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日本は教育後進国?

2015年2月27日 at 11:44 AM

OECDが発行した「Education at a Glance 2012」の大学進学率の国際比較によると、OECD加盟34か国の平均が62%。それに対して日本は51%と平均以下になっています。上位は96%のオーストラリアを筆頭にアイスランドが93%。アメリカは74%、韓国71%、イギリスが63%。日本より下位の国を見てみると、イタリア49%、スイス44%、ドイツ42%等です。

日本の大学進学率が相対的にそんなに低いのか?と直感的に感じて、色々と調べてみました。そもそもこの統計の定義は何か。OECDの大学進学率は、各学年(留年生を除く)を年齢別に集計し、その数を各年令の人口総数で割り、それぞれの割合を合計した数値を進学率と定義しています。ここに大きく影響する要素は留学生と社会人学生です。分母はいわゆるその国の現役大学生年齢の対象者になりますが、分子は外国から勉強しに来た留学生や、職を一旦辞めて勉学を志す社会人などが入ってきますので、理屈としては100%以上にもなり得る数値です。上位国と比較して日本は、留学生にとって魅力的なカリキュラムを提供できているのか、社会人が生涯学習に取り組む下地ができているのかといった点で劣っているのでしょう。教育制度は各国同じではありませんから、4年生の高等教育機関を調査対象にしてはいるものの、冒頭の「大学」という定義も厳密な意味では違いがあります。ドイツは職人に対する社会的地位が高く、小学校高学年で職業訓練校を選択して手に職を付ける者も多いので、納得できる数字でしょう。オーストラリアは留学生が21.8%を占めるというデータもあるので、これが随分押し上げ効果を生んでいるものと思います。数字だけから安易に日本は今や教育後進国なんだと思い込むことは早計なようです。

数字のからくりが少し見えたところで、日本の大学進学率の時系列変化を見てみましょう。1955~60年度では10%強、その後1975年度まで急上昇を続け40%弱までに至りました。大学進学率が30%を超えた頃から、大学生の学力低下と幼稚化が問題にされ始めました。以降は緩やかなカーブを描き、2009年度に始めて50%を超え、2人に1人が大学に入学する時代になりました。しかしながら、2010年度をピークに下降傾向となり、50%を切っているのが現状のようです。

大学進学率が高ければ、国力が増すという単純なものではありませんから、それぞれ個人の志向が反映されて当然ですが、意思を持って大学進学しない人は良しとして、行きたいけれどもいけない人がいることは、高等教育が創造的価値を生み、国を支えるということを考えると何らかの施策が必要であろうと思います。大学に行かない理由のうち、金銭的理由が学力による理由を上回ったとか、生活費稼ぎに奨学金を得ているとか、その奨学金の延滞者が11%に及ぶなどといった情報に接すると、低所得者層への支援がより必要なのではないかと強く思います。

学校教育費用の国庫負担(対国内総生産比)の国際比較を見ると、欧州諸国のそれが7%前後であるのに対し、日本のそれは3.6%とOECDの中で最下位グループです。日本より個人負担比率が高い国は韓国とアメリカです。韓国の場合はご存じのように、大学受験生をパトカーが送り届けるほどの教育加熱国です。アメリカの大学の学費は高いと評判ですが、州税を払っていれば、日本の国立大学並みの学費です。北欧3国はご承知のように幼稚園から大学院に至るまで寮費を含めてタダです。日本でも将来伸び代のある子供たちへの適切な投資をもっとすべきです。

もうひとつの視点は、私立大学の40%が定員割れという状況が示すように、学費さえ払えば入学を認めてくれる大学は沢山あるでしょうが、そうした大学は学費が高い割に、内容の充実した授業が提供されず、卒業後の就職も覚束ないため、費用対効果という観点から敬遠されていると見ることが妥当でしょう。ここ4~5年という短期のデータではありますが、前述の大学進学率が下降線を辿る一方、専門学校への進学率が上昇していることはその転換点と言えるかもしれません。

グローバリゼーションの波は、世界の所得格差を縮小させ、国内の所得格差を拡大したと言われます。教育が、創造的付加価値労働により国力を高め、個人や家庭の家計を支える礎であるならば、国際競争力を念頭に置いた教育機会均等の環境整備と教育の質向上を目指した施策が求められます。勿論、個人レベルの努力は言わずもがなです。

ウォールストリートジャーナルが「ロボットが人間より優れている10の職業」という記事を掲載しました。倉庫労働者・バーテンダー・兵士・薬剤師・農民・爆弾処理者・数字分析が多いジャーナリスト・ハウスキーパー・補佐や文書審査の弁護士・銀行の窓口係や店員がそれです。これら、ロボットが人間以上の能率を上げている職業や、今後は人間に代わってロボットの活躍の余地が大きいとみられる職業の中の多くはさもありなんと合点がいくものです。日本の労働者人口が減ってくるので大変だということをよく聞きますが、それは今の社会保障制度を維持しようという観点から主張でしょう。ロボットが人間の職場を浸食(代替)しているのは厳然とした現実で、私は却って若年層の失業率がさらに高くなっていくのではないかという心配の方が先に立ちます。失業率の高い国々の理由は、経済政策など様々あるでしょうが、つまるところ雇用のミスマッチの結果です。そのミスマッチをいち早く埋めるのは人工知能やロボットなのか、はたまた気の利いた人間なのか、過酷な椅子取りゲームの様相とも言えますが、ゲームのルールはきっと人間がつくるであろうことは一つの救いと言えるのではないでしょうか。

高倉健さんの愛読書

2015年2月4日 at 12:30 PM

2012年9月10日NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀 高倉健SP」で紹介された健さんの愛読書をやっと読むことができた。それは健さんが常に持ち歩き、随所に赤線を引っ張り、ボロボロになるまで何度も読み返したという「男としての人生――山本周五郎のヒーローたち」(木村久邇典著、グラフ社)という本である。当時アマゾンで調べたら書籍は絶版、中古品は7万円もしていた。そんなに人気があるなら再版されるだろうと高を括っていたが、今日までその動きはない。今やアマゾンにさえ出品はない。「男としての人生」を改題・新装復刊した「山本周五郎が描いた男たち――さまざまな男の心情 15の物語」という本もあるが、こちらも絶版。ヤフオクで5万円程の値段で出品されている。いずれにせよ再版されないのは不思議でならないが、それを出版社に問い合わせるほどの情熱まではなかった。図書館に予約し1年4か月待って漸く手元に届いた「男たちの人生」であった。私は待ちに待ったその本をあっという間に読了したものの、正直感動するというところまでは至らなかった。

健さんはこの本のどこにそんなに惹かれたのか。内容は、朝日新聞社時代に周五郎の担当記者だった木村久邇典(くにのり)氏が、周五郎の著作の中で出てくる男15人の魅力を解説しているものである。様々な男を題材にしているが、(私の勝手な想像の中での)健さんの生き様と照らし合わせてみると、出来不出来に関わらず「命ある限り、男は最期の最期まで己の最善を尽くす」ということに健さんは惹かれていたのではないか、そんな男として生き抜きたかったのではないかと感じた。周五郎も「ぼくは、あっさり諦めて潔く退く人間よりも、あくまで頑張り通す人間を描きたい。自分に与えられた条件の中で、自己に見切りをつけずに精一杯努力する男。そういう男にぼくは取り組んでいきたい」が持説だったと木村氏は記している。

周五郎は「日本人という国民はよろずにつけて辛抱がたりない。粘り強さに欠けている。諦めが早い。熱し易く冷めやすい。これではいけないね。」と言っている。まるで私自身のことを言われているように思った。周五郎の小説は所謂「髷もの」(時代物)が多い。武士の散り様の象徴が「切腹」である。一筆辞世の句を詠み、泰然自若、微笑すら湛えて潔く死んでいく。周五郎はそれを是としない。私は明らかに「桜の花の散り際の潔さを愛でる」側の人間である。多くの日本人もそれには共感するのではないかと自己防衛してしまう。周五郎に言わせれば、「執念がなければ、何も生まれてこない。小器用な模倣品は作れるかもしれないが、本物を創造することはできない。真の文化というものは、長い風雪に耐えぬき鍛え抜かれた伝統のうえに誕生するものなので、日本人のように表面の現象だけに色目をつかって右往左往するような軽薄な国民性からは、ロクなものが生まれてくるはずがない。」と一刀両断である。周五郎の説に異を唱えるものではないが、私は日本人が粘り強さに欠けているとは思わないし、実際日本のモノづくりに掛ける執念や国際競争力の強さ、そして黄綬褒章に見られるようなその道一筋の職人を認め称える風土も長年維持し続けてきていると感じる。明治・大正・昭和の厳しい時代を生き抜いてきた周五郎からすれば、「辛抱が足りない」のだろうが、幸い「おしん」のような境遇になかった私は、正直腰が引けてしまう。

何かわからぬ違和感を感じざるを得なかった私は、三島由紀夫の最期の死に様を思い起こした。1970年に市ヶ谷駐屯地で自衛隊のクーデター決起を促す演説をしたのち割腹自殺を遂げた壮絶な最期であったが、私の思うところ三島の相克とは日本が長年培ってきた日本・日本人らしさと、戦後のアメリカに押し付けられた急場の民主主義に唯々諾々と面従腹背し、金に目の色を変えて追いかける民衆との落差の間にあったのではないかと思う。

健さんは1931年生まれ。83歳でこの世を去った。終戦の時は14歳(三島はちょうど20歳、木村氏は22歳、周五郎は42歳~周五郎の代表作はほとんど戦後の発刊)。やはり思うに敗戦、そして価値観の大転換というものが、その時代に生きていた人のそれぞれの年齢なりに大きな衝撃を与えたのであろうと思う。これまで良かれとされていたことが真っ向から否定され、それも戦前の価値観を引っ張ってきた人たちの中には、まるで人が変わってしまったかのように新しい価値観にすり寄っていくことが目前に繰り広げられたとすれば、否が応でも何が正しいのか、己は如何に生くべきか、自分は何のために存在しているのか、を三思九思せざるを得なかったであろう。敗戦は長い日本の歴史の中では一時に過ぎない事象ではあるが、その時代に生きた人にとっては、日清・日露戦争の高揚感から満州事変~日中戦争と続く50年に亘る戦時下の末に、常勝日本が太平洋戦争で敗戦した時の物理的・精神的衝撃は私には計り知れない。戦後しか知らない私には三島が感じていたであろう「戦後レジームへの違和感」は感じることはできない。この体験のギャップがこの本への思い入れの差となって現れているのだろうか。

そうは言ってもこの本は相応の魅力を有している。読みながら私がメモした文章は以下の四つである。

–ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、-ここまでゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ(周五郎「ちょくしょう谷」より)

–汝を愛するごとく汝の隣人を愛せよ(新約聖書より)

–おれは人の苦しむのを見るより、自分で苦しむほうがいい(周五郎「つばくろ」より)

–苦しみ悩みつつ、なお働け、安住を求めるな、人生は巡礼である(ストリンドベリ―)

ちょうど「イスラム国」による日本人拘束・殺害のニュース、そして拘束されていたヨルダンのパイロットがひと月も前に焼殺されていたという報道、さらにヨルダン政府による「イスラム国」への報復宣言が為された(リシャウィ死刑囚の死刑執行)。どの時代に生きても大なり小なり起こる理不尽の中で、人間は希望を持ち、ゆえに苦しみ、悩み、怒り、悲しみ、しかし喜びを得んと生きる。誰しもその生きた時代の影響から逃れることはできない。与えられた時代や境遇の中で、自分で考えて精一杯生きていくしか道はない。母は87歳になる。母の生きた戦前・戦中・戦後の話をまともに聞いたことがなかったことに気が付いた。そして無性にそれを聴きたくなって私は電話を掛けた。

価格下落率1位ナフサ、そして原油

2015年1月10日 at 5:48 PM

ナフサは2014年取引相場でドルベースで一番の下落商品となりました。年間で51.1%下げて487ドル/トン(120円/$換算で4万円強/kl)になったと12月27日付け日本経済新聞が報じています。ナフサの原料は原油で、この原油の価格下落(48.4%)が直接的に影響しています。ナフサとは元来ギリシャ語やラテン語で原油を意味する言葉から来ていますが、今では石油精製品のひとつとして定義づけられています。原油を加熱炉で350度まで熱し、蒸留装置によって沸点の低い方から、LPガス、ガソリン、ナフサ、灯油、軽油、重油などのさまざまな石油製品に生まれ変わるわけです。さらにナフサは分解装置等で重さによって軽い方から、エチレン、プロピレン、ブタジエン、ベンゼン、トルエン、キシレンなどの石油化学製品になっていきます。

ナフサの価格は基本的には原油価格に連動し、その都度都度の為替レートによって換算されます。原油価格は需給によって形成されるとは言うものの、大きくは政治情勢に左右されると言っていいでしょう。70年代半ばまで6000円/klだったナフサの価格は、第四次中東戦争を引き金に発生した第一次オイルショックによって76年には5倍の3万円/kl、そして79年のイラン革命によるイラン石油生産中断を受けた第二次オイルショックによって6万円/klとさらに倍にまで跳ね上がりました。第二次オイルショックが収まった85年から2000年代前半までは15000~3万円/klで落ち着いていたナフサ価格は、BRICsなどの新興国の原油需要増加、産油国の生産能力低下などを背景にしつつも、投機資金や先物市場における思惑買いなどの余剰マネーの流入により08年85000円/klを超える価格に至りました(第三次オイルショック)。2008年9月のリーマンショックで一気に1/3まで価格は落ち込み、その後のアメリカの景気回復にその足取りを合わせるように7万円まで価格を戻してきたのが2014年夏までの推移です。

以降のナフサ価格の下落は7月をピークに一挙に下げ続けた原油価格を反映した形ですが、大きな要因はアメリカのシェールオイルの台頭と言えるでしょう。アメリカがエネルギー輸入国から輸出国へと変身すれば、世界のエネルギー需給に大きな変動要素となります。シェールオイルの製造コストは$70~95/バレルと言われていますが、将来の増産効果によりその半分にまで下がるというシンクタンクの調査もあります。一方、サウジアラビアを盟主とするOPECは昨年末に減産をしないという方針を決定し、それを受けて市場では既に原油価格が$50/バレルを切っています。産油国の採算コストは$40~60/バレルと言われたり、実際の生産コストは償却しきっている設備であれば$10/バレルとも言われています。アメリカのシェールオイルは投資し始めたばかりですから、価格競争になったらOPECなどの産油国には敵いません。それを見越してのOPEC減産見送り判断でしょうか。実際、シェールオイル企業のいくつかは既に破綻してしまいましたし、投資していた日本の大手商社も痛手を被るところも出てきました。

実はもうひとつの要素が「イスラム国」にあります。ご承知のようにイスラム過激派組織がイラクとシリアの一部を実質支配している地域ですが、そこの油井設備を占領下に置き、$40/バレルで市場に流し、戦費を稼ぎ出しているという情報があります。まだ原油価格が下落しそうな兆候が見えるのはそういった背景もありそうです。イスラム国にしてみればタダで手に入れたようなものですから、反イスラム勢力が困ることであれば、手段を選ばず安い原油を市場に流すことはいともたやすいことでしょう。

シェールオイルvsOPEC産油国の構図で、影響を大きく受けているところがロシアなどの歳入を資源に頼っている国々です。採算はどうあれ、国家予算の多くを資源売却代金から得ている国は歳入が大きく減ってしまうと財政危機に見舞われます。ベネズエラやナイジェリアなどはデフォルトになるのではないかと囁かれています。ベネズエラはキューバの原油供給元ですが、キューバとアメリカの国交回復となれば、その大きな輸出先を失い真っ先にデフォルトとなりかねません。産油国の財政運営が健全に行われるための原油価格損益分岐点なるものが英ガーディアン紙に載ったことがあります。ベネズエラは$121/バレル、ナイジェリアは$119/バレル、サウジアラビアでも$93.5/バレルです。サウジアラビアはこれまでの蓄えがあるので、短期間の価格下落であれば問題ない、実は裏でサウジアラビアとアメリカが手を結んで覇権主義ロシアを兵糧攻めにしているといったまことしやかな噂まで飛び出しています。

原油の話が長くなってしまいましたが、ナフサの話で締めくくりましょう。ナフサは国内ではほぼ全量が原油から製造されますが、アメリカでは天然ガス由来のエタンから製造されます。今後の動向によってはシェール革命で米国産のエタンはさらに競争力を増す可能性もあります。また、ポリエチレンなど多くの石油化学製品の基礎原料となるエチレンもナフサから作られますが、中東では原油採掘時の随伴ガスを活用したエチレン、中国では石炭由来のエチレンの生産も進んでいます。

エタンからは製造されないプロピレンのような中間製品もありますが、こうした非ナフサ系エチレンの台頭といった動きもありますので、従来のナフサ価格連動の石油化学製品という固定概念も見方を変える必要がありそうです。技術の進歩は止まることはありませんね。PEST分析の格好の材料になります。

価格高騰率1位のコーヒー豆から見える世界

2015年1月6日 at 3:00 PM

2014年年間で最も取引価格が上がった商品はコーヒー豆である。12月26日付け日本経済新聞によるとサントス産No.2はキロ当たり605円と49.4%高騰したと報道されました。2000年からの価格推移を見てみると2001~2年を底に2011年まで一気に6倍にまで跳ね上がり、その後2014年初頭までは3分の1近くまで値を下げ、2014年また2倍に高騰しています。

コーヒー豆は通常、豊作と不作を1年ごとに繰り返すそうです。というのは豊作の翌年コーヒーの木の体力が弱まり、収穫量が減ってしまうからです。2013年は前年が豊作だったことから不作が予測されていましたが、実際には想定より豊作となってしまい価格が下落しました。そうすると生産者の多くが収穫して安値で売るよりは、剪定や植え替えなど木の手入れを優先して収穫を落としたことと天候不順が重なり2014年は逆に価格が高騰してしまったというのが専門家筋の解説です。

ご承知のようにコーヒー豆の生産国はブラジルが世界の3分の1を占めて首位、以下ベトナム、コロンビア、インドネシアと続きます。コロンビアのコーヒー豆は高品質で人気が高いですが、山地の斜面で栽培している小規模農家が多く生産量はほぼ増えていません。1999年までは2位でしたが、人手を掛けずに生産性を上げる方式のベトナムに2000年には抜かれ、今やコロンビアとベトナムの生産量は2倍の差になっています(一般に生産量は1 ha当たり1 tが目標とされますが、ベトナムのそれは3 ~5 tに達し、10年の間に輸出量を10倍に拡大しました)。またコーヒー豆の収穫に際しては熟した赤い実だけを手で摘むというハンドピックが高級品の条件となりますが、ベトナムではコーヒー豆は乾燥させれば真っ黒になるので見分けはつかないという理由で、完熟豆も未熟豆も買取業者は同じ価格で購入します。ですから、コーヒー農家では収穫期を迎えた木の実をすべて採ってしまい、青い実も赤い実も混ざって収穫されてしまいます。

実はコーヒー豆には大きく分けて2種類あり、一つはアラビカ種で、ジャマイカのブルーマウンテンなど、世界各地の有名な産地の名が冠されることで知られています。それに対してベトナムのほとんどで採取されるロブスタ種は味は苦くて品質が劣り、単独で飲まれることはほとんどありません。ベトナムのコーヒー豆の知名度が低いのは、ブレンドされたりインスタント・コーヒーの原料として用いられることがほとんどだからです。

ベトナムが世界第2位のコーヒー輸出国になったのは、病気に強く農薬を撒く必要性も少なく、収穫後は庭先で天日乾燥させるだけという手間のかからないロブスタ種を増産したからに他なりません。インドネシアも19世紀末にアラビカ種がサビ病(多くの植物がかかるカビが原因で発生する空気及び水媒伝染性の病害)によって被害を受け、多くがロブスタ種への転換を図りました。ロブスタ種の価格はアラビカ種の半値から7割ほどですが、その(品質はさておいて)高い生産性ゆえの価格競争力で利益を確保していると言われています。しかし価格が下落すればなるべく投資をせず、再び価格が高騰するのを忍耐強く待ち続けるというその日暮らし的栽培手法を取っています。

一方、アラビカ種は標高1000m以上の高地でなければ育ちません。施肥や剪定などにも手間がかかり、手入れをするための知識を必要とします。農薬や肥料などに費用をかけ、水洗処理施設に投資を行い、水洗式で処理し、欠点豆を手で取り除いて高品質を保つ努力をしています(冒頭のNo.2は最高級品と言われ、欠点豆は300g(約2千粒)あたり4個以内と規定されています)。

環境面からもこの2品種の差を見ることができます。暑さに弱いアラビカ種の場合には、被陰樹が必要となります。それは生物多様性の観点から環境にやさしい栽培方法とされ、実際、渡り鳥はこの被陰樹を休憩地として長旅の羽を休めるところにしています。ベトナムでは完熟豆だけを摘むというようなインセンティブが働かない市場なので、たとえそれがどんなに環境破壊的な手段を用いて生産されていようとも(絶滅の危惧される野生動物の重要な住処である国立公園内で違法に栽培されたコーヒーなどが流通すること等)違法な農地開拓が進む現状があります。

安ければ買っていくバイヤーと安ければ売れるいう消費市場が、成長を意図する貧困国とその農民を巻き込んでこの構図を作り出しているとも言えます。コーヒー豆に限らず多くの商品価格に言えることですが、ふた昔前であれば、新興国が生産国、先進国が消費国という構図が、多くの新興国が経済成長の波に乗り、消費国の仲間入りをしました。ですから豊作不作の幅は大きく変わらなくても、消費市場が大きくなったので、以前より価格変動の幅が大きくなったと言えます。この傾向は今後も続くものと予想されます。

ここでコーヒーの最終小売価格に対する流通経路の各取り分を見てみましょう。1994年のデータですが、農家10%、仲買人21%、輸出業者8%、輸送・保険料2%、バイヤー8%、焙煎業者29%、小売業者22%と焙煎企業以降の取り分に比較して生産国の農家の取り分が非常に少ないことが見て取れます。これを焙煎業者・小売業者の搾取と取るか、企業努力と取るかは見解が分かれるところでしょうが、いずれにしても生産者のモチベーションが低下すれば、生産量の低下や品質の低下が起こるのは必然でしょう。生産者はもっと儲かる作物があれば転作をしていくでしょう。実際ベトナム政府は上述のマイナス面是正の為に奨励金などの施策を通じて転作を奨励していますが、それに応じるのは利に聡く器用な農民やコーヒーの木を切り倒すことによって補助金をもらうことだけを考えているような農民で、なかなか本来の趣旨に沿った是正が進んでいるとは言い難い状況のようです。

日本では一杯5000円もするジャコウネコの糞やゾウの糞から採取される未消化の豆を挽いたコーヒーを至極のコーヒーとして飲んでいる人もいれば、安価で苦味の強いロブスタ種の使用比率が増え、味が落ちているのにもかかわらず円安により高いコーヒーを知らぬ間に飲まされている人もいるでしょう。コーヒー豆の価格騰落は気候変動と投資家の思惑で乱高下するという短絡的思考で留まってしまう人は、その奥に広がる複雑怪奇な世界を楽しむ機会を失っているかもしれません。モノの価格のメカニズムと世界の経済や政治はこのような形で必ずつながっているという面白い世界です。

次回は下落率1位のナフサについて言及してみたいと思っています。

 

 

スイスと日本

2014年12月6日 at 11:25 AM

スイスと日本は共通点が多いと言われます。資源が少なく石油を輸入に頼っている点、狭い国土で山が多い、工業製品を輸出して外貨を稼ぐ加工貿易。最近は円安に振れていますが、かつては円もスイスフランも強い通貨の代名詞でしたから、共に輸出価格競争力を奪われる中でグローバル競争を生き抜いてきたという点でも共通項があると言えると思います。

自然景観に恵まれた両国ですが、観光立国という視点で比較してみると、日本は2013年の統計で外国人観光者数が1000万人を超え、ランキングとしてスイスを追い抜いています。スイスの観光客はドイツを筆頭に隣国からが多いのですが、多分物価高もあって観光客は減ってきているようですが、最近は中国など新興国からの観光客を呼び寄せようと努力しています。しかしながら、人口を超える800万人もの観光客が訪れるという意味では日本と比べてもまだまだ先輩格の立派な観光大国と言えるでしょう。ちなみに訪日外国人御三家は韓国・中国・台湾で全体の半数以上を占めますから、日本の「おもてなし」や「Cool Manga Animation」に代表される素晴らしさをもっとアピールしていけば、まだまだ今後の成長余地はあると言えるでしょう。

経済的な視点から見ても両国は世界有数な経済大国と言えます。日本は2009年にGDPで中国に抜かれたとは言え、世界第三位です。スイスは一人あたりの名目GDPで世界第四位(スイスのUS$81,276に対して日本はUS$38,467で世界第24位)です。スイスはかつてドイツやフランスといった豊かな国に囲まれた貧しい山国で、産業と言えば牛を飼ってミルクを絞ってチーズを作るくらいしかありませんでした。中世になると他国の戦場で戦う傭兵が主な輸出品だったと言われます。そんなスイスがどのようにして経済大国になったのでしょう。
現代のスイスは、時計(スウォッチ、オメガ、ロレックスなど)、食品(ネスレ、リンツ)、エンジニアリング(ABB)、金融(クレディ・スイス、UBS、チューリッヒ・ファイナンシャル・サービス)、人材派遣(アデコ)、医療製薬(ロッシュ、ノバルティス)など世界的な企業を多数生み出している豊かな国になっています。そうした変化の原因は何かをスイス企業の歴史を素材に、スイス在住の米国人ジャーナリストR.J・ブライディングが「スイスの凄い競争力」という本を書きおろしています。実はまだ読んでいないのですが、書評を読む限りでは是非読みたい本の一冊です http://www.dhbr.net/articles/-/2993 。というのも以前に友人に勧められて読んだ「ブランド王国・スイスの秘密」(磯山友幸著)という本が頭の中に蘇ってきたからです。当時失われた20年に沈んでいた日本産業界がどのようにしたら再び成長軌道に乗れるのかという視点で読んだのがきっかけでしたが、読後には何か視界が晴れて元気をもらうことができたことを覚えています。

ブライディングは著書の中で、起業家精神を生む地形であることがひとつの理由だと述べています。スイスは多くの地域が孤立していて、固有の社会構造や特性を備え、教派も異なり、その結果として様々な地域で独自の製品が生み出され、さらにそれぞれが交易で結ばれてきた述べているようです。これは面白い視点で、このことは日本でも京都でユニークな会社が多く育っていることと無縁ではないように思えます。今や玉石混淆の情報に溢れ、学校のレポートはコピペ、学者先生の論文すら盗用発覚といったニュースを目にしますが、周りの情報に振り回されずに、地頭で考えに考え抜いて決断をしていく経営者の孤高さが世界に通じる製品・サービスを生んでいるのではないかと感じます。かつてのロームの創業者やサムスンの現会長なども庵で読書し沈思黙考し指示を出していました。色々な手法やアイデアをベンチマークやスパイ行為で入手しても、その底流に流れる魂の理念までは到底まねできるものではありませんから、これからのビジネス創造を考える上で重要な点であると私は思います。

さて、傭兵で外貨を稼ぐしか選択がなかったスイス人は、色々な国に傭兵として散った戦場で、時には敵味方として親兄弟が殺し合う羽目に陥ったこともあったと記録されています。貧しいがゆえの金の為に生じる悲劇。そんな悲劇から何とか脱出しなければという魂の叫び、阿鼻叫喚がスイスという小国で産業化が進んだひとつの動機づけなのではないかと磯山氏は示唆しています。宗教改革の拠点のひとつとしてプロテスタントが広がったスイスで、勤勉に労働に励む風土が培われたという点も、時代も宗教も違えど日本人の勤勉さに通じるところがあるように思います。

ここまではスイスと日本の共通項を述べてきましたが、日本の成長を考える上で、参考になるスイスのこれまでの取り組みを紹介したいと思います。スイスはヒト・モノ・カネを世界中から集めることに成功しています。まず相続税がありません。法人税や所得税も州によって違いますが、15~25%と日米よりずっと安いです。チャップリンやヘップバーン、イケア創業家、シューマッハ、ハイネケン一族、ダイアナと共に不幸な死を遂げたモハメド・アルファイドの一族などスイスに移住した有名人は多いです。スイスフランは金の保有率が高く通貨が強いので目減りしません。安い農産物はシャットアウトしているので、物価は高いものの、給料も高いです。安いものが買いたければ、国境を越えて安いものを買えばいいのです。

教育水準が高く、外国からの留学者が後を絶ちません。国会議員はほとんどが職業を持っていて兼業ですから、選挙で落ちるとタダの人といった日本とは違います。地元利益優先の衆愚政治に陥る可能性は日本より低いでしょう。優秀な人材を世界中から吸い寄せるために、グローバル経営が徹底しています。役員会は英語で行います。日本でも英語を社用公用語にする企業が出てきましたが、全員が一斉にやらなきゃいけないというのには私は異論があります。まずは経営会議からです。それから下に落としていくべきです。でないと現場での効率が明らかに下がります。自国語でできることまで英語でやる必要はさらさらありません。少子高齢化の先頭を走る日本は移民政策を緩和すべきか否か議論がなかなかまとまりませんが、明治維新を思い起こせば、優秀な外国人を招いて多くの産業を振興しました。このことは長崎あたりを旅行するとよくわかることです。

ブランド戦略も学ぶべきことが沢山あるように思います。多くの日本企業は社名=ブランドというところが多いです。日本でスウォッチというとファッショナブルな安い時計というイメージだと思いますが、ブレゲやハリー・ウィンストンなどのプレステージブランドを7つ、ロンジン・ラドーなどのハイレンジで3つ、ティソ・カルバンクラインなどのミドルレンジで6つ、スウォッチやフリックフラックの2つはベーシックレンジと位置づけられており、18のブランドを地域、市場、顧客に合わせて幅広く展開しています。日本の多くの場合はブランド名がひとつなのでTrade Mark的な意味合いしかなくなっているにも関わらず、ブランドの希薄化を恐れて、高級品から手頃な品まで幅広く展開しにくい状態を作っています。ですから高級品と標準品の間を景気動向に合わせて左右に行き来するような戦略になってしまいます。スウォッチをはじめルイ・ヴィトンでお馴染みのLVMHは数えきれないほどのブランドをM&Aによって保有しています。景気が良くなったら売れるブランド、景気が悪くても売れるブランドを持っていることで商品企画にも自由度が増し、景気の変動に左右されにくい企業体質(コングロマリット)を作っています。所謂ブランドポートフォリオという考え方です。それぞれのブランドがターゲットを明確にすることで、価格競争を回避している訳です。つまりブランドを大事にするということとブランド戦略は違うということを多くの日本企業は考えるべきだと思います。日本の居酒屋グループチェーンを見てみるとこのマルチブランド戦略を使って多くの種類の店舗を展開しています。高級料亭から気軽な居酒屋、イタリアン、焼き肉と顧客の嗜好の変化に対応し、あるいは変化を創りだして顧客の満足を得ようと日々戦略を巡らしています。

スイスに旅行されたことがあるひとは一度はスイスのアーミーナイフを買われたのではないかと推測しますが、このアーミーナイフにはスイスの国旗が付いています。スイスの国旗さえブランド化しているのです。精緻で高品質というスイス製品のイメージを国旗にも活躍してもらって植えつけているのです。日本もおもてなしや高品質という証に日本の国旗を製品につけたらどうでしょうか。冒頭の隣国からの観光客が商品を手に取ってMade In Chinaの表示を見てがっかりすることを考えれば、不発に終わっているアベノミクス第三の矢・成長戦略の切り札になりうるのではないかと実は密かに思っています。

ロボットと人類の未来

2014年11月16日 at 11:38 AM

ソフトバンクグループの決算説明会で孫さんが今後の成長戦略について語りました。イソップ童話の「金の卵を産むガチョウ」になぞらえて自社の成長を投資家に支えてもらえるようにわかりやすく説明しています。ある農夫は自分の飼っていたガチョウが毎日金の卵を産むようになって、それを毎日売って換金し、お金持ちになりました。さらに強欲になってしまったその農夫はガチョウの腹の中には沢山の金の卵があるにちがいないと思い、腹を切り裂いてしまいました。しかし腹の中には金の卵がないばかりか、肝心のガチョウを殺してしまうことになり、全てを失ってしまったという寓話です。ソフトバンクグループはEコマースの成長を予見し、アリババのような小さな会社に投資をし、今年NY株式上場を果たした結果、時価総額29兆円という世界でも10指に入る大企業にアリババは成長しました。これからはインドの成長を見越して同じEコマースのsnapdeal.comや配車プラットフォームのOLA(ANI Technologies)等に総額900億円の投資を決定しています。そして十数年後にはアリババのような投資回収ができるであろうソフトバンクを通信会社という本業のみの視点ではなく、将来を見据えて自分たちと志を一にする新興企業に投資をしていることを評価してもらって、これからも末永く支えていただきたいという主旨の説明をしています。つまりアリババなどのような金の卵を産むソフトバンクというガチョウに引き続き投資をしてもらえれば、次の金の卵を産み落としていきますので、ご期待くださいという訳です。

世界の格差問題など二極化が何かと話題になる昨今ですが、株式などの投資の世界も二極化が進んでいるようです。所謂デイトレーダーと呼ばれる人や注文・売却を投資アルゴリズムによってコンピュータを駆使し、1秒間に数千回という速さで自動決済していくファンドがある一方、5年~10年かけて投資回収を図る長期的視点に立った個人投資家や有力投資会社もあります。自分で学習するAI知能を持ったコンピュータがチェスの世界チャンピオンを破り、プロの棋士を負かしていく様はコンピュータが人間を凌駕していくようで、株式の売買にしてもコンピュータにお任せとしたくなる気持ちもわからないわけではありません。そんな移り気な短期志向の投資家(こういう場合はトレーダーといった方が適しているのでしょう)を長期志向に引き寄せようという意図を、私は孫さんの説明から感じ取りました。

そんなソフトバンクは皆さんご承知のように、人型ロボット工学の世界的な先駆者であるALDEBARAN Robotics社に投資、自然なコミュニケーションが出来るようにと吉本興業グループの株式会社よしもとロボット研究所とも共同でpepperの事業化に邁進しています。最近はTVのコマーシャルにも登場し、来年2月から198,000円という驚きの価格での発売に向けて周到な準備をしています。遡ること15年前ソニーが25万円で子犬型ペットロボットAIBOをネット販売し、瞬く間に完売、当時の話題をさらいました。そのAIBOは、今年クリニックと呼ばれる修理サービスを終了し完全終息に至りました。時代が早すぎたというにはあまりにもったいないことです。発売には至りませんでしたが、二足ロボットAmbassador達の一糸乱れぬ動きは感動もので芸術的とすら感じたものです。個人的には「ラッテ」や「マカロン」といったクマイヌ型になっておもちゃっぽくなってしまったり、AIBOがしゃべりだしたあたりから作り手の勘違いが始まったのではないかと感じていました。

世界のIT大手企業の筆頭であるGoogleもかなりのロボット投資を加速させています。産業用ロボットの老舗ファナックも好調ですし、リビングでは留守中に掃除機「ルンバ」が活躍し、面白いCMで評判の大和ハウスも介護用のロボット開発をしています。小田原にあるHGSTというHDDの工場では上半身まさに人型のロボットがこれまでの作業員に代わって不平も言わずに不眠不休で繰り返し作業をしています。オフィスの仕事も定型作業は派遣社員から賃金の安い地域へOutsourcingされ、いずれはコンピュータの自動作業ということになるでしょう。

一方、世界の先進国では少子高齢化が問題となっています。年金制度など右肩上がりの成長に基づいた社会システムが破綻の危機に晒されています。各国あの手この手で人口ピラミッドを、少なくとも人口減少社会に陥らないようにと平均2人の出生率を維持すべく様々な環境整備や移民政策等を実施しています。しかしながら移民による治安の悪化や自国民の失業率増大などの副作用を生んでいることも否定できません。コンピュータやロボットがどんどん社会生活に入っていくと一体どうなっていくのでしょう。多くの先進国が自国の社会システム維持の為に人口維持政策を進めて、将来ロボット化・コンピュータ化されていく世の中で、果たして就業できるのでしょうか?

米国デューク大学の研究では「今年小学校に入学する生徒の65%は、大学卒業時に現在存在しない仕事に就くだろう」と言われています。事実、現在米国で需要のある職種のうちのトップ10(情報セキュリティの 専門家、モバイルソフトウェアの開発者、ソーシャルメディアコーディネーター など)は、2004年には存在していなかった職種です。

定型業務や単純業務をロボットやコンピュータがやってくれる、答がある問題・やり方が決まった仕事から人類が解放されるというポジティブな捉え方はできるでしょう。一方で、そのような仕事に従事している方はロボットやコンピュータに仕事を取って代わられてしまうというネガティブな考えを持つ方もいるでしょう。労働心理学ではお金という報酬は、単純作業の効率を上げるが、創造性は却って低くなるという研究結果があります。創造的な仕事が増えていくということになると、お金という報酬で人間のMotivationを上げるのは段々難しくなっていくようです。

人間はこれからどんどん創造的な仕事をしていかなければならないという風に言われると、逆に「人間ってそんなに創造的になれるのか?」という反論も聞こえてきそうです。もしもポジティブな考え方が支持されていくとすると、創造性を発揮できる環境というのはどういうものなのでしょう? MITメディアラボ所長の伊藤穰一氏が4P理論を説いておられます。「ある目的を共有し(Project)、友達同士のような近しい間柄で(Pier)、情熱をもって(Passion)、遊び感覚でやる(Play)こと」で人間は創造性が発揮されるそうです。成程。

哲学のある歯科医から学ぶこと

2014年10月28日 at 11:00 AM

今年に入って歯を一本失いました。近所の歯科医に何軒か行きましたが、話や治療に納得できずに、結局高校時代の同窓生の歯科医を頼って都心の大学病院まで出掛けました。気心が知れているので、残された人生時間を考え不安に思うことを十分納得できるまで話が出来て良かったと思っています。結果として自ら抜歯を選択しましたが、これからの毎日のデンタルケアについて自分なりのスタイルが確立できたかなと思っています。そんなこともあって、たまたまテレビの番組欄で見たプロフェッショナル仕事の流儀という番組の「『ぶれない志、革命の歯科医療』歯科医・熊谷崇氏」を視聴してみました。

熊谷氏は、自身の診療所に通う子供の8割が20歳になっても虫歯が一本もない、70~80歳の高齢の患者さんも永久歯が数本しか欠落していない等、世界屈指の実績を上げています。その根底にある氏の哲学は患者に自分の口の中の状態を良く知ってもらって、自分の歯を守りたいという意識を強く持ってもらい、虫歯や歯周病にならないような予防を徹底するというものです。初診の患者にはすぐには治療に取り掛からず、口の中の写真を10枚以上撮影し、唾液検査を行い、歯科衛生士が丁寧にクリーニングをし、口の中を清潔に保つための説明をし、数回の通院ののち、いよいよ治療に取り掛かるといったスタイルです。

氏の治療方針に同感し、開業医を始めた歯科医夫婦が紹介されていましたが、実費3000円の唾液検査を受けてもらえる患者は1割しかいないと自信を無くしていました。多くの患者が時間がないので、とにかく痛みを取り除いてくれればいいとやってきます。唾液検査によって個人個人の虫歯菌を中和する力の強弱が判定できるのですが、目先の患者の希望をまず満たすのが医師の役目なのではないかと悩んでいました。氏が山形・酒田で今のスタイルでの歯科医療をはじめた35年前、同様な経験をしています。氏のやり方は患者に全く受け入れられず、ときに患者に罵倒されることさえあったといいます。診療所は患者に敬遠され、赤字に陥り、スタッフの給料を自身の預金を取り崩して払っていることもあったそうです。それでも氏はどんな苦境に立たされようと、自身の考え方を曲げずに貫きます。なぜならそれこそが「真の患者利益」につながるとの信念を持っているからです。その地道な患者教育が、次第に患者の意識を変えて、最終的には信頼を勝ち得、今の世界的な実績を確立するに至ります。「真の患者利益」とは一生を通じてどのような治療が望ましいのかを突き詰めた結果と言えるでしょう。歯は1度抜けたり、虫歯のために削ってしまえば決して元には戻りません。そうならないために、歯周病や虫歯の原因となるバイオフィルムと呼ばれる細菌の集合体を歯科医だけでなく、個人の意識改革によって極力排除している訳です。歯磨きだけではこの細菌は取りきれません。デンタルフロスやマウスウォッシュなどのホームケアに加え、歯科衛生士による定期的なメンテナンスが必要だと患者に強く、しかし納得のいくまで説明します。根気のいる仕事です。氏自身も昔を思い出して、本当に毎日一人ふたりでも説得するのに疲れ果てたと述懐していました。

私も遅まきながらこの歳になって歯の大切さをしみじみ感じます。多くの人が歯科治療のドリルの音や振動は嫌いに違いありません。だから痛くならないとなかなか歯医者に行こうとはしませんし、行ったら行ったで早く痛みを取り除いてもらって、治療が終わるまでの辛抱だ、できればもう来たくないと思ってしまいがちです。振り返ってみると、失った歯の周辺はそれまでに何回か腫れてしまい歯科医に治療に行きました。当時飛行機に乗る機会が多かったので、気圧の変化が良くなかったのだろうかと思ったりもしましたが、やはりホームケアが不十分であったのだろうと反省します。

実は番組を観ていて、過去30数年の調達の仕事が蘇ってきたのです。事業が赤字に陥りそうになると「緊急コストダウン」という指令が下りてきたことは何度となくありました。業務ですから、取引先に対して状況を説明し、協力を仰ぐといったことを幾度となく行いました。自社内でもVAやコストダウンなど知恵を絞りましたが、圧倒的に外部の取引先に協力コストダウンを強いていました。まるで虫歯を安易に削り、目先の痛みを取り除き、詰め物をして、治ったと思いたい気持ちが先行していたように思います。しかしビジネスが巧くいかない真の原因は根本的に解決されることはなく、目先改善したように見えても実は歯の土台が弱り、しばらくすると神経にまで細菌が及んでいたことに気付き、最終的に歯を失ってしまったようなことはなかったかと。「緊急コストダウン」は事業がうまくいっていない、つまり売り上げが計画通り上がっていない、円高が急にやってきた、競争環境にない高額部品の突然の値上がりに他の部材の値下げを要請するなど対処療法にすぎません。特に売り上げが想定通りにいかない場合、コストダウンをしてもまず成功はしません。なぜなら売れないということは仕込みが滞留しているということで、コストダウンしても追加オーダーするまでに至らないので、その効果を得ることはほとんどありません。5%コストダウンできましたといって調達の成果を誇示しても、購入実績ひいては販売実績にまでつながらなければ、コストダウンの果実は取れません。こういう場合は調達パワーを新規機種に向けるべきで、売れない現行機種のコストダウンにリソースを充てるべきではありません。失敗に気付いたら早く手仕舞いして、うまくいかなかった原因を分析して次に賭けるべきです。

過去、ある機種の主要部材で高額な半導体メモリーを計画に基づいて購入したものの、販売が振るわず、大量に余ってしまったことがありました。余っただけなら、それを活用して次の機種で流用開発するという手段もありますが、このメモリーはあっという間に市場で半値の価値しかなくなってしまったため、流用しても次機種の価格競争力がありません。事業の存亡に立たされるほどの大きなビジネスインパクトであったので、事業長からは、「何とかしろ」との命が下り、本当に恥ずかしながら購入元に買値で引き取ってもらうという交渉に出かけました。とても成り立つ話ではないとほとんど諦めの気持ちで向かったのですが、その購入元は親切かつ寛大にも要求通り買い上げてくれました。本当に信じられないことで取引先には心から感謝をしました。社内的も良くやったと評価され、事業長もその時は大事まで至らず事なきを得ました。今から20年近く前のことです。しかし、今になって振り返れば、購入元のメモリーメーカーは他社と合併の後今でも苦難の道を歩んでいます。当該事業は10年以上前に消滅していますし、その事業長もその後、他の事業長に就きましたが成果がないまま会社を去りました。

目先を取り繕っても、真因が解決されなければ、歯科治療も事業も最後には年貢を納める時がやってきます。目先の利益や社内での立場を維持するために無駄にした時間とお金はなかなか表面には現れてこないものです。調達の仕事は地道なことが多いと思いますが、下流業務に留まることなく全てのステークホルダーの「真の事業利益」に向けた行動を如何に上流で起こしていけるか己の哲学や信念をもって着実に行っていきたいものです。

遺伝子検査

2014年10月16日 at 9:28 AM

しばらく前から「遺伝子検査キット」なるものがネットでも売られています。お値段はたったの29,800円なので、家族家系内に遺伝因子の影響が強い疾病をお持ちの方はやってみたいという衝動に駆られて当然のことであろうと思います。ヒトのゲノムの全塩基配列は約10年かけて解読作業が行われ、2003年に完了宣言がされました。それは1953年のDNAの二重らせん構造の発見からちょうど50年後のことでした。

手近な遺伝子検査キットをググってみると、「日本人の2/3近くが生活習慣病で亡くなっています。大事な家族のため、自分自身のためにも病気のリスク、体質を知って、食事・運動などのライフスタイルを見直すことで、今からあなたにあった予防を実践しましょう」とあります。検査項目は脳梗塞、心筋梗塞、2型糖尿病、胆石、尿路結石症、腰痛、痛風、不眠症、円形脱毛症、花粉症、緑内障、アトピー性皮膚炎、貧血傾向、十二指腸潰瘍、アルコール、ニコチン依存症、過食症、長寿・寿命など全70項目となっています。最近では遺伝子検査によるダイエット指導や肌老化対策など美容に特化して顧客誘引しているところもあります。

先般、東京医科歯科大学の木村彰方教授のお話を聴く機会がありました。先生のお話は心不全・突然死の遺伝子についてでしたが、日本の三大死因のひとつである心疾患は高齢者のみならず、小児、若年者にも起こっていて、現時点で遺伝的要素がどこまで解析されているかという説明でした。

通常、医者は患者を診て、検査をして、処方をして治すというサイクルですが、先生はこのサイクルで治らない患者がいるということを契機に人類遺伝学を30年前に志したそうです。心臓病は家族性のものと原因不明の突発性のものとあって、まだ全貌は明らかになっていません。しかしながら、肥大心筋症は家族性が50~70%、拡張型心筋症は20~35%と遺伝因子の影響を強く受ける疾病は明らかになっています。前者は筋肉が厚くなって固くなり心臓がポンプの役目を果たさなくなる。後者は心臓が大きくなりすぎて、相対的に筋肉が少なく、これも心臓のポンプの役割を果たさなくなるというものです。正常であれば心臓の大きさと、それに見合う心筋が平均80年ものあいだ正確に動いてくれるわけです。まさに生命の神秘。肥大心筋症や拡張型心筋症は常染色体性優先遺伝病に分類され、父親あるいは母親のいずれかからの遺伝で50%の確率で受け継がれます。運悪く双方から受け継いでしまうと重篤な心臓病を発症する確率が非常に高くなります。遺伝子レベルで言うと、5800文字の情報のうち、たった1文字しか違わないのですが、この1文字が大きな違いを生んでいます。

これら常染色体性優先遺伝病の治療法は今は心臓移植しかないそうです。家族性が非常に強い疾病ですが、家族の病歴が無い方もいます。新生変異と呼ばれ、所謂突然変異ですが、家族歴が無い方でも発症する方がいます。経験的にも感じることですが、この病は男女差もあります。男性が女性より2倍以上多く、重症も多いそうです。そうすると男性ホルモンとの関係が疑われます。マウスで実験してみるとやはり雄雌の差はあって、♂マウスの精巣を取ると女性並みに寿命が延び、♀マウスの卵巣を取ると、さらに寿命が延びるそうです。卵巣も男性ホルモンを作っているそうで、やはり男性ホルモンと心臓病の関係は相関するという結果となっています。

乳児突然死症候群も一時話題になりました。保育園でうつ伏せで寝かせていたら、いつのまにか亡くなっていたというものです。ポックリ病の一種です。突然死で心臓に作用する要因はいくつかあるそうで、音に反応する遺伝子、アドレナリンで反応する遺伝子などがわかっているそうです。前者は目覚ましの音でびっくりして心臓が止まってしまう。後者は興奮によるストレスが血液供給を増大させ許容量を超えて死に至る。カフェインやニコチンもアドレナリンを生じさせ増大させる物質ですが、通常ほとんどの方はポックリ死んだりしません。しかし老若問わず過剰反応する遺伝子をお持ちの方がいるそうです。

先ほどの5800文字のうちの1文字を換えれば発症確率は大きく下がりますが、遺伝子要因なだけに、受精卵の時点で書き換えを行わなければなりません。この行為は結果として親が子どもを自分たちの好きなようにデザインする道をも開いてしまうという「デザイナーベイビー」問題として、多くの生命倫理学者たちが懸念を表明しているものです。

さて、冒頭の遺伝子検査キットに話を戻すと、先の家族性心臓病の原因遺伝子はひとつではなく、10~20もあるそうです。単因子の病気であれば、90~100%の確率で発症がわかるそうです。しかし多因子の病気の場合、たとえば、一般平均で0.5%かかる病気が、遺伝因子50%でかつ作用する遺伝因子が10%しかわかっていないとすると1%に上がるだけという計算になり、遺伝子検査の効果はほとんどありません。因子が数百ある場合は、大地震に遭う遭わない、遭っても不幸にして死亡する、幸運にして生存するといった運不運の世界なのかと私には感じられます。

重篤な単因子の家族性疾病であれば、遺伝子検査キットは効果を発揮しますが、果たして知るのが良いのか、悪いのか。知れば知ったで悩みは深くなるかもしれません。知らぬが仏とはよく言ったものです。この判断は個人個人の人生哲学の考え方によりますね。

ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーは昨年、将来の乳がん予防の為に乳房切除手術をし、話題になりました。病巣はなかったそうですが、中身を切除、乳房再建手術をして、小さな傷がある以外、見た目は手術前と変わらないと寄稿で書いています。彼女の母親は乳がんにかかり、10年近くに及ぶ闘病生活中に卵巣がんも併発し、56歳で亡くなっています。母方の祖母も40代に卵巣がんで亡くなっているそうです。彼女は遺伝子検査(こちらは簡易なキットでの検査ではないので数万ドル掛かったと言われています)の結果、将来乳がんになる可能性が87%、卵巣がんは50%以上とされ、まずは確率が高い乳がんの対策を選択したということです。

先日、先進国でがんで死亡する人が増えているのは日本だけで、他の国は減っているという記事を見かけました。読み方によっては日本ではがん以外の病気を減らした結果、がんでの死亡が増えたとも捉えることができます。人はいずれ必ず死にます。古代不老長寿の薬を求めて、逆に多くの人が亡くなったのではないかと想像します。死亡原因が何かというだけですから、死亡原因1位を親の敵と睨みつけて、病を克服したとしても、死そのものが免れぬ事象である以上、他の死因が1位になるだけです。老衰が1位になれば、ゴールということでしょうか。それにしても若い人の死は心が痛みます。医療関係者の方々には引き続き専門の領域で、不条理と闘っている患者の方々を救ってくださるようお願いいたします。社会にも不条理が沢山ありますが、それらとの日々の闘いが人生と言えるのかもしれません。

同一性と変化の矛盾

2014年9月16日 at 9:10 AM

植民地時代において侵略国に勝手に線引きされた国境によって、民族対立による内戦は世界中のどこかで止むことなく続いています。宗教あるいは民族を基にした同一性の反映でもありますが、歴史を紐解くとその同一性や継続性の根拠は薄弱であることが少なくありません。企業においてもDNAの話は時折話題になり、凋落している企業には「~らしくない」「~らしからぬ」といった修飾語で語られることがあります。一方、企業トップは「変わらないのが最大のリスク」と号令をかけて、変革を促します。よく「変えてはいけないものは維持継承し、変えるべきは大胆に変える」といった指針が出たりしますが、果たして何を変えずに、何を変えるかが具体的に語られないと従業員は戸惑いますね。

ギリシャ神話で「テセウスの舟」というお話があり、ギリシャ時代から議論され続けているテーマのひとつです。ある漁師が木の舟を漕いで毎日魚を捕りに行く。来る日も来る日も魚を捕りに行くので、木の舟は傷んでくる。腐るところも出てくる。岩にぶつけて破損してしまうこともある。その都度、漁師は新しい木で修繕をする。漁師は歳を取り、もう漁には出られなくなる日が来る。そしてその息子にその舟を引き継がせる。息子も同じように毎日漁に出る。舟の傷みは以前よりも酷く、その都度、また修繕をしていく。そして孫の代に引き継がれていく。そうして代々受け継がれた舟はいずれ全ての部材が入れ替わる。もう最初の代の舟の材料はひとつも残っていない。それは果たして同じ舟と言えるのかどうか。

アリストテレスは、舟を構成している木材という「質料」(ヒュレー)が変化したとしても、その舟を舟たらしめている設計図に相当する「形相」(エイドス)は維持されているので、テセウスの舟は「同じ」であると結論付けました。

しかしながら、もしこの舟を漁師の目の前で壊し、全く新しい材料で寸分違わず同じ構造で新しい舟を作ったとしたらどうでしょうか。「形相」は維持されているが、舟の連続性がないので、同じ舟とは思えないでしょう。今風に言えば単なるコピーや2号機でしょう。博物館に行って、古代遺跡から発掘されたが形が崩れている本物と、完全に元の形を再現した復元品とでは前者の方に有難味を感じる人が多いのではないでしょうか。

テセウスの舟は100年経って材料が全て入れ替わっても、一日で作り替えたとしても材料が全て変わったという点では一緒ですが、心情的には前者の方がよりオリジナリティ(元祖)や連続性を感じます。「同一性と変化の矛盾」という社会心理学講義(小坂井敏晶著)では、全ての部品が交換されても、それにかかる時間が十分長ければ、同じ舟(つまり同一性を維持している)と感知される。つまり同一性はアリストテレスが語った対象自体に備わる性質で決まるのではなく、それに納得感を感じるか否かの心理現象であるという主旨のことを述べています。

さて、頻繁に語られる日本人の特異性や異質性ですが、これまでの観点で見てみると、日本人と言わず、どんな民族でも100年もすれば総入れ替えとなります。総入れ替えになっているものの日本人という同一性は存在しているように思えます。一般に民族の同一性は文化や血縁(DNA)の連続性をもって維持されていると理解されています。しかしながら、太古から変わらず現代に引き継がれているものは果たしてどれほどでしょうか。いや何かありますかと問い掛けざるを得ない程、圧倒的に変化してきたものの方が多いでしょう。歴史を学び、古典に源流を求め、同一性を感じようとするノスタルジアやルーツを遡る心情は誰しも持っているものでしょう。しかしたとえば天皇の正当性を謳う万世一系も天照大神の神話から始まっていますし、南北朝時代の混乱もありました。壇ノ浦の戦いで海に沈んだとされる三種の神器はどうなっているのでしょうか。私は決して天皇制を否定している訳ではありませんが、日本において最も長く続いているであろう建国の礎である天皇制でさえも100%揺るぎないものとは言えません。個々人が納得すればそれでよいのですが、一方でそういった錯覚に陥り、思想を固定化してしまう可能性は少なくないと思っています。

日本人は毎日0.002%ずつ入れ替わります。身の回りでの生き死にも稀にしか体験しません。ですから日本人は変わらず同一性を保っていると思いがちです。先の大戦では多くの人が亡くなり、アメリカ進駐軍GHQによる価値観激変がありましたから、その当時生きていた方々は強烈な変化を体験したことと思います。戦後世代はそうした経験がないので、変わらない平和なニッポンを頭の中に描き切っているでしょう。しかし、現代人で「源氏物語」を原文で読める人が極々少数の研究者だけであるとか、教科である古文でさえ読解に自信を持てる人は少ないのではないかと思います。1000年も前の日本人と現代人は会話はできないでしょうね。実際には変わっている部分が多いどころか、生きている間にも価値観が大きく変わっているにもかかわらず、案外現在に固執していることが少なくないなと反省を込めて思います。

企業もDNAがあると思っているのは錯覚で、それぞれの思い込みで実態のないものにすがっているだけかもしれません。同一性を保ち、変化していくというのは大いなる矛盾であって、変化は実態、同一性は錯覚です。「この世に生き残る生き物は、変化に対応できる生き物だ」としたダーウィンの進化論は世代連続性を述べていますが、一個人がその人生を心安らかに生きていくためには変化に対応しつつ、同一性の錯覚も必要なのかもしれません。

テレビ朝日の「劇的ビフォーアフター」という番組は5年ほど続いているでしょうか。極たま~に観ることがありますが、古い家が匠によって新しく生まれ変わり、リフォームされた家に家族皆大喜びで入るという趣向です。特にお年寄りの住んでいる家では以前の古い家の床柱などの材料を再利用して、家は新しくなったけれども、じいちゃんが建てた家だよ、断絶していないよと、世代継承しているかのような錯覚を工夫しているものが紹介されます。

乱世を生きた鴨長明の「方丈記」の冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。川は川に違いないけれども、同じ水はひとつとしてないってことですが、乱世に生きていない私には無常観が強すぎて足元がグラっと来てしまいます。

企業の社会的責任と環境保護

2014年9月10日 at 10:16 AM

ニールセンが今年第一四半期にインターネットが利用できる世界60か国の各国1000人規模に調査を行ったところ、3年前に比較して45→55%と10ポイント「社会・環境活動に積極的に取り組む企業が提供する製品とサービスをもっと購入したい」と回答しました。私は二つの点でこの調査結果に興味を持ちました。

ひとつはたった3年で10ポイント伸びて、世界中の消費者の半数以上が企業ブランドを社会的責任や環境保護といった視点で見ているということです。もう一点は、この調査を地域別に表すとアジア太平洋(64%)、中南米(63%)、中東・アフリカ(63%)、北米(42%)、欧州(40%)となっていて、環境意識の高い欧州が地域別で見ると最も低く、次いで北米と先進地域は相対的に低い値となっていることです。この結果には正直驚きました。この結果は色々な解釈ができると思いますが、社会環境意識の高い欧州がその経済的停滞によって、以前より意識が低下したと見ることもできるでしょうし、多くの欧米企業がその社会環境意識に対応し、ある種当たり前になってきてしまった結果、それほど大きな選択要因にならなくなってしまったと見ることもできるでしょう。日本マクドナルドの売上は前年同期比25%減だそうですが、競合の多様化とサービスのマンネリ化が底流にあるでしょうが、直近では何と言っても一中国工場の鶏肉問題ですね。消費者の購買判断に大きな影響を与えたものと思います。

話を元に戻すと、この調査を3年前と比較したポイント増加率でも新興国が総じて高い数字を示しており、企業にとって社会・環境問題への取り組みは比較的裕福な心に余裕を持っている先進国または富裕層のみならず、世界的規模で対応していかなければならない課題と認識する必要がありそうです。

特にアジア太平洋と中東・アフリカ地域における世代間の差異は顕著で、大部分が発展途上のこれらの地域では、持続可能性に向けた行動を支持する新世紀世代(21~34歳)の回答者は、持続可能性に向けた行動に賛成する意見がX世代(35~49歳)の回答者に比べて平均3倍で、ベビーブーマー世代(50~64歳)の回答者に比べて平均12倍となっています。若い世代が社会環境問題に非常に高い関心を持っていて、それだけでなく購買行動にも表してくることは将来のビジネスプランを考える上でも決して無視してはいけないトレンドであると思います。

翻って原価企画の3段階を示すと、第一段階:当該製品の原価管理としての原価企画(主に原価進捗管理)、第二段階:当該製品群別利益の企画管理としての原価企画(事業カテゴリー全体の利益管理)、第三段階:当該製品群の顧客・社会Benefitの創造管理としての原価企画(顧客Benefitのみならず、社会Benefitを希求し、社会貢献)となります。なかなか一企業が第三段階に至るのは難しいことですが、上記調査結果を見ると、こういった消費者の変化に背を向けて、自社の利益ばかりを追いかけていると、いつの間にか市場から隔離されていたといったことになりかねません。

優良と言われる大企業でも第二段階のところが多いと思われますが、そういった企業でも、売上・利益の長期トレンドを過去10年スパンで眺めてみると、それらが低下している企業は少なくありません。つまり長年にわたって社会的Benefitを生み出していないという証左になります。景気がどうの為替がどうのと言い訳を言ったところで、消費者つまり社会に認められなければ企業の発展も成長もありません。短期的利益に走ると長期的投資を怠りがちになり企業の強みを失っていきますので、一度ジリ貧路線に入り込んでしまうと企業の復活は容易なことではありません。

第三段階の企業として有名なのはネスレです。世界で十数億人が深刻な栄養不良に直面している一方で、飽食に明け暮れメタボとなっている人がいる。十分な水や食料を確保できない人がいて、一方でカロリー取り過ぎの栄養過剰な人がいる。こうした栄養問題の「二重負担」は世界的問題と言えるでしょう。ネスレは慢性疾患と微量栄養素欠乏症の両方に対して、対処療法ではなく積極的に予防的アプローチを先頭になって行っています。

ネスレはこういった世界的規模の大きな問題を一企業だけで解決できるものと考えてはいませんが、それを一企業の責任と考え、「共通価値の創造」に向かって自社の強味を生かして、かつ事業活動を通じて行っていることに惜しみない賛辞を送りたいと思います。