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イプシロン3度目の正直とMRJ3回目の開発遅れ

2013年9月18日 at 5:28 PM

宇宙航空研究開発機構(JAXA)とIHIエアロスペースが開発したイプシロンロケット試験機が2013年9月14日14時、2度の延期を経て無事に空へと飛び立った。当初は8月22日の打ち上げ予定であったが、信号中継装置の誤配線により延期され、同月27日の打ち上げ予定も自律点検装置がロケットの姿勢異常を誤検知したため、打ち上げ19秒前にカウントダウンが中止され、再延期されていた。私は27日のTV中継を見ていたので、管制塔のカウントダウンがZeroになっても噴射も水蒸気も轟音も出ない画面にあっけにとられていた。現場で発射を疑わずに長時間待っていた子供たちの不安な顔がとても印象的だった。

イプシロンロケットは、2006年度に廃止されたM-Vロケットの後継機として2010年から本格的に開発が始まり、全体設計に新しい技術と革新的な打ち上げシステムを採用することで、簡素で安価で即応性が高くコストパフォーマンスに優れたロケットを実現することを目的に開発され、最終的にはM-Vロケットの約3分の2の打ち上げ能力と約3分の1の打ち上げ費用(30億円以下)を実現することが具体的な開発目標だそうである。新たに開発した搭載点検系の機器と簡素な地上設備をネットワークで結んで自律点検機能を持たせることにより、数人とパソコン数台でロケットの打ち上げ前点検や管制を行うことが可能となり、原理的にはインターネットを通じて世界中のどこからでもパソコン1台(もう1台はBack Up)で全ての管制が可能とのことである(セキュリティ上から現実的ではないが)。

正直2回目の失敗をTV画面で見たときはガックリし、日本の技術はどうした?とその瞬間思ったが、新しい挑戦には失敗はつきもので、これから新興国がこぞって通信衛星を上げることになれば日本の技術力がコスト競争力をもって新しい市場を切り開くことになることを大いに期待している。逆にこれまでこういった今後成長が期待される新しい市場に日本の技術力のベクトルが向いてなかったのではないかという印象を持った。今後の商用化の中で今は日本が弱いとされるハッカー対策やセキュリティ対策を施して国際競争力のある、万全なシステムを構築して欲しい。リーダーの森田氏は打ち上げ成功後に「打ち上げるまでに異常対応の手順を100以上考えてきたが、それらがみな無駄になった」と笑顔で語った。

もうひとつの期待のビジネスであるMRJ(Mitsubishi Regional Jet)であるが、そもそもは2002年経済産業省が推進する事業の一つであった新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が提案した計画をベースとして、三菱航空機が独自に進める日本初の小型のジェット旅客機である。日本が独自の旅客機を開発するのはYS-11以来40年ぶりなので、航空機ファンならずとも期待は相当大きいものがあろう。

2008年に三菱航空機は事業化を発表し、9月の時点では2011年に初飛行、2013年に納入を開始する予定だった。1年後の2009年には胴体と主翼の設計変更に伴い初飛行を2012年第2四半期に、初号機納入を2014年第1四半期に見直した(実はJAXAも機体開発に協力している)。そして更に3年半後の2012年4月には、開発並びに製造作業の進捗の遅れから、試験機初飛行を2013年度第3四半期に、量産初号機納入を2015年度半ば~後半に延期になった。そして今年2013年8月22日には装備品について、パートナー各社と協力し、安全性を担保するプロセスを構築することに想定していたよりも時間が必要だとして3回目の開発スケジュール(試験機初飛行予定を2015年第2四半期に、初号機納入予定を2017年第2四半期に)の遅延を発表した。

実に事業化発表後5年間に初号機納入が4年も遅れたということである。素人目には飛行機を飛ばすのとロケットを飛ばすのは技術面から言えば、後者の方が難易度が高いと思うのだがどうだろう?しかし、事業化には多くのパートナーの存在があり、その関係者の一体感の強弱がプロジェクトの成否の大きなファクターになっているのではないかと推測する。企業で言えば共通の志・社内の風通し、社外との関係で言えば信頼関係・責任感。新たな挑戦に対して賛辞は惜しまないが、グローバルな連携が不可欠なプロジェクトが増える中、他山の石となる事例である。

台北紀行

2013年9月14日 at 5:23 PM

まだまだ暑い日が続いていますね。言い訳になりますが、暑さのせいですっかりブログの更新をさぼってしまいました。早く涼しくなって外へも繰り出したいですね。

今月の初週に台北を訪れました。出張では何十回となく訪問した台北ですが、観光する機会はほとんどなく、それまでは故宮博物館と北投温泉くらいしか行っていませんでした。

今回は3泊4日。一番の目的は私が社会に出たての頃に以降の生き方・考え方に影響を与えてくれた(私の中の)3聖人のうちのお一方に10年ぶりにお会いする為でした(他のお一方は私が駐米中に鬼籍に、もうお一方はご健在)。御年77歳になられるこの方からは自由奔放に生きるエネルギーを教えていただきました。今でも私以上にお元気で、10年の歳月を経てまたまたエネルギーを注入していただくことと相成りました。鬼籍に入られた方からはダンディズムを、そしてもうお一方からは論理的な思考を教えていただきました。いずれの方も私に教授したという意識はなかろうかと思いますが、若かりし頃の私が社会を生き抜いていく上で掛買いのない財産を勝手に頂戴したものであります。私自身成長していく過程で以降人生の基本的な教えをいただく方にお会いすることはなくなりましたが、若かりし頃にこういった方々にお会いしたことは紛れもなく今の私の存在を確かなものにしてくれています。感謝感謝です。

台北に滞在中、圓山大飯店、孔子廟、科学教育館、国民革命忠烈祠、228和平公園、龍山寺、中正紀念堂、淡水、象山、総統府、国父紀念館などを回りました。街々にあるお寺には常に参拝客が大勢訪れていて、その信仰心の高さに驚きました。地下鉄では博愛席というSiver Seatには空いていても若者は座りませんし、お年寄りにもすぐに席を譲ってあげていました。儒教の精神はきちんと受け継がれています。孫文(中国では孫中山)や蒋介石(台湾では蒋中正)の存在はあの銅像ほどの大きさがあるかどうかはともかく、少なくとも孫文の悪口を言う人には私は会ったことがありません。中華民国の建国の父の威厳はいささかも損なわれていることはありませんでした。(ちなみに私の卒論は孫文の辛亥革命を日本で支援した宮崎滔天の息子で、のちに各方面に多くの人材を輩出した東大新人会に所属した宮崎龍介という人の人物研究でした。宮崎龍介は1927年蒋介石と日中連携を意図して会談しています。)

国民革命忠烈祠は、誤解を恐れずに言うとすれば日本でいうところの靖国神社みたいなものです。辛亥革命を始めとする中華民国建国および革命、抗日戦争などにおいて戦没した英霊を祀る祠で、文烈士祠、武烈士祠約40万人余りが祀られています。実は安倍総理は3年前にここを訪れています。その当時は馬英九総統は総統府で歓迎レセプションを催し、中でも唯一忠烈祠に祀られている日本人の山田良政(辛亥革命に協力した日本人で1900年10月に清に捕えられ殺害された最初の日本人とされる)について安倍(当時元)総理は説明を受けたと報道されています。今回、私はそういった施設を訪れてそれぞれの国を、一部にはアジアの将来を想って英霊となった皆様に合掌してきました。

当時のアジア各国の知識人達は西欧列強にアジア分割植民地化されるという強烈な危機意識の中にいたと思います。孫文は1924年神戸で日本に対して大アジア主義の主張を呼びかけたことも、一方で日本政府内における欧米列強への対抗策が北進論・南進論であり、最終的には大東亜共栄圏という形に集結されていったことも、根っこは同じところにあったと思います(今回訪問した総統府内部見学では吉田松陰から井上毅までその思想が受け継がれたと流暢な日本語で説明された)。それぞれの人達の想いとは違った形で第二次世界大戦敗戦を日本は迎えます。勿論私は戦争を肯定する立場ではありませんし、歴史の事実は大事です。それにもまして、何が人を突き動かしたかが問題の本質であると私は思っています。これからも歴史を顧みつつ、将来がより良い未来となるように、今はぶつかり合って牽制し合っている東アジア諸国が前を向いて進んでいけないものかとの思いを新たにした台北訪問でした。

観光立国日本へ(その2)

2013年8月6日 at 4:39 PM

お気に入りのTV番組のひとつにテレビ東京の「YOUは何しに日本へ?」というのがあります。日本の国際空港に居合わせた外国人に問いかけて、気になる返答をした人(番組内では性別・年齢問わず名前ではなく『YOU』と呼称)に密着取材をさせてもらうといった企画の番組です。最近は外国人がいないであろう日本の田舎にも行って、住んでいる外国人を探し出して「Why are you here?」とインタビュー行う企画もあります。

私がこの番組を好きな理由は多くの外国人に日本を好きになってもらいたいし、好きと言ってくれる外国人の人は日本のどんなところが好きなんだろうということを理解したいからです。多くの外国人が日本を好きで、住んでくれて、あるいは文化に興味を持ってくれて、旅行に来てくれて、また来たいと言ってくれて、普通の日本人以上に奥深いところまで勉強してくれていて、時にこちらの不勉強を思い知らされたりするのが楽しみです。

サラリーマン時代には他者を寄せ付けない「忙し顔」をしていたからか、あまり街中で外国人の人に話し掛けられることはなかったのですが、今はFreelanceで余裕を持って歩いているせいか、先日は御成門駅で声を掛けられました。英語ではありましたが、カタコトでしたので、英語を母国語とする方達ではないのでしょう。見た感じとアクセントから多分スペイン語系でしょうか。可愛い娘さんと夫婦ふたりの3人家族で日本に旅行に来たようです。私のImageでは彼らの質問に流暢に答えて、じゃあEnjoy in Japan!と笑顔で別れ、日本にさらに良い印象を持ってもらった満足感に浸って家路につくつもりでいました。

質問は至って簡単で「銀座に行きたい」ということでした。ところがこれが結構難題でした。今や皆SuicaやPasmoを使っているので、切符を買うことはありません。でも彼らは切符を買わなければなりません。そして御成門から銀座に行く最短ルートは都営三田線で西高島平方面に向かって日比谷に行って、そこで営団地下鉄日比谷線に乗り換えて北千住方面に向かって銀座で降りるということです(そもそも地理感覚と地名を知らないと日本人でも口で言われて一回ですんなり頭に入っては来ないですよね)。これもスマホで調べればすぐ出てくるのですが、切符を買わなきゃという意識が強く働きすぎて、券売機の上のスパゲッティのような路線図を指さして260円掛かるよと言うのが関の山。待てよ、都営と営団は別料金だっけ??券売機で乗り換え駅を間違えて押すとまずいぞ、その券売機の画面は彼らが悪戦苦闘したのを物語るかのように英語表示になっていて、駅名表示は見にくいことこの上なし。。。。

時間が掛かっている言い訳を英語で呟きながら四苦八苦していると、父は「銀座はTaxiでいくとどれくらい?」、あまり違っても迷惑になるだろうからと色々考えていると「大体でいいから」と督促される始末、「1500円くらいなかあ」と当てずっぽうで答える。じゃあタクシーで行こうと家族同士で納得し合ったらしく、目の前から消えていきました。今、Taxiサイトで調べたら980円と出ました。結論から言えば、Taxiで行くのが料金的にも時間的にも正解だったと思うのですが、自分のImageと全くかけ離れた情けない状況になってしまい、打ちひしがれてしまいました。

もっと外国人観光客に優しい鉄道にしましょうよ!とJR私鉄各社に呼びかけたいです。券売機で行きたい駅名がアルファベット順に並んでいて簡単に切符が買えて、切符には乗り換え案内が外国語表記されるとか。今は3人の家族が日本を思う存分楽しんで、良い思い出を作って帰国して欲しいと願うのみです。

Hiroshima Girls

2013年8月6日 at 3:47 PM

被爆地・広島は今日、68回目の原爆忌を迎えました。恥ずかしながら昨夕のTVで私は初めて「Hiroshima Girls」なる存在を知りました。1945年8月6日8時15分、広島に原爆が投下され顔や首や腕にケロイドや身体障害を負った少女25人が、その10年後の1955(昭和30)年5月5日、山口県の米軍岩国基地から、一機の輸送機に乗ってニューヨークへ飛び立ちました。これは米国人ジャーナリストであるノーマン・カズンズ氏らの呼びかけで彼女らに米国で最先端の医療を受けてもらう為に実現したものでした。

TVで紹介されていた笹森恵子(しげこ)さんはその一人で、皮膚移植など回復手術を何十回と受けられたそうですが、首や唇にはその痛々しい痕が残っています。笹森さんは後年ノーマン・カズンズ氏の申し出を受けて養女になる決断をし、米国で教育を受け、お子さんも授かり、看護師の仕事の傍ら、世界各地で英語による被爆体験証言活動を続け、命の大切さや平和を伝える活動に取り組んでいるそうです。

25名のHiroshima Girlsは皆さん高齢になられて既に亡くなった方も少なくないと聞いていますが、突然の想像を絶する被爆という不幸に見舞われ、一方で原爆投下した当事国アメリカのジャーナリストに手を差し伸べられて、その自らの人生を生き抜いて来られたという数奇な事実に複雑な思いが過ります。今年になって日本へ帰国されたと聞いています。

同じ過ちを繰り返してはならない事は言うまでもありませんが、人間が過ちを犯すことも逃れようのない歴史の事実です。過ちそれ自体も加害者と被害者の立場によって不可避であった、いや回避できたと意見が異なる場合もあるでしょう。過ちを劣化させることなく伝えていくこと、そして少しでも過ちと感じたならば、その罪をどういう形で償うのか、そしてそれぞれの運命と向き合い、最後には人の過ちを許せるか。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は孔子の記した『孔叢子』刑論の「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」から来ていますが、キリストの教えである聖書(ヨハネ福音書8章)にも「Hate not the person but the vice」とあります。時間は掛かることでしょうが、解かり合う道は決して暗黒ではないと信じます。

話はちょっと飛びますが、高倉健が擦り切れるほど読み込んだと言われる座右の書「男としての人生――山本周五郎のヒーローたち」(木村久邇典著、グラフ社)の中に
『ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら
ーここまではゆるすがここから先はゆるせないということがあれば
それは初めからゆるしてはいないのだ』という一節があるそうです。

道徳の教科化を考える

2013年7月14日 at 1:24 PM

第二次安倍政権で道徳の教科化の方針が出されました。最初に私が抱いた疑問は道徳の時間がいつ無くなったんだろうというものでした。どうやら今でも週1時間の道徳の時間はあるようですが、教科ではないので教科書がなく、その貴重な時間も職員会議を理由に自習となったり、運動会などの行事の予行演習に充てられたりして実質形骸化しているようです。第一次安倍政権の2007年にも「徳育の教科化」の方針を打ち出したようですが頓挫してしまったようですから、安倍さんとしては今度こそ!という意気込みでしょう。

いじめ問題の対策の一環としての位置付けもあるようですが、いじめそのものは昔から至る所にあり、近年陰湿化・悪質化してきた面もあるかもしれませんが、一方でいじめられる側の抵抗力の問題やその周囲の対応にも大いに問題が潜んでいて、子供達だけの問題として捉えるべきものではなく、大人と子供の関わり合い、自分さえ良ければいいというような大人の社会が抱える問題も少なからず影を落としているものと思います。

私自身は道徳の教科化には賛成しかねます。教科ということは教科書があって、教師にこういった方向に導くようにといった指導要綱があり、点数化があり、どうしても恣意性を抑えることが非常に困難に思えるからです。しかしながら、道徳教育の充実は必須だと思います。今や一般教科は塾の方がうまく子供たちの好奇心を刺激して効果的に成果を出しているものと思います。そうは言っても「じゃあ学校なんてやめたら」という極論意見にも賛同できません。学校教育という中で培うべきものは学力以外にもあります。最近びっくりしたのはゆとり教育を経てきた20歳ちょっとの若者に泳げない人が多いということ。学校で水泳の授業はあったそうですが、泳げる子はプールの端から端へ順に泳がせて、泳げない子はロープで隔離され水を怖がらない程度の水遊びをやっておしまいだったそうです。船に乗っていてそれが転覆したら自力で救助が来るまで何とか生き延びる力まで養わなければ水泳の授業をやっても意味ないです。少なくとも私はそう思います。

道徳の時間(授業ではいけないです)も一つの題材を皆で議論しあって、色々な意見があることを知り、それらを聞いて、自分の意見に修正点があればそれを行って、自分の考え方・他者との関わり方などを学ぶ時間にすればいいのです。人の痛みをわかるようになれば、少しはいじめは減っていくとは思うのです。妬みや恨みが醜いことも体感していってほしいですね。自分がより上を目指すのは良いとして、他者を貶めて自分が相対的に上がっても何も得られません。幼児の時に親の価値観で選択された色々な絵本を読むでしょう。これも道徳のはしりでしょうが、学校に入ってそれを学校に丸投げして良い子ができるのを期待するのは親として落第です。順番で行けば親が死ぬまで子供との関わりは続くわけですから、家庭内や課外の色々な機会を通じて親子共々成長していきたいものです。学校では同年代の人達との共通体験を通じた体と体のぶつかり合いや親以外の価値観を持った大人との意見交換を通じた関わりの中で、より自制心と社会性を持った大人に成長していく機会を提供できるはずです。

確か高校時代には「倫理」という授業もありました。倫理の意味は大辞林では「人として守り行うべき道」とあります。道徳よりも上等な感じがします。哲学の問いにも繋がる根源的な疑問が出てくるでしょう。道徳もそうですが、伝統的な日本の考え方を基礎に行っていくだけでは世界がこんなに狭くなった時代にそぐわないものもあるでしょう。倫理の時間に世界貿易センタービルを襲ったアルカイダの911事件を議論するのもいいでしょう。1時間でひとつの結論に行き着くなんてありえません。それぞれがどう考え、それぞれがいくばくかの自分自身の血と肉になればそれで良しです。自分の時間でもっともっと深く探究することも結構。物事を考える取っ掛かりになる程度が道徳の時間であり、倫理の時間であると思います。

道徳は戦前の修身が大本になります。全教科のうち最上位に位置付けられたのが修身です。植民地戦争が激しさを増す中、軍国主義下で政治色を強め、忠国愛国一色に染められてしまいましたが、政治利用されることなく道徳の時間が復活してくれることを願います。教師だけにその任を負わせることなく、経験豊富な社会人にも参画を求めていくのはアイデアとしてあっていいと思います。

東電株主総会

2013年6月26日 at 6:17 PM

代々木第一体育館で物々しい警備下、東電の株主総会が今日行われました。入場株主は荷物検査を課され(とは言っても空港の出国検査程ではありません)ての入場です。入り口前には多くの市民団体と思われる方々が各々の株主提案に賛同してもらおうとビラを配っていました。会場に入って東電役員の顔が見えるところでと思い、前の方に進むと「提案株主席」に気づかずに座りそうになり、その一列後方の真ん中に着席しました。三々五々集まる「提案株主」の皆さんは顔見知りのようで、それぞれ挨拶を交わしています。総会開始前段はお決まりの進行でしたが、時折経営側への怒号が飛び交うだけでなく、株主間で怒号が飛び交っています。原発反対派、古い原発の廃炉推進派、原発再稼働派あるいは東電関係株主、一般株主となかなか単純に色分けできない複雑なStake Holderの面々です。

既に夕刊で報じられていますが、結果は全て株主提案は否決され、経営側の意向に沿った決議となりました。The資本主義の結果と言ってしまえば当然ですが、一方で何か無力感のようなものも感じます。先般の都議選の投票率は低かったですが、行かなくても結果は変わらないという多くの方々と同じ脱力感を想起させました。

経営者側で壇上に登っていた方々は60~70名いたでしょうか。最前列の23名は会長以下全員男性でした。最後方の左隅に一名の女性を確認しましたが、その方は株主数と有効株個数を説明するためにいた方です。一方対照的に、株主提案の趣旨説明に立った10数名のうちの9割近くは女性でした。技術的な独自提案を説明されたEngineerと思しき男性もいらっしゃいましたが、女性が圧倒的に多かったです。私に質問の機会を頂戴できたとすれば、役員に3割くらいは(5割でもいいのですが)女性を入れたらどうかと提案したでしょう。それくらいまるで男性理論対女性理論のように見えた対立構図です。

質疑は途中で打ち切られ3時間半ほどの株主総会は主催者側の思惑通り(想定の範囲内で)終了しました。沢山の質疑応答がされましたが、公平に見てまともに回答した役員は非常に少なかったと言わざるを得ませんでした。質問論点の急所をかいくぐり想定問答集に沿った回答は少なくとも誠意を感じられるものではありませんでした。3.11以降にその職に当たられた経営陣にしてみれば火中の栗を拾ったのに、何故ここまで過去の経営者の無為無策の責任を背負わせられるのかと思っていたかもしれません。何とか切り抜けて無事総会を終わりたいという気持ち、それが明らかに表れていました。一般株主もそれを十分わかっています。国策で進められた原発の大事故。炉心融解、放射能漏れ、冷却水処理、放射能がれき、作業者の被曝、被災者への対応と後処理だけでも大変です。東電だけでは無理です。原因と責任を明確にした上で、東電で責任の持てる範囲に限定して株式会社の責務を果たしてもらいたいです。東電を矢面に立てて国の責任をうやむやにするのはやめてほしい。新規原発についてはしっかり時間を掛けて安全性を高めていくべきです。成長戦略/金になるからと焦って海外に売り歩くのはどんなもんでしょう。各国の大統領や首相が経営者団体を引き連れて官民商談しています。全部を否定するものではありませんが、やはり金より大事なものがあるはずです。

質疑に立ったひとりの女性の話に目頭が熱くなりました。質問既定時間の3分間一生懸命訴えていました。3人の子育てをされて、現在は介護の仕事に就いている方です。原発の近隣に住まわれていた方で20数年前から東電に「原発は本当に大丈夫なのですか」と問いかけていたそうです。その度に東電は「飛行機が落ちても、地震が起きても大丈夫」と所謂『安全神話』を語っていたそうです。証券会社からは「東電は大丈夫」と言われ、主人には反対されたけれども当時40数万円の東電の株を買いましたと。今日は会社を休んで初めて総会に来ましたと、こんな普通のおばさんをここに来させるほどの状況になっているにもかかわらず(経営者の皆さんは立場上本心を言えないこともあるでしょうと理解を示しつつ)、これまでの話は結局お金の話ばかりじゃないですか。私は命の話をしているんです」と時折笑いも誘いながら、しかし毅然と言い放ちました。

安倍首相は2020年までに、指導的地位に女性が占める割合を30%以上にすると述べられましたが、それでは遅いです。選挙でも「景気の問題」が一番の争点となることが多いですが、それは表層の問題であって今世界で抱えている問題の根っこの多くは実はお金の問題ではなく倫理の話なのです。特に高度成長期を終えて安定成長期に入った社会では、それを構成する人々の割合と全く異なる構成人員で社会(あるいは会社)を運営することの危うさを認識しなくてはならないと思います。なるべく多くの人が社会参画できるように皆選挙でも一票を投じて欲しいです。まだまだ日本は多様性とは程遠い状況で、これらを放置しておけば日本の国際的地位はさらに低下していくこと必至です。

Carbonless EnergyとMoneyの話

2013年6月22日 at 8:44 AM

最近ブログに対してMailやLINEでいくつかコメントを頂戴しました。PositiveなFeed Backなので書いている本人にしてみれば嬉しいのですが、反面ちょっとしたPressureでもありますね。あまりサボってもいられない気分になります。調達購買が専門の「調達科学研」ですが、調達購買を広く捉えていくと政治経済の問題に波及していきますし、もっと広く捉えれば人間の本性、地球規模の問題、人類の幸福とはという命題に至っていきます。私の専門分野はセミナーやコンサルティングの中でお話してまいりますので、ブログではちょっとはめをはずすことをお許し下さい。

株主総会が今週から来週にかけてPeakを迎えるようです。アベノミクスに乗じてという訳ではないですが、考える時間に余裕が出来ていたので、資産運用Portfolioの一環で、いくつか成長が見込まれる応援したい企業の株を昨年買っていました。株主総会のご案内の手紙が来ましたので、時間が許す限り経営者の生の声を聴くという意味において参加するようにしています。昨日は日立製作所の株主総会に出席しました。社長の中西さんは以前氏が合弁子会社のHGST副社長時代に仕事の関係でSan Franciscoの本社でお会いしたことがあります。その時のご対応、その後のMailでのFollow Upなど丁寧に応対頂いたので非常に好感を持っていました。本体の社長になられてからは果敢に事業の選択と集中を進められ、将来これからの「日立」の姿を形づくられているだけでなく昨年度4.7%の営業利益を実績として出されています(一部株主からは中期計画の5%目標に達していないのは努力不足と叱咤される場面もありましたが)。

株主総会では業績報告や決議案件、当社の課題などが一通り説明されますが、なんといっても株主総会のMain Eventは質疑応答の時間です。ここでのやりとりは、株価のちょっとした動きだけを睨んで日中売り買いを繰り返しているDay Traderの方々には感じられないであろう、会社の品格というものを感じ取ることができます。初っ端の質問は国際環境NGOのGreenpeaceの方から、十分練り上げた原稿を滔々と読み上げ、要は「原発はやめなさい」という趣旨の半ば団体のアピールも含めての発言(会場前では「原発メーカーの日立の株主総会の会場はこちら」という黒地に黄文字の案内看板をおどろおどろしく掲げていました)。それ以降の質問者の半分の方々もそれぞれ表現は違いますが同様な趣旨の発言をされていました。3.11の傷は簡単に癒えるものではありません。心情的には良くわかります。それらの抗議とも受け取れる多くの質問に対して、担当の役員と中西社長は「原子力発電を将来に亘っての重要なエネルギー源」としてこれからも安全対策に注力し推進していく、「決して(死の灰をばら撒くような)恥ずべきことをしているのではない」と決意を語られていました。

他の質問や応援の発言など多々出ましたが、感心したのは応答した全ての役員が株主をまっすぐ見据え自分の言葉で真摯に語っていた点です(勿論想定問答の準備はあったでしょうが)。こういった場面で決算報告書などの書類に現れない会社の品格というものを感じることが出来ます。私自身3.11以降、当分原発再開はないと思っていましたし、あのような事故が起きるとどうしてもNegativeな感じを持たざるを得ないのは仕方のないことだと思っていました。

そんな折、Columbia大学のJeffery Sachs地球研究所長の話を聴く機会がありました。教授曰く「近年CO2濃度は400ppmに達し危険域を超えている。過去300万年での推移は200~300ppmの間を行き来し寒冷期と温暖期を交互に繰り返していた(過去300万年のDataってあるんですね??)」。要は近年の温暖化は自然サイクルを大きく超えていて、「CO2濃度が倍になったら温度は3~5℃上昇し、海面が数m上昇、その結果100を超える沿岸都市が海に沈む」「CO2が海水に溶けて酸化し、食糧確保が困難になる。窒素化合物が水に流れ込んで汚染を引き起こす」。教授は【ANTHROPOCENE】という新語を用いて、人類が自ら人類の世紀に終止符を打つことに警鐘を鳴らしています。勝手に北斗の拳風に言えば「お前はもう死んでいる」と手遅れかもしれない懸念も表明していました。

地震の頻度は過去からそれほど変わっていないそうですが、異常気象と呼ばれる洪水、台風、干ばつ、竜巻などの発生件数は過去の頻度の数倍に上っている数字も出されていました。つまり代替エネルギーを考える時に経済計算で考える時は過ぎていて、すぐにでもCarbonless Energyに代えていかないと地球はあと30~40年しかもたない。それは新興国にはできなくて先進国がやらなければならない義務であり、挑戦であると締めくくっておられました。原発反対を唱える方々がArmishのように一切電気を使わない生活をされるのであれば一貫性はあると思いますが、電気のない生活が出来ない多くの人達は本当に真剣にエネルギーの節約とCarbonless Energyへの切り替えを行わなければならないと切に感じた講演でした。

前段で揶揄したDay Traderが操るMoneyも個人の眠れる金融資産であったり、大切な老後を支える年金基金であったりと個人個人にその意図は無くともMoney Gameに一役買っていたりするわけで、身の回りの事柄とそれを取り巻く大きな仕組みの両方を見極めて身を処していく必要がありますね。来週は東電の株主総会に行ってきます。

梅雨入り宣言と予測精度

2013年6月3日 at 3:04 PM

気象庁は今年平年より10日早い関東甲信地方の梅雨入りを5月29日に発表した。しかしながら、天気は至って良好。東京は一週間先まで雨の降る予報はない。もしかして気象庁そのものも早まったと後悔しているかもしれない。普段から気象庁の予測精度はあまり期待できないと思っている人は少なからずいると思うが、かと言って天気予報を見ない人は少数であろう。運動会やBBQ、そんなイベントを前にして天気に無頓着ではいられまい。

このお天気ビジネス、Needsはあるが、顧客の満足できるレベルに至っていないので、設備投資が掛かるものの、まだまだ新規参入の余地のある業種であると言える。実際、特定顧客に対してより精度の高い情報を提供している会社はあるし、コンビニの弁当の仕込み量や飲料水の仕込みはそういった情報に大きく依存している。

私は今日は外出する予定は無かったが、梅雨の合間の晴れ間にしては随分ピーカンなので、たまに気分転換に出掛ける近くの大池公園に散歩に行ってみた。いつもように公園遠周を歩いていると、正面からランニングの女性がこちらに向かって走ってくる。ゆっくりのスピードなので、特に目を留めることもなくさっと視界から過ぎ去っていく姿のはずであるが、なんとその女性は少し驚きの表情を浮かべ、今までしたこともないのではないかと思われるムーンウォークで後ずさりし、踵を返す形で右手の小道に走り去っていった。まさか私を見て恐怖を感じた訳でもなかろうが、気に留めることもなく歩きすすむと、彼女の行動に合点がいった。体長1m以上もある蛇が舗装された小道を横断中であったのだ。鎌首をあげることもなくスルスルと身をくねらせて進んでいくので、しばし足を止めて「一体、どこへ向かうのか」観察したくなった。その大蛇(横浜では大蛇の部類かと)はPaceを変えることもなく我が道を行くかのごとく池の方向に向かっている。果たして最後は池に入るのか?私も距離を保ちながらそっと池の方向に歩み寄っていく。

大蛇は池の手前までいって、その石積みの段差にびびったのか、右へ逸れて池の周りを少しなぞったあと、来た方向の草むらへ舞い戻ろうとする。水は嫌いか? さてもう少し見てみようか、見るのは止めて先へ行こうか少しの逡巡があった時に、回りの動物の鳴き声に気付いて回りを見渡すと、周囲には7~8羽の鳩が私を囲むように手摺の上に、あるいは池の石積みに集まってきている。そのうちの1羽か2羽が聞きなれない奇妙な鳴き声を発したかと思ったその次の瞬間、池の向こう岸から何十羽もの鳩がヒッチコック「鳥」宜しく私の方へ猛烈な勢いで飛んできて頭を啄まんばかりに羽を大きく広げて着地態勢を取っている。その羽音の大きさに直感的な恐れを感じた私は、その場を一目散に逃げ去った。よかった糞をかけられなくて・・・・

多分、鳩たちはこれまでの経験から池の近くの人間は餌をくれるものと思い込んで、仲間を次々と呼んでいたのであろうと勝手に解釈した。でなければ、鳩に襲われる謂れも心当たりもない。

蛇に近寄り観察、鳩がたかってきて、そこから逃げ去るという、平日の平和な公園では全く想定外の数分の出来事であった。事が起こった今ですら現実だったのかどうなのかさえ定かでない。鳩にあんなに恐れを感じたこともない。

予測とはかくも脆く困難厄介極まりないものである。天気は悪い方に外れれば怒りたくもなるが、良い方に外れたら人間はその結果に寛容なものである。製造業の需要予測も上方修正には何とかやってやろう、お客様をお待たせしてはいけないとMotivationが上がるが、下方修正の場合は注文キャンセル、残材処理と全く後ろ向きな仕事で、かつお客様には何一つBenefitを差し上げられない。いっそ需要予測なんてやめたらという気分になる時もあるが、投資判断ともなれば、ある程度長期に亘る需要予測無しではビジネスは成り立たない。需要予測と同時にどういった販売戦略でどの程度シェアを取るかといったまさに製販一致した腹落ちした計画を立ててしかるべき責任者が責任を持って進めるべきものである。既存事業の場合はその経験と知見も積まれているので、そんなに大きく外れるものではないだろうが、全く新規の事業となると非常に困難な作業になると思われる。その際の最大のRisk Managementは多くの人の意見を聞くことである。様々な経験や知見、趣味、人脈、多様な人がいればいるほど、予測の確度が高くなる。少なくともRisk Factorを明らかにすることはできる。大企業でも中小企業でも企業の大きさを問わずいつも決まった人が意見を引っ張り、限られた経験とバイアスの掛かった判断で結論に持っていくことや、いつも同じメンバーで寄り集まって肝心な核心議論が抜け落ちて結論に至ることが一番危険である。会社組織の風通しの良さこそが予測困難な状況に際してRiskを避けて前へ切り開いて進むことのできる最大の武器である。No Risk, No Returnとはそういった回避策(戦略とは如何に戦をせずに勝つかということ)を充分取った上での不退転の決意を示すのであって、それなしでは単なるギャンブル。最後は天から糞が降ってくる運命が待っている。

観光立国日本へ

2013年5月16日 at 11:36 AM

昨日の日経新聞夕刊に「電車は時刻通りに正確に来るし、町は清潔で空気もきれい。治安が良く、深夜でも女性が普通に街を歩ける。人は優しくて親切だし、食事は美味しい。生け花や茶道にはおもてなしの心が込められている。能や文楽などの伝統芸能は奥が深く、惹きこまれてしまう。トイレは冬でも暖かく、温水洗浄便座は画期的な発明だ。織物の伝統は建築設計の進化にも通じる」と留学生のスピーチでの日本の印象が書かれていました。

私もアメリカ生活を11年半経験したり、色々な国を訪問したりしたので、日本の良い点、これら本当にそう思います。そして留学生の方がそのように感じてくれたことをとても嬉しく思いますし、沢山の方にそういった想いをもってもらいたいと思います。

あるランキング調査によると、行ってみたいとする日本の国の魅力は第3位だそうです(ちなみに第1位はイタリア)。しかしながらInboundの実数は第30位だそうで、最近は国を挙げて誘客をしている韓国に追い抜かれたそうです。日本にはこれまでの円高で来にくかった面もあるとは思いますが、アベノミクスで円安に振れましたし、どんどん観光客の皆さんに来ていただきたものです。最近ではタイの方など海外からの観光客が本場のラーメンを食べに来られるようですが、私も赴任期間中、日本に出張で来て、一番食べたかったのがラーメンでした。日本の食文化のみならずおもてなしの心など、どんどん日本の良いものを輸出して、本場の日本にも遊びに来てもらって日本を経済・文化両面で活性化したいですね。

昔、竹村健一氏が「日本の常識は世界の非常識」なんて言ってましたが、良い「日本の常識」を「世界の常識」にしていく努力もしていきましょう。上述のなぜ日本に来たいのに来ないのかの理由のひとつに「外国人への親近感が低い」というのがあります。確かにアメリカ在住時は目が合えば挨拶するのが常識でしたが、日本では知らない人とは目を合わさないし、挨拶もしませんね。外国人の方を見かけたら気さくに挨拶をしましょう。日本人の場合、言葉も壁も大きいかもわかりませんが、困っている外国人を見たら声を掛けてあげましょう。通じなかったとしてもあなたの誠意や優しさは通じます。ユニクロや楽天が社内用語を英語にしていますが、いずれは壁も低くなっていくと期待します(先日、竹中平蔵氏の話を聞きましたが、大学の入試にTOEFLを導入したのに続き、公務員試験にもTOEFLを導入して官からも英語力の底上げを図るらしいです)。

一方、都市の競争力某ランキングに目をやると東京はいつも第4位だそうです。上位4都市は変わらずNY、London、Paris、Tokyoだそうです。Londonはオリンピックの年に第1位になったそうですが、オリンピックで都市再開発をやると効果があるんですね。東京もオリンピックが来たらランクは上がるでしょうか。

さて、東京を第1位にするために何をすればいいのかというSimulationをしたそうです(By竹中氏)。3つの難を解決すればいいのですが、それは①物価が高い、②規制が多い、③アクセスが悪い、だそうです。竹中氏は小泉内閣の規制緩和の中心閣僚でしたから「さもありなん」といった感じでしょう。確かに外資を呼び込むにはこれら全て(①は難しそうですが)を変革していかなければならないというのは納得ができます。そのうち羽田空港と新幹線(リニア新線?)がつながるかもわかりませんが、乗り換えなしのアクセスは皆さん望むところでしょう。竹中氏は経済特区の話にも触れて、アベノミクス第3の矢である成長戦略は政府には具体的な事業を興すことはできない、特区を作って優良な会社に進出してきてもらって、その方々に民間の知恵を絞ってもらって経済を活性化したい(増収)、政府はその器をつくるとの事でした(確かに「民間投資を喚起する成長戦略」と安倍内閣では謳っています)。全国にいくつできるかわかりませんが、複数の経済特区が立ち上がりそうです。であれば、当然規制緩和とアクセスの改善は取り組まなければならない課題ですね。

これで財政の健全化(第4の矢)に向かえば言うことなしです。日本人は皆親切なのに、外国人には親切に見えないようなので、ちょっと勇気を持って外国人に接しましょう。日本に来ている外国人は少なくとも日本に悪い印象を持ってきている人たちではないと思いますし。

 

CSV (Creating Shared Value)

2013年5月16日 at 10:27 AM

ハーバードビジネススクールのマイケル・ポーター教授が提唱したというCSVという言葉が目に留まりましたので、考え方を勉強してみました。

基本的には社会問題の解決にビジネスの手法を持ち込んで解決していこうという考え方です。世の中には環境問題、貧困問題、障がい者雇用、住宅問題、健康問題など課題が沢山ありますが、一般にこれら社会問題は政府や自治体がやることで企業は関係ない(企業は税金を払っていますから、それらで賄ってくださいという考えが一般的でしょう)とされています。勿論主に大企業ではCSR活動を通じて良い評価を受け、良い市民を生み、害悪を減少させ、ステークスホルダーと良い関係を結ぶといった活動も行っています。社会問題解決の為に様々なNGO、NPO、ソーシャルビジネスも活動していますが、ポーター教授によれば、それらの活動は大規模に展開する技能や資源に乏しく、小規模の人を助けることはできても何億人もの人を助けることができないと論じています。

企業は利益をあげる力があるから社会問題を解決できるのであって、社会問題対策と利益創出は相反するものだと考えることは企業が多くのビジネスチャンスを逃しているとポーター教授は指摘しています。多くの企業がステークスホルダー間の利害関係のバランスを取らなければならない状況であったり、たとえば経済的な成功と環境的な成功はトレードオフ関係だと考えたりすることは危険な考え方だともしています。

日本は敗戦後、少なくない企業がCSVの考え方を持っていて、日本の再建の過程で多くの起業家・経営者が資本主義を通じて国家再建をしようと企業活動を行っていました。昨今の例をとれば震災が起きたら何ができるかと企業に問うと、寄付をしますとか、ボランティア社員を現地に派遣しますなどの答えが返ってきますが、社会変革のためには寄付からビジネスへの思考の変化が必要だとポーター教授は説いています。

たとえば住宅問題を例にとれば、寄付金に頼った財団から安価の住宅を提供するより、安価な家を建てる力を持つ企業のビジネスモデルを創造することができれば規模がさらに拡大し、問題解決にパワフルに寄与できて、社会的価値を増すことができるのです。

現代の若者たちは育ってきた時代背景から社会問題に関心が高く、多くの人が医療、環境、低所得、貧困といった社会的課題にNGOなどに参加して情熱をもって取り組んでいる人が少なくありません。その意識やその気持ちは素晴らしいもののその効果は限定的小規模で、根本的問題解決にはなりません。やはり構造問題に取り組まないと多くの人を助けることはできないわけです。

我々はどうやらモノの見方が狭くなってしまって、本来の企業の存在意義、あるいは企業が提供する社会的な価値、収益をあげることによってどのような社会的価値をもたらすことができるのか忘れてしまったようです。企業が持っている資源や専門性を使って社会問題を解決する、そして利益をあげて、社会的価値を増大させる、これがCSVの考え方の基本と理解しました。