1932年に国際連盟は天才物理学者アインシュタインに「今の文明において最も大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」という依頼をした。アインシュタインが選んだ相手は心理学の大家フロイトで、そのテーマは「戦争」であった。『ひとはなぜ戦争するのか』は二人の往復書簡を収めた書籍である。
アインシュタインの主張は基本的には国際機関に立法と司法の権限を与えるという物理学者らしい力学的なものである。本書の解説でもアインシュタインを戦闘的平和主義者と称している。国際連盟、のちに国際連合と国際機関を設けて平和を創り出そうという試みは現代においても継続中である。しかしながら、現下のウクライナ紛争やイスラエルのガザ地区の戦闘、そして双方には当事者なりの理があり、それぞれに支援国がいる中においては、却って戦争を長期化させ、多くの無辜の民の血が流れ、命が失われ、生き地獄のような漂流難民を生み出している。
次にアインシュタインの主張は国際機関の決定に実効性を持たせるには権力が必要だと論じる。比較優位の軍事力などの権力がなければ、紛争を終結させることはできない。しかし、人はひとたび権力を手にすると手放さない生き物である。英国の歴史家ジョン・アクトンが喝破したように「権力は腐敗する」ことはこれまでも数々の歴史が証明しているところである。自己の利益と権力欲が結合することによって過去にもファシズムや共産主義など全体主義が蔓延った時代があった。二度の世界大戦が終結し、その後ソ連邦が崩壊して30年余り経つが、今も世界中にその亡霊が消えては彷徨い、また生まれては漂っている。
アインシュタインは攻撃が大切なものを守る最善の手段になることもありうると軍事力の必要性について言及している。誰しも戦争を良しとはしない。しかし、自身や国家の大切なものを守るためには銃剣(近未来はテレビゲームのコントローラーのようなものを握るのか??)を取ることは権利としても保護されるべきであろう。さもなくば、自身と国家の大切なものを守れずに蹂躙抹殺されるか、従属奴隷になってしまうのだから。
アインシュタインの書簡は最後に「破壊衝動そのものが人間の奥底に潜んでいるのではないか?」というフロイトへの質問で締めくくられる。
フロイトはアインシュタインの書簡に対して、まず、このように書き始める。「原始、人と人との利害対立は暴力によって解決してきたし、動物は今でもそうである」と。人間は他の大型動物に対して腕力では敵わないので、武器を考案して立ち向かった。時に自らとその家族・仲間を守るために戦い、また食料を得る手段として狩りを行ってきた。他の部族や敵に対しては容赦なく殺害もしてきた。それは相手に復讐させないためである。日本の戦国時代においても敵を根絶やしにしてきたが、それは大切なもの守るために(将来の平和を願って)生み出された人間の知恵だったと言えなくもない。
このように人間社会は長らく暴力によって社会秩序を保とうとしてきた。しかし、特定の個人の際限ない自由(願い)の延長は独裁者を生む。そこで弱い者が団結して強い者に対抗する手段を考案する。それは個人の野放図の自由を制限するための「掟」、つまり法の支配である。つまり、法の支配・民主主義とは「多数者の平和」への移行の手段なのである。しかし一方で、フロイトは「実は法律はその時代の権力者の力の反映でもある」と説く。個人の権利の延長線上に権力があり、その権力を維持拡大せんとすれば、それは暴力に行き着く。
フロイトもアインシュタイン同様に「永遠の平和を成し遂げる手段として戦争は決して不適切な手段ではない」と自説を書き記している。より大きな中央集権に向けてのプロセスであるという主張である。これも戦国時代の武将が天下泰平を希求して戦いに挑む姿と重なり合う。その意味で二度の世界大戦を経て焼け野原になった欧州によるEU結成は再発防止に向けた人間の果敢な挑戦であると思う。現下、EU各国では「極右」と称される政党が議席を伸ばしているが、これまでの巨匠ふたりの書簡から、安易に言えば「極左」は理想主義的過ぎ、「極右」は個人主義的すぎ。私は個人的には「保守派」である。保守派とは紆余曲折を経て、先人がこれまで創り上げてきた社会には人間の知恵が凝縮されているはずであるという立場である。勿論、それらを踏まえた上で、時代に即して変えるべきは変えていくという姿勢であり、昔に戻ろうといった懐古主義ではない。しかし、今の日本は失ってはならない大事な「日本らしさ」を敗戦及びアメリカの占領政策経て失ったのではないという気持ちは強い。
フロイトはアインシュタインの質問に対して、心理学者らしく、次のように答える。「愛の衝動と破壊の衝動は表裏一体である。外部への攻撃は、内面への破壊を緩和する作用がある。人間の攻撃性を戦争に向かわせないためにはエロス(定義は難しいですが、ルネサンス期のような真善美を追い求めていく衝動、人間らしさの再生って感じでしょうか)を呼び覚ます必要がある」と。
フロイトは締めくくりとして「人間社会は少数の指導者と多数の従属者によって構成される。それゆえ、優秀な指導者を養成するにはどうすればよいかということが課題になる。文化の発展によって人間の本能的な欲望の度合いは弱まってきた。知性を高めていくことで人間は衝動をコントロールすることが可能であろう」と。
喫緊、多くの先進国では出生率の低下が深刻な問題として取り上げられている。人間は破壊によって自滅するのか、絶滅危惧種のような形で消滅していくのか。
地球上における生命の歴史35億年からすれば、高々数十万年の人類の歴史は余りにも短く、人間100年時代と云えどもほんの一瞬でしかない。
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