旧ソ連バルト三国を訪れて

ポーランドを経由してバルト三国(北からエストニア、ラトビア、リトアニア)を訪問してきた。日本から見れば、バルト三国と称されるように旧ソ連邦の国々と十把一絡げに捉えられがちであるが、小国ながらそれぞれ特徴を持った国々である。
たとえば、エストニアは首都タリンからフェリーで2時間半でフィンランドのヘルシンキに着き、スカンジナビア色の強い国家であり、今や世界有数のデジタル化された電子国家である。5万人の電子居住権を持つ非居住者が登録されており、投資の促進やロシアに対する抑止力を高める(エストニアに好意的な人を世界中に増やす目的)努力をしている。
ラトビアは国民の27%がロシア系住民で、一般にはロシア語が利用されている。ロシア化を防ぐために、10%18万人の非国籍者(ソ連時代から帰化せずに永住してきた移民)はAlian Passportであり、選挙権はない。
リトアニアは15世紀末からのモスクワ大公国の脅威により戦禍にまみれ、ポーランドと共和国を形成することによって自国を守る手段とした歴史を持つ。
ポーランド含めいずれの国でも印象的だったのはウクライナの国旗がそこかしこに掲げられ、国を挙げて反ロシア・反プーチンを明確にしていることである。タリンのロシア大使館前はおびただしい程の抗議や批判のポスターで埋め尽くされている。蛇の頭がプーチンで獄中で亡くなった反体制家ナワリヌイ氏の首を絞めつけるおどろおどろしいポスターはおぞましい限りであった。リトアニアの首都ヴィリニュスのビルの最上階には「Putin, The Hague is waiting for you」という横断幕が掲げられ、国際司法裁判所の裁きを期待する政治的メッセージが堂々となされていることが見て取れた。

日本は来年戦後80年を迎え、毎年のように戦没者慰霊祭や広島・長崎で原爆被爆者への鎮魂と平和への祈りが営まれるであろう。唯一の被爆国として世界中に平和の祈りを訴え続けることは十分に意味のあることである。それに全くの異論はない。しかし、一方で欧州諸国には今や「戦前」であるという認識が急速に広がっている。
デンマークの女性首相、メッテ・フレデリクセンは今年3月、徴兵対象に女性を加える方針を発表した。実現すれば欧州ではノルウェー、スウェーデンに続き3カ国目となる。フィンランドで3人目の女性首相を務めたサンナ・マリンは「異なるジェンダーに公平な参画機会を与えることを検討すべきだ」として、安全保障分野で女性の潜在力を活用できていないという課題意識に立って、昨年にこの問題提起をしている。明らかに欧州においては「福祉」より「国防」という意識の転換が進んでいる。
アジアに目を向ければ、ドゥテルテ大統領時代には中国に融和的であったフィリピンはマルコス大統領の就任によって方針を転換している。マルコス大統領は中国による軍事拠点化が進む南シナ海の情勢などをテーマに先日講演を行い、中国による妨害行為でフィリピン側に死者が出るような事態になれば、同盟国アメリカと共に、軍事的な対応をとる可能性を示唆し、中国側に警告を与えている。

日本においては呉江浩駐日中国大使は問題発言を既に2回行っている(昨年4月就任時と先月)が、意訳すれば「日本が台湾問題に首を突っ込むようなことがあれば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」という恫喝発言を行っている(招待された鳩山由紀夫はそれに同意、福島みずほは招待に感謝の意を表す)。常識的には駐在外交官たるものは両国の関係維持・発展に取り組む役割を担っているものだが、中国のそれは違うらしい。自国の方針を押し付ける輩が出世する専制全体主義国家の役人である。
ウィーン条約に規定されているペルソナ・ノン・グラータ(受け入れ難い人物)として国外追放すべき外交官である。これに対して政府は例によって「厳重な抗議を行った」としているが、実態は外務省の担当課長が在日中国大使館の公使参事官に電話で伝えただけであったことが判明している。少なくとも外務省に呼びつけて外務大臣が叱責する程の問題発言であるが、及び腰の外務省はそれが出来ない。残念なことに、多くの政治家にも本当に心から日本の国土と国民の生命・財産を守ろうという気概が感じられない。
ことさら外交問題を有事到来とばかりに誇張しようという意図は全くない。しかし、憲法改正論議が牛歩のごとく進展しないのは、ひとえに政治家を筆頭に日本人の危機感の欠如ゆえである。ゆでガエルは熱湯になるまで気づかずに死んでしまうのか。自衛隊は防衛省の下部組織に位置付けられており、一般行政組織の一部である。つまり自衛隊・自衛官は防衛法制上は軍人ではなく職員であり、警察官職務執行法の準用を受けている。また、自衛隊法第95条では、自衛官は武器などの警護を命じられた場合に限り、武器使用が認められる。結局、自衛隊は国内法においては軍隊でないとされている一方で、国際法においては軍隊としてみなされているという中途半端な存在なのである。1978年に当時の栗栖統幕議長が投げかけた問題「敵の奇襲攻撃を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで手をこまねいている訳にはいかず、第一線の部隊指揮官が超法規行動に出ることはあり得る」とした発言は今もって解決していないのである。軍隊における「文民統制」は日本陸軍の過去からすれば当然の理念であるが、手足を縛られた軍隊でどのように国土・国民を守れるのか、現場判断ができない軍隊で命を賭した自衛官は犬死せよという意味なのか、現下に即した憲法体系が必要なのは言を待たない。平時において三権分立を語るのは良しとしても、目の前に「戦前」が迫りくる現況では三権分立と同等の位置づけで軍隊を憲法に明記し、政軍関係を明示する法律体系が必須なのである。今のまま放置していたのでは、次々と変わる内閣総理大臣のその場の判断に国民の命を預けざるを得ない状況を国民が認めていることになるのである。

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