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価格高騰率1位のコーヒー豆から見える世界

2015年1月6日 at 3:00 PM

2014年年間で最も取引価格が上がった商品はコーヒー豆である。12月26日付け日本経済新聞によるとサントス産No.2はキロ当たり605円と49.4%高騰したと報道されました。2000年からの価格推移を見てみると2001~2年を底に2011年まで一気に6倍にまで跳ね上がり、その後2014年初頭までは3分の1近くまで値を下げ、2014年また2倍に高騰しています。

コーヒー豆は通常、豊作と不作を1年ごとに繰り返すそうです。というのは豊作の翌年コーヒーの木の体力が弱まり、収穫量が減ってしまうからです。2013年は前年が豊作だったことから不作が予測されていましたが、実際には想定より豊作となってしまい価格が下落しました。そうすると生産者の多くが収穫して安値で売るよりは、剪定や植え替えなど木の手入れを優先して収穫を落としたことと天候不順が重なり2014年は逆に価格が高騰してしまったというのが専門家筋の解説です。

ご承知のようにコーヒー豆の生産国はブラジルが世界の3分の1を占めて首位、以下ベトナム、コロンビア、インドネシアと続きます。コロンビアのコーヒー豆は高品質で人気が高いですが、山地の斜面で栽培している小規模農家が多く生産量はほぼ増えていません。1999年までは2位でしたが、人手を掛けずに生産性を上げる方式のベトナムに2000年には抜かれ、今やコロンビアとベトナムの生産量は2倍の差になっています(一般に生産量は1 ha当たり1 tが目標とされますが、ベトナムのそれは3 ~5 tに達し、10年の間に輸出量を10倍に拡大しました)。またコーヒー豆の収穫に際しては熟した赤い実だけを手で摘むというハンドピックが高級品の条件となりますが、ベトナムではコーヒー豆は乾燥させれば真っ黒になるので見分けはつかないという理由で、完熟豆も未熟豆も買取業者は同じ価格で購入します。ですから、コーヒー農家では収穫期を迎えた木の実をすべて採ってしまい、青い実も赤い実も混ざって収穫されてしまいます。

実はコーヒー豆には大きく分けて2種類あり、一つはアラビカ種で、ジャマイカのブルーマウンテンなど、世界各地の有名な産地の名が冠されることで知られています。それに対してベトナムのほとんどで採取されるロブスタ種は味は苦くて品質が劣り、単独で飲まれることはほとんどありません。ベトナムのコーヒー豆の知名度が低いのは、ブレンドされたりインスタント・コーヒーの原料として用いられることがほとんどだからです。

ベトナムが世界第2位のコーヒー輸出国になったのは、病気に強く農薬を撒く必要性も少なく、収穫後は庭先で天日乾燥させるだけという手間のかからないロブスタ種を増産したからに他なりません。インドネシアも19世紀末にアラビカ種がサビ病(多くの植物がかかるカビが原因で発生する空気及び水媒伝染性の病害)によって被害を受け、多くがロブスタ種への転換を図りました。ロブスタ種の価格はアラビカ種の半値から7割ほどですが、その(品質はさておいて)高い生産性ゆえの価格競争力で利益を確保していると言われています。しかし価格が下落すればなるべく投資をせず、再び価格が高騰するのを忍耐強く待ち続けるというその日暮らし的栽培手法を取っています。

一方、アラビカ種は標高1000m以上の高地でなければ育ちません。施肥や剪定などにも手間がかかり、手入れをするための知識を必要とします。農薬や肥料などに費用をかけ、水洗処理施設に投資を行い、水洗式で処理し、欠点豆を手で取り除いて高品質を保つ努力をしています(冒頭のNo.2は最高級品と言われ、欠点豆は300g(約2千粒)あたり4個以内と規定されています)。

環境面からもこの2品種の差を見ることができます。暑さに弱いアラビカ種の場合には、被陰樹が必要となります。それは生物多様性の観点から環境にやさしい栽培方法とされ、実際、渡り鳥はこの被陰樹を休憩地として長旅の羽を休めるところにしています。ベトナムでは完熟豆だけを摘むというようなインセンティブが働かない市場なので、たとえそれがどんなに環境破壊的な手段を用いて生産されていようとも(絶滅の危惧される野生動物の重要な住処である国立公園内で違法に栽培されたコーヒーなどが流通すること等)違法な農地開拓が進む現状があります。

安ければ買っていくバイヤーと安ければ売れるいう消費市場が、成長を意図する貧困国とその農民を巻き込んでこの構図を作り出しているとも言えます。コーヒー豆に限らず多くの商品価格に言えることですが、ふた昔前であれば、新興国が生産国、先進国が消費国という構図が、多くの新興国が経済成長の波に乗り、消費国の仲間入りをしました。ですから豊作不作の幅は大きく変わらなくても、消費市場が大きくなったので、以前より価格変動の幅が大きくなったと言えます。この傾向は今後も続くものと予想されます。

ここでコーヒーの最終小売価格に対する流通経路の各取り分を見てみましょう。1994年のデータですが、農家10%、仲買人21%、輸出業者8%、輸送・保険料2%、バイヤー8%、焙煎業者29%、小売業者22%と焙煎企業以降の取り分に比較して生産国の農家の取り分が非常に少ないことが見て取れます。これを焙煎業者・小売業者の搾取と取るか、企業努力と取るかは見解が分かれるところでしょうが、いずれにしても生産者のモチベーションが低下すれば、生産量の低下や品質の低下が起こるのは必然でしょう。生産者はもっと儲かる作物があれば転作をしていくでしょう。実際ベトナム政府は上述のマイナス面是正の為に奨励金などの施策を通じて転作を奨励していますが、それに応じるのは利に聡く器用な農民やコーヒーの木を切り倒すことによって補助金をもらうことだけを考えているような農民で、なかなか本来の趣旨に沿った是正が進んでいるとは言い難い状況のようです。

日本では一杯5000円もするジャコウネコの糞やゾウの糞から採取される未消化の豆を挽いたコーヒーを至極のコーヒーとして飲んでいる人もいれば、安価で苦味の強いロブスタ種の使用比率が増え、味が落ちているのにもかかわらず円安により高いコーヒーを知らぬ間に飲まされている人もいるでしょう。コーヒー豆の価格騰落は気候変動と投資家の思惑で乱高下するという短絡的思考で留まってしまう人は、その奥に広がる複雑怪奇な世界を楽しむ機会を失っているかもしれません。モノの価格のメカニズムと世界の経済や政治はこのような形で必ずつながっているという面白い世界です。

次回は下落率1位のナフサについて言及してみたいと思っています。

 

 

スイスと日本

2014年12月6日 at 11:25 AM

スイスと日本は共通点が多いと言われます。資源が少なく石油を輸入に頼っている点、狭い国土で山が多い、工業製品を輸出して外貨を稼ぐ加工貿易。最近は円安に振れていますが、かつては円もスイスフランも強い通貨の代名詞でしたから、共に輸出価格競争力を奪われる中でグローバル競争を生き抜いてきたという点でも共通項があると言えると思います。

自然景観に恵まれた両国ですが、観光立国という視点で比較してみると、日本は2013年の統計で外国人観光者数が1000万人を超え、ランキングとしてスイスを追い抜いています。スイスの観光客はドイツを筆頭に隣国からが多いのですが、多分物価高もあって観光客は減ってきているようですが、最近は中国など新興国からの観光客を呼び寄せようと努力しています。しかしながら、人口を超える800万人もの観光客が訪れるという意味では日本と比べてもまだまだ先輩格の立派な観光大国と言えるでしょう。ちなみに訪日外国人御三家は韓国・中国・台湾で全体の半数以上を占めますから、日本の「おもてなし」や「Cool Manga Animation」に代表される素晴らしさをもっとアピールしていけば、まだまだ今後の成長余地はあると言えるでしょう。

経済的な視点から見ても両国は世界有数な経済大国と言えます。日本は2009年にGDPで中国に抜かれたとは言え、世界第三位です。スイスは一人あたりの名目GDPで世界第四位(スイスのUS$81,276に対して日本はUS$38,467で世界第24位)です。スイスはかつてドイツやフランスといった豊かな国に囲まれた貧しい山国で、産業と言えば牛を飼ってミルクを絞ってチーズを作るくらいしかありませんでした。中世になると他国の戦場で戦う傭兵が主な輸出品だったと言われます。そんなスイスがどのようにして経済大国になったのでしょう。
現代のスイスは、時計(スウォッチ、オメガ、ロレックスなど)、食品(ネスレ、リンツ)、エンジニアリング(ABB)、金融(クレディ・スイス、UBS、チューリッヒ・ファイナンシャル・サービス)、人材派遣(アデコ)、医療製薬(ロッシュ、ノバルティス)など世界的な企業を多数生み出している豊かな国になっています。そうした変化の原因は何かをスイス企業の歴史を素材に、スイス在住の米国人ジャーナリストR.J・ブライディングが「スイスの凄い競争力」という本を書きおろしています。実はまだ読んでいないのですが、書評を読む限りでは是非読みたい本の一冊です http://www.dhbr.net/articles/-/2993 。というのも以前に友人に勧められて読んだ「ブランド王国・スイスの秘密」(磯山友幸著)という本が頭の中に蘇ってきたからです。当時失われた20年に沈んでいた日本産業界がどのようにしたら再び成長軌道に乗れるのかという視点で読んだのがきっかけでしたが、読後には何か視界が晴れて元気をもらうことができたことを覚えています。

ブライディングは著書の中で、起業家精神を生む地形であることがひとつの理由だと述べています。スイスは多くの地域が孤立していて、固有の社会構造や特性を備え、教派も異なり、その結果として様々な地域で独自の製品が生み出され、さらにそれぞれが交易で結ばれてきた述べているようです。これは面白い視点で、このことは日本でも京都でユニークな会社が多く育っていることと無縁ではないように思えます。今や玉石混淆の情報に溢れ、学校のレポートはコピペ、学者先生の論文すら盗用発覚といったニュースを目にしますが、周りの情報に振り回されずに、地頭で考えに考え抜いて決断をしていく経営者の孤高さが世界に通じる製品・サービスを生んでいるのではないかと感じます。かつてのロームの創業者やサムスンの現会長なども庵で読書し沈思黙考し指示を出していました。色々な手法やアイデアをベンチマークやスパイ行為で入手しても、その底流に流れる魂の理念までは到底まねできるものではありませんから、これからのビジネス創造を考える上で重要な点であると私は思います。

さて、傭兵で外貨を稼ぐしか選択がなかったスイス人は、色々な国に傭兵として散った戦場で、時には敵味方として親兄弟が殺し合う羽目に陥ったこともあったと記録されています。貧しいがゆえの金の為に生じる悲劇。そんな悲劇から何とか脱出しなければという魂の叫び、阿鼻叫喚がスイスという小国で産業化が進んだひとつの動機づけなのではないかと磯山氏は示唆しています。宗教改革の拠点のひとつとしてプロテスタントが広がったスイスで、勤勉に労働に励む風土が培われたという点も、時代も宗教も違えど日本人の勤勉さに通じるところがあるように思います。

ここまではスイスと日本の共通項を述べてきましたが、日本の成長を考える上で、参考になるスイスのこれまでの取り組みを紹介したいと思います。スイスはヒト・モノ・カネを世界中から集めることに成功しています。まず相続税がありません。法人税や所得税も州によって違いますが、15~25%と日米よりずっと安いです。チャップリンやヘップバーン、イケア創業家、シューマッハ、ハイネケン一族、ダイアナと共に不幸な死を遂げたモハメド・アルファイドの一族などスイスに移住した有名人は多いです。スイスフランは金の保有率が高く通貨が強いので目減りしません。安い農産物はシャットアウトしているので、物価は高いものの、給料も高いです。安いものが買いたければ、国境を越えて安いものを買えばいいのです。

教育水準が高く、外国からの留学者が後を絶ちません。国会議員はほとんどが職業を持っていて兼業ですから、選挙で落ちるとタダの人といった日本とは違います。地元利益優先の衆愚政治に陥る可能性は日本より低いでしょう。優秀な人材を世界中から吸い寄せるために、グローバル経営が徹底しています。役員会は英語で行います。日本でも英語を社用公用語にする企業が出てきましたが、全員が一斉にやらなきゃいけないというのには私は異論があります。まずは経営会議からです。それから下に落としていくべきです。でないと現場での効率が明らかに下がります。自国語でできることまで英語でやる必要はさらさらありません。少子高齢化の先頭を走る日本は移民政策を緩和すべきか否か議論がなかなかまとまりませんが、明治維新を思い起こせば、優秀な外国人を招いて多くの産業を振興しました。このことは長崎あたりを旅行するとよくわかることです。

ブランド戦略も学ぶべきことが沢山あるように思います。多くの日本企業は社名=ブランドというところが多いです。日本でスウォッチというとファッショナブルな安い時計というイメージだと思いますが、ブレゲやハリー・ウィンストンなどのプレステージブランドを7つ、ロンジン・ラドーなどのハイレンジで3つ、ティソ・カルバンクラインなどのミドルレンジで6つ、スウォッチやフリックフラックの2つはベーシックレンジと位置づけられており、18のブランドを地域、市場、顧客に合わせて幅広く展開しています。日本の多くの場合はブランド名がひとつなのでTrade Mark的な意味合いしかなくなっているにも関わらず、ブランドの希薄化を恐れて、高級品から手頃な品まで幅広く展開しにくい状態を作っています。ですから高級品と標準品の間を景気動向に合わせて左右に行き来するような戦略になってしまいます。スウォッチをはじめルイ・ヴィトンでお馴染みのLVMHは数えきれないほどのブランドをM&Aによって保有しています。景気が良くなったら売れるブランド、景気が悪くても売れるブランドを持っていることで商品企画にも自由度が増し、景気の変動に左右されにくい企業体質(コングロマリット)を作っています。所謂ブランドポートフォリオという考え方です。それぞれのブランドがターゲットを明確にすることで、価格競争を回避している訳です。つまりブランドを大事にするということとブランド戦略は違うということを多くの日本企業は考えるべきだと思います。日本の居酒屋グループチェーンを見てみるとこのマルチブランド戦略を使って多くの種類の店舗を展開しています。高級料亭から気軽な居酒屋、イタリアン、焼き肉と顧客の嗜好の変化に対応し、あるいは変化を創りだして顧客の満足を得ようと日々戦略を巡らしています。

スイスに旅行されたことがあるひとは一度はスイスのアーミーナイフを買われたのではないかと推測しますが、このアーミーナイフにはスイスの国旗が付いています。スイスの国旗さえブランド化しているのです。精緻で高品質というスイス製品のイメージを国旗にも活躍してもらって植えつけているのです。日本もおもてなしや高品質という証に日本の国旗を製品につけたらどうでしょうか。冒頭の隣国からの観光客が商品を手に取ってMade In Chinaの表示を見てがっかりすることを考えれば、不発に終わっているアベノミクス第三の矢・成長戦略の切り札になりうるのではないかと実は密かに思っています。

ロボットと人類の未来

2014年11月16日 at 11:38 AM

ソフトバンクグループの決算説明会で孫さんが今後の成長戦略について語りました。イソップ童話の「金の卵を産むガチョウ」になぞらえて自社の成長を投資家に支えてもらえるようにわかりやすく説明しています。ある農夫は自分の飼っていたガチョウが毎日金の卵を産むようになって、それを毎日売って換金し、お金持ちになりました。さらに強欲になってしまったその農夫はガチョウの腹の中には沢山の金の卵があるにちがいないと思い、腹を切り裂いてしまいました。しかし腹の中には金の卵がないばかりか、肝心のガチョウを殺してしまうことになり、全てを失ってしまったという寓話です。ソフトバンクグループはEコマースの成長を予見し、アリババのような小さな会社に投資をし、今年NY株式上場を果たした結果、時価総額29兆円という世界でも10指に入る大企業にアリババは成長しました。これからはインドの成長を見越して同じEコマースのsnapdeal.comや配車プラットフォームのOLA(ANI Technologies)等に総額900億円の投資を決定しています。そして十数年後にはアリババのような投資回収ができるであろうソフトバンクを通信会社という本業のみの視点ではなく、将来を見据えて自分たちと志を一にする新興企業に投資をしていることを評価してもらって、これからも末永く支えていただきたいという主旨の説明をしています。つまりアリババなどのような金の卵を産むソフトバンクというガチョウに引き続き投資をしてもらえれば、次の金の卵を産み落としていきますので、ご期待くださいという訳です。

世界の格差問題など二極化が何かと話題になる昨今ですが、株式などの投資の世界も二極化が進んでいるようです。所謂デイトレーダーと呼ばれる人や注文・売却を投資アルゴリズムによってコンピュータを駆使し、1秒間に数千回という速さで自動決済していくファンドがある一方、5年~10年かけて投資回収を図る長期的視点に立った個人投資家や有力投資会社もあります。自分で学習するAI知能を持ったコンピュータがチェスの世界チャンピオンを破り、プロの棋士を負かしていく様はコンピュータが人間を凌駕していくようで、株式の売買にしてもコンピュータにお任せとしたくなる気持ちもわからないわけではありません。そんな移り気な短期志向の投資家(こういう場合はトレーダーといった方が適しているのでしょう)を長期志向に引き寄せようという意図を、私は孫さんの説明から感じ取りました。

そんなソフトバンクは皆さんご承知のように、人型ロボット工学の世界的な先駆者であるALDEBARAN Robotics社に投資、自然なコミュニケーションが出来るようにと吉本興業グループの株式会社よしもとロボット研究所とも共同でpepperの事業化に邁進しています。最近はTVのコマーシャルにも登場し、来年2月から198,000円という驚きの価格での発売に向けて周到な準備をしています。遡ること15年前ソニーが25万円で子犬型ペットロボットAIBOをネット販売し、瞬く間に完売、当時の話題をさらいました。そのAIBOは、今年クリニックと呼ばれる修理サービスを終了し完全終息に至りました。時代が早すぎたというにはあまりにもったいないことです。発売には至りませんでしたが、二足ロボットAmbassador達の一糸乱れぬ動きは感動もので芸術的とすら感じたものです。個人的には「ラッテ」や「マカロン」といったクマイヌ型になっておもちゃっぽくなってしまったり、AIBOがしゃべりだしたあたりから作り手の勘違いが始まったのではないかと感じていました。

世界のIT大手企業の筆頭であるGoogleもかなりのロボット投資を加速させています。産業用ロボットの老舗ファナックも好調ですし、リビングでは留守中に掃除機「ルンバ」が活躍し、面白いCMで評判の大和ハウスも介護用のロボット開発をしています。小田原にあるHGSTというHDDの工場では上半身まさに人型のロボットがこれまでの作業員に代わって不平も言わずに不眠不休で繰り返し作業をしています。オフィスの仕事も定型作業は派遣社員から賃金の安い地域へOutsourcingされ、いずれはコンピュータの自動作業ということになるでしょう。

一方、世界の先進国では少子高齢化が問題となっています。年金制度など右肩上がりの成長に基づいた社会システムが破綻の危機に晒されています。各国あの手この手で人口ピラミッドを、少なくとも人口減少社会に陥らないようにと平均2人の出生率を維持すべく様々な環境整備や移民政策等を実施しています。しかしながら移民による治安の悪化や自国民の失業率増大などの副作用を生んでいることも否定できません。コンピュータやロボットがどんどん社会生活に入っていくと一体どうなっていくのでしょう。多くの先進国が自国の社会システム維持の為に人口維持政策を進めて、将来ロボット化・コンピュータ化されていく世の中で、果たして就業できるのでしょうか?

米国デューク大学の研究では「今年小学校に入学する生徒の65%は、大学卒業時に現在存在しない仕事に就くだろう」と言われています。事実、現在米国で需要のある職種のうちのトップ10(情報セキュリティの 専門家、モバイルソフトウェアの開発者、ソーシャルメディアコーディネーター など)は、2004年には存在していなかった職種です。

定型業務や単純業務をロボットやコンピュータがやってくれる、答がある問題・やり方が決まった仕事から人類が解放されるというポジティブな捉え方はできるでしょう。一方で、そのような仕事に従事している方はロボットやコンピュータに仕事を取って代わられてしまうというネガティブな考えを持つ方もいるでしょう。労働心理学ではお金という報酬は、単純作業の効率を上げるが、創造性は却って低くなるという研究結果があります。創造的な仕事が増えていくということになると、お金という報酬で人間のMotivationを上げるのは段々難しくなっていくようです。

人間はこれからどんどん創造的な仕事をしていかなければならないという風に言われると、逆に「人間ってそんなに創造的になれるのか?」という反論も聞こえてきそうです。もしもポジティブな考え方が支持されていくとすると、創造性を発揮できる環境というのはどういうものなのでしょう? MITメディアラボ所長の伊藤穰一氏が4P理論を説いておられます。「ある目的を共有し(Project)、友達同士のような近しい間柄で(Pier)、情熱をもって(Passion)、遊び感覚でやる(Play)こと」で人間は創造性が発揮されるそうです。成程。

哲学のある歯科医から学ぶこと

2014年10月28日 at 11:00 AM

今年に入って歯を一本失いました。近所の歯科医に何軒か行きましたが、話や治療に納得できずに、結局高校時代の同窓生の歯科医を頼って都心の大学病院まで出掛けました。気心が知れているので、残された人生時間を考え不安に思うことを十分納得できるまで話が出来て良かったと思っています。結果として自ら抜歯を選択しましたが、これからの毎日のデンタルケアについて自分なりのスタイルが確立できたかなと思っています。そんなこともあって、たまたまテレビの番組欄で見たプロフェッショナル仕事の流儀という番組の「『ぶれない志、革命の歯科医療』歯科医・熊谷崇氏」を視聴してみました。

熊谷氏は、自身の診療所に通う子供の8割が20歳になっても虫歯が一本もない、70~80歳の高齢の患者さんも永久歯が数本しか欠落していない等、世界屈指の実績を上げています。その根底にある氏の哲学は患者に自分の口の中の状態を良く知ってもらって、自分の歯を守りたいという意識を強く持ってもらい、虫歯や歯周病にならないような予防を徹底するというものです。初診の患者にはすぐには治療に取り掛からず、口の中の写真を10枚以上撮影し、唾液検査を行い、歯科衛生士が丁寧にクリーニングをし、口の中を清潔に保つための説明をし、数回の通院ののち、いよいよ治療に取り掛かるといったスタイルです。

氏の治療方針に同感し、開業医を始めた歯科医夫婦が紹介されていましたが、実費3000円の唾液検査を受けてもらえる患者は1割しかいないと自信を無くしていました。多くの患者が時間がないので、とにかく痛みを取り除いてくれればいいとやってきます。唾液検査によって個人個人の虫歯菌を中和する力の強弱が判定できるのですが、目先の患者の希望をまず満たすのが医師の役目なのではないかと悩んでいました。氏が山形・酒田で今のスタイルでの歯科医療をはじめた35年前、同様な経験をしています。氏のやり方は患者に全く受け入れられず、ときに患者に罵倒されることさえあったといいます。診療所は患者に敬遠され、赤字に陥り、スタッフの給料を自身の預金を取り崩して払っていることもあったそうです。それでも氏はどんな苦境に立たされようと、自身の考え方を曲げずに貫きます。なぜならそれこそが「真の患者利益」につながるとの信念を持っているからです。その地道な患者教育が、次第に患者の意識を変えて、最終的には信頼を勝ち得、今の世界的な実績を確立するに至ります。「真の患者利益」とは一生を通じてどのような治療が望ましいのかを突き詰めた結果と言えるでしょう。歯は1度抜けたり、虫歯のために削ってしまえば決して元には戻りません。そうならないために、歯周病や虫歯の原因となるバイオフィルムと呼ばれる細菌の集合体を歯科医だけでなく、個人の意識改革によって極力排除している訳です。歯磨きだけではこの細菌は取りきれません。デンタルフロスやマウスウォッシュなどのホームケアに加え、歯科衛生士による定期的なメンテナンスが必要だと患者に強く、しかし納得のいくまで説明します。根気のいる仕事です。氏自身も昔を思い出して、本当に毎日一人ふたりでも説得するのに疲れ果てたと述懐していました。

私も遅まきながらこの歳になって歯の大切さをしみじみ感じます。多くの人が歯科治療のドリルの音や振動は嫌いに違いありません。だから痛くならないとなかなか歯医者に行こうとはしませんし、行ったら行ったで早く痛みを取り除いてもらって、治療が終わるまでの辛抱だ、できればもう来たくないと思ってしまいがちです。振り返ってみると、失った歯の周辺はそれまでに何回か腫れてしまい歯科医に治療に行きました。当時飛行機に乗る機会が多かったので、気圧の変化が良くなかったのだろうかと思ったりもしましたが、やはりホームケアが不十分であったのだろうと反省します。

実は番組を観ていて、過去30数年の調達の仕事が蘇ってきたのです。事業が赤字に陥りそうになると「緊急コストダウン」という指令が下りてきたことは何度となくありました。業務ですから、取引先に対して状況を説明し、協力を仰ぐといったことを幾度となく行いました。自社内でもVAやコストダウンなど知恵を絞りましたが、圧倒的に外部の取引先に協力コストダウンを強いていました。まるで虫歯を安易に削り、目先の痛みを取り除き、詰め物をして、治ったと思いたい気持ちが先行していたように思います。しかしビジネスが巧くいかない真の原因は根本的に解決されることはなく、目先改善したように見えても実は歯の土台が弱り、しばらくすると神経にまで細菌が及んでいたことに気付き、最終的に歯を失ってしまったようなことはなかったかと。「緊急コストダウン」は事業がうまくいっていない、つまり売り上げが計画通り上がっていない、円高が急にやってきた、競争環境にない高額部品の突然の値上がりに他の部材の値下げを要請するなど対処療法にすぎません。特に売り上げが想定通りにいかない場合、コストダウンをしてもまず成功はしません。なぜなら売れないということは仕込みが滞留しているということで、コストダウンしても追加オーダーするまでに至らないので、その効果を得ることはほとんどありません。5%コストダウンできましたといって調達の成果を誇示しても、購入実績ひいては販売実績にまでつながらなければ、コストダウンの果実は取れません。こういう場合は調達パワーを新規機種に向けるべきで、売れない現行機種のコストダウンにリソースを充てるべきではありません。失敗に気付いたら早く手仕舞いして、うまくいかなかった原因を分析して次に賭けるべきです。

過去、ある機種の主要部材で高額な半導体メモリーを計画に基づいて購入したものの、販売が振るわず、大量に余ってしまったことがありました。余っただけなら、それを活用して次の機種で流用開発するという手段もありますが、このメモリーはあっという間に市場で半値の価値しかなくなってしまったため、流用しても次機種の価格競争力がありません。事業の存亡に立たされるほどの大きなビジネスインパクトであったので、事業長からは、「何とかしろ」との命が下り、本当に恥ずかしながら購入元に買値で引き取ってもらうという交渉に出かけました。とても成り立つ話ではないとほとんど諦めの気持ちで向かったのですが、その購入元は親切かつ寛大にも要求通り買い上げてくれました。本当に信じられないことで取引先には心から感謝をしました。社内的も良くやったと評価され、事業長もその時は大事まで至らず事なきを得ました。今から20年近く前のことです。しかし、今になって振り返れば、購入元のメモリーメーカーは他社と合併の後今でも苦難の道を歩んでいます。当該事業は10年以上前に消滅していますし、その事業長もその後、他の事業長に就きましたが成果がないまま会社を去りました。

目先を取り繕っても、真因が解決されなければ、歯科治療も事業も最後には年貢を納める時がやってきます。目先の利益や社内での立場を維持するために無駄にした時間とお金はなかなか表面には現れてこないものです。調達の仕事は地道なことが多いと思いますが、下流業務に留まることなく全てのステークホルダーの「真の事業利益」に向けた行動を如何に上流で起こしていけるか己の哲学や信念をもって着実に行っていきたいものです。

遺伝子検査

2014年10月16日 at 9:28 AM

しばらく前から「遺伝子検査キット」なるものがネットでも売られています。お値段はたったの29,800円なので、家族家系内に遺伝因子の影響が強い疾病をお持ちの方はやってみたいという衝動に駆られて当然のことであろうと思います。ヒトのゲノムの全塩基配列は約10年かけて解読作業が行われ、2003年に完了宣言がされました。それは1953年のDNAの二重らせん構造の発見からちょうど50年後のことでした。

手近な遺伝子検査キットをググってみると、「日本人の2/3近くが生活習慣病で亡くなっています。大事な家族のため、自分自身のためにも病気のリスク、体質を知って、食事・運動などのライフスタイルを見直すことで、今からあなたにあった予防を実践しましょう」とあります。検査項目は脳梗塞、心筋梗塞、2型糖尿病、胆石、尿路結石症、腰痛、痛風、不眠症、円形脱毛症、花粉症、緑内障、アトピー性皮膚炎、貧血傾向、十二指腸潰瘍、アルコール、ニコチン依存症、過食症、長寿・寿命など全70項目となっています。最近では遺伝子検査によるダイエット指導や肌老化対策など美容に特化して顧客誘引しているところもあります。

先般、東京医科歯科大学の木村彰方教授のお話を聴く機会がありました。先生のお話は心不全・突然死の遺伝子についてでしたが、日本の三大死因のひとつである心疾患は高齢者のみならず、小児、若年者にも起こっていて、現時点で遺伝的要素がどこまで解析されているかという説明でした。

通常、医者は患者を診て、検査をして、処方をして治すというサイクルですが、先生はこのサイクルで治らない患者がいるということを契機に人類遺伝学を30年前に志したそうです。心臓病は家族性のものと原因不明の突発性のものとあって、まだ全貌は明らかになっていません。しかしながら、肥大心筋症は家族性が50~70%、拡張型心筋症は20~35%と遺伝因子の影響を強く受ける疾病は明らかになっています。前者は筋肉が厚くなって固くなり心臓がポンプの役目を果たさなくなる。後者は心臓が大きくなりすぎて、相対的に筋肉が少なく、これも心臓のポンプの役割を果たさなくなるというものです。正常であれば心臓の大きさと、それに見合う心筋が平均80年ものあいだ正確に動いてくれるわけです。まさに生命の神秘。肥大心筋症や拡張型心筋症は常染色体性優先遺伝病に分類され、父親あるいは母親のいずれかからの遺伝で50%の確率で受け継がれます。運悪く双方から受け継いでしまうと重篤な心臓病を発症する確率が非常に高くなります。遺伝子レベルで言うと、5800文字の情報のうち、たった1文字しか違わないのですが、この1文字が大きな違いを生んでいます。

これら常染色体性優先遺伝病の治療法は今は心臓移植しかないそうです。家族性が非常に強い疾病ですが、家族の病歴が無い方もいます。新生変異と呼ばれ、所謂突然変異ですが、家族歴が無い方でも発症する方がいます。経験的にも感じることですが、この病は男女差もあります。男性が女性より2倍以上多く、重症も多いそうです。そうすると男性ホルモンとの関係が疑われます。マウスで実験してみるとやはり雄雌の差はあって、♂マウスの精巣を取ると女性並みに寿命が延び、♀マウスの卵巣を取ると、さらに寿命が延びるそうです。卵巣も男性ホルモンを作っているそうで、やはり男性ホルモンと心臓病の関係は相関するという結果となっています。

乳児突然死症候群も一時話題になりました。保育園でうつ伏せで寝かせていたら、いつのまにか亡くなっていたというものです。ポックリ病の一種です。突然死で心臓に作用する要因はいくつかあるそうで、音に反応する遺伝子、アドレナリンで反応する遺伝子などがわかっているそうです。前者は目覚ましの音でびっくりして心臓が止まってしまう。後者は興奮によるストレスが血液供給を増大させ許容量を超えて死に至る。カフェインやニコチンもアドレナリンを生じさせ増大させる物質ですが、通常ほとんどの方はポックリ死んだりしません。しかし老若問わず過剰反応する遺伝子をお持ちの方がいるそうです。

先ほどの5800文字のうちの1文字を換えれば発症確率は大きく下がりますが、遺伝子要因なだけに、受精卵の時点で書き換えを行わなければなりません。この行為は結果として親が子どもを自分たちの好きなようにデザインする道をも開いてしまうという「デザイナーベイビー」問題として、多くの生命倫理学者たちが懸念を表明しているものです。

さて、冒頭の遺伝子検査キットに話を戻すと、先の家族性心臓病の原因遺伝子はひとつではなく、10~20もあるそうです。単因子の病気であれば、90~100%の確率で発症がわかるそうです。しかし多因子の病気の場合、たとえば、一般平均で0.5%かかる病気が、遺伝因子50%でかつ作用する遺伝因子が10%しかわかっていないとすると1%に上がるだけという計算になり、遺伝子検査の効果はほとんどありません。因子が数百ある場合は、大地震に遭う遭わない、遭っても不幸にして死亡する、幸運にして生存するといった運不運の世界なのかと私には感じられます。

重篤な単因子の家族性疾病であれば、遺伝子検査キットは効果を発揮しますが、果たして知るのが良いのか、悪いのか。知れば知ったで悩みは深くなるかもしれません。知らぬが仏とはよく言ったものです。この判断は個人個人の人生哲学の考え方によりますね。

ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーは昨年、将来の乳がん予防の為に乳房切除手術をし、話題になりました。病巣はなかったそうですが、中身を切除、乳房再建手術をして、小さな傷がある以外、見た目は手術前と変わらないと寄稿で書いています。彼女の母親は乳がんにかかり、10年近くに及ぶ闘病生活中に卵巣がんも併発し、56歳で亡くなっています。母方の祖母も40代に卵巣がんで亡くなっているそうです。彼女は遺伝子検査(こちらは簡易なキットでの検査ではないので数万ドル掛かったと言われています)の結果、将来乳がんになる可能性が87%、卵巣がんは50%以上とされ、まずは確率が高い乳がんの対策を選択したということです。

先日、先進国でがんで死亡する人が増えているのは日本だけで、他の国は減っているという記事を見かけました。読み方によっては日本ではがん以外の病気を減らした結果、がんでの死亡が増えたとも捉えることができます。人はいずれ必ず死にます。古代不老長寿の薬を求めて、逆に多くの人が亡くなったのではないかと想像します。死亡原因が何かというだけですから、死亡原因1位を親の敵と睨みつけて、病を克服したとしても、死そのものが免れぬ事象である以上、他の死因が1位になるだけです。老衰が1位になれば、ゴールということでしょうか。それにしても若い人の死は心が痛みます。医療関係者の方々には引き続き専門の領域で、不条理と闘っている患者の方々を救ってくださるようお願いいたします。社会にも不条理が沢山ありますが、それらとの日々の闘いが人生と言えるのかもしれません。

同一性と変化の矛盾

2014年9月16日 at 9:10 AM

植民地時代において侵略国に勝手に線引きされた国境によって、民族対立による内戦は世界中のどこかで止むことなく続いています。宗教あるいは民族を基にした同一性の反映でもありますが、歴史を紐解くとその同一性や継続性の根拠は薄弱であることが少なくありません。企業においてもDNAの話は時折話題になり、凋落している企業には「~らしくない」「~らしからぬ」といった修飾語で語られることがあります。一方、企業トップは「変わらないのが最大のリスク」と号令をかけて、変革を促します。よく「変えてはいけないものは維持継承し、変えるべきは大胆に変える」といった指針が出たりしますが、果たして何を変えずに、何を変えるかが具体的に語られないと従業員は戸惑いますね。

ギリシャ神話で「テセウスの舟」というお話があり、ギリシャ時代から議論され続けているテーマのひとつです。ある漁師が木の舟を漕いで毎日魚を捕りに行く。来る日も来る日も魚を捕りに行くので、木の舟は傷んでくる。腐るところも出てくる。岩にぶつけて破損してしまうこともある。その都度、漁師は新しい木で修繕をする。漁師は歳を取り、もう漁には出られなくなる日が来る。そしてその息子にその舟を引き継がせる。息子も同じように毎日漁に出る。舟の傷みは以前よりも酷く、その都度、また修繕をしていく。そして孫の代に引き継がれていく。そうして代々受け継がれた舟はいずれ全ての部材が入れ替わる。もう最初の代の舟の材料はひとつも残っていない。それは果たして同じ舟と言えるのかどうか。

アリストテレスは、舟を構成している木材という「質料」(ヒュレー)が変化したとしても、その舟を舟たらしめている設計図に相当する「形相」(エイドス)は維持されているので、テセウスの舟は「同じ」であると結論付けました。

しかしながら、もしこの舟を漁師の目の前で壊し、全く新しい材料で寸分違わず同じ構造で新しい舟を作ったとしたらどうでしょうか。「形相」は維持されているが、舟の連続性がないので、同じ舟とは思えないでしょう。今風に言えば単なるコピーや2号機でしょう。博物館に行って、古代遺跡から発掘されたが形が崩れている本物と、完全に元の形を再現した復元品とでは前者の方に有難味を感じる人が多いのではないでしょうか。

テセウスの舟は100年経って材料が全て入れ替わっても、一日で作り替えたとしても材料が全て変わったという点では一緒ですが、心情的には前者の方がよりオリジナリティ(元祖)や連続性を感じます。「同一性と変化の矛盾」という社会心理学講義(小坂井敏晶著)では、全ての部品が交換されても、それにかかる時間が十分長ければ、同じ舟(つまり同一性を維持している)と感知される。つまり同一性はアリストテレスが語った対象自体に備わる性質で決まるのではなく、それに納得感を感じるか否かの心理現象であるという主旨のことを述べています。

さて、頻繁に語られる日本人の特異性や異質性ですが、これまでの観点で見てみると、日本人と言わず、どんな民族でも100年もすれば総入れ替えとなります。総入れ替えになっているものの日本人という同一性は存在しているように思えます。一般に民族の同一性は文化や血縁(DNA)の連続性をもって維持されていると理解されています。しかしながら、太古から変わらず現代に引き継がれているものは果たしてどれほどでしょうか。いや何かありますかと問い掛けざるを得ない程、圧倒的に変化してきたものの方が多いでしょう。歴史を学び、古典に源流を求め、同一性を感じようとするノスタルジアやルーツを遡る心情は誰しも持っているものでしょう。しかしたとえば天皇の正当性を謳う万世一系も天照大神の神話から始まっていますし、南北朝時代の混乱もありました。壇ノ浦の戦いで海に沈んだとされる三種の神器はどうなっているのでしょうか。私は決して天皇制を否定している訳ではありませんが、日本において最も長く続いているであろう建国の礎である天皇制でさえも100%揺るぎないものとは言えません。個々人が納得すればそれでよいのですが、一方でそういった錯覚に陥り、思想を固定化してしまう可能性は少なくないと思っています。

日本人は毎日0.002%ずつ入れ替わります。身の回りでの生き死にも稀にしか体験しません。ですから日本人は変わらず同一性を保っていると思いがちです。先の大戦では多くの人が亡くなり、アメリカ進駐軍GHQによる価値観激変がありましたから、その当時生きていた方々は強烈な変化を体験したことと思います。戦後世代はそうした経験がないので、変わらない平和なニッポンを頭の中に描き切っているでしょう。しかし、現代人で「源氏物語」を原文で読める人が極々少数の研究者だけであるとか、教科である古文でさえ読解に自信を持てる人は少ないのではないかと思います。1000年も前の日本人と現代人は会話はできないでしょうね。実際には変わっている部分が多いどころか、生きている間にも価値観が大きく変わっているにもかかわらず、案外現在に固執していることが少なくないなと反省を込めて思います。

企業もDNAがあると思っているのは錯覚で、それぞれの思い込みで実態のないものにすがっているだけかもしれません。同一性を保ち、変化していくというのは大いなる矛盾であって、変化は実態、同一性は錯覚です。「この世に生き残る生き物は、変化に対応できる生き物だ」としたダーウィンの進化論は世代連続性を述べていますが、一個人がその人生を心安らかに生きていくためには変化に対応しつつ、同一性の錯覚も必要なのかもしれません。

テレビ朝日の「劇的ビフォーアフター」という番組は5年ほど続いているでしょうか。極たま~に観ることがありますが、古い家が匠によって新しく生まれ変わり、リフォームされた家に家族皆大喜びで入るという趣向です。特にお年寄りの住んでいる家では以前の古い家の床柱などの材料を再利用して、家は新しくなったけれども、じいちゃんが建てた家だよ、断絶していないよと、世代継承しているかのような錯覚を工夫しているものが紹介されます。

乱世を生きた鴨長明の「方丈記」の冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。川は川に違いないけれども、同じ水はひとつとしてないってことですが、乱世に生きていない私には無常観が強すぎて足元がグラっと来てしまいます。

企業の社会的責任と環境保護

2014年9月10日 at 10:16 AM

ニールセンが今年第一四半期にインターネットが利用できる世界60か国の各国1000人規模に調査を行ったところ、3年前に比較して45→55%と10ポイント「社会・環境活動に積極的に取り組む企業が提供する製品とサービスをもっと購入したい」と回答しました。私は二つの点でこの調査結果に興味を持ちました。

ひとつはたった3年で10ポイント伸びて、世界中の消費者の半数以上が企業ブランドを社会的責任や環境保護といった視点で見ているということです。もう一点は、この調査を地域別に表すとアジア太平洋(64%)、中南米(63%)、中東・アフリカ(63%)、北米(42%)、欧州(40%)となっていて、環境意識の高い欧州が地域別で見ると最も低く、次いで北米と先進地域は相対的に低い値となっていることです。この結果には正直驚きました。この結果は色々な解釈ができると思いますが、社会環境意識の高い欧州がその経済的停滞によって、以前より意識が低下したと見ることもできるでしょうし、多くの欧米企業がその社会環境意識に対応し、ある種当たり前になってきてしまった結果、それほど大きな選択要因にならなくなってしまったと見ることもできるでしょう。日本マクドナルドの売上は前年同期比25%減だそうですが、競合の多様化とサービスのマンネリ化が底流にあるでしょうが、直近では何と言っても一中国工場の鶏肉問題ですね。消費者の購買判断に大きな影響を与えたものと思います。

話を元に戻すと、この調査を3年前と比較したポイント増加率でも新興国が総じて高い数字を示しており、企業にとって社会・環境問題への取り組みは比較的裕福な心に余裕を持っている先進国または富裕層のみならず、世界的規模で対応していかなければならない課題と認識する必要がありそうです。

特にアジア太平洋と中東・アフリカ地域における世代間の差異は顕著で、大部分が発展途上のこれらの地域では、持続可能性に向けた行動を支持する新世紀世代(21~34歳)の回答者は、持続可能性に向けた行動に賛成する意見がX世代(35~49歳)の回答者に比べて平均3倍で、ベビーブーマー世代(50~64歳)の回答者に比べて平均12倍となっています。若い世代が社会環境問題に非常に高い関心を持っていて、それだけでなく購買行動にも表してくることは将来のビジネスプランを考える上でも決して無視してはいけないトレンドであると思います。

翻って原価企画の3段階を示すと、第一段階:当該製品の原価管理としての原価企画(主に原価進捗管理)、第二段階:当該製品群別利益の企画管理としての原価企画(事業カテゴリー全体の利益管理)、第三段階:当該製品群の顧客・社会Benefitの創造管理としての原価企画(顧客Benefitのみならず、社会Benefitを希求し、社会貢献)となります。なかなか一企業が第三段階に至るのは難しいことですが、上記調査結果を見ると、こういった消費者の変化に背を向けて、自社の利益ばかりを追いかけていると、いつの間にか市場から隔離されていたといったことになりかねません。

優良と言われる大企業でも第二段階のところが多いと思われますが、そういった企業でも、売上・利益の長期トレンドを過去10年スパンで眺めてみると、それらが低下している企業は少なくありません。つまり長年にわたって社会的Benefitを生み出していないという証左になります。景気がどうの為替がどうのと言い訳を言ったところで、消費者つまり社会に認められなければ企業の発展も成長もありません。短期的利益に走ると長期的投資を怠りがちになり企業の強みを失っていきますので、一度ジリ貧路線に入り込んでしまうと企業の復活は容易なことではありません。

第三段階の企業として有名なのはネスレです。世界で十数億人が深刻な栄養不良に直面している一方で、飽食に明け暮れメタボとなっている人がいる。十分な水や食料を確保できない人がいて、一方でカロリー取り過ぎの栄養過剰な人がいる。こうした栄養問題の「二重負担」は世界的問題と言えるでしょう。ネスレは慢性疾患と微量栄養素欠乏症の両方に対して、対処療法ではなく積極的に予防的アプローチを先頭になって行っています。

ネスレはこういった世界的規模の大きな問題を一企業だけで解決できるものと考えてはいませんが、それを一企業の責任と考え、「共通価値の創造」に向かって自社の強味を生かして、かつ事業活動を通じて行っていることに惜しみない賛辞を送りたいと思います。

学校教育の改革待ったなし

2014年8月12日 at 4:21 PM

大辞林には「教育とは他人に対して意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、家庭教育・学校教育・社会教育に大別される」とあります。社会教育を除いては、主に未熟な人間に対して成熟した人間が何らかの働きかけを行って、その成熟した人間の思う望ましい方向へ導くという意味合いがあります。一番身近な例は親子の関係です。最近はMonster Parentなる人達が登場して学校教育の現場を混乱させているようですが、学校教育に躾から学力から試験対策まで何でもかんでも期待するのは明らかに間違っています。教育基本法の義務教育の規定には「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする」とあります。前段は個人の、後段は国家及び社会という集団に貢献する人間形成を行うという目的を掲げています。親として子の幸せを願い、思うところの教育を施すことは必ずしも教育基本法の精神と100%合致するとは限りませんから、それぞれの家庭のオリジナリティを持った家庭教育は非常に重要で、両親・祖父母・兄弟姉妹・同居する人全てが好む好まざるとに関わらず影響力を持つことになります。

しかし、何と言っても義務教育期間の9年間に加えて、幼稚園・高校・大学などその前後合わせた20年弱の学校教育という存在は最も人間形成に大きく影響を与えていると言えましょう。ここで教育基本法の前段に注目したいのですが、「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培う」という目的に今の学校教育は適っているのか、かねてより疑問に思っていました。平均点を上回る子供たちの量産より、それぞれの子の強みや興味を持っていることをもっと伸ばしてあげる方向に舵を切るべきです。当たり前なことはコンピュータがかなりのことをやってくれる時代です。単なる知識の詰め込みは却って考える力の欠如につながります。もし、前述の目的を学校教育が果たせないとなれば、いずれ不要になるでしょうし、一部しか果たせないということであれば、その残りの部分を他のシステム(仕組み)に委ねなければならないと思います。教科書は明治16年から当時の文部省(今の文部科学省)の認可事項になっていますから、国家という枠を外れた教育は現行法下では学校教育に期待しえないとまず認識しなければなりません。グローバル化によって、経済や社会や文化や宗教が国家を超えて動いていることは皆さん周知の通りです。

日本の高度成長を支えたものは日本国民の教育レベルの高さであったとは定説として言われていることです。アメリカから持ち込まれた品質管理を本国より実践的に消化して成果を上げたのも均一的な思想、学力、労働観などが大いに影響していると思います。日本の全国的かつ統一的教育は、江戸時代後期に幕府や諸藩が領内に設けた学校、寺子屋、私塾等がその素地となりました。後の中学・高校の母体となった藩校が270校、寺子屋に至っては数万校あったと言われます。明治14年に制定された小学校教則綱領では、小学校の教科として【初等科】:修身、読書、修辞、唱歌、体操、【中等科】:初等科に加え、地理、歴史、図画、博物、物理、裁縫(女子)、【高等科】:中等科に加え、化学、生理、幾何、経済(女子は家事経済)が規定されました。その当時に必要であると考えられた学科が並んでいるのでしょうが、文言だけ見ると、かなり難しそうですね。当時の小学生は消化できていたのでしょうか。以降、教育指導要綱によって教科や教える内容やポイントは改訂が加えられてきました。しかしながら、将来を見据えて、これからの学校教育に期待できることは何かという視点から、大きく発想を転換しなければならない時代なのではないでしょうか。

これから社会に出ていく子供達に何が必要なのか、と考えるとやはり「自分で考える力」「創造(想像)性」「コミュニケーション能力」であろうと私は思います。コンピュータ革命に始まり、ここ数十年のIT革命はこれまでの教育の有り様を根本から変える影響を与えています。産業革命はBlue Colorの労働の形を大きく変えましたが、IT革命はWhite Colorの価値を大きく変えていきます。肉体労働に取って代わる機械から、知的労働を変えるRobotの登場に繋がります。その時、人間は社会にどのような価値を生み、自らの充実感や満足感を得るのか、その下地の教育を施すことが求められます。知識ばかりでなく、緊急事態発生時のサバイバル知識や体験、それを可能にする体力作りも重要ですね。

そもそも「各個人の有する能力を伸ばしつつ」とありながら、今の学校教育ではできる子が足踏みを余儀なくされています。出来ない子、その科目の理解が弱い子に合わせて授業が進められていますから、基本理念と矛盾しています。学力は先生に教わらなくても今やネットでも本でもタブレットでも最新ソフトがいくらでもあります。それらを個人で行おうとするとお金が掛かりますから、無料の義務教育と同じとはいきませんが、自分で学ぼうという気があれば高額な授業料など必要ありません。未だにお受験の為に高額な教育費をかけているご家庭もありますが、そのCost Performanceの低さに気付かないのが不思議でなりません。

いまや学校のメリットは集団生活いわゆる疑似社会を経験するくらいしかないのではないかとさえ思えます。学力の違いによって理解力は違いますから、学力向上はそれぞれの能力に応じたネット学習でも十分その目的は果たせるものと思います。過去、内閣総理大臣の諮問機関である臨時教育審議会で素晴らしい提案は数多くされています。個性重視の原則を謳い、個人の尊厳・自由と規律・自己責任の原則を確立させる。国際化、情報化への対応。情操や意志の養成。心豊かな人間の育成、文化と伝統の尊重と国際理解の推進を重視。これらは何十年も前の昭和と平成の前後に答申されたことですが、残念ながら私にはその変化が見えません。生涯教育を促進すると同時に経験豊富なリタイア世代の社会人の活用をもっと実行に移すなど、「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培う」という教育基本法の目的に合致するような改革をしなければ、現行の学校教育の存在は危うくなる一方であると思うのですが、一体、何が障害となっているのでしょう?

Sustainabilityと人間の欲望

2014年8月10日 at 2:40 PM

暑い夏が続いていますね。去年は鰻の稚魚が激減して、蒲焼の値段が高いという理由に加え、そんなに減っているのであれば、鰻だけが食べ物ではないしということで土用の丑の日にも遠慮して食べるのを控えました。今年は稚魚が豊漁で卸値も2割ほど安いと聞いていましたので、遠慮せずに何回かいただきました。食べるとやはり美味しいですし、あの口全体に広がるふわふわ感と香ばしい香りは、間違いなく幸福感を運んできてくれます。あくまで気分の持ち様なのでしょうけれど、元気になったような気もします。

しかし、残念ながら世界の科学者らで組織する「国際自然保護連合(IUCN)」は今年6月、絶滅の恐れがある野生生物を指定する最新版の「レッドリスト」にニホンウナギを加えました。法的な拘束力はありませんが、資源量が回復しなければ輸出入が規制され、将来更なる取引価格の上昇を招く可能性があるとのことです。指定の理由は生息地が減少したことや過剰な捕獲、環境汚染や海流の変化も考慮した結果であるという説明です。ニホンウナギは東アジアに広く分布する回遊魚です。回遊魚は、地球環境レベルで海流や水温が変化すると、それに伴ってエサとなるプランクトンの発生状況が変わり、その魚にとって良い条件が揃っている時は爆発的に増え、状況が悪ければあまり増えないという特性を持っています。この変化は周期的に変動することが知られており、マグロやカツオ、それにアジやイワシなども該当します。確かに昔は今年は豊漁で家計に優しいとか、不漁だったので消費者の手には届かない高値になったとかニュースで報道されていましたね。最近は日本食ブームというやや嬉しい傾向が、先進国のみならず経済的に豊かになってきた新興国でも起こりました。寿司に代表される生魚の需要が大いに高まり、それを満たそうとする乱獲に拍車をかけてしまったこともあり、これらの規制が必要になってきたのは無理からぬことです。

クロマグロの漁獲規制論議も記憶に新しいですが、「中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)」が昨年12月、各国は2014年の未成魚の漁獲量を2002~04年の実績に比べ15%以上減らすことで合意しています。もうひとつの団体である「北太平洋におけるまぐろ類及びまぐろ類似種に関する国際科学委員会(ISC)」は、現在の規制や管理措置が完全に実施されたとしても回復は期待できないとして、更なる漁獲量削減の必要性を指摘しています。

捕鯨問題も日本にとっては難題続きですが、こちらは資源としての側面に加え、「知的生物だから食すべきではない」「太古からの食文化としての正当性」など文化・環境保護観点からは言うに及ばず、政治・宗教的色彩も帯びて日本は劣勢に立たされっぱなしです。ノルウェーはIWCの捕鯨禁止令を1993年以降守っていません。独自の数量制限を設定して商業捕鯨を続けていますが、それでもミンククジラは増えているとして禁止令を無視し、自国の正当性を主張し続けています。データ精度が十分確保されているのであれば、個人的にはこの選択もありだと思います。知的生物だから云々の話は別のところでしてほしいですね。牛や豚はバカだから食べてもいいという理由はないですよね。食べない理由は宗教的な背景も含めて個人の自由として認められて当然ですが、食べるなという理屈は感染など人体への害を除けば、これを強制する説得性を持ちえないのではないかと思います。

いずれにせよ、食す人達、捕獲により生計を立てる人達、自然保護を主張する人達の全ては「水産資源が無くなったら困る」人達ですから、その共通目的を共有しえる関係です。その意思を持って合意形成に努力していただきたいものです。先月末に日経新聞電子版が行ったアンケートによると、ニホンウナギの漁獲制限に95%の人が仕方ないと理解を示し、78%の人が輸出入の禁止など国際的な取引規制の対象にすることに賛同しています。将来にわたって水産資源を次世代に継承していくことは現世代の責務です。多くの人がそこに理解を示していますから、密猟や抜け駆けを許さず、共通目的の下で地球規模での管理体制実現を求めたいと思います。

一方で技術進歩の進展もあります。近畿大学のクロマグロ完全養殖成功といった朗報もありましたし、実はニホンウナギの完全養殖も4年前に独立行政法人水産総合研究センターによって成功しています。あと3年で実用化したいと意欲をのぞかせています。こういった地道な水産技術の進展、関係者の皆さんの努力に拍手拍手ですが、それを盾に乱獲解禁とならないような人類の自制心を期待したいものです。

持続可能性(Sustainability)という言葉は、もともと水産資源を如何に減らさずに最大の漁獲量を得続けるかという「水産資源における資源評価」という分野の専門用語であったそうです。今では様々な分野でこのSustainabilityという言葉が使われるようになり、化石燃料に代わる再生エネルギーの開発や、金属のリサイクル等でもその考え方が浸透しています。原発の核廃棄物処理を例に取ると、埋める以外の解決案が無いまま進めるというのは、将来世代へのツケ、問題先送りという無責任なことですから、全く恥ずかしい限りであると私は思います。今後の技術革新による解決を勿論期待していますが、事実上もんじゅの核燃料サイクル計画は破綻してしまいましたから、原発政策の一時凍結は止む無しと思います。

遡ること16世紀の大航海時代にヨーロッパ諸国が植民地政策と称して略奪していった資源は数限りなくあります。まだ地球の全貌がわからず、果てしなく続く海原の先には黄金郷があると信じられていた時代です。未開の地に黄金や香辛料を求め、天然資源を安く貪り、労働力としての奴隷を売買し、他国に後れを取ってはなるまいと自国のみの繁栄を求めていった時代です。今やグローバルの時代となり、周りの環境から全く隔離して自国・自地域・自分だけが繁栄することはできません。大航海時代に一攫千金を求めて新大陸を目指した冒険者たちは、一方では数々の伝染病を持ち帰ることにもなりました。植民地時代から始まる森林伐採は、それまで密林という自然体系の中で密かに生息していたウィルスを世界中に撒き散らしてしまいました。人はこれまで好奇心と欲望の名のもとで多くのパンドラの箱を開け、その都度対策を講じてきました。今でも新たなるパンドラの箱を探す旅を続けていますし、将来開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまうかもしれません。

地球における生命の誕生は約40億年前に遡りますが、このプロセスを100年に短縮して火星を人間の住める惑星にするテラフォーミング(http:下記)という計画があることを最近知りました。人間の創造性の無限の広がりと欲望の果てしなさ、そして生命共存という賢明さはどこでどう鼎立するのか、永遠にしないのか私の想像力を遥かに超えているのでわかりませんが、飽くなき挑戦を止めることは誰にもできないというFreedomが現世の活力を生んでいることは否定できません。

http://quest.arc.nasa.gov/mars/background/terra.html

Conscious Capitalism

2014年8月1日 at 11:12 AM

「世界でいちばん大切にしたい会社」コンシャス・カンパニー(翔泳社)は多くの示唆に富む好著である。ここで語られるのは、ホールフーズ・マーケットの創業CEOであるジョン・マッキー氏が自らの体験に基づき自社を「人を幸せにする経営」に変貌させていった挿話と、短期的利益重視に立った経営と長期的視点に立った経営では後者が好業績生むという数多の実例である。冒頭では、この四半世紀資本主義は正しい軌道から外れてしまい、歴史上最も富を作り出せる素晴らしい仕組みであるにも関わらず、ほとんど悪者として非難の的になってきたという認識から始まる。労働者を搾取し、消費者を騙し、金持ちばかりを優遇して貧乏人には冷たく当たって不平等を作り出し、個性を認めず、コミュニティを分断し、環境を破壊する元凶として描かれがちな資本主義。企業家や経営者は利己心と欲得で動くものとレッテルを張られ、時に罵詈雑言を浴びせかけられる存在となってしまった。筆者は「縁故資本主義」(様々な規制を政府が作り、政治とコネがあるビジネスが有利となって正当な競争が阻害されているもの)がその代表例で、その土壌の広がりが誤解を生んでいると指摘している。日本の時代劇でも越後屋と悪代官という組み合わせは定番を超えてお笑いの域まで昇華された感と言えなくもないが、世の中にその類型はまだまだ多く見られる光景なのかもしれない。昨今の習近平国家主席による政治腐敗・汚職摘発は前政治局常務委員の周永康氏にまで及んだと新聞が報じているが、内実は「ミニ文化大革命」と言われる権力闘争で、政治中枢に居座る者は皆五十歩百歩と揶揄する声も少なくない。

創業当初こそ苦難の連続ではあったが、その後順調に業績を拡大したホールフーズ・マーケットは1981年に70年ぶりと言われた大洪水に見舞われる。店は2m以上の床上浸水となり、店内の装備や在庫品は何もかも破壊されてしまい、損失額は40万ドルを超えた。自社の経営資源だけで回復できる状況にはなく、破産状態となってしまった。ジョンはわずかに残った復興心を奮い立たせ、絶望の淵から少しずつ復旧を始めたが、全く予想もしていなかった素晴らしいことが起こったのだった。何十人もの顧客や近所の人々が、作業服を着てバケツやモップを携えて、店に集まってくれたのだ。「この店を潰してたまるかい。落ち込むのはこの辺にして掃除を始めよう。さあさあ、仕事に取り掛かろう。」と手伝いをかって出てくれたのだ。ジョン等創業者や社員は抑えきれない涙を流しながらも、身体の内側からエネルギーが突然湧いてきて、希望の光を実感することができた。ジョンは「どうしてここまでしてくれるのですか?」と尋ねないわけにはいかなかった。「ホールフーズは私にとって本当に重要なんです。ホールフーズがなかったらこの町に住みたいとは思わないでしょう。それほどこの店は私の生活にとって大きな存在なのです。」という答えが返ってきた。顧客にそれほどまでに愛されていたという実感はジョンが店の再開を強く決意するのに十分であった。

手を差し伸べてくれたのは顧客だけではなかった。他のステークホルダーからも支援の申し出が沢山あった。洪水で無一文になり給料も払える状態ではなかったが、多くの社員は払えるようになるまで無給で働いてくれた。何十社ものサプライヤーがツケで商品を置いてくれた。投資家もホールフーズを信じて追加投資をしてくれた。銀行から追加融資が受けられたので、在庫を新たに積むこともできた。こういった多くのステークホルダーの後押しを得て、ホールフーズは幸運にも洪水後わずか28日で店を再開することができた。もしステークホルダーが一丸となってホールフーズにあれほどの思いやりを示してくれなかったら、一体どうなっていただろう。今日110億ドルの売り上げを計上するまでに成長したホールフーズは30数年前に間違いなく潰れていただろう。

筆者はこの状況を「ステークホルダーの統合」という言葉で表現している。ステークホルダーとは言うまでもなく、ビジネスに影響を及ぼし、あるいはビジネスから影響を受けるあらゆる関係者のことである。「意識の高い会社」(Concious Company)はステークホルダーの一人一人が重要で互いに繋がり依存しあって、ステークホルダー全員の価値の最適化を目指すものである。全員が共有目的(企業の存在目的)とコアヴァリューによって動機づけられており、もし主要ステークホルダー間に紛争が起きて、誰かが得をすると誰かが損をするというトレードオフの関係ができそうになると、Concious Companyは人間の創造性に関する無限の力を発揮して「Winの6乗」の解決法を創り出して紛争を乗り越え、互いに依存しあうステークホルダー間の利害調整を図ることができる。

実際のビジネス社会ではステークホルダー間の利害関係は複雑だ。あちらを立てればこちらが立たずというトレードオフばかりだ。私もそういった多くの問題に直面して、打開策というよりは妥協策を模索していたひとりである。ちなみにJAL再建に力を発揮した稲盛氏は「トレードオフ」という言葉を禁句とした。京セラ時代からとのことであるが、その意味が本書を読んでわかったような気がする。品質と価格はトレードオフとかいうが、それを言ったらInnovationは生まれない。両方を満足するからこそ、これまでにない商品やサービスの差別化ができて、結果として顧客に受け入れられ、社会に貢献することができる。身近な例で言えば、掃除機の吸引力と騒音。これを両方満足する為に多くの技術者が課題に取り組んでいることであろう。吸引力を上げると騒音はうるさくなるトレードオフ関係ですと言った途端にinnovationは絶対起こらない。

いっとき企業の目的は株主価値の最大化だと言われた。企業によっては長期的投資を渋り、期間利益の最大化を達成し、一般従業員の何百倍もの報酬を期間経営者が得て去ったのち、その企業が低迷迷走した例は少なくない。株主はステークホルダーの重要な一員であるが、他全てのステークホルダーがサーバントになるのは明らかに間違っている。売上や利益といった数字が目的化すると知恵が出てこなくなるものだ。数字を前にして妙案を挙げた人を私は見たことがない。揺るぎない共有目的があればこそ、その達成に向けてステークホルダーの全員が何とかしたいと知恵を絞るものであろう。人は数字のみで心を動かされることはない。Concious Capitalism(意識の高い資本主義)とはあらゆるステークホルダーにとっての幸福と、金銭、知性、物質、環境、社会、文化、情緒、道徳、そして人間の尊厳を同時に創り出すような、進化を続けるビジネス・パラダイムのことである。

本来の(自由競争)資本主義はわずか200年の間に、①世界の85%の極貧(1日1ドル未満)を16%にまで激減させた。②1800年初頭に10億人を超えた人口は今日70億人を超えたが、これは公衆衛生・医療・農業の生産性の拡大が大きく寄与している。③一度に数百万人の命を奪う疫病から人々を救い、平均寿命は30歳から68歳まで伸びた。④この40年間で栄養失調者割合は26%から13%へ半減した。この傾向が続けば21世紀中に飢餓がなくなると言われている。⑤極一部のエリートしか読み書きできなかったが、今日識字率は84%である。⑥わずか120年前には民主主義国家でさえ女性や少数民族には参政権がなかったが、今は53%を超える。⑦1910年にアメリカで高卒の学歴を持つ人の割合はわずか9%だったが、現在はおよそ85%。そして25歳以上の40%以上が大卒以上の学歴を持っている等々の成果を上げてきた。

本来の資本主義を取り戻すというConcious Capitalismが脚光を浴びてきたのは、こういった歴史的社会変化と無縁ではないだろう。資本家と労働者が対立関係にあった時代においては、資本・知識・情報・社会参加などの観点で圧倒的な格差があった。しかし(自由競争)資本主義と民主主義の下、多くの人々が教育の機会を得て、IT革命による情報へのアクセス自由度が増大し、肉体的苦痛や精神的緊縛から解放され、心の安寧を得ることできた。資本家と労働者といった対立概念は一部の抑圧地域を除けば、すっかり昔のものとなった。以前よりもはるかに複雑な事柄を理解し、これに対応できる人々が多くなってきているのだ。個人が投資家であり、生産者であり、消費者の時代である。争奪による自分だけの幸せを希求しても決して長期的な安寧を得ることはできない。金銭は現代社会において生きる上での必要条件ではあるが、人生の喜びを感じさせてくれる十分条件ではない。Concious Capitalismは、多くの人々の幸せが、自分のそして家族や友人の幸せに帰することを理解してきた人々の増加によってもたらされた福音とも言えるニューパラダイムなのではないだろうか。