日本の立ち位置

2019年8月7日 at 11:43 AM

前講は主に大航海時代から植民地時代を経て、日本がどのような歩みをしてきたかを論じました。今回は今現在を視点に置いて日本を取り巻く環境と日本自身について論じてみたいと思います。

株価が連日大幅安となっていますが、これはご案内の通り米中貿易摩擦に端を発する米中経済戦争が世界経済の大きな不安要素となって市場を揺るがしている結果です。賢明な皆さんは、この状況が決して経済のみに限定した争いでないことはご存知のことでしょう。将来に向けての覇権争いであり、現状況は米中冷戦の始まりに過ぎないと言って差し支えないでしょう。この収まりには数十年単位のスパンで見ていく必要があります(米ソ冷戦は44年間続きました)。5G、サイバー空間、宇宙空間、AI、デジタル情報など新しい分野での覇権争いが次々とその戦場になっていきます。

さて、日本周辺はどうでしょうか。日韓の関係悪化が連日取り沙汰されています。文在寅政権が変わるまでは日韓関係が好転していくことはないでしょう。文政権の最重要課題は何よりも南北朝鮮統一ですから、理屈が通らないことでも国民感情に訴え、煽るやり方で押し切るつもりなのでしょうが、民衆がそれに最後まで付いて行くでしょうか? 韓国は現状、民主主義国家ですから民意が離れてしまえば政権は維持できません。今日の報道ではソウル市内で日本製品の不買運動を呼び掛ける旗に対して、「韓国が好きで来ている日本人に不快感を与える」と批判が殺到し撤去に追い込まれたと書いてありましたので、こういった良識のある人々の声が上がり、事態が鎮静化に向かうことを切に願っています。

韓国が実効支配している竹島に先月、中露合同軍事訓練に参加していたロシア機が領空侵犯をし、韓国・日本がそれぞれロシアに非難、激しく抗議しました。日本は韓国に対しても外交ルートを通じて抗議しました(竹島は韓国の領土ではないからロシアに抗議する立場にないというのが日本の主張です)。実は、この事件の前に中国機が対馬上空の日本の防空識別圏に侵入し、航空自衛隊はクランブル発進しているのですが、ほとんど報道されていません。

中露が日韓関係の悪化の隙間を突いて揺さぶりをかけてきているわけです。北朝鮮は米朝会談が進展しないことにいら立ち、この2週間で4回のミサイル発射を繰り返しています。トランプ大統領は短距離ミサイルは気にしないとばかり金正恩委員長に対して無視を決め込んでいますが、日本にとっては気が気な事ではありません。韓国も同様だと思うのですが、北朝鮮に対する非難の声は韓国国内からは聞こえてきません。

北方領土交渉については完全に膠着状態に陥っていますね。経済不調なプーチン政権は何とか日本から経済協力を得たいと思っていて、米軍基地を北方領土に置かない言質がなければ、領土問題は解決しないという姿勢で交渉しているようです。余り知られていないことですが、北海道に米軍専用基地はありません(最後まで残っていたキャンプ千歳は1975年に在日米軍撤退)。今は米軍基地の北限は青森三沢基地です。60年安保の時代にアメリカの仮想敵国はソ連でしたが、にもかかわらず、北海道が手薄だったのには様々な理由があったようですが、米国にしてみれば、対ソにはヨーロッパにおける駐留部隊がいるので、極東側は基本的には日本主導で任せているという背景があるようです。ですから、プーチン大統領は米軍駐留を本当に恐れているわけではなく、日本との交渉カードに使っているウェイトが大きいのではないかと私には感じられます。

次に日本以外の視点から日本を見てみましょう。まず経済力ですが、世界GDPに占める日本の割合は高度成長期を迎えるまではずっと3%程度でした。そして脅威の高度成長を果たし、1995年には17.6%、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国の立場を揺るぎないものとしました。しかし、バブル崩壊以降その地位は年々低下し、2018年には6%(中国は16%)に後退しています。2030年にはインドに抜かれ、いずれ江戸後期の3%程度に戻るのではないかといくつかの経済研究所が予想しています。かつて一人当たりの名目GDP2位だった日本は昨年2018年には26位。独仏英など欧州主要国の後塵を拝しています。

世界における存在感という視点で日本を見てみましょう。日本から見れば、自由民主主義の旗手アメリカは自国のことばかり考えないで、世界全体のことを考えて欲しい、もっとしっかりしてくれよと思っている人が多いかもしれません。しかし、アメリカにおいては「没落する同盟国」という論文が雑誌Foreign Affairsに掲載され、中国と対峙する上で、これまでの2大同盟国である日本(経済低迷:平成30年間にはほとんど経済成長はありませんでした)と英国(EU離脱)は大丈夫かと心配されています。アメリカは将来に向けてのパートナーを模索し始めており、その候補としてインド、インドネシア、フィリピンなどが挙がっています。

GDPは生産額に注目しているため、本来の経済力を反映できていないという反論も昨今出てきました。確かに無料で享受できるデジタルサービスの経済効果はGDPに十分反映されてはいません。例えば、これまで3000円で買っていたCDがダウンロードにより2000円で楽しめるようになれば、1000円の消費者余剰なるものが発生します。こういったネット上のサービスによって生じる消費者余剰は日本ではGDP比3.5%前後あると言われていますので、何某かのGDP嵩上げ要素にはなるでしょう。であったとしても日本のデジタルサービスは最先端ではなく、明らかに米中の後塵を拝していますから、日本の地位を急に上げるほどの要素とは言えないでしょう。

2018年NHK放送文化研究所の世論調査によると日本人の生活全体の満足度は満足39%・どちらかといえば満足53%、合計92%の人が満足しているという驚きの結果でした。また、2016年のニッセイ・インターネットアンケートによると8割近い人たちが将来に不安(健康・収入・仕事)を抱えているという結果が出ています。「不満はないが不安はある」というのが現代の日本人の平均像です。将来に対する夢や希望や挑戦といったエネルギーを感じることができない残念な結果です。公よりも私を重んじる「イマ、ココ、ワタシ」が日本に蔓延する前に、他者を慮り、次世代のために世の中を良くしていこうという「サキ、マワリ、ミンナ」への思考転換が、世界の中で埋没せんとする日本から脱するひとつの処方箋なのではないだろうかと感じています。

世界史の大河と日本

2019年7月1日 at 3:16 PM

日本で初めて開催されたG20が無事に閉幕した。メディア的には米中の貿易協議の行方や、多分にパフォーマンス的な板門店で行われた米朝会談が注目を集めたが、「癖の強い」各国のリーダー達を受け止め、安倍首相がホスト国のリーダーとして主導権を発揮しえたことは、日本の存在感をさらに高めつつ、成功裏に終えたこととして十分評価に値するものと思う。

G20は2008年のリーマン・ショック時の世界金融危機の深刻化を受けて、20か国・地域首脳会合(G20 Summit)として開催されたのがその始まりである。それまでのG7ではこの難局に立ち向かえないとして、世界のGDPの90%・貿易総額の80%を占め、加盟国の総人口は世界の3分の2を占める国々にまで参加国を広げ、金融サミットとして始まったものである。今回のG20では招待国・国際機関を含めると37ヶ国の要人が一堂に会し、世界経済、貿易・投資、エネルギー、デジタルデータ、環境対策、雇用等の幅広い議論を行う公式の場となった。

しかし、参加国が増えれば増えるほど、議論百出で全会一致という形に持っていくことはなかなかできるものではない。G20 における首脳宣言は、全会一致でなければ文言を変更できない慣例になっているので、今回の宣言「無差別な貿易実現への努力」や「海洋プラごみ削減への足掛かり」などパンチのない共同宣言に終わっていると揶揄する向きもあるが、アメリカ大統領史上、最強の猛獣トランプ氏と蜜月関係を築き、G20各国と不協和音(最悪の関係と言われる韓国とも表面上は事を荒立てることはせず、G20終了後に淡々と半導体材料3品目の輸出規制強化を打ち出した)を起こさず、事前に各国の主張を丁寧に聴いて回り、見事に仲介役を果たした安倍首相は国内ではいざ知らず(国内問題を抱えていない首脳はいない)、海外においては様々な国の首脳から信頼を得ることができたと思う。

世界最古の歴史書と言われるヘロドトス著「歴史( ヒストリアイ )」は紀元前5世紀に書かれたものだが、内容は地中海を中心として、東をアジア・西をヨーロッパとして描かれている。邪悪な侵略者ペルシャ(今のイラン:アジア代表)に押し込まれながら、自由と正義を守るギリシャ(ヨーロッパ代表)が最後は勝利するもので、当時ヨーロッパ人にとってアジア人は脅威の対象であった。トランプ大統領のイラン憎しはこんなところにも発露があるのではないかと勘繰ったりもしたくなる。

アジアにおける最古の歴史書は司馬遷の「史記」である。これは紀元前1世紀に書かれたものとされ、漢の武帝が正当な天子であることを示すためにまとめられたものとされている。歴史書の全てがそうであるように、為政者に都合の良いように書かれていることであろうが、その歴史的、文学的価値は古くから高く評価されている。中華思想の礎とも言える7世紀の唐の都、長安は100万人を擁する大都市としてバクダッドやローマと並ぶ存在であった。

西と東の文明は、紀元前からシルクロードを通って細々と交流を重ねていたが、13世紀のモンゴル帝国の出現によって、一挙に合流し、大きく影響し合った。モンゴル帝国衰退後は、ユーラシア大陸で激しい領土争いが続いていくが、東からはモンゴル、南からはイスラムと圧力をかけられたヨーロッパ諸国は西へ西へと追いやられた結果、海洋への道を求めることとなる。

15世紀のスペイン、ポルトガルに始まる大航海時代は、最も西へ追い詰められたカトリック教国が先陣を切って、カトリック伝道という大義名分を持ちアジアに向かう。その後、アフリカ大陸やアメリカ大陸にも活路を求め、資源の収奪、奴隷を介した三角貿易を確立し、西洋の時代を構築していく(明代の鄭和は西洋に100年近く先んずる形で7回も大航海に臨んでいるが、海路を開拓することで周辺諸国に朝貢を促す目的があったと言われており、西洋の経済目的に比べ、政治目的の要素が強かったようだ)。アフリカ大陸北部から始まった白人国家(ヨーロッパ)の植民地支配は中米、南米を経て、インド(東インド会社)にまで到達し栄華を極めた。オスマン帝国(イスラム)も17世紀末ころから白人国家に蚕食されて解体され、白人国家が圧倒的な主導権を握る世界が形成された。

東アジアの大帝国を誇った眠れる獅子・清も英国にアヘン戦争で敗れ(1842年)、当初、清と共同でアジアを守ろうと意図していたアジアの盟主日本に見限られる形で、日清戦争に敗退し(1895年)衰退していく。欧米列強の植民地化を避けられたアジアの国は歴史上、タイと日本だけである。タイはイギリスとフランスの睨み合いの結果、植民地化を逃れ、日本は薩英戦争(1863年)に負けた後、殖産興業・富国強兵に邁進し、アジアを植民地化から守らんと、列強と伍して戦う決意を示した。しかし、徐々に力を付けてくる日本に対して、欧米諸国は「黄禍論」(黄色人種脅威論)を以て、その標的とするようになる。日本は第二次世界大戦において最終的にはアメリカの日本人排斥・経済封鎖による包囲網によって完膚なきまでに打ちのめされた。日露戦争でロシアを破った(1905年)日本は非欧米諸国にとっては英雄国家であったが、その反面、白人国家への脅威と警戒を増大させ以降の歴史を歩むことになる。

第二次世界大戦後に創設された国際連合は公平公正の世界機関ではなく、あくまで戦勝国である連合国側の主導で発足したものであるから、5つの常任理事国の国益に適わないものは採択されない(拒否権)。また敗戦国が常任理事国になることも今の5大国が牛耳っている限りあり得ない。GHQ占領下においてアメリカの洗脳政策と牙抜き政策により、従順にアメリカ流の自由と民主主義を授けられた日本ではあるが、国連憲章では敵国条項(安保理の許可がなくとも、旧枢軸国に対しては軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できない)が温存され、中国やロシアなど、自由と民主主義とは相いれない国家に攻め込まれ、裁かれかねない立場に今でもいることを忘れてはならない。

1950年の朝鮮戦争勃発によりアメリカの日本占領政策は反共防衛に転換し、自衛隊が組織される。吉田茂、岸信介などの日本のリーダーによる苦心惨憺の末、日米安保条約を締結・改正し、経済成長路線を掲げ、急速に世界の表舞台に躍り出ることが出来たことが現在の日本の礎である。1975年から始まる先進国・主要国首脳会議(G20の前身の前身)に最初から参加している唯一のアジア国家が日本である。500年以上続いてきた白人優位の世界史において、有色人種の先頭に立って歩んでいるのが日本であって、既に経済的にはNo.2になった中国、そしてそれに続くであろうインドと価値観を共有し、アジアの主権を覇権主義ではない平和を希求する形で確立できれば、なんと素晴らしいことであろうか。さてそれは一体いつのことになるのだろうかと思う反面、これまでの歴史は人々が思っているより早く突然に訪れたりもするもので、興味の尽きることはない。

調達購買10の原理原則

2019年6月3日 at 10:36 AM

今回は調達購買の原理原則について論じてみたい。製造業と一口に言っても様々な業種があり、購入品の種類や特性も数多くある。非製造業においても外部から全く何も購入しないという企業は存在しない。何らかの商品やサービスを提供するにあたって、外部への依存無しに価値ある完成品を創り上げることは不可能と思われる。あらゆる調達購買部門に共通する原理原則として次に掲げる10項目を参考にしていただきたい。

①調達倫理の確立:法令遵守はもちろんのこと、法律に違反しないから何をやってもいいということにはならない。取引に際して、嘘を言ってはならない。騙してはならない。ビジネスにおける会社対会社間、個人対個人間において約束をしたことを守るのが基本である。やむを得ない事情により、約束が守れなかった場合には誠実にその弁済を図るべきである。国際取引において意図して騙そうとする組織や個人がいるかもしれないが、約束を守ろうとしたあなたが悪いわけではない。しかし、相手を見極めることが出来ずに安易に騙されたとあってプロとしては失格である。

②取引の公正・公明・公平:会社を代表して取引に当たるあなたは個人の嗜好で与えられた権限を濫用してはいけない。取引先の決定・購入価格の決定に至るプロセスは組織として定型化されなければならない。そのプロセスに沿って選定・決定を行い、社内の第三者からどうしてその取引先とその価格が決定されたのかを問われたら理路整然と説明できなければならない。取引を求める候補先に対して等しく門戸を開き、等しく情報を提供することによって、そのプロセスは始められなければならない。

③投機買いの禁止:必要なものを必要な量だけ、必要な時に購入する当用買いが基本である。安いから今沢山買うとか、今必要ではないけれど単価が安くなるからまとめて買うとかは調達購買の亜流である。経済は毎日動いているので、需給は変動するし、在庫量・流通量も日々変わる。所要の確実性、在庫費用、キャッシュフロー等を勘案し、企業としてリスクが取れる範囲での工夫を否定するものではないが、基本ではない。

④発注・受入・検収の分離:その物品・サービスを必要とする部門と発注部門とは分離する必要がある。ソフトウェアなど形として見えにくいものは尚更であるが、必要部門が発注・受入・検収の全てを行うことは架空発注の可能性を飛躍的に高める。発注・受入・検収をそれぞれ別の部門で行う為には仕様が明確になっていなければならない。そうでなければ、発注部門は取引先に必要な物品を伝えることはできないし、検収部門が検査をし、間違いなく発注したものであるかどうかを確認することはできない。

⑤自給の原則:発注する物品が複雑であればあるほど、サプライチェーンは長くなる傾向がある。いわゆる二次外注先・三次外注先と広がり、原材料先にまで至るのに物流・商流ともに見えない存在になってしまう。かと言って、その複雑な商流・物流の全てに絡もうとする企ては労あって成果は乏しい。管理技術面においても信用に足る取引先に発注し、必要な購入品は取引先に自給してもらうのが基本である。材料支給してもらわなければ競争力が保てない取引先はいずれ他の面でも競争力を保つことができない。

⑥直接取引の原則:気が利いた能力の高い商社や代理店はありがたい存在であるが、製作している取引先との直接取引が調達購買の基本である。直接取引によって当該物品や取引形態における工夫を活かす余地が生まれるようになり、最適購買に近づくことができる。仲介業者が入ることで問題や課題に気づきにくく、場合によっては覆い隠されてしまうことも少なくない。

⑦コスト分析と査定能力:どのような商材であっても、バイヤーとしてその発生コストに注目しなければならない。製作プロセスに通じ、どのようなコストが、どのような形で発生しているのかを知ることでコスト改善のヒントが見つかる。精査するのは簡単ではないが、変動費と固定費に分けて分析することも重要である。あなたの買値は取引先の変動費以下にはならない。しかし、取引先の変動費の中には二次外注先の固定費が含まれていることも忘れてはならない。 

⑧リスク管理:取引におけるリスクを軽減することはバイヤーとして重要なミッションである。取引先の経営状態を把握し、ビジネス上のリスクを低減しなければならない。特にビジネス上欠くべからざる調達品に対しては緻密なリスク対策を講じる必要がある。リスクには国際紛争から自然災害、為替変動、港湾ストライキ等様々あり、経済のマクロとミクロの両眼でみる癖をつける必要がある。

⑨安定調達:物品・サービスを安定的に調達できる取引先選定が重要である。自社の商品やサービスが顧客に長年提供することを前提にしている企業ほど、その重要性は大きい。調達供給問題が自社のビジネスに直結する場合や、生産終了後も保守部品を長きにわたって提供を受けなければならない企業ほど、目先のメリットのみに目を奪われて「安物買いの銭失い」となってはバイヤーの面目丸つぶれである。

⑩サプライヤー戦略構築:上記9つを総合して、自社の調達品ごとのサプライヤー戦略を構築する必要がある。同舟と呼ぶべきビジネスパートナーはどこか、自社とのベクトルが合致する企業と単なる取引関係を超えたビジネスパートナーとしての関係性を強化していくことが自社の競争力強化につながる。長年、1社購買のまま続いているとか、購入金額が多くはないのに、競争環境をつくりやすいがゆえに、必要数以上の取引先と取引し、どこからも最優先待遇を得られない等は健全な状態とは言えない。ビジネスを支える調達購買部門として定期的な見直しを講じていくことが一目置かれる調達購買部門への一歩である。

利子の歴史

2019年5月1日 at 9:26 AM

利子とは、貸借した金銭などに対して、ある一定利率で支払われる対価のことである。金融機関などから借りたお金に対しては当たり前のように利子が付く。高度成長の時代には銀行に預けたお金に対しても当たり前のように利息が付いてきたものだが、約20年続いている日銀の超低金利政策導入以来、利息がほとんど付かないのが当たり前になってしまった。平成という時代は平和であったが、低成長の時代でもあった。

日本の利子の歴史を紐解くと、律令体制の時代にコメなど租税として納められないほど困窮した百姓には、神への捧げものとして保管されていた米を貸し与えるということが為されていた。その場合、返す時には借りた米より多い米を神様に返礼するということが行われていたそうで、日本では利子という概念が何らかの形で認識されていたようだ。

ヨーロッパに目を転じると、古代ギリシャの海上交易でも利子を伴う貸付は広く行われていたそうであるが、アリストテレスは「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」(「政治学」1巻10章)と反論している。

宗教的には旧約聖書でも新約聖書でも、利得を期待せずに無償で貸すべきであるという教えが中世キリスト教において重んじられていた。それらに先立つユダヤ教でも、後世のイスラム教でも同胞から利子を取ることは禁じられていた。この「同胞」(あるいは「貧者」含む)という言葉がミソで、たとえばユダヤ人が異邦人であるキリスト教徒からは利子を取ることは禁じられていなかった。15~6世紀頃のヨーロッパでは、「高利の金貸し=ユダヤ人」というイメージが強くありました。ユダヤ教徒は歴史的に苦難の道を歩むことが多かったので、生き残っていく過程で、異教徒にお金を貸すことを正当化していったという経緯がありそうです。その技術を高めていくことによって、今でもユダヤ人が金融業界を牛耳っていると語られます。シェークピアの「ベニスの商人」では皮肉たっぷりにシャイロックという強欲なユダヤ人高利貸しが描かれていることは皆さんもご承知の通りです。

そういったユダヤ人を侮蔑的に表現していたヨーロッパで、実は13世紀くらいからは様々な抜け道を通じて、利子を取っていたようです。カトリック教会は金銭の貸与による金銭の利子を禁じていましたが、事業・土地の賃貸・または土地の果実の販売・その他の資本による利益を否定してはいませんでした。一方、免罪符の発売を行うなど堕落の目立ったカトリック教会に対して反旗を翻したカルヴァンは、労働は卑しいものとする古い宗教観を否定し、労働を正当化することに繋がる「予定説」を提唱します。

「予定説」とは、人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできない。教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできないという身も蓋もないもので、今では少数派に属する考え方です。

この言説が資本主義の発展に寄与したとする論文が、かの有名なマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。カルヴァンの論説は「現世でどう生きようとも救済される者が予め決まっている」というのであるならば、快楽にふけるという対応をする者もありうるはずだ。しかし人々は実際には、「全能の神に救われるように予め定められた人間は、禁欲的に天命(神が定めた職業)を務めて成功する人間のはずである」という読み替えによって、禁欲的労働という倫理を生み出したとします。そして、自分こそ救済されるべき選ばれた人間であるという証しを得るために、寸暇を惜しんで少しでも多くの仕事をしようとし、その結果増えた収入も享楽目的には使わず更なる投資のために使おうとした。そしてそのことが結果的に資本主義を発達させた、という論旨である。その時代のその場所に私は居たわけではないので、すんなりと飲み込める説とは言い難い。

いずれにせよ、そうした道程を経て、資本主義は発達していった。ちなみに初の共産主義国家であったソ連にも利子はありませんでした。道理で効率や納期といった時間感覚がなかったわけです。経済が停滞した理由の一端ではあるでしょう。現代の利子には金銭の時間的価値に加えて、リスクが加味されています。それによって利子率が決まっています。一般に親族・友人間での金銭の貸し借りには利子は登場しません。「ある時払いの催促無し」や「出世払い」「この金は貸すんじゃない、やるよ。返さなくていい」なんていうセリフは今の時代にも生きています。長年の友人同士が金銭の貸し借りがもとで絶交するということもあります。連帯保証人になって一生を棒に振ったという話も聞きます。お金に振り回されることなく、お金と付き合っていきたいものです。

やめることの大切さ

2019年4月8日 at 5:38 PM

コンサルティングに携わっていると、事業計画やKPI設定なのでよく訊かれる質問がある。「これで漏れはないでしょうか?」「何か抜けていませんか?」、あるいは最近のバズワード(特定の期間や分野で人気となった言葉のことであるが、もっともらしいけれど実際には定義や意味があいまいな用語)に対して、「どう対応したらいいか?」「他社はどうやっていますか?」というような質問を度々受ける。

調達購買部門は社内では守りに入っているケースが多く、社内の様々な「突っ込み」に対して防御する姿勢が強い傾向がある。何か言われても、「このように対応しています」とか、数字を示し「順調に推移しています」とか、説明という名の言い訳を常に準備しておかないと気が休まらないところがある。調達購買の仕事は上手くいっている時は目立たないが、ひとたび問題が発生するとやたら目立つ類の業務で、IT部門と似たようなことろがある。しかし、あれもやります、これもやっています、KPIはこのように50項目管理しています、っていうのが本当の調達事業計画であり、KPI管理であろうか?

歴史のある大企業の調達購買部門ほど、そういった傾向が強いように感じられる。先人が積み上げてきた過去からのKPIを頭ごなしに否定するつもりはないが、調達環境は時々刻々と変わっているし、企業として調達購買部門に期待することも重要度も変わっていく。優先順位の高い新しいことをやらねばならないのだから、これまでやってきたことの中には相対的に劣後順位になる業務はやめていかなければならない。そうしなければ、限りあるResource(人、時間、お金)を本当に重要な案件に割り振ることができず、最重要事項の完遂が困難になる。最重要事項は必ずやり遂げなければならないことであるから、何よりも優先して行われるべきで、忙しくて手が回りませんでした等という言い訳は絶対に許されない。

最近のバズワードのひとつにRPA(Robotic Process Automation)がある。RoboticといってもAI・Robotが登場するわけではなく、人間が行ってきたパソコン業務をソフトウェアで自動化するだけのことである。確かに昼夜問わず働いてくれるので、人手不足の解消には貢献してくれるであろうが、大事なのはその業務の必要性、目的、重要性である。そのスクリーニング・プロセスを経ないRPA化は、結果的にお金の無駄遣いになってしまうこと必然である。かのドラッカーも「 やめるべき活動をやめる。削減する意味もない 」「業績を上げないなら、いかに安くても無駄なコスト」と言っている通り、改善の前に要不要の判断が必須である。

先般、日経新聞に「『当たり前やめた』中学とテレビ」というコラムがありました。中学の当たり前である、宿題の強制、中間テスト、服装チェック、担任制度を全てやめた中学の話が載っていました。宿題に関しては「非効率に尽きる。できる生徒は理解している問題をやらなければならないし、苦手な生徒はできる問題しかやらない。宿題を出すことが目的になっている。形式主義が染みついた教育では社会に出て課題解決なんてできない」と麹町中学の工藤校長は言う。

また、テレビの当たり前とされる番組中のナレーションや音楽をやめ、緊迫感を出す、アポ取りもしない、取材対象が準備する時間を極力減らす。番組制作費用のバランスを捨て、70人体制のディレクターが毎日終電を逃した人を探す「家、ついて行ってイイですか?」のテレビ東京・高橋ディレクターの紹介がされている。 目的を見失った余計な仕事と常識を少し見直すだけで突破口は開けるという切り口はまさに私も同感です。 今や何をやるかよりも何をやらないかがもっと重要な時代だと思います。特に構成員が多い、階層が深い組織ほど、その視点が必要です。なぜならば、課員・部員は慣れ親しんだ業務を行うことで心理的安心感を得ていて、多くの人が業務上の変化を嫌うからです。一か月過ぎれば決まったサラリーが銀行に振り込まれるのですから、会社の危機に無頓着なのも無理からぬことでしょうか。

2015年第一回ホワイト企業(ブラック企業の反対)大賞を受賞した「未来工業」は創業者・山田昭男氏(4年半前に亡くなりました)が劇団運営を経験に立ち上げた優良企業です。企業の経営者になった氏が「徹底した差別化」と「社員を幸福にする」という2大理念を掲げて成長を果たした会社です。販売製品は電設資材や管工機材などの規格品で差別化が難しい製品ですが、「絶対によそと同じ製品は作らない」という信念で 「工務店さんの作業が簡単、速く、上手に、安くできるようになるもの、見た目もいいもの」を開発して顧客の支持を得てきました。

一方、社員には 「現場の連中が一番よく知っているんだから報連相は不要。出張は自分が必要と思えば出掛けていけばいい。残業・営業ノルマの禁止(残業させたら25%増しの賃金を払わなければならなくなる)。全社員が正社員(パート社員や派遣社員を入れているのは、人間をコストと見ている証左)。年間就業時間は1640時間、有給除いて140日の休み(休みはコストが掛からない)。 年功序列、70歳定年、成果主義は禁止(チームワークが育たないから)」と周りからうらやましがられる会社を作ることで、従業員が働いていて励みになり、その会社をより良くしたいと思う心を大切にしている。人間のモチベーションなるものを深く理解し、管理コストの高さを十分肌で感じているマネジメント手法と言えよう。

産業革命以降の大量生産モデルがタイムマネジメントという概念を生んだが、それは皆が同じ時間に同期して働くことにより効率性を高め、生産性を高めることが目的だった。多くの定型業務がAI/Robot化されていく第四次産業革命の幕が開いた今日、各自が常に自分の頭で考え、買う・作る・売るの知恵出しを行う企業風土を醸成することは規模の大小を超えて勝ち残っていく企業の必須条件である。

アメリカ本土を爆撃した史上唯一の男

2019年3月4日 at 8:55 AM

倉田耕一著「アメリカ本土を爆撃した男」を読んだ。奮戦記と思って読んだのだが、全く当てが外れた。読む進むうちに涙が滲んできてしかたがなかった。

その男、藤田信雄は帝国海軍きっての腕利きパイロットで、潜水艦に搭載されるたった全長8.5mの零式小型水上偵察機を操ってオレゴン州のブルッキングスという町の山中に1942年9月9日焼夷弾を打ち込んだ。

それに先立つこと5か月前の4月18日、日本は初めてアメリカによって本土空襲に見舞われた。米空母から発艦したドーリットル中佐が指揮する16機のB25は、東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を爆撃し、国際法で禁じられている「民間人に対する攻撃」(校庭掃射など)を行った。日本国民の怒りが沸騰するのは当然であった。

それを受けて、4月21日に軍令部に呼び出された藤田は、上記のオレゴン州森林への爆撃命令を受ける。サンディエゴの海軍基地でもなく、ロス・アンジェルスの飛行機工場でもなく、なぜ人もいない森林なのかと藤田は訝った。

作戦はこうである。アメリカの西海岸はレッドウッドなどの森林が多く、そこに焼夷弾を打ち込んで火災を発生させれば、折からの強風により大火災となる。そうなれば、市民は命からがら非難しなければならなくなる。そして焦燥地獄により心身ともに疲労困憊となるであろう。その効果は絶大なものになるはずである。我々はアメリカとは違う、民間人を殺傷するわけにはいかないというのがこの作戦の趣旨であった。

6000時間無傷の飛行歴を誇るエリート・パイロット藤田は、その命令を首尾よく成し遂げた。しかし、のちに確認されたところでは、木が一本倒れた程度で実効果はほとんどなかったというアメリカ側の調査結果が公になっている。しかし、藤田がアメリカ本土を爆撃した史上唯一の男であることはアメリカの歴史に刻まれることとなった。

時は流れ1962年、藤田はブルッキングス市から毎年5月に開催される「アゼリア祭り」に招待される。当地の青年会議所の招きによるものだが、当然アメリカ在郷軍人会からは強硬な反対論が出た。「3000ドルもの大金を使って、なぜかつての敵を招待するのか」と。最終的には「戦争を美化するのではなく、あくまで日米両国の友好と平和親善のため」という青年会議所の熱意ある説得により、藤田の正式な招待が決定した。その趣旨の手紙を受け取った日本外務省は、藤田を料亭に呼び出し、日米関係に影響が及ぶことを恐れ、時の官房長官大平正芳がその渡米に一切関知しないと藤田に告げている。

藤田は訪問先において戦犯として裁かれるのではないかと考え、自決用に400年間自宅に代々伝わる日本刀をしのばせ渡米した。しかし、ブルッキングス市はかつての敵国の英雄である藤田をフェスティバルの主賓として大歓迎した。藤田は自らの不明を恥じ、持っていた刀を友情の印としてブルッキングズ市に寄贈することとした。

藤田は戦後、金属金物業で財をなしたが、息子の代になった1979年に15億円の負債を抱えて倒産してしまう。翌年かつての部下の会社に社員送迎の運転手として雇ってもらい、老骨に鞭打って献身的に働き最終的には取締役工場長の任にまで昇り詰めるが、安月給の中から毎月3万円を貯金していた。それはブルッキングス市に何か恩返しをしたいという気持ちから積み立てていたものであった。1985年筑波科学万博が開催された年に、藤田の貯めた100万円を元手にブルッキングス市から3名の高校生を招待することができた。水海道青年会議所のメンバーの支援があり、筑波大学の学生は通訳を買って出てくれた。ソニーも協力を申し出て、ジャンボトロンの大画面に高校生たちを映し出し、担当者の計らいでジャンボトロンの屋上にまで案内した。

1990年5月、藤田は再度の招きによってブルッキングス市のアゼリア祭りの会場にいた。電力会社の高い鉄柱に藤田が持参した鯉のぼりが掲揚され、人だかりができた。藤田は来日した高校生と再会を果たし、その家族や市幹部との交流を深め、5月25日は「藤田信雄デー」と定められた。

藤田は1997年85歳で死去したが、藤田の遺灰の一部が埋められた空爆地域には、現在「アメリカ大陸が唯一日本機に空爆された地点」と書かれた看板が立てられている。生前、藤田は「我々日本人には、かつての敵をこんなにまで歓迎する心の余裕があったであろうか」「アメさんにコテンパンに打ちのめされた」ことを悟ったと友人に語っている。この心境が藤田の本当の終戦であったのかも知れない。過去にばかり拘泥することの愚かさをこの話から多くの人が感じてくれれば嬉しいと思う。


国際機関

2019年2月3日 at 2:44 PM

日本政府は昨年12月26日、クジラの資源管理について議論する国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、商業捕鯨を再開することを決定した。
日本がIWCに加盟したのは1951年であるが、IWCは1982年に資源の枯渇を理由として、商業捕鯨の「一時停止(モラトリアム)」を決定している。日本は1988年に商業捕鯨を中断したが、その前年の87年から、商業捕鯨再開に向けた科学データの収集を目的とする調査捕鯨を開始した。
商業捕鯨の中断から約30年にわたり、日本はIWCでその再開を訴え続けてきたが、先の総会で科学的データを根拠として商業捕鯨の再開を目指す捕鯨支持国27、動物愛護を主張する反捕鯨国41(棄権2)の前にIWCにおける商業捕鯨再開の大目標を断念した。

個人的にはもっと早く脱退していてもおかしくないと思っていた。過激暴力集団シーシェパードの資金集め材料の対象とされ、標的とされた和歌山県太地町の努力と訴えは世界的に見て私には余りに無力に写ったからである。事実、2007年の総会でも脱退は示唆されていた。裏話では、商業捕鯨再開によって国際社会からの批判を受けたくない外務省と、再開を訴え続けてきた捕鯨関係者や水産庁との対立があって、日本側が一枚岩になれなかったことが指摘されている。最終的には官邸主導で日本の主張(クジラの資源量は回復したから、日本文化・産業でもある捕鯨を再開する)を通したということである。ノルウェーは商業捕鯨を行っているし、カナダは1982年にIWC脱退。他にもインドネシアやフィリピンもIWC非加盟国として捕鯨を行っている。反捕鯨国のアメリカも原住民捕鯨枠としての捕鯨は継続している。

現実論からすれば、もはや衰退した捕鯨産業に肩入れし、反捕鯨が大部分を占める欧米諸国を刺激し、他の外交案件で不利な状況を作りたくないという外務省の思惑は理解できる。一方で、大勢におもねってばかりの日本でいいのかという思いも個人としては強い。

日本の国際機関からの脱退で真っ先に思い浮かぶのは、1933年国際連盟脱退表明であろう。国際連盟議場から颯爽と立ち去る松岡洋右の写真は教科書にも載っていたのは記憶に残っている。第一次世界大戦では日本は戦勝国だったので、国際連盟においては1920年当初から新渡戸稲造が事務局次長を7年間務めていた常任理事国であった。脱退のきっかけは満州事変により満州全土を制圧した日本に対して、中華民国が連盟に提訴。その調査のためにリットン調査団が現地に送り込まれ、「満州を中華民国に返還せよ」というリットン報告書が国際連盟において圧倒的多数(42対1、タイ棄権1)により承認されたことにある。

それを契機に盧溝橋事件に端を発する日中戦争に突入。後に国際連盟から脱退した独伊と三国同盟を結び、結果、第二次世界大戦へ参戦。最終的には国際連盟に参加していなかったアメリカ(欧州への不干渉)からの経済制裁によって追い詰められていくことになる。

第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年に設立された国際連合は、①国際平和・安全の維持、②諸国間の友好関係の発展、③経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力を目的としている。しかし、戦勝5大国が常任理事国を形成し、拒否権を有し、核を保有している。日本やドイツなどの常任理事国入りは議論はされても承認はされない。いまだに「敵国条項」は維持され、敵国であった枢軸諸国の侵略的動きに対する行動に際し武力禁止義務(国連憲章第2条第4項)が免除されると規定されている。果たしてこれら戦勝国中心の利害渦まく国際連合、そして敗戦国にとって永遠に是正されない不条理な状況は、上記3大目的の達成に合致するものかどうか甚だ疑問である。

国際機関と言えば、高邁な理想を掲げ、世界平和のために公平・公正・平等に運営されていると思うのは危険である。当初の設立趣旨が素晴らしいものであっても、年月を経てそれを隠れ蓑に政治利用する国が必ず出てくる。実は国際機関の内情の多くは国際政治の表舞台でもあり、裏舞台でもある。ユネスコの記憶遺産登録にしても自国や自国に従順な委員を多数送り込み、運営もおざなりなゆえに実質乗っ取ることは比較的容易である。IOCはすっかり金権商業体質になり、過剰接待賄賂は当たり前。オリンピズムの目的は、「いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」はずであるが、その目的に沿った活動になっているであろうか。フェアプレーに徹すれば、開催国に選ばれる可能性は限りなく低くなる。余りに金がかかりすぎるので、誘致国から離脱する都市も出てきているのが、華のオリンピックの実態なのだ。

話を元に戻すとIWCの目的は「鯨類の適当な保存及び捕鯨産業の秩序ある発展」であったはずで「賢い動物を殺すなといった動物愛護」を旗印にするのであれば、それは他の土俵で行うべきで、その意味ではIWCも他目的に転用されてしまった国際組織と言わざるを得ない。大相撲の土俵でレスリングが行われるようになったのであれば、土俵を去る力士の選択肢は尊重されてしかるべきであろうというのが私の意見である。

わび・さび

2019年1月3日 at 5:08 PM

昨年、十数年ぶりに金閣寺(鹿苑寺)を訪れる機会を得た。外人観光客が溢れ、その一行の流れについていく格好で庭園内を歩いていくうちに、何か外国の観光地にワープしたような感覚に襲われた。

金閣寺は室町幕府3代将軍足利義満が将軍職を子の義持に譲ったあと、1397年に西園寺を譲り受け2階3階を金箔貼りに一新し、政治の実権を握っていた山荘である。義満は南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を抑えて幕府勢力を確立した。また、明との勘合貿易で巨万の富を得て、その権勢を誇るため、また明への誇示もあって豪奢な金閣寺を造ったと思われる。4代義持も義満と同様に長男の義量(よしかず)に将軍職を譲ったが、その5代義量は夭折した。6代義教(よしのり)はくじ引きで決まり、僧から俗世に戻る還俗の上で、将軍職に就いた。くじ引き将軍の義教は幕府権力強化のために、強引な強権政治を行ったが、却って部下の守護大名の反発を買い、最後は謀殺されてしまう。義教の死後、幕府は急速に弱体化し、嫡男の義勝が8歳で7代目を継ぐも翌年死去。その弟の義政が幼年にして8代目を継ぐことになり、後に銀閣寺(東山慈照寺)を建立することになる。

金閣寺と並び称される銀閣寺は金閣を模して造営した楼閣建築であるが、見た通り銀は一切使われていない。外壁は黒漆である。銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことで、もともと金閣寺と対照させられる建物ではなかった。

義政の時代の室町幕府は財政難と全国各地で起こった一揆などに悩まされており、13歳で将軍の座に就いた義政は徐々に政治を疎むようになったと言われている。義政は妻の日野富子や有力守護大名の細川勝元・山名宗全らに政治を任せ、自らは慈照寺に住み、趣味の世界に生きるようになっていった。こうした将軍不在の間に政治はさらに乱れ、後の応仁の乱(1467~1477)を引き起こす原因となる。

しかし、一方で義政の文化面での功績は大きく、東山文化と呼ばれた「わび・さび」という新たな美意識を日本に根付かせることとなる。この時代には能、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開き、それらは次第に庶民にも浸透し、今日まで続く日本的な文化を数多く生み出した。「わび・さび」は英語ではやはり訳しようがないのか、Wabi-Sabiと記述されているものが多いが、「Traditinal Japanese Beauty」と意訳しているものもある。

「侘び(わび)」とは「わぶ」という動詞の名詞形で、元来「気落ちする」「嘆く」「寂しく思う」「落ちぶれる」「貧乏になる」という悲観的な意味を持つ言葉であるが、中世になって「貧粗・不足の中に心の充足を見出そうとする意識」へと変容し、室町時代の茶の文化と結びついて、「静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。」といった日本独特の美意識を形成するに至った。

「寂び(さび)」は「さびれる」を意味する「さぶ」の名詞形で、元来「荒れた気持ちになる」「色あせる」「さびる」など時間の経過とともにものが劣化するという意味の言葉が、室町時代に「古びたものの中に奥深いものや趣のあるものが感じられる」といった美意識に変化していった。

銀閣は「さび・さび」の文化を象徴する質素で幽玄な趣を持った建築物で、義満のように己の財力を誇示する金閣とは違い、質素な中にも美を追求し、その趣を楽しむ新たな価値観を創造したと言える。茶をたてて心の平安を求める侘茶、座敷を飾る一輪の立花、龍安寺に代表される枯山水、雪舟により完成された水墨画、わずかな動きで世界を表現する能や狂言、これら東山文化で生まれた「わび・さび」という美意識はその後の日本人の貧しくても心豊かであれといった生活文化に大きな影響を与え、日本文化として連綿と引き継がれてきた。

「恒産無くして恒心無し」とは、孟子が人々の生活安定を政治の基本として、その必要を強調した言葉であるが、十分すぎる収入と資産があるにもかかわらず、飽くなき金欲に囚われの身となった人々を見るにつけ、自分なりの「豊かさ」の中に「わび・さび」の美意識があることにホッとする平成最後のお正月を過ごしています。

科学技術の進化から人の幸せを考える

2018年12月2日 at 5:17 PM

先月28日、ヒトゲノム編集国際会議に出席した賀准教授は「ゲノム編集」を使った受精卵から双子が誕生したとその実験の説明を行った。同氏によると、研究に8組のカップルが参加したが、すべてのカップルについて、男性側がすべてHIV陽性で、女性全員はHIV陰性であり、HIV感染しにくくなるゲノム編集の研究の正当性を述べたという。同会議組織委員会の委員長を務める米カリフォルニア工科大学のデビッド・ボルティモア教授をはじめ、各国の専門家は賀氏の研究を倫理規則に反していると批判し、実験の真偽について疑問を呈した。
賀氏は中国当局が主導する海外の最先端技術を習得し中国に持ち帰る「千人計画」に参加する人物で、当初中国人民日報は「中国の疾病予防分野におけるゲノム編集技術の応用が歴史的成功に達した」と自画自賛したが、国内外からの批判が噴出したため、この数時間後、同記事は削除されている。そして中国科学技術部の高官は賀氏を「調査の上、処分する」と発言し、同氏は現在無給休暇中とされている。
科学者が後になって自分自身の発明を悔やんだものは過去いくつもある。ノーベル賞の創始者であるアルフレッド・ノーベルは彼の弟の命を奪ったニトログリセリンをより安全で安定したものに改良した建設用爆薬を作ったが、その後、兵器に転用され多くの命を奪う結果となった。植物学者のアーサー・ガルストンは植物の成長を早めるホルモン合成に成功するが、のちにそれは濃度を高めてベトナム戦争において枯葉剤として使われ、多くの奇形児と健康被害をもたらした。原子爆弾開発プロジェクトを主導したロバート・オッペンハイマーも水素爆弾などの核兵器に対して反対する立場を取り、後年核兵器開発を主導したことを後悔していると吐露している。
目覚ましい進化を遂げているAI・Robotについても、人間の生活を支援し、より良くする技術である反面、人間の職を奪うのではないかと産業革命期に起きた熟練工による機械打ちこわしを彷彿とさせる恐れも人々に与えている。ネットワークが発達した現代において科学技術の進歩は我々が制御できる速度を超えていると主張する科学者も少なくない。科学技術の進化は今やその影響力の大きさから、既に社会生活から独立したフリーハンドの権利を持った事象ではなくなっていると感じる。
全ての宗教に共通する道徳は⓵人を殺してはいけない、⓶人のものを盗んではいけない、⓷人を騙してはいけない、という3つだそうである。AI・Robot的に解釈すると「人に危害を加えない」ということになろうか。赤ん坊はそういった善悪の判断を持たず、思うがままに振舞う。幸いにして赤ん坊は力がないので、親の監視下から大きく逸脱することなく様々な実体験を通じて、やってはいけないことを学んでいく。AI・Robotは生まれた時から強靭な頭脳と破壊力を持ちうるので、事前に自己制御できるような道徳エンジンを装備しておく必要がある。さもないと人間に危害を加える存在になりかねない。
人間の世界には戦争や死刑が存在する。その存在を忌み嫌う人は少なからずいるであろう。戦争は一部の武器商人を除けば、誰しもやりたくないことであろうし、死刑制度においては、人間が人間を裁いて死という極刑を与えることが認められるか否か議論があって当然である。
軍人同士による殺人は国際法によって処罰されない。それは何故か? 上述の「人」とは「仲間」のことであって、「仲間」以外には適用されない「道徳」だからである。「仲間」でない、つまり「敵」であれば、己や家族を守るために殺しもする(正当防衛は認められている)ことを人間社会が容認し、国際法に定められているからである。
個別の宗教や慣習には特定の集団にのみ適用されている道徳や掟がある。一神教は他宗を邪教として排斥する傾向を持つが、人類はその長い歴史の中で、特定の掟を小さくして共通の掟を広げる努力をしてきた。多くの国際機関がその役割を担ってきた(最近は国際機関を事実上乗っ取り、悪用している国も残念ながら見受けられる)。社会ごとの異なる概念や文化・宗教は多様性を阻害し、個別の掟を強要することによって、戦争や私刑が行われてきた。人々は「仲間」の範囲と資格を規定し、その危害の大きさを想定することで、「無視」「回避」「攻撃」の三段階による対応をして社会規範を維持してきた。明らかにAI・Robotには「攻撃」をさせてはならない道徳エンジンが必要である。「無視」ではなく「再確認」をさせ、「攻撃」ではなく「防御」というアルゴリズムの装填が必要である。
私はこれまでセミナーの中で、「コミュニケーション」こそが人間に残された領域であると話してきたが、コミュニケーションすらAI・Robotが人間を凌駕するかもしれない。ペットロボットが家庭や介護の現場に入ってきているが、人間が肯定的にその立ち居振る舞いや仕草を解釈すれば、誤解も含めて人間同士のコミュニケ―ションを上回る快適な空間を創る可能性は十分にあると考えられる。
人間に残された領域は最終的には「責任」と「善悪の判断」くらいにしかならないのかもしれない。ゲーム理論においてはALLC(全員が必ず協調する:Cooperation)状態では、必ずALLD(必ず裏切る:Defection)が現れ好成績を得る(全てをかっさらっていく)。逆説的に言えば、ALLDはALLCの状態でなければ現れない。全員が善人では集団の安全や安定が維持できないのである。それゆえ、裏切りには何らかの報復がないと道徳自体が崩壊してしまう。
世界に共通する幸せ感とは、⓵美味しいものを食べる、⓶他者に役立っている、他者に頼られている、⓷自分がこれまで出来なかったことが出来るようになる、⓸自分がこれまでわからなかったことがわかる、⓹自己コントロール感の5つだそうである。科学技術の進化がこれら人間の幸せに寄与する形で発展していって欲しいし、そのためにはTechnology議論の前に、それは人を幸せにするのか(社会課題を解決するのか)、悪用によって人を不幸に陥れることは無いのか、を衆知を集めて検証するステップが必要である。AIはBlack Boxと言われる。なぜそういう結果になるのか説明ができない。まずはExplainable AI(説明可能な範囲や領域での活用)に留めようという考え方があり、非常に健全かつ慎重で望ましいステップであると思う。これらの問題には人文知と科学知の両面からのアプローチが必要である。なぜなら、科学技術の発展は人間を幸せにするものでなければならないからである。

ブルー・オーシャン戦略

2018年11月3日 at 4:42 PM

先月、「ブルー・オーシャン戦略」(以下BO戦略)の著者のひとり、INSEAD教授であるチャン・キム氏の講演を聴く機会を得た。「BO戦略」は2005年に刊行され、ベストセラーとなったが、競争の激しい既存市場「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」(以下RO)から、競争のない未開拓市場である「BO(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだとする経営戦略は、当時米国から帰国し、競争の真っただ中にいた当時の私には、ある種の「絵空事」のように聞こえ、本書を手にすることは無かった。とはいえ、世界360万部、44カ国語に翻訳された世界的ベストセラーである本書の内容は表面的ではあるが、把握しているつもりでいた。
最近になって、「競争しない」という概念がいくつかの著書において、クローズアップされてきている。フェイスブックを初期から支えたピーター・ティール(テスラ、ユーチューブ、リンクトインなどの名だたる起業家を輩出したペイパルの伝説的共同創業者)は、トランプ大統領の政策アドバイザーを務め、「競争をしない唯一無二を目指す」という信念でDisruptive(破壊的)Innovationを起こしてきた事業家兼投資家である。「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか」では、ゼロからビジネスを創り出す偉大さは、1から100にするコピー的事業とは歴然として異なると自らの価値観と重ね合わせて主張する。ZOZOの前澤友作社長は「競争市場における、価格は限界費用まで下落するベルトラン競争では、自分で自分の首をしめるだけ」、ビジネスポリシーは「競争せずに楽しみながら社会の役に立つこと」とシンプルかつピュアな言葉でインタビューに応えている。いずれも競争から身を遠ざけることがビジネスのDNAのごとき発言である。
一方、マイケル・ポーター(ハーバード大学経営大学院教授)は、多くの国や州の政府、および企業の戦略アドバイザーを務め、ファイブフォース分析やバリュー・チェーンなど数多くの競争戦略手法を提唱し、1980年に刊行した「競争の戦略」はビジネスマンの教科書とも言え、今も現役で活躍している経営学者である。筆者もご多分に漏れず、サラリーマン時代において、そのフレームワークを学び、実践への応用を試みてきた。加えて、今でもセミナーやコンサルティングを通じて、聴講者やクライアントにその理論を説明する側にいる者である。
BO戦略を著したチャン・キム氏は一言で言うと、反マイケル・ポーター派である。かといって、ピーター・ティールの破壊的Innovationにも与してはいない。印象に残っているのは、「BO戦略」は「誰も傷付けない」という言葉である。つまり、既存のマーケットを破壊して市場を分捕るZero Sum Game志向(勝ち負けがある)ではなく、あくまで新たな市場を作り上げて、それまで顧客ではなかった層を取り込み、これまでの顧客への新たな価値を提供するという志向(Non Zero Sum)である。それは、これまで私が誤解していた「そんなに新しい市場を創るなんて簡単ではないし、新たな市場に出ていって失敗している例はごまんとある」という批判は必ずしも的を得たものではなく、「BOへの6つのパス」による問い直しからROからの飛び地ではないBO創造こそが実践的BO戦略であるという記述は、その視点・切り口を使ってBO創造に挑戦してみようという意欲が湧くほどの説得力がある。日本での事例に乏しいという指摘から2015年刊行された「【新版】ブルー・オーシャン戦略―競争のない世界を創造する」には多くの日本での事例が盛り込まれ、今年刊行された「ブルー・オーシャン・シフト」には、どのように検討を進めれば、BO創造が可能であるかをステップを踏んで、具体的にフレームワーク化したものなので、ご興味のある方は、そちらをご参照いただきたい。
チャン・キム教授の講演では、どのようにして日本が高品質を実現したかというところから話が始まった。日本の高品質はアメリカ生まれのTQCという理論にHuman Factorを加え、小集団活動により、当事者意識・チームワーク・目標共有を強調することで本家アメリカが成し得なかった品質改善を達成したと説く。次に1970年代の日本の成功は競争戦略で成し得たものではなく、欧米の大企業に対して真っ向から競争を挑まず大衆にニーズに即した商品開発により、ソニー・ホンダ・コマツ・ヤマハは差別化と低価格化の両立を果たす(BO戦略そのもの)ことによって事業地盤を築き、成長していったとする。
「差別化」と「低価格化」の両立はBO戦略におけるコア概念であろう。商品やサービスの競争軸がいくつもあって、それぞれを競争相手とベンチマークして「やや勝っている」「幾分安い」では、本当の差別化にはならない。明確に顧客に伝わらない程度の差では意味がない。まずは競争軸を峻別する。何で圧倒的に勝るかを検討する。それ以外は圧倒的に低く設定するか、削る。顧客への価値に繋がる新たな競争軸があれば、それを追加して差別化要素とする。競争軸の峻別なしには、低価格化は成し得ないと教授は説く。
チャン・キム教授は日本は「アメリカから持ち込まれた競争戦略に毒された」と熱弁し、「業界分析をし」「高付加価値戦略か、低価格戦略かのどちらかを選択する」といったマイケル・ポーターの競争戦略とは全く反対の立場を取る。VE的に表現すれば、「『減らす』『取り除く』ことによる低コスト化と『増やす』『付け加える』ことによる顧客にとっての高付加価値を両立する」ということが重要であると力説していた。さらにもうひとつ重要な点として、「BOはずっとBOではない。常に新しいBOを創る努力を怠らないこと」と教授は釘を刺している。BOは必ずCreate⇒Imitate⇒Competeというふうに辿る運命にあるので、如何に競争環境を作らせない戦略(参入しにくさの創造)を取るか不断の努力が必要であること、BOに安住せず新たなBOを探求する飽くなき姿勢も強調している。教授の見立てでは、日本は米国に次ぐ経済大国になってから保守的になってしまった結果、グローバル経済における存在感を失ったのではないかと指摘している。
日本は失われた30年などと自他ともに認めている感がある。高度成長期(需要>供給)にはマイケル・ポーターの競争戦略は機能したのではないかと私なりに解釈している。低成長期(需要<供給)には狙ったセグメントに訴求するような商品やサービスの創造が欠かせない。それは決して得意でもない成長しそうな市場や分野にリスクを忘れて飛びつくことではなく、ピーター・ドラッカーが喝破したように、「既存顧客の満足・既存市場での競争」と「新たな市場や顧客の創造」の両建てで企業運営していかなければならないということであろう。ポーターの競争戦略とBO戦略の使いどころを間違えずに「失われた30年」が過去のものになるように成長戦略に舵を切る時代は米中を筆頭に既に始まっており、日本でもその萌芽は漸く芽吹いてきていると感じる。