Anti-globalization

2020年1月1日 at 3:27 PM

私の企業人としての歴史を振り返れば、1980年代後半からグローバリゼーションが始まったと言える。最初に海外赴任をしたのは1988年である。それまでも先進的な同僚は海外に出向いていたが、まだ少数派だったように記憶している。会社員を卒業する2013年までは、世界がグローバリズムに向かって進化していることに対して何らの疑問も持たずにやってきた。しかし、昨今はイギリスのEU離脱やアメリカのパリ協定破棄など反グローバリズムが台頭してきており、その他の国でも自国第一主義を旗印に票を伸ばしている右翼政党が目立つようになってきた。どうやら、「経済のグローバル化は生活を豊かにする」とこれまで疑問も持たずに突き進んできたことに、大きな疑問符が付くようになってきたようである。

そもそも世界史的に見れば、最初のグローバリゼーションは15世紀にはじまる大航海時代が起源であろう。これによりヨーロッパ諸国がアジア・アメリカ大陸に植民地を作り始め、経済のグローバリゼーションや物流のグローバリゼーションを起こしてきた。その地球規模の獲得競争の行きついた末が、2つの世界大戦だったとも言えよう。焦土と化したヨーロッパ諸国は不戦を誓い欧州連合を立ち上げ、シェンゲン協定により域内での国境通過にかかる手続などを大幅に削減した。さらにその後、外交・安全保障分野と司法・内務分野での枠組みが新たに設けられ、ユーロの導入による通貨統合も実現した。

第二次世界大戦後に急伸したアメリカはソ連とのイデオロギー戦争に勝利し、政治的には東欧諸国の民主化革命が各地に飛び火し、ボーダーレス化が叫ばれるようになった。ソ連が崩壊した1991年以降には、アメリカの自由貿易圏拡大による自由貿易主義(いわゆるアメリカ化)がグローバル化と同義に扱われるようになっていった。1995年にはマイクロソフトがインターネット接続機能を搭載したWindows95を発売し爆発的に普及した。これにより情報のグローバル化も進み、グローバリゼーションそのものが疑いようのない価値として確立したのが1990年代後半であった。

グローバリゼーションは先進国においては安価な商品を手に入れることができるようになり、新興国ではグローバリゼーションの恩恵を受け、多くの人々の生活水準が高まり、地球規模での貧富の差を縮小させた。その半面、先進国における産業の空洞化、失業率の増加、治安の悪化、宗教文化の衝突、感染症の伝播などのデメリットも生じさせた。
EU分裂か、という直接の引き金になったのは、難民受け入れの割り当てをEU本部のあるブリュッセルでエリート達が勝手に決めたことと言われている。難民を受け入れる国々の自国民にとっては、治安の悪化、雇用機会の低下、税金で難民を救済することに対する反感などが重層的に蓄積し、排斥運動から右翼政党支持にまで発展したものであろう。

考えてみれば、国際組織の限界を露呈している状況は少なからず見られる。国連は5大国の拒否権があるがゆえに、各国の政治的思惑が渦巻き、世界の重大案件に協力して対処できず機能していない(国際社会の脅威である北朝鮮の状況は見ての通り)。文化経済の領域ではある程度機能しているとされているものの、組織が肥大化してしまい、プロセスも不透明なため、不公正が横行している。ユネスコは子供のころ、国際平和と人類の福祉を促進する素晴らしい組織だと学んだが、現在では偏ったメンバー構成により「世界の記憶遺産」なる美名の下、明らかに政治利用されている。アメリカはユネスコへの分担金を停止中で脱退も表明した。22%を占める国連分担金についてもアメリカは投資対効果が低いという理由で滞納している。将来脱退を表明するようなことがあれば、世界の国際組織の枠組みは大混乱に陥ることになります。しかし、それは全く可能性のないことではありません。国連加盟国は193か国ありますが、70か国以上は分担金を滞納していて、財政的に非常に苦しい状況にあります。メリットがなければどんなに崇高な精神を謳おうが組織は存続できません。
WTOも上述の国内事情から、本来の目的である保護主義の抑止といった活動は低下し、途上国においては弱体な国内産業の保護という側面が目立ってきました。意思決定もコンセンサス方式を採用しているため、全ての加盟国が賛同しなければ決定されません。紛争処理能力に関してもWTO協定のみが法的根拠になり、環境や社会関連に関する国際法を無視して裁定されるなどの問題点が指摘されています。

組織が肥大化すると、官僚機構化し、問題解決に時間とコストが掛かり、さらにコンセンサスが取りにくい、一部の横行が発生する、強制力もないとなれば、コストをかけて組織を維持することはいずれ困難になります。こうやって振り返ってみると、国際組織が世界平和に善導してくれるというのは、どうやら幻想のようで、参加国が増えれば増えるほど各国の事情によって裏取引や駆け引きが横行し、手段を選ばない政治利用が増えていきます。いきなり「自国第一主義」といった偏狭な考えに引きこもらず、ここはひとまず組織を今の人類が運営できる適度な単位に括り直すのが望ましいのではないでしょうか。
あるいは民衆がクラウドファンディングやNPOを通じて、国家・国際組織にできないのであれば、と立ち上がっていくのでしょうか。あるいは国家を凌ぐような民間企業やその志を共有するNGOが将来世代を考えたCSV活動を主導していくのでしょうか。いずれにせよ皆が身の回りで出来ることから実行していく以外にないのだろうなと、そんな風に考える令和2年元日です。
(P.S.それにしてもカルロス・ゴーン被告の国外逃亡にはびっくりさせられました。日本人には考えつかないです。平和ボケと言われてもしょうがないですが、性善説に立てるのが日本人の良いところ。あとはインターポールの銭形警部に頼んで捕まえてもらいましょう)