2023年もあとひと月となった。あとひと月で清水寺貫主による今年の漢字が発表される。昨年の漢字は「戦」であった。2年連続で「戦」とはならないだろうが、2022年2月24日ロシアのウクライナ侵攻から始まった戦闘は終わる気配がない中、今年10月7日パレスチ自治区であるガザ地区のイスラム組織ハマスによってイスラエルへの奇襲攻撃が始まった。ロシアとウクライナの歴史は中世にまで遡るが、パレスチナにおけるユダヤ人とアラブ人の歴史は紀元前1230~1300年頃と言われる「出エジプト」まで遡ることができよう。しかし、その争いの歴史は第2次世界大戦後の1948年5月14日のイスラエル建国(日本は1952年に承認)から始まったと見るのが、現実的であろう。なぜなら、それまでのパレスチナ社会は様々な宗教が共存し、宗教は違えど隣人とのコミュニティは大きな摩擦なく存在していたからである(映像が残っている)。そのパレスチナ社会が崩壊し、多くのパレスチナ人が難民となったことがパレスチナ問題の発端である。
パレスチナとはそもそも西アジアの地理的地域を指し、通常はイスラエル、ヨルダンの西部の一部、およびパレスチナ自治区(西岸地区及びガザ地区)が含まれる。パレスチナ問題とは、パレスチナにあるエルサレムという都市がキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の聖地であることに起因する「宗教問題」を根源とする帰属問題である。
我々日本人にとって理解を困難にさせているのは「パレスチナ」と「パレスチナ人」の定義である。前者は前述した通り地域を指すが、後者は、一般にはパレスチナに居住するアラブ人を指すが、イスラエルはパレスチナ人を指してもっぱら「アラブ人」と呼ぶ。民族的に「アラブ人」と同一であっても、ユダヤ教徒なら宗教的には「ユダヤ人」と呼ばれる。そのため、イスラエルへの対抗として、パレスチナ人に対して「アラブ人」の呼称を使わないようにする呼びかけもある。「アラブ人」であってもユダヤ教徒は存在し、特にそのようなアラブ人はユダヤ人との共存を図ろうとしていた人が多いと言われている。
イスラエル国内法によれば、ユダヤ人の定義は「ユダヤ人の母から産まれ、あるいはユダヤ教徒に改宗した者で、他の宗教の成員ではない者」とされる。しかし、歴史的には2世紀前半ローマ帝国に征服され聖地エルサレムから追い出されたユダヤ人は世界各地に離散(ディアスポラ)する憂き目にあった。その後20世紀にはヒトラーのホロコーストにより600万人のユダヤ人が虐殺されたとされる。その結果、欧州に残るユダヤ人は100万人とわずかで、米国に600万人、イスラエルに690万人、その他旧ソ連圏など世界総計で1500万人程度とされる。日本人の1/8程度の比較的少数民族である。
しかし、世界に散っていったユダヤ人は艱難辛苦を耐え忍び、学業に励み、一身でその身と一家を支えて生き延びてきた。特にアメリカにおけるユダヤ人はたった2%に満たない極少数にも拘わらず、金融業界・メディア・ITなどの業界で圧倒的な存在感を放っている。日露戦争における日本の戦費や第一次世界大戦のイギリスの戦費を支えたロスチャイルド家、アメリカでFRB創設に関わったウォーバーグ家、ゴールドマン・サックスの創業者マーカス・ゴールドマン、ハリウッドの映画産業でその名を轟かすスティーブン・スピルバーグ、Bloombergのマイケル・ブルームバーグ(のちNY市長)、Googleのラリー・ペイジ、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Salesforceのマーク・ベニオフ、マイクロソフトのスティーブ・バルマー、スターバックスのハワード・シュルツ、Oracleのラリー・エリソンなど枚挙に暇がない。古くはイエス・キリストもユダヤ人。カール・マルクス、ウラジーミル・レーニン、アルバート・アインシュタイン、ノーベル文学賞を受賞したミュージシャンのボブ・ディラン、昨日100歳で亡くなったキッシンジャーもユダヤ人である。
今日のパレスチナ問題の主犯とも言えるのが第1次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交である。フセイン・マクマホン協定でアラブ人に国家独立を約束し、サイクス・ピコ協定ではフランス・ロシアと戦後のオスマン帝国分割を合意し、バルフォア宣言ではユダヤ人に国家建設の支援をするという「空手形」を切りまくり、現在まで続く対立の火種を作ったのは紛れもなくイギリスである。戦後はイギリスがパレスチナを委任統治領として統治を試みたが、最終的には手に負えなくなり25年間をもって委任統治を放棄し、結局は国際連合に託すこととなった。中東和平の表舞台にイギリスはなかなか現れないが、責任当事者として関係国を巻き込んで少なくとも停戦に導く努力をする義務を負っているはずである(現実には却って対立を深めてしまうので、出て来れない)。
1963年第3次中東戦争で大勝したイスラエルは領土の占領とアラブ人からの土地買収を経て、次々とユダヤ人の入植を進めた。独立から最初の4年間で(1948~1952年)人口が65万人から約130万人にまで増加し、1970年代に約10万人が移民に成功し、1989年以降は100万人以上がイスラエルに定住して事実上パレスチナ人を追い出そうと画策してきたことは否めない。今回先に手を出したのはハマスだが、ガザ地区を「天井のない監獄」にして追い込んだイスラエルにも責任を問う世論もある(メディアはイスラエルの攻撃により被害を受けるガザ地区の子供や女性を強調して流す傾向が強い)。
このユダヤ人の大量入植には国際法違反だという指摘がなされている。第2次世界大戦後の1949年に発効した国際法のひとつジュネーブ条約では、「占領下に置かれた弱い立場の人々の権利を守り、占領の固定化を防ぐ観点から、入植活動は違法」だと規定している。武力で他人の土地を奪い、そこに人を移住させてしまえば占領状態を解消することが難しくなるという考えからである。その意味で、多くのパレスチナ人の不満は正当性があり、イスラエル善・ハマス悪という二元論は支持されていない。お互い殲滅するまで戦いは終わらないと主張し合う関係では、一時の休戦も次なる戦闘の準備期間としか捉えられない悲しさがある。
1973年以降大規模な中東戦争は起きていないが、イスラエルとハマスの戦闘は周辺国や背後にいる関係国を巻き込んで拡大する可能性を秘めている。レバノンのヒズボラ、反イスラエル勢力のシリア、そのシリアのアサド政権を支えるロシア、その背後に見え隠れする中国、反米のイラン等をアラブ勢力と位置付ければ、一方でイスラエルを支援するアメリカはクウェート、バーレーン、カタールに基地を構え、エルサレムをイスラエルの首都と認めて米大使館をエルサレムへ移転、イスラエルがシリアから占領したゴラン高原領有を支持し、イランの核は許さず、イスラエルの核は黙認というダブルスタンダードをトランプ大統領からバイデン大統領に変わっても軌道修正する気配はない。イスラエル支持の母体とも言える福音派プロテスタント(米国の25%)やCUFI(イスラエルを支持するキリスト教徒連合)、ワシントン最強の圧力団体AIPAC(米イスラエル公共問題委員会)は民主党・共和党共に選挙に大きな影響を与える無視できない存在である。
このように見てくると、パレスチナ問題の発端はイギリスとは言うものの、さらに問題を先鋭化させているのはアメリカとも言える。グローバルサウスの多くの国々が親欧米から離反する動きがあるのは、過去の植民地支配の歴史に加えて、ご都合主義の大義名分が透けて見えるからであろう。アメリカが中東の石油に依存していた時代はここまであからさまなイスラエルえこひいき外交はしてこなかったが、シェールオイル、シェールガスを産出できるようになって、アメリカは10年前から世界最大の産油国になった。エネルギー輸出国にもなったアメリカは中東アラブ諸国におもねる必要がなくなった。脱化石燃料・脱炭素を謳うCOPもどこか石油産油国の力を削ごうという政治的な意図が見え隠れしていると感じるのは私だけであろうか。そして潜在的には20年以上経っても911が喉に引っかかる多くのアメリカ人にはアラブ=イスラムの方程式がちらついていることも見逃せない。
民主主義というのは難しいもので、選挙で選ばれなければ政権運営はできない。民意を無視して政治を行うことはできない。専制国家は御免だが、衆愚政治になるのも嫌だ。イスラエルのネタニヤフ首相は第6次内閣を組閣するほど長年イスラエルを率いてきたが、近年は宗教政党である「宗教シオニズム」や極右派「ユダヤの力」と連立政権を樹立しなければならない状況となっており、国内政治上、対外的に弱腰は見せられない立場に置かれている。
これまでアメリカの制海権のもと、アメリカの力を背後に苦労なく中東の石油を手に入れてきた日本は、これからアメリカの後ろ盾無しでエネルギーを調達してこなくてはならない。再エネを含め代替エネルギーに転換できるまでにはだいぶ時間がかかる。これまでのようにアメリカのコバンザメでいては中東諸国、イスラム諸国の反感を買ってしまい、協力が得られなくなることをしっかり認識して外交に当たらなければ、大きく国益を損ねてしまうことを肝に銘じる必要がある。イソップ寓話のずる賢いコウモリを持ち出すまでもなく、主体性が無い者は、やがて誰からも信頼されなくなる。日本の外交の基軸は「国連中心主義」「日米同盟」「アジアの一員」だそうだが、我々世代の歴史授業と同様に、ここには中東もなければ、イスラムもない。この外交方針はとっくに経年劣化していると言わざるを得ない。
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