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世界の潮流と労働分配率の低下

2017年3月4日 at 10:53 AM

「2017 エデルマン・トラストバロメーター」なる記事を目にした。第17回とあるので、2001年から始まったものと推測する。調査対象は世界28か国、知識層(各国の同世代と比較して、世帯収入が上位25%、メディアに日常的に触れ、ビジネスに関するニュースに関心を持っている層)と一般層に分けてデータ分析を行っている。

日本人の特徴は、「昨年に引き続き、将来に対して最も悲観的な国民」であること。自分と家族の経済的な見通しについて、5年後の状況が良くなっていると答えた割合は、知識層で31%、一般層で17%と28か国中最低である。知識層と一般層の差14ポイントは昨年の4ポイントより大幅に拡大している。もっとも知識層の楽観的割合が19%から31%に上昇している半面、一般層では15%から17%と僅かしか上昇していないので、世界的に言われているいわゆる二極化の表れと言えそうだ。日本人は悲観的なゆえに、将来に備え貯蓄をしたり、社会変化に対応すべくスキルを磨いたりしながら、知恵を絞ってオイルショックや構造不況を乗り越えてきた。
楽観的な国としてはインドネシアが1位(9割ほど)、インドが3位。これらの国はこれから経済成長の恩恵に与れるという実感を伴った感覚と言えそうだ。一方、2位のコロンビア、4位のブラジル、6位のメキシコ、7位のアルゼンチンなどは根っからの楽観的な国民性が反映したものと思われる。
グローバルでみた知識層と一般層の差も見逃せない。20ポイント差があるのはスペイン、ポーランド、フランス。以下、イギリス、アメリカと続く。欧州の保護主義台頭や、Brexit、トランプ大統領誕生の背景にこういった格差の意識があることは明らかであろう。日本にもこの影響が少なからず出ている印象を筆者は持っている。
それを裏付ける数字がこの調査にも表れている。日本において、「事実はさほど重要ではない」「たとえ真実を誇張しているとしても、私と私の家族にとって良いことをしてくれると信頼できる政治家を信頼する」と答えた人は5人に2人。
自分が信じていない見解を支持する情報を無視する人は無視しない人の4倍。3人に2人の人は自分と意見が合わない情報を遮断し、自分の見解を変えない。
年代を追って新聞を読む人が減り、ネット情報に頼る人が増えてきている。そういう人は自分が興味のある記事にしか目がいかない。新聞も1紙では偏りが見られるので、2紙以上読むという人は極極限られた人であろう(これもネット情報だが、「紙の新聞を1紙だけでなく、2紙以上読んでいる」という人は年収500万円台では6.3%、1500万円以上では32.1%)
組織に対する信頼度もグローバルで見て低下傾向で、NGO/NPO、企業、メディア、政府どれをとっても半数の人は信用していない。特にメディアの昨年比5ポイント低下は注目すべきで、組織や機関の情報に信頼を置く人37%に対して、個々の人々の情報に信頼を置く人63%。玉石混交と言われる発信者不明のネット情報を信用する人の割合は非常に大きい実態が数値で表された格好である。SNSは今後も勢いを増していく存在であろう。日本は28か国中23位、3人に2人はメディアを信用していないわけで、非常に低い数字である。グローバルで見てもメディアの信頼度後退は大きな問題で、ジャーナリズム復活を期待したいところである。
さらに深刻なのはCEOに対する信頼度で、日本は28か国中最下位、18%の人しか信用していない。東芝粉飾決算に代表される不透明な会計処理や、その弁解がましい対応が影響していると言える。CEOの信頼度No.1はインドで、なんと70%の人が非常に信頼できると答えている。グーグルやマイクロソフトなど世界を代表するテクノロジー企業のCEOにインド人経営者が名を連ねている自負がその結果に表れていると言えそうである。ここまでが、トラスト・バロメーターで気になったデータの紹介である。

さて、話は少し変わるが、最近目にしたデータで「労働分配率」が一貫して低下しているという事実である。1977年当時、仏日独英米の順で労働分配率は高く、フランスの80%~アメリカの68%といった幅であった。それが2011年にはイギリス70%~日本60%と平均で10ポイント下がっている。日本のそれは15ポイント下落し、下落幅が他国と比べて最も大きい。労働組合を中心に、最近は政府に至るまで企業に対して労働分配率を上げるよう圧力を加えている。私はその理由として、特に製造現場における労働が機械化・ロボット化によって合理化された結果として、労働分配率が下がり続けているのではないかと推測している。日本企業の内部留保の高さは外部から様々な形で指摘されているところではあるが、企業が溜め込んでいるのは、将来への不安と投資の判断が出来ないという2点であり、労働者に配分したくないと決めているわけではないと思う(最もサービス残業などの側面で労働分配率が低いと感じる部分は少なくないとは思われる)。他国の労働分配率の低下も機械化による側面はあると思うが、日本との比較において相対的には移民による賃金の低下が大きな理由ではないだろうか。

いずれにせよ、AI・ロボットの台頭は止めることのできない経済合理性による行動である。明らかに生産性が上がり、品質が均一向上することは間違いない。しかし、そこからあぶれた労働者を雇用する新産業の育成は容易ではないし、労働者の教育訓練も簡単にはいかない。つまり社会コストの増大を招くわけである。ことによったら企業の自動化推進を妨げる政策への政治的圧力が増すかもしれない。
安価な労働力はが溢れている国で、大勢の労働者が最低賃金でもいいから雇ってくれと列をつくっているのに倉庫を自動化するか?という問いには、経済性からは明らかに自動化するという答えになる。なぜなら既に他国で導入済みであり、ソフトウェアは1本も100本もコストはそう変わらない、複製するだけだ。そして労働品質は均一化され、昼夜なく働くロボットには時間制限もない。そのうち、政治的圧力によりロボットにも労働規制が掛けられるかもしれない。ロボットの生み出す労働価値に課税するかもしれない。密造酒よろしく、隠れてロボットを使う経営者が出てくるかも知れない。世の中、かなり厄介な段階にまで来てしまったようだ。
人手不足で話題の物流業界も、トラックの運転手には個々の指示をしなければならないが、自動運転システムであれば際限なく複製できる。
企業は従業員という側面からさらにスリム化を進めていくだろう。ICTの進展に伴いアウトソースもさらに進み、企業はコア人材だけになってしまうかもしれない。突き詰めていけば、起業するか、企業にプロジェクトごと、あるいはパートタイム的に請われるだけのスキルを持つ人材でなければ、政府に雇用を乞う側の立場になってしまうことになるだろうと、悲観的な日本人の筆者は思ってしまうのである。

鴻海のTV戦略とパネル戦略

2017年2月6日 at 4:49 PM

昨年末の報道であるが、(台湾)鴻海・シャープが共同運営する堺ディスプレイプロダクト(SDP)が(韓国)サムスンに対して、2017年中に取引を中断する意向を伝えた。サムスンは全取引のうちの11%に当たる年間500万台分の液晶パネルをSDP及びシャープから調達していたと言われるが、調達する側も、供給する側も大きな変化があったことは間違いない。表向きは価格交渉で折り合いがつかなかったという理由になっているが、取引を中断するというのは、鴻海サイドの供給方針の転換によることが大きかったであろうことは予想できる。
通常、販売側はなるべく供給先を多様に確保しておきたいものである。価格などの諸条件に加えて、今後の成長性やビジネスのベクトル合致度によって数量拡大したり、取引を縮小したりという戦術を打つのが通例である。取引中断というのは個別の条件闘争の結果で発生するようなことではない。本件は条件が合わなかったというより、供給方針を優先した結果であろうと思う。後日の報道でサムスンは、「突然の通告により、2016年末で供給はストップした」と発言している。サムスンは本件に対して、年末12月22日に仲介商社の黒田電気・シャープ・SDPに対して総額4億2900万ドルの損害賠償を求めて国際商業会議所(ICC)に仲裁申し立てを行ったことから、サムスンとしては供給契約の不履行と捉えているであろう。

鴻海は昨年8月正式にシャープを傘下に収めた。その後、早々にシャープが売却した欧米のテレビ事業の買い戻し交渉に乗り出す方針を明らかにした。2014年9月シャープはスロバキアのUMC(Universal Media Corporation)に欧州AV事業におけるシャープブランドを供与する契約を結んだが、買収以後すぐにそのブランドライセンスビジネスの見直しに動いている(追記:UMC社の持ち株会社の株式の56.7%を2月10日付で取得し、子会社化)。2015年に中国海信集団(ハイセンス)に売却した北米および(ブラジルを除く)中南米におけるシャープブランドテレビ事業も買い戻しに動いたが、こちらは海信集団に拒否されてしまっている。1~2年前に売却したものを買い戻すという行為が成立するとは通常考えられない。鴻海の方針は明確だが、現実論としてすぐに買い戻せるものではないだろう。

時代は遡るが、ブラウン管全盛時代の20世紀において、シャープは自社のブラウン管を持っていなかった。アメリカ企業との連携やブラウン管調達などでTV事業を支えていたが、品質やブランドイメージから安売り製品の代名詞であった。当時の町田社長は「ブラウン管TVを全て液晶に置き換える」という大号令の下、2001年に液晶テレビAQUOSを発売した。翌年には三重県亀山市で第6世代パネルの工場建設を行う発表を行い、2005年には第8世代パネル建設発表、2009年には今もって世界最大の第10世代パネル工場を片山社長時代に堺市で立ち上げた。
シャープの液晶テレビは「世界の亀山」パネルを使った純国産液晶テレビとして国内においては10年以上もシェア40%以上を維持してきた。しかし、海外では全く販売が伸びず、それが大きな誤算となって巨大投資の償却費が重くのしかかり、シャープ転落へのトリガーとなったことは否めない。結果論ではあるが、パネルへの投資とTVの世界シェア拡大の歯車がずれていた。また、第6世代~第8世代~第10世代という進化は純粋な意味においての技術革新ではなく、生産技術の確立による生産コストの低減であって、想定通り液晶テレビの大型化が進まなければ、稼働率が上がらないという欠陥を初めから有していた。

鴻海・郭台銘董事長とは過去何回かビジネスで関わったことがある。郭董事長の韓国嫌いは有名であるが、事あるごとに日系企業に対してこう秋波を送っていた。「技術力の日本企業と生産力の鴻海が手を握れば、韓国企業に必ず勝てる」と。鴻海は様々な日本企業と連携していったが、最終的にはシャープというブランドと日本の技術力を手にしたことになる。
また、郭董事長はソフトバンク孫氏からの要請で、トランプ大統領へのリップサービスとも取れる発言をしている。つまり、米国における雇用創出のために、米国で液晶パネル工場を検討すると新大統領に伝えている。鴻海は昨年末、既に中国広州で世界最大級の液晶パネル工場を新設することを発表している。また、今後需要が急拡大すると期待されるインドでも液晶パネル工場の建設を検討中と年明け早々に報道された。実際投資のタイミングにもよるが、果たして投資と販売の両輪はうまく回っていくのか、旧シャープと同じ轍を踏むのか。

鴻海のTV販売戦略とパネル供給戦略がひとつの方針の下、行われるというのは、日本の大企業においては実際なかなか行われない。事業本部制の下、各事業本部(あるいはカンパニー)の事業最適が最優先され、事業本部業績の総和がグループ業績となっている場合がほとんであろう。グループとしての大方針から事業方針が導かれることは稀といってよい。創業者企業の強みがどこまで大企業の中で機能し成就するか、鴻海の今後の展開から目が離せない。

イスタンブール(トルコ)

2017年1月20日 at 10:41 AM

トルコ共和国の首都イスタンブールはエキゾチックで魅力的な街である。1978年に庄野真代の楽曲で「飛んでイスタンブール」が大ヒットした。その頃は単に異国の地というイメージだけであったが、50歳を過ぎるころから、最も訪れてみたい場所になっていた。地理的には西にヨーロッパが拡がり、東にはアジアが拡がる。その間を隔てるのがボスポラス海峡。海峡の南はマルマラ海、北が黒海で天然の港を擁している。まさに東西の十字路であり、ユーラシア大陸とヨーロッパ大陸のつなぎ目に位置する。
人口は東京都をしのぐ1400万人。歴史的にも世界の大都市として位置付けられてきた。古代ギリシャ時代には紀元前の王の名を取ってビュザンティオンと呼ばれていたとされるイスタンブールは、ローマ帝国においてコンスタンティヌス1世が首都をローマから遷都し、自らの名を取ってコンスタンティノープルと名付けた。以降およそ900年の間は、キリスト教発展の要であり、ローマ帝国(330-395)時代には人口30~40万人を有す世界一の大都市であった。ビザンティン帝国(395-1204, 1261-1453)、ラテン帝国(1204-1261)時代の間でも世界の5指に入る有数の都市であり、様々な民族の商人が行き交っていたものと思う。
1453年にメフメト2世率いるオスマン帝国がこの街を征服し、イスタンブールと改称され、ムスリムを移住させるなどの政策によりイスラム都市化が進められた。また、ヨーロッパから商人を招き入れるなどして商業にも力を入れて、世界一の国際的大商業都市に成長していった(70万人)。オスマン帝国時代の統治はイスラム教国家の君主であるにも関わらず、ユダヤ教やキリスト教を迫害することなく新都に住まわせ、多くの歴史的建造物も破壊することなく、現在に至る多文化都市を形成するに至っている。

ビザンティン建築として有名なアヤソフィアは、その代表例である。350年頃に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、ラテン帝国支配下においてはローマ・カトリック教徒の大聖堂とされていた素晴らしい教会である。オスマン帝国支配下になってからは、モスクの象徴であるミナレット4本が増築され、約500年間はモスクとして使われていた。モスクへの改修に際しては、聖母子像やキリスト教の絵画・モザイク画を漆喰で覆い隠し、「唯一神アッラー」や「預言者ムハンマド」を表すアラビア文字を装飾化して描かせている。 偶像崇拝を禁じるイスラム教国家の君主であるメフメト2世が、見事な建築物であるアヤソフィアの破壊を望まず、現代に引き継いでいるその精神の高邁さは称賛に価する。
1935年の博物館化に際しては、カトリックとイスラムの間で「返せ・返さない」の綱引きがあったということを耳にしたが、結局は聖母子像を覆っていた漆喰を取り除き、聖母子像と唯一神アッラーが隣り合わせで並ぶ異色の博物館が造られることとなった。この博物館は宗教の共存を象徴したものとして毎年200万人もの観光客を集めている。

イスタンブールの歴史は、キリスト教とイスラム教とが、互いの文化を征服しながらも、存在を認め合うことで生き続けてきた場所であり、現代世界の宗教対立や二極化対立に対して、異文化あるいは異質性の共存の一つの型として見ることができるのではないだろうか。
第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は解体され、1923年国父ケマル・アタテュルクによってトルコ共和国が建国された。アタティルクは憲法で(宗教的保守主義ではなく)世俗主義を標榜し、政教分離・近代化政策を採る国づくりを進めた。その結果、イスラムの香りを色濃く残しつつもヨーロッパ的な自由を感じさせるコスモポリタン都市へとイスタンブールは変貌を遂げた。しかし残念なことに、現政権のエルドアン大統領は3期目に入ったころから反政府勢力に圧力を掛け始め、SNSへのアクセスを遮断したり、個人のインターネット閲覧記録の収集などを合法化している。イスラム教育の制度化も志向しており、自由を謳歌してきた若年層を中心に反発が広がっている。イスラム圏を異質と見るEUは、トルコのEU加盟申請を11年間に渡り棚上げしており、エルドアン大統領のイスラム強化政策によって全く目途が立たないという状況となっている(EUそのものの維持も困難な状況がちらちら見え始めてきてはいるが)。

昨年7月にはクーデター未遂事件が発生し、その直後にエルドアン大統領は非常事態を宣言し、今年に入ってもそれを再延長している。市民への弾圧や、相次ぐテロによる外国人旅行客激減で経済は停滞しており、昨年7~9月のGDPは7年ぶりのマイナスとなった。それを反映してトルコリラ安(3ヶ月で20%以上)も止まらない状況が続く。

ケインズはその著書で「経済政策によって(政治的)価値観の対立を棚上げできる」と述べている。つまり、財政政策や金融政策の発動により所得再分配が行われ、(政治)価値中立的な「経済成長」を享受することで価値観の衝突を回避するという考え方である。アベノミクスにしても、成長の減速が続く中国にしても、トランプ新大統領の政策にしても、このケインズの理論を背負っているかのようである。経済が停滞すると対立が表面化する。それを回避するために経済政策を打って取りあえずの緩衝材とする。その結果、多くの国が財政赤字に陥り、手詰まりになっている指導者が政権から降ろされる事態となっている。新しい指導者はいっとき民衆の期待を過大に背負い登場する。しかし、市民の自由を縛る政策、民間の活力を生かせない政策、他国を圧力で制し自国にのみ利益を引き寄せようとする政策は今や機能しない。「有無相通」という言葉がある。一方にあって他方にないものを互いに融通し合ってうまくいくようにするという意味である。いよいよドナルド・トランプ氏が米大統領に就任するが、果たして前代未聞の政策の行く末はどういうことになるのだろうか。

物流再考

2017年1月2日 at 10:53 AM

便利になったネット通販を活用させてもらっています。Amazonの翌日配達(今や当日配達)は大変助かっています。楽天もよく使いますし、ゴルフ宅急便もちょくちょく使います。便利な時代になりました。特に送料無料は魅力的ですね。どこかに買い物に行けば、必ず交通費が掛かりますが、それが不要なのですから。
年末12月30日に以下のような記事がありました。「入社10年以上のベテランドライバーでさえも、朝7時半から夜11時までの長時間肉体労働で、昼食時間も取れず12月に入って3㎏痩せた」というものです。その中でもAmazonの物量とその伸びは群を抜いており、2~3割はAmazonのものとのこと。再配達率は2割弱。再々配達率も4%とドライバーの負担になっているようです。しかも宅急便は1個運んで増える手取りは20円。50個運んでも1000円と実入りが少なく、代表的な3K職場となってしまいました。現在Amazonの配送をほぼ一手に引き受けているヤマト運輸は、「休憩時間が法定通り取得できていないこと(労働基準法34条違反)」「時間外労働に対する賃金が支払われていないこと(同37条違反)」により、横浜北労働基準監督署から8月25日付で是正勧告を受けています。記事の中では、イギリスの宅配事情も紹介していますが、同じように過酷な状況のようです。
また、同月には佐川急便の配達員が荷物を投げつける映像(12月6日付とのこと)がYou Tubeに投稿され、話題となりました。「身勝手な感情でやってしまった。いろいろなイライラが重なっていた。反省している」とこの正社員は事実を認め、今は事務作業に従事しているそうです。
宅配業界では、ヤマト運輸・佐川急便・日本郵便の大手3社による苛烈なシェア争いが繰り広げられています。前述のようにAmazonの成長は著しく、各社にとって是が非でも確保したいビジネスでしょうが、2012年から運賃の適正化を進めてきた佐川急便(2005年ごろ日通のペリカン便に代わり受け持った)は2013年Amazonとの契約を打ち切ります。値上げを求める佐川急便に対し、Amazonはさらなる値下げとメール便にも判取り(つまり再配達要求)を要求し、最終的には決裂しました。代わりにヤマト運輸が引き受けましたが、現場の過酷さは佐川急便と変わるはずもなく疲弊した現場の実態が浮かび上がってきます。
ご承知のようにAmazonは2016年4月6日から送料を有料化しました。2000円未満の購入の場合は350円の送料がかかるようになりました。同時にプレミアム会員を募り、様々な特典を付けながら年間3900円で顧客への送料負担を求めました。タダより怖いものはないと言われながら、私も含めて無料配送に魅入られていました。最近は購入単位(ワインなら6本単位とか)を考え、妥当だと思う送料は支払っています。ポイントが貯まってくれば、送料分くらいは賄えます。
B2Bのビジネスでも、トヨタのかんばん方式に代表されるJIT(Just In Time)は納入回数を増やすことになり、これにかかわる運搬費等が増大したり、また「かんばん」による短期納入、または不測の事態による労働時間の延長等から、下請事業者は危険負担を覚悟しての見込み生産を行ない在庫を増加させるケースが多くなるなどと批判された。納入回数の増加についてみれば、月1回だったものが3~5回に、大物部品は毎日1回だったものが5回に時間納入とされた例もある。トヨタは、内示とかんばんによる納入数量差を3%以内に留めることを目標に掲げ、3ヶ月前から毎月生産数量を内示し、計画は内示のたびに修正されて、精度の高いものにして納入数量差を僅少に留めるよう努めている。しかし、これにより「日当り内示数が、1ヶ月間はほぼ同一となっているため下請事業者も1ヶ月間は同数の要員を配置すればよく、この効果は計り知れない。この要員配置での生産数量の変動は残業での調整が可能であり、それほどのダメージはない」という説明には素直に頷けない取引業者もいるであろう。いずれにせよステークホルダー内での合意形成を重んじなければならない。コストを下回るプライスはいずれ破綻するし、維持されているとするならば、どこかに嘘が隠れている。
さて、話を元に戻すと、2013年9月3日アマゾンジャパン・ロジスティクスは神奈川県小田原市において、新物流センター「アマゾン小田原FC(フルフィルメントセンター)」を本格稼働させ、配送の自社化への足掛かりを築き始めた。
2016年9月27日付のThe Wall Street Jornalでは、Amazonがこれまで米国内での宅配を委託してきたUSPおよびFedExとの契約を解除して、米国内での宅配業務については自社で実施することを検討していると報道されている。
Amazonが宅配業務を自前のものに切り替えた場合、流通コストの面でAmazonに太刀打ちできる業者は存在しないであろうと言われており、流通業界の地図が大きく塗り替えられる可能性が出てくる。今日の顧客が明日の脅威になる熾烈なビジネス競争の中、我々消費者が出来ることは、時間指定しておきながら留守にはしない、宅配ドライバーに「ご苦労様」の一言を添えるくらいしかないのであろうか。
Amazonは将来の配達を様々な形で検討をしている。「消費者の注文前に発送する特許2013年取得」「2017年からレジ無しコンビニ」「配達用無人機を備えた空中倉庫2016年特許申請」「2016年ドローン配送実験を英国で開始」「備品の自動注文サービスDash Replenishment Service(DRS)を2016年開始」などなど。いずれはAIやIoTなどの進展により、欲しいと思ったものが注文しなくても届く時代がやってくることになるのでしょうか。

低下するアメリカとこれからの日本

2016年12月10日 at 4:38 PM

トランプ米次期政権の閣僚の顔ぶれが固まってきた。労働長官にはアンドルー・パズダー氏(ハンバーガーチェーンのカールス・ジュニアCEO)を起用、最低賃金の引き上げに反対するファーストフード経営者で、オバマケアにも反対の立場。現行制度では労働者の負担が増えて外食費が減ると自らのビジネスへの悪影響を主張。環境保護局長官にはスコット・プルイット氏(オクラホマ州司法長官・石炭石油業界から多額の献金を受ける)を起用。地球温暖化に対応しオバマ大統領が進めた石炭火力発電所規制に反対の立場、シェールガスやシェールオイルの追い風もあり、化石エネルギーへの回帰が起こると予想されている(トランプ氏は温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」からの離脱を示唆。一方、習近平氏は「パリ協定」を支持と好対照)。厚生長官にはトム・プライス氏(下院予算委員長・整形外科医歴20年)を起用。オバマケアには反対、同性婚禁止の憲法改正を主張。運輸長官にはイレーン・チャオ氏(ブッシュ政権の元労働長官・アジア系アメリカ人女性として初の閣僚・中国政府と強いパイプを持つ)を起用、規制緩和推進派。中小企業局長にはリンダ・マクマホン氏(プロレス団体WWE元CEO。TVにも出演し抜群の知名度と資金力を持つ)を起用、起業家支援を強化するとされる。その他では。財務長官にはスティーブン・ムニューチン氏(ゴールドマン・サックスの元幹部)、商務長官にウィルバー・ロス氏(知日派の投資家・LBO専門の企業再建王)を起用。外交を司る国務長官にはエクソンモービルのティラーソンCEOが最有力候補と報じられてる。総じて、オバマ政権が進めてきたリベラル路線(オバマケアに代表される厚い福祉路線、比較的社会主義的色彩を帯びた所得再分配派。極端な市場主義には反対)からの転換、つまり規制緩和により市場自由主義をを標榜していく経済政策と、アメリカさえ良ければいいという国家主義政策が鮮明になってきており、政治経験がなく、外交手腕も未知数な、主にグローバル・エコノミーで成功した経済人を中心に構成しつつあるということである。

一方、トランプ氏が当選したら株価は暴落・ドル安になると大方の経済専門家が予測したのに反し、当選後すぐにNYダウ続伸・ドル高進行。日本の株価も円安を好感して日経平均19000円を付けた。市場では、トランプ氏の掲げている①財政出動で雇用創出、②大幅減税や規制緩和で経済を活性化(一方、パナマ文書で指摘されたような米大手企業や富裕層の利益移転・租税回避に対して一律10%のみなし課税を課すなどの海外課税強化)はロナルド・レーガンが行った経済政策(規制緩和による市場原理導入・減税刺激策・軍事費拡大⇒貿易赤字と財政赤字の双子の赤字を抱える。企業の投資資金は買収合併に向かい、株式バブルを生み、1987年のブラックマンデーではじけた)に酷似しており、バブルを作って、バブルがはじけると早くも予測する向きがあります。

トランプ氏の選挙スローガンは「Let’s make America greater again」ですが、これはレーガンの選挙戦でのスローガン”Make America Great Again”と全く同じです。スローガンは閉塞した白人労働者層には耳障りがいいですが、選挙中の公約は支離滅裂・論理矛盾のオンパレードで、実際どのように政権運営していくのか、今もってTwitterから放たれる「トランプ方針」は熱狂的な支持者以外には、不安を増幅させる効果しかないようです。

そういった威勢の良いスローガンを掲げて、閉塞感と停滞感に苛まれた多くのアメリカ人の期待を惹きつけざるを得ないほど、アメリカは明らかに超大国の看板を下ろさざるを得ない状況になっています。アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントン教授は1996年に執筆した「文明の衝突」で覇権国アメリカの力が相対的に低下し、中国やその他新興諸国のパワーが高まりつつある中で世界秩序のさらなる混乱が予想されると、現在の状況を見事に喝破しました。相対的地位の低下とは、アメリカの圧倒的・絶対的に優位な地位が、新興国が力を付けてきた結果、アメリカとの差が縮まったと解釈できると考えます。しかし、今起きているアメリカの地位低下は絶対的な低下と見ることができます。今回の大統領選の候補者同士の討論もお互いの過去の醜聞やスキャンダルを非難し合い、足を引っ張り合うことに終始し、政策論争はほとんど行われていませんでした。世界を主導してきた指導的国家アメリカの世界に向けてのメッセージはすっかり影を潜め、アメリカ第一とばかりに、偏狭でモラル・ハザードに侵された「並みの国」へ向かう現況を露呈したものと思います。

日本はトランプ氏が放棄した(と見える)TPPをいち早く国会承認し、他国にも早期批准を呼び掛けています。国防面では憲法上の規定からいまだ多くをアメリカに頼っていますが、経済面ではもうアメリカの顔色を窺って政策を進める必要も意味も無くなったように思います。イギリスは最初の民主主義国家の矜持をもってBREXITを選択し、ポピュリズムと覇権主義から一歩退いた形を取ったという見方もあながち見当違いとは言えないかもしれません。覇権国家中国も強権国家ロシアも多くの国から嫌われています(人種ではなく国家のことです)。アジアでは唯一最も好かれている国の上位に選ばれている(英BBC世界世論調査「世界に良い影響を与えている国」2006-2014で常に上位5位以内に入っているアジア唯一の国が日本)日本が、アジアの安定と平和にとって、そして世界にとって無くてはならない国になるために、文化的にも経済的にもより価値を高める努力を怠ってはいけないと強く思います。日本文化を肌で体験しようと多くの外国人観光客が訪れてくれています。質の高いインフラ輸出などは、単に札びらを見せびらかし、表面の価格だけを魅力的に見せて受注し、中身はすっからかんの仕事をする某国とはわけが違います。

現在、日本政府が「世界貢献年表」を作成中ということを聞きました。奥ゆかしい日本人は過去にODAや様々な人的貢献も含め「あれをやってあげた、これをやってあげた」と声高にアピールすることを良しとしませんが、世界外交の渦中では、お人よしでは生きてはいけません。アメリカは既に「世界の警察官」を放棄しています。その結果、世界は明らかに不安定になっています。この機に乗じて覇権主義をさらに拡張する強国が出てきているのは皆さんご承知の通りです。弱小国はその波に飲み込まれないように、したたかに外交政策を行うでしょうから、外から見れば一貫性のないことも多々あります。歴史を見ても外交は二枚舌が当たり前です。覇権国とそれにすり寄る弱小国を除けば、世界中の日本への期待はこれまで以上に高まっています。国内では良き日本文明を堅持し、国力を増進する。国外に向けては、リーダーたる見識を持って、しかし驕ることなく自信をもって主義主張を展開していくべきです。国力を失った国が過去どのような末路を辿ったか、現実を直視しないで国民の生命と財産を維持することがいかに困難かは、多くの歴史が証明していることです。日本の資産は金融1500兆円、土地・建物などの固定資産が1000兆円と言われています。負債も400兆円ほどありますが、純資産で2000兆円以上あることを考えれば、5兆円の国防費が高すぎるなどとは言えないはずです(災害の際にも自国民を命を懸けて救助してくれます。その為の訓練を日夜行ってくれています)。もっと社会保障(すでに30兆円超)にという声もありますが、日本が覇権国に攻め込まれた時(物理的に攻め込まれないにせよ、サイバー攻撃や内乱誘発などのスパイ行為なども含め)には数百兆円があっという間に消失します。アメリカの地位低下が進む中、何が大事か改めて考えさせてくれるトランプ現象(アメリカに留まらず欧州でも地殻変動は起こっています)であると思います。

善と悪の経済学

2016年11月2日 at 4:54 PM

「善と悪の経済学」はチェコの経済学者トーマス・セドラチェクが2009年に出版した一般の経済学の著作とは一線を画す意欲作である。経済学の境界を遥かに超え、その語り口は古代まで遡った歴史・哲学、そして倫理学・心理学にまで及ぶ。数学的と捉えられがちな経済学が内包する多くの要素を幅広く論じたこのような著作に出会ったのは初めてである。
今年のノーベル経済学賞は米2教授が「不完備契約の理論」で受賞した。人々は将来起きることを全て事前に知って契約を結ぶことはできないことを指摘し、そのような不確実性の要素(情報の不完全性)をどのように契約において処理すれば良いのかを論じている。新古典経済学が、情報の完全性と将来起こる確実性を人々が有しているという仮定に立って、人々が自己利益の最大化を目指しても市場が社会の利害を自動的に調和させるとしたモデルに対して、現実的な処方箋を提示したと言える。経済学は比較的新しい学問であるが、扱う領域はこのように社会・政治・経済・公共等と不可分であり、実はかなり幅広い領域を扱う学問である。
さて、話を元に戻そう。現在、ほとんどの企業では右肩上がりの成長を当たり前のこととして事業運営を行っている。しかし、未だに日本経済の失われた20年は転換の兆しは見えず、成長の道筋は見えてこない。アベノミクスも新三本の矢も日銀の金利政策も効果が出ているとは言い難い。世界中を見渡しても通貨安競争による国家的な利益誘導や、貧富の格差拡大に伴う治安の悪化等が広がっている。的を得た戦略で成長し続けている企業はあるが、ほんの一握りであろう。「善と悪の経済学」の根底には、そもそも経済成長は善なのかという根源的な問いが流れている。
セドラチェクは人類最古の文学作品であるギルガメシュ叙事詩から紐解き始める。古代メソポタミア(紀元前26世紀頃)に実在したと言われる都市国家のギルガメシュ王の冒険譚である。そこには、人間的な部分は労働の邪魔とばかりに、人々をロボットのように効率よく働かせようとする支配者がいる(効率追求の考え方)。ギルガメシュに代表される支配者の欲望は限りなく広がり、永遠の生命を求めて冒険に出るが、最後まで満たされることはなく、虚無感に陥るギルガメシュが描かれる。ここでの歴史観は循環史観。つまり、歴史はどこへも向かわない。自然の営みのように成長することなく時は繰り返す。善も悪も何の脈絡もなくただ起きるといった世界観がそこにはあった。
旧約聖書(紀元前6~4世紀)では、歴史に進歩という概念が登場する。つまり歴史には始まりと終わりがあって、ユダヤ教のメシア(神が救世主を現世に送り人々が救われる)を待ち望むという歴史観である。歴史を良い方向に向かわせるには倫理観が重要であるという考えがある一方で、善は報われるがそれは現世で清算されなければならないもの、あの世という概念はなかった。労働は喜びを与えてくれて、社会的地位の裏付けにもなるものと位置づけられた。安息日には神に倣いその達成感を味わい、成果を楽しむという意味合いがあった(現代の日本の多くの労働者に見られる、週末に労働の疲れを癒し、また次の週に向けての生産性を回復するといった考えは全くなかった)。
古代ギリシャ時代(紀元前4~3世紀)には、ソクラテス・プラトン・アリストテレスなど西洋哲学の源流と言える思想が発展した。この頃は支配層・軍人・生産者(最下層)という階級制が敷かれ、労働は生きるために必要なものではあるが、それは低い階級のものがやること。エリート層は芸術・哲学・政治などの精神的活動に専念することが善とされた。アリストテレスは「人間は社会的動物である。個人の幸福は社会全体の幸福である」として、都市市民の合理的な自己利益追求を肯定している。
この時代のストア派とエピクロス派の二派は現代の経済学へ連なる基本的な思想として位置づけられる。ストア派はディオゲネスに代表されるように、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考え、そのため肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。経済学に照らして言えば、需給バランスは需要を減らして、供給を減らすことで均衡させる。つまり、物欲を捨て去れば、時間の浪費である労働は減らせる。それが人間にとっての幸福。ストイック(禁欲主義的幸福)は、このストア派が語源になっていることはご存知の通りです。
一方のエピクロス派は快楽主義者とも言われ、財産が多いほど、人間は自由になると考える。需給バランスは需要を増やせば、供給が増えて、成長するという考え方です。そして、利己主義(善は効用の一要素に過ぎない)・将来予測・損得計算(現代の経済学が拠って立つところ)といった思想が発展していく。この思想がのちのスチュワート・ミルに代表される「利己主義に基づく行動原理こそが人間の行動の唯一の原動力」との考えに至り、目的は手段を正当化するといった論陣が張られる下地となります。
新約聖書(1~2世紀)では、この世にない楽園(天国)という概念が登場してくる。現世には必ずしも正義はない。現に正義の人が苦しみ、不正義の人がのうのうと暮らしている。しかし善行を積めば、あの世では報われますよという教えです。旧約聖書では現世が主役ですが、新約聖書では現世は脇役に退きます。それほど現世は不条理だったのでしょう。現世のみで生きるユダヤ教徒と、天国に行くためにこの世があるとするキリスト教徒では基本的に相容れないのがよく理解できます。
時代はぐっと進んで、アダム・スミス。1759年に発行された「道徳感情論」では倫理か富かを論じています。人間は利己的ではあるが、その生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない「共感」があり、それが社会を結びつけている。それゆえ、人間は慈悲、正義、寛容、公共心といった自己抑制を働かせて良心に従った行動を取るという性善説に立っています。有名な「市場の見えざる手」については、自分の利益を追求する方が、実際にそう意図している場合よりも効率的に社会の利益を高めていることが多い。社会のために事業をやっている人が実際に大いに社会の役に立ったという話は聞かないと論じています。
さらに時代は進んで、「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936年)で有名なケインズ。利子と資本蓄積が近代の進歩の契機となったことを述べています。実はこれまで触れてきた古代からの聖典では利子を取ることを禁じています。イスラム世界では今でもこの教えは生きています。新約聖書では、同胞から利子は取ってはいけないが、異教徒からは利子を取ってもいいと記されています。日本人には理解できない感覚です。
ケインズは著作の中で、100年後にはニーズは経済的に満たされるであろうと予言しています。その「経済的至福」に達する4つの条件として、⓵人口の増加を抑制する能力、⓶戦争と内戦を回避する決意、⓷科学の方が適切に解決できる問題は科学に任せる意思、⓸資本蓄積のペース(生産と消費の差によって決まり、前3条件が整えば高まる)を挙げています。現在が4つの条件を全て満たされている状態とは言えませんが、地域を限定すれば、かなり満たされつつあると言えるかもしれません。ケインズが予言した通り、これが世界的な経済停滞の要因なのでしょうか。
ケインズは「アニマルスピリット」という言葉で、もし人々が定量的な便益に定量的な発生確率をかけた、加重平均の結果として決断をくだすならば、事業は衰退して死ぬ。人々を不経済かつ不合理な冒険に駆り立てる精神が経済を発展させると論じています。ゲーム産業等のエンターテインメントビジネスは、様々な手法で、疑似的な精神的不足状態を創り出して、人々を仮想の冒険に駆り出し、経済を成長させているビジネスモデルなのかもしれません。
そして20世紀後半、経済的発展が幸せをもたらすとするサミュエルソンやフリードマン全盛の時代になります。二人ともユダヤ系であるということは偶然ではありませんね。
今や成長が強迫観念となって、借金を背負い込んででも成長をしなければならないと思い込んでいる経済人が圧倒的に多いでしょう。富裕層もさらに利益を得ようと投資目的で借り入れをする時代です。最近、GDPの精度の問題が議論されていますが、今のGDPは債務の助けや金利の助けを受けている数字であって、未来から現在に価値を移動させたとも言えるわけです。GDPを成長させるための莫大な借金は給料の前借みたいなもので、もう前借する将来の価値が枯渇してきているのかもしれません。国家の財政赤字も同様に前借構造となっています。著書では国家はGDPの最大化より、債務の最小化を目指すべきと指摘しています。アベノミクスの考え方とは全く逆です。
さて、古代の幸福論に戻ってみましょう。何ものも必要としない人たちが幸福なのだとすれば、死者が一番幸福だという事になると、ソクラテス以前の哲学者ゴルギアスが述べています。だとすれば、満足を知らない億万長者は、満足した貧乏人よりはるかに貧しいという理論になります。現代では、豊かさが新たな問題を生み始めたと言えるでしょう。お金はたっぷりある、目の前にあるデザートは10種類もあり、そこから一つ選ぶのは苦痛。全ては食べられないから、どれを選んでも幸福にはなれない。無理矢理全部食べれば、胃もたれ、肥満、病気。昔は人々に今ほどの知識はなかったですが、徳や万人の幸福を汚すものはありませんでした。進歩とは人間の基本的条件を大幅に改善してくれるものですが、その偏在が大きな社会問題を生んでいます。古代から警鐘を鳴らしているように人間の欲望にはきりがないようです。「老子」に「足るを知る者は富む」とあります。足るを知ることが幸福への近道なのだと感じます。環境経営・3R(Reduce/Reuse/Recycle)・Sharing Economyなど循環型経済を志向するキーワードも数多く出てきました。資本主義の終焉などと言われる昨今ですが、成長資本主義が終わりを迎えているだけで、資本主義そのものは健在であると思います。成長のくびきから解放されれば、多くの人が幸福に近づくのではないかと思う今日この頃です。

TPPの行方

2016年10月9日 at 2:59 PM

アメリカ大統領選挙が佳境に入ってきました。不人気者同士の対決とメディアに揶揄されたトランプ候補とクリントン候補のどちらが第45代アメリカ合衆国大統領になるのか、国内のみならず、世界でも注目を集めています。
このお二人ともオバマ大統領が進めてきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対の意向を示しています。共和党の指名候補トランプ氏が反対するのは立場上わかるとして、同じ民主党内でTPP推進の一員であったクリントン氏が選挙戦にあたって、TPP反対を表明したのは、変節してしまったからなのでしょうか?
直近の10月3日接戦州のオハイオで、クリントン氏は「アメリカの労働者にとって不公平な内容で、選挙後も、大統領になっても反対する」と改めて強調し、弱点とされる白人労働者層の支持拡大を図ったとされています。国務長官時代のクリントン氏はTPPを「関税障壁を低くする一方で基準を高め、一段と質の高い成長を後押しする」と述べて推進していました。しかし、交渉中からと言うか、選挙戦を意識した時から「内容には反対していた」と先のTV討論会で述べています。
一方、日本側は、もう一年も前になる昨年10月5日、TPP交渉の大筋合意にこぎつけた甘利(当時)TPP担当大臣が「米国に対してモノを言えるのはやはり日本が一番なので、かなり私も直接に色々なことを申し入れたし、それはある部分、他の国を代表している言葉にもなった」などと自らの努力とその成果を語っています。
どちらにせよ、交渉事で多少のうまくいった、いかないはあって当然で、10戦全勝というのは交渉事には存在しません。個々の案件で譲歩と利得があり、国内向けに総合してうまくいったという各国の総意があって、交渉は妥結します。ゆえに、個々の案件を取り上げて、これは譲歩しすぎ、不利であるということは、どの国にもあって当然のこと。それを国内政局向けに便利に使うのは見苦しいが、それが政治と言えば、それが政治であり、最近のポピュリズムに不安は隠せない。
甘利元大臣はURへの口利き疑惑で、今年2月4日のTPP協定署名に参加できなかったが、この時点で3000ページとも言われる条文が確定したことになる。つまり、交渉に参加したオーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、米国、ベトナムの12か国全てが国の名において合意したことになるのである。
参加国の交渉当事者は交渉をまとめ上げたと安堵する一方、その周辺はTPPそのものを政局の道具に使っているだけであって、個々の発言にあまり大きな意味はない。当事者である安倍政権はTPP批准に向けて、麻生財務大臣のG20出席を取りやめて、国会でのTPP早期承認を優先させる意向である。交渉参加国から見れば、アメリカと日本、どちらが信用に値するであろうか。答えは明らかである。
ご存知のように、TPPはその域内の国内総生産(GDP)の合計が85%以上を占める6か国以上の批准があれば、発効出来るという条項が盛り込まれている。12か国のうち、政情不安定などにより数ヵ国が批准出来なくても、域内の60%を占めるアメリカと18%を占める日本、そして少なくとも4か国が批准すれば、自動的に発行されるという保険をかけていたのである。まさか最大国のアメリカがこのような事態になろうとは誰が予想したであろうか。
筆者の想像では、アメリカはこの圧倒的数字を背景に、交渉の中心人物であったフロマン米通商代表が相当有利な交渉を進めたものと推察する。メディア報道の多くが、自国の個別産業への影響を関税率を引合いに損得あるいは経済効果を算出しているが、貿易の結果はそういった数字のみで決定付けられるものではない。言うまでもなく、最終的には価値の高いより良い商品・サービスが消費者に受け入れられるのである。関税のハードルを限りなくZeroに引き下げていけば、なおさらその傾向は顕著になろう。
TPPにおいて、もう一つ見逃せない、かなり重要な意味を持つものが、「内国民待遇」である。「内国民待遇」とは、自国と同様に相手国の企業や人を扱うという規定である。要するに、あらゆる分野の経済活動において、日本政府は相手国の企業や人を自国民と差別して扱ってはならないということである。これを読みかえれば、国民の権利や財産を守る国の法律よりもTPPの規定(条約)が優先されるということであって、TPPに違反(あるいは違反の疑い)があるような案件は、ワシントンにある国際投資紛争解決センター(ICSID)へ持ち込まれ、個人も企業も国の後ろ盾無しに戦わなければならない状況があり得るという事である。

客観的に見て、レイムダックのオバマ政権が次のアメリカ大統領就任の来年1月までに議会承認を得ることは非常に困難な状況で、議会審議及び批准可否はほぼ間違いなく次の大統領の代に委ねられる。
グローバル経済と資本主義は、世界で見ても、国・地域単位で見ても、一部の成功者と大勢の敗者を生むこととなった。TPPの精神もさらなる自由貿易という意味ではその延長線上にあり、世界貿易が活発化したとしても、果実を得るのはやはり一部の賢い人たちだけになる可能性は否めない。いわゆる格差をさらに拡大するだけの結果に終わり、世界をさらなる混沌の世界に引きづり込んでしまうことになるかもしれない。
TPPの批准が正解なのかどうか私はわからない。方向性は正しいとしても、事を急ぎすぎたのかもしれない。BREXITはその一面でもあろうし、いくつかの国で台頭する保護主義の動きも国民の反射的なWaveなのかもしれない。しかし、もしTPPが批准されずに終われば、アジア経済圏の主導はRCEP(東アジア地域包括的経済連携)日中韓印豪NZの6カ国+ASEAN10か国(インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス)に確実に移行するであろう。すると今後成長するアジア地域において、アメリカは中国に主導権を与えることに繋がる。ひいてはアメリカの成長鈍化、そして日本の後ろ盾であるアメリカのアジアにおける存在感の希薄化に繋がる恐れがあろう。個人的にはアメリカが大統領選挙後に冷静かつ賢明なビジョンを堅持して、今後の成長を担うアジア圏に錨を降ろし、かつ不安定要素を深めるアジア地域において一定の存在感を当面は示し続けてもらいたいと思っている。

複雑系の知

2016年9月18日 at 6:07 AM

「複雑系」と聞いて、皆さんはどのようなものを想起するだろうか? どうやら単純ではないのだろうとは推察できるが、一体どういうものであろうか?
Wikipediaでは、「相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう」とある。
筆者は過去にもこの「複雑系」に興味を抱き、何冊かの本を読んだことがある。学問的にどのあたりから複雑系への体系化の試みが行われたのかは定かではないが、遡っていくと、「全体は部分の総和に勝る」というアリストテレスの言葉にまで行きつくようである。人間はそもそも自然と対峙する形で生活してきた。その中で様々な知恵を生み出し、より詳しく知りたい、危険を賭してでも調べたい、真理を見極めたいという思いが、様々な学問が枝分かれし、専門化していき、数々の発見・発明をしてきた。アメリカの医療は日本と比べると高度に分化しており、筆者も何度かアメリカのPodiatrist(ポダイアトリスト)足の専門医にお世話になったことがあるが、その診断や治療の素早さと的確さに感嘆したことを印象深く記憶している。

最近、田坂広志氏の「複雑系の知」を読み直してみた。長らく学問は「要素還元主義」、つまり複雑なものを単純なものへ分割して研究することで成果を上げてきたが、分割したものを総合という名のもとで集めても本質には行きつかないと解説している。「生物の時間にカエルを解剖し、内部構造を調べて、元に戻して縫い合わせても生き返らない」という例を挙げていますが、最近の神の手を持つ外科医は人の内臓を丸ごと外に出して、悪性腫瘍を取り除いて、体内に戻すという医療を実施しています。言わんとするところは、「総合企画部」とか「総合管理部」とか、「総合」という名の組織はあるが、ほとんど機能していない。なぜなら、色々な部の情報を集めてまとめているだけであって、付加価値を付けていないことを揶揄していると考えるべきでしょう。
水の分子は集まり方で気体・液体・固体の三態を表しますが、それぞれ性質は異なります。雲一つとっても無数の種類があります。H₂Oは決してひとつではありません。液体の水だけ研究してもH₂Oの本質には行き当たりません。
では、どうしたら本質に行き当たるのか? 事・モノの本質は関係性にあるとしています。橋の本質は河を渡るものである。目の前にある橋をコンクリートと鉄筋の複合構造物と定義することはできるが、コンクリートと鉄筋の複合物には、ビルディングもあれば、競技場もある。もしかしたら、単なるオブジェかもしれない。橋の本質は、河を渡りたい人間と、それを遮る河との関係性にあるということです。神が創造した人間の臓器はそれぞれが関係してその全体を保っており、肉体と精神も繊細なる関係性を維持しながら、ヒトの生命を司っているのです。モノの本質に迫るには、洞察と直観、つまり大局観を大切にして、ありのままを観察する。先入観にとらわれず、個別事象が全体を表しているかのような錯覚と誤解を排除し、全体を把握しようとする姿勢が大事なのであろうと思います。筆者はブルース・リーの名言「Don’t think, feel.」を思い出しました。

田坂氏は「管理のパラダイムの限界」についても言及します。理想的な社会や組織の設計をしても機能しない。人間は思い通りには動かない生き物。個の自発性が全体の秩序を生み出すものであるとしています。創発を促すことで自発的に組織が機能する様をSelf Organizationと定義しています。社会をより良くしていこうとすれば、「変えよう」とせず、「変わる」ことを促進すること。「起こす」から「起きる」に発想を転換することが必要であると説いています。
つい先日、西口泰夫氏(元京セラ会長・ソシオネクストCEO・技術経営博士)の話を伺う機会がありましたが、「技術を活かす経営の実践」というお題の中で、「部分最適追求力を高めて、全体最適創出を図ることが重要」と語られていた。筆者の中では「個別」を「個人」と読み替えて、個々の力を充分発揮せしめて、組織(企業)としてはミッション・理念を共有し、ベクトルを合わせることが重要であると理解しました。両氏の見解は基本的には同根なのであろうと思いました。

田坂氏は、「分離の病」と称して3つの分離を指摘しています。
①「知と知の分離」専門主義に陥り、専門用語を駆使し、部外者を排除し、迷宮に入り込む
②「知と情の分離」関わるのは血の通った人間であり、人は共感がなければ動かないにも関わらず、客観主義に傾倒しすぎてしまい、理屈だけで押し通そうとする
③「知と行の分離」企業や組織で分業主義が進み、全体の責任者が不在となり、無責任病が発生。うまくいかなかった時には責任のなすり合いが始まり、誰も反省することなく、同じ失敗を繰り返す
「安全な高み」にいる経営層・管理職と、「現実の深み」に嵌りがちな最前線・現場作業者の分離は、多くの企業が抱える全体最適実現の困難さを語っています。
陽明学では「知行合一」と言われますが、知っていても行いが伴わなければ、知らないことと一緒であるという教えは、分業化した現代の全体最適へベクトルを合わせるひとつの処方であると感じるこの頃です。

米軍基地とは

2016年8月13日 at 11:59 AM

8月に入って突然、沖縄県・尖閣諸島をめぐり日中関係が緊迫化しています。中国は尖閣だけでなく、対韓国(THAAD配備に対する報復)、南シナ海(戦闘巡行)でも強硬姿勢に出ているようです。尖閣諸島近海では300隻もの中国漁船が来襲し、その漁船を守るかのように中国公船も多数随行していました。そのうちの延べ17隻が接続水域(領海からさらに12カイリ・約22km)のみならず、領海(領土から12カイリ)に入域するという暴挙を犯しました。日本側は毎日のように抗議をエスカレートさせ、9日は岸田文雄外相自らが程永華・駐日本中国大使に抗議する事態にまで至りました。
米国務省のトルドー報道部長は10日の記者会見で、尖閣諸島周辺で中国公船が航行していることについて「尖閣諸島に対する日本の施政権を傷つけようとするいかなる一方的行動についても米国は反対する」と懸念を表明し、中国を牽制しました。これは、1972年の沖縄返還以来、尖閣諸島は日本の施政権下にあり、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であることを重ねて強調したことになります。
そうした折、尖閣列島付近の公海(領土から200海里外側)上で11日にギリシャ船籍の大型貨物船と中国の漁船が衝突し、漁船の乗組員14人のうち6人が海上保安庁の巡視船によって救助され(8人が行方不明)、中国側からは謝意(日本側が表した協力と人道主義精神を称賛する)が伝えられたとしています。一方、中国のネット上では「中国海警局の公船はどこにいたのか?」「海保による救出は日本の実効支配を証明したもの」等と批判する書き込みも目立ったとのことです。

沖縄というと、選挙の度に基地問題が取り沙汰されます。沖縄ばかりに米軍基地が集中していると報道でも大きく報じられています。果たして実態はどうなのであろうかと調べてみました。
日本の米軍基地の数は130か所、面積にして1024㎢(国土の0.27%、東京都の半分弱 小泉親司著『2013 日本の米軍基地』)あり、沖縄には32施設、230㎢(沖縄全土の10%強)あるので、米軍基地の22%強が沖縄に集まっていると言える。基地数で次に多いのが北海道で18施設、面積でいえば沖縄よりも広い335㎢(北海道全土の0.4%強)を米軍基地が占めています。次いで神奈川16施設(21㎢)、長崎13施設(4.5㎢)、東京・広島が7施設。面積では静岡89㎢、大分56㎢、静岡・宮城46㎢などが上位県になります。47都道府県のうち、27都道県に何らかの米軍基地が存在していて、駐留人数では軍人が4万4850人、軍属や家族を入れると9万4217人(2008年外務省発表)で、半数近くが沖縄に集中しています。駐留人数の多さが際立っている点が、沖縄における米軍基地嫌悪感に繋がっている大きな要素なのだろうと推察できます。

米軍基地というと米軍が駐屯し、米国が使用している基地と思われますが、50か所の米軍基地は自衛隊も使用していて、有事の際に共同作戦を実施できるように日々訓練を行っています。有事に際してはこのインターオペラビリティ(相互運用性)が大変重要になります。米国が日本と共に日本の領土及び極東の安全を守り、そのために日本が米国に基地を提供することが日米安全保障条約で定められています。

しかし、基地があることでの問題や弊害も指摘されていることです。航空機事故、騒音被害、環境問題(実弾演習による自然破壊、有害物質流出)、電波障害、米兵による事件などがその代表的なものでしょう。米兵や軍属による犯罪は取り立てて大きく報道される傾向がありますが、犯罪発生率で言うと、沖縄全体では人口比0.36%、米軍によるものは0.16%(平成21年)。数字の上では米軍の犯罪率は沖縄全体の半分以下ですから、特段、米兵が凶悪で粗暴であるという姿は浮かび上がってはきません。基地内で起こった事件はカウントされていないので、フェアではないという意見もありますが、基地内であれば、気にしないという理屈もあるでしょう。犯罪そのものは憎むべきもので、個々のケースで公正に裁かれていくべきものですが、個別事件を無理くり帰納法的に「米軍憎し」と結論づけるのは論理的ではないように思います。警察庁の平成24年犯罪統計資料によれば、日本における外国人の犯罪は1位:韓国・朝鮮(3994人)、2位:中国(1252人)、3位:ブラジル(410人)、4位:フィリピン(380人)、5位:アメリカ(187人)となっています。

国家(政府)の最大の責任は、国民の生命と自由と財産を守ることにあります。それは国内の凶悪な犯罪や暴力事件から国民を守るだけではありません。言うまでもなく国外からの侵略や拉致・人質事件を未然に防ぎ、万一それらが起きた時には全力を挙げて国民の生命・自由・財産を守ることが国家の使命であります。憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。この規定は個人の人権保障の規定であると同時に、国政を担う政府の責務を定めたものでもあります。国内で暴力団などが地域住民の生命を脅かす事件を起こしたような場合、政府は責任を持って警察官を派遣して、被害を受ける危険のある住民・国民を守る義務があります。それゆえ実効性を担保する上で、警察官は拳銃の携帯・所持を許可されているのです。同様に日本のある地域に外国軍隊が侵入し、そこに住んでいる国民の生命や財産が危険に陥ったような場合、国家は実力をもってその違法な侵略行為から国民の生命を守る義務があります。国の自衛権の根拠はここにあります。米軍基地撤退・自衛隊反対の人たちは警察も不要と言うのでしょうか?

将来、米軍が日本から撤退したとしても、北海道や沖縄の基地はなくならないでしょう。国民の基本的人権が尊重される以上、日本自身で国土を守ることは放棄できないからです。北方も南方も国土を守る上で重要な要所です。日本海側も強化を図らなければならないかもしれません。日本は幸いにして地続きで国境に接していませんから、水際で守る体制が最重要になります。日本の領土の北端(日本の主張は択捉島であるが、ロシアに実効支配されているため、施政下では弁天島)、西端(与那国島)、南端(沖ノ鳥島)、東端(南鳥島)を守るための重点基地配備は至極当然で、国民主権の基本に即しています。それを否定する人は他国のスパイであるとの疑いを持たれても仕方がないでしょう。

強面の中国はどこまで続くか

2016年7月20日 at 8:54 AM

国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所は今月12日、南シナ海での中国の海洋進出を巡り、中国が主権を主張する独自の境界線「九段線」に国際法上の根拠がないと認定しました。中国は1996年に同条約を批准していますが、判決は「紙くず」として受け入れないという声明を発表しています。この裁判はフィリピンが2013年1月に提訴し中国は拒否したものの、3年半かかって中国の主張に根拠はないという審理結果が出ました。この裁判は相手国の同意がなくても一方の国の意思だけで始められるのですが、強制力がないので、冒頭の「暴言」が中国から発せられたわけです。5人の仲裁人に関しても中国側は「公正でない」と批判していますが、フィリピン人妻を持つスリランカ出身の所長はガーナ出身の所長に交代していますし、その他にはフランス人、ポーランド人、ドイツ人、オランダ人それぞれ海洋法に詳しい人たちが人選されています。

仲裁裁判所での案件には過去、国際環境保護団体グリーンピースのオランダ籍の船アークティック・サンライズ号が2013年9月、ロシアのガス田に近づいて運動家がやぐらに乗り移ったので、ロシアが拿捕した事件があります。オランダは国際法違反だとして仲裁裁判に申し立てを行い、仲裁裁判所がオランダの主張を一部認めてロシアに賠償を命じましたが、ロシアはこれに応じていません。
逆に紛争の両当事国が判決を尊重して従ったのが、バングラデシュとインドがベンガル湾で境界を争った事例です。バングラデシュが2009年に仲裁裁判所に申し立てをして、判決が出たのは2014年7月と5年かかっています。両国間の長年の懸案であった海域は約8割をバングラデシュ管轄、残りの2割をインドの管轄という判断になりました。インドは境界が確定すれば、資源開発が進められるとして判決を受け入れています。

仲裁裁判の結果は強制力を持たないので、それでは意味がないとする向きもあるでしょうが、それは必ずしも正答とは言えません。国際組織は一見、公正に運営しているように見えますが、決してそんなことはありません。国際政治の裏舞台は権謀術数が蠢いています。
もし仲裁裁判所が強制力を持てば、その国際組織を牛耳ろうとする力学が必ず働きます。近々の事例では、ユネスコ(国連教育科学文化機関)において中国が「登録小委員会」に働きかけ、南京大虐殺を記憶遺産に仕立て上げました。当時20万人しか市民がいなかった南京において30万人虐殺されたとする反日工作です。南京陥落まじかには中国軍兵士が軍服を脱ぎ捨て、南京市民を殺し、市民に化けて安全区に逃げ込んだりしているのです。日本軍の南京占領後、南京市民は25万人に増えているのですが、もし大虐殺があったとすれば、皆一刻も早く南京から遠い町へ逃げていくのではないでしょう?
日本はユネスコに最も分担金を負担している国です。そのお膝元で、中国は国際機関を利用して「嘘をつき続ければやがて真実になる」がごとくに世界中に喧伝しているのです。世界遺産は比較的厳格に運営されているようですが、記憶遺産の方はまともな審議が行われずに上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」に勧告され、最終的に多数決によって登録が決まったとされています。
そこの事務局長はブルガリアのイナリ・ボコヴァ女史で、次期国連事務総長の座を狙っているとされる人物です。中国からの支持を取り付けるために裏取引したと噂されています。
現国連事務総長の藩基文氏は「国連は中立な機関ではない」と言い放ち、平和を希求する事務総長という立場にありながら中国の軍事パレードに出席する程の厚顔無恥な不適格者です。彼の国連事務総長としての任期は今年限りです。事務総長は、拒否権を有する米英仏露中の1か国でも反対すれば承認されません。ボコヴァ女史が国連事務総長の座を射止めるかどうか注視したいと思います。⇒(10月6日、次期国連事務総長はポルトガル元首相のアントニオ・グテレス氏に内定。ボコヴァ氏は非公式投票では4位、女性ではトップだった。)

登録された南京大虐殺文書は11種類ですが、日本も決して諦めることがあってはいけません。全てに証拠価値がないことをひとつひとつ反論して潰していけば、中国が国ぐるみでウソつきだということを世界にアピールできるチャンスと捉えるべきです。
南シナ海の領有権の当事者である中国は、経済力を背景にフィリピンと個別交渉を始めていますし、ベトナムやラオス、アフリカ・中南米等の小国などにも経済支援をちらつかせ、取り込みに躍起になっています。欧州各国はロシアとの間に抱えるクリミア問題と違い、地理的にも離れており、中国と真っ向から対立することは不利益に繋がるとして、積極的な発言を控えています。日本は米国と連携してこのアジアの海洋問題に積極的に対処していかねばならない立場ですが、アメリカ大統領選挙を控える米国はすぐには明確な行動に出そうもありません。

しかし一方では、中国の外交政治は国内政治と言われ、対外的に理不尽と思われようと、ひとたび弱腰に映れば、国内の共産党への支持が失われ、反体制運動が広がりを見せるという危機を孕んでいます。ですから、強面の中国は当面引っ込む気配はありません。太平洋を米国と中国とで分け合おうという神経の持ち主ですから、地理的距離感から見れば日本は中国に取り込まれてしまう位置にあります。日本の取るべき外交政策は自由と民主主義を標榜する米国と連携し、中国には毅然とした態度で正論を述べ自制を促し、他の世界の国々と対話を深めて、親日国を増やす。日本にも中国含め沢山の人たちに来日してもらって日本の素晴らしさを体感し親近感を持ってもらう。こういった事でしょう。

正しいと思われる主張が悪魔の動機から発せられたとすれば、それを看過することはできません。北朝鮮では韓国の動画を見ると罰せられます。中国でも厳しい情報管制が敷かれています。このネット社会において、いつまでも情報統制は続けられません。習近平氏は、自分が思うほど自分は利口ではないこと、習氏が思うほど国民は馬鹿でないことを悟るべきです。アンデルセンの代表作「裸の王様」は1837年にデンマーク語で発表され、日本には1888年に紹介されています。中国にはきっとまだ紹介されていないのでしょうね。