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漢字を廃止せよ(昭和20年11月12日付け読売報知新聞)

2014年3月2日 at 12:02 PM

本日付け日本経済新聞の「熱風の日本史」というコーナーで、アメリカが太平洋戦争後に日本から軍国主義を一掃し、民主主義を根付かせるために「漢字の全廃・ローマ字採用」という動きを掛けたことを紹介しています。その論拠となったのが、日本人は漢字学習に膨大な労力を費やしているため、国際社会で常識的な知識を習得する時間がなく、愚民化されてきたというものです。驚くのはこういった主張に日本人自ら同調している人が少なからずいたことです。改革派の国語学者の金田一京助やフランス文学者の桑原武夫などもその賛同者で、志賀直哉に至っては「一番いい、美しいフランス語を国語にしよう」と、本人はフランス語を解さなかったにもかかわらず、こういった珍論を展開したそうです。

明治維新前後にもそのような動きはあり、前島密が徳川慶喜に仮名書き化を建白したとか、森有礼が英語国語論を唱えたとかしたことも紹介されていました。これらの動きは「多くの日本人が過去の日本に自信を失って、初めから出直しだと思った時に盛んになる」と中国文学者の高島俊男氏は「戦後国語改革の愚かさ」で述べているそうです。

小渕内閣の私的諮問機関『「21世紀日本の構想」懇談会』で英語を日本の第2公用語とする構想がありました。その後具体的な計画が進んだという話は聞いていませんが、最近では文部科学省が小学校の英語必修化を打ち出すなど、英語教育の拡充を図る動きは定着しつつあるようです。楽天やユニクロなど英語を社内公用語にすると宣言をしている企業もありますが、メリット・デメリット賛否両論あるでしょう。しかし、ひとたびグローバルビジネスを志し、世界中の顧客を相手にするには、企業として世界中の優秀な人材を引き付ける必要があります。その意味ではその立場にありながらも何十年も一進一退の感がある多くの日本本社の内なる国際化は避けられるテーマでは決してありません。Wikipediaによると2010年の調査で、インターネット上の主要言語は英語が27.3%でトップ、中国語が次いで22.6%、スペイン語7.8%、日本語5%と続くとあります。日本人の人口比からは日本語大健闘というところですが、情報種を広げる意味でも、文化慣習が違う民族とのCommunicationという意味でも英語をはじめとする外国語を理解することに何らのデメリットはありません。

漢字かローマ字か、日本語か英語かといった二者択一の議論こそが偏狭な精神であり、どちらもやればよいし、能力や志のある方は3つでも4つでもやればいいと思います。欧州人の多くはその歴史的・地理的背景もあって数か国語話せる人が少なくありません。中華系マレー人もマルチリンガルが少なくありません。中国人エリートも昨今は英語能力が高いです。「2つの言葉ができる人はバイリンガル、3つできるのがトライリンガル。では、ひとつの言葉しかしゃべれない人を何と呼ぶでしょうか? 」というなぞなぞがありますが、この答えは「アメリカ人」というジョークです。日本人も似たようなレベルかもしれません。私自身も英語は頑張って読んだり書いたりのレベルですから、深い思考を英語ベースでやることは困難ですし、苦痛です。やはり思考を巡らすのは日本語ですし、漢字を主体にした活字です。一目で意味の分かる表意文字の漢字と表音文字のかなを組み合わせて出来た現代の日本語は誇るべき文化財産だと思います。本の厚さを見ても日本語と英語では随分違います(電子書籍ではあまり優劣はないでしょうか)ね。

TVのクイズ番組では昔は難読漢字を答える回答者がもてはやされましたが、最近は「こんな漢字も知らないの?読めないの?書けないの?」といったおバカを売りにするクイズ番組も少なくありません。「これなら私の方がマシ」と視聴者を安心させ、日本人総白痴(差別用語になったのでしょうか、普通に漢字変換されません)化を企てている人がどこかにいるのでしょうか。

ここに語彙数推定テストなるサイトを紹介します。 NTTコミュニケーション科学基礎研究所が単語親密度を利用して開発したテストです。私の結果は何とか大学生レベルはクリアしましたが、知らない単語が結構ありました。これから勉強しなきゃと素直に思います。日本人としては、理解できない日本語が出てくると不安になってしまいます。皆さんはどうですか?

http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/lirg/resources/goitokusei/goi-test.html

グローバル・イノベーター

2014年2月24日 at 4:36 PM

東京エレクトロン株式会社とApplied Materials, Inc.は、昨年9月24日、半導体およびディスプレイ製造装置業界における「グローバル・イノベーター」を目指し、株式対価による経営統合の契約を締結したことを発表しました。業界第1位と第3位の経営統合により第2位のASMLの2倍の売上規模になります。しかし、今後さらに大規模な開発投資が求められる半導体業界で生き抜くには、インテルやサムスン、TSMCといった大手に対して対抗できる知力と体力が必要でしょう。その決断をされた統合新会社の会長に就任される東哲郎氏のお話を伺う機会を得ました。東氏は経営者としては異色の経歴で大学時代には哲学や社会学、そして修士課程ではオランダ経済史などを学び、将来は学者の道を志していたそうです。卒業間際に就職する決意をし、当時社員200名・売上200億円規模の東京エレクトロンに28歳で入社し、96年から18年間トップを務めておられます。東芝会長の西田厚聰氏にも専務時代にお会いしたことがありますが、修士課程では西洋政治思想史を学ばれ、その関係で日本政治史を勉強されていたイラン女性と結婚されています。お二人とも揺るぎない信念を持ち、経営に当たられている印象は共通のものを感じました。学生時代に自ら「考える」という姿勢を確立されているからでしょうか、その経営における決断の裏付けとなる洞察力に並々ならぬものがあると感じました。エレクトロニクス業界でいわゆる「文系」の社長は少数派だろうと思いますが、学生時代の数年の経歴と社会に出てからの数十年のキャリアとを比較すれば、文系・理系と分ける事自体、可能性を狭めているように思います。「文系」だからメカはどうも苦手とか、エンジニアだから金勘定は好きじゃないとか了見の狭い台詞を聞くことが間々ありますが、ビジネスに関わっている以上、それに必要なものは文系・理系区別なく学ぶべきで、その点、日本はまだまだ生涯学習の考え方が浸透していないなあと思います。また私自身グローバルな交渉を行っていた場面で、リベラル・アーツ(基礎教養)の重要性は多々感じるところがありました。これから益々多国籍・多民族・多文化との接点が増えていく中、リベラル・アーツはグローバル・ビジネスにおける必須科目と言っていいだろうと思います。

ちょっと横道に逸れてしまいました。東氏の話に戻りますと「欧米を追う経営はもはや通用せず、アジアの需要を見極め、技術・品質・コスト・スピードで競争力を持つ『グローバルNo.1を目指す経営』」を標榜し、強固な統合への決断をされたとの事です。今、どれほどの日本企業が世界No.1を目指した戦略を持っているでしょうか。世界No.1を目指す戦略とTop3に入るという戦略はまるで違います。勝者総取りのグローバル・ビジネスでは中途半端な存在は市場撤退を余儀なくされます。世界中が猛烈なスピードでめまぐるしく動く現代においては時間という概念も疎かにできません。M&Aも当然視野に入りますし、企業文化の違う組織を統合することも決してたやすいことではありません。うまく行かずに破談した会社、凋落した会社は枚挙にいとまがないでしょう。しかし、その目標を定めたら一心不乱に突き進むしかありません。そこに勝機ありと決断したのですから。その強い決意を東氏に見ることができました。

そんなグローバルな世界No.1なんて話は大企業の話と切って捨て去るのは惜しいことです。中小企業でもベンチャー企業でも、世界一ではなくても、日本一、九州一、町一番の小売でもいいです。規模がすべてを制す訳ではありません。このサービスでは絶対他社に負けないとか、機能面での切り口でもいいです。他社がやらないことをやる。世界初を目指す。何かこの分野では絶対に負けないという信念を持って事に当たる企業が少なくなったような気がします。民主党が政権を取って、事業仕訳をした当時に某議員が「1番にならなきゃいけないんですか?2番じゃいけないんですか?」といって予算の削減を求めていましたが、果たして2番になる戦略ってあるんでしょうか?3番に負けない戦略って何でしょうか?1番になる戦略を取って、結果2番になることはあっても、2番になる戦略(というものがあるのか想像できませんが)を取って2番になれるとは決して思えません。

東氏は「利益志向」についても自説を展開されました。「社会に対して高い価値のある製品を継続的に提供することにより、社会に貢献し、高い利益を上げることができる。利益の大きさは我々の能力の大きさに依存する。つまり日常における全ての活動は、最大の利益を追求することを目的に行われるべきである」と。私の意見とは少々異なりますが、多くの日本企業の利益率が欧米企業に比べ低いことは事実で、これは労働環境の違いもありますが、同時に技術革新によってコモディティ化し利益の取れなくなった事業を抱え込んでしまっていることも要因のひとつでしょう。それゆえ日本企業は欧米企業より早く事業転換の芽を植え、育て始めなければグローバル競争に勝てません。それをチームワークの強さで他社が容易に追随できない要素技術と品質に昇華し、愛着をもって商品やサービスを提供していく事が必要です。日本の強みを活かしたアプローチという特性になるかもしれませんが、新興国含め、皆グローバル・イノベータ―を目指して激烈な競争を繰り広げている中で、No.1を目指す気概と信念・自由闊達な職場とチャレンジ精神、そして目標達成への熱意と責任感が今一度必要であることを再認識させていただいた東氏の講演でした。

(ちなみに東京エレクトロンは2月28日、代表取締役を含む役員4人の月額報酬を30%減額すると発表しました。同社が12年にスイスの会社を買収して本格参入したものの赤字が続き、撤退を決めた太陽電池製造装置事業を中心に2013年4~12月期に467億円の特別損失を計上し、その結果の経営責任を明確にすると同時に、事業に関わった執行役員の降格も発表しています。こういった処し方もなかなか普通の日本企業にはできないことです。)

健康と科学

2014年2月2日 at 2:01 PM

昨年末にIBMが今年で8回目になる「今後5年間で人々の生活を変える5つのイノベーション」を発表しました。その5つは次のようなものです。

  • クラスルームが生徒について学ぶ
  • 地元での買い物がオンラインに勝る
  • 健康維持にDNAを活用する
  • デジタルの番人がオンライン・ユーザーを保護する
  • 都市が市民の生活を支援する

全て深堀したくなる興味深い項目ですが、今日は3番目の「健康維持にDNAを活用する」に触れてみたいと思います。世の中には原因が解明されていない難病や治療法が確立していない重篤な病に冒されている方が少なからずおられると思います。最近報道されたSTAP細胞は若いマウス実験だけでの再現ではあるものの、これまで発表されてきたiPS細胞やES細胞などの万能細胞より短期間で簡便に(つまり安価に)細胞の初期化が行えるという点において、将来の応用の可能性が大きいと言われています。

人は死を免れることができませんが、生きている限りは極力痛みにさらされることなく、幸せに生きることを願っていると思います。PPK(ピンピンコロリ)が一番いいねと言われる所以です。

一般の方の死因というのは、やはりガンが一番多く、次いで心疾患、脳血管疾患が続きます。ガンは、これまでの研究や治療の飛躍的な進歩にもかかわらず、世界でのがんの罹患率は2008年以来10パーセント以上増加しており、毎年世界中で1,400万人を超える患者を悩ませ、810万人の患者の命を奪っているとWHOの調査報告書が伝えています。

「健康維持にDNAを活用する」とは、個々人のDNAを解読し、その患者に最も効果がある治療方法の組み合わせが提案される個別化医療が実現するということです。2003年に解読完了したヒトゲノムはABI社がゲル電気泳動技術を使って当時ひとりの全遺伝子を解読するのに8年の歳月と300億円の巨費が掛かったそうです。現在は各社がその技術を競い合ってRoche社やIllumina社が2か月で1000万円というコストで出来るそうですが、まだ一般民間人の手の届くレベルではありません。先日参加した「ナノバイオデバイス研究の最前線」セミナーでは目標を1日で10万円という低コストで実現しようとする研究者や企業からの報告を聞くことができました(もっと先には1時間1万円も夢ではないとのことです)。

個別化医療の実現には究極の個人情報とも言えるゲノムの収集と解析が必要で、GoogleやMicrosoftなどが早く100万人分のゲノムを集めた方が勝ちと言われるビジネスの主導権争いを競い合っているようです。ビッグデータ・アナリティクスやクラウドベースのコグニティブ・システムなどでは資金力の豊富な米IT企業には日本企業がなかなか対抗できないかも知れませんが、簡便に瞬時にかつ安価で遺伝子診断ができるナノバイオデバイスの分野では十分チャンスがあると思います。セミナーでは東芝がDNAチップカードでウィルスや病原菌を30分で検知する技術、パナソニックが呼気に含まれる匂い成分から健康状態を検知する技術、東レがマイクロRNA(DNAから情報を取り出してタンパク質を作る)量の変化を検出して病気診断に繋げる技術などが報告されました。世界の医療費は年間447兆円(日本は37兆円)だそうです。多くの国が財政負担に苦しむ中、痛くない診査が開発され、それが予防に繋がり、財政負担を減らし、個人個人が少しでも幸せな充実した時間が永く続けばこれに越したことはないと心から思います。今後の研究の発展を大いに期待しています。

しかしながら個人的には今後の医科学の発展が不老不死なるものに至らないことを祈ります。というのも生があって死があるのが自然の摂理と思いますし、死があることで生が輝くとも思っているからです。死因の第一位であるガンが撲滅される日が来ても、必ず生き物に死が訪れるとすれば、必ず死因があることになります。ガンに替わる死因が何であれ、医科学はその撲滅に向かって発展していくものと思いますが、それは有限なる幸福な時間の実現であって欲しいと思います。

手元に年代別の死因の第一位のデータがあります。0~4歳:先天異常、5~9歳:不慮の事故、10~14歳:ガン、15~39歳:自殺、40~89歳:ガン、90歳~99歳:心疾患、100歳以降:老衰。先天異常はまさに妊娠中のお母さん、お父さんの第一の心配を反映しています。不慮の事故は親御さんが子育て中に何回「危ないからやめなさい!」と叫んだかと想像させます。白血病などの若い人のガンは辛いですね。私も高校時代の友人を骨肉種で亡くしています。青年期の悩みは当人には死を選ぶほどの大事ですが、何とか力強く生きて欲しいですし、周囲も何かの力になってあげたいと思います。体と心は互いに影響し合うものと言われていますので、医科学の進歩を見守りつつ、自身の心のバランスを保持して、それぞれが愉快にそして有意義に暮らしていくことが求められているのではないかと思います。

SNS

2014年1月1日 at 10:24 AM

皆さん、新年あけましておめでとうございます。先月、父が亡くなりましたので喪中ということで自重していないといけないのでしょうが、やはり新年を迎えることは気持ちが新たになるというか、清々しい気持ちになりますので、新年の挨拶から始めさせていただきました。毎年元日の新聞は何部にも構成されて厚厚しいものが配達されますが、日経新聞一面の「リアルの逆襲」という記事で後半部に各国首脳の採点が載っていました。各首脳の国家運営をどこかの専門機関が事実に即してその力量を採点したわけではなく、サンフランシスコの新興企業クラウトがネット上の影響力をもとに100点満点で採点したものだそうです。ちなみにオバマ99点、朴83点、安倍70点。多くの日本人がいささかの不満を感じる結果とは思いますが、日本の発信力を高める必要性は多くの人が認めるところでありましょう。この採点に使うのがFacebook(FB)やTwitterなどのSNSでの書き込みに対する反響の大きさ、学歴・職歴、SNSでの友人数などのネット空間に漂う個人情報で、それらを集めて独自の計算式で総合評価を出すそうです。米企業ではこのクラウトの高得点者を採用で優遇する動きもあるそうで、営業など社外との関係作りが大切な職種で点数を重視し、点数が低いと入社は難しいとか。。。

FBをやられている方は「自分新聞」を見たことがあるのではないかと思います。1年の自分のFBでの活動や反響をまとめてくれるなかなか便利で面白いアプリです。このアプリを提供しているグローバルアストロラインズ株式会社は『ハーバード流宴会術』著者の児玉教仁さん率いるグローバル人材教育及び英語教育を事業としている会社です。私には「自分新聞」と同社の事業理念に関係性を見いだせないでのですが、それはここでは置いておきます。ネット上ですでに指摘されていますが、『自分新聞』を利用するためには『ハーバード流宴会術』および男女のマッチングサイト『omiai』に「いいね!」することが求められます。単純に『自分新聞』サービスを利用したいだけなのに、本来利用するつもりもない『Omiai』に「いいね!」を押すこととなり、自ら削除しない限り、FBの広告に自分の名前やプロフィール写真その他がマッチングサイトの広告に利用され続ける可能性があります。なにしろ「いいね!」を押さないとアプリが使えないのですから、軽い気持ちで「いいね!」を押す人は少なからずいるでしょう。その「いいね!」は関係ないところへの「いいね!」なのです。私もFBをやりますが、たまに広告が紛れ込んできますね。「あなたのお友達が『いいね!』と言っています」ってやつですが、この人、これには興味あるとは思えないなあっていうことも感じることは多いです。そんなSNSのカラクリがあちこちに仕掛けられているかもしれない世の中ですから、使う側も注意しないといけないですね。

ちょっと前に「いいね!」を自動でやってくれるToolが紹介されていましたが、空虚な「いいね!」が今年どれほどサイバー空間を駆け巡るのか。。。結局リアルもサイバーも人間がやる以上、根っこのところでは何千年も前と変わらないのかもしれません。今年は少し古典にも手を伸ばそうかと思う元旦でした。皆さんの2014年が良き一年でありますように。

父の死

2013年12月30日 at 10:30 AM

12月12日12時過ぎに電話が鳴った。父の死を知らせる電話だった。満87歳(昭和2年2月2日生まれ)を迎えようという年齢であったし、病院通いをしていた時期もあったので、私としては心の準備をしていた積りであったが、やはりその知らせは「突然」であった。故あって父とは過去20年で一度しか会っていない。最後に会ったのは6年前、生前お世話になった大叔母の葬儀の場であった。父は私が現れることを全く予期していなかったのか、老人性痴呆症からなのか、その場での第一声は「どちら様でしょうか?」であった。さすがに名前を告げると「おぉ、来てくれたか」という返事であったが、父の放蕩にあきれ果てずっと別居していた母に対しても同様の「挨拶」であったことを後日聞いた。そんな父のあっけない最期の知らせであった。

兄夫婦が実家の近くに住んでいて、葬儀の手配を進めてくれていたので、知らせを受けて、取るものも取りあえず「父」が安置された大学病院に向かおうとしていた私は、その日は兄に頼り全てを託すこととして、翌朝の出立とした。葬儀場に着くと大きな和室の部屋で「父」は装束を纏い静かに眠っていた。長年の無沙汰を心で詫びつつも、勝手気儘に、そして自由にかつ無邪気に終えた父の87年の人生に思いを馳せ、そのちょっと痩せた顔に私なりの最期の挨拶をした。

兄の手配により手狭な葬儀場から幾分大きな葬儀場に移ることとなった。葬儀社から手配されたであろう「送り人」が移送前に体を清めてくれるということである。私も映画では見たことがあったが、実際には初めての経験をした。比較的若い感じの男女ふたりが非常に礼儀正しい挨拶の後、手際よく、しかし「父」に十分な敬意を払いその「作業」は淡々と進んだ。小一時間くらい掛かったであろうか。男性によって底の浅いバスタブが持ち込まれ、その上に金属枠のネットが重ねられ、お湯の入ったポリタンクがポンプと手際よく繋がれ、シャワーの準備が整った。その間、女性は「父」の爪を手足10本丁寧に切ってくれる。ひげも丁寧に剃ってくれる。仏への愛おしさすら感じられる一つ一つの作業に私は感動すら覚えた。そして同時に一抹の恥ずかしさを感じざるを得なかった。

いよいよシャワーという段になって、私と兄はそのふたりに手伝いを求められて、4人掛りで「父」を持ち上げネットに乗せた。女性は「父」の頭を腕で抱えるようにして、男性は腰のあたりをしっかり支え、私は肩を、兄は両足首を持ってその手伝いを行った。紛れもなくその男女がその作業の主役で、兄弟は補助者であった。そんなに長い時間ではなかったはずであるが、「父」の皮膚の弾力は生身のそれと変わらないものであったにもかかわらず、その皮膚の温度は想像以上に冷たく、その作業が終わった後もずっとその冷たさが手のひらに残った。

男女はその後もいつもの作業をいつもの通り行っていたのだと思われるが、体だけでなくシャンプーもリンスも丁寧に行ってくれた。洗髪の作業の度に頭部が揺れるので、その反動で、すっと「父」が起き上がってくるような錯覚に囚われた。途中、男性から「最期のご洗髪、なさいますか?」と聞かれ、予期せぬ問い掛けに兄弟ふたりとも躊躇して固まってしまった。生まれてこの方親の髪をシャンプーしたことはない。それら一連の作業はほとけに対しての敬意が最初から最後まで行き届いていた。死化粧の程度や好みは勿論のこと、いつものヘアスタイルはどんな感じですか?と聞かれても私は数十年前のイメージしかなく、上はふんわり目で、横はピッタリ目でと確信の無い返事をするのが精一杯であった。真新しい装束を身にまとい、六文銭の紙シートを入れた肩掛けや三途の川を渡る道中に必要だと思われる木の杖も添えられ、生前おしゃれであった父らしい、「父」の旅支度はひとつの抜かりもなく整った。

移った先のセレモニーホールは「平安会堂」というところであった。私が幼少の時からあったものであるが、当時は「平安閣」という結婚式場であった。兄もここで結婚式を挙げている。係りの人にそんな話をしていると、数年前には改装して葬儀専門の会堂に衣替えをしたということだった。結婚式が減って、葬儀が増えるということなのであろう。ドーナツ化現象を早くから迎えていた私の実家近辺ではまさにそうした社会の変化が起きていた。それを父の死で再確認させられた格好である。この会堂の従業員の方々は訓練が行き届いているのだろう、非常に礼儀正しく丁寧に対応してくれた。宿泊施設も最新の設備が施され、運び込まれた棺が安置されるガラス越しの部屋を除けば、広々としてリゾートホテルと見紛うほどである。後から駆け付けた妹のふたりの娘はその部屋の豪華さに大喜びであった。ひと昔前であれば、一晩中線香や蝋燭の火を絶やさぬよう親族が交代で寝ずに目を配っていたものであるが、今は12時間もつ小振りの蚊取り線香のような線香と、太い蝋燭がその代わりを務めてくれる時代となった。数時間おきに「父」の顔を数十分見ては涙していた7歳下の妹が一番心を込めて父を見送ってくれた。

この会堂の従業員の少なからざる人達は、以前には結婚式を執り行っていたのではないだろうか。だとすればいくら冠婚葬祭と一括りにできるとしても、「喜びのイベント」から「哀しみのイベント」に大きく変わっているのだから、その頭と心の切り替えはとてつもなく大変なことだったに違いない。従業員が総入れ替えになったとは、この地方都市では考えにくい。大手の葬儀社の傘下に入っているのだと思うが、ほとけへの接し方、遺族への配慮、色々な新しい知識を研修において学んでいったのでないか。決まった時間間隔で、礼を逸することなく、ほとけが抱えたドライアイスを交換してくれるその姿に、勝手な想像をした。

人は長い人生の中で転機が必ずやってくるものと思う。変化の流れの速い現代に至っては尚更の事であろう。過去の良き日は良い思い出にするものであって、そこに佇んで、そこに固執して、そこに拘っていては生きていけないと感じる。先輩に教わり、自分流に造り上げ、後輩に教えていく。その中身は変化して当然。変化してこそそこに自分の存在を感じることができるはずである。

行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、 よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、世の中にある人と住家と、またかくの如し(方丈記 鴨長明)。今日という日は、残りの人生の最初の一日と思って2014年を迎える。

 

調達組織の在り方とその活性化

2013年12月6日 at 11:12 AM

10~11月にかけて講演会・企業セミナーなどいくつか続けて行いました。事務局が参加者にアンケートを取ってくれるので、参加者のフィードバックや調達に携わる人たちが今どんな悩みを抱え、どんなアドバイスを求め、どんなことを知りたがっているのかなど多くの参考情報が手元に残ります。そんな内容を咀嚼しながら、来年以降の演題に考えを巡らせています。参加者の質問やアンケートによく記載される項目のひとつに「人材育成」があります。このグローバルな市場で活躍できる人材がいない、どうしたら良いか?というのがその典型例です。

企業によっては「人財」と表記して人材を重要なAssetとして認識しているところも少なからずありますが、人を育成していくということは長期的視野に立って時間を掛けて行うものなので、業績が悪くなったから人材育成に掛ける費用を削りますなんて言っている会社はそもそも人材育成を語る資格はありません。言っていることとやっていることにGapが生じる理由の一つはManagementのKPIに人を育てたら評価される仕組みがないことです。予算は取っても、その結果を追わなければ、予算の無駄遣いか、予算未消化のいずれかで終わってしまいます。どういった人材が必要なのか、長期の事業計画からそのコンピテンスを明確にした上で個々人Custom Madeの育成プランが必要です。レールを敷くこと、経験を積ませること、上司がその背中を見せて範を示すこと、必要な知識はその過程で自分で勉強して得るものです。

そもそも人材育成は上役が部下に対して考えるものですが、実はその上役が範を示すことがなかなか難しく、それゆえ非常に有用なこと、あるいは実は一番重要なことなのかも知れません。世の中反面教師ということもありますが、それは少数であるべきですね、企業としては。大方反面教師では職場のMotivationが上がるはずありません。これがMotivationの重要性に繋がります。馬に無理やり水を飲ませるのではなく、自然と水場に行くように環境づくりをすること、上層部はその環境を自らの実践を以って作る責務があります。

ドラッカー語録に「労働力はコストではなく資源である」というのがあります。企業が従業員の意欲(Motivation)を高めるような関係を築く人事Managementが重要性だと指摘しています。これらは調達部門に限ったことではなく、どの職場にも当てはまりますね。一方、調達部門の特徴のひとつは、その所属の多くがProfit Centerではなく、Cost Centerであるという点です。言うなれば間接部門として扱われているということです。開発購買が叫ばれ、企画設計段階からの原価低減がこれだけ必要とされてきているのに「間接部門」という呼ばれ方はないですね。これが調達部門のMotivationに大きく影響していると私は思っています。

グローバル調達という点では、語学も勿論重要なFactorで、先日日経新聞に掲載された各国英語ランキングで日本は50位。韓国23位、中国34位、タイ43位、ベトナム44位の下位に位置しています。20年前にタイのバイヤーに指導に行った時に皆英語を解するのに非常に苦労していたことを覚えていますが、今は日本がその下なのかと思うとウサギとカメの寓話を想起させます。こういったことも含めてこれから1か月くらいかけて標題の演題の答えを導き出していきます。

Blockbuster全店閉鎖発表

2013年11月13日 at 5:42 PM

米ビデオレンタル大手のブロックバスターは来年1月前半迄に営業中の直営店約300店を全店舗閉鎖すると発表した。ピーク時3000店を誇ったブロックバスターは日本で例えるならTSUTAYA。そこが全店閉鎖してしまうマグニチュードは想像に難くないであろう。インターネットを通じた動画配信が主流となり、DVDレンタルの需要が急激に縮小しているため、全店閉鎖に追い込まれた恰好である。私が駐米中にはアメリカ人の定番として金曜日には好きなDVD(古くはVHSカセット)を何枚も借りてきて、友人と一緒にポテチしながら 「ながら視聴」して深夜まで楽しむのがかなり一般的だった。DISCレンタルからNetworkへの転換を象徴する出来事である。この流れは必ず日本にもやってくる。

ブロックバスターは現在、米衛星放送2位のディッシュ・ネットワークの傘下であるが、遡ること2010年9月に連邦破産法第11章を申請して倒産に追い込まれた。ブロックバスターを倒産に追いやったのが、店舗を持たずに郵送でDVDを貸し出すネットフリックスなどの新業態である。ブロックバスターも遅ればせながら 郵送でのDVDレンタル業務で追随したが時遅し、今回の発表でこの配送センターも閉鎖する。

ディッシュ・ネットワークは2011年4月にブロックバスターを買収して立て直しを図ったが2年半で断念ということか。ディッシュは「ブロックバスター」のブランド名を活用し、既に衛星放送やネットを通じた動画配信を手掛けており、 今後はデジタル配信事業に注力するとのことである。

Music Deviceの歴史をひも解いても1962年にコンパクトカセットテープが、1982年にCDが登場。1992年にMD、2001年にiTuneとTape→Disc→Net配信と変遷が見て取れる。これらの変遷は単に技術変化として捉えるだけでなく、これら技術の変化を通じて消費者の価値観の変化をももたらしている点が注目すべき点だと思う。音楽・映像コンテンツの「所有からの開放」とも言えるだろうか。お気に入りのレコードやCDなどを買い集めて棚に並べて自慢するのは50代以上の世代か、マニアに限られ、一般には聴きたい音楽を聴きたい時にStockではなくFlowで扱うのが特に若者には多いのではないか。

レイチェル・ポッツマンとルー・ロジャースの書いた「SHARE」の所有から共有に変わっていく価値観、エネルギー問題の観点では消費から循環型社会への要請、ネットワークとリスク回避は集中から分散を志向するなど、ビジネスで同世代の男性が集まって議論していたのでは社会変化の対応に追いつかない気がする。企業の重要案件こそ老若男女あらゆる観点から指向性の検証をすべき時代である。

一神教と多神教

2013年10月29日 at 2:43 PM

アメリカに駐在していた時に立食パーティなどの席でタブーとされる話題は政治や宗教の話であると言われました。親しい仲間内ではそうではないでしょうが、激しい論争になる可能性があるので避けた方が宜しいということなのだと思います。しかしそういったことが実は社会では重要で、私のブログでは話題に挙げていきたいと思います。

世界の宗教人口はキリスト教が22.5億人で一番、次にイスラム教15億人。それにユダヤ教1.5億人を加えると世界の55%以上の人達が唯一神教、つまり唯一の神を崇み他の神々を認めない信者です。いずれも聖書の預言者アブラハムに繋がる「アブラハムの宗教」と呼ばれ、兄弟宗教とも言えます。言ってみれば同じ神を信じているわけですが、何千年と争いが絶えませんね。どれほど多くの人が「殉教」していったのでしょうか。

最近、欧州ではキリスト教信者(毎週日曜日に教会へお祈りに行く人)が減っている一方、世界的にはイスラム教が勢力を伸ばしていると聞いています。日本人は無宗教とか言われて「信じる宗教がないなんて何てことなの!?」と非文明人のように思われていた時もありましたが、世界的にもだんだん宗教に頼らなくても生きていける、あるいは信心している時間が無くなるほど忙しくなってくると宗教心は薄れてくるのかもしれません。個人的に自立してくれば必ずしも宗教ではなく自らの信条を支えに生きていく人が増えてくるのかもしれません。

日本では一般的には山や川など自然に恵まれ、自然信仰から所謂八百万の神を信仰する多神教神道が起源とされ、その後の仏教の伝来やキリスト教の布教などにより紆余曲折はありましたが、現代社会では神と仏を合わせた神仏習合が多数を占めています。憲法で保障された宗教の自由により様々な宗教団体が存在し全国に22万(宗教法人18万)あると言われています。日本は文化的にも諸外国から新しい文化や異文化を取り入れるのがうまく、排他的な歴史はそう多くはありません。寛容な民族と言えるかもしれません。多神教はもともと複数の神様が存在するので、一つ二つ増えても大勢に影響ないということなのでしょう。

ゾロアスター教やバラモン教も一神教に括られますが、他の神を排他しません。神道・道教・ヒンドゥー教は多神教で、ギリシャ神話・北欧神話・ケルト神話などキリスト教化以前の神話には沢山の神が出てきて、多神教と言えます。紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いたヒッタイト帝国は高度な製鉄技術によりメソポタミアなど周辺国を次々と征服しましたが、それぞれの神を内に取り入れて弾圧や消し去ることはしなかったそうです。

今は世界の半数以上の人達が唯一神しか認めず、多神教の私から見れば不毛な戦いに終始している姿は痛々しさを感じます。それが人々を救うはずの宗教の姿なのかと。イスラム教の教義には一夫多妻が認められています。アフリカにも宗教とは関係なく一夫多妻制が認められている国がありケニアには特に多いと聞いています。日本でも上流社会における側室制度や富裕商人が妾を持つということも社会的に認められていました。それらの中には戦いに明け暮れるため、男子が少なくなり、それを補う形で制度として定着したという見解もあります。この場合は戦時における戦士を作るための仕組みだったと言えましょう。社会が安定化してくると一夫多妻制の必要性は減少していくのだろうと思います。

戦いは貧しさを生み、貧しさは教育の機会を奪い、成長のチャンスを与えられず延々と社会の底辺で生きていかなければならない人生の何と悲しい事か。憎しみの連鎖から何も得るものはないと歴史が証明していると思います。他人への寛容さを持って、自己の鍛錬を以って平和な社会の実現に向かってほしいと思います。実は私の小学校卒業の寄せ書きには「世界平和」と書きました。今、それが蘇ってきました。

 

日本の財政再建

2013年10月27日 at 4:17 AM

財務省は2013年8月9日国債・借入金・政府短期証券の残高合計が1008兆円6281億円に達したと発表した。これはGDPの2倍以上、国民一人当たりで言うと792万円の借金を背負っている計算である。将来の人口が減っていくことを考えるとその負担は相対的にさらに大きくなっていくことになる。

政府もこの状況にこれまで手をこまねいてきたわけではなく、1997年度予算編成方針で「財政健全化目標について」を閣議決定し、この年を財政構造改革元年と位置づけ改革に乗り出している。また2001年には郵政民営化を争点に小泉内閣が誕生し、プライマリーバランスつまり単年度の黒字化に向けての財政の立て直しに着手している。しかしながら、その改革は挫折と数字合わせの会計操作に終わっており、以降赤字国債発行が急増していったことは記憶に新しい。遅々として進まぬ財政再建に取り組む姿勢を見せ、国民の大きな期待と支持を取り付けて政権交代を成し遂げた民主党政権は、「政治主導」を旗印に掲げ、無駄を省き国民の負託に応えると言ったものの、事業仕分けなどは拘束力がなく表層的に終わり、結果的には子供手当・高速道路無料化・公立高校無償化などのバラマキが残り、外的要因としては2008年のリーマンショックからの景気後退にも悩まされ期待の大きさの反動で求心力を無くし瓦解していった。

政治家は選挙のたびに選挙民に対して耳触りの良い支出増や減税などのリップサービスが求められ、政権交代が頻繁であればあるほど財政再建の道は遠ざかる。これから3年間は選挙がない安倍内閣がアベノミクス3本の矢でデフレ脱却を果たし、経済成長軌道に乗せ、本丸の財政再建を果たすラストチャンスになる歴史的に重要な時期である。

国の財政と民間企業の財務とは性質を異にするものであるが、歳出歳入のバランス・収支のバランスという意味では相通じるものがある。日本の場合は借金の9%程を外国に依存し、9割以上は国内で償還されているため、ギリシャのような問題はすぐには起きないものの、言ってみれば将来世代にツケを回して現在世代がむさぼっている状態である。この状況下で若者層の投票率が低いというのが私は全く理解できないのであるが、かといってもう日本から出ていくといった強者もそう多くはないらしい。年金には期待できないと諦めている若者の声もよく聞く。日本の資産と負債ではまだ若干資産が多いが、ある学者の試算ではこのままいくと2017年にも債務超過になるらしい。まだまだ諦めてしまうような末期的状況ではないが、最終的には社会保障の質低下や課税強化をしなければ破綻の道を歩む。特に若年層にとって自分たちの将来をより明るく迎える為の権利である投票権をなぜ行使しないのか。放っておいたら身勝手な現在世代がこの世からいなくなってしまった後に、財政赤字の拡大→経常収支の悪化→自国通貨の暴落・信用低下→金利上昇→財政破綻というシナリオが現実味を帯びてくる。これまで10数年低金利が続いてきたので、国債の金利負担は少なかったが、アベノミクスが奏功すれば金利は上がり、財政再建の道はまた険しくなってくるのである。

そもそも財政再建とは景気動向に左右されない、つまり景気回復による収入増を期待しない前提で考えなければならない。これまで楽観的な指標を基に改革を先送りしてきた前政権・官僚ひいては国民の無責任を反省すべき時である。アベノミクスを期待する半面、期待しすぎる楽観論を前提にした財政再建は如何なものかと思う。民間企業で言えば売り上げ増に頼らない構造改革みたいなもので、原価低減すなわち歳出削減をしなければならない。10%の消費税だけで財政再建できないのは多くの学者が指摘しているところである。今の国のかたちを続けていたら、世代間格差が広がるのみならず活力のある国づくりはできない。折角テイクオフ仕掛っている成長戦略も画餅になりかねないのである。

マクロの財政再建議論は多くの方々がこれまでも行っており、その中では社会保障の見直し、経済成長戦略、直接税から間接税へのシフト、公務員制度改革、一般会計と特別会計合わせての透明性、財政規律の法制化などある。並行してミクロの実践論ともいうべき、ある限られた予算の中でどのように効率的に予算を使い最大限の効果を出すかといったValue Engineering的視点がもっと脚光を浴びてくるに違いないと思い、己の剣にも磨きをかけなければいけないと思っているところである。

 

 

 

イプシロン3度目の正直とMRJ3回目の開発遅れ

2013年9月18日 at 5:28 PM

宇宙航空研究開発機構(JAXA)とIHIエアロスペースが開発したイプシロンロケット試験機が2013年9月14日14時、2度の延期を経て無事に空へと飛び立った。当初は8月22日の打ち上げ予定であったが、信号中継装置の誤配線により延期され、同月27日の打ち上げ予定も自律点検装置がロケットの姿勢異常を誤検知したため、打ち上げ19秒前にカウントダウンが中止され、再延期されていた。私は27日のTV中継を見ていたので、管制塔のカウントダウンがZeroになっても噴射も水蒸気も轟音も出ない画面にあっけにとられていた。現場で発射を疑わずに長時間待っていた子供たちの不安な顔がとても印象的だった。

イプシロンロケットは、2006年度に廃止されたM-Vロケットの後継機として2010年から本格的に開発が始まり、全体設計に新しい技術と革新的な打ち上げシステムを採用することで、簡素で安価で即応性が高くコストパフォーマンスに優れたロケットを実現することを目的に開発され、最終的にはM-Vロケットの約3分の2の打ち上げ能力と約3分の1の打ち上げ費用(30億円以下)を実現することが具体的な開発目標だそうである。新たに開発した搭載点検系の機器と簡素な地上設備をネットワークで結んで自律点検機能を持たせることにより、数人とパソコン数台でロケットの打ち上げ前点検や管制を行うことが可能となり、原理的にはインターネットを通じて世界中のどこからでもパソコン1台(もう1台はBack Up)で全ての管制が可能とのことである(セキュリティ上から現実的ではないが)。

正直2回目の失敗をTV画面で見たときはガックリし、日本の技術はどうした?とその瞬間思ったが、新しい挑戦には失敗はつきもので、これから新興国がこぞって通信衛星を上げることになれば日本の技術力がコスト競争力をもって新しい市場を切り開くことになることを大いに期待している。逆にこれまでこういった今後成長が期待される新しい市場に日本の技術力のベクトルが向いてなかったのではないかという印象を持った。今後の商用化の中で今は日本が弱いとされるハッカー対策やセキュリティ対策を施して国際競争力のある、万全なシステムを構築して欲しい。リーダーの森田氏は打ち上げ成功後に「打ち上げるまでに異常対応の手順を100以上考えてきたが、それらがみな無駄になった」と笑顔で語った。

もうひとつの期待のビジネスであるMRJ(Mitsubishi Regional Jet)であるが、そもそもは2002年経済産業省が推進する事業の一つであった新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が提案した計画をベースとして、三菱航空機が独自に進める日本初の小型のジェット旅客機である。日本が独自の旅客機を開発するのはYS-11以来40年ぶりなので、航空機ファンならずとも期待は相当大きいものがあろう。

2008年に三菱航空機は事業化を発表し、9月の時点では2011年に初飛行、2013年に納入を開始する予定だった。1年後の2009年には胴体と主翼の設計変更に伴い初飛行を2012年第2四半期に、初号機納入を2014年第1四半期に見直した(実はJAXAも機体開発に協力している)。そして更に3年半後の2012年4月には、開発並びに製造作業の進捗の遅れから、試験機初飛行を2013年度第3四半期に、量産初号機納入を2015年度半ば~後半に延期になった。そして今年2013年8月22日には装備品について、パートナー各社と協力し、安全性を担保するプロセスを構築することに想定していたよりも時間が必要だとして3回目の開発スケジュール(試験機初飛行予定を2015年第2四半期に、初号機納入予定を2017年第2四半期に)の遅延を発表した。

実に事業化発表後5年間に初号機納入が4年も遅れたということである。素人目には飛行機を飛ばすのとロケットを飛ばすのは技術面から言えば、後者の方が難易度が高いと思うのだがどうだろう?しかし、事業化には多くのパートナーの存在があり、その関係者の一体感の強弱がプロジェクトの成否の大きなファクターになっているのではないかと推測する。企業で言えば共通の志・社内の風通し、社外との関係で言えば信頼関係・責任感。新たな挑戦に対して賛辞は惜しまないが、グローバルな連携が不可欠なプロジェクトが増える中、他山の石となる事例である。