下請法改め取適法、その真意は

2026年1月1日に「中小受託取引適正化法」(通称)が施行された。正式名称は「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」で、略称は取適法とされた。正式名称はあまりに長すぎて、覚えるのは大変であるが、真顔でこのように長い法律名を国会で通すあたりが、庶民感覚(民間)との大きな乖離を感じる。多分、公正取引委員会と中小企業庁の偉い人たちが最終決定して国会に提出したのであろうが、思わず「まじかっ」と思ってしまった。ちなみに生成AIで日本で最も文字数が多い法律名を訊いてみると、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定及び日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定の実施に伴う道路運送法等の特例に関する法律」だそうで、なんと110文字。こんな法律名があると、多少長くても、関係者は異常に長いとは思わなかったのでしょうね。

閑話休題。公正取引委員会と中小企業庁の連名で発行されている「下請法・下請振興法改正法の概要」によると、下請法改正の背景・趣旨等として:
●「近年の急激な労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇を受け、『物価上昇を上回る賃上げ』を実現するためには、事業者において賃上げの原資の確保が必要
●中小企業をはじめとする事業者が各々賃上げの原資を確保するためには、サプライチェーン全体で適切な価格転嫁を定着させる「構造的な価格転嫁」の実現を図っていくことが重要
●例えば、協議に応じない一方的な価格決定行為など、価格転嫁を阻害し、受注者に負担を押しつける商慣習を一掃していくことで、取引を適正化し、価格転嫁をさらに進めていくため、下請法の改正を検討してきた
とある。つまり、改正の目的は中小受託事業者において「物価上昇を上回る賃上げ」を実現することであることが明記されている。

今まさに「春闘」の季節である。1945年に労働組合法が制定され、労働組合組織率が55.8%と1949年にはピークを迎え、1970年代までは労働運動は活性化して「春闘」が確立したという歴史がある。今や若者の組合離れにより組織率は16%程度と低下しているが、現時点では非正規社員や個人事業主において待遇や労働環境等の課題が多く指摘されている。
まず、国際的視点で指摘しなければならないことは、日本が安い国になっているということである。物価にしても収入にしてもG7はおろか、OECD各国と比較しても下位に沈んでいる。国内的には大企業と中小企業とで所得格差が開いている。これは世界的にみても、「富める者は益々富み、貧しき者は益々貧しくなる」という共通の状況を招いている。資本主義社会においてそれは許容されているというよりは、推奨されているといっていいだろう。しかし、それでは社会は不安定になってしまうし、民主主義国家において、多数が不幸であっては政権は維持できない。何らかの形で富の再分配や社会主義的施策、あるいはセイフティネットを講じる必要がある。それに失敗すれば、政権交代が起こり、最悪はクーデターによって無政府状態になり、さらに民衆はカオスの中で必死に生き延びる道を探さなくてはならない。

「賃金」は誰が決めるのか? それは経営者である。厚生労働省の資料によれば、労働分配率「人件費÷(営業利益+人件費+減価償却費)」は日米欧ほぼ変わらず58%前後である。日米は2000年以降低下傾向、英仏は上昇傾向、独はほぼ変わらず一定率を保っている。日本の労働分配率はここ四半世紀で平均10ポイントも下がっている。ここでも大企業と中小企業では大きな差が見られる。大企業の労働分配率は30~40%台である一方、中小企業のそれは70%台である。大企業はIT投資による効率化や設備投資による成長志向、そしてこれが最大だが、株主還元(配当金+自社株買い)に利益の多くを割いている(内部留保も大きい)。中小企業は結果的に人件費負担が重い状況で、低い賃金で雇用できる非正規労働者の増加も手伝い、労働分配率の低下に寄与している。
そこで、政府は経済の好循環の観点から、中小企業の賃金を上げるために躍起になっていることの施策のひとつが下請法の改正、つまり取適法の施行である。しかし、ここに大きな盲点がある。取適法は日本の法律であり、国内における取引には規制を掛けられるが、国外の取引には規制はかけられない。ブロック経済再燃の恐れがある現代においても世界GDPの3割は海外取引であり、大企業ほどその比率は高い。企業は経済効率性に加え、安定調達の観点から取引先を選別する。取適法の運用が厳格化されればされるほど、国内取引を敬遠し、海外取引に向かう可能性もある。サプライチェーン上のリスクの高い海外取引先を敬遠して国内取引先を選ぶ場合もあるだろうが、倒産リスクとの兼ね合いになる。
中小企業が賃金を上げられるかどうかは、厳しいことを言えば、他社には真似できない差異化技術や製品・サービスを提供し、選ばれる企業でなければ、早晩事業継続はできなくなる。政府も様々な助成金やスタートアップ企業の後押しをしているが、出す方も受ける方も生活保護的な意識では問題の先送りでしかない。

取適法の一番の問題点は、目的が「物価上昇を超える賃上げ実現」であって、その手段として取引の適正化と運用の厳格化が図られている点である。法律は公平公正でなければならない。取引の適正化そのものがその趣旨であるべきで、政治的目標が目的になってしまっては本末転倒であるし、そもそも間違っている。企業の自由裁量を奪って、規制強化に走れば、却って競争激化(つまり底辺には横並び意識、差異化できない企業、同調圧力の強い日本人のメンタリティ、政府に頼りすぎるお上意識)を生むことになり、企業の競争力は低下し、収益性をさらに悪化させる。つまり賃金は上げられない。企業のオンリーワンを目指す姿勢がなくなれば、経済成長は停滞する。付加価値を生まず、価格競争だけが残ってしまう。日本は量で戦う国ではなくなっていて、質で戦うべき国なのである。日本の失われた30年とはその勘違いの結果なのではないだろうか。
私が取適法に否定的な感覚を抱くのは、遡ること令和5年11月29日に内閣官房公正取引委員会が提示した「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」の中に、受注者としての行動➂として、「労務費上昇分の価格転嫁の交渉は、業界の慣行に応じて1年に1回や半年に1回などの定期的に行われる発注者との価格交渉のタイミング、業界の定期的な価格交渉の時期など受注者が価格交渉を申し出やすいタイミング、発注者の業務の繁忙期など受注者の交渉力が比較的優位なタイミングなどの機会を活用して行うこと」と記述されていたことである。発注者の繁忙期を狙ってどさくさにでも値上げを認めてもらいましょうといった姑息な魂胆が見え隠れする。堂々と業務の閑散期に時間を掛けて双方納得して進めるべきと書くべきではないか!?

帝国データバンクの調査によると、2024年度のゾンビ企業率は14.3%(TDBのデータ147万社のうちの21万社)とレポートしている。コロナ禍明け以降、減少傾向だが、金利上昇の本格化により再び増加に転じる可能性があると指摘している。ゾンビ企業とは、3年連続でインタレスト・カバレッジ・レシオ(ICR)が1未満、かつ設立10年以上と定義されている。
インタレスト・カバレッジ・レシオ(ICR)=(営業利益+受取利息+受取配当金)/(支払利息・割引料)なので、つまり1未満とは、企業収益で借入金の利息すら払えない状態で、バイヤー目線で診れば倒産必至企業と言わざるを得ない。
「世界秩序が変わるとき」で一躍有名になった齋藤ジン氏は、その著書で、「バブル崩壊後の日本の失われた数十年に、既存雇用を守り、ゾンビ社員を切り捨てられなかったため、みんなでやせ細っていった」と述べている。つまり失業率を抑え、皆低賃金で耐え忍ぼうというやり方である。これは極めて社会主義的思考だが、失業率の悪化は政権に大きな打撃になるので、民主主義国家のひとつの知恵とも言える(「Misery Index:悲惨指数」失業率+インフレ率=10%は危険)。日米の企業倒産数は年間1万件とほぼ同水準であるが、アメリカは事業の再編(チャプター11)を通じて、生産性の低い企業から高い企業へ資本が移転する「自然淘汰」を基本としている。アメリカ経済全体が底堅さを維持しているのは、倒産は経済システム全体が健全化する過程の痛みであるという認識が共有化されているからではないだろうか。

世界は新たな秩序に向かって走り出している。果たしてその方向を見定められている人はどれほどいるのだろうか?
日本では真冬の選挙日がまもなくやってくる。「中道改革連合」なる、どう考えても野合としか思えない新党も現れた。「中道」とは何か? 国家を最重要に位置付ける体制が「全体主義」である。共産主義(極左)もファシズム(極右)も全体主義である。その真反対が個人を最重要に位置付ける体制で、究極「無政府主義」であり、個人は何者からも拘束されない。これはアナーキーでカオスでもある状態。中道とはその間に位置し、国家のみでもない、個人だけでもない志向である。これには中道左派と中道右派があり、「中道改革連合」は政策からいって前者であろう。儒教に「中庸」という概念がある。極端に走らず、その時々の状況に応じて常に最適なバランスを目指す高度な生き方・思考法のことである。巷では「保守」「革新」「社会主義」「リベラル」と色々な言葉が飛び交うが、全て政治的着色がなされているので、意味不明なことが多く理解困難である。
取適法施行に際して、どの程度自己責任を負うべきか、どの程度社会でセイフティネットを講じるべきか、の問いに改めて直面したように思う。世界中が政経不可分というか、政経密着という時代にも違和感を覚えつつ今回は筆を置きたい。

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