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イスタンブール(トルコ)

2017年1月20日 at 10:41 AM

トルコ共和国の首都イスタンブールはエキゾチックで魅力的な街である。1978年に庄野真代の楽曲で「飛んでイスタンブール」が大ヒットした。その頃は単に異国の地というイメージだけであったが、50歳を過ぎるころから、最も訪れてみたい場所になっていた。地理的には西にヨーロッパが拡がり、東にはアジアが拡がる。その間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南はマルマラ海、北が黒海で天然の港を擁している。まさに東西の十字路であり、ユーラシア大陸とヨーロッパ大陸のつなぎ目に位置する。
人口は東京都をしのぐ1400万人。歴史的にも世界の大都市として位置付けられてきた。古代ギリシャ時代には紀元前の王の名を取ってビュザンティオンと呼ばれていたとされるイスタンブールは、ローマ帝国においてコンスタンティヌス1世が首都をローマから遷都し、自らの名を取ってコンスタンティノープルと名付けた。以降およそ900年の間は、キリスト教発展の要であり、ローマ帝国(330-395)時代には人口30~40万人を有す世界一の大都市であった。ビザンティン帝国(395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国(1204-1261)時代の間でも世界の5指に入る有数の都市であり、様々な民族の商人が行き交っていたものと思う。
1453年にメフメト2世率いるオスマン帝国がこの街を征服し、イスタンブールと改称され、ムスリムを移住させるなどの政策によりイスラム都市化が進められた。また、ヨーロッパから商人を招き入れるなどして商業にも力を入れて、世界一の国際的大商業都市に成長していった(70万人)。オスマン帝国時代の統治はイスラム教国家の君主であるにも関わらず、ユダヤ教やキリスト教を迫害することなく新都に住まわせ、多くの歴史的建造物も破壊することなく、現在に至る多文化都市を形成するに至っている。

ビザンティン建築として有名なアヤソフィアは、その代表例である。350年頃に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、ラテン帝国支配下においてはローマ・カトリック教徒の大聖堂とされていた素晴らしい教会である。オスマン帝国支配下になってからは、モスクの象徴であるミナレット4本が増築され、約500年間はモスクとして使われていた。モスクへの改修に際しては、聖母子像やキリスト教の絵画・モザイク画を漆喰で覆い隠し、「唯一神アッラー」や「預言者ムハンマド」を表すアラビア文字を装飾化して描かせている。 偶像崇拝を禁じるイスラム教国家の君主であるメフメト2世が、見事な建築物であるアヤソフィアの破壊を望まず、現代に引き継いでいるその精神の高邁さは称賛に価する。
1935年の博物館化に際しては、カトリックとイスラムの間で「返せ・返さない」の綱引きがあったということを耳にしたが、結局は聖母子像を覆っていた漆喰を取り除き、聖母子像と唯一神アッラーが隣り合わせで並ぶ異色の博物館が造られることとなった。この博物館は宗教の共存を象徴したものとして毎年200万人もの観光客を集めている。

イスタンブールの歴史は、キリスト教とイスラム教とが、互いの文化を征服しながらも、存在を認め合うことで生き続けてきた場所であり、現代世界の宗教対立や二極化対立に対して、異文化あるいは異質性の共存の一つの型として見ることができるのではないだろうか。
第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は解体され、1923年国父ケマル・アタテュルクによってトルコ共和国が建国された。アタティルクは憲法で(宗教的保守主義ではなく)世俗主義を標榜し、政教分離・近代化政策を採る国づくりを進めた。その結果、イスラムの香りを色濃く残しつつもヨーロッパ的な自由を感じさせるコスモポリタン都市へとイスタンブールは変貌を遂げた。しかし残念なことに、現政権のエルドアン大統領は3期目に入ったころから反政府勢力に圧力を掛け始め、SNSへのアクセスを遮断したり、個人のインターネット閲覧記録の収集などを合法化している。イスラム教育の制度化も志向しており、自由を謳歌してきた若年層を中心に反発が広がっている。イスラム圏を異質と見るEUは、トルコのEU加盟申請を11年間に渡り棚上げしており、エルドアン大統領のイスラム強化政策によって全く目途が立たないという状況となっている(EUそのものの維持も困難な状況がちらちら見え始めてきてはいるが)。

昨年7月にはクーデター未遂事件が発生し、その直後にエルドアン大統領は非常事態を宣言し、今年に入ってもそれを再延長している。市民への弾圧や、相次ぐテロによる外国人旅行客激減で経済は停滞しており、昨年7~9月のGDPは7年ぶりのマイナスとなった。それを反映してトルコリラ安(3ヶ月で20%以上)も止まらない状況が続く。

ケインズはその著書で「経済政策によって(政治的)価値観の対立を棚上げできる」と述べている。つまり、財政政策や金融政策の発動により所得再分配が行われ、(政治)価値中立的な「経済成長」を享受することで価値観の衝突を回避するという考え方である。アベノミクスにしても、成長の減速が続く中国にしても、トランプ新大統領の政策にしても、このケインズの理論を背負っているかのようである。経済が停滞すると対立が表面化する。それを回避するために経済政策を打って取りあえずの緩衝材とする。その結果、多くの国が財政赤字に陥り、手詰まりになっている指導者が政権から降ろされる事態となっている。新しい指導者はいっとき民衆の期待を過大に背負い登場する。しかし、市民の自由を縛る政策、民間の活力を生かせない政策、他国を圧力で制し自国にのみ利益を引き寄せようとする政策は今や機能しない。「有無相通」という言葉がある。一方にあって他方にないものを互いに融通し合ってうまくいくようにするという意味である。いよいよドナルド・トランプ氏が米大統領に就任するが、果たして前代未聞の政策の行く末はどういうことになるのだろうか。

物流再考

2017年1月2日 at 10:53 AM

便利になったネット通販を活用させてもらっています。Amazonの翌日配達(今や当日配達)は大変助かっています。楽天もよく使いますし、ゴルフ宅急便もちょくちょく使います。便利な時代になりました。特に送料無料は魅力的ですね。どこかに買い物に行けば、必ず交通費が掛かりますが、それが不要なのですから。
年末12月30日に以下のような記事がありました。「入社10年以上のベテランドライバーでさえも、朝7時半から夜11時までの長時間肉体労働で、昼食時間も取れず12月に入って3㎏痩せた」というものです。その中でもAmazonの物量とその伸びは群を抜いており、2~3割はAmazonのものとのこと。再配達率は2割弱。再々配達率も4%とドライバーの負担になっているようです。しかも宅急便は1個運んで増える手取りは20円。50個運んでも1000円と実入りが少なく、代表的な3K職場となってしまいました。現在Amazonの配送をほぼ一手に引き受けているヤマト運輸は、「休憩時間が法定通り取得できていないこと(労働基準法34条違反)」「時間外労働に対する賃金が支払われていないこと(同37条違反)」により、横浜北労働基準監督署から8月25日付で是正勧告を受けています。記事の中では、イギリスの宅配事情も紹介していますが、同じように過酷な状況のようです。
また、同月には佐川急便の配達員が荷物を投げつける映像(12月6日付とのこと)がYou Tubeに投稿され、話題となりました。「身勝手な感情でやってしまった。いろいろなイライラが重なっていた。反省している」とこの正社員は事実を認め、今は事務作業に従事しているそうです。
宅配業界では、ヤマト運輸・佐川急便・日本郵便の大手3社による苛烈なシェア争いが繰り広げられています。前述のようにAmazonの成長は著しく、各社にとって是が非でも確保したいビジネスでしょうが、2012年から運賃の適正化を進めてきた佐川急便(2005年ごろ日通のペリカン便に代わり受け持った)は2013年Amazonとの契約を打ち切ります。値上げを求める佐川急便に対し、Amazonはさらなる値下げとメール便にも判取り(つまり再配達要求)を要求し、最終的には決裂しました。代わりにヤマト運輸が引き受けましたが、現場の過酷さは佐川急便と変わるはずもなく疲弊した現場の実態が浮かび上がってきます。
ご承知のようにAmazonは2016年4月6日から送料を有料化しました。2000円未満の購入の場合は350円の送料がかかるようになりました。同時にプレミアム会員を募り、様々な特典を付けながら年間3900円で顧客への送料負担を求めました。タダより怖いものはないと言われながら、私も含めて無料配送に魅入られていました。最近は購入単位(ワインなら6本単位とか)を考え、妥当だと思う送料は支払っています。ポイントが貯まってくれば、送料分くらいは賄えます。
B2Bのビジネスでも、トヨタのかんばん方式に代表されるJIT(Just In Time)は納入回数を増やすことになり、これにかかわる運搬費等が増大したり、また「かんばん」による短期納入、または不測の事態による労働時間の延長等から、下請事業者は危険負担を覚悟しての見込み生産を行ない在庫を増加させるケースが多くなるなどと批判された。納入回数の増加についてみれば、月1回だったものが3~5回に、大物部品は毎日1回だったものが5回に時間納入とされた例もある。トヨタは、内示とかんばんによる納入数量差を3%以内に留めることを目標に掲げ、3ヶ月前から毎月生産数量を内示し、計画は内示のたびに修正されて、精度の高いものにして納入数量差を僅少に留めるよう努めている。しかし、これにより「日当り内示数が、1ヶ月間はほぼ同一となっているため下請事業者も1ヶ月間は同数の要員を配置すればよく、この効果は計り知れない。この要員配置での生産数量の変動は残業での調整が可能であり、それほどのダメージはない」という説明には素直に頷けない取引業者もいるであろう。いずれにせよステークホルダー内での合意形成を重んじなければならない。コストを下回るプライスはいずれ破綻するし、維持されているとするならば、どこかに嘘が隠れている。
さて、話を元に戻すと、2013年9月3日アマゾンジャパン・ロジスティクスは神奈川県小田原市において、新物流センター「アマゾン小田原FC(フルフィルメントセンター)」を本格稼働させ、配送の自社化への足掛かりを築き始めた。
2016年9月27日付のThe Wall Street Jornalでは、Amazonがこれまで米国内での宅配を委託してきたUSPおよびFedExとの契約を解除して、米国内での宅配業務については自社で実施することを検討していると報道されている。
Amazonが宅配業務を自前のものに切り替えた場合、流通コストの面でAmazonに太刀打ちできる業者は存在しないであろうと言われており、流通業界の地図が大きく塗り替えられる可能性が出てくる。今日の顧客が明日の脅威になる熾烈なビジネス競争の中、我々消費者が出来ることは、時間指定しておきながら留守にはしない、宅配ドライバーに「ご苦労様」の一言を添えるくらいしかないのであろうか。
Amazonは将来の配達を様々な形で検討をしている。「消費者の注文前に発送する特許2013年取得」「2017年からレジ無しコンビニ」「配達用無人機を備えた空中倉庫2016年特許申請」「2016年ドローン配送実験を英国で開始」「備品の自動注文サービスDash Replenishment Service(DRS)を2016年開始」などなど。いずれはAIやIoTなどの進展により、欲しいと思ったものが注文しなくても届く時代がやってくることになるのでしょうか。

低下するアメリカとこれからの日本

2016年12月10日 at 4:38 PM

トランプ米次期政権の閣僚の顔ぶれが固まってきた。労働長官にはアンドルー・パズダー氏(ハンバーガーチェーンのカールス・ジュニアCEO)を起用、最低賃金の引き上げに反対するファーストフード経営者で、オバマケアにも反対の立場。現行制度では労働者の負担が増えて外食費が減ると自らのビジネスへの悪影響を主張。環境保護局長官にはスコット・プルイット氏(オクラホマ州司法長官・石炭石油業界から多額の献金を受ける)を起用。地球温暖化に対応しオバマ大統領が進めた石炭火力発電所規制に反対の立場、シェールガスやシェールオイルの追い風もあり、化石エネルギーへの回帰が起こると予想されている(トランプ氏は温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」からの離脱を示唆。一方、習近平氏は「パリ協定」を支持と好対照)。厚生長官にはトム・プライス氏(下院予算委員長・整形外科医歴20年)を起用。オバマケアには反対、同性婚禁止の憲法改正を主張。運輸長官にはイレーン・チャオ氏(ブッシュ政権の元労働長官・アジア系アメリカ人女性として初の閣僚・中国政府と強いパイプを持つ)を起用、規制緩和推進派。中小企業局長にはリンダ・マクマホン氏(プロレス団体WWE元CEO。TVにも出演し抜群の知名度と資金力を持つ)を起用、起業家支援を強化するとされる。その他では。財務長官にはスティーブン・ムニューチン氏(ゴールドマン・サックスの元幹部)、商務長官にウィルバー・ロス氏(知日派の投資家・LBO専門の企業再建王)を起用。外交を司る国務長官にはエクソンモービルのティラーソンCEOが最有力候補と報じられてる。総じて、オバマ政権が進めてきたリベラル路線(オバマケアに代表される厚い福祉路線、比較的社会主義的色彩を帯びた所得再分配派。極端な市場主義には反対)からの転換、つまり規制緩和により市場自由主義をを標榜していく経済政策と、アメリカさえ良ければいいという国家主義政策が鮮明になってきており、政治経験がなく、外交手腕も未知数な、主にグローバル・エコノミーで成功した経済人を中心に構成しつつあるということである。

一方、トランプ氏が当選したら株価は暴落・ドル安になると大方の経済専門家が予測したのに反し、当選後すぐにNYダウ続伸・ドル高進行。日本の株価も円安を好感して日経平均19000円を付けた。市場では、トランプ氏の掲げている①財政出動で雇用創出、②大幅減税や規制緩和で経済を活性化(一方、パナマ文書で指摘されたような米大手企業や富裕層の利益移転・租税回避に対して一律10%のみなし課税を課すなどの海外課税強化)はロナルド・レーガンが行った経済政策(規制緩和による市場原理導入・減税刺激策・軍事費拡大⇒貿易赤字と財政赤字の双子の赤字を抱える。企業の投資資金は買収合併に向かい、株式バブルを生み、1987年のブラックマンデーではじけた)に酷似しており、バブルを作って、バブルがはじけると早くも予測する向きがあります。

トランプ氏の選挙スローガンは「Let’s make America greater again」ですが、これはレーガンの選挙戦でのスローガン”Make America Great Again”と全く同じです。スローガンは閉塞した白人労働者層には耳障りがいいですが、選挙中の公約は支離滅裂・論理矛盾のオンパレードで、実際どのように政権運営していくのか、今もってTwitterから放たれる「トランプ方針」は熱狂的な支持者以外には、不安を増幅させる効果しかないようです。

そういった威勢の良いスローガンを掲げて、閉塞感と停滞感に苛まれた多くのアメリカ人の期待を惹きつけざるを得ないほど、アメリカは明らかに超大国の看板を下ろさざるを得ない状況になっています。アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントン教授は1996年に執筆した「文明の衝突」で覇権国アメリカの力が相対的に低下し、中国やその他新興諸国のパワーが高まりつつある中で世界秩序のさらなる混乱が予想されると、現在の状況を見事に喝破しました。相対的地位の低下とは、アメリカの圧倒的・絶対的に優位な地位が、新興国が力を付けてきた結果、アメリカとの差が縮まったと解釈できると考えます。しかし、今起きているアメリカの地位低下は絶対的な低下と見ることができます。今回の大統領選の候補者同士の討論もお互いの過去の醜聞やスキャンダルを非難し合い、足を引っ張り合うことに終始し、政策論争はほとんど行われていませんでした。世界を主導してきた指導的国家アメリカの世界に向けてのメッセージはすっかり影を潜め、アメリカ第一とばかりに、偏狭でモラル・ハザードに侵された「並みの国」へ向かう現況を露呈したものと思います。

日本はトランプ氏が放棄した(と見える)TPPをいち早く国会承認し、他国にも早期批准を呼び掛けています。国防面では憲法上の規定からいまだ多くをアメリカに頼っていますが、経済面ではもうアメリカの顔色を窺って政策を進める必要も意味も無くなったように思います。イギリスは最初の民主主義国家の矜持をもってBREXITを選択し、ポピュリズムと覇権主義から一歩退いた形を取ったという見方もあながち見当違いとは言えないかもしれません。覇権国家中国も強権国家ロシアも多くの国から嫌われています(人種ではなく国家のことです)。アジアでは唯一最も好かれている国の上位に選ばれている(英BBC世界世論調査「世界に良い影響を与えている国」2006-2014で常に上位5位以内に入っているアジア唯一の国が日本)日本が、アジアの安定と平和にとって、そして世界にとって無くてはならない国になるために、文化的にも経済的にもより価値を高める努力を怠ってはいけないと強く思います。日本文化を肌で体験しようと多くの外国人観光客が訪れてくれています。質の高いインフラ輸出などは、単に札びらを見せびらかし、表面の価格だけを魅力的に見せて受注し、中身はすっからかんの仕事をする某国とはわけが違います。

現在、日本政府が「世界貢献年表」を作成中ということを聞きました。奥ゆかしい日本人は過去にODAや様々な人的貢献も含め「あれをやってあげた、これをやってあげた」と声高にアピールすることを良しとしませんが、世界外交の渦中では、お人よしでは生きてはいけません。アメリカは既に「世界の警察官」を放棄しています。その結果、世界は明らかに不安定になっています。この機に乗じて覇権主義をさらに拡張する強国が出てきているのは皆さんご承知の通りです。弱小国はその波に飲み込まれないように、したたかに外交政策を行うでしょうから、外から見れば一貫性のないことも多々あります。歴史を見ても外交は二枚舌が当たり前です。覇権国とそれにすり寄る弱小国を除けば、世界中の日本への期待はこれまで以上に高まっています。国内では良き日本文明を堅持し、国力を増進する。国外に向けては、リーダーたる見識を持って、しかし驕ることなく自信をもって主義主張を展開していくべきです。国力を失った国が過去どのような末路を辿ったか、現実を直視しないで国民の生命と財産を維持することがいかに困難かは、多くの歴史が証明していることです。日本の資産は金融1500兆円、土地・建物などの固定資産が1000兆円と言われています。負債も400兆円ほどありますが、純資産で2000兆円以上あることを考えれば、5兆円の国防費が高すぎるなどとは言えないはずです(災害の際にも自国民を命を懸けて救助してくれます。その為の訓練を日夜行ってくれています)。もっと社会保障(すでに30兆円超)にという声もありますが、日本が覇権国に攻め込まれた時(物理的に攻め込まれないにせよ、サイバー攻撃や内乱誘発などのスパイ行為なども含め)には数百兆円があっという間に消失します。アメリカの地位低下が進む中、何が大事か改めて考えさせてくれるトランプ現象(アメリカに留まらず欧州でも地殻変動は起こっています)であると思います。

善と悪の経済学

2016年11月2日 at 4:54 PM

「善と悪の経済学」はチェコの経済学者トーマス・セドラチェクが2009年に出版した一般の経済学の著作とは一線を画す意欲作である。経済学の境界を遥かに超え、その語り口は古代まで遡った歴史・哲学、そして倫理学・心理学にまで及ぶ。数学的と捉えられがちな経済学が内包する多くの要素を幅広く論じたこのような著作に出会ったのは初めてである。
今年のノーベル経済学賞は米2教授が「不完備契約の理論」で受賞した。人々は将来起きることを全て事前に知って契約を結ぶことはできないことを指摘し、そのような不確実性の要素(情報の不完全性)をどのように契約において処理すれば良いのかを論じている。新古典経済学が、情報の完全性と将来起こる確実性を人々が有しているという仮定に立って、人々が自己利益の最大化を目指しても市場が社会の利害を自動的に調和させるとしたモデルに対して、現実的な処方箋を提示したと言える。経済学は比較的新しい学問であるが、扱う領域はこのように社会・政治・経済・公共等と不可分であり、実はかなり幅広い領域を扱う学問である。
さて、話を元に戻そう。現在、ほとんどの企業では右肩上がりの成長を当たり前のこととして事業運営を行っている。しかし、未だに日本経済の失われた20年は転換の兆しは見えず、成長の道筋は見えてこない。アベノミクスも新三本の矢も日銀の金利政策も効果が出ているとは言い難い。世界中を見渡しても通貨安競争による国家的な利益誘導や、貧富の格差拡大に伴う治安の悪化等が広がっている。的を得た戦略で成長し続けている企業はあるが、ほんの一握りであろう。「善と悪の経済学」の根底には、そもそも経済成長は善なのかという根源的な問いが流れている。
セドラチェクは人類最古の文学作品であるギルガメシュ叙事詩から紐解き始める。古代メソポタミア(紀元前26世紀頃)に実在したと言われる都市国家のギルガメシュ王の冒険譚である。そこには、人間的な部分は労働の邪魔とばかりに、人々をロボットのように効率よく働かせようとする支配者がいる(効率追求の考え方)。ギルガメシュに代表される支配者の欲望は限りなく広がり、永遠の生命を求めて冒険に出るが、最後まで満たされることはなく、虚無感に陥るギルガメシュが描かれる。ここでの歴史観は循環史観。つまり、歴史はどこへも向かわない。自然の営みのように成長することなく時は繰り返す。善も悪も何の脈絡もなくただ起きるといった世界観がそこにはあった。
旧約聖書(紀元前6~4世紀)では、歴史に進歩という概念が登場する。つまり歴史には始まりと終わりがあって、ユダヤ教のメシア(神が救世主を現世に送り人々が救われる)を待ち望むという歴史観である。歴史を良い方向に向かわせるには倫理観が重要であるという考えがある一方で、善は報われるがそれは現世で清算されなければならないもの、あの世という概念はなかった。労働は喜びを与えてくれて、社会的地位の裏付けにもなるものと位置づけられた。安息日には神に倣いその達成感を味わい、成果を楽しむという意味合いがあった(現代の日本の多くの労働者に見られる、週末に労働の疲れを癒し、また次の週に向けての生産性を回復するといった考えは全くなかった)。
古代ギリシャ時代(紀元前4~3世紀)には、ソクラテス・プラトン・アリストテレスなど西洋哲学の源流と言える思想が発展した。この頃は支配層・軍人・生産者(最下層)という階級制が敷かれ、労働は生きるために必要なものではあるが、それは低い階級のものがやること。エリート層は芸術・哲学・政治などの精神的活動に専念することが善とされた。アリストテレスは「人間は社会的動物である。個人の幸福は社会全体の幸福である」として、都市市民の合理的な自己利益追求を肯定している。
この時代のストア派とエピクロス派の二派は現代の経済学へ連なる基本的な思想として位置づけられる。ストア派はディオゲネスに代表されるように、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考え、そのため肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。経済学に照らして言えば、需給バランスは需要を減らして、供給を減らすことで均衡させる。つまり、物欲を捨て去れば、時間の浪費である労働は減らせる。それが人間にとっての幸福。ストイック(禁欲主義的幸福)は、このストア派が語源になっていることはご存知の通りです。
一方のエピクロス派は快楽主義者とも言われ、財産が多いほど、人間は自由になると考える。需給バランスは需要を増やせば、供給が増えて、成長するという考え方です。そして、利己主義(善は効用の一要素に過ぎない)・将来予測・損得計算(現代の経済学が拠って立つところ)といった思想が発展していく。この思想がのちのスチュワート・ミルに代表される「利己主義に基づく行動原理こそが人間の行動の唯一の原動力」との考えに至り、目的は手段を正当化するといった論陣が張られる下地となります。
新約聖書(1~2世紀)では、この世にない楽園(天国)という概念が登場してくる。現世には必ずしも正義はない。現に正義の人が苦しみ、不正義の人がのうのうと暮らしている。しかし善行を積めば、あの世では報われますよという教えです。旧約聖書では現世が主役ですが、新約聖書では現世は脇役に退きます。それほど現世は不条理だったのでしょう。現世のみで生きるユダヤ教徒と、天国に行くためにこの世があるとするキリスト教徒では基本的に相容れないのがよく理解できます。
時代はぐっと進んで、アダム・スミス。1759年に発行された「道徳感情論」では倫理か富かを論じています。人間は利己的ではあるが、その生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない「共感」があり、それが社会を結びつけている。それゆえ、人間は慈悲、正義、寛容、公共心といった自己抑制を働かせて良心に従った行動を取るという性善説に立っています。有名な「市場の見えざる手」については、自分の利益を追求する方が、実際にそう意図している場合よりも効率的に社会の利益を高めていることが多い。社会のために事業をやっている人が実際に大いに社会の役に立ったという話は聞かないと論じています。
さらに時代は進んで、「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936年)で有名なケインズ。利子と資本蓄積が近代の進歩の契機となったことを述べています。実はこれまで触れてきた古代からの聖典では利子を取ることを禁じています。イスラム世界では今でもこの教えは生きています。新約聖書では、同胞から利子は取ってはいけないが、異教徒からは利子を取ってもいいと記されています。日本人には理解できない感覚です。
ケインズは著作の中で、100年後にはニーズは経済的に満たされるであろうと予言しています。その「経済的至福」に達する4つの条件として、⓵人口の増加を抑制する能力、⓶戦争と内戦を回避する決意、⓷科学の方が適切に解決できる問題は科学に任せる意思、⓸資本蓄積のペース(生産と消費の差によって決まり、前3条件が整えば高まる)を挙げています。現在が4つの条件を全て満たされている状態とは言えませんが、地域を限定すれば、かなり満たされつつあると言えるかもしれません。ケインズが予言した通り、これが世界的な経済停滞の要因なのでしょうか。
ケインズは「アニマルスピリット」という言葉で、もし人々が定量的な便益に定量的な発生確率をかけた、加重平均の結果として決断をくだすならば、事業は衰退して死ぬ。人々を不経済かつ不合理な冒険に駆り立てる精神が経済を発展させると論じています。ゲーム産業等のエンターテインメントビジネスは、様々な手法で、疑似的な精神的不足状態を創り出して、人々を仮想の冒険に駆り出し、経済を成長させているビジネスモデルなのかもしれません。
そして20世紀後半、経済的発展が幸せをもたらすとするサミュエルソンやフリードマン全盛の時代になります。二人ともユダヤ系であるということは偶然ではありませんね。
今や成長が強迫観念となって、借金を背負い込んででも成長をしなければならないと思い込んでいる経済人が圧倒的に多いでしょう。富裕層もさらに利益を得ようと投資目的で借り入れをする時代です。最近、GDPの精度の問題が議論されていますが、今のGDPは債務の助けや金利の助けを受けている数字であって、未来から現在に価値を移動させたとも言えるわけです。GDPを成長させるための莫大な借金は給料の前借みたいなもので、もう前借する将来の価値が枯渇してきているのかもしれません。国家の財政赤字も同様に前借構造となっています。著書では国家はGDPの最大化より、債務の最小化を目指すべきと指摘しています。アベノミクスの考え方とは全く逆です。
さて、古代の幸福論に戻ってみましょう。何ものも必要としない人たちが幸福なのだとすれば、死者が一番幸福だという事になると、ソクラテス以前の哲学者ゴルギアスが述べています。だとすれば、満足を知らない億万長者は、満足した貧乏人よりはるかに貧しいという理論になります。現代では、豊かさが新たな問題を生み始めたと言えるでしょう。お金はたっぷりある、目の前にあるデザートは10種類もあり、そこから一つ選ぶのは苦痛。全ては食べられないから、どれを選んでも幸福にはなれない。無理矢理全部食べれば、胃もたれ、肥満、病気。昔は人々に今ほどの知識はなかったですが、徳や万人の幸福を汚すものはありませんでした。進歩とは人間の基本的条件を大幅に改善してくれるものですが、その偏在が大きな社会問題を生んでいます。古代から警鐘を鳴らしているように人間の欲望にはきりがないようです。「老子」に「足るを知る者は富む」とあります。足るを知ることが幸福への近道なのだと感じます。環境経営・3R(Reduce/Reuse/Recycle)・Sharing Economyなど循環型経済を志向するキーワードも数多く出てきました。資本主義の終焉などと言われる昨今ですが、成長資本主義が終わりを迎えているだけで、資本主義そのものは健在であると思います。成長のくびきから解放されれば、多くの人が幸福に近づくのではないかと思う今日この頃です。

TPPの行方

2016年10月9日 at 2:59 PM

アメリカ大統領選挙が佳境に入ってきました。不人気者同士の対決とメディアに揶揄されたトランプ候補とクリントン候補のどちらが第45代アメリカ合衆国大統領になるのか、国内のみならず、世界でも注目を集めています。
このお二人ともオバマ大統領が進めてきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対の意向を示しています。共和党の指名候補トランプ氏が反対するのは立場上わかるとして、同じ民主党内でTPP推進の一員であったクリントン氏が選挙戦にあたって、TPP反対を表明したのは、変節してしまったからなのでしょうか?
直近の10月3日接戦州のオハイオで、クリントン氏は「アメリカの労働者にとって不公平な内容で、選挙後も、大統領になっても反対する」と改めて強調し、弱点とされる白人労働者層の支持拡大を図ったとされています。国務長官時代のクリントン氏はTPPを「関税障壁を低くする一方で基準を高め、一段と質の高い成長を後押しする」と述べて推進していました。しかし、交渉中からと言うか、選挙戦を意識した時から「内容には反対していた」と先のTV討論会で述べています。
一方、日本側は、もう一年も前になる昨年10月5日、TPP交渉の大筋合意にこぎつけた甘利(当時)TPP担当大臣が「米国に対してモノを言えるのはやはり日本が一番なので、かなり私も直接に色々なことを申し入れたし、それはある部分、他の国を代表している言葉にもなった」などと自らの努力とその成果を語っています。
どちらにせよ、交渉事で多少のうまくいった、いかないはあって当然で、10戦全勝というのは交渉事には存在しません。個々の案件で譲歩と利得があり、国内向けに総合してうまくいったという各国の総意があって、交渉は妥結します。ゆえに、個々の案件を取り上げて、これは譲歩しすぎ、不利であるということは、どの国にもあって当然のこと。それを国内政局向けに便利に使うのは見苦しいが、それが政治と言えば、それが政治であり、最近のポピュリズムに不安は隠せない。
甘利元大臣はURへの口利き疑惑で、今年2月4日のTPP協定署名に参加できなかったが、この時点で3000ページとも言われる条文が確定したことになる。つまり、交渉に参加したオーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、米国、ベトナムの12か国全てが国の名において合意したことになるのである。
参加国の交渉当事者は交渉をまとめ上げたと安堵する一方、その周辺はTPPそのものを政局の道具に使っているだけであって、個々の発言にあまり大きな意味はない。当事者である安倍政権はTPP批准に向けて、麻生財務大臣のG20出席を取りやめて、国会でのTPP早期承認を優先させる意向である。交渉参加国から見れば、アメリカと日本、どちらが信用に値するであろうか。答えは明らかである。
ご存知のように、TPPはその域内の国内総生産(GDP)の合計が85%以上を占める6か国以上の批准があれば、発効出来るという条項が盛り込まれている。12か国のうち、政情不安定などにより数ヵ国が批准出来なくても、域内の60%を占めるアメリカと18%を占める日本、そして少なくとも4か国が批准すれば、自動的に発行されるという保険をかけていたのである。まさか最大国のアメリカがこのような事態になろうとは誰が予想したであろうか。
筆者の想像では、アメリカはこの圧倒的数字を背景に、交渉の中心人物であったフロマン米通商代表が相当有利な交渉を進めたものと推察する。メディア報道の多くが、自国の個別産業への影響を関税率を引合いに損得あるいは経済効果を算出しているが、貿易の結果はそういった数字のみで決定付けられるものではない。言うまでもなく、最終的には価値の高いより良い商品・サービスが消費者に受け入れられるのである。関税のハードルを限りなくZeroに引き下げていけば、なおさらその傾向は顕著になろう。
TPPにおいて、もう一つ見逃せない、かなり重要な意味を持つものが、「内国民待遇」である。「内国民待遇」とは、自国と同様に相手国の企業や人を扱うという規定である。要するに、あらゆる分野の経済活動において、日本政府は相手国の企業や人を自国民と差別して扱ってはならないということである。これを読みかえれば、国民の権利や財産を守る国の法律よりもTPPの規定(条約)が優先されるということであって、TPPに違反(あるいは違反の疑い)があるような案件は、ワシントンにある国際投資紛争解決センター(ICSID)へ持ち込まれ、個人も企業も国の後ろ盾無しに戦わなければならない状況があり得るという事である。

客観的に見て、レイムダックのオバマ政権が次のアメリカ大統領就任の来年1月までに議会承認を得ることは非常に困難な状況で、議会審議及び批准可否はほぼ間違いなく次の大統領の代に委ねられる。
グローバル経済と資本主義は、世界で見ても、国・地域単位で見ても、一部の成功者と大勢の敗者を生むこととなった。TPPの精神もさらなる自由貿易という意味ではその延長線上にあり、世界貿易が活発化したとしても、果実を得るのはやはり一部の賢い人たちだけになる可能性は否めない。いわゆる格差をさらに拡大するだけの結果に終わり、世界をさらなる混沌の世界に引きづり込んでしまうことになるかもしれない。
TPPの批准が正解なのかどうか私はわからない。方向性は正しいとしても、事を急ぎすぎたのかもしれない。BREXITはその一面でもあろうし、いくつかの国で台頭する保護主義の動きも国民の反射的なWaveなのかもしれない。しかし、もしTPPが批准されずに終われば、アジア経済圏の主導はRCEP(東アジア地域包括的経済連携)日中韓印豪NZの6カ国+ASEAN10か国(インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス)に確実に移行するであろう。すると今後成長するアジア地域において、アメリカは中国に主導権を与えることに繋がる。ひいてはアメリカの成長鈍化、そして日本の後ろ盾であるアメリカのアジアにおける存在感の希薄化に繋がる恐れがあろう。個人的にはアメリカが大統領選挙後に冷静かつ賢明なビジョンを堅持して、今後の成長を担うアジア圏に錨を降ろし、かつ不安定要素を深めるアジア地域において一定の存在感を当面は示し続けてもらいたいと思っている。

複雑系の知

2016年9月18日 at 6:07 AM

「複雑系」と聞いて、皆さんはどのようなものを想起するだろうか? どうやら単純ではないのだろうとは推察できるが、一体どういうものであろうか?
Wikipediaでは、「相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう」とある。
筆者は過去にもこの「複雑系」に興味を抱き、何冊かの本を読んだことがある。学問的にどのあたりから複雑系への体系化の試みが行われたのかは定かではないが、遡っていくと、「全体は部分の総和に勝る」というアリストテレスの言葉にまで行きつくようである。人間はそもそも自然と対峙する形で生活してきた。その中で様々な知恵を生み出し、より詳しく知りたい、危険を賭してでも調べたい、真理を見極めたいという思いが、様々な学問が枝分かれし、専門化していき、数々の発見・発明をしてきた。アメリカの医療は日本と比べると高度に分化しており、筆者も何度かアメリカのPodiatrist(ポダイアトリスト)足の専門医にお世話になったことがあるが、その診断や治療の素早さと的確さに感嘆したことを印象深く記憶している。

最近、田坂広志氏の「複雑系の知」を読み直してみた。長らく学問は「要素還元主義」、つまり複雑なものを単純なものへ分割して研究することで成果を上げてきたが、分割したものを総合という名のもとで集めても本質には行きつかないと解説している。「生物の時間にカエルを解剖し、内部構造を調べて、元に戻して縫い合わせても生き返らない」という例を挙げていますが、最近の神の手を持つ外科医は人の内臓を丸ごと外に出して、悪性腫瘍を取り除いて、体内に戻すという医療を実施しています。言わんとするところは、「総合企画部」とか「総合管理部」とか、「総合」という名の組織はあるが、ほとんど機能していない。なぜなら、色々な部の情報を集めてまとめているだけであって、付加価値を付けていないことを揶揄していると考えるべきでしょう。
水の分子は集まり方で気体・液体・固体の三態を表しますが、それぞれ性質は異なります。雲一つとっても無数の種類があります。H₂Oは決してひとつではありません。液体の水だけ研究してもH₂Oの本質には行き当たりません。
では、どうしたら本質に行き当たるのか? 事・モノの本質は関係性にあるとしています。橋の本質は河を渡るものである。目の前にある橋をコンクリートと鉄筋の複合構造物と定義することはできるが、コンクリートと鉄筋の複合物には、ビルディングもあれば、競技場もある。もしかしたら、単なるオブジェかもしれない。橋の本質は、河を渡りたい人間と、それを遮る河との関係性にあるということです。神が創造した人間の臓器はそれぞれが関係してその全体を保っており、肉体と精神も繊細なる関係性を維持しながら、ヒトの生命を司っているのです。モノの本質に迫るには、洞察と直観、つまり大局観を大切にして、ありのままを観察する。先入観にとらわれず、個別事象が全体を表しているかのような錯覚と誤解を排除し、全体を把握しようとする姿勢が大事なのであろうと思います。筆者はブルース・リーの名言「Don’t think, feel.」を思い出しました。

田坂氏は「管理のパラダイムの限界」についても言及します。理想的な社会や組織の設計をしても機能しない。人間は思い通りには動かない生き物。個の自発性が全体の秩序を生み出すものであるとしています。創発を促すことで自発的に組織が機能する様をSelf Organizationと定義しています。社会をより良くしていこうとすれば、「変えよう」とせず、「変わる」ことを促進すること。「起こす」から「起きる」に発想を転換することが必要であると説いています。
つい先日、西口泰夫氏(元京セラ会長・ソシオネクストCEO・技術経営博士)の話を伺う機会がありましたが、「技術を活かす経営の実践」というお題の中で、「部分最適追求力を高めて、全体最適創出を図ることが重要」と語られていた。筆者の中では「個別」を「個人」と読み替えて、個々の力を充分発揮せしめて、組織(企業)としてはミッション・理念を共有し、ベクトルを合わせることが重要であると理解しました。両氏の見解は基本的には同根なのであろうと思いました。

田坂氏は、「分離の病」と称して3つの分離を指摘しています。
①「知と知の分離」専門主義に陥り、専門用語を駆使し、部外者を排除し、迷宮に入り込む
②「知と情の分離」関わるのは血の通った人間であり、人は共感がなければ動かないにも関わらず、客観主義に傾倒しすぎてしまい、理屈だけで押し通そうとする
③「知と行の分離」企業や組織で分業主義が進み、全体の責任者が不在となり、無責任病が発生。うまくいかなかった時には責任のなすり合いが始まり、誰も反省することなく、同じ失敗を繰り返す
「安全な高み」にいる経営層・管理職と、「現実の深み」に嵌りがちな最前線・現場作業者の分離は、多くの企業が抱える全体最適実現の困難さを語っています。
陽明学では「知行合一」と言われますが、知っていても行いが伴わなければ、知らないことと一緒であるという教えは、分業化した現代の全体最適へベクトルを合わせるひとつの処方であると感じるこの頃です。

米軍基地とは

2016年8月13日 at 11:59 AM

8月に入って突然、沖縄県・尖閣諸島をめぐり日中関係が緊迫化しています。中国は尖閣だけでなく、対韓国(THAAD配備に対する報復)、南シナ海(戦闘巡行)でも強硬姿勢に出ているようです。尖閣諸島近海では300隻もの中国漁船が来襲し、その漁船を守るかのように中国公船も多数随行していました。そのうちの延べ17隻が接続水域(領海からさらに12カイリ・約22km)のみならず、領海(領土から12カイリ)に入域するという暴挙を犯しました。日本側は毎日のように抗議をエスカレートさせ、9日は岸田文雄外相自らが程永華・駐日本中国大使に抗議する事態にまで至りました。
米国務省のトルドー報道部長は10日の記者会見で、尖閣諸島周辺で中国公船が航行していることについて「尖閣諸島に対する日本の施政権を傷つけようとするいかなる一方的行動についても米国は反対する」と懸念を表明し、中国を牽制しました。これは、1972年の沖縄返還以来、尖閣諸島は日本の施政権下にあり、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であることを重ねて強調したことになります。
そうした折、尖閣列島付近の公海(領土から200海里外側)上で11日にギリシャ船籍の大型貨物船と中国の漁船が衝突し、漁船の乗組員14人のうち6人が海上保安庁の巡視船によって救助され(8人が行方不明)、中国側からは謝意(日本側が表した協力と人道主義精神を称賛する)が伝えられたとしています。一方、中国のネット上では「中国海警局の公船はどこにいたのか?」「海保による救出は日本の実効支配を証明したもの」等と批判する書き込みも目立ったとのことです。

沖縄というと、選挙の度に基地問題が取り沙汰されます。沖縄ばかりに米軍基地が集中していると報道でも大きく報じられています。果たして実態はどうなのであろうかと調べてみました。
日本の米軍基地の数は130か所、面積にして1024㎢(国土の0.27%、東京都の半分弱 小泉親司著『2013 日本の米軍基地』)あり、沖縄には32施設、230㎢(沖縄全土の10%強)あるので、米軍基地の22%強が沖縄に集まっていると言える。基地数で次に多いのが北海道で18施設、面積でいえば沖縄よりも広い335㎢(北海道全土の0.4%強)を米軍基地が占めています。次いで神奈川16施設(21㎢)、長崎13施設(4.5㎢)、東京・広島が7施設。面積では静岡89㎢、大分56㎢、静岡・宮城46㎢などが上位県になります。47都道府県のうち、27都道県に何らかの米軍基地が存在していて、駐留人数では軍人が4万4850人、軍属や家族を入れると9万4217人(2008年外務省発表)で、半数近くが沖縄に集中しています。駐留人数の多さが際立っている点が、沖縄における米軍基地嫌悪感に繋がっている大きな要素なのだろうと推察できます。

米軍基地というと米軍が駐屯し、米国が使用している基地と思われますが、50か所の米軍基地は自衛隊も使用していて、有事の際に共同作戦を実施できるように日々訓練を行っています。有事に際してはこのインターオペラビリティ(相互運用性)が大変重要になります。米国が日本と共に日本の領土及び極東の安全を守り、そのために日本が米国に基地を提供することが日米安全保障条約で定められています。

しかし、基地があることでの問題や弊害も指摘されていることです。航空機事故、騒音被害、環境問題(実弾演習による自然破壊、有害物質流出)、電波障害、米兵による事件などがその代表的なものでしょう。米兵や軍属による犯罪は取り立てて大きく報道される傾向がありますが、犯罪発生率で言うと、沖縄全体では人口比0.36%、米軍によるものは0.16%(平成21年)。数字の上では米軍の犯罪率は沖縄全体の半分以下ですから、特段、米兵が凶悪で粗暴であるという姿は浮かび上がってはきません。基地内で起こった事件はカウントされていないので、フェアではないという意見もありますが、基地内であれば、気にしないという理屈もあるでしょう。犯罪そのものは憎むべきもので、個々のケースで公正に裁かれていくべきものですが、個別事件を無理くり帰納法的に「米軍憎し」と結論づけるのは論理的ではないように思います。警察庁の平成24年犯罪統計資料によれば、日本における外国人の犯罪は1位:韓国・朝鮮(3994人)、2位:中国(1252人)、3位:ブラジル(410人)、4位:フィリピン(380人)、5位:アメリカ(187人)となっています。

国家(政府)の最大の責任は、国民の生命と自由と財産を守ることにあります。それは国内の凶悪な犯罪や暴力事件から国民を守るだけではありません。言うまでもなく国外からの侵略や拉致・人質事件を未然に防ぎ、万一それらが起きた時には全力を挙げて国民の生命・自由・財産を守ることが国家の使命であります。憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。この規定は個人の人権保障の規定であると同時に、国政を担う政府の責務を定めたものでもあります。国内で暴力団などが地域住民の生命を脅かす事件を起こしたような場合、政府は責任を持って警察官を派遣して、被害を受ける危険のある住民・国民を守る義務があります。それゆえ実効性を担保する上で、警察官は拳銃の携帯・所持を許可されているのです。同様に日本のある地域に外国軍隊が侵入し、そこに住んでいる国民の生命や財産が危険に陥ったような場合、国家は実力をもってその違法な侵略行為から国民の生命を守る義務があります。国の自衛権の根拠はここにあります。米軍基地撤退・自衛隊反対の人たちは警察も不要と言うのでしょうか?

将来、米軍が日本から撤退したとしても、北海道や沖縄の基地はなくならないでしょう。国民の基本的人権が尊重される以上、日本自身で国土を守ることは放棄できないからです。北方も南方も国土を守る上で重要な要所です。日本海側も強化を図らなければならないかもしれません。日本は幸いにして地続きで国境に接していませんから、水際で守る体制が最重要になります。日本の領土の北端(日本の主張は択捉島であるが、ロシアに実効支配されているため、施政下では弁天島)、西端(与那国島)、南端(沖ノ鳥島)、東端(南鳥島)を守るための重点基地配備は至極当然で、国民主権の基本に即しています。それを否定する人は他国のスパイであるとの疑いを持たれても仕方がないでしょう。

強面の中国はどこまで続くか

2016年7月20日 at 8:54 AM

国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所は今月12日、南シナ海での中国の海洋進出を巡り、中国が主権を主張する独自の境界線「九段線」に国際法上の根拠がないと認定しました。中国は1996年に同条約を批准していますが、判決は「紙くず」として受け入れないという声明を発表しています。この裁判はフィリピンが2013年1月に提訴し中国は拒否したものの、3年半かかって中国の主張に根拠はないという審理結果が出ました。この裁判は相手国の同意がなくても一方の国の意思だけで始められるのですが、強制力がないので、冒頭の「暴言」が中国から発せられたわけです。5人の仲裁人に関しても中国側は「公正でない」と批判していますが、フィリピン人妻を持つスリランカ出身の所長はガーナ出身の所長に交代していますし、その他にはフランス人、ポーランド人、ドイツ人、オランダ人それぞれ海洋法に詳しい人たちが人選されています。

仲裁裁判所での案件には過去、国際環境保護団体グリーンピースのオランダ籍の船アークティック・サンライズ号が2013年9月、ロシアのガス田に近づいて運動家がやぐらに乗り移ったので、ロシアが拿捕した事件があります。オランダは国際法違反だとして仲裁裁判に申し立てを行い、仲裁裁判所がオランダの主張を一部認めてロシアに賠償を命じましたが、ロシアはこれに応じていません。
逆に紛争の両当事国が判決を尊重して従ったのが、バングラデシュとインドがベンガル湾で境界を争った事例です。バングラデシュが2009年に仲裁裁判所に申し立てをして、判決が出たのは2014年7月と5年かかっています。両国間の長年の懸案であった海域は約8割をバングラデシュ管轄、残りの2割をインドの管轄という判断になりました。インドは境界が確定すれば、資源開発が進められるとして判決を受け入れています。

仲裁裁判の結果は強制力を持たないので、それでは意味がないとする向きもあるでしょうが、それは必ずしも正答とは言えません。国際組織は一見、公正に運営しているように見えますが、決してそんなことはありません。国際政治の裏舞台は権謀術数が蠢いています。
もし仲裁裁判所が強制力を持てば、その国際組織を牛耳ろうとする力学が必ず働きます。近々の事例では、ユネスコ(国連教育科学文化機関)において中国が「登録小委員会」に働きかけ、南京大虐殺を記憶遺産に仕立て上げました。当時20万人しか市民がいなかった南京において30万人虐殺されたとする反日工作です。南京陥落まじかには中国軍兵士が軍服を脱ぎ捨て、南京市民を殺し、市民に化けて安全区に逃げ込んだりしているのです。日本軍の南京占領後、南京市民は25万人に増えているのですが、もし大虐殺があったとすれば、皆一刻も早く南京から遠い町へ逃げていくのではないでしょう?
日本はユネスコに最も分担金を負担している国です。そのお膝元で、中国は国際機関を利用して「嘘をつき続ければやがて真実になる」がごとくに世界中に喧伝しているのです。世界遺産は比較的厳格に運営されているようですが、記憶遺産の方はまともな審議が行われずに上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」に勧告され、最終的に多数決によって登録が決まったとされています。
そこの事務局長はブルガリアのイナリ・ボコヴァ女史で、次期国連事務総長の座を狙っているとされる人物です。中国からの支持を取り付けるために裏取引したと噂されています。
現国連事務総長の藩基文氏は「国連は中立な機関ではない」と言い放ち、平和を希求する事務総長という立場にありながら中国の軍事パレードに出席する程の厚顔無恥な不適格者です。彼の国連事務総長としての任期は今年限りです。事務総長は、拒否権を有する米英仏露中の1か国でも反対すれば承認されません。ボコヴァ女史が国連事務総長の座を射止めるかどうか注視したいと思います。⇒(10月6日、次期国連事務総長はポルトガル元首相のアントニオ・グテレス氏に内定。ボコヴァ氏は非公式投票では4位、女性ではトップだった。)

登録された南京大虐殺文書は11種類ですが、日本も決して諦めることがあってはいけません。全てに証拠価値がないことをひとつひとつ反論して潰していけば、中国が国ぐるみでウソつきだということを世界にアピールできるチャンスと捉えるべきです。
南シナ海の領有権の当事者である中国は、経済力を背景にフィリピンと個別交渉を始めていますし、ベトナムやラオス、アフリカ・中南米等の小国などにも経済支援をちらつかせ、取り込みに躍起になっています。欧州各国はロシアとの間に抱えるクリミア問題と違い、地理的にも離れており、中国と真っ向から対立することは不利益に繋がるとして、積極的な発言を控えています。日本は米国と連携してこのアジアの海洋問題に積極的に対処していかねばならない立場ですが、アメリカ大統領選挙を控える米国はすぐには明確な行動に出そうもありません。

しかし一方では、中国の外交政治は国内政治と言われ、対外的に理不尽と思われようと、ひとたび弱腰に映れば、国内の共産党への支持が失われ、反体制運動が広がりを見せるという危機を孕んでいます。ですから、強面の中国は当面引っ込む気配はありません。太平洋を米国と中国とで分け合おうという神経の持ち主ですから、地理的距離感から見れば日本は中国に取り込まれてしまう位置にあります。日本の取るべき外交政策は自由と民主主義を標榜する米国と連携し、中国には毅然とした態度で正論を述べ自制を促し、他の世界の国々と対話を深めて、親日国を増やす。日本にも中国含め沢山の人たちに来日してもらって日本の素晴らしさを体感し親近感を持ってもらう。こういった事でしょう。

正しいと思われる主張が悪魔の動機から発せられたとすれば、それを看過することはできません。北朝鮮では韓国の動画を見ると罰せられます。中国でも厳しい情報管制が敷かれています。このネット社会において、いつまでも情報統制は続けられません。習近平氏は、自分が思うほど自分は利口ではないこと、習氏が思うほど国民は馬鹿でないことを悟るべきです。アンデルセンの代表作「裸の王様」は1837年にデンマーク語で発表され、日本には1888年に紹介されています。中国にはきっとまだ紹介されていないのでしょうね。

個人の借金と国の借金

2016年7月8日 at 10:53 AM

今週末は3年に一度の参院選です。18歳以上に参政権が与えられましたから、自分の将来に幾分かの影響を与える政治に、若い方には特に自分なりの考えを反映した投票行動に結び付けてほしいものです。月末には都知事選挙も行われますが、あまりに”Sekoi”都知事辞任の幕切れに大東京は大丈夫かと思う半面、あの程度の方でも都政は安泰という風にも受け取れます。随分前から都知事は人気投票的なものでありましたし、選挙活動を全く行わずに当選した有名人も過去にはおりました。立候補者に政党が乗っかる形はメガシティ東京都知事選ならではという感じもしますが、一方で負け戦と知りながらも志を高く持って、孤高の戦いを挑む勇者もいらっしゃいます。メディアだけの報道に翻弄されず、ネットの発達した時代ですからご自分で候補者を調べてほしいと思います(かくいう私は都民ではないのですが)。

さて、参院選に向けて自民党はアベノミクス推進を謳っていますが、なかなか実感はなく、世界的にも経済の低迷は覆い隠しがたく、日本一国ではもはやどうにもならないという袋小路にいる感がありますね。野党はまさに野合で、聞くべき主張は全くありません。しかし、消費税10%への延期は英断とは言い難いもので、本気で財政再建する気があるのか不安になります。
以前のブログでも触れましたが、「日本の1000兆円超の国の借金はあるのかないのか」論争は未だに続いています。整理すると「ない派」は国債の多くは国民が持っていて、国の借金は国民の資産である。ゆえに日本は心配するほどの状況ではない。財務省が危機を煽って税収を増やしたいだけと主張。「ある派」は国の借金なんだから返すのが筋。現世代が使うだけ使って、そのツケを将来の子供たちに回すなんて、なんて無責任なんだという論調です。国の借金は国民一人当たり800万円超という財務省の数字がそれを後押しします。

そもそも個人と国や企業などの団体はその性質が異なります。人間は必ず死にますから、死んで借金が残れば債権者が困ります。貸した金は忘れろ、借りた金は忘れるなという言葉がありますが、金が絡むと人間関係は厄介なことになりがちで、最悪は人間関係が破綻してしまいます。
企業の貸借対照表は右側に借方があり、その構成は負債と純資産です。左側は貸方で資産です。企業はよくGoing Concernと言われ、永続性を前提にした組織体です。しかし、会社倒産、会社整理ということになれば、債務を清算しなければなりません。債務超過とは、債務者の負債の総額が資産の総額を超える状態であり、資産を全て売却しても、借金などの負債を返済しきれない状態のことを言います。鴻海傘下となったシャープはこれにあたります。貸借対照表で言えば、負債(債務)が資産(財産)を上回った状態ですから、資本(純資産)がマイナスとなります。すなわち、資産の全てが他人資本(負債)によって賄われており、しかも全資産を売却してもまだ負債が残るという状態です。
健全な企業でも借入金はあります。将来の成長のために資金を調達し、成長分野に投資をし、付加価値を上げて、企業収益を上げ、また再投資することで価値を生んでいるのです。無借金経営の優秀な会社もありますが、Going Concernの企業は負債だけを見て、これを無くさなくてはとは考えません。企業の成長のために健全なバランスを保つようCFOなりが目を光らせているのです。

さて、国の場合はどうでしょう。国が倒産するとはどういうことでしょう。一般的にはデフォルト(債務不履行)のことです。
2001年にアルゼンチン国債はデフォルトとなりました。2001年のアルゼンチンの経済成長率は-11%という大幅な落ち込みを記録しました。アルゼンチンペソは、デフォルト前の3分の1~4分の1まで下落してしまいました。しかしながら、会社の株と違い、デフォルトしても通貨の価値はゼロになってはいません。国によっては自国通貨を持てず、あるいは自国通貨が事実上取引不可能な信用状態にあるので、US$が事実上の通貨という国も少なからずあります。
国の債務には対外債務と国内債務の二つがあります。国内債務の返済というのは、新規に紙幣を発行すれば、返済が可能なので、日本の場合には借金がない(より正確に言えば、返す必要がある借金はない)というロジックが成り立つのです(自国通貨を刷りすぎれば通貨の価値が落ちて、ハイパーインフレになるという可能性はありますが)。この点が、よく引き合いに出されるギリシャとの大きな違いです、ギリシャは財政状況が良くないにも関わらずユーロ圏入りしてしまいました。ギリシャは対外債務が多く、EU加盟国のギリシャはユーロで借金を返さなければなりません。ユーロを刷る権限はギリシャにはありませんから、緊縮財政や外貨獲得によってユーロを捻出しなければなりません。できなければ、デフォルトとなってしまいます。

日本の国債は約95%が国内で消化されています。ゆえに、イギリスのEU離脱決定後、一般に安全資産と言われる(ここも実は怪しいのですが)円が買われ、一時100円を割り込む円高に進んでしまったのです。
国の財政と政治運営は切ってもきれない関係です。日本の場合、単純化すれば、国は国民から借金をしている、国民は国債という資産を有している、国の財政はこれから人口が減る中、高齢者は増えていき健康保険や年金負担は増えていく、ゆえに政府は消費増税を行い、将来の負担増に対応しようとしているわけです。将来の負担増に耐えうる構造改革をするには、当然のことながら、収入を増やす努力をすると同時に、支出を減らす努力をしなければなりません。行政改革などの名のもとに構造改革をしようというポーズは見られますが、本気なのでしょうか? 集めた税収で国民を扶養している側面があり、被扶養度が高い人ほど既得権を失わないような投票行動に出ます。財政再建のために無理やり既得権益を剥奪しに動けば、選挙に落ちて実行できなくなる。民主主義の難しさとも言えますし、民主主義とは財政赤字を生む構造を内包しているとも言えるのでしょう。

個人の借金は生きているうちに返すか、返せず(返さず)貸し手に迷惑をかけるかのいずれかです。会社の借入金も同様ですが、債務超過で倒産すれば貸し手、主に金融機関が焦げ付きを出すことになります。国家はどうでしょうか、国家が消えてなくなるということは国民もいなくなりますから、日本のように債務のほとんどが国内債務なのであれば、トータルでチャラ。国債を最後に持っていた人がババ抜きの負けになりますが、それまでの間に国債は売り浴びせられて、最後にはほぼ紙くず同然になるでしょう。ところが国家が消えてなくなるというのは海に沈んでしまうような島国でなければ、清算するという状況はおいそれとは生まれないようです。先に例を挙げたアルゼンチンも3回はデフォルトになっていますし、他にもそういう国はいくつもあります。でもアルゼンチンは消えてなくなってはいない。国家は企業よりもしぶとく生き延びていくのです。無限と言ってもいいかもしれません。無くなってしまえば困るのは債権者ですから、債権者にそれを支えさせる構図を国は巧妙に作り出し、俺が倒産したら困るのはお前だよと言わんばかりに痛みの伴う改革を先送りしていきます。日本では、債権者である国民が、なぜか国の借金を背負い、消費増税は致し方ないというロジックを納得させられ、いつのまにか無駄遣いに蓋をしてしまうずる賢い政治家・官僚に丸め込まれてしまうのです。

サルは目先のバナナを必ず取りに行きます。社会学では目先の利益にとらわれないのは人間だけと解説されています。人間が元から目先の利益にとらわれなかったかと言えば、そうではないでしょう。狩猟民族はその日の食べる分だけ捕獲して生きていました。家族や集落単位でモノを考えるようになり、大きな集団で社会構成員の最大幸福を実現していこうと徐々に考えるようになり、農耕文化が広がると、その社会範囲は広がっていき、益々「社会に生きる」人間の姿がより際立ってきます。食料保存技術が広がると長いスパンで生活を捉える知恵が出てきます。そして財を貯える術を手にした人間は、さらに長期的利益を考えられるようになってきました。人間が目先の利益にとらわれなくなっていくのは社会の存在が非常に大きいのです。人間は相互の関係性を維持拡大することで、効率性や生産性や付加価値を向上させてきたという歴史が浮かび上がってきます。

最近、目先の利益に飛びつくようになった人が目につくのは、そうした社会性が急速にグローバル化して広がりすぎてしまい、そのメリットを享受できない人が享受できている人に比べ、圧倒的に多数になってしまった結果なのでしょう。イギリスのEU離脱決定に至った国民投票もその流れで解釈できると思います。この歯車の逆回転がいつまで続くのか、いずれまた正回転に変わると思いますが、いつのことになるかは予測がつきません。またこの逆回転・正回転の変化のタイミングを狙って目先の利益を獲得しようとする多数の中から「少数の成功者」が生まれるのでしょうね。

大津事件に見る司法の気概

2016年6月19日 at 5:14 PM

ロシアと日本の関係は興味深い。戦後一貫して北方領土問題を抱えてはいるものの、クリミア併合で欧米諸国から一斉に非難の的となっていることを思えば、安倍晋三首相とプーチン大統領の関係は表面上比較的良好と言える。
過去最も大きな事件といえば1904年2月から約1年7か月戦った日露戦争であろう。当時のロシアは強大な軍事力を有した列強であり、不凍港を求めて極東地域への南下政策を採っていた。日本にとっては虎の子の朝鮮半島の利権を取られてしまえば、日本の独立さえも危ぶまれる状況であった。幸いにもロシア拡張主義に懸念を持つ英米の支援を得て、勝利のうちに講和に持っていくことができたわけだが、バルカン半島をめぐって一敗地にまみれていたトルコや、ロシアの支配下にあったフィンランドは日本の勝利に快哉を叫び、多くの有色人種国家の独立への勇気付けとなったと言われている。

一方、日本軍に次々と敗れたロシアは、内政においても帝政に対する民衆の不満が増大し、その年ロシア第一革命が起こり、制圧はしたものの12年後のロシア2月革命へと帝政の弱体化が進行することになる。
革命によりロシア最後の皇帝となったニコライ2世(在位22年)は、日露戦争や第一次世界大戦において指導的な役割を果たすものの、レーニンの命により一家虐殺されてその一生を50歳で終える。
ニコライ2世は子供の頃は女の子っぽかったと称されているが、帝王学を通じて露仏英独語を解し、歴史・政治・経済・軍事にも通じていたという。
22~23歳の時にギリシャ王子ゲオルギオスと共にアジアを中心にして1年弱の旅行をしている。本人は気が進まなかったようだが、両親の勧めと弟の同行もあり、楽しんでいたようである。

1891年4月27日最後の訪問国として日本・長崎に到着した一行は、約3週間日本に滞在した。国力の差を知る日本政府は未来のロシア皇帝を国賓待遇で迎えた。そうした接待が功を奏したのか、ニコライ(皇太子)は「長崎の家屋と街路は素晴らしく気持ちのいい印象を与えてくれる。掃除が行き届いており、小ざっぱりとしていて彼らの家の中に入るのは楽しい。日本人は男も女も親切で愛想がよく、中国人とは正反対だ」と日記に記している。一時は本当に日本人妻を娶ろうと思ったともいわれる。

日本での旅も後半に差し掛かり、大津を訪れ琵琶湖や唐崎神社を見学した一行が京都へ戻る途中に、人力車に乗ったニコライを滋賀県警の津田三蔵巡査がサーベルで襲い掛り、ニコライは右耳を負傷した。世にいう「大津事件」である。この時の斬撃により終生ニコライは後遺症や頭痛に苦しむことになる。この頃の日本の「恐露症」はかなり大きかったらしく、皇太子が来るのは日本を占領するための下見だとまことしやかに言われていた。そういった社会背景が津田という狂人を生んだのであろうが、津田本人は殺すつもりはなかったと後述している。

当時のニコライの記憶ではゲオルギオスが土産物で買った竹の杖で津田を一撃してくれたので、九死に一生を得たと述懐しているが、後の裁判記録によれば、人力車の車夫二人が飛び掛かり、津田が落としたサーベルで車夫のひとりが津田を斬りつけ、他の警官が津田を取り押さえたとある。

この事件の報告を受けた明治天皇はすぐさま京都へ行幸し、ニコライを見舞い、「犯人をただちに処罰する」と確約し、引き続き東京訪問を希望した。両親に相談したニコライは結局東京訪問を中止し、帰国の途に就くことを決めた。
明治天皇は神戸御用邸での晩餐に改めてニコライを招待したが、逆に待機していたロシア軍艦上での晩餐に招待された。「恐露症」閣僚の中には拉致されることを恐れ、ロシア軍艦への搭乗を止めるよう進言する向きもあったが、明治天皇は「ロシアは先進文明国である。そのロシアがなにゆえに汝らが心配するような蛮行をしなければならないのか」と反論し晩餐に出席したという。

日本人により負傷させられたニコライには日本中から多くの手紙、1万通の電報や贈り物が届き、街頭には跪いて合掌し許しを乞う日本国民の姿があったという。ニコライはこれに痛く感動したと日記に記している。神社・寺院・教会では皇太子平癒祈祷、中には自害をする若い女性、津田姓や三蔵名を禁止する村も出たほどである。時の山縣首相は即座に辞任している。当時ロシアの報復を如何に恐れたかが容易に想像される話である。

裁判では、ロシアとの関係悪化を危惧してニコライを日本の皇族同様とみなし死刑を求める松方正義後任首相と、政治的思惑によらずあくまで法治主義を堅持し、一般人への謀殺未遂罪を適用すべきとする児島惟謙大審院長が対立した。時の実力者伊藤博文も前者を主張し、さもなくば戒厳令をもって強行すべしとの意見であった。最終的には後者の罪で有罪とされ無期懲役に処された(同年急性肺炎により獄死)が、これをもって日本は法治国家であるということが列強諸国に印象付けられ、のちの不平等条約改正に有利に働いたと分析されている。

この裁判を通じて政府内では、ロシアとの死罪密約をしていた青木外相、西郷内相、そし病気を理由に山田法相も辞任している。まだ発展途上であった日本が武力報復・賠償請求・領土割譲されかねない緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる所以である。

ロシア外相ギールスは、日本で死刑判決が出た場合にはロシア皇帝が減刑嘆願を行い、両国親善に資するというシナリオを考えていたらしいが、何でも利用しようとする政治の世界はいつの世も魑魅魍魎の巣窟である。

5年後のニコライ2世戴冠式には日本から山縣有朋らが明治天皇の名代で出席するなど、二国間の関係改善に努力していたが、残念なことに事件以降のニコライの日本人観は後遺症もあってか嫌悪的になり、日本人を「猿」と馬鹿にして「腰抜けの日本が帝国ロシアに戦争など挑むまい」と高を括っていたなど、日露戦争の敗因につながったと分析する歴史家もいる。

余談だが、ニコライを助けた二人の車夫は国民的英雄となり、ロシアから一時金2500円(現在の1000万円程)と終身年金1000円が贈られた。日本政府からも勲章と年金36円が与えられ大金持ちとなった。ところが日露戦争が始まると敵国の皇太子を助けたとされた二人は年金を取り消され、前科者の向畑は遊興に明け暮れた挙句に婦女暴行・勲章剥奪、もうひとりの北賀市は独身であったため結婚希望者が殺到し、後に郡会議員まで務めたものの開戦後は「露探(ロシアのスパイ)」と言われ、余生は安穏としたものではなかった。

二国の君主と取り巻きの政治家、そして不安に揺れ動く国民を巻き込んだ歴史絵巻には、大国の驕りと尊大、英雄の毀誉褒貶、無責任に煽る報道、不安に駆られ暴挙に走る者、三権分立の危機といった今の世界のあちこちで見かける様相とそれほど違わぬ風景が繰り返し繰り広げられている。来週結論が出るイギリスのEU離脱・残留問題もそういった断面のひとつである。