イタリアはご存じのように長靴の形をした共和制国家で、20の州により地方行政が営まれています。それぞれ独自の文化と歴史的背景を持っていることを少し学ぶことができました。今回の旅はローマに次ぐ第二の都市ミラノを中心とするロンバルディア州を起点に世界遺産ドロミテ街道を辿ってみました。
イタリアはその文化や歴史的背景から北、中央、南に三分されます。ファッションの都として有名なミラノや、水の都ヴェネチアを含む北イタリア。首都ローマや、ルネッサンスの中心地で芸術の都フェレンツェを含む中央イタリア。そしてピザ誕生の街ナポリやシチリア島を含む南イタリアとなります。
これまで主に南イタリアの豊富な魚介類料理を楽しんできた私にとって、今回提供された北イタリアの料理の数々は、北と南でこんなに違うのは何故だろうという好奇心を沸き立たせるものでした。南イタリアは地中海に囲まれていて温暖な乾燥地帯、魚介の持ち味や野菜の風味を生かし、オリーブオイル・レモン・ハーブによって軽やかで香り高い味付けに特徴があります。もちろんパスタやピザは代表的な料理ですが、トマトやニンニク、香草、酸味を効かせるなど、地域の伝統を大切にしてきているように感じていました。
一方、北イタリアでの料理の味付けはやけに塩気が強いなということでした。北国境はアルプス山脈に近くスイスとオーストリアに接しており、標識はドイツ語とイタリア語の併記が基本になっています。寒冷地で湿潤気候に見合った脂肪分の多い食事が好まれてきたようです。リゾットやポレンタ(トウモロコシの粉を水や出汁で煮たもの)はバター・チーズ・ラードなどで濃厚に仕上げ、随分コクを重視しているように感じられました。牛肉や豚肉も濃い目の味付けで提供され、パンと中和して飲み込むような感じでした。ニョッキも頻繁に出されましたが、これもしょっぱくてビールと流し込むような感じです。素材を生かした料理に慣れている身としてはそれほど食欲を喚起されることがなかったのは残念でした。一番おいしかったのはポルチーニ茸のクリームパスタと毎朝出されるハム類でした。
歴史と外来文化の面から考えてみると、北イタリアは長くオーストリアやフランスなど中欧・西欧文化の影響を受けてきたので、料理が濃厚になったり、クリーミーになったりするのは頷けます。一方、南イタリアは古代ギリシャ・アラブ・スペインの影響を受けて地中海・中東的要素が色濃く、シチリア島発祥のカポナータなどはナス・ズッキーニ・パプリカなどの夏野菜をふんだんに使った煮込み料理で、白ワインビネガーと砂糖による甘酸っぱさが持ち味となっています。
社会経済構造で見てみると、北イタリアは歴史的に工業や商業が発達した豊かな地域であり、高価なバター・肉類・チーズを使う豊かな食文化が形成されたと解釈できます。南イタリアは農業中心の比較的庶民的な地域であったため、パスタ・豆類・野菜・魚介などをうまく組み合わせた、素材重視のある意味質素な料理として今に至っていると思います。ワインにしても北は赤(ピエモンテ州バローロなど)、南は白(シャルドネ)がマッチしますね。経済格差はアメリカの南北問題と類似しているように感じられました。
北イタリアと南イタリアはどのような経緯で国家統合を果たしたのでしょうか。
19世紀初頭のイタリア半島は一つの国家ではなく、地域ごとに別々の国や領土に分かれていました。当時、北イタリアのロンバルディア王国やサルデーニャ王国はオーストリア帝国の影響下にありました。トスカーナやローマ周辺の中部イタリアは小王国のよる支配と教皇領の存在がありました。ナポリ王国=両シチリア王国の南イタリアはボルボーネ(仏ブルボン)家の支配によって独自の文化・経済圏が形成されていました。10年弱ですが、ナポレオンがイタリア国王を兼務していた時期もあります(欧州国家は遡ると皆親戚同士)。
19世紀半ばにリソルジメント(Risorgimento)というイタリア統一運動が活発になります。サルデーニャ王国の首相カヴールは、北イタリアの統一を政治・外交で進めた中心人物で、フランスと同盟を結んでオーストリアに戦争を仕掛けました。
軍人・革命家ガリバルディは、「赤シャツ隊」を率いて両シチリア王国を征服するなど、南イタリアで活躍しました。
その後は、1861年にサルデーニャ王国中心に「イタリア王国」が成立し、1866年のプロイセン・オーストリア戦争後、ヴェネト(北東部)を獲得。1870年にはローマ教皇領を併合して、首都をローマに移すことによりイタリア半島の一応の統一を果たすことになります。ご承知のようにイタリアの国土には、世界一小さい独立国家バチカン市国(カトリック教会の主導者である教皇とローマ教皇庁をあわせた概念)と、現存する世界最古の共和国で1700年間一度も戦争をしたことがないサンマリノ共和国が存在しています。
地続きの国境を有していない日本には、欧州の様々な文化の衝突や融合の歴史はなかなか理解しきれません。生きる知恵としての妥協や協調、そして国境(くにざかい)の脆さを改めて痛感させられる旅でした。


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