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文明の衝突と21世紀の日本

2016年2月20日 at 5:36 PM

標題はハーバード大学政治学教授サミュエル・ハンチントンが2000年に発刊した書籍である。それに先立つこと1993年に冷戦終結以後は「文明の衝突」の時代となると雑誌『フォーリン・アフェアーズ』で発表し話題をさらった。1998年の日本での講演に基づいて標題の書籍が刊行されたわけである。1989年にベルリンの壁が崩壊し、年末のマルタ島でのブッシュ・ゴルバチョフ会談によって冷戦の終結が宣言され、翌年の東西ドイツ統一、その翌年にはソ連邦が解体された後、多くの西側諸国が民主主義と自由経済の勝利に酔っていた頃のことである。

ハンチントンの教え子であったフランシス・フクヤマも1989年に「歴史の終わり」を発表し、民主主義と自由経済の勝利、そして民主主義は普遍的かつ恒久的なイデオロギーであり、もはや独裁や帝国に戻るような可逆性はないと論じた。それに呼応したかのように引き合いに出されるハンチントンの「文明の衝突」であるが、その中の「歴史は終わらない」という文言だけが取り上げられ、反論めいた論文のように分析するきらいもあるが、それは本筋ではない。
その後の世界の動向はイスラム(主に急進派)と西欧の衝突という形に代表されるような状況が出現し、まさにハンチントンが喝破したような情勢となり、フクヤマの「歴史の終わり」は一挙に影を潜めてしまった感があるが、今回改めて標題の本を読み直してみた。

標題の「文明の衝突と21世紀の日本」に関しては、やはり日本及びその周辺への記述に注目が集まるところである。ハンチントンは現存する文明を中華、インド、イスラム、日本、東方正教会、西欧、ラテンアメリカ、アフリカの8つに分類し、日本文明に関しては他の文明が複数国で構成されているのに対し、日本文明は日本一国で成り立っている孤立国文明であると定義付けた。
このことは日本がこれまで、第一次世界大戦前は大国イギリスとの日英同盟を、第二次世界大戦前は強大化した独伊と、そして敗戦後はアメリカ占領という他律的ではあるが日米同盟という、一貫して「バンドワゴニング」(大国に追随する戦略)策を取ってきたことと符合すると解説している。文明を共有している国々は仲間集めをして「バランシング」(勢力の均衡を維持する戦略)策を取ることが選択肢としてあることと、日本のそれを対比している。

その筆は、アジアにおいて勢力を増してきた中国に対して、いずれ日本は同様の「バンドワゴンニング」政策をとる可能性が高いとしている。この論旨には多くの日本人が賛同しないであろう。日本にとって世界中で最も折り合いが悪い中国に日本が追随するなんてことがあるわけないと。
将来、日中の連携があるとすれば、中国の体制変革が前提となろう。中国4000年の歴史からすれば、中華人民共和国という一党独裁共産主義体制は高々66年でしかない。フクヤマの歴史観からすれば、「歴史世界」(民主化を達成していない国)はいずれ民主化を経て、「脱歴史世界」(イデオロギー闘争、政治的抑圧、政治的不平等からの解放)に至るはずである。

ハンチントンの言うように日本文明は特殊で仲間が作れないというのであれば、日本文明を発信して日本文明に取り込んでしまえばいい。昨年日本を訪れた2000万人の訪日客のうち半数以上が中華系(中国、台湾、香港)であり、日本のレストランのサービスやトイレの清潔さに驚嘆しきりであった。そういった訪日客が本国へ帰り、その素晴らしさを伝え、レストランやトイレが日本を見習えとばかりに見違えるようになってきていると(まだ一部であろうが)聞く。
ハンチントンの理論からすれば、イデオロギーより文明の共通価値が高くなるということは東西ドイツの統一と同様、いずれ中台や韓国・北朝鮮の統一も、その可能性に現実味を与える。日中連携があるとしても中台や朝鮮などの同一文明同士が統一されたその後となろう。

一方、現在の日本の立ち位置を見ると、体制的には軍事同盟を基盤にして西欧に組み込まれている。特にアメリカとは切っても切れない関係である。しかし、アメリカの将来の動向によっては、自国の「バンドワゴンニング」政策に影響が出てくるであろう。近々では大統領選挙の動向には目が離せない。選挙権の無い身としてはまともな大統領が選出されることを切に願うのみである。過去、世界の警察を自任したアメリカのおせっかいによって、混乱をもたらされた国や地域は少なくない。アメリカが悪魔呼ばわりすればするほど、国内では人気が出てしまうという現象もいくつも見てきた(カストロ、ミロシェビッチ、フセイン)。世界帝国がありえない以上、超大国アメリカと言えども、世界が多文化からなることを認識しなければならない。自国の価値観で世界中を塗り替えることなどできないことに、多くの戦費と犠牲を払った結果、やっと気付き始めている。アメリカの歴史はコロンブスから始まるのではなく、ネイティブ・アメリカンから始まって、白人の侵略を経て、今に至っているという歴史観を持つべきなのである。

こうして考えてくると、友好国アメリカにも隣国中国にも働きかけを行い、日本文明の中でも共有化されうる価値観を世界に発信する日本の役割は「孤立国」と言われるほど、決して小さいものではない。

台湾との歴史、そして国連とは

2016年2月11日 at 11:38 AM

既報の通り2月6日早朝、台湾南部にM6.4の地震が発生しました。ニュースでは倒壊した16階建ての集合住宅ばかりが報道されていますが、現地では断水が一番大変だというSNSも流れています。思い起こせば3.11でいち早く義援金活動をしてくれた台湾に「今こそ恩返しを」と多くの日本国民が支援の輪を広げました。私も微力ながら寄付をしましたが、日本政府も8日に100万ドルの義援金を台湾赤十字に支援することを表明しました(台湾のブログでは台湾赤十字は国際赤十字の承認を受けていない組織なので、どこか別の政治団体のポケットに入ってしまうと危惧する投稿もありましたが真偽不明)。7日には5人ではありますが、官民による「調査予備隊」が現地入りしました。広島のNPO法人PWJは救助犬とレスキュー隊員の派遣を準備中とありますが、その後実際に派遣したのかどうかの報道は見当たりませんでした。

3.11の時に日本赤十字社が公表した国別義援金があたかもすべてのように報道されているきらいもありますが、義援金総額227億円のうち、アメリカが約29億9800万円で1位、台湾が約29億2800万円で2位、以下タイ、オマーン、中国、アルジェリア、イギリス、ベトナム、香港と続きます(オマーンが上位にくるのは、前国王が日本女性と結婚し、その娘が王族入りしていることによる)。実は、義援金とは別に「救援金」というのがあり、これは赤十字社が直接被災者支援活動に直接役立てるものだそうです。「義援金」は被災県の義援金配分委員会に送金されてから被災者に配分されるもので、使われ方に違いがあります。救援金は総額597億円と義援金の2倍以上あって、アメリカの230億円を筆頭に、台湾67億円、カナダ40億円、ドイツ33億円、韓国29億円と続きます。いずれにしても台湾のそれはGDP比から言っても大きな支援であることには間違いありません。また、一方で反日の中国や韓国からも支援をいただいていることはきちんと認識すべきことと思います(被災した自治体や募金団体から寄せられた義援金や寄付金の国内での総額は4400億円)。もちろんお金だけで全てを量ることはできません。多くの物資や救援支援をしてくれたすべての個人・団体に感謝しなければなりません。これから語る台湾に関して付け加えれば、台湾各地の消防士からなる台湾救援隊28名派遣や、総量560トンの支援物資、政府並びに民間から総額200億円の支援金を頂戴しています。

前置きが長くなってしまいましたが、日本と台湾の関係は1895~1945年の日本統治時代を抜きに語ることはできません。日清戦争で清国から台湾・澎湖諸島が日本に割譲され、日本政府は台湾総督府を設置し、いわゆる植民地統治を開始しました。欧州諸国の植民地支配と日本のそれが大きく違うのは同化政策です。欧州諸国は経済発展のために労働力や産物の搾取を行い経済を拡大していきました。日本のそれは発想の原点が「このままではアジアは欧州に乗っ取られてしまう、それには日本が中心となってアジアを守らなければ」というものだったので、「大東亜共栄圏」なる構想が生まれ、朝鮮、台湾、満州を取り込み、インフラ投資や日本語教育を施して強いアジア(拡大日本)をつくろうとしていました。当初は清国と手を組んでアジアを守ろうと意図しましたが、清国があまりにだらしない状態だったので、多くの資本家や革命思想家が中華民国設立に協力しながら共闘を画策しました。実際、農業は台湾、工業は日本という方針のもと飛躍的な生産性向上を実現し、台湾財政の独立化に成功しています。台湾は日本敗戦後、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府の恐怖政治に統治され、台湾人(本省人)は「犬が去って、豚が来た」と嘆いたとされます(日本人はうるさくて吠えても番犬として役立つが、中国人(外省人)は貪欲で汚いだけ)。台湾における国民党独裁政治(強奪・腐敗)は1996年の台湾民主化(アメリカに移住していた台湾人が中心となって運動)まで50年続きました。そのような経緯もあって、多くの台湾人が日本統治の50年と中国統治の50年では前者の方が全然マシと考えているわけです。台湾人が日本人に比較的好感を持っているのはこのためです。

国連安保理には常任理事国が5つありますね。第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国です。正確に言えば、戦勝国はロシアではなくソ連、中国ではなく中華民国です。言わずと知れた安保理で拒否権を持っている特別待遇国です。ソ連から議席を継承したロシアはまあ妥当としても、中華民国から議席を継承した中華人民共和国(中国)は果たして妥当と言えるのでしょうか?
1972年、時のアメリカ大統領ニクソンは突然訪中をして世界を驚かせました。ベトナム戦争からの名誉ある撤退を模索していたアメリカが中国の国際連合入り(つまり台湾に取って代わって中国が常任理事国となる)を駆け引きの材料に米中国交回復を意図したと言われます。国連総会では通称「アルバニア決議」(中国の友好国のひとつであるアルバニアが提起)によって中国が台湾に代わって代表権を得ることとなりました(日本もアメリカも反対に回りましたが、アメリカのそれは承認されることを見越してのポーズでしょう。賛成76、反対35、棄権17、無投票3で可決)。この決議で台湾は追放とされましたが、中華民国は即時脱退しました。中華人民共和国は戦勝国ではありませんから、中華民国にしてみれば大変な侮辱です。(ちなみに日本への戦後賠償を放棄したのは中華民国とインドだけです。蒋介石は大陸に日本が投資したインフラを全て手に入れましたから、賠償は不要と考えたのでしょう。200万人の日本軍民を「暴に報いるに暴を以てせず」として早期帰還を宣言しました。一方、スターリンは60万人の日本兵をシベリア抑留し、強制労働により6万人が死亡したと言われます<諸説あり>)

国際連合憲章の第53条には、「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム、覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できない」という敵国条項がいまだに存在しています。一般的な解釈としては日独伊や東欧の数ヵ国が対象とされます。1995年には日本やドイツの提起した削除決議案が採択されましたが、削除されませんでした。2005年にも国連首脳会合において削除の決意の確認が行われましたが、今日未だに削除はされていません。果たして国連という場は機能しているのでしょうか。日本の常任理事国入りの悲願への道のりは果てしなく遠いと感じざるを得ません。

企業理念

2016年1月25日 at 11:47 AM

どこで見聞きしたか記憶は定かでないが、私のセミナーでの余談でこんなことを話すことがある。
転職面談で「あなたから質問はありますか?」と訊かれたら、この3つを質問して面接官がすべてよどみなく答えられたら、是非その会社にお入りなさいという話である。
質問⓵「御社のお得意先はどちらですか?」-面接官によっては「そんなことも調べずに面接に来たのか」とNagativeに思われそうであるが、そこを押して訊いてみよう。判断基準は「トヨタです、ホンダです」と顧客を呼び捨てにしていたとしたら、その会社は顧客志向の会社とは言い難いです。「トヨタさんです。ホンダさんです」と「さん」を付けて顧客を呼んでいるのであれば、従業員に顧客志向が浸透している良い会社と思って差し支えないでしょう。海外の場合「さん」という英語の呼称は無いので、この質問は機能しません。
質問⓶「御社の企業理念を教えてください」-この質問も同様に「そのくらい調べて来いよ」という項目かもわかりませんが、案外「企業理念」は従業員に浸透していないものです。会社によっては企業理念を持っていない会社もありますし、とても覚えきれないような長いものや、、網羅的で項目が多すぎるものも少なくありません。企業理念とは、わかりやすく言えば「我々は何のためにこの会社に集まっているのか?」つまり、事業遂行における基本的な価値観と目的意識を表現しているものです。従業員の目線で考えれば、日々の業務を行う判断基準になるもので、2択であれ、3択であれ、この企業理念を基に業務上の判断を行うという道標のようなものです。これが従業員に浸透していないとなれば、企業全体のベクトルが合うはずもなく、行き当たりばったりな非効率な企業となってしまいます。古くは毎朝「社是・社訓」を唱える会社も多くありましたが、決して意味のない行為ではありません。
質問⓷「あなたは毎日ルンルン・ワクワクした気持ちで会社に来ていますか?」-かなり不躾な質問ではありますが、これをYesと答えられる企業はどれほどあるでしょうか。かなり少数だとは思いますが、必ず存在しています。その会社の従業員の目は例外なく輝いています。いわゆるMotivationの高い会社ですが、個々の能力や可能性が十二分に発揮できている会社と言えましょう。

今日は、⓶の企業理念について書きたいと思います。日本では一流企業の代名詞とも言えるトヨタは1935年に豊田佐吉の考え方を「豊田綱領」として5つにまとめました。「上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし」や「研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし」などは面目躍如たるものがあります。1992年にグローバルビジネスに合わせた形に変えていますが、却って凡庸な感じになってしまったと感じます。http://www.toyota.co.jp/jpn/company/vision/philosophy/

ソニーはHP上で創業者の理念「設立趣意書」を紹介してはありますが、今の企業理念は不明です。CSRの考え方や環境への取り組みビジョンは明記してありますが、断片的で、従業員の向かうべき指針は残念ながら見当たりません。デザイン・フィロソフィーのサイトで「人のやらないことをやる、つねに一歩先んずるという創業当初からの企業理念のもと、」と書いてあるところをみると創業当初の設立趣意書を拠り所にしているようですが、70年前と今では全くと言っていいほど状況は変わっているので、改めて明確にした方が良いでしょう。ソニー迷走の原因の一端はここにもありそうです。

OLC(オリエンタルランド~東京ディズニーランド運営母体)の企業使命は「自由でみずみずしい発想を原動力に、すばらしい夢と感動 ひととしての喜び そしてやすらぎを提供します」というものですが、CSR方針として掲げている「未来をひらく子どもたちの笑顔」や「お客様と社会にひろがるハピネス」の方がピンときますね。東日本大震災の時のお客様への対応は語り草になっていますが、怯えている子どもたちに何をすれば「笑顔」になってもらえるかと現場で考えて、お道化て見せたり、ぬいぐるみをあげたり、断熱シートを配ったりといった現場判断が柔軟かつ迅速にできたと言われています。

外国企業の例を挙げましょう。「Googleが発見した10の事実」のひとつに「悪事を働かなくても金儲けはできる」というのがあります。「Don’t be Evil(悪に染まるな!)」というのも社内でよく言われるそうですが、Googleにとってではなく、ユーザーにとって最善の取り組みに専念すれば、「結果」は自然に付いてくるという理念を表しています。 Appleは「improve the lives of millions of people through technology」(テクノロジーを介して何百万人もの人の生活を変える)。Steve Jobsの信念の基、まさに体現している通りです。

残念な企業理念の例を挙げましょう。サイバーエージェントのビジョンは「21世紀を代表する会社を創る」。何をするかが一切語られていませんから、従業員は何をするべきか、してはいけないかが全然わからないと思います。日本マクドナルドホールディングスの経営理念の最初に掲げている会社経営の基本方針は「ハンバーガービジネスで培った資産を有効活用し、経営の効率化と機動性の強化を通して企業価値の向上を図ることにより、長期的かつ安定的なグループ企業の成長を図りたいと考えております」。顧客視点は全くありません。これでは今の凋落はさもありなんといったところでしょうか。

企業理念と並列的にあるのが、ミッション(使命)であり、企業の果たすべき役割が明示されます。そして、何年後にはどうなっている、こうありたいというような目標というべきビジョンがあり、その実現の方策としての企業戦略につながります。企業のドメインが大きくなると企業理念と従業員の日々の仕事との間が乖離していってしまうので、企業によっては「行動指針」というようなものも作成します。あれをしてはいけない、これをしてはいけないというようなコンプライアンス視点で語られることの多い行動指針では「校則」のように従業員の行動を縛ってしまうようなものも多く見受けられます。冒頭のワクワク感を醸成するためにはベクトルを外向きにするような行動指針が望ましいですね。

そういった観点で、従業員に最もわかりやすいと思ったのは、電通の4代目吉田社長が1951年に作った「鬼十則(行動指針)」です。 1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。 2、仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。 3、大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。 4、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。 5、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。 6、周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。 7、計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。 8、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。 9、頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。 10、摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

エネルギーの湧いてくる行動指針です。
ソニーにも大曾根部隊ではソニー開発18か条なるものがあったそうで、「鬼十則」と非常に似ています。
http://yusan.sakura.ne.jp/library/sony18/

人工知能やロボットに奪われない職業とは

2016年1月11日 at 5:54 PM

ほぼ1年前になるが、「人工知能やロボットには奪われない『8つの職業』」という記事が出ていた。
1)Nostalgist-人それぞれの最良の記憶により、ポジティブな感覚を生み出すセラピスト能力を有した環境デザイナー
2)Localizer-快適なコミュニティ作りを行うソーシャル・ワーカー能力を有した調整役
3)Robot Counsellor-家庭にアシスタントとして入っていくロボットを、ニーズに合わせて提案し、安心して使えるようにするアドバイザー
4)Company Culture Ambassodor-企業の価値観を浸透・共有させ、仕事が楽しいという環境と雰囲気をつくり出す世話役
5)Simplicity Expert-世の中に情報が氾濫し複雑性が益々増す中で、要点を見つけだし、単純化できるマネジメント
6)Auto-transport Analyst-ドライバーを必要としない自律走行車が増えていく中で、問題を予防し、不測の事態に対処できる物流専門家
7)Healthcare Navigator-病院内のみならず自宅でも様々なヘルスケアが進展していく中で、どういった治療が最適かをアドバイスする医療コーディネーター
8)Makeshift Structure Engineer-3Dプリンターなどの構造設計者、突発的な災害に即応して緊急用施設などを作る現場監督的エンジニア

この8つの職業とAIロボットがいれば、全て万事心配ないとは思えないが、人工知能やロボットが確実に社会及び家庭に入ってくる近未来がやってくる。そんな環境変化の中で、必要な能力として浮かび上がってくるのは、新しいテクノロジーへの造詣が深く、社会科学(心理学、教育学、社会学)や数学、さらにコミュニケーション能力を横断的に駆使する総合力のようである。それは今でも様々な局面で求められている能力であり、特段目新しさはない。将来益々求められ、かつ人間同士の接点になくてはならない要素を強調しているとも言える。

翻って現代人は総じてコミュニケーションの問題を抱えている。上司と部下、親子関係、男女関係、世代間、様々なところでその問題の存在の大きさが浮き彫りにされる。IT技術の進歩ゆえと言えば聞こえがいいかもしれないが、メールのやり取りが増え、直接顔を合わせて議論をする機会が少ない。ネット上の一文に過剰反応し、炎上した挙句にリアルな世界で凄惨な事件も起きている。直接のコミュニケーションを避けて、Virtualの世界に浸かり、思うように行かなくなったらリセットボタン。傷つくのが怖くて告白できない。男女交際は気を使わなくてはいけないので面倒だからしない。このような存在では明らかにロボットに取って代わられてしまう。恋人はゲームやアニメの主人公。いい大人になってもアイドル追っかけ。人間が一番面白いのになぁと思うおじさんここに在り。

人間とロボットの共存は選ぶ立場の人間が心地よいと思える相棒を作れるかにかかっている。ロボットが鉄腕アトムのようなヒューマノイド型になり、ドラえもんのようにネコ型ロボットとは言え、ほぼ人間同等のコミュニケーションをしているように、技術者は使命感をもって、その実現に邁進していくであろう。その時、人とのコミュニケーションを避けてきた人間はさらなる疎外感に苛まれはしないだろうか。

Technological Singularity(技術的特異点)という言葉を度々聞くようになった。人類のこれまでの技術開発の歴史から推測して得られる未来予測の限界を指す言葉である。特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは、人類ではなく人工知能(AI-Artificial Intelligence)となるため、人類の過去の傾向に基づいた変化の予測モデルは通用しなくなるという考えである。

何十年後か何百年後かわからないが、現在の人類には理解できない未来が待っているとしても、人間同士が健全なコミュニケーションを積極的に図り、AIを活用して幸せな暮らしが実現できていることを私の初夢話として、ひとまず筆を置きます。本年も宜しくお願い致します。

政治体制と企業組織

2015年12月26日 at 11:44 AM

今年の暦が終わろうとしていますが、暖かい毎日が続き年末の実感が湧きません。世界に目を転じると、世界中がISの脅威にさらされる中、IS空爆の有志連合は広がりを見せ、断続的に空爆を続けていますが、アメーバのような過激派組織はゲリラ的に移動を繰り返し、未だ大きな脅威として年を越すことになりそうです。シリア紛争から4年、難民は1000万人を超え、周辺国に流出しています。国が安定していないということの恐ろしさをまざまざと見せつけるものです。
また、今年は中国の台頭が政治経済両面で際立った年とも言えます。政治的には南沙諸島への中国の「赤い舌」はまさにその象徴で、経済的には成長率鈍化が世界経済を脅かす要素となるほど無視できない存在となっています。AIIBの創設も西欧諸国中心の枠組みに対抗して世界覇権を狙う動きと捉えられるでしょう。

ロシアは実質プーチン独裁の下、ウクライナ紛争の末、クリミア併合を果たしたものの、その結果として経済制裁を受け、さらに資源安の煽りも受け、経済成長は今年に入ってマイナスになりました。エネルギー輸入国日本に秋波を送り、北方領土の解決も全く無理という状況から変化が出てきそうです。
北朝鮮も独裁国家の代表ですが、ただただ危なっかしいだけで、中国がお守役を降りてからは(交渉カードとして使えない・使う必要もないとの判断か)、日本をはじめアジア諸国にとって最も危険な国と言えるでしょう。ISは国ではないですが、ISと同等程度の脅威です。拉致問題の解決は期待できないでしょうが、進展がなくとも交渉を続け、動向を注意深く見守る必要があります。一方、軍事境界線を境に対峙する韓国はアメリカからの強力なプレッシャー(これ以上、中国寄りの外交を続けるのであれば、民主国家と認めないと恫喝されたとか)もあり、明らかに日本との関係改善を探っています。懸案の慰安婦問題も岸田外務大臣の訪韓で一挙に進みそうな気配です。
中国に話を戻すと、2049年に中華人民共和国100周年を迎えます。「China 2049」(著者M・ピルズベリー)に書かれている、長く中国の方針とされていた「韜光養晦(とうようこうかい)=能力を隠して、力を蓄える」戦略から、習近平は「強中国夢 =強い中国になるという夢」を堂々と宣言し、アメリカとの対等な関係を求めました。かつての米ソ関係にまでなるのか、アメリカにあしらわれて、最後は中国にも民主化の大きなうねりが押し寄せて、習近平が中華人民共和国最後の総書記となるのか、興味は尽きません。

来年は1月に台湾の総統選挙があり、野党・民進党の蔡英文(ツァイ・インウェン)が圧倒的な有利と伝えられています。民進党はそもそも台湾独立派ですが、中間層取り込みのために「現状維持」路線(しかし、中国とは一線を画す)を取って躍進中です。11月にはアメリカ大統領選挙があります。弱体化したと言われるものの、やはり超大国の大きな選択も注目の的です。早々に脱落するであろうと見られていた共和党候補トランプが放言暴言を繰り返しながらも4割を超える支持を集めているのは、アメリカに膨張している不平不満の表れと言えます。すっかりヒラリーは影が薄くなってしまった格好ですが、民衆の最後の審判は如何なるものになるのか。

民主国家と独裁国家のどちらがいいかと、人に問えば、ほぼ全員が前者を取るでしょう。民衆によって選ばれた為政者が国を治め、民衆の安全を確保し、最大公約数的幸福を実現する。小気味良い説明ではありますが、民衆が正しい情報に基づき為政者を選んでいるかという問題は常にあります。また民衆は全体最適を考えて投票行動をする訳では必ずしもなく、個人最適で選ぶ場合も少なくないでしょう。ここには民主主義による「衆愚政治」の危険が常に潜んでいます。選挙民のレベルが議員のレベルと言われますが、なんでこんな人が?という呆れてしまう議員がニュースを賑わすことも少なくありません、皆さんお気づきの通りです。
それでは独裁国家はどうか。最高の知恵と気配りと対人能力を持った人が為政者となれば、最適な国政が行われるでしょうが、そうなる確率はほぼゼロに近いでしょう。権力は必ず腐敗しますから、第三者チェックの働かない長期政権をずっと続けることは最適から遠のいていくことでしょうし、世襲ともなれば政治の場合は特にその人民(敢えて民衆としません)はかなり高い確率で生命と財産の危機に瀕します。数百万人粛清しても体制の安定のためと平気でいられる為政者と、送り込んだ戦場で数千人が犠牲になったら政権がひっくり返る体制との違いです。
前者の弱みは為政者が民衆によって選ばれるので、耳障りの良い選挙公約がどうしても必要になります。結果、長期的視点に立っての政治が行われにくいです。1000兆円を超える国家財政の累積赤字が問題先送りの象徴です。後者の強みは選挙民に選ばれる必要はなく、よって甘言を駆使して人民におもねる必要はなく、長期的視点に立って戦略を遂行できる点です。中華人民共和国は権力闘争を繰り返しながらも捲土重来を期して第十二次に渡る五か年計画を実行してきたわけです。しかし、長い歴史を振り返れば、民衆の知的レベルは王政や共和制の時代とは比べものにならないほど上がり、インターネットの発達により情報共有度ばかりか、民衆の発信力も格段に上がってきています。ですから独裁国家は遅かれ早かれ駆逐されていくことになるでしょう。

企業組織のトップも従業員に選ばれるわけではありません(一部、野心的なベンチャー企業は、それに挑戦しているところもあります)。密室で決まるという点では民主国家型ではなく、独裁国家型です。企業経営に際しても国家体制が孕んでいるような危険を認識する必要があります。企業の理念や綱領が企業の軸を支え、将来の方向性への指標や日常の判断の道しるべとなります。企業にとっては顧客こそ重要な第三者チェック機関と言えるでしょう。顧客の存在しない企業はあり得ませんから、偏った社内論理を是正してくれる健全な「選挙民」です。
長年、消費者擁護をしてきた活動家のラルフ・ネーダーは、アメリカでは大企業による政権支配が起きていると警鐘を鳴らしています。西側諸国の中で、米国の最低賃金は最低、消費者負債は最高、貧困率も最高。一方でものすごい億万長者や多額の利益を生む企業が存在している。これでいいのか!と。ムッソリーニはコーポラティズム(国家と私企業の共同体的協調)を思想の根幹に据え、ファシズムを先導しました。日本の政府・経団連・日銀のTrinityとも言える昨今の動き「インフレ実現の為には何でもやる」というのはミニ・コーポラティズムの片鱗に見えなくもありません。安倍さん、しっかり舵取りお願いしますね。

ストレスチェック義務化に物申す

2015年12月7日 at 5:39 PM

2014年6月改正労働安全衛生法によって、
 1.(50名以上の事業所について)全従業員へのストレスチェック実施
 2.高ストレス状態かつ申出を行った従業員への医師面接
 3.医師面接後、医師の意見を聴いた上で必要に応じた就業上の措置
の3点が、企業のメンタルヘルス対策強化の大きなポイントとされた。
1.の通称「ストレスチェック義務化」法が2015年12月1日から施行され各企業での対応が慌ただしくなっているようである。様々な企業がストレスチェック義務化対応サービスをセールスプロモーションしているが、本来は上述2.3.の質向上の重要性がもっと語られるべきであり、今改正では「出来るだけ実施することが望ましい努力義務」として定められた「ストレスチェックの集団分析※及びその結果を踏まえた職場環境改善」の後段の職場環境改善に繋げることこそが、企業の活動の重点になるべきであると私は思う。そう考えると、「ストレスチェック義務化」という言葉だけが踊っている今の状況は、非常に表層的対応であると感じると同時に、文字通り誰かに踊らされているのではないかと疑心暗鬼になる。
(※集団分析とは:個人結果がわからないように集計し、職場の一定規模の集団(部、課など)ごとに行うストレス状況の分析だが、ストレスを集団で分析しようとすること自体が正しいアプローチとは思われず、個々人の悩みや孤独感、疎外感など個別ケースにこそ処方のメスを入れなければ、意味がない。組織管理の出来の悪い上司は誰かをあぶりだす意味合いくらいしかない。)

ストレスチェックの義務化の背景として次の4点が挙げられている。
 1.年間自殺者数の増加
2013年の日本の自殺者数は27,283人であり、3万人を下回った。しかし依然高水準であり、しかも働き盛り世代の死因の1位が自殺という現状がある。(警察庁「自殺統計」、厚生労働省「人口動態統計」より)
 2.精神障害等の労災補償状況
年度により増減はあるものの、請求・認定件数ともに高水準で推移している。2012年の支給決定件数は475件(前年度比150件の増)で、過去最多となっている。(厚生労働省広報より)
 3.労働安全衛生法に「質」の視点を
労働安全衛生法では、時間外労働(1カ月あたり100時間を超える)という労働の「量」に対する過重をアセスメントしている。これに加えメンタルヘルス不調には過重労働以外の要因も考えられることから、労働の「質」に対するアセスメントを追加することが必要と考えられる。
 4.総合的なメンタルヘルス対策の促進
メンタルヘルスケアに取り組んでいる事業場の割合は増えてはいるものの依然として取組が遅れている企業も多く、総合的なメンタルヘルス対策の促進が必要であると考えられる。

1.の年間自殺者数は1997年24391人から1998年32863人と急増した。その理由は、バブル崩壊以降の企業倒産や不況が生活レベルにまで浸透し、経済的な要因で自殺者が増えたと考えられる(1997年から98年にかけての自殺者数増加率は、自営者 43.8%、被雇用者 39.7%、無職者 31.7%、主婦・主夫 22.5%増となっているのがその裏付けデータ)。上述の通り、2012年より3万人を割り、2003年の34427人をピークに1997年レベルまで漸減してきているので、今更自殺者数を理由にストレスチェック義務化の根拠にはならない。

被雇用者も自殺者増加率は高いが、2.で労災補償支給決定件数の増加は、認定率が上がった(2011年30.3%→2012年39.0%、同自殺の場合:2011年37.5%→45.8%)のが支給決定件数の増加の主な理由であって、社会的に精神障害の労災補償が認知されてきた結果と見るのが妥当ではないかと思う。ここでも過労死などが労災として認定される社会的理解が進んでいることを考えると、やはりストレスチェック義務化の今更感は否めない。

「死ぬ気でやればなんでもできる」といった精神論を振りかざすつもりはないが、グローバル化によって日本の社会も流動化せざるを得ない。終身雇用や年功序列のメリットもないわけではないが、社会の変化は不可避である。個々人が今やりきれない困難に直面しているとしても、社会には様々な可能性があり、受け皿もあるという周知を政官やマスコミももっと喧伝して、転職や新しいことへのチャレンジが可能性を広げるという施策や、その社会的価値観の醸成に力を入れる方が私には効果大と思われる。

日本人間ドック学会が発表した2014年の統計調査報告によると、基本検査の全項目で異常のない受診者は男性で5.5%、女性で8.3%しかいないという。このスーパーノーマルと言われる人たちの比率が年々下がり続けている(1984年には29.8%)原因として、受診者の高齢化や生活習慣病関連の判定基準の厳格化、食習慣の欧米化、身体活動の低下が挙げられているが、普通に仕事や生活をしている人のほとんどが正常でないとされる診断基準は果たして正しいのであろうか?

欧米との比較においても、あるいは昔のデータに依拠する診断基準には問題があると指摘する医師もいる。「第12回欧州栄養学会議」では、うつ病患者の血液データを検査した結果、受診前は高コレステロールの患者は少なかった(約33%)が、3か月以上治療して精神的に元気になってくると高コレステロールの患者が約49%まで増え、結局、治療前よりも治療後は総コレステロール値や尿酸値が上がるというデータが発表されている。うつ状態の患者の多くは疲労困憊で食欲もなく、夜も寝られない生活が続いている。初診の時に血液検査をすると、生活習慣病関連の値が全く正常の方が多いそうである。これらを鑑みると心身のデータを両方総合的に判定していかなければ、正しく個々人を把握できないということになりそうである。

私も例外ではなく、心身共に健康な中年男性として暴飲暴食を繰り返し、適当な運動もしない結果、30歳半ばにして健康診断で高コレステロールと高尿酸と診断された。その後、20数年に渡って薬を飲み続けているが、還暦をまじかに控え、毎日の服用がどれほどの意味があるのかわからなくなる時がある。まるで毎朝使わないと心配になる育毛剤・養毛剤の類と一緒である。詰まるところ究極の個人問題である。こうして考えてみるとストレスチェックのような、会社に義務付ける法律は個々人のことを心配しているというより、医師会の圧力や、製薬会社の商売の臭い、そして政治と経済の癒着を強く感じるのは私だけであろうか?

個々の遺伝子検査によって医療を行う時代を迎え、いまだに会社集団単位で個人の心身の健康を法律で管理しようというのは、個々人の甘えを増長し、金権主義の暴走の片棒を担ぐだけで健全な社会とは言えないのではないか。日本社会主義をそろそろ卒業してもいいのではないかと思うものである。

政治問題解決の糸口

2015年11月15日 at 4:42 PM

仏パリで同時多発テロが起きた。13日の金曜日というキリスト教にとって忌まわしい日を選んだとも言われる。死者は129人、負傷者は352人と報道されている。有志国連合によるシリアへの空爆が実行に移されて、このような事態は想定できたが、仏当局の厳戒治安体制の中でも悲劇は起きてしまった。仏オランド大統領は非常事態を宣言し、早速IS兵への容赦ない報復を行うと国民に約束をした。
2001.9.11米同時多発テロに対して報復を宣言したブッシュ大統領の声明がよみがえる「これはアメリカへの宣戦布告だ!」(この時も911はアメリカのEmergency Call Numberの日に合わせたのかと言われた)。その後のアフガニスタン侵攻、イラク戦争、アルカイダやタリバンへの空爆、そしてウサマ・ビンラディンを10年かけて追い詰めて殺害した。イラク戦争の口実とされた大量破壊兵器は2004年のCIAデビッド・ケイ特別顧問の「我々は見通しを誤っていた」証言や、情報源となった国防総省の専門家の自殺などを巡って、どうやら「まずイラク攻撃ありき」で根拠はなかったというのが真相のようである(のちに911はアメリカによる自作自演の陰謀説まで飛び出した)。アメリカのテロとの戦いはいまだに続いているが、結果はテロの拡散を招いてしまったという現実に今我々は直面している。
テロ行為は許されざる行為であり、オランド大統領の「法の枠内であらゆる手段を使う」という声明に同意はする。しかし同意する一方で、報復の連鎖が問題の収束に向かうどころか火に油を注ぐ、あるいはISのシナリオ通りとさえ考えられなくもない。
このブログで2年前に「一神教と多神教」ということを書いた。世界の55%以上が一神教の何らかの信者で、代表格のキリスト教徒とイスラム教が中東地域さらには欧州に場を広げて衝突している。仏同時テロ声明と思しきものの中には「十字軍」の文字がまたも現れた。1096年から始まり200年近く続いた十字軍遠征から1291年エルサレム王国滅亡に至るキリスト教徒とイスラム教の対立の根源とも言える史実である。「アラビアのロレンス」で描かれた第一世界大戦下の英国の三枚舌外交は、パレスチナ問題を生み、クルド人の国家喪失という現在につながる悲劇の遠因ともなった。ユダヤ人悲願のイスラエル建国後もアラブとの民族対立は和解という形で何度も試みられたが、何度となく頓挫している。40%そこそこの多神教ではあるが、代表格にもなり得る唯一の原爆被爆国日本が果たせる役割はないものか。日本は無宗教と言われたりするが、多神教の寛容の心は、底流に流れている。残念なことに全体主義国家の多神教信者は、その信力を外部に発揮することは叶わないので、日本が先頭に立って発信しなければならない存在であろう。

日本も問題を抱えている。近隣の中国や韓国との歴史認識や領土問題である。中国はユネスコを舞台に南京大虐殺を声高に喧伝する。彼らの主張で世界記録遺産に登録し、日本を悪人化することに成功した。韓国は従軍慰安婦問題を常に持ち出す。竹島や尖閣列島、北方領土問題も、まるで判をついたように「古来我が国の領土である」という史実らしきものを矛(ほこ)にお互いが応戦をしている。いくら事実を突きつけても納得いかないとごねれば政治問題の解決はできない。経済問題は基本損得勘定なので、何らかの解決に向かう。というのもお互いの時間も損得勘定の要素であるから、未解決の課題を放っておくことは経済的に成り立たないからである。
一方、政治問題は基本的に解決すべき時間のDead Lineはない。かの鄧小平が1978年に尖閣列島問題を「次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」といって問題の棚上げをしたことは有名である。問題の先送りで表面だった対立を避けたのである。これは長い波乱の歴史を持つ中国4000年の知恵であり、白黒はっきりさせずに当面の課題に集中する兵法であった。
テロの問題もテロはけしからんだけでは解決への道筋は見えてこない。ジハードは何もイスラム教だけの専売特許ではない。キリスト教も聖戦だというし、日中戦争さなかの日本でも聖戦の垂れ幕が下がっていた。政治問題の解決に事実や正義の押し売りは邪魔になることがある。問題の先鋭化を招く恐れ大であるからだ。
なぜ、ごねるのか?なぜ、命を賭してまで主張するのか?そこに焦点を当てなければならない。乱暴に一言でいえば、これらの問題の根っこには「不公平感」があるのではないだろうか。相続問題はいくらもらえるかが問題の核心ではなく、ほとんどが「兄貴が1000万円で、なんで俺は300万円なんだ、あいつにそんなに取られてたまるか」という不公平感が原因という。多くの途上国は資本主義時代の列強の負の遺産を引き継いでいる。彼らに搾取された、虐げられた、今も騙されて働かされていると思っている。日本は文化文明を中国から盗んだくせに、戦後奇跡的な発展を遂げ豊かな生活を享受している、けしからん、今こそ中国の時代だと大国主義を振りかざす。
昨今は「資本主義の終焉」と言われたりもするが、資本主義を遡れば1600年に設立された東インド会社に始まる列強の力を背景にした、土地と資源と労働力の特権的搾取が始まりとも言える。産業革命という知的イノベーションを梃に資本主義は20世紀に全盛を迎え、富める者はさらに富み、搾取される者は世代を通じて虐げられてきた。前者の道徳観は経済成長の名のもとに朽ち果て、後者の救いの受け皿となったのは家族や友人に優しい周辺の人が信じる宗教がそのひとつだった。
真実が必ずしも人々を助けるわけではない。そして時には嘘が人を助けることもある。知らぬが仏というのは実生活でも大いに感じるところが多いであろう(同義の英語もあるーIgnorance is bliss-無知は至福である)。
この世に絶対的正義はないし、事実かどうかよりも、感動させられるかどうかが人を動かす力になる。歴史も為政者の都合の良いように紡がれたもの。一神教の信者が信じている聖典や経典もほとんどが作り話。でもこのStory性が人々を安寧にするのでしょう。自分に自信があって安定している人ほど宗教と距離を置くようになります。何が真実で、何が正しいかという論旨の応酬では政治問題は解決に向かいません。イソップ寓話の「北風と太陽」の話を今こそ思い返したいものです。解説にはこう書いてあります「手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり着実に行う方が、最終的に大きな効果を得ることができる。また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示すことによって初めて人は自分から行動してくれる」。
真実を知る必要がないとは決して言いません。国同士が衝突していても自由な人々は国境を越えて人と人のつながりを作っていきます。情報化社会は玉石混交ですが、以前よりも隠し事のできない環境を提供しています。政治問題にはまず相手を思いやり、その人の心を動かす感動Storyがあって、それを補強する上での史実や論理が必要になります。この順序が逆になると政治問題の解決は遠ざかっていくことになるでしょう。ISのようなイスラム過激派に欧米社会が直接会話することは難しい。イスラム教にもローマ法王のような立場の人がいれば、いいのですが。

アメリカでチップ廃止の動き

2015年10月27日 at 12:09 PM

2か月ほど前の米New York Times誌に”As Minimum Wages Rise, Restaurants Say No to Tips, Yes to Higher Prices.”という記事が載った。最低賃金が上がって、サーバー(ウェイター・ウェイトレス)の生活が保障されるようになるのであれば、チップは不要。でもメニューの値段は上がりますよ、という論旨である。この記事を多くのメディアは、「レストランにおけるチップの習慣を廃止する動きがアメリカの一部で広がっているが、多くのレストランは静観の構え」と報じている。しかし、単純に捉えると最低賃金が上がるので、チップは不要です。その代わりメニューの値段は上げさせていただきます。つまりお客の支払いは何も変わらないということである。チップが無くなることによってこれまでも大したサービスとは思われなかったサーバーの接客の質がさらに落ちるかもしれない。ひいては顧客満足は低下するかもしれないという含みを私は感じるが、厄介なチップの習慣に煩わされなくなるのは歓迎だ。
そもそもチップという習慣は何故あるのかを紐解くと、イギリスの貴族社会に起源があるようだ。昔の接客サービス(給仕・ポーター・ドアボーイ等)は貴族の豪邸で始まり、働く場所だけは与えられるが無給であった。それゆえ、何かとお客様の世話を焼いてはチップをもらって生計を立てていたそうである。その流れが移民と共にアメリカ大陸に広がり、定着したもの。つまりチップの習慣は安い賃金(あるいは無給)と不可分の関係にあると言える。生計を立てられないほどの安い給料にキリスト教の施しの精神が加味されて広がっていたものであろう。事実、多くの欧州の国々では最低賃金が保障されるようになってチップの習慣が無くなっていった経緯がある。遅まきながらアメリカでもそういった動きが出てきたことは、逆説的にはそれまでの大国アメリカの行き過ぎた二極化を物語るものでもあろう。
私が毎月海外出張に出かけていた頃は、この国はチップはどうするのか気にして行ったものである。アメリカ居住が長かったので、チップの習慣や計算には慣れていたが、(昔はランチ10%、ディナー15%といった感じだったが、いつの頃からかランチ15%、ディナー20%にチップもインフレ化した。観光地ではチップを置いていかない外国人も多いので、勘定に20%のサービス料が予め加算されている場合も多い。それゆえ気の良い人は二重にサービス料を払ってしまうこともあるので要注意)国や場所によっての使い分けは自分のCommon Senseで判断しなければならなかった。
日本の物価は世界一高いと言われた時期に私はアメリカで生活し始めたので、アメリカは何でも安いなあと毎日感じていた。ほとんどの支払いをカードでしていたので、キャッシュで払った時の感覚より実感は乏しかったが、慣れた頃には「なんだ、チップを加えればそんなに安くないな」と感じたものだ。数人でレストランに行くのであればまだしも、20人くらいの団体で行けば15%と言えどもチップは数百ドルになる。ひとテーブルでそんなに稼ぐなんて何て理不尽なんだと思ったりもした。
チップ本家本元の英Finacial Times誌はこのアメリカのチップ廃止の動きを社説で取り上げ、不透明のお金のやり取りがなくなるのは歓迎すべきものだと論説している。米Wall Street Journal誌はチップをもらえるホールの従業員と料理を担当する厨房の従業員の間に不公平感(手取りは2倍の格差があるとも言われる)が生まれ、調理人には優秀な人材が集まらないという問題を指摘する。チップ廃止によって、経営者が収入の配分権限を持つことで腕の良いシェフを集めやすくなるであろうという趣旨を報じている。確かに工夫がなくて、昔から同じまずい料理を提供しているレストランは多いので、顧客満足に一役買うかもしれない(是非そうしてほしい)。カード支払いのチップは全従業員で平等に分けるということも聞いたことがあるが、Cashのチップは明らかにテーブル担当のサーバーのポケットに無造作に吸い込まれていく(税金は払っていないでしょうね)。日本の料理屋と比べ、アメリカのそれとはFrontとBack Yardの位置づけが(一部を除いて)全く反対いうのは日米文化比較という観点からも興味深い。
日本には「心付け」という習慣がある。旅館で仲居さんにそっと手渡し、より良いサービスを期待するもの。贔屓の芸者に少しばかりの小遣いを渡し好意を示すもの。冠婚祭での祝儀。引越屋さんにお昼代と称してあげる場合も多い。ポチ袋とは目下のものへの「わずかばかりの謝礼」を表すが、その語源は「これっぽっち」から来ているという説がある。なんとも控えめな言い方で、日本の古き良き時代を彷彿とさせる。「心付け」はあくまで感謝の意を伝えるものであるのに対して、チップは生計を立てるために必要なものという大きな違いがあることを認識しておきたい。サービスが良かったらチップは渡すけれども、サービスが悪かったらチップを渡さないというのは歴史的背景を考えれば本来の形ではない。グラスや皿を持ってきてくれたことに対する報酬(感謝ではなく)としてチップがある。お客から従業員への直接の給料というわけだが、日本人としては西洋の階級社会の残滓と考えるほかない。それが変わり始めたというのであれば、唯我独尊のきらいがあるアメリカの変化として歓迎したい。
私は、内外問わず一部にあるAmerican Standardが正義で、Global Standardになるべきという考え方が、American Standardと言えどもGlobal Standardに合わせて変わっていくようになってきた一つの例だと受け止めたい。全く違う領域の話ではあるが、アメリカは1875年に締結されたメートル条約の原加盟国であるにも関わらず、140年経ってもヤード・ポンド法を優先して使っている世界唯一の国である。いずれメートル法を法律で表示させるようにするのか、生活では一切困っていないから関係ないとこれからもうそぶいていくのか。アメリカに対等な二国間関係を求める中国との間に難問山積みの状態では、メートル法は取るに足らない事柄であろうが、超大国アメリカが転機にあることは誰の目にも明らかである。世界の警察として力づくでHard Powerと資本主義を行使してきたアメリカが、どのように内部変革を遂げつつ、巧みにSoft Powerを操るのか。超大国とは言えなくなったアメリカではあるが、中国やロシアの覇権主義に対抗できるのはアメリカだけである。多極化した世界にこそアメリカへの期待は以前よりも増して大きい。

フードサプライチェーン

2015年10月5日 at 4:37 PM

9月27日の国連本部で振る舞われた昼食は、舌の肥えた世界の首脳らを驚かせるのに十分なものであったろう。
昼食を担当した料理人たちは、現代人の食生活にみられる多大なる無駄が、世界的な気候変動に影響を与えていることの再確認につながることを願い、本来なら廃棄処分されるはずだった材料(ゴミ)のみを使って料理を完成させたのだ。
国連本部で提供されたのは、野菜類の絞りかすを原料とするベジタブルバーガーと、それに添えられた「でんぷん状のトウモロコシから作られた『コーンフライ』」だった。
このメニューを考案した著名な料理人ダン・バーバー氏は、「典型的なアメリカ料理をビーフではなく、牛の餌となるトウモロコシで作った。通常なら捨ててしまうものから、本当においしいものを作り出すことへの挑戦」と語った。
と同時に、今回の昼食会のようなイベントを通じて、食文化が徐々に変わっていくことを期待しているとして「長期的な目標は、残飯から食事を作らないようにすることだ」と食べ物の無駄を削減すべきであるとコメントしている。

国際連合食糧農業機関(FAO)の要請により、スウェーデン食品・生命工学研究機構(Swedish Institute for Food and Biotechnology、以下SIK)が2010年8月から2011年1月に実施した調査研究によると、世界全体で人の消費向けに生産された食料のおおよそ3分の1、量にして年約13億トン(7500億ドル相当)が失われ、あるいは捨てられていると示唆した。

日本での統計では、農林水産省が今年4月30日に公表した「食品ロス統計調査」がある。日本の世帯食品ロスは3.7%で、その内訳は過剰除去(調理時の大根の厚皮むきなど)が2.0%、食べ残しが1.0%、直接廃棄(賞味期限切れなど)が0.7%となっている。外食産業では、結婚披露宴で23.9%、宴会で15.7%と高い食品ロス率を記録しているが、およそ世界の食料の3分の1が無駄になっているとはにわかに信じられない数字である。先のSIKの調査によれば、消費段階で廃棄される一人あたりのロスは欧米が年間100kg前後であるのに対して、日本のそれは15kgとまさにMOTTAINAI精神の面目躍如たるものがある(Apple to appleの比較ではないので注意を要する。このブログを書くにあたって、色々調べたが、記事によっては日本の食料廃棄率は世界一であると何か意図的なものを感じるものもあったが、筆者はその根拠を見つけることはできなかった)。

フードサプライチェーンとは食料の生産から貯蔵、流通、加工、販売、消費に至る一連のプロセスを言う。調べてみると、食料の種類や地域によってそのロスの構成に大きな違いがあることがわかった。先進工業地域では廃棄の約4割が消費段階で無駄になっているが、開発途上地域では廃棄の9割ほどが消費前段階の、生産から小売り段階で無駄になっている。つまり開発途上地域では農業生産過程で生じるロスがフードサプライチェーン全体のロス総量の大半を占めているのである。一例を挙げれば、果実や野菜などは、収穫後と流通段階でのロスが甚だしく、暖かく湿度の高い気候条件で腐敗してしまう品質劣化や、供給過剰をもたらしやすい季節性も原因となり、収穫のおおよそ半分が消費段階前に廃棄されてしまうのである。

日本のような先進国の視点から食品ロスを考えると、まだ食べられるのに賞味期限が過ぎたからという理由で捨てられたり、スーパーの高い外観品質基準によって、店頭では並べられないような規格外野菜や魚が出荷されずに無駄になったりということを想起してしまうが、一方の生産地域(特に低所得国)ではフードサプライチェーンの初期段階で、予期しない天候不良、病害虫の発生、貧弱な貯蔵施設、インフラ整備の不足、旧式な輸送形態、食品取扱技術の未熟、あるいは流通段階での非衛生的な市場環境などの悪条件によって大量の食糧が無駄となっているのである。

CSR活動に熱心なネスレはCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)を企業の基本に据え、環境サステナビリティや農業・地域活動に力を注いでいる。世界中に10億人に至らんとする人々が栄養不足の状態にあり、一方で、食べ過ぎで肥満になっている人が10億人以上もいる、この低所得国における低栄養と先進国における過剰栄養という問題を企業の最重要課題として取り組んでいる姿勢は特筆すべきことである。二つの問題は独立事象ではなく、フードサプライチェーンを見たときには双方からの解決のアプローチが重要であることを見逃してはならない。
栄養不足に苦しんでいる人々への世界からの食糧援助量は600万トン、日本一国の食糧廃棄量だけで800万トンという数字を弄んでも、この問題は解決に向かわない。
先進国での消費者意識の変革と、開発途上国での収穫技術、農業者教育、貯蔵施設や輸送方式を改善することによって生産者に展望を与えるという両方に施策が必要である。

日本では、加工食品に3分の1ルールと呼ばれる商習慣があり、賞味期限が6カ月であれば、これを3等分して、メーカーが卸や小売店に納品できるのは製造日から2カ月までの製品。その後、店頭で販売できるのは製造から4カ月までの製品。それを過ぎると、賞味期限まで2カ月残っていても、店頭から撤去、廃棄するという仕組みだそうである。日本の消費者は鮮度にこだわると言われているが、果たして本当に消費者が望んだことなのか、企業が先走ってその方向に誘導したのか。賞味期限も消費期限も無かった時代には、味見して確かめ、時に腹を下したりして実地で体得していったものであるが、今や自分の舌より、良く知りもしない企業の刻印数字を頼りにするのは、過剰サービスの結果なのかもしれない。小売り大手の中には、この期間を見直そう、という取り組みをしている企業もあり、実証実験も始まっているという。健全な消費者と健全な生産者が、将来食糧不足になるかもしれない世界を救う一助になってくれるものと思う。

うなぎとビール

2015年9月8日 at 4:15 PM

すっかり秋めいてきました。晩夏にこんなに雨が降り続くのも珍しいですね。一時の猛暑が嘘のような涼しさです。7月後半から猛暑の夏の定番というべき「うなぎ」を食べたい食べたいと思い、たまたま用事があった江戸川橋付近の創業1910年という鰻屋に電話をしてみると昼でも予約が一杯で入れないとの応対。それ以来なかなか機会が無く、たまにスーパーやデパートの食品売り場でうなぎを見かけるものの、一尾3000円では、絶対鰻屋で食べるべきと心に決めていました。8月に入ってやっとその機会に恵まれ、横浜でボリュームたっぷりのうなぎ中入り丼(御飯の間にもう一枚鰻の蒲焼が入っている)4400円と生ビール600円、それに消費税で〆て5400円20分で平らげ大満足をしました。しかし、一食5400円というのは贅沢なので、なかなか一人で鰻屋に入る決心がつきませんでした。夜の宴会で5400円は普通の会費、ちょっと後輩にウェイト付けされれば10000円は飛んでしまいます。鰻の五千円と飲み会の五千円は前者が贅沢に聞こえるのに対して、後者は普通そんなもんだろうと感じます。前者が20分、後者が2時間といった単位時間当たりのコストも関係しているかもしれません。前者は清水の舞台からとは言いませんが、後者に比べると思い切りが必要でしたが、スーパーの3000円の鰻を家で食すのよりは鰻屋の蒲焼に十分な価値があるという判断が背中を押してくれました。

数年前に「100円のコーラを1000円で売る方法」という本が話題になりました。日本の企業は高品質・多機能、でも低収益。どうしたらこの低収益体質から脱却できるかをテーマにした本でした。1000円のコーラとはリッツカールトンのルームサービスのコーラの価格というのが種明かしです。正確に言うと、ラグジュアリーな快適空間であるホテルの部屋で、最適な温度に冷やされたコーラにライムが添えられて、シルバーのお盆に恭しく運ばれてきたというサービス全体に対する値付けです。リッツカールトンのルームサービスでコーラを頼む人は勿論、値引きは要求しません。提供された全てのValueに納得感が得られるかどうかで満足感が決まります。(ちなみにコーラ1缶の原価は液体が5円以下、缶が10円程度と言われています。価格ドットコムで見ると1缶70円で売っています)

ここでの顧客満足とは、「顧客が感じた価値-事前期待値」の差です。お笑いの世界にもこの式は通用します。つまり「あまり期待していなかったけど、案外面白かった」ということです。「面白いですよ~」とハードルを上げてしまうと、少々面白いくらいではお客さんは笑ってくれません。しかし、商売の世界では「事前期待値」をあまり下げてしまうと、他社との競合においてそもそも見向きもしてくれませんし、買ってもくれないでしょう。事前期待値を高めつつ、期待を超えるそれ以上の価値、あるいは顧客が気が付かない意外な心配りを提供していくことが重要になりました。

ビールはどうでしょう。ビールもコーラに負けず顧客は原価の何倍もの御代を払っています。ビール各社の売上原価を見てみると、アサヒ60%、キリン57%、サッポロ65%、サントリー50%(サントリーはビールがメインではありませんが)となっています。皆さんご存知のようにビールは酒税が高いです。350ml缶でビール77円、発泡酒47円、第3のビールで28円を納めています(全て一律55円にしようという法案が議論されています)。販売費及び一般管理費(SGA)が製造業の中では非常に高い業種です。アサヒ33%、キリン38%、サッポロ35%、サントリー44%です。販売や宣伝広告、間接経費がかなり高いですね。冷えたビールを飲んでいるときにはこれっぽっちも気にしませんが、これらも顧客の皆さんが負担しているわけです。ちなみにトヨタはあれほどコマーシャルの認知度が高い割にはSGAは10%です。ビール会社の酒税の負担は、売上高の15%程度はありますから、純売上高比率で見ると、SGAはさらに5~6ポイント上昇します。350ml缶のビール原価は50円+缶20円+酒税77円。居酒屋の生ビール樽は20リットルで9000円ほど、ジョッキ一杯180円くらいでしょうか。テーブルに持ってきてくれますから、その分の人件費やその他固定費負担分はプラスで掛かりますね。

原価の話はやめてくれ、酒がまずくなる!という声が聞こえてきそうですが、それこそが売る側の狙いです。原価を気にせず満足にお金を払う顧客を掴めれば高収益が期待できます。毎日ビールを家で飲む人は、原価とは言わないまでも価格には敏感でしょう。酒税の安い発泡酒や第3のビールに切り換える人も出てきます。前段の1000円のコーラを毎日飲む人はまずこの世に何人もいないでしょう。だからこそ、その価値が際立ってくるのだろうと思います。日常と非日常それぞれの場面でのサービスや満足感が付加価値を生み、生産者の生活を支え、消費者の人生を豊かにする。金は天下の回り物とはよく言ったものです。