世界史の大河と日本

2019年7月1日 at 3:16 PM

日本で初めて開催されたG20が無事に閉幕した。メディア的には米中の貿易協議の行方や、多分にパフォーマンス的な板門店で行われた米朝会談が注目を集めたが、「癖の強い」各国のリーダー達を受け止め、安倍首相がホスト国のリーダーとして主導権を発揮しえたことは、日本の存在感をさらに高めつつ、成功裏に終えたこととして十分評価に値するものと思う。

G20は2008年のリーマン・ショック時の世界金融危機の深刻化を受けて、20か国・地域首脳会合(G20 Summit)として開催されたのがその始まりである。それまでのG7ではこの難局に立ち向かえないとして、世界のGDPの90%・貿易総額の80%を占め、加盟国の総人口は世界の3分の2を占める国々にまで参加国を広げ、金融サミットとして始まったものである。今回のG20では招待国・国際機関を含めると37ヶ国の要人が一堂に会し、世界経済、貿易・投資、エネルギー、デジタルデータ、環境対策、雇用等の幅広い議論を行う公式の場となった。

しかし、参加国が増えれば増えるほど、議論百出で全会一致という形に持っていくことはなかなかできるものではない。G20 における首脳宣言は、全会一致でなければ文言を変更できない慣例になっているので、今回の宣言「無差別な貿易実現への努力」や「海洋プラごみ削減への足掛かり」などパンチのない共同宣言に終わっていると揶揄する向きもあるが、アメリカ大統領史上、最強の猛獣トランプ氏と蜜月関係を築き、G20各国と不協和音(最悪の関係と言われる韓国とも表面上は事を荒立てることはせず、G20終了後に淡々と半導体材料3品目の輸出規制強化を打ち出した)を起こさず、事前に各国の主張を丁寧に聴いて回り、見事に仲介役を果たした安倍首相は国内ではいざ知らず(国内問題を抱えていない首脳はいない)、海外においては様々な国の首脳から信頼を得ることができたと思う。

世界最古の歴史書と言われるヘロドトス著「歴史( ヒストリアイ )」は紀元前5世紀に書かれたものだが、内容は地中海を中心として、東をアジア・西をヨーロッパとして描かれている。邪悪な侵略者ペルシャ(今のイラン:アジア代表)に押し込まれながら、自由と正義を守るギリシャ(ヨーロッパ代表)が最後は勝利するもので、当時ヨーロッパ人にとってアジア人は脅威の対象であった。トランプ大統領のイラン憎しはこんなところにも発露があるのではないかと勘繰ったりもしたくなる。

アジアにおける最古の歴史書は司馬遷の「史記」である。これは紀元前1世紀に書かれたものとされ、漢の武帝が正当な天子であることを示すためにまとめられたものとされている。歴史書の全てがそうであるように、為政者に都合の良いように書かれていることであろうが、その歴史的、文学的価値は古くから高く評価されている。中華思想の礎とも言える7世紀の唐の都、長安は100万人を擁する大都市としてバクダッドやローマと並ぶ存在であった。

西と東の文明は、紀元前からシルクロードを通って細々と交流を重ねていたが、13世紀のモンゴル帝国の出現によって、一挙に合流し、大きく影響し合った。モンゴル帝国衰退後は、ユーラシア大陸で激しい領土争いが続いていくが、東からはモンゴル、南からはイスラムと圧力をかけられたヨーロッパ諸国は西へ西へと追いやられた結果、海洋への道を求めることとなる。

15世紀のスペイン、ポルトガルに始まる大航海時代は、最も西へ追い詰められたカトリック教国が先陣を切って、カトリック伝道という大義名分を持ちアジアに向かう。その後、アフリカ大陸やアメリカ大陸にも活路を求め、資源の収奪、奴隷を介した三角貿易を確立し、西洋の時代を構築していく(明代の鄭和は西洋に100年近く先んずる形で7回も大航海に臨んでいるが、海路を開拓することで周辺諸国に朝貢を促す目的があったと言われており、西洋の経済目的に比べ、政治目的の要素が強かったようだ)。アフリカ大陸北部から始まった白人国家(ヨーロッパ)の植民地支配は中米、南米を経て、インド(東インド会社)にまで到達し栄華を極めた。オスマン帝国(イスラム)も17世紀末ころから白人国家に蚕食されて解体され、白人国家が圧倒的な主導権を握る世界が形成された。

東アジアの大帝国を誇った眠れる獅子・清も英国にアヘン戦争で敗れ(1842年)、当初、清と共同でアジアを守ろうと意図していたアジアの盟主日本に見限られる形で、日清戦争に敗退し(1895年)衰退していく。欧米列強の植民地化を避けられたアジアの国は歴史上、タイと日本だけである。タイはイギリスとフランスの睨み合いの結果、植民地化を逃れ、日本は薩英戦争(1863年)に負けた後、殖産興業・富国強兵に邁進し、アジアを植民地化から守らんと、列強と伍して戦う決意を示した。しかし、徐々に力を付けてくる日本に対して、欧米諸国は「黄禍論」(黄色人種脅威論)を以て、その標的とするようになる。日本は第二次世界大戦において最終的にはアメリカの日本人排斥・経済封鎖による包囲網によって完膚なきまでに打ちのめされた。日露戦争でロシアを破った(1905年)日本は非欧米諸国にとっては英雄国家であったが、その反面、白人国家への脅威と警戒を増大させ以降の歴史を歩むことになる。

第二次世界大戦後に創設された国際連合は公平公正の世界機関ではなく、あくまで戦勝国である連合国側の主導で発足したものであるから、5つの常任理事国の国益に適わないものは採択されない(拒否権)。また敗戦国が常任理事国になることも今の5大国が牛耳っている限りあり得ない。GHQ占領下においてアメリカの洗脳政策と牙抜き政策により、従順にアメリカ流の自由と民主主義を授けられた日本ではあるが、国連憲章では敵国条項(安保理の許可がなくとも、旧枢軸国に対しては軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できない)が温存され、中国やロシアなど、自由と民主主義とは相いれない国家に攻め込まれ、裁かれかねない立場に今でもいることを忘れてはならない。

1950年の朝鮮戦争勃発によりアメリカの日本占領政策は反共防衛に転換し、自衛隊が組織される。吉田茂、岸信介などの日本のリーダーによる苦心惨憺の末、日米安保条約を締結・改正し、経済成長路線を掲げ、急速に世界の表舞台に躍り出ることが出来たことが現在の日本の礎である。1975年から始まる先進国・主要国首脳会議(G20の前身の前身)に最初から参加している唯一のアジア国家が日本である。500年以上続いてきた白人優位の世界史において、有色人種の先頭に立って歩んでいるのが日本であって、既に経済的にはNo.2になった中国、そしてそれに続くであろうインドと価値観を共有し、アジアの主権を覇権主義ではない平和を希求する形で確立できれば、なんと素晴らしいことであろうか。さてそれは一体いつのことになるのだろうかと思う反面、これまでの歴史は人々が思っているより早く突然に訪れたりもするもので、興味の尽きることはない。