正しい挨拶の後、手際よく、しかし「父」に十分な敬意を払いその「作業」は淡々と進んだ。小一時間くらい掛かったであろうか。男性によって底の浅いバスタブが持ち込まれ、その上に金属枠のネットが重ねられ、お湯の入ったポリタンクがポンプと手際よく繋がれ、シャワーの準備が整った。その間、女性は「父」の爪を手足10本丁寧に切ってくれる。ひげも丁寧に剃ってくれる。仏への愛おしさすら感じられる一つ一つの作業に私は感動すら覚えた。そして同時に一抹の恥ずかしさを感じざるを得なかった。

いよいよシャワーという段になって、私と兄はそのふたりに手伝いを求められて、4人掛りで「父」を持ち上げネットに乗せた。女性は「父」の頭を腕で抱えるようにして、男性は腰のあたりをしっかり支え、私は肩を、兄は両足首を持ってその手伝いを行った。紛れもなくその男女がその作業の主役で、兄弟は補助者であった。そんなに長い時間ではなかったはずであるが、「父」の皮膚の弾力は生身のそれと変わらないものであったにもかかわらず、その皮膚の温度は想像以上に冷たく、その作業が終わった後もずっとその冷たさが手のひらに残った。

男女はその後もいつもの作業をいつもの通り行っていたのだと思われるが、体だけでなくシャンプーもリンスも丁寧に行ってくれた。洗髪の作業の度に頭部が揺れるので、その反動で、すっと「父」が起き上がってくるような錯覚に囚われた。途中、男性から「最期のご洗髪、なさいますか?」と聞かれ、予期せぬ問い掛けに兄弟ふたりとも躊躇して固まってしまった。生まれてこの方親の髪をシャンプーしたことはない。それら一連の作業はほとけに対しての敬意が最初から最後まで行き届いていた。死化粧の程度や好みは勿論のこと、いつものヘアスタイルはどんな感じですか?と聞かれても私は数十年前のイメージしかなく、上はふんわり目で、横はピッタリ目でと確信の無い返事をするのが精一杯であった。真新しい装束を身にまとい、六文銭の紙シートを入れた肩掛けや三途の川を渡る道中に必要だと思われる木の杖も添えられ、生前おしゃれであった父らしい、「父」の旅支度はひとつの抜かりもなく整った。

移った先のセレモニーホールは「平安会堂」というところであった。私が幼少の時からあったものであるが、当時は「平安閣」という結婚式場であった。兄もここで結婚式を挙げている。係りの人にそんな話をしていると、数年前には改装して葬儀専門の会堂に衣替えをしたということだった。結婚式が減って、葬儀が増えるということなのであろう。ドーナツ化現象を早くから迎えていた私の実家近辺ではまさにそうした社会の変化が起きていた。それを父の死で再確認させられた格好である。この会堂の従業員の方々は訓練が行き届いているのだろう、非常に礼儀正しく丁寧に対応してくれた。宿泊施設も最新の設備が施され、運び込まれた棺が安置されるガラス越しの部屋を除けば、広々としてリゾートホテルと見紛うほどである。後から駆け付けた妹のふたりの娘はその部屋の豪華さに大喜びであった。ひと昔前であれば、一晩中線香や蝋燭の火を絶やさぬよう親族が交代で寝ずに目を配っていたものであるが、今は12時間もつ小振りの蚊取り線香のような線香と、太い蝋燭がその代わりを務めてくれる時代となった。数時間おきに「父」の顔を数十分見ては涙していた7歳下の妹が一番心を込めて父を見送ってくれた。

この会堂の従業員の少なからざる人達は、以前には結婚式を執り行っていたのではないだろうか。だとすればいくら冠婚葬祭と一括りにできるとしても、「喜びのイベント」から「哀しみのイベント」に大きく変わっているのだから、その頭と心の切り替えはとてつもなく大変なことだったに違いない。従業員が総入れ替えになったとは、この地方都市では考えにくい。大手の葬儀社の傘下に入っているのだと思うが、ほとけへの接し方、遺族への配慮、色々な新しい知識を研修において学んでいったのでないか。決まった時間間隔で、礼を逸することなく、ほとけが抱えたドライアイスを交換してくれるその姿に、勝手な想像をした。

人は長い人生の中で転機が必ずやってくるものと思う。変化の流れの速い現代に至っては尚更の事であろう。過去の良き日は良い思い出にするものであって、そこに佇んで、そこに固執して、そこに拘っていては生きていけないと感じる。先輩に教わり、自分流に造り上げ、後輩に教えていく。その中身は変化して当然。変化してこそそこに自分の存在を感じることができるはずである。

行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、 よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、世の中にある人と住家と、またかくの如し(方丈記 鴨長明)。今日という日は、残りの人生の最初の一日と思って2014年を迎える。

 

調達組織の在り方とその活性化

2013年12月6日 at 11:12 AM

10~11月にかけて講演会・企業セミナーなどいくつか続けて行いました。事務局が参加者にアンケートを取ってくれるので、参加者のフィードバックや調達に携わる人たちが今どんな悩みを抱え、どんなアドバイスを求め、どんなことを知りたがっているのかなど多くの参考情報が手元に残ります。そんな内容を咀嚼しながら、来年以降の演題に考えを巡らせています。参加者の質問やアンケートによく記載される項目のひとつに「人材育成」があります。このグローバルな市場で活躍できる人材がいない、どうしたら良いか?というのがその典型例です。

企業によっては「人財」と表記して人材を重要なAssetとして認識しているところも少なからずありますが、人を育成していくということは長期的視野に立って時間を掛けて行うものなので、業績が悪くなったから人材育成に掛ける費用を削りますなんて言っている会社はそもそも人材育成を語る資格はありません。言っていることとやっていることにGapが生じる理由の一つはManagementのKPIに人を育てたら評価される仕組みがないことです。予算は取っても、その結果を追わなければ、予算の無駄遣いか、予算未消化のいずれかで終わってしまいます。どういった人材が必要なのか、長期の事業計画からそのコンピテンスを明確にした上で個々人Custom Madeの育成プランが必要です。レールを敷くこと、経験を積ませること、上司がその背中を見せて範を示すこと、必要な知識はその過程で自分で勉強して得るものです。

そもそも人材育成は上役が部下に対して考えるものですが、実はその上役が範を示すことがなかなか難しく、それゆえ非常に有用なこと、あるいは実は一番重要なことなのかも知れません。世の中反面教師ということもありますが、それは少数であるべきですね、企業としては。大方反面教師では職場のMotivationが上がるはずありません。これがMotivationの重要性に繋がります。馬に無理やり水を飲ませるのではなく、自然と水場に行くように環境づくりをすること、上層部はその環境を自らの実践を以って作る責務があります。

ドラッカー語録に「労働力はコストではなく資源である」というのがあります。企業が従業員の意欲(Motivation)を高めるような関係を築く人事Managementが重要性だと指摘しています。これらは調達部門に限ったことではなく、どの職場にも当てはまりますね。一方、調達部門の特徴のひとつは、その所属の多くがProfit Centerではなく、Cost Centerであるという点です。言うなれば間接部門として扱われているということです。開発購買が叫ばれ、企画設計段階からの原価低減がこれだけ必要とされてきているのに「間接部門」という呼ばれ方はないですね。これが調達部門のMotivationに大きく影響していると私は思っています。

グローバル調達という点では、語学も勿論重要なFactorで、先日日経新聞に掲載された各国英語ランキングで日本は50位。韓国23位、中国34位、タイ43位、ベトナム44位の下位に位置しています。20年前にタイのバイヤーに指導に行った時に皆英語を解するのに非常に苦労していたことを覚えていますが、今は日本がその下なのかと思うとウサギとカメの寓話を想起させます。こういったことも含めてこれから1か月くらいかけて標題の演題の答えを導き出していきます。