前回ブログの続きのようなものになりますが、本格的AI時代を迎えて、人間とは何か、私とはどういう存在かといった哲学的問いを多くの人が持たざるを得ない段階になってきていると思います。「教養としての生成AI」(清水亮著・幻冬舎新書)は比較的素人にも分かり易く書いてあり、多くの知見を得ることができました。
原始の狩猟時代において、人間にとって価値ある能力は、「目がいい(視力)」「足が速い(走力)」「獲物を仕留められる(腕力・持久力・敏捷性)」といったことであったでしょう。性差による肉体差がある男女間では自然に役割分担がなされ、男は狩りを、女は子育てを中心に日常生活が営まれました。いわゆる食糧調達のできる強い男を女が求めていた時代で、村落内でも英雄として一目置かれた存在であったことが想像されます。
その原始時代において求められた能力競争の名残は今でもオリンピック種目や各種スポーツ、諸々の世界選手権などによって継承されています。車や新幹線や飛行機といった移動手段が進化を遂げても、オリンピック100m走決勝は花形競技として毎回世界の注目を集めています。格闘技もアマ競技からプロに至るまで幅広くファンの支持を得ています。ラグビーやアメフトといった激突系競技も根強い人気を博しています。
狩猟時代に、足が遅くて、目も悪くて、腕力もないといった3無い人間は社会のお荷物だったのでしょうか? 彼らなりの生き方を模索して工夫して生きていたに違いありません。人間食べなければ死んでしまいます。動物を仕留めることができないのであれば、植物採取が手近な手段として考えられます。そういった人達は何が食べられて、何が毒か判別する力をつけていったことでしょう。その過程で命を落とした者もいたでしょうが、毒のありなしを敏感に感じ取って周囲に知恵ものとして重宝された人物もいたに違いありません。海岸沿いの町では腕力はなくても魚釣りの名人もいたかもしれませんし、銛を突くことに長けた人間もいたかもしれません。いつどこに魚が来るのか、貝や甲殻類はどこに潜んでいるのかといった知識を経験によって蓄積していったことでしょう。
火を起こせるようになれば、加熱して調理して周囲に振舞った人間もいるでしょうし、塩加減が絶妙に上手い元祖料理人もいたかもしれません。保存食にすることを見出した人もいるでしょう。後の時代になれば、小麦からパンを作り、米を炊いたりして食生活はどんどん豊かになっていくことになります。
そうした時代を経て、多くの人間は農耕を主体とした定住生活を始めます。狩猟生活にとって重要であった視力・走力・筋力は引き続き重要な人間にとっての価値ある能力ではあったでしょうが、農耕革命によって集団行動の必要性が生まれ、より効率的に作物を栽培・収穫・保存するために指導力や統率力・調整力、あるいは未来を見通す力(雨乞い巫女や天候予言者、経験豊富な長老など)を持つ人間の存在感が高まったに違いありません。現代の遊牧民族のように、動物を家畜化し、食糧として温存しながら牧草地を求めて転々と移動していった民族もいました。動物を走って追っかけて捕まえるより、個体を減らさずに育てて必要に応じて食べるという形態の方が生活を安定させることができることに気づきます。そうするとそれぞれの動物の特徴をよく知り、病気になった動物をどう治すか、病気にならないように予防管理するには何に気を付けなければならないか。まさにこのような形で、人間にとって価値ある能力が体力から知力へ徐々にシフトしていったものと思います。
堺屋太一氏が「知価革命―工業社会が終わる・知価社会が始まる」を上梓したのは1985年ですが、その萌芽あるいは源は農耕時代にあったものかもしれません。江戸時代の文武両道は体力と知力の両方を備えた武士の高みを目指したものでした。いずれにせよ定住生活以降は知識・知恵・知能といったものが人間にとって価値ある能力として高く認められていったことは間違いありません。こうして「知」に長けた人が近世から近代にかけて社会的に高い地位に就いていきました。様々な試験制度が整備され、それまで世襲の多かった西欧中世社会においても、知的能力のあるものを社会的に登用しようという動きが世界中で広がっていきます。国家を運営するもの、企業を経営するもの、宗教を統率するもの、錬金術に長けたもの、あらゆる集団・組織をそういった知恵者達が主導し、近代社会を進化させ現代社会を築いていきました。
高校・大学における入学試験や、企業における入社試験、行政・国家資格における資格試験においては極一部を除けば体力試験はありません。一般的な健康診断があるだけで、あとはペーパー試験や面接試験でしょう。100m走が課されるのは、体育会系の学校や企業、スポーツクラブのような限定された領域になりました。
知識革命がもう一段ギアを上げて進化を遂げたのがインターネット革命です。前出の堺屋氏の知価革命発刊10年後のWindows95発売がエポックメイキングな年でしょう。世界中に散らばっていた情報や知識の断片をひとつの入り口から無尽蔵に引き出すことが可能になりました。企業の社長の重要な知識は社内社外問わず、誰が何に詳しいかを知っていることです。社長が会社運営を全てを知っているわけではありません。変化の激しい時代において全ての情報をひとりの人間がUpdateし続けることは不可能です。ですから、社長は社内の個人個人の能力を把握し、社外の人脈拡大に努め、あらゆる変化に対して何とか上手く対応して会社を成長させようと日夜努力しているわけです。
それがインターネット革命によってかなりの部分が代替可能になっています。見も知らない人の知恵や知識を共有することがいとも簡単にできるようになりました。当初は言語間の敷居も高かったですが、翻訳機能も劇的に向上し他言語の情報も時間をかけずに入手することができるようになりました。
さらに今年発表され一般に公開されたChatGPTの威力は凄まじいものでした。インターネット上に散乱していた情報(データ)を人工知能が学習し、生素材を調理して提供してくれるようになりました。これを可能にしたのがコンピュータ能力の向上と豊富なデータの蓄積です。特にTwitter(X)やInstagramなどのSNSは大量の情報をインターネット上にUploadすることでビッグデータ生成に大きく寄与しました。対話型AIとは言うものの、それらしく言語化されているだけですから鵜呑みにするのは危険です。しかし、相当な精度で情報を要約し質問者に提供できるパワーには目を見張るものがあります。
人間の衰えた肉体的能力を補完してくれる技術も様々生まれました。例を挙げれば、視力が衰えた人にはメガネ、コンタクトレンズ、レーシック施術、多焦点眼内レンズ、人工網膜といった医療技術の進歩が続いています。パラリンピックでの障がい者アスリートの活躍を見るとまさに医療科学技術の進化を実感できます。
八冠を目指す藤井聡太七冠で話題の将棋でも、あるいは囲碁でも、その昔は軍師の必須科目でしたが、現代は知的ゲームのひとつとしてファンの注目を集めています。コンピュータがいくら発達しても、そろばん日本一の大会は毎年開かれますし、国際数学オリンピックも各国の学生たちが毎年競い合っています。数学者の中には計算が苦手という人もいると聞きました。数学上の未解決とされる7つの問題にはクレイ数学研究所によってそれぞれ100万ドルの懸賞金が懸けられていますが、計算能力よりは如何に自由でとらわれない発想ができるかがカギだと言われ、一般人の考える算数・数学とは全く違う能力が必要なようです。
高校時代に物知りの「生き字引」と呼ばれるような人物もいました。広い分野で沢山の事柄を知っている人で、物知りとして一定の評価を受けていました。最近は「生き字引」という言葉そのものをすっかり聞くことはなくなりました。しかし、TVでは多くのクイズ番組でトリビア的な知識を知的オタクが競い合っています。私の学生時代は字がきれいなことも優等生の条件みたいなところがありましたね。その昔は習字が重要で、きれいに書き写すことができないと後世に知識や歴史を伝えることができないということから大変重宝されました。アメリカに赴任した時に「アメリカ人は字が下手だなぁ」と心底思ったものです。タイプライターが早くから発達した欧米では文字を書くことが減ったので、上手く字を書けなくなったのでしょう。遅れてキーボードが普及した日本でも、私自身を含めて昨今は皆、字が下手になってますよね、確実に。
英語も日本の知識人の中では必修科目みたいなところがありました。英語を流暢にしゃべれるだけで知識人の仲間入りです。これも自動翻訳機の普及で急速に価値を失っていくことでしょう。そのうち西欧人のラテン語のようにシェークスピアを論じるサロンの教養の一部となり、ほとんどの人は解さない類のものになっているかもしれません。自動車の発明により馬車は数年のうちに消え去ってしまいました。現代において馬を乗りこなしているのは俳優と趣味や競技で馬術を習っている人くらいでしょうか。モンゴルの人にとってはいまだ必須科目でしょうが。変わって車の運転の上手い下手が能力として求められるようになり、ひときわ能力の高い人はオートレースに参戦していきます。これも自動運転の普及により、自動車運転そのものが趣味の領域に入りつつあります。クラシックカーを保有したり、マニュアル車を楽しんだりする人はその典型でしょう。昔、高く評価された人間の能力は、多くはこのように趣味や道楽として存続していきます。場合によってはセレブ的教養とか、高尚な趣味と呼ばなくては眉を顰める人もいるかもしれません。
AI時代において、これから何が人間にとって価値ある能力になっていくのでしょうか。清水氏は「真心革命」と呼んで、他者への思いやりであろうと結語しています。
今もって多くの人がその人生と生き様に共感し、尊敬を集めている吉田松陰の言葉に以下のようなものがあります。
「仁(じん)とは人なり。人に非(あら)ざれば仁なし、禽獣(きんじゅう)是(こ)れなり。仁なければ人に非ず、禽獣に近き是なり。必ずや仁と人と相合するを待ちて道と云(い)うべし」(仁とは人間に備わった人を思いやる心である。鳥や獣には仁がない。仁がなければ人間ではなく、鳥や獣に近いものになってしまう。従って、仁が備わった人間としての行動こそが人の道ということができる」。吉田松陰が27歳の時の「講孟余話」尽心下に出てくる言葉だそうです。
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