パナマの憂鬱

パナマといえば、パナマ運河を真っ先に思い浮かべるであろう。太平洋と大西洋を結ぶ海の要衝で1日36隻150万トンもの物資が通過する。スエズ運河やキール運河と並んで、世界三大運河である。スエズ運河は地中海と紅海を結ぶエジプトにある運河だが、イエメンの親イラン武装組織フーシ派による紅海の船舶攻撃で航行の自由が脅かされている。キール運河は日本にはなじみが薄いが、北海とバルト海を結ぶドイツにある運河である。パナマ運河は米中対立の矢面に立たされ、CKハチソン(香港系)所有の港湾事業を米系企業連合に売却を計画したものの、中国当局が審査を強化したため、実現に不透明感が出ている。世界物流のリスクは地政学リスクを伴って高まる一方である。

パナマの憂鬱の一つ目は、運河の水不足である。2023年には過去100年で最大の干ばつと言われるほど降雨量が減少しており、運河の通航に多大な影響を与えている。というのも、パナマ運河の通過点にはガトゥン湖という標高26メートルの湖があり、これを超えなくては通航できない。この湖の水を使用しながら、一つの閘門(こうもん)ごとに8~9メートル程度の水位調整を行いながら、3つの閘門を経て最高点にまで上げて、その後反対側まで下げていくという8時間の工程が必要になる。1隻が運河を通航するたびに約2億リットルの水が必要とされる。1日に通航できる船舶は通常36隻であるが、雨不足による水位の低下で現状では24隻程度に減らしているため、収入面で大きな打撃となっている。一時は160隻もの海上停滞が起こったと報道された。パナマ運河の通航料は船のサイズによって大きく違うが、数十万ドルから数百万ドル($1.39/トン)とそもそも高い。それでも急ぐ顧客はオークションでさらに高い通航料を払うまでに悪化している。
閘門の幅は33mで、船の幅は32mといった場合は両幅50㎝しか余裕がない。引火性のある貨物は擦れることで火災の発生に繋がることもあり、高度な操縦技術とナビゲーションが求められる。座礁を回避するために、5000個のコンテナのうち、1000個を鉄道輸送に乗り換えるような工夫も行っている。
パナマ運河の通航料収入はパナマ政府の歳入の7~8%を占めているとされ、貯水湖の水は極力、船の通航に使われる。そのため、近隣住民の生活用水に回らないといった事態が発生している。標高の高いところに住む住民はたまにちょろちょろ出る程度の水をドラム缶に貯めて、塩素を入れて節水に努めている。平地からタンクローリーが来て貯水タンクに注入してくれる時にはまさに天の恵みと言えよう。
パナマの人口は200万人(1981)から400万人(2016)で倍増しており、ここ数年も増加の一途を辿っている。ガトゥン湖周辺の貧しい村には10日間も水が出ない状態が2~3年も続いているという。都市優遇を不満に思う村民は道路を封鎖してバリケードを築き訴えるが、それが元で観光客への悪影響や住民間のトラブルも発生し発砲死傷事件も起きるほどである。

二つ目のパナマの憂鬱はコロンビアを経由して大量に流入する違法移民である。特に政情不安と経済的混乱で犯罪が多発しているベネズエラからが多い(8年前のベネズエラに関するブログ参照 https://www.ps-lab.com/blog/?p=643)。混乱の中にある祖国よりも、危険を冒してでもジャングルに立ち向かう方がマシだと考えている国民が少なからずいる。最終目的地はアメリカで、そこで働いて親族に仕送りをするというのが希望であるが、昨今のトランプ政権の不法移民対策でその夢は断たれようとしている。アメリカに渡るにはベネズエラからコロンビア、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、メキシコなどを経由して北上する。徒歩で1000mもあるぬかるんだ坂道を含む62㎞ものダリエン地峡を、僅かな水と食料で30℃を超える高温多湿な熱帯ジャングルを老人や乳飲み子、何も知らない子供たちを連れて進まなければならない。2~3日で抜けられれば幸運だが、大雨による増水や不慮の事故により8日間も歩く羽目になることもある。感染症や野生動物に襲われ命を失うことも多いと聞く。飲み水がなくなれば、売り子が5ドルでボトル2本を手渡してくれるが、お金を使い果たしてしまえば、死ぬよりもマシとゴミや生き物の死骸で汚染された川の水を飲まざる得ないことになる。
荷物を持てなくなったらポーターが20~25ドルで荷物を持ってくれる。地獄の沙汰も金次第。麻薬密売組織の青年は1日50~80ドル稼げる日もあるそうだが、すべて組織に収める決まりだ。
コロンビアの政情も不安定で、政府が十分機能していないため、麻薬密売組織が公共サービスのように堂々と違法移民支援ビジネスを行っている。シェルター提供や物資販売、パナマ国境までの護衛ガイド、金融、送金、難民キャンプの治安維持などにより年間1億5000万ドル程の収入があるそうだ。その収益でコロンビアの貧しい住民のために家を建てて提供している。一概に麻薬密売組織を悪と決めつけられない現実がそこにはある。
2023年には50万人がこの徒歩ルートで北米を目指したとされる。1日2000人ほどがパナマ国境にたどり着く。そこからは護衛ガイド無しで、自力でアメリカを目指さなければならない。お金が尽きて船の乗車賃が払えなければ、対岸の難民キャンプには入れない。
パナマ政府は移民を歓迎していないので、バスを用意してコスタリカに送り届けている。それ以降も無法地帯は続き、武装集団に襲われ略奪されたり、性的暴行を受ける恐れが高まり、試練は続く。

三つ目のパナマの憂鬱は地球温暖化による海面上昇だ。カリブ海沿岸から数キロのところに浮かぶ350以上の島々から成るサンブラス諸島は手付かずの自然が残っている。日本からもエコツーリズムやマリンスポーツ好きの観光客にとっては楽園と言える島々だ。しかし、サンブラス諸島は海面上昇で島が沈みかけている。20年後には完全に沈むと言われているが、古くからの住民たちはそれに抗い、鉄の棒で周囲のサンゴ礁を砕き、1日3度も繰り返して島に防波堤を築いている。高波が来ると防波堤は崩れてしまい、また最初からやり直す羽目になる。賽の河原を彷彿とさせる。
ここの住民はもともとはパナマ本土に住んでいたが、スペイン人の侵略により島に逃げて定住した人たちだ。現在は漁業で生計を立て、水道も電気も通っていない。電気は太陽光で、水は雨水だ。45平方メートルほどの狭い住居に14人が住んでいる映像を見た。
政府は本土に移住先を設けて100戸の住宅を用意しているが、前述の水不足から水道が通るかどうか懸念されている。水道が通らなければ、貯水タンクを設置して、川の水を汲んで貯めておくといった原始的生活を余儀なくされる。

世界には様々な人がいて、様々な境遇の人たちが日々懸命に生きている。こうして地球の裏側の実情を知るにつれ、幸せとは?平和とは?生きるとは? といった根源的問いが頭をもたげてくる。言葉にはそれぞれ定義があるものの、その定義を超える過酷な現実が世界には無数に存在している。

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