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近江商人の「売り手よし・買い手よし・世間よし」の精神

2016年5月6日 at 9:55 AM

近江商人の「売り手よし・買い手よし・世間よし」の三方よしの精神は有名な商売理念ですね。お客様に喜んでもらうことはもちろんのこと、世間様にもお役に立つという考え方のもと、そうやって信頼を得ることが結果的には商売を広げることに繋がると実感していたからの理念だと思います。

近江商人の起源は鎌倉時代にまで遡ると言われていますが、江戸中期には商業で力を持ちはじめた近江を幕府が天領として直接治めるようになりました。近江商人は「葵」の御紋が入った通行手形によって、関所を難なく超えてさらに全国に商売を広げていったそうです。

当時は「社会貢献」といった大それた考え方はなかったでしょうが、商売での利得のみならず、多くの人に喜ばれるものを提供し続けて、商人として愛されていった。結果、地域貢献・社会貢献につながっていたことが、現代にまでその理念を引き継いでいることに感嘆します。近江商人の商売十訓は以下の通りです。

⓵商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
⓶店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
⓷売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
⓸資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
⓹無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
⓺良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
⓻紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
⓼正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
⓽今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
⓾商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

どうでしょう、多くが今でも十分首肯できる内容ではないでしょうか。

さて、試みに次のような7パターンの事例を考えてみました。
(1)売り手のみよし:いわゆる詐欺ですね。売り手が「濡れ手で粟」で大儲け。買い手は騙されて粗悪品をつかまされる。最悪はお金だけ取られる。立派な犯罪です。
(2)買い手のみよし:いわゆる買い叩きでしょうか。搾取という言葉もあります。他人に帰属すべき利得を不正に取得することや、他人を使役して不当な利益を得ることを表します。下請法でも優越的権地位の濫用行為を防止しています。コロンブスの新大陸発見から始まる植民地時代には第二次世界大戦終結まで400年以上も、アフリカやアジアの資源や労働力をただ同然で搾取していました。ヨーロッパの繁栄は実はこうした多くの犠牲によるものです。
(3)世間のみよし:私利私欲を捨て、世のため人のために身を捧げる奇特な方たちが目に浮かびます。飢えや病に苦しむ人々や、恵まれない子どもたちのためにインドのコルカタに施設を造り、生活の世話や看病を行ったマザーテレサ。仏教界にも高名な方がいらっしゃるとは思いますが、自身の修養という色合いを強く感じます。政治家などは本来、世の中を良くする高邁な精神を持って志したはずですが、選挙落ちればただの人と、手段が目的化してしまうケースも少なくないようです。
(4)売り手よし・買い手よし:いわゆるWin-Win関係ですね。スティーブン・R・コヴィーの著作「7つの習慣」(1989年)で広く世界に知られた用語です。しかし、考えてみれば双方が利益を得られなければビジネスは成り立ちませんから、当たり前と言えば当たり前。ちょっと毛色は変わりますが、時代劇でお馴染みの「越後屋と悪代官の悪だくみ」では、やはりどこかで誰かが泣いているのはご承知の通りです。単なるWin-Winの影の部分を忘れてはなりません。
(5)売り手よし・世間よし:買い手が馬鹿を見ている構図が浮かびます。わかっていながら敢えて高く買っているとすれば、買い手もよしとなるでしょうが、それはあくまで買い手の主観の問題。金やダイヤの宝飾品や、高級ブランド品(時計やバッグ等)を買っている方はこれに近いのではないかと思います。金の装飾品は金の地金代に加工費、デザイン料が乗っかりますから、買ったときは高くても、金の地金の価格が同じなら、必ず損をします。
(6)買い手よし・世間よし:売り手が赤字でやっている場合は長く続きません。薄利多売のビジネスモデルがこれに近いかもわかりません。過去、このビジネスモデルで大成功をおさめた企業は少なからずあります。「主婦の店」から価格破壊を合言葉に成長したダイエーなどスパーマーケットではよくある業態です。中身は自転車操業ですから成長が止まってしまうと途端に負債が膨らんで破綻してしまいます。需要が伸びている時期には成立するビジネスモデルですが、成長が鈍化したら業態変換を余儀なくされます。BOPビジネスも話題によく上がりますが、本当に買い手が喜ぶ商品開発には難題山積と言わざるを得ません。
(7)売り手よし・買い手よし・世間よし:一言でいえば、ステークホルダー全員の満足ということでしょう。売り手と買い手が扱っているものは、実はその背後、あるいはその先に別の顧客(関係者)がいることを意識するということです。売り手が扱うものを作っている作業場の環境や賃金が劣悪なものでないのか、買い手がそれを基に作った最終製品がお客様の満足に繋がっているか(代金に見合う、またはそれ以上の価値があるかどうか)、製作過程で公害(空気汚染・水質汚染・土壌汚染)を巻き散らしていないか、法律を犯していないか等、ビジネスの全体像をきちんと見据えることが重要です。

情報格差が昔ほど無くなった今の時代、「パナマ文書」のような情報に社会は浴します。企業も個人にとっても、改めて近江商人の行動理念を心に刻む時代になったのではないかという気がします。
最後に二つ、近江商人の行動規範をご紹介して今回のブログの締めとしたいと思います。

利真於勤【りはつとむるにおいてしんなり】投機商売、不当競争、買い占め、売り惜しみなどによる荒稼ぎ、山師商法や政治権力との結託による暴利ではなく、本来の商活動にはげむこと。
先義後利栄 好富施其徳【ぎをさきにすれば、のちにりはさかえ、とみをよしとし、そのとくをほどこせ】人として道理をわきまえた商いをしていれば、利益は必ず後からついてくる。利潤を追求する事が第一ではない。商売を繁盛させて、利益が増えるのはいいこと。そうして得た利益は社会に還元せよ。

NHKに求めること

2016年4月17日 at 4:13 PM

NHKは、放送法に基づき1926年に設立され、1950年には特殊法人となり公共放送を担う事業者として今日に至っている。放送法では「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように豊かで、且つ良い放送番組による国内基幹放送を行うと同時に放送およびその受信の進歩発達に必要な業務を行い、合わせて国際放送および協会国際衛星放送を行うこと」と規定されており、その使命を果たす義務を負っている。
2月に話題になった高市総務大臣の、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及したところ、旧民主党や民放関係者、キャスター等から大きな反発が出ていることはご承知の通りである。論争のポイントは放送法4条(*)が法的規範(法律上の義務を生じるルール)なのか、倫理規範(単なる道徳上の努力義務しか生じないルール)なのかであるが、法規範性を持たない法律とはどういう意味があるのかと私自身は思うので、高市氏の発言は当然の事だと感じる。そもそも無線通信は、限られた無線周波数帯の有効活用と、混信や妨害を防ぐために免許制となっている。それゆえ電波は法律によって適正に管理されなければならない対象である。

これまでテレビ放送は数も制限され、その視覚的影響力が大きいために、特に編集段階における規範を求めたものと言える。テレビに映っているリアルな映像は、「事実」だと思い込んでしまう節があるが、編集によって前後を切り取り、反対の意味合いを持たせることは容易である。また、50人インタビューして、賛否半々だったとしても反対意見ばかり3つほど流せば、ほとんどの人が反対なのだと錯覚させることは、作為をもってすればいとも簡単なことである。
また、多くの放送人が事あるごとに言う「報道の自由」とは、本来は「事実を告げ知らせる行為の自由」であって、勝手なあるいは特殊な意図を持った発言や偏向報道を許しているものではない。40年近くに渡って喧伝されてきた朝日新聞による従軍慰安婦の捏造記事が批判される所以である。また、「報道の自由」は常に「人権との調和」との兼ね合いで語られるべきであり、事実だからと言って何でも報道して良いわけではない。「被害者の実名報道」や「被疑者の犯人視につながる」偏った報道、少年の更生を妨げるような糾弾は批判の対象となる。権力者の暴走をチェックするという論拠も放送人によって度々口にされるが、全て「事実に基づく」「国民の権利を損なう」事項が重要なのであって、重箱の隅を突くような、芸能レポーター並みに権力者の足をすくうような記事を繰り返し報道し、挙句の果てには国会の時間を無駄にする政治屋に使われるような話題にはうんざりする。

だいぶ、横道に逸れてしまったが、NHKに話を戻そう。NHKの受信料の支払い率は全国で72.5%(2012年サンプル調査)だそうである。支払い率の高い県は秋田、島根、新潟と保守県が並ぶ。支払い率の低いのは意外にも沖縄が42%で最低、以下、大阪、東京、北海道と続く。大都市での徴収の難しさ、広い北海道での徴収の難しさがあるのであろう。沖縄について調べてみると、沖縄のNHK受信料は本土に比べて15%ほど安い。沖縄返還後に導入された沖縄租税特別措置法というものがあり、車検も非常に安い(法定費用だけ比べても半額以下、それを利用した違法業者もいる)。それらの一環でNHKの受信料も安く設定されているが、返還後40年以上たっても徴収が進まないという事なのであろうと推察される。

序段の放送法「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように」という部分では、極一部難視聴地域があるものの、ケーブルや光テレビなどの普及でほぼ問題ではなくなっているであろう。インターネットの発達によって多くの若者はテレビを見ないようになっている。幼少の時にはNHKしか見せてもらえないという厳格な家庭があったり、親御さんが安心して子供に見せられるのはNHKだけという妄信もあった。今やNHKの番組は民業(民放)圧迫かと思わせるようなお笑い、芸能(古典ならまだしもアイドルもの)、韓流ドラマも少なからずありますし、質の良い番組は明らかに減っていると思います。本当に「公共の福祉のため」の番組作りをやっているのか甚だ疑問があります。民放の収入源はスポンサー収入ですから視聴率に一喜一憂するのは仕方のないこととしても、NHKの収入は主に受信料です。30数億円の交付金収入もありますし、法人税も免除されています。職員数1万人、平均年齢41歳、平均給与1160万円という数字に納得感を持てない方々も多いでしょう。災害対策基本法ではNHKは指定公共機関に指定されていて、防災計画を作る義務や、気象警報・地震警報・津波警報などを直ちに国民に通知する義務もあります。今後NHKが特殊法人として本当に行わなければならない事業、収入基盤の再検討、スクランブル技術による「見たくない人」への選択権(契約自由の原則に違反していませんか?)など再考するべきだと思います。

放送法の後段の「国際放送」も今や非常に重要で、NHKは18言語で150か国以上にニュースや情報番組を中心に配信していると宣伝していますが、度々意見を異にする中国の中国国際放送局(CRI)は中国共通語と4つの方言、38の外国語を用いて200か国以上に向けて放送をしています。多言語や視聴地域の拡大のみならず、コンテンツの充実を図り、日本の仲間作りにも資するような施策を講じてもらいたいものです。NHKはその存在意義(raison d’ être)からして、一般大衆に媚びを売り、視聴率を稼ぐことではないはず。良質な番組を国内のみならず世界中に向けて発信し、誰でも無料で二次利用できるようにし、公共の福祉に供する姿に戻ってもらいたいと切に思います。

(*)放送法第4条 
放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

日本の領域は世界12位

2016年3月13日 at 2:55 PM

日本の国土面積は37万㎢で世界201国中61位。ロシア、アメリカ、中国などの大国と比較すれば数十分の一と小国であることは間違いないが、上位3分の1に入っているという観点で見れば、多くの日本国民が思っているほど小島国ではない。イギリスの1.5倍、ドイツよりもやや大きめの国土を有している。昨今、海洋資源の重要性が指摘されているが、日本の排他的経済水域(Exclusive Economic Zone; 略称EEZ~いわゆる200海里~沿岸から370kmまでは主権が及ぶ)は非常に広く、アメリカ・オーストラリア・インドネシア・ニュージランド・カナダについで世界6位という海洋国家である。このEEZと国土を合わせた領域では、なんと日本は世界12位の領域を有する国家に躍り出るのである。EEZの比較で言えば、日本の448万㎢に対し、中国のそれは229万㎢と半分しかない。最近の中国の海洋進出は軍事上の観点のみならず、EEZを広げようとする経済行為の一環とも言える。

海洋資源には様々なものがある。日本近辺の海底に眠っている資源では、金・銀・銅・亜鉛・鉛・石油・コバルト リッチ クラスト・メタンハイドレート等の豊富なエネルギー資源や鉱物資源の存在が近年における技術の発展と調査によって確認されている。種々の制約要因(法規制、土地用途、利用技術など)を考慮しない場合に理論的に取り出すことができるエネルギー資源量を「賦存量(ふぞんりょう)」というのだそうだが、300兆円の価値があると算定されている。実際には経済的に見ても実利用できるかどうかは研究開発次第であるが、文科省・経産省・海洋エネルギー資源開発促進日本海連合・JOGMECなどがその調査及び採掘研究にあたっている。

EEZを語るにあたっては各国が抱える領土問題は避けることのできない課題である。皆さんご承知のように、日本ではロシアとの間で北方四島、韓国との間で竹島、中国・台湾との間での尖閣諸島が代表的なものである。ことEEZの話になると沖ノ鳥島が国連海洋法条約において、どのような位置付けになるかが大きな問題になっている。
沖ノ鳥島は東京都小笠原村に属する小笠原諸島最南端の「島」であるというのが日本の見解である。日本は2008年に大陸棚限界委員会に対して、それを根拠に大陸棚の延長申請を行ったが、中国と韓国が異議を唱え(アメリカとパラオは異議を唱えず)、今もって継続審議の状態となっている。

中国と韓国の主張は「沖ノ鳥島は島ではなく、岩である」というもので、ただの岩と認定されればEEZは認められない。EEZを主張するには国連海洋法条約の第121条 第1項「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」あるいは第121条 第3項「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」のいずれかをクリアしなければならない。また第60条 第8項「人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない」とあり、日本は沖ノ鳥島を何とか「島」あるいは「営みのある岩」として位置付けるべく様々な対策を講じている。

沖ノ鳥島は外観で見ると、東西に4.5km・南北に1.7km・面積5.78㎢のそれ相応の大きさの島だが、その実態は北小島と東小島というそれぞれキングサイズベッド程度の岩礁に、以下に述べる対策を講じてその存在を保っている(歴史を辿れば、1933年には6つの露岩が満潮時にも姿を現していたという記録があるが、その後の風化や海食により4つは亡失してしまった)。1987年消波堤設置、2006年サンゴ増養殖技術検討開始、2007年灯台設置運用開始、2013年港湾施設建設開始・2016年完成予定。工事だけでも数百億円の国家予算が投じられている。

沖ノ鳥島の大陸棚延長が認められなければ、日本は37万㎢の国土以上の海域を失うことになり、その経済的損失は膨大である。一方で、中国は南沙諸島でジョンソン南礁(赤瓜礁)で日本と同様なことを行っている。2012年には岩礁の埋め立てを行い、2014年には護岸や桟橋、宿舎などの人口建造物を建造し、2015年には灯台の完成式典を行った。中国との領有権争いをしているベトナムによれば、ジョンソン南礁は満潮時に海中に沈むとしており、地球温暖化による海面上昇はこのようなところにも大きな影響を及ぼしている。また、軍事に絡めて言えば、核と言わず小型爆弾でもこの岩礁を爆破してしまえば、対象国に重大な経済的打撃を与えることができる些少の存在であるとも言えるのである。

モンゴルの歴史

2016年3月10日 at 4:43 PM

モンゴル人と言えば、日本では大相撲で活躍している力士がまず頭に浮かぶ。朝青龍や白鵬をはじめ、相撲史にその名を遺す大横綱がおり、現役3横綱は全てモンゴル出身である。見た目が日本人と変わらないので、よく調べないと日本出身力士かどうか見分けがつかない。そんなモンゴルは国土が日本の4倍、人口は300万人、2014年の一人当たりの名目GDPランキングでは110位、$4000強と中所得国の中位に位置する発展途上国です。しかし、アジアではミャンマーに次ぐ第二位の経済成長率(7.7%)を誇り、豊富な鉱物資源を背景にこれからの発展が期待されています。

一般にモンゴルと言えば、正式名称モンゴル国のことを指しますが、中国内には内モンゴル自治区(面積は日本の3倍、モンゴル族は400万人と言われる)があり、彼らはモンゴル国のことを外モンゴルと呼びます。
モンゴル国はソ連に次いで世界で二番目の社会主義国で、成立は1924年。その後は極左路線を推し進め、日本が樹立した満州国(1932年~1945年)とモンゴルの国境線をめぐって発生した1939年のノモンハン事件では、ソ連軍と同盟を結んで日本の関東軍と戦火を交えています。終戦間際のソ連の宣戦布告の2日後、1945年8月10日にはモンゴルも日本に宣戦布告を行っています(国家承認を得ていないので戦勝国ではない)。

モンゴル国の公用語は勿論モンゴル語ですが、モンゴル文字は特殊なため、現在ではロシア語に使われるキリル文字を流用しており、文化的にもロシアの影響を色濃く受けています。
モンゴルが社会主義の旗を降ろしたのは最近のことで、1992年。その際に日本からのODAで発展を遂げたこと、そしてその援助が国内で大きく報道されたこと、加えて大相撲でのモンゴル出身力士の活躍などが相まって、今のモンゴルにおける親日につながっています。
一方、中国の内モンゴル自治区は、前出の関東軍が清朝の愛新覚羅を元首に据え、敗戦まで実質支配を行っていました。しかし、中華人民共和国建国以来、漢民族の移入により8割以上が漢民族で構成されるようになりました。公用語は中国語とモンゴル語ですが、外モンゴルのそれとは違う方言ですし、モンゴル文字が継承して使われているため、外モンゴルの若者は判読困難になっています。

モンゴル人はもともとは遊牧民です。古来、平原を東西南北縦横無尽に駆け巡っていたものと思いますが、中国の戦国時代(紀元前403~紀元前221年)には中国人と同化していったとされます。秦の始皇帝死後の内乱の中で、モンゴル人は騎馬力を発揮し、冒頓単于(ぼくとつぜんう)という君主が匈奴という国家を拡大しモンゴル高原を支配するようになりました(紀元前209~紀元前174)。その後は中国との間で数百年に渡るつばぜり合い、主従関係、群雄割拠を繰り返しながら、チンギス・ハンの登場を待つことになります。

チンギス・ハンは1200年代から周辺の遊牧民を傘下に収め、1222年にはイスラム王朝を滅ぼし、その後継のオゴディ・ハンがポーランドやハンガリーにまで戦線を進めました。クビライ・ハンの時代には2400万㎢(現在最大領土のロシアは1700万㎢・歴代最大領土は大英帝国の3370万㎢)もの領土を治める連合体を形成しました。今のモンゴル国の国土の15倍の広さです。
クビライ・ハンは1271年に国号を大元という漢字に改め、中国を統一します(元朝)。元朝は100年弱で滅びましたが、クビライ王統の残滓はモンゴル高原へ退却し、さらに100年大元の国号を使い続けていました。その後は政治的空白を経て、明朝との和約を結び地域部族としてその存在を維持していたようです。

1500年代に周辺部族で頭角を現したヌルハチ(女真族)に降伏して取り込まれ、これが満州となり、のちの清朝になっていきます。清朝の275年に及ぶ統治下では蒙地保護政策を受け、モンゴル族の王侯たちはこの頃から自治を認められていました。前出のように1932年に日本が満州国を成立させると、内モンゴル東部は満州国に組み込まれました。関東軍は後に内モンゴル西部にも侵入して中国軍を追い払い、1937年に厚和(現フフホト)で蒙古連盟自治政府を成立させ配下に置きます。1945年の日本の敗戦によって、外モンゴルと内モンゴルの合併の動きもありましたが、ソ連と中華民国との間の駆け引きで、内モンゴルは自治区として中国に留まり、外モンゴルは独立を認められたという歴史的経緯があります。

戦争は大勢の罪のない人々を巻き込むといった戦禍のみならず、その後、多くの民族の分断を引き起こしています。モンゴルは過去一代帝国を築き上げましたが、今の外モンゴルと内モンゴルは同じ民族でありながら、国の形態が大きく違って文字も文化も異なるものとなりました。ドイツのように国家統一に向けての内から湧きあがる民族意識もなくなっているのかもしれません。多くの民族が今でも辛酸をなめています。敗戦によって日本が分割統治されなかったのは、本当に幸運なことであったと実感するとともに、日本も民族の分断に関わっていたことを真摯に振り返る必要があります。このように見てくると、やはり日本民族は世界で特殊な存在であると認識せざるを得ません。弥生人が渡来して縄文人と交わったのは紀元前と言われていますので、日本建国2700年はあながち神話の話とばかりは言えません。中国4000年の歴史は上述の通り異民族の興亡の歴史そのものです(漢民族が支配していたのは漢、宋、明、そして現在)。多くの国の歴史は民族の歴史に比べて非常に短いものであることがわかります。

文明の衝突と21世紀の日本

2016年2月20日 at 5:36 PM

標題はハーバード大学政治学教授サミュエル・ハンチントンが2000年に発刊した書籍である。それに先立つこと1993年に冷戦終結以後は「文明の衝突」の時代となると雑誌『フォーリン・アフェアーズ』で発表し話題をさらった。1998年の日本での講演に基づいて標題の書籍が刊行されたわけである。1989年にベルリンの壁が崩壊し、年末のマルタ島でのブッシュ・ゴルバチョフ会談によって冷戦の終結が宣言され、翌年の東西ドイツ統一、その翌年にはソ連邦が解体された後、多くの西側諸国が民主主義と自由経済の勝利に酔っていた頃のことである。

ハンチントンの教え子であったフランシス・フクヤマも1989年に「歴史の終わり」を発表し、民主主義と自由経済の勝利、そして民主主義は普遍的かつ恒久的なイデオロギーであり、もはや独裁や帝国に戻るような可逆性はないと論じた。それに呼応したかのように引き合いに出されるハンチントンの「文明の衝突」であるが、その中の「歴史は終わらない」という文言だけが取り上げられ、反論めいた論文のように分析するきらいもあるが、それは本筋ではない。
その後の世界の動向はイスラム(主に急進派)と西欧の衝突という形に代表されるような状況が出現し、まさにハンチントンが喝破したような情勢となり、フクヤマの「歴史の終わり」は一挙に影を潜めてしまった感があるが、今回改めて標題の本を読み直してみた。

標題の「文明の衝突と21世紀の日本」に関しては、やはり日本及びその周辺への記述に注目が集まるところである。ハンチントンは現存する文明を中華、インド、イスラム、日本、東方正教会、西欧、ラテンアメリカ、アフリカの8つに分類し、日本文明に関しては他の文明が複数国で構成されているのに対し、日本文明は日本一国で成り立っている孤立国文明であると定義付けた。
このことは日本がこれまで、第一次世界大戦前は大国イギリスとの日英同盟を、第二次世界大戦前は強大化した独伊と、そして敗戦後はアメリカ占領という他律的ではあるが日米同盟という、一貫して「バンドワゴニング」(大国に追随する戦略)策を取ってきたことと符合すると解説している。文明を共有している国々は仲間集めをして「バランシング」(勢力の均衡を維持する戦略)策を取ることが選択肢としてあることと、日本のそれを対比している。

その筆は、アジアにおいて勢力を増してきた中国に対して、いずれ日本は同様の「バンドワゴンニング」政策をとる可能性が高いとしている。この論旨には多くの日本人が賛同しないであろう。日本にとって世界中で最も折り合いが悪い中国に日本が追随するなんてことがあるわけないと。
将来、日中の連携があるとすれば、中国の体制変革が前提となろう。中国4000年の歴史からすれば、中華人民共和国という一党独裁共産主義体制は高々66年でしかない。フクヤマの歴史観からすれば、「歴史世界」(民主化を達成していない国)はいずれ民主化を経て、「脱歴史世界」(イデオロギー闘争、政治的抑圧、政治的不平等からの解放)に至るはずである。

ハンチントンの言うように日本文明は特殊で仲間が作れないというのであれば、日本文明を発信して日本文明に取り込んでしまえばいい。昨年日本を訪れた2000万人の訪日客のうち半数以上が中華系(中国、台湾、香港)であり、日本のレストランのサービスやトイレの清潔さに驚嘆しきりであった。そういった訪日客が本国へ帰り、その素晴らしさを伝え、レストランやトイレが日本を見習えとばかりに見違えるようになってきていると(まだ一部であろうが)聞く。
ハンチントンの理論からすれば、イデオロギーより文明の共通価値が高くなるということは東西ドイツの統一と同様、いずれ中台や韓国・北朝鮮の統一も、その可能性に現実味を与える。日中連携があるとしても中台や朝鮮などの同一文明同士が統一されたその後となろう。

一方、現在の日本の立ち位置を見ると、体制的には軍事同盟を基盤にして西欧に組み込まれている。特にアメリカとは切っても切れない関係である。しかし、アメリカの将来の動向によっては、自国の「バンドワゴンニング」政策に影響が出てくるであろう。近々では大統領選挙の動向には目が離せない。選挙権の無い身としてはまともな大統領が選出されることを切に願うのみである。過去、世界の警察を自任したアメリカのおせっかいによって、混乱をもたらされた国や地域は少なくない。アメリカが悪魔呼ばわりすればするほど、国内では人気が出てしまうという現象もいくつも見てきた(カストロ、ミロシェビッチ、フセイン)。世界帝国がありえない以上、超大国アメリカと言えども、世界が多文化からなることを認識しなければならない。自国の価値観で世界中を塗り替えることなどできないことに、多くの戦費と犠牲を払った結果、やっと気付き始めている。アメリカの歴史はコロンブスから始まるのではなく、ネイティブ・アメリカンから始まって、白人の侵略を経て、今に至っているという歴史観を持つべきなのである。

こうして考えてくると、友好国アメリカにも隣国中国にも働きかけを行い、日本文明の中でも共有化されうる価値観を世界に発信する日本の役割は「孤立国」と言われるほど、決して小さいものではない。

台湾との歴史、そして国連とは

2016年2月11日 at 11:38 AM

既報の通り2月6日早朝、台湾南部にM6.4の地震が発生しました。ニュースでは倒壊した16階建ての集合住宅ばかりが報道されていますが、現地では断水が一番大変だというSNSも流れています。思い起こせば3.11でいち早く義援金活動をしてくれた台湾に「今こそ恩返しを」と多くの日本国民が支援の輪を広げました。私も微力ながら寄付をしましたが、日本政府も8日に100万ドルの義援金を台湾赤十字に支援することを表明しました(台湾のブログでは台湾赤十字は国際赤十字の承認を受けていない組織なので、どこか別の政治団体のポケットに入ってしまうと危惧する投稿もありましたが真偽不明)。7日には5人ではありますが、官民による「調査予備隊」が現地入りしました。広島のNPO法人PWJは救助犬とレスキュー隊員の派遣を準備中とありますが、その後実際に派遣したのかどうかの報道は見当たりませんでした。

3.11の時に日本赤十字社が公表した国別義援金があたかもすべてのように報道されているきらいもありますが、義援金総額227億円のうち、アメリカが約29億9800万円で1位、台湾が約29億2800万円で2位、以下タイ、オマーン、中国、アルジェリア、イギリス、ベトナム、香港と続きます(オマーンが上位にくるのは、前国王が日本女性と結婚し、その娘が王族入りしていることによる)。実は、義援金とは別に「救援金」というのがあり、これは赤十字社が直接被災者支援活動に直接役立てるものだそうです。「義援金」は被災県の義援金配分委員会に送金されてから被災者に配分されるもので、使われ方に違いがあります。救援金は総額597億円と義援金の2倍以上あって、アメリカの230億円を筆頭に、台湾67億円、カナダ40億円、ドイツ33億円、韓国29億円と続きます。いずれにしても台湾のそれはGDP比から言っても大きな支援であることには間違いありません。また、一方で反日の中国や韓国からも支援をいただいていることはきちんと認識すべきことと思います(被災した自治体や募金団体から寄せられた義援金や寄付金の国内での総額は4400億円)。もちろんお金だけで全てを量ることはできません。多くの物資や救援支援をしてくれたすべての個人・団体に感謝しなければなりません。これから語る台湾に関して付け加えれば、台湾各地の消防士からなる台湾救援隊28名派遣や、総量560トンの支援物資、政府並びに民間から総額200億円の支援金を頂戴しています。

前置きが長くなってしまいましたが、日本と台湾の関係は1895~1945年の日本統治時代を抜きに語ることはできません。日清戦争で清国から台湾・澎湖諸島が日本に割譲され、日本政府は台湾総督府を設置し、いわゆる植民地統治を開始しました。欧州諸国の植民地支配と日本のそれが大きく違うのは同化政策です。欧州諸国は経済発展のために労働力や産物の搾取を行い経済を拡大していきました。日本のそれは発想の原点が「このままではアジアは欧州に乗っ取られてしまう、それには日本が中心となってアジアを守らなければ」というものだったので、「大東亜共栄圏」なる構想が生まれ、朝鮮、台湾、満州を取り込み、インフラ投資や日本語教育を施して強いアジア(拡大日本)をつくろうとしていました。当初は清国と手を組んでアジアを守ろうと意図しましたが、清国があまりにだらしない状態だったので、多くの資本家や革命思想家が中華民国設立に協力しながら共闘を画策しました。実際、農業は台湾、工業は日本という方針のもと飛躍的な生産性向上を実現し、台湾財政の独立化に成功しています。台湾は日本敗戦後、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府の恐怖政治に統治され、台湾人(本省人)は「犬が去って、豚が来た」と嘆いたとされます(日本人はうるさくて吠えても番犬として役立つが、中国人(外省人)は貪欲で汚いだけ)。台湾における国民党独裁政治(強奪・腐敗)は1996年の台湾民主化(アメリカに移住していた台湾人が中心となって運動)まで50年続きました。そのような経緯もあって、多くの台湾人が日本統治の50年と中国統治の50年では前者の方が全然マシと考えているわけです。台湾人が日本人に比較的好感を持っているのはこのためです。

国連安保理には常任理事国が5つありますね。第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国です。正確に言えば、戦勝国はロシアではなくソ連、中国ではなく中華民国です。言わずと知れた安保理で拒否権を持っている特別待遇国です。ソ連から議席を継承したロシアはまあ妥当としても、中華民国から議席を継承した中華人民共和国(中国)は果たして妥当と言えるのでしょうか?
1972年、時のアメリカ大統領ニクソンは突然訪中をして世界を驚かせました。ベトナム戦争からの名誉ある撤退を模索していたアメリカが中国の国際連合入り(つまり台湾に取って代わって中国が常任理事国となる)を駆け引きの材料に米中国交回復を意図したと言われます。国連総会では通称「アルバニア決議」(中国の友好国のひとつであるアルバニアが提起)によって中国が台湾に代わって代表権を得ることとなりました(日本もアメリカも反対に回りましたが、アメリカのそれは承認されることを見越してのポーズでしょう。賛成76、反対35、棄権17、無投票3で可決)。この決議で台湾は追放とされましたが、中華民国は即時脱退しました。中華人民共和国は戦勝国ではありませんから、中華民国にしてみれば大変な侮辱です。(ちなみに日本への戦後賠償を放棄したのは中華民国とインドだけです。蒋介石は大陸に日本が投資したインフラを全て手に入れましたから、賠償は不要と考えたのでしょう。200万人の日本軍民を「暴に報いるに暴を以てせず」として早期帰還を宣言しました。一方、スターリンは60万人の日本兵をシベリア抑留し、強制労働により6万人が死亡したと言われます<諸説あり>)

国際連合憲章の第53条には、「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム、覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できない」という敵国条項がいまだに存在しています。一般的な解釈としては日独伊や東欧の数ヵ国が対象とされます。1995年には日本やドイツの提起した削除決議案が採択されましたが、削除されませんでした。2005年にも国連首脳会合において削除の決意の確認が行われましたが、今日未だに削除はされていません。果たして国連という場は機能しているのでしょうか。日本の常任理事国入りの悲願への道のりは果てしなく遠いと感じざるを得ません。

企業理念

2016年1月25日 at 11:47 AM

どこで見聞きしたか記憶は定かでないが、私のセミナーでの余談でこんなことを話すことがある。
転職面談で「あなたから質問はありますか?」と訊かれたら、この3つを質問して面接官がすべてよどみなく答えられたら、是非その会社にお入りなさいという話である。
質問⓵「御社のお得意先はどちらですか?」-面接官によっては「そんなことも調べずに面接に来たのか」とNagativeに思われそうであるが、そこを押して訊いてみよう。判断基準は「トヨタです、ホンダです」と顧客を呼び捨てにしていたとしたら、その会社は顧客志向の会社とは言い難いです。「トヨタさんです。ホンダさんです」と「さん」を付けて顧客を呼んでいるのであれば、従業員に顧客志向が浸透している良い会社と思って差し支えないでしょう。海外の場合「さん」という英語の呼称は無いので、この質問は機能しません。
質問⓶「御社の企業理念を教えてください」-この質問も同様に「そのくらい調べて来いよ」という項目かもわかりませんが、案外「企業理念」は従業員に浸透していないものです。会社によっては企業理念を持っていない会社もありますし、とても覚えきれないような長いものや、、網羅的で項目が多すぎるものも少なくありません。企業理念とは、わかりやすく言えば「我々は何のためにこの会社に集まっているのか?」つまり、事業遂行における基本的な価値観と目的意識を表現しているものです。従業員の目線で考えれば、日々の業務を行う判断基準になるもので、2択であれ、3択であれ、この企業理念を基に業務上の判断を行うという道標のようなものです。これが従業員に浸透していないとなれば、企業全体のベクトルが合うはずもなく、行き当たりばったりな非効率な企業となってしまいます。古くは毎朝「社是・社訓」を唱える会社も多くありましたが、決して意味のない行為ではありません。
質問⓷「あなたは毎日ルンルン・ワクワクした気持ちで会社に来ていますか?」-かなり不躾な質問ではありますが、これをYesと答えられる企業はどれほどあるでしょうか。かなり少数だとは思いますが、必ず存在しています。その会社の従業員の目は例外なく輝いています。いわゆるMotivationの高い会社ですが、個々の能力や可能性が十二分に発揮できている会社と言えましょう。

今日は、⓶の企業理念について書きたいと思います。日本では一流企業の代名詞とも言えるトヨタは1935年に豊田佐吉の考え方を「豊田綱領」として5つにまとめました。「上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし」や「研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし」などは面目躍如たるものがあります。1992年にグローバルビジネスに合わせた形に変えていますが、却って凡庸な感じになってしまったと感じます。http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/philosophy/

ソニーはHP上で創業者の理念「設立趣意書」を紹介してはありますが、今の企業理念は不明です。CSRの考え方や環境への取り組みビジョンは明記してありますが、断片的で、従業員の向かうべき指針は残念ながら見当たりません。デザイン・フィロソフィーのサイトで「人のやらないことをやる、つねに一歩先んずるという創業当初からの企業理念のもと、」と書いてあるところをみると創業当初の設立趣意書を拠り所にしているようですが、70年前と今では全くと言っていいほど状況は変わっているので、改めて明確にした方が良いでしょう。ソニー迷走の原因の一端はここにもありそうです。

OLC(オリエンタルランド~東京ディズニーランド運営母体)の企業使命は「自由でみずみずしい発想を原動力に、すばらしい夢と感動 ひととしての喜び そしてやすらぎを提供します」というものですが、CSR方針として掲げている「未来をひらく子どもたちの笑顔」や「お客様と社会にひろがるハピネス」の方がピンときますね。東日本大震災の時のお客様への対応は語り草になっていますが、怯えている子どもたちに何をすれば「笑顔」になってもらえるかと現場で考えて、お道化て見せたり、ぬいぐるみをあげたり、断熱シートを配ったりといった現場判断が柔軟かつ迅速にできたと言われています。

外国企業の例を挙げましょう。「Googleが発見した10の事実」のひとつに「悪事を働かなくても金儲けはできる」というのがあります。「Don’t be Evil(悪に染まるな!)」というのも社内でよく言われるそうですが、Googleにとってではなく、ユーザーにとって最善の取り組みに専念すれば、「結果」は自然に付いてくるという理念を表しています。 Appleは「improve the lives of millions of people through technology」(テクノロジーを介して何百万人もの人の生活を変える)。Steve Jobsの信念の基、まさに体現している通りです。

残念な企業理念の例を挙げましょう。サイバーエージェントのビジョンは「21世紀を代表する会社を創る」。何をするかが一切語られていませんから、従業員は何をするべきか、してはいけないかが全然わからないと思います。日本マクドナルドホールディングスの経営理念の最初に掲げている会社経営の基本方針は「ハンバーガービジネスで培った資産を有効活用し、経営の効率化と機動性の強化を通して企業価値の向上を図ることにより、長期的かつ安定的なグループ企業の成長を図りたいと考えております」。顧客視点は全くありません。これでは今の凋落はさもありなんといったところでしょうか。

企業理念と並列的にあるのが、ミッション(使命)であり、企業の果たすべき役割が明示されます。そして、何年後にはどうなっている、こうありたいというような目標というべきビジョンがあり、その実現の方策としての企業戦略につながります。企業のドメインが大きくなると企業理念と従業員の日々の仕事との間が乖離していってしまうので、企業によっては「行動指針」というようなものも作成します。あれをしてはいけない、これをしてはいけないというようなコンプライアンス視点で語られることの多い行動指針では「校則」のように従業員の行動を縛ってしまうようなものも多く見受けられます。冒頭のワクワク感を醸成するためにはベクトルを外向きにするような行動指針が望ましいですね。

そういった観点で、従業員に最もわかりやすいと思ったのは、電通の4代目吉田社長が1951年に作った「鬼十則(行動指針)」です。 1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。 2、仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。 3、大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。 4、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。 5、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。 6、周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。 7、計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。 8、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。 9、頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。 10、摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

エネルギーの湧いてくる行動指針です。
ソニーにも大曾根部隊ではソニー開発18か条なるものがあったそうで、「鬼十則」と非常に似ています。
http://yusan.sakura.ne.jp/library/sony18/

人工知能やロボットに奪われない職業とは

2016年1月11日 at 5:54 PM

ほぼ1年前になるが、「人工知能やロボットには奪われない『8つの職業』」という記事が出ていた。
1)Nostalgist-人それぞれの最良の記憶により、ポジティブな感覚を生み出すセラピスト能力を有した環境デザイナー
2)Localizer-快適なコミュニティ作りを行うソーシャル・ワーカー能力を有した調整役
3)Robot Counsellor-家庭にアシスタントとして入っていくロボットを、ニーズに合わせて提案し、安心して使えるようにするアドバイザー
4)Company Culture Ambassodor-企業の価値観を浸透・共有させ、仕事が楽しいという環境と雰囲気をつくり出す世話役
5)Simplicity Expert-世の中に情報が氾濫し複雑性が益々増す中で、要点を見つけだし、単純化できるマネジメント
6)Auto-transport Analyst-ドライバーを必要としない自律走行車が増えていく中で、問題を予防し、不測の事態に対処できる物流専門家
7)Healthcare Navigator-病院内のみならず自宅でも様々なヘルスケアが進展していく中で、どういった治療が最適かをアドバイスする医療コーディネーター
8)Makeshift Structure Engineer-3Dプリンターなどの構造設計者、突発的な災害に即応して緊急用施設などを作る現場監督的エンジニア

この8つの職業とAIロボットがいれば、全て万事心配ないとは思えないが、人工知能やロボットが確実に社会及び家庭に入ってくる近未来がやってくる。そんな環境変化の中で、必要な能力として浮かび上がってくるのは、新しいテクノロジーへの造詣が深く、社会科学(心理学、教育学、社会学)や数学、さらにコミュニケーション能力を横断的に駆使する総合力のようである。それは今でも様々な局面で求められている能力であり、特段目新しさはない。将来益々求められ、かつ人間同士の接点になくてはならない要素を強調しているとも言える。

翻って現代人は総じてコミュニケーションの問題を抱えている。上司と部下、親子関係、男女関係、世代間、様々なところでその問題の存在の大きさが浮き彫りにされる。IT技術の進歩ゆえと言えば聞こえがいいかもしれないが、メールのやり取りが増え、直接顔を合わせて議論をする機会が少ない。ネット上の一文に過剰反応し、炎上した挙句にリアルな世界で凄惨な事件も起きている。直接のコミュニケーションを避けて、Virtualの世界に浸かり、思うように行かなくなったらリセットボタン。傷つくのが怖くて告白できない。男女交際は気を使わなくてはいけないので面倒だからしない。このような存在では明らかにロボットに取って代わられてしまう。恋人はゲームやアニメの主人公。いい大人になってもアイドル追っかけ。人間が一番面白いのになぁと思うおじさんここに在り。

人間とロボットの共存は選ぶ立場の人間が心地よいと思える相棒を作れるかにかかっている。ロボットが鉄腕アトムのようなヒューマノイド型になり、ドラえもんのようにネコ型ロボットとは言え、ほぼ人間同等のコミュニケーションをしているように、技術者は使命感をもって、その実現に邁進していくであろう。その時、人とのコミュニケーションを避けてきた人間はさらなる疎外感に苛まれはしないだろうか。

Technological Singularity(技術的特異点)という言葉を度々聞くようになった。人類のこれまでの技術開発の歴史から推測して得られる未来予測の限界を指す言葉である。特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは、人類ではなく人工知能(AI-Artificial Intelligence)となるため、人類の過去の傾向に基づいた変化の予測モデルは通用しなくなるという考えである。

何十年後か何百年後かわからないが、現在の人類には理解できない未来が待っているとしても、人間同士が健全なコミュニケーションを積極的に図り、AIを活用して幸せな暮らしが実現できていることを私の初夢話として、ひとまず筆を置きます。本年も宜しくお願い致します。

政治体制と企業組織

2015年12月26日 at 11:44 AM

今年の暦が終わろうとしていますが、暖かい毎日が続き年末の実感が湧きません。世界に目を転じると、世界中がISの脅威にさらされる中、IS空爆の有志連合は広がりを見せ、断続的に空爆を続けていますが、アメーバのような過激派組織はゲリラ的に移動を繰り返し、未だ大きな脅威として年を越すことになりそうです。シリア紛争から4年、難民は1000万人を超え、周辺国に流出しています。国が安定していないということの恐ろしさをまざまざと見せつけるものです。
また、今年は中国の台頭が政治経済両面で際立った年とも言えます。政治的には南沙諸島への中国の「赤い舌」はまさにその象徴で、経済的には成長率鈍化が世界経済を脅かす要素となるほど無視できない存在となっています。AIIBの創設も西欧諸国中心の枠組みに対抗して世界覇権を狙う動きと捉えられるでしょう。

ロシアは実質プーチン独裁の下、ウクライナ紛争の末、クリミア併合を果たしたものの、その結果として経済制裁を受け、さらに資源安の煽りも受け、経済成長は今年に入ってマイナスになりました。エネルギー輸入国日本に秋波を送り、北方領土の解決も全く無理という状況から変化が出てきそうです。
北朝鮮も独裁国家の代表ですが、ただただ危なっかしいだけで、中国がお守役を降りてからは(交渉カードとして使えない・使う必要もないとの判断か)、日本をはじめアジア諸国にとって最も危険な国と言えるでしょう。ISは国ではないですが、ISと同等程度の脅威です。拉致問題の解決は期待できないでしょうが、進展がなくとも交渉を続け、動向を注意深く見守る必要があります。一方、軍事境界線を境に対峙する韓国はアメリカからの強力なプレッシャー(これ以上、中国寄りの外交を続けるのであれば、民主国家と認めないと恫喝されたとか)もあり、明らかに日本との関係改善を探っています。懸案の慰安婦問題も岸田外務大臣の訪韓で一挙に進みそうな気配です。
中国に話を戻すと、2049年に中華人民共和国100周年を迎えます。「China 2049」(著者M・ピルズベリー)に書かれている、長く中国の方針とされていた「韜光養晦(とうようこうかい)=能力を隠して、力を蓄える」戦略から、習近平は「強中国夢 =強い中国になるという夢」を堂々と宣言し、アメリカとの対等な関係を求めました。かつての米ソ関係にまでなるのか、アメリカにあしらわれて、最後は中国にも民主化の大きなうねりが押し寄せて、習近平が中華人民共和国最後の総書記となるのか、興味は尽きません。

来年は1月に台湾の総統選挙があり、野党・民進党の蔡英文(ツァイ・インウェン)が圧倒的な有利と伝えられています。民進党はそもそも台湾独立派ですが、中間層取り込みのために「現状維持」路線(しかし、中国とは一線を画す)を取って躍進中です。11月にはアメリカ大統領選挙があります。弱体化したと言われるものの、やはり超大国の大きな選択も注目の的です。早々に脱落するであろうと見られていた共和党候補トランプが放言暴言を繰り返しながらも4割を超える支持を集めているのは、アメリカに膨張している不平不満の表れと言えます。すっかりヒラリーは影が薄くなってしまった格好ですが、民衆の最後の審判は如何なるものになるのか。

民主国家と独裁国家のどちらがいいかと、人に問えば、ほぼ全員が前者を取るでしょう。民衆によって選ばれた為政者が国を治め、民衆の安全を確保し、最大公約数的幸福を実現する。小気味良い説明ではありますが、民衆が正しい情報に基づき為政者を選んでいるかという問題は常にあります。また民衆は全体最適を考えて投票行動をする訳では必ずしもなく、個人最適で選ぶ場合も少なくないでしょう。ここには民主主義による「衆愚政治」の危険が常に潜んでいます。選挙民のレベルが議員のレベルと言われますが、なんでこんな人が?という呆れてしまう議員がニュースを賑わすことも少なくありません、皆さんお気づきの通りです。
それでは独裁国家はどうか。最高の知恵と気配りと対人能力を持った人が為政者となれば、最適な国政が行われるでしょうが、そうなる確率はほぼゼロに近いでしょう。権力は必ず腐敗しますから、第三者チェックの働かない長期政権をずっと続けることは最適から遠のいていくことでしょうし、世襲ともなれば政治の場合は特にその人民(敢えて民衆としません)はかなり高い確率で生命と財産の危機に瀕します。数百万人粛清しても体制の安定のためと平気でいられる為政者と、送り込んだ戦場で数千人が犠牲になったら政権がひっくり返る体制との違いです。
前者の弱みは為政者が民衆によって選ばれるので、耳障りの良い選挙公約がどうしても必要になります。結果、長期的視点に立っての政治が行われにくいです。1000兆円を超える国家財政の累積赤字が問題先送りの象徴です。後者の強みは選挙民に選ばれる必要はなく、よって甘言を駆使して人民におもねる必要はなく、長期的視点に立って戦略を遂行できる点です。中華人民共和国は権力闘争を繰り返しながらも捲土重来を期して第十二次に渡る五か年計画を実行してきたわけです。しかし、長い歴史を振り返れば、民衆の知的レベルは王政や共和制の時代とは比べものにならないほど上がり、インターネットの発達により情報共有度ばかりか、民衆の発信力も格段に上がってきています。ですから独裁国家は遅かれ早かれ駆逐されていくことになるでしょう。

企業組織のトップも従業員に選ばれるわけではありません(一部、野心的なベンチャー企業は、それに挑戦しているところもあります)。密室で決まるという点では民主国家型ではなく、独裁国家型です。企業経営に際しても国家体制が孕んでいるような危険を認識する必要があります。企業の理念や綱領が企業の軸を支え、将来の方向性への指標や日常の判断の道しるべとなります。企業にとっては顧客こそ重要な第三者チェック機関と言えるでしょう。顧客の存在しない企業はあり得ませんから、偏った社内論理を是正してくれる健全な「選挙民」です。
長年、消費者擁護をしてきた活動家のラルフ・ネーダーは、アメリカでは大企業による政権支配が起きていると警鐘を鳴らしています。西側諸国の中で、米国の最低賃金は最低、消費者負債は最高、貧困率も最高。一方でものすごい億万長者や多額の利益を生む企業が存在している。これでいいのか!と。ムッソリーニはコーポラティズム(国家と私企業の共同体的協調)を思想の根幹に据え、ファシズムを先導しました。日本の政府・経団連・日銀のTrinityとも言える昨今の動き「インフレ実現の為には何でもやる」というのはミニ・コーポラティズムの片鱗に見えなくもありません。安倍さん、しっかり舵取りお願いしますね。

ストレスチェック義務化に物申す

2015年12月7日 at 5:39 PM

2014年6月改正労働安全衛生法によって、
 1.(50名以上の事業所について)全従業員へのストレスチェック実施
 2.高ストレス状態かつ申出を行った従業員への医師面接
 3.医師面接後、医師の意見を聴いた上で必要に応じた就業上の措置
の3点が、企業のメンタルヘルス対策強化の大きなポイントとされた。
1.の通称「ストレスチェック義務化」法が2015年12月1日から施行され各企業での対応が慌ただしくなっているようである。様々な企業がストレスチェック義務化対応サービスをセールスプロモーションしているが、本来は上述2.3.の質向上の重要性がもっと語られるべきであり、今改正では「出来るだけ実施することが望ましい努力義務」として定められた「ストレスチェックの集団分析※及びその結果を踏まえた職場環境改善」の後段の職場環境改善に繋げることこそが、企業の活動の重点になるべきであると私は思う。そう考えると、「ストレスチェック義務化」という言葉だけが踊っている今の状況は、非常に表層的対応であると感じると同時に、文字通り誰かに踊らされているのではないかと疑心暗鬼になる。
(※集団分析とは:個人結果がわからないように集計し、職場の一定規模の集団(部、課など)ごとに行うストレス状況の分析だが、ストレスを集団で分析しようとすること自体が正しいアプローチとは思われず、個々人の悩みや孤独感、疎外感など個別ケースにこそ処方のメスを入れなければ、意味がない。組織管理の出来の悪い上司は誰かをあぶりだす意味合いくらいしかない。)

ストレスチェックの義務化の背景として次の4点が挙げられている。
 1.年間自殺者数の増加
2013年の日本の自殺者数は27,283人であり、3万人を下回った。しかし依然高水準であり、しかも働き盛り世代の死因の1位が自殺という現状がある。(警察庁「自殺統計」、厚生労働省「人口動態統計」より)
 2.精神障害等の労災補償状況
年度により増減はあるものの、請求・認定件数ともに高水準で推移している。2012年の支給決定件数は475件(前年度比150件の増)で、過去最多となっている。(厚生労働省広報より)
 3.労働安全衛生法に「質」の視点を
労働安全衛生法では、時間外労働(1カ月あたり100時間を超える)という労働の「量」に対する過重をアセスメントしている。これに加えメンタルヘルス不調には過重労働以外の要因も考えられることから、労働の「質」に対するアセスメントを追加することが必要と考えられる。
 4.総合的なメンタルヘルス対策の促進
メンタルヘルスケアに取り組んでいる事業場の割合は増えてはいるものの依然として取組が遅れている企業も多く、総合的なメンタルヘルス対策の促進が必要であると考えられる。

1.の年間自殺者数は1997年24391人から1998年32863人と急増した。その理由は、バブル崩壊以降の企業倒産や不況が生活レベルにまで浸透し、経済的な要因で自殺者が増えたと考えられる(1997年から98年にかけての自殺者数増加率は、自営者 43.8%、被雇用者 39.7%、無職者 31.7%、主婦・主夫 22.5%増となっているのがその裏付けデータ)。上述の通り、2012年より3万人を割り、2003年の34427人をピークに1997年レベルまで漸減してきているので、今更自殺者数を理由にストレスチェック義務化の根拠にはならない。

被雇用者も自殺者増加率は高いが、2.で労災補償支給決定件数の増加は、認定率が上がった(2011年30.3%→2012年39.0%、同自殺の場合:2011年37.5%→45.8%)のが支給決定件数の増加の主な理由であって、社会的に精神障害の労災補償が認知されてきた結果と見るのが妥当ではないかと思う。ここでも過労死などが労災として認定される社会的理解が進んでいることを考えると、やはりストレスチェック義務化の今更感は否めない。

「死ぬ気でやればなんでもできる」といった精神論を振りかざすつもりはないが、グローバル化によって日本の社会も流動化せざるを得ない。終身雇用や年功序列のメリットもないわけではないが、社会の変化は不可避である。個々人が今やりきれない困難に直面しているとしても、社会には様々な可能性があり、受け皿もあるという周知を政官やマスコミももっと喧伝して、転職や新しいことへのチャレンジが可能性を広げるという施策や、その社会的価値観の醸成に力を入れる方が私には効果大と思われる。

日本人間ドック学会が発表した2014年の統計調査報告によると、基本検査の全項目で異常のない受診者は男性で5.5%、女性で8.3%しかいないという。このスーパーノーマルと言われる人たちの比率が年々下がり続けている(1984年には29.8%)原因として、受診者の高齢化や生活習慣病関連の判定基準の厳格化、食習慣の欧米化、身体活動の低下が挙げられているが、普通に仕事や生活をしている人のほとんどが正常でないとされる診断基準は果たして正しいのであろうか?

欧米との比較においても、あるいは昔のデータに依拠する診断基準には問題があると指摘する医師もいる。「第12回欧州栄養学会議」では、うつ病患者の血液データを検査した結果、受診前は高コレステロールの患者は少なかった(約33%)が、3か月以上治療して精神的に元気になってくると高コレステロールの患者が約49%まで増え、結局、治療前よりも治療後は総コレステロール値や尿酸値が上がるというデータが発表されている。うつ状態の患者の多くは疲労困憊で食欲もなく、夜も寝られない生活が続いている。初診の時に血液検査をすると、生活習慣病関連の値が全く正常の方が多いそうである。これらを鑑みると心身のデータを両方総合的に判定していかなければ、正しく個々人を把握できないということになりそうである。

私も例外ではなく、心身共に健康な中年男性として暴飲暴食を繰り返し、適当な運動もしない結果、30歳半ばにして健康診断で高コレステロールと高尿酸と診断された。その後、20数年に渡って薬を飲み続けているが、還暦をまじかに控え、毎日の服用がどれほどの意味があるのかわからなくなる時がある。まるで毎朝使わないと心配になる育毛剤・養毛剤の類と一緒である。詰まるところ究極の個人問題である。こうして考えてみるとストレスチェックのような、会社に義務付ける法律は個々人のことを心配しているというより、医師会の圧力や、製薬会社の商売の臭い、そして政治と経済の癒着を強く感じるのは私だけであろうか?

個々の遺伝子検査によって医療を行う時代を迎え、いまだに会社集団単位で個人の心身の健康を法律で管理しようというのは、個々人の甘えを増長し、金権主義の暴走の片棒を担ぐだけで健全な社会とは言えないのではないか。日本社会主義をそろそろ卒業してもいいのではないかと思うものである。