檄 三島由紀夫

2020年4月1日 at 11:36 AM

「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」を観た。コロナ禍で映画館も空いていて20人程の観客。いわゆる3密(密閉・密接・密集)の2条件はクリア。コンサートでもクラシック・コンサートは感染確率が低いらしい。なぜなら喋らないからである。感染爆発を抑えなければならないのは勿論だが、経済不況による死者も想定しなければならない。これまでの政府の対策を批判することは簡単だが、この状況下でのかじ取りは本当に難しい。

三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で益田総監を監禁し、バルコニーにおいて自衛官1000名ほどを前に、「檄」を撒布して演説を行い、その後、割腹自決を遂げたのは1970年11月25日のことである。当時私は小5であったが、そのニュースや翌日の新聞に掲載された、その最後の生々しい写真は未だに鮮明に記憶に残っている。

三島の生涯は45年という短いものであったが、遺した作品数は多く642である。「金閣寺」「潮騒」「仮面の告白」など代表作があるが、私自身は一作品たりとも全文を読み切っていない。作品そのものにはあまり興味を持てず、一方、三島の人生観や自決に至る思想にはずっと興味があった。

小5の私に三島の思想が理解できるわけもなく、社会人になってもその思想を自分なりに咀嚼できる余裕はなかった。三島の年齢を超え還暦を経て、漸く自らの人生観・死生観をもって、三島の思想に踏み込む時間を手に入れ、上述の映画がその機会を提供してくれたということである。

「檄」を初めて全文読んでみる。私の理解を以下に要約してみると、戦後の日本は経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本(三島的に言えば、天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ること)を忘れ、政治は保身、権力欲、偽善にまみれ、国家百年の大計(防衛)を外国(アメリカ)に委ねている。三島は4年間、準自衛官として入隊し、自衛隊に真の日本(人)たるを期待するに至る。憲法を改正することにより、自衛隊が名誉ある国軍となることを夢見たのであった。

しかし、1969年の10.21国際反戦デー闘争(日本の新左翼暴動事件)を受けた政治的妥協により、憲法改正は政治的プログラムから除外され、自衛隊は自らを否定する憲法を守る「護憲の軍隊」という位置に追いやられてしまった。三島はこれに大いに憤激し、自衛隊からもその反駁の声が出ないことを嘆いた。そして生命尊重以上の価値(「日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。」)の所在を見せつけるために、抗議をして腹を切った。

映画を観て、民青(日本共産党の青年組織)と全共闘が戦っている理由を改めて知った。全共闘はゲバルトやバリケードなど過激な面が強調されるが、実は反米愛国が基軸である。一方、三島は天皇親政であり、両者は愛国というところでは共通している。三島はその共通項を以って、全共闘の心を動かそうという意志があると私は感じた。全共闘は若さゆえか、ひたすら論理を振り回し、揚げ足を取るのに精一杯と私には映ったが、三島は若者たちを諭すように丁寧に言葉を吟味して議論をしていたのが印象的であった。

三島の死から50年経った。憲法改正論議はすっかりコロナ禍で霞んでしまい、祖父岸信介が望んだ憲法改正を実現しようとしている安倍総理も来年9月に任期満了を迎える。延期された東京オリンピック開催が安倍総理の最後の花道であるとしたら、私としてはあまりに寂しい。自身が言うように、自民党結党以来の党是である「現行憲法の自主的改正」を行ってこそ、歴史に残る宰相である。占領国の都合で与えられた「現行憲法」を国是に合わせて改正し、これも米国の都合により「警察予備隊」が「自衛隊」と改名された「大きな警察(つまり治安維持)」を「名誉ある国防軍」にしてこそ、初めて独立国家としての日本が存立しうるのである。

最近、私は西尾幹二氏の著作に興味が湧き、いくつか読んでいる。その中に氏が一度だけ三島邸を訪れ、歓談した時のことを記した随筆がある。三島の人間的魅力に魅了されつつ、また別の三島も垣間見えたことを吐露している。氏による三島文芸作品の分析では「論理的一貫性」に芸術的美を見出し、言行一致を旨とする陽明学的行動論理を好んだとある。和魂洋才から洋魂洋才に堕ちてしまい、自他をごまかして(明らかに自衛隊は違憲)保守化していく安定した体制への拒絶感情をみている。三島はその論理一貫性と言行一致に拘わり、人生を終えた。「武士道とは死ぬことと見つけたり」を貫くような人物は現代には少ないがゆえに、三島は今でも多くの人の記憶に残る存在である。