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日本人の心に脈々と流れる武士道精神

2017年9月8日 at 11:54 AM

「武士道」の解説書で有名なのは、五千円札の肖像となった新渡戸稲造の書いたものであるが、これは欧米に日本文化を正しく理解してもらおうとアメリカにおいて1900年に英語で刊行されたものであり、後に和訳されたものを日本人が読むことになったものである。ゆえに本来的に武士道精神の神髄を語ったものではない。
武士の誕生は平安時代後期と言われるが、その当時は「もののふ」などと呼ばれ、幼い頃から武芸に勤しみ、いまでも行事として残る流鏑馬などの技量が秀でた侍が称賛されていました。もう一面は「一所懸命」に代表される命を懸けて領地を守る、ゆえにそこで開墾している農民から安心料としての年貢を徴収する正当性を持っていました。そして武士の名誉として、決して避けることのできない一度きりの死を、主君のために戦場で華々しく散ることが最上の美学とされました。病床にあった前田利家は関ケ原の合戦の前に「畳の上で死ぬのは無念だ」と叫んで死んでいったと言われています。
武士道を語る上で基になるのは甲州武田家の「甲陽軍鑑」です。隆盛を誇っていた武田軍が、なぜ長篠の戦(1575)で敗れたのか、それまでの来し方を見直し、あるべき武士の姿と、あってはならない卑怯未練、こびへつらう者がお家を食い潰していくことを自己批判の筆で書かれています。
さらに武士の内面に対して目を向けたのが「諸家評定」(1621)で、そこでは「意地」(原文は意路)が語られています。意地のない人間は、一時の褒美、あるいはその時の権力のありようによって、風見鶏のごとく態度を変える。これらは外面的な利益誘導に動く人間であり、武士道においてはあるまじき姿であると断じています。「勇」という概念が勇猛果敢という武力の意味合いから、武士の心構えといった精神面に焦点があたるようになってきます。
「可笑記」(1640年前後)では、さらに人間の普遍的道徳性を定義するようになります。つまり武士とは「嘘をつかず、軽薄をせず、佞人(こびへつらう人)ならず、表裏をいわず、胴欲ならず、不礼ならず、物毎自慢せず、人を譏らず(そしらず)、不奉公ならず、朋輩の中よく、大方の事をば気にかけず、互ひに念比(ねんごろ)にして人を取たて、慈悲深く、義理の強きを肝要と心得べし、命をしまぬ計(ばかり)をよき侍とはいはず」といった徳義を磨き、涵養することが武士の心得であるとしています。
大坂夏の陣は1615年に終わり、いわゆる徳川大平の時代に入ります。戦が仕事の武士たちには本来の仕事がなくなってしまいます。天下泰平の時代にあっては、戦がないのですから、農民から年貢を取り立てる大義名分がなくなってしまいます。そこで武士たちが進出していった先は行財政にまつわる役職です。金勘定などは武士が最も軽蔑していた職務でしたが、「勘定奉行」で算盤・帳簿付けを行ったり、町奉行、大目付、大番頭、寺社奉行などの行財政職に就くようになります。そういった職務に就かなくても禄とか知行といった給与はもらえるのですが、次第に行財政職に就いていないものは「無役」と記されて、まるで「役立たず」のように言われはじめます。時代劇でよく出てくる傘張り浪人はまさに1700年前後の武士の生活を表しているようです。
三島由紀夫が愛読したとされる「葉隠」(1716)では、「忠義」について語られます。主君の命とあるならば、理も非もなく、まずもって慎んで承るべきであると書いた一方で、自分の心に照らして得心がいかないことは、いつまでも訴えるべしとしています。「本当にそれでよろしいのでしょうか?」「別のお考えはありませんでしょうか?」「ご再考の余地はございませんでしょうか?」と何度でも訴えかけることが大事であり、ただ黙って従うことが忠義の所以ではないと説いています。実際、この当時は「主君押込」という慣行があって、家臣の諫言をもってしても、主君の暴虐が治まらない場合には、家臣の手によって主君の身柄を拘束して、座敷牢に投ずることがあったそうです。そして、その後も家老などの重臣たちによって説得は続き、長い時間を掛けて再出勤に至ることもあったそうです。再出勤ののちに不幸にも押込した家臣たちを手打ちにすることもあったようですが、家臣としては「即隠居」という手段も取れましたが、命を懸けてお家に対する忠義を貫いていたことが伺えます。
嘘八百は江戸の町の代名詞ですが、「武士に二言なし」と言われるように、武士は信義を貫いて必ず約束を守るというプライドを維持していました。こういった武士の希少性とも言える価値観が、徐々に商人にも広がり、近江商人のような「三方良し」の商人哲学に通じたものと考えられます。商業手形や先物取引といった信用商売も江戸時代には行われていたという記録が残っています。そして一般庶民には通俗武者絵本などを通じて、牛若丸や弁慶の話、義経や静御前の話、義経の壇ノ浦での活躍などが娯楽として浸透し、歌舞伎や浄瑠璃などの大衆文化に結実して、武士道の精神が一般庶民にも広がっていきます。
冒頭の新渡戸の「武士道」は明治時代に入って、刊行されました。日本は日清・日露の戦争を勝ち抜くことによって欧米列強と肩を並べる近代国家に位置付けられていきますが、その過程で、「葉隠」の有名な一節「武士道といふは死ぬことと見つけたり」の本来の意味が消し去られ、国家のために死ぬことが名誉であるという風に利用されてしまった感があります。
「甲陽軍鑑」や「葉隠」が説く強い組織の根本は、内部の人間一人一人が自立しているということを求めています。組織の全員が事なかれ主義で、組織の方向性に何らかの間違いがあっても、保身のために見て見ぬふりをするようであれば、組織は必ず崩壊します。不正を内部から浄化できない企業が報道される度に思います。
(「武士道の精神史」笠谷和比古著 読了後)

ユーゴスラビア連邦の崩壊

2017年9月5日 at 11:16 AM

ユーゴスラビアは、かつて南東ヨーロッパのバルカン半島地域に存在した、南スラブ人を主体に合同して成立した国家である。先日、クロアチア、スロヴェニア、ボスニアヘルツェゴビナを回ってきた。風光明媚な地域で観光客に人気なところであるが、四半世紀前には戦禍にまみれていたところである。
私が学生時代には「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」を持つ多様国家をチトー大統領が一つにまとめて率いた理想社会主義国家と称された。
国家の成立は1918年に遡り、セルビア王国を主体にしてスロベニア人・クロアチア人が集合し、1929年にユーゴスラビア王国に改名され、1945年からは社会主義体制を固めて、ユーゴスラビア連邦人民共和国となった。
チトーは第二次世界大戦後、コミンフォルムの設立者であるスターリンと対立し、社会主義国家でありながら、NATO陣営のギリシャやトルコとの間で集団的自衛権を明記した軍事協定バルカン三国同盟を結んで、NATOと事実上の間接的同盟国となった。
1960年代にはスターリンに代わってソ連指導者となったフルシチョフと和解し、東側からの軍事支援も得た。
その中立的立場から国連平和維持活動にも積極的に参加し、チトーの指導の下、独自路線を歩んでいく。一方で、ソ連からの侵攻を念頭に置いた兵器の国産化も進め、地域防衛軍を組織して自主路線を強化していった。
チトーは1953年から1980年死去するまでユーゴスラビアの大統領として、そのバランス感覚とカリスマ性で国家を率いた。オタワ大学教授ミシェル・チョスドフスキー氏は、1960年から1980年までの20年間のGDP年間成長率は平均6.1%で、医療費は無料、識字率は約91%、平均寿命は72歳、かつてその地域の産業大国であり、経済的な成功を収めていたと評価している。
共産主義国家、社会主義国家においては党主体の独裁と党内の権力闘争が繰り広げられることは現代に至るまで見られることであるが、チトーは与党の中に制限野党を作ったり、体制批判を含めた言論の自由をある程度許し、民族排外思想家を摘発するなど連邦の維持に腐心したとされる。生産手段もソ連流の国有ではなく、社会有つまり経済は政治と分離し、各企業における労働者によって経営を行うシステムを導入し、自主管理社会主義という独自の社会主義を運営していった。
人治国家とも言える当時のユーゴスラビアは、チトーが1980年に死去すると、一斉に各地から不満が噴出した。経済的成功を収めていたスロベニアには分離独立の機運が台頭し、クロアチア人は政府がセルビア人に牛耳られていることへの不満を訴え、セルビア人は自分たちの権限が抑え込まれていると不満を口にした。つまり、裕福な地域は「もっと自由を」と主張し、貧困地域は「もっと社会主義的政策を」と主張し、民族間の亀裂が深まっていった。
1990年代初頭にはスロベニア、クロアチア、マケドニアが相次いで独立。その後はセルビア主導のユーゴスラビア連邦軍との紛争勃発、そしてボスニア・ヘルツェゴビナの独立、最終的には最後まで連邦に留まっていたセルビア・モンテネグロが2000年代に入って連合を解消し、連邦は6つの共和国に完全に解体されることとなる。
ユーゴスラビア内の紛争、そして解体の理由は決して内部崩壊というだけではない。チトー亡き後の西側諸国による自由主義市場への開放という多分に資本主義的な戦略に翻弄された面は見逃せない。実際に紛争の激しい戦禍に見舞われたドブロヴニクで聞いた話であるが、紛争終結後リゾート開発をする地域には爆撃をしないという密約が権益を狙う西側某国とあったと説明を受けた。国連やIMFが主体となって進めた「再建プログラム」は共和国の権限を奪い、自主再建できない形へと引きづり込まれていく。財政再建という名の通貨切り下げ、賃金凍結、公営企業の売却、財政支出の大幅削減。一方で外資規制の大幅な自由化、西側諸国の債権者への利払い優先によって、国内経済は疲弊し、インフレを誘発する結果となった。
最近の動きになぞらえて言えば、EU離脱を決定した英国は、内部にスコットランドの分離独立問題を抱えている。米国はトランプ大統領の登場により、保護主義、格差拡大、人種間亀裂が際立ってきている。内憂外患という言葉があるが、内側にばかり目が行ってしまうと、憂うべき外の動きに気づかなくなってしまう。内輪揉めしているうちに、外部に漁夫の利を与えてしまうこともある。ユーゴスラビア連邦の崩壊は遠く離れたバルカン半島で起こった無関係のことではなく、気づかないうちに近くで起こり得ることとして歴史の教訓とすべき題材である。

ベーシックインカム

2017年8月20日 at 6:13 PM

近い将来、汎用AIや汎用ロボットの実社会への導入が進んでいき、人間の労働の大部分がそれに置き換えられることになると、その経済へのインパクトは計り知れないものになると言われています。これまでもAIやロボットの実社会への導入は進んできてはいましたが、それは特定のタスクをこなすための特化型AIであり、特化型ロボットでした。AIが将棋のプロに勝つようになったり、工場での産業ロボット導入が盛んに行われたりしていますが、基本的にそれらはひとつのタスクをこなすように設計されています。プログラミングすれば応用的な使い方はできますが、将棋AIがホテルの受付をこなすわけではありませんし、工場の溶接ロボットが介護をしてくれるわけではありません。
非営利組織「全脳アーキテクチャ・イニシアティブ」によると、汎用AIは2030年には実現の目途がたっていると想定されています。レベル4の完全自動運転が地域限定とは言え、2020年に実用化するといったNewsと合わせても、確実にかつ着実にこれまでの労働はAI・ロボットに取って代わられる時代がすぐそこまで来ています。
汎用AIや汎用ロボットのコストが人間の賃金を下回れば、雇用主は人間の代わりに汎用AIや汎用ロボットを雇用します。そしてそれら汎用AI・ロボットは労働生産性を高め、つまりはGDPを高め、ひいては一人一人の生産性向上とは無関係に、一人当たりの国民所得を押し上げます。
経営の三要素は「人、物、金」と言われますが、そのヒトの占める割合が相対的に低下していきます。近年は技術の重視やICTの発達などにより、「技術」「情報」を経営要素に加えるべきだと言う意見もあるそうですが、それら二つは勿論、汎用AIや汎用ロボットの得意な分野です。
昨今でも、AIやロボット技術の進展による失業率が問題とされていますが、将来は労働しなくてもGDPは上がっていくことになります。その結果、一人当たりの国民所得も上がっていきますが、その貢献の多くは汎用AIや汎用ロボットによるものになるでしょう。つまり、人間が働かなくても全体の国民所得は上がっていくのです。私世代より上の日本人の労働観では「働かざる者食うべからず」という概念がしみ込んでいますが、働かなくても国民所得は十分にある、いやむしろ働く必要がなくなるという事態が発生するのです。そして、既にその兆候は社会に現れてきています。
スイスでは昨年6月にベーシックインカムを導入すべきかどうかの国民投票が行われました。結果は反対多数で否決されましたが、それでも23%の人が賛成票を投じました。ベーシックインカムを訳せば、「基本所得」。つまり国民すべてに基本所得を保障しようという考え方です。スイスで行われた国民投票の内容は大人一人に毎月2500スイスフラン(約28万円)、子供一人に625スイスフラン(約7万円)を給付して、基本的な生活を保障しましょうという考え方です。生活保護と異なる点は「国民すべてに」という点です。日本でも生活保護世帯には給付がなされていますが、一部にはポルシェに乗って生活保護を受けているなどと報道されているケースがあるように、必ずしも公平な判定・運用になっているとは言い難く、それをさらに徹底するにはかなりの行政コストが掛かってきます。国民に分け隔てなく給付するということになれば、そういった行政コストは非常に低くなるでしょう。
フィンランドでも実験的な試みではありますが、2000人の失業者に月7万円弱の給付を今年始めました。つまり今はMinorityである失業対策の対象が、今後は汎用AIや汎用ロボットの実用化によって、将来Majorityになっていくことを想定した社会構造を構想しなければならない段階にきているのです。
このベーシックインカムの原資はどこから持ってきたらいいのでしょうか。既に所得格差の問題は世界的に軋みを見せてきており、トランプ大統領の誕生はそういった背景と無縁ではありません。貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」は2015年に既に、世界人口の最富裕層にあたる1%が、世界にある資産の48%を握っているという報告書を発表していますし、世界で最も裕福な80人の資産額は、下位半数にあたる35億人の資産総額とほぼ同じという報告もされています。汎用AIや汎用ロボットの進展はその状況に拍車をかけることは間違いありません。その富裕層がベーシックインカムの概念を受け入れ、彼らの余りある所得を増税という形で回収し、それを再配分の原資としない限り、ベーシックインカムの考えは実現しません。そんな提案を富裕層が受け入れるはずがないように思えますが、民主主義国家であれば、金持ちの一票も、貧困者の一票も同じ重みですから、最終的にはMajorityが制することになるでしょう。それがいつなのか、それまでの間にどんな駆け引きがあり、何が起きるのかは全て想像できませんが、民主主義が維持されるならば、その結果はベーシックインカムという着地点に行かざるを得ないでしょう。なぜなら、汎用AIや汎用ロボットは生産活動をしてはくれますが、消費活動は行ってくれません。産業資本家も消費行動を行ってくれる人間を無視しては自らのビジネスが拡大成長しないということに気づかざるを得ないからです。
ベーシックインカムを生活保障と捉えるか、人間を労働から解放し、人間の尊厳を回復してくれるものになるのかは、宗教観と相まって国家間でも違いを見せることでしょう。日本の「働き方改革」の延長には「労働への従属」からの解放という意味合いも持つことでしょう。しかし、人によっては「労働からの排除」と捉える人も出てくるでしょう。毎日暇で何もすることがないというのも苦痛と感じる人は少なくないでしょう。
汎用AIや汎用ロボットの実社会への導入は確実に進んでいきます。人間の生きる意味、価値観、人生観を揺さぶる現象が起きていることに、あらゆる人が無関心ではいられるはずがありません。

ベネズエラで何が起こっている?

2017年7月3日 at 3:11 PM

ベネズエラは、南アメリカ北部に位置する連邦共和制社会主義国家である。北はカリブ海、大西洋に面しており、カリブ海世界の一員でもある。南アメリカ大陸でも指折りの自然の宝庫として知られており、原油埋蔵量は2977億バレルと世界一である。2000年代初め頃までは南米でも屈指の裕福な国であったが、原油価格の下落や政府の失策などにより経済状況が急速に悪化し、多くの国民が貧困に喘ぐ事態となった。2010年代に入ってからは急激なインフレが進み、市民生活は更に混乱に陥ることとなり、まさに危機的状況にあると報じられている。
なぜ、裕福だったベネズエラがこのような状況に陥ってしまったのか、大いに興味をそそられたのが、このブログを書くに至った理由である。

ベネズエラがスペインの植民地から独立を果たしたのは、1830年のことである。その後、幾度となくクーデターが発生し、軍事政権が入れ替わり立ち替わり政権運営を行ったが、いずれも長続きはせず、国民は圧政と貧困に苦しんでいた。
そんなベネズエラで油田が発見されたのは1913年のことである。1926年に石油が大の輸出品となって以来、ベネズエラの政府も国民も天の恵みである石油資源にのみ依存する体質となっていった。
ベネズエラで初めて民主的な選挙が行われたのは1959年のことで、これにより民主行動党の創設者であるロムロ・ベタンクール大統領が誕生した。ベタンクール大統領は元々共産党の指導者であったが、就任時には転向しており、当時のドミニカやキューバといった左翼政権とは敵対関係となり、国内においては度重なる左翼ゲリラの蜂起に苦しむことになった。
その後、ゲリラへの恩赦という妥協策を経て、民主行動党とキリスト教社会党が、二大政党制の下で対話とコンセンサスの政治文化を醸成し、漸く代議制民主主義を根づかせることに成功した。しかし、この40年間にわたる政治安定は、権力者の不正蓄財と政党政治家の腐敗を生み、国民の不満が徐々に拡大していくこととなる。

この政治安定期の半ば、1974年に政権に就いた民主行動党のペレス大統領は、原油急騰による潤沢なオイルダラーを背景に脱石油を目指す大型の国家プロジェクトを推進し、鉄鋼業や石油産業を国有化するとともに、労働者を優遇する種々の社会政策(バラマキ)を行った。これが放漫財政をもたらし、財政赤字と累積債務という問題を積み上げてしまうこととなってしまった。明らかに政治家の失政である。そして次期エレラ政権下の1983年には、遂に通貨切り下げと為替管理を余儀なくされる。さらに1989年には、バス料金の引き上げ等一連の引き締め政策に抗議する市民による商店への略奪を伴った一大暴動に至る。

こうした国民の不満を追い風にして、クーデター首謀者から1999年に大統領に就任したウゴ・チャベスは、反米的なキューバ、ボリビア、エクアドル、ニカラグア、中華人民共和国、ロシア、イランとの友好的な関係を強化し、社会主義政権の基盤を確立していった。
当初は、富裕層の所有メディアにより反チャベス的な内容のものが報道されることが多かったが、チャベス政権成立以降、チャベス大統領に批判的な放送局が閉鎖に追いやられたりするなど独裁色が強められた。
しかし、反市場原理主義・反新自由主義を鮮明に掲げ、「21世紀の社会主義」を標榜して進めたチャベスの貧困層底上げ政策は、表面的なものに留まり全く成果を生むことはなかった。

2013年3月5日のチャベス大統領の死によって「21世紀の社会主義」路線は幕を閉じたかに見えた。事実、2015年議会選挙では、米国などが支援する中道の反チャベス派連合である民主統一会議が勝利し、議会の主導権を握ったからである。
しかし、親米・新自由主義へのかじ取り転換は実現していない。チャベス派のマドゥロ大統領の任期が2019年まであるからである。
マドゥロ政権下においては国際的な原油価格の低下と価格統制の失敗により、チャベス時代から進行していたインフレーションがさらに激化し、今年は既に720%に達している。議会とマドゥロ政権の対立は激しくなり、今年3月にはマドゥロ政権に近いベネズエラ最高裁判所が議会の立法権を剥奪し、裁判所が立法権を掌握すると発表した。しかし、この決定は野党や南米諸国をはじめとする各国からの批判を浴び、撤回に追い込まれることとなる。
それ以降今日まで、反政府デモとそれに対する鎮圧が頻発しており、凶悪犯罪発生率も世界最悪を極め、メキシコのNGOが発表した「世界で最も危険な都市ランキング」では首都カラカスがワースト1位になっている。

信じられないことだが、原油の埋蔵量で世界一のベネズエラが、今や原油を輸入している。食料やトイレットペーパー、紙おむつ、薬などのあらゆる必需品の不足も深刻を極めている。
マドゥロ大統領は来年の大統領選挙に向けて、自身の有利になるような憲法改正を目論んでおり、その準備委員会に自身を支持するメンバーで固めようと躍起になっている。
こうした中、5月にGMはベネズエラ事業を連結対象から除外すると発表した。同社のベネズエラ工場は4月下旬に当局に差し押さえられ、事業を継続できなくなっており、その損害を1億US$と算定している。
ニューズウィークが伝えたところによると、「政府が商品を差し押さえて、勝手に売りさばく」「医療現場では投与する薬がなく、患者は血だまりで横たわる」「電力不足が深刻で公務員は週2日の出勤に制限された」「紙不足で新聞が刷れないばかりか、紙幣も増刷できない」「食料店を狙った略奪は日常茶飯事」。地球の裏側では想像を絶する事態が進行しているのである。しかし、この事態は決して対岸の火事とは言い切れない。慢心とは気づいた時に手遅れなことが多いからである。

科学と生気

2017年6月7日 at 4:46 AM

19世紀は生物学が近代化した時代だと言われている。それまで生命に関しては、他の物質に存在しない超自然的な力を持っているという生気論が支配的であり、基本的には古代ギリシャ時代から変らぬ伝統的意識に宗教的要素が加わり固定化していた。しかし、近世ヨーロッパにおいて18世紀にはあらゆる自然現象が神とは無関係であるという立場を取るディドロ(仏・哲学者)のような学者が現れ、生気論への反論が唯物論者から試みられるようになった。神が創造した「種」が固定的なものではなく、進化によって変化するということを機械論(生気論の反語)的に証明しようとする動きは当時「創世記」への大いなる挑戦であったと言える。

チャールズ・ダーウィンが進化論を唱えた「種の起源」は1859年に出版された。ダーウィンの説は自然淘汰説として有名である。厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えるという説である。この理論は時折ビジネスの場でも引用され、環境に対応できない企業、組織、個人は生き残れないといったような使われ方をされ、一般にも定着している考え方であろう。
この説は適者生存とも呼ばれ、生物の繁殖力は環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体が、その性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。つまりは有利な個体が持つ性質が維持・拡散するというメカニズムである。

19世紀以前は「神の思し召し」としか説明されてこなかった生物の不思議が、ダーウィンにより実際に観察された現象から導き出された自然淘汰説によって、徐々にではあるが、一般に受け入れられるようになっていった。
実はダーウィンの進化論の50年も前、ダーウィンの生まれた1809年にフランスのラマルクという博物学者は「動物哲学」を記し、「用不用説」と呼ばれる進化論を展開している。この説はキリンの首に代表されるように、動物がその生活の中でよく使う器官は次第に発達する。逆に、はじめから存在する器官であっても、その生活の中で使われなければ次第に衰え、機能を失う。つまり個体が後天的に身につけた形質が子孫に遺伝し、進化の推進力になると唱えていた。

ダーウィンとラマルクの説の最も大きな違いは、前者が進化に方向性はなく偶然の産物であるとするのに対し、後者は生物側に進化の主体性を求めるものである。今では遺伝学が発展してDNAによる遺伝メカニズムが広く知られているが、1865年に発表されたメンデルの「遺伝の根本法則」は当時、世の注目を得ることはなく、その功績が認められるのは彼の死後四半世紀経ってからのことである。それゆえダーウィンもその情報を知ることはなく、自身の理論に遺伝の概念は全く触れられていない。遺伝や突然変異の考え方が一般的になった今でも、先天性と後天性のどちらが優位かという議論は分野ごとに盛んに行われており、従来の学問の垣根を超えて広がりを見せている。

冒頭に少し触れたように、進化論はヨーロッパ人の心に永く受け継がれてきたキリスト教的人間観(神、人間、自然の対置)に真っ向から反するものであった。進化論は当初、生物一般を扱ったものであったが、事が人間に及ぶと、当時の宗教界から激しい反発を受けたのは当然であった。ダーウィン自身は自伝で無神論者であることを公表しているが、まさに進化論も極めて機械論的に論理立てた理論を展開している。

一般の生物界では自然淘汰が正常に機能しているのに対し、人間社会ではヒューマニズムが関わって進化論(自然淘汰)が機能しないので、逆選択(淘汰されるべき人間が淘汰されない)が起こるという考え方も生まれた。つまり、人間社会で自然淘汰が機能しないのであれば、人間は進化するのではなく、退化の一途を辿ることになる。この問題を取り上げ優生学を提唱したのが、ダーウィンの従弟のゴルドンである。この優生学とは人種の劣悪化を防ぐための手法を研究目的としたものである。ゴルドンの主張は、人間に人為選択を適用すればより良い社会ができるというものであったが、のちに民族主義と結合してナチスによるユダヤ民族弾圧という極端な事態を生み出すことに繋がってしまった。

科学の発展は近年、土壌汚染や水質汚濁、オゾン層の破壊など負の側面も見せてきた。世界的な環境対策の意識が広がってきたことは歓迎すべきであるが、必ずしも世界市民全員が諸手を上げて賛成しているわけではない。目先の脅威となっている核兵器や生物破壊兵器に対して人類は有効な策を有してはいない。原発推進派はすっかり少数派になってしまった。科学の発展によって冒頭の生気論は近代ほぼかき消されてしまったが、生命現象がもつ全体調和能力をネオヴァイタリズムと称した新生気論も現代生物学では息を吹き返してきている。科学万能時代から時代は確実に揺り戻しがきているように、人間が人間を理解することは機械論と生気論の狭間で暫くは揺れ動き、容易に到達できる領域ではなさそうである。筆者はどちらかといえば「気」の存在を否定しえない生気論者側に立つもので、機械論では割り切りたくない派である。

「良い質問」をする技術

2017年5月1日 at 1:43 PM

標題は昨年ダイヤモンド社から刊行された粟津恭一郎氏の著書である。著者はエグゼクティブ・コーチングに10年以上携わっていた方で、これまでのコーチング経験を基に「『良い質問』をする技術」を書かれている。大変示唆に富む著作で、一気に読み上げてしまった。
文章のそこかしこに調達バイヤーや管理職にも活用できる点が多々あり、ご紹介したいと思う。
著者は質問を①軽い質問、②良い質問、③悪い質問、④重い質問に四類型する。
①軽い質問は相手が答えたくなるが、気づきはない。②良い質問は答えたくなり、気づきもある。③悪い質問は答えたくもないし、気づきもない。Nagativeな気持ちだけが残り、お互い何も得るものがない最悪の質問である。④重い質問は答えたくはないが、気づきがある。

商談でも大体まずは軽い質問から入る。これは相手との関係を良くする質問で、雑談の領域に入る。相手が答えやすいこと、話していて嬉しくなるようなことを質問して話してもらう。後に展開する「良い質問」や「重い質問」の下地を作る大事な工程である。
さて、ウォームアップしたところで本題に入るわけだが、「良い質問」の最大の特徴は「本質的な」質問であること。商談にあたって事前の下調べもせず、改めて聞くまでのない質問や的外れな質問をしてしまったのでは、先方の意欲が削がれてしまう。あるいは、答えた内容をきちんと理解せずに、次の質問をしてしまうのも建設的な商談の阻害要因になる。
商談の場合、質問内容を事前に準備しておくことは重要なことではあるが、流れを無視して紋切り型に話したり、訊いたりしていくのは取り調べを受けているようで、本音を引き出すのは難しくなる。話の流れや今焦点のあたっているトピックスに繋がる形でタイミング良く有効な質問を繰り出していく必要がある。

どのような質問でもそうだが、5W1Hは必須の項目である。商談ではClosed Question(いわゆるYes/No Question)とOpen Question(時に予想していない回答が来る限定的ではない質問)を組み合わせて合意に導くというテクニックがあるが、Closed QuestionよりはOpen Questionの方が、より多くの情報が得られる。様々な可能性をテーブルに並べ、選択肢を増やし、最終的に最善の道筋を見つけるのを商談と定義すれば、「良い質問」をする技術は調達バイヤーにとっても、部下のみならず他部署との連携強化を責務とする管理職にとっても大変重要なスキルと言える。

指示や命令は上位者が部下に下すものであるが、質問は「質問する人」と「質問される人」の立場が時々に入れ替わり、固定化された上下関係を崩す役割を持つ。ゆえに部下が上司の命令に対して質問をすることは許されるべき行為である。質問を許さない関係は最善への道筋を閉ざすものである。「良い質問」は相手の胸襟を開き、積極的にアイデアや意見を開陳するトリガーになる。筆者は質問が人的関係を対等にする力があるという示唆に富んだ指摘をされている。

一方、「悪い質問」は訊かれた相手がネガティブな気分になってしまう類の質問である。相手との関係に配慮が足りない、質問者の価値観や思い込みの押し付け質問、相手を萎縮させる質問などである。これらは質問された側が殻に閉じこもったり、相手を追い込んでしまい、心を閉ざしてしまうので、回避すべきものである。

「重い質問」を発するのは、文字通り誰しも気が重いものであるが、相手のことを本当に思って訊く場合や、業務遂行上どうしてもしなければならないということは少なくない。その大前提としては、相手との関係が構築されていることが必須要件である。人は誰でも初対面の人に踏み込んだ質問は受けたくない。「なぜ、あなたにそんなことを訊かれなければならないの?」というような質問をいきなりする人と、人は良好な関係を築こうとは思わないものです。基本的に否定形やネガティブな表現「なぜ、御社は~~できないの?」の質問は特殊な意図をもってする以外は避けるべきでしょう。
そしてもう一つ重要なことは、目的を共有することです。「こんな厳しい質問を浴びせかけてくるのは私を思ってのことなんだ」あるいは「お互いの共通の目標達成の為なんだ」と納得できる段階になれば、「重い質問」が有効になってくる段階と言えるでしょう。

調達組織内でもそうですし、対サプライヤーでもそうですが、繰り返しの質問⇔回答のプロセスを経ることで、お互いの「しなければいけないこと」を「したいこと」に変換できれば、形だけの合意形成にならず目標達成の確度はグンと上がります。

筆者はエグゼクティブ・コーチですから、経営者との質問応答で経営者への気づきを促していきます。組織の中でよく使われている「質問」は、その集団の「本質」を表すそうです。トップが「売上はどうなっている?」と社員に繰り返し質問していれば、何よりも売上を重視する企業風土が育まれていく。「顧客は満足しているか?」と繰り返し問えば、顧客志向の会社となっていく。業種・業態・規模がほぼ同じでも、企業風土が違うのはそのためです。
つまり、企業風土を変えたいと思うのであれば、「質問を変える」ことが非常に有効だということを述べておられます。社長が口癖のように言っている質問を変えれば、自然と役員や社員の質問も変わってきて、企業風土が変わるということです。社風なんていうものはない、社長風があるだけだ、という方もおられますが、まさに的を突いたご指摘だと思います。

気概の精神

2017年4月4日 at 11:34 AM

鮮明に記憶している小説のセリフがある。「お上の事には間違はございますまいから」。1915年に発表された森鴎外の「最後の一句」の娘いちの言葉である。中学校の教材として学んだものと思う。
話のあらすじはこうである。船乗り業の主人太郎兵衛は、知人の不正を被る形で死罪とされてしまった。悲嘆にくれる家族の中で、長女のいちは父の無罪を信じ、奉行佐々又四郎に助命の願書を出し、父の代わりに自身と兄弟たちを死罪にするよう、単身申し立てる。16歳の娘の大胆な行為に背後関係を疑った奉行は、女房と子供たち4人を白洲に呼び寄せ、責め道具を並べ立てた上で白状させようとする。
白州で、いちは祖母から事情を聞き父の無罪を確信したこと、自身を殺して父を助けてほしいことを理路整然と訴える。佐々が拷問をほのめかして「お前の願いを聞いて父を許せば、お前たちは殺される。父の顔を見なくなるがよいか」との問いに、いちは冷静に「よろしゅうございます」と答える。そして「お上の事には間違はございますまいから」と付け加える。この反抗の念を込めたと思われる娘の最後の一句は役人たちを驚かせるが、同時に娘の孝心にも感じ入ることになる。そして太郎兵衛は、宮中の桜町天皇大嘗会執行を名目に死罪を免れるのであった。
この小説の原作は太田蜀山人の随筆「一話一言」で、鴎外がアレンジを施したとされる。いちの発した最後の一句は軍内で孤立していた鴎外の官僚批判とされているが、当時の背景を知らない筆者は民の強烈な体制への皮肉と受け取った。今思えば、権威の不確かさ、もっと言えば権威の欺瞞性をも痛烈に批判している小説と言えるのではないか。

権力を持つものには高い倫理観が求められる。英アクトン卿の「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」の格言は有名なところである。ゆえに権力の暴走を許さないよう様々な仕掛けが民主主義国家において整備されてきた。その筆頭が憲法である。司法の最高機関である最高裁が「違憲ではあるが、無効ではない」という判断を一票の価値の不平等について見解を出すが、1回は仕方ないにしても何回も出すようでは、三権分立とは言えない。また、新聞・テレビなどのマスメディアも「権力を監視する」という大義名分のもと長年機能してきたと思うが、昨今はそのメディア自体が特権階級化し、世論を意図的に左右するようなモンスターに成長してしまった感がある。インターネットの発展により、SNSに代表される個人の情報発信も盛んに行われるようになったが、事実か否かは判別できないし、情報と意見が混入しているものも多い。確かな情報を取捨選択して掴むことがより個人に課される世の中になっている。情報操作やスパイ行為(売春に次いで人類最古から2番目の職業と言われる)は昔からあり、トランプ大統領もロシアの情報機関の助けを得て当選したとも噂されており、事実CIAとFBIの合同チームがその調査にあたっている。ことほど世の中は複雑化してきており、より個人の確立が重要な局面であることは言うまでもない。

最近のニュースを見ていると、行政府や立法府は本当にやるべきことをやっているのか不安になることが少なくないが、同時に個々人がしっかりしなければならないと強く思う。「働き方改革」なるものも国会において、あるいは新聞紙面を賑わしているが、これは個人と企業の間の話であって、国家が口出すことだとは私には到底思えない。昔は労働組合がその役目を負って、企業側と交渉をしてきた。いまや労働組合はどうしたのか? 日本最大の労働組合である連合はただ選挙の時だけ民進党に担がれるお神輿組織に成り下がってしまったのか?
電通の新入社員が過労で自殺したことが、この「働き方改革」の引き金になっているように思うが、上司はもとより、その周辺の同僚や同期諸氏は全くの無力だったのか? 親御さんには申し訳ないが、個の確立ができていない。社会人になる前に身に付けておかなければならない周囲の状況を判断すること、状況に応じて適応する協調性、そしてこれだけは譲れないという自身のポリシーの確立がされていないのはとても残念なことである。2015年12月7日付のこのブログで掲載した「ストレスチェック義務化に物申す」でも同様のことを書いたが、個人で自己管理を行うべきことが、企業の義務になったりする。こういったニュースに触れる度に、裏に利権が見え隠れすると感じるのは私だけであろうか? 企業で義務化されている健康診断も本来個人が気を付けることであって、上司が健康診断を受けない部下の尻を叩くなどは仕事とは言えない無価値有償労働である。ここにも社会保険料が無駄に費やされている温床が存在する。

森友問題も国会やニュースで時間と金が無駄に費やされている事例である。焦点であるべきは売却額が適正だったかという1点に尽きる。土地評価額9億5600万円から廃棄物撤去費用など8億2200万円が差し引かれ、最終売却額は1億3400万円になった。この経緯に特定の政治家が介在し、不正に値引きされたかどうかを調べるだけである。安倍首相が100万円寄付したとか、昭恵夫人の関与がどうだとか、挙句の果てに「忖度」したのではないかと民進党が追及しているが、いずれも法律に違反しているわけではない。そんなことをほじくり出しても何も出てこない。落しどころのないパフォーマンスだけ、時には嘘・捏造して注目を集めるだけの国会議員には今すぐ辞めてもらいたい。

忖度とは「他人の心をおしはかること」で、人間誰しも対人関係において行っていることである。人間関係の潤滑油とも言えるものであろう。これがなければ「自己チュー」と揶揄される。冒頭のいちは自身の覚悟を権力者である佐々に「お上の事には間違はございますまいから」という一句で乾坤一擲の矢を放った。自己の保身が見え隠れする姿は見ていて見苦しいし醜い。個々人の気概の精神が失われているとすれば非常に悲しいことである。

世界の潮流と労働分配率の低下

2017年3月4日 at 10:53 AM

「2017 エデルマン・トラストバロメーター」なる記事を目にした。第17回とあるので、2001年から始まったものと推測する。調査対象は世界28か国、知識層(各国の同世代と比較して、世帯収入が上位25%、メディアに日常的に触れ、ビジネスに関するニュースに関心を持っている層)と一般層に分けてデータ分析を行っている。

日本人の特徴は、「昨年に引き続き、将来に対して最も悲観的な国民」であること。自分と家族の経済的な見通しについて、5年後の状況が良くなっていると答えた割合は、知識層で31%、一般層で17%と28か国中最低である。知識層と一般層の差14ポイントは昨年の4ポイントより大幅に拡大している。もっとも知識層の楽観的割合が19%から31%に上昇している半面、一般層では15%から17%と僅かしか上昇していないので、世界的に言われているいわゆる二極化の表れと言えそうだ。日本人は悲観的なゆえに、将来に備え貯蓄をしたり、社会変化に対応すべくスキルを磨いたりしながら、知恵を絞ってオイルショックや構造不況を乗り越えてきた。
楽観的な国としてはインドネシアが1位(9割ほど)、インドが3位。これらの国はこれから経済成長の恩恵に与れるという実感を伴った感覚と言えそうだ。一方、2位のコロンビア、4位のブラジル、6位のメキシコ、7位のアルゼンチンなどは根っからの楽観的な国民性が反映したものと思われる。
グローバルでみた知識層と一般層の差も見逃せない。20ポイント差があるのはスペイン、ポーランド、フランス。以下、イギリス、アメリカと続く。欧州の保護主義台頭や、Brexit、トランプ大統領誕生の背景にこういった格差の意識があることは明らかであろう。日本にもこの影響が少なからず出ている印象を筆者は持っている。
それを裏付ける数字がこの調査にも表れている。日本において、「事実はさほど重要ではない」「たとえ真実を誇張しているとしても、私と私の家族にとって良いことをしてくれると信頼できる政治家を信頼する」と答えた人は5人に2人。
自分が信じていない見解を支持する情報を無視する人は無視しない人の4倍。3人に2人の人は自分と意見が合わない情報を遮断し、自分の見解を変えない。
年代を追って新聞を読む人が減り、ネット情報に頼る人が増えてきている。そういう人は自分が興味のある記事にしか目がいかない。新聞も1紙では偏りが見られるので、2紙以上読むという人は極極限られた人であろう(これもネット情報だが、「紙の新聞を1紙だけでなく、2紙以上読んでいる」という人は年収500万円台では6.3%、1500万円以上では32.1%)
組織に対する信頼度もグローバルで見て低下傾向で、NGO/NPO、企業、メディア、政府どれをとっても半数の人は信用していない。特にメディアの昨年比5ポイント低下は注目すべきで、組織や機関の情報に信頼を置く人37%に対して、個々の人々の情報に信頼を置く人63%。玉石混交と言われる発信者不明のネット情報を信用する人の割合は非常に大きい実態が数値で表された格好である。SNSは今後も勢いを増していく存在であろう。日本は28か国中23位、3人に2人はメディアを信用していないわけで、非常に低い数字である。グローバルで見てもメディアの信頼度後退は大きな問題で、ジャーナリズム復活を期待したいところである。
さらに深刻なのはCEOに対する信頼度で、日本は28か国中最下位、18%の人しか信用していない。東芝粉飾決算に代表される不透明な会計処理や、その弁解がましい対応が影響していると言える。CEOの信頼度No.1はインドで、なんと70%の人が非常に信頼できると答えている。グーグルやマイクロソフトなど世界を代表するテクノロジー企業のCEOにインド人経営者が名を連ねている自負がその結果に表れていると言えそうである。ここまでが、トラスト・バロメーターで気になったデータの紹介である。

さて、話は少し変わるが、最近目にしたデータで「労働分配率」が一貫して低下しているという事実である。1977年当時、仏日独英米の順で労働分配率は高く、フランスの80%~アメリカの68%といった幅であった。それが2011年にはイギリス70%~日本60%と平均で10ポイント下がっている。日本のそれは15ポイント下落し、下落幅が他国と比べて最も大きい。労働組合を中心に、最近は政府に至るまで企業に対して労働分配率を上げるよう圧力を加えている。私はその理由として、特に製造現場における労働が機械化・ロボット化によって合理化された結果として、労働分配率が下がり続けているのではないかと推測している。日本企業の内部留保の高さは外部から様々な形で指摘されているところではあるが、企業が溜め込んでいるのは、将来への不安と投資の判断が出来ないという2点であり、労働者に配分したくないと決めているわけではないと思う(最もサービス残業などの側面で労働分配率が低いと感じる部分は少なくないとは思われる)。他国の労働分配率の低下も機械化による側面はあると思うが、日本との比較において相対的には移民による賃金の低下が大きな理由ではないだろうか。

いずれにせよ、AI・ロボットの台頭は止めることのできない経済合理性による行動である。明らかに生産性が上がり、品質が均一向上することは間違いない。しかし、そこからあぶれた労働者を雇用する新産業の育成は容易ではないし、労働者の教育訓練も簡単にはいかない。つまり社会コストの増大を招くわけである。ことによったら企業の自動化推進を妨げる政策への政治的圧力が増すかもしれない。
安価な労働力はが溢れている国で、大勢の労働者が最低賃金でもいいから雇ってくれと列をつくっているのに倉庫を自動化するか?という問いには、経済性からは明らかに自動化するという答えになる。なぜなら既に他国で導入済みであり、ソフトウェアは1本も100本もコストはそう変わらない、複製するだけだ。そして労働品質は均一化され、昼夜なく働くロボットには時間制限もない。そのうち、政治的圧力によりロボットにも労働規制が掛けられるかもしれない。ロボットの生み出す労働価値に課税するかもしれない。密造酒よろしく、隠れてロボットを使う経営者が出てくるかも知れない。世の中、かなり厄介な段階にまで来てしまったようだ。
人手不足で話題の物流業界も、トラックの運転手には個々の指示をしなければならないが、自動運転システムであれば際限なく複製できる。
企業は従業員という側面からさらにスリム化を進めていくだろう。ICTの進展に伴いアウトソースもさらに進み、企業はコア人材だけになってしまうかもしれない。突き詰めていけば、起業するか、企業にプロジェクトごと、あるいはパートタイム的に請われるだけのスキルを持つ人材でなければ、政府に雇用を乞う側の立場になってしまうことになるだろうと、悲観的な日本人の筆者は思ってしまうのである。

鴻海のTV戦略とパネル戦略

2017年2月6日 at 4:49 PM

昨年末の報道であるが、(台湾)鴻海・シャープが共同運営する堺ディスプレイプロダクト(SDP)が(韓国)サムスンに対して、2017年中に取引を中断する意向を伝えた。サムスンは全取引のうちの11%に当たる年間500万台分の液晶パネルをSDP及びシャープから調達していたと言われるが、調達する側も、供給する側も大きな変化があったことは間違いない。表向きは価格交渉で折り合いがつかなかったという理由になっているが、取引を中断するというのは、鴻海サイドの供給方針の転換によることが大きかったであろうことは予想できる。
通常、販売側はなるべく供給先を多様に確保しておきたいものである。価格などの諸条件に加えて、今後の成長性やビジネスのベクトル合致度によって数量拡大したり、取引を縮小したりという戦術を打つのが通例である。取引中断というのは個別の条件闘争の結果で発生するようなことではない。本件は条件が合わなかったというより、供給方針を優先した結果であろうと思う。後日の報道でサムスンは、「突然の通告により、2016年末で供給はストップした」と発言している。サムスンは本件に対して、年末12月22日に仲介商社の黒田電気・シャープ・SDPに対して総額4億2900万ドルの損害賠償を求めて国際商業会議所(ICC)に仲裁申し立てを行ったことから、サムスンとしては供給契約の不履行と捉えているであろう。

鴻海は昨年8月正式にシャープを傘下に収めた。その後、早々にシャープが売却した欧米のテレビ事業の買い戻し交渉に乗り出す方針を明らかにした。2014年9月シャープはスロバキアのUMC(Universal Media Corporation)に欧州AV事業におけるシャープブランドを供与する契約を結んだが、買収以後すぐにそのブランドライセンスビジネスの見直しに動いている(追記:UMC社の持ち株会社の株式の56.7%を2月10日付で取得し、子会社化)。2015年に中国海信集団(ハイセンス)に売却した北米および(ブラジルを除く)中南米におけるシャープブランドテレビ事業も買い戻しに動いたが、こちらは海信集団に拒否されてしまっている。1~2年前に売却したものを買い戻すという行為が成立するとは通常考えられない。鴻海の方針は明確だが、現実論としてすぐに買い戻せるものではないだろう。

時代は遡るが、ブラウン管全盛時代の20世紀において、シャープは自社のブラウン管を持っていなかった。アメリカ企業との連携やブラウン管調達などでTV事業を支えていたが、品質やブランドイメージから安売り製品の代名詞であった。当時の町田社長は「ブラウン管TVを全て液晶に置き換える」という大号令の下、2001年に液晶テレビAQUOSを発売した。翌年には三重県亀山市で第6世代パネルの工場建設を行う発表を行い、2005年には第8世代パネル建設発表、2009年には今もって世界最大の第10世代パネル工場を片山社長時代に堺市で立ち上げた。
シャープの液晶テレビは「世界の亀山」パネルを使った純国産液晶テレビとして国内においては10年以上もシェア40%以上を維持してきた。しかし、海外では全く販売が伸びず、それが大きな誤算となって巨大投資の償却費が重くのしかかり、シャープ転落へのトリガーとなったことは否めない。結果論ではあるが、パネルへの投資とTVの世界シェア拡大の歯車がずれていた。また、第6世代~第8世代~第10世代という進化は純粋な意味においての技術革新ではなく、生産技術の確立による生産コストの低減であって、想定通り液晶テレビの大型化が進まなければ、稼働率が上がらないという欠陥を初めから有していた。

鴻海・郭台銘董事長とは過去何回かビジネスで関わったことがある。郭董事長の韓国嫌いは有名であるが、事あるごとに日系企業に対してこう秋波を送っていた。「技術力の日本企業と生産力の鴻海が手を握れば、韓国企業に必ず勝てる」と。鴻海は様々な日本企業と連携していったが、最終的にはシャープというブランドと日本の技術力を手にしたことになる。
また、郭董事長はソフトバンク孫氏からの要請で、トランプ大統領へのリップサービスとも取れる発言をしている。つまり、米国における雇用創出のために、米国で液晶パネル工場を検討すると新大統領に伝えている。鴻海は昨年末、既に中国広州で世界最大級の液晶パネル工場を新設することを発表している。また、今後需要が急拡大すると期待されるインドでも液晶パネル工場の建設を検討中と年明け早々に報道された。実際投資のタイミングにもよるが、果たして投資と販売の両輪はうまく回っていくのか、旧シャープと同じ轍を踏むのか。

鴻海のTV販売戦略とパネル供給戦略がひとつの方針の下、行われるというのは、日本の大企業においては実際なかなか行われない。事業本部制の下、各事業本部(あるいはカンパニー)の事業最適が最優先され、事業本部業績の総和がグループ業績となっている場合がほとんであろう。グループとしての大方針から事業方針が導かれることは稀といってよい。創業者企業の強みがどこまで大企業の中で機能し成就するか、鴻海の今後の展開から目が離せない。

イスタンブール(トルコ)で想う

2017年1月20日 at 10:41 AM

トルコ共和国の首都イスタンブールはエキゾチックで魅力的な街である。1978年に庄野真代の楽曲で「飛んでイスタンブール」が大ヒットした。その頃は単に異国の地というイメージだけであったが、50歳を過ぎるころから、最も訪れてみたい場所になっていた。地理的には西にヨーロッパが拡がり、東にはアジアが拡がる。その間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南はマルマラ海、北が黒海で天然の港を擁している。まさに東西の十字路であり、ユーラシア大陸とヨーロッパ大陸のつなぎ目に位置する。
人口は東京都をしのぐ1400万人。歴史的にも世界の大都市として位置付けられてきた。古代ギリシャ時代には紀元前の王の名を取ってビュザンティオンと呼ばれていたとされるイスタンブールは、ローマ帝国においてコンスタンティヌス1世が首都をローマから遷都し、自らの名を取ってコンスタンティノープルと名付けた。以降およそ900年の間は、キリスト教発展の要であり、ローマ帝国(330-395)時代には人口30~40万人を有す世界一の大都市であった。ビザンティン帝国(395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国(1204-1261)時代の間でも世界の5指に入る有数の都市であり、様々な民族の商人が行き交っていたものと思う。
1453年にメフメト2世率いるオスマン帝国がこの街を征服し、イスタンブールと改称され、ムスリムを移住させるなどの政策によりイスラム都市化が進められた。また、ヨーロッパから商人を招き入れるなどして商業にも力を入れて、世界一の国際的大商業都市に成長していった(70万人)。オスマン帝国時代の統治はイスラム教国家の君主であるにも関わらず、ユダヤ教やキリスト教を迫害することなく新都に住まわせ、多くの歴史的建造物も破壊することなく、現在に至る多文化都市を形成するに至っている。

ビザンティン建築として有名なアヤソフィアは、その代表例である。350年頃に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、ラテン帝国支配下においてはローマ・カトリック教徒の大聖堂とされていた素晴らしい教会である。オスマン帝国支配下になってからは、モスクの象徴であるミナレット4本が増築され、約500年間はモスクとして使われていた。モスクへの改修に際しては、聖母子像やキリスト教の絵画・モザイク画を漆喰で覆い隠し、「唯一神アッラー」や「預言者ムハンマド」を表すアラビア文字を装飾化して描かせている。 偶像崇拝を禁じるイスラム教国家の君主であるメフメト2世が、見事な建築物であるアヤソフィアの破壊を望まず、現代に引き継いでいるその精神の高邁さは称賛に価する。
1935年の博物館化に際しては、カトリックとイスラムの間で「返せ・返さない」の綱引きがあったということを耳にしたが、結局は聖母子像を覆っていた漆喰を取り除き、聖母子像と唯一神アッラーが隣り合わせで並ぶ異色の博物館が造られることとなった。この博物館は宗教の共存を象徴したものとして毎年200万人もの観光客を集めている。

イスタンブールの歴史は、キリスト教とイスラム教とが、互いの文化を征服しながらも、存在を認め合うことで生き続けてきた場所であり、現代世界の宗教対立や二極化対立に対して、異文化あるいは異質性の共存の一つの型として見ることができるのではないだろうか。
第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は解体され、1923年国父ケマル・アタテュルクによってトルコ共和国が建国された。アタティルクは憲法で(宗教的保守主義ではなく)世俗主義を標榜し、政教分離・近代化政策を採る国づくりを進めた。その結果、イスラムの香りを色濃く残しつつもヨーロッパ的な自由を感じさせるコスモポリタン都市へとイスタンブールは変貌を遂げた。しかし残念なことに、現政権のエルドアン大統領は3期目に入ったころから反政府勢力に圧力を掛け始め、SNSへのアクセスを遮断したり、個人のインターネット閲覧記録の収集などを合法化している。イスラム教育の制度化も志向しており、自由を謳歌してきた若年層を中心に反発が広がっている。イスラム圏を異質と見るEUは、トルコのEU加盟申請を11年間に渡り棚上げしており、エルドアン大統領のイスラム強化政策によって全く目途が立たないという状況となっている(EUそのものの維持も困難な状況がちらちら見え始めてきてはいるが)。

昨年7月にはクーデター未遂事件が発生し、その直後にエルドアン大統領は非常事態を宣言し、今年に入ってもそれを再延長している。市民への弾圧や、相次ぐテロによる外国人旅行客激減で経済は停滞しており、昨年7~9月のGDPは7年ぶりのマイナスとなった。それを反映してトルコリラ安(3ヶ月で20%以上)も止まらない状況が続く。

ケインズはその著書で「経済政策によって(政治的)価値観の対立を棚上げできる」と述べている。つまり、財政政策や金融政策の発動により所得再分配が行われ、(政治)価値中立的な「経済成長」を享受することで価値観の衝突を回避するという考え方である。アベノミクスにしても、成長の減速が続く中国にしても、トランプ新大統領の政策にしても、このケインズの理論を背負っているかのようである。経済が停滞すると対立が表面化する。それを回避するために経済政策を打って取りあえずの緩衝材とする。その結果、多くの国が財政赤字に陥り、手詰まりになっている指導者が政権から降ろされる事態となっている。新しい指導者はいっとき民衆の期待を過大に背負い登場する。しかし、市民の自由を縛る政策、民間の活力を生かせない政策、他国を圧力で制し自国にのみ利益を引き寄せようとする政策は今や機能しない。「有無相通」という言葉がある。一方にあって他方にないものを互いに融通し合ってうまくいくようにするという意味である。いよいよドナルド・トランプ氏が米大統領に就任するが、果たして前代未聞の政策の行く末はどういうことになるのだろうか。