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TPPの行方

2016年10月9日 at 2:59 PM

アメリカ大統領選挙が佳境に入ってきました。不人気者同士の対決とメディアに揶揄されたトランプ候補とクリントン候補のどちらが第45代アメリカ合衆国大統領になるのか、国内のみならず、世界でも注目を集めています。
このお二人ともオバマ大統領が進めてきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対の意向を示しています。共和党の指名候補トランプ氏が反対するのは立場上わかるとして、同じ民主党内でTPP推進の一員であったクリントン氏が選挙戦にあたって、TPP反対を表明したのは、変節してしまったからなのでしょうか?
直近の10月3日接戦州のオハイオで、クリントン氏は「アメリカの労働者にとって不公平な内容で、選挙後も、大統領になっても反対する」と改めて強調し、弱点とされる白人労働者層の支持拡大を図ったとされています。国務長官時代のクリントン氏はTPPを「関税障壁を低くする一方で基準を高め、一段と質の高い成長を後押しする」と述べて推進していました。しかし、交渉中からと言うか、選挙戦を意識した時から「内容には反対していた」と先のTV討論会で述べています。
一方、日本側は、もう一年も前になる昨年10月5日、TPP交渉の大筋合意にこぎつけた甘利(当時)TPP担当大臣が「米国に対してモノを言えるのはやはり日本が一番なので、かなり私も直接に色々なことを申し入れたし、それはある部分、他の国を代表している言葉にもなった」などと自らの努力とその成果を語っています。
どちらにせよ、交渉事で多少のうまくいった、いかないはあって当然で、10戦全勝というのは交渉事には存在しません。個々の案件で譲歩と利得があり、国内向けに総合してうまくいったという各国の総意があって、交渉は妥結します。ゆえに、個々の案件を取り上げて、これは譲歩しすぎ、不利であるということは、どの国にもあって当然のこと。それを国内政局向けに便利に使うのは見苦しいが、それが政治と言えば、それが政治であり、最近のポピュリズムに不安は隠せない。
甘利元大臣はURへの口利き疑惑で、今年2月4日のTPP協定署名に参加できなかったが、この時点で3000ページとも言われる条文が確定したことになる。つまり、交渉に参加したオーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、米国、ベトナムの12か国全てが国の名において合意したことになるのである。
参加国の交渉当事者は交渉をまとめ上げたと安堵する一方、その周辺はTPPそのものを政局の道具に使っているだけであって、個々の発言にあまり大きな意味はない。当事者である安倍政権はTPP批准に向けて、麻生財務大臣のG20出席を取りやめて、国会でのTPP早期承認を優先させる意向である。交渉参加国から見れば、アメリカと日本、どちらが信用に値するであろうか。答えは明らかである。
ご存知のように、TPPはその域内の国内総生産(GDP)の合計が85%以上を占める6か国以上の批准があれば、発効出来るという条項が盛り込まれている。12か国のうち、政情不安定などにより数ヵ国が批准出来なくても、域内の60%を占めるアメリカと18%を占める日本、そして少なくとも4か国が批准すれば、自動的に発行されるという保険をかけていたのである。まさか最大国のアメリカがこのような事態になろうとは誰が予想したであろうか。
筆者の想像では、アメリカはこの圧倒的数字を背景に、交渉の中心人物であったフロマン米通商代表が相当有利な交渉を進めたものと推察する。メディア報道の多くが、自国の個別産業への影響を関税率を引合いに損得あるいは経済効果を算出しているが、貿易の結果はそういった数字のみで決定付けられるものではない。言うまでもなく、最終的には価値の高いより良い商品・サービスが消費者に受け入れられるのである。関税のハードルを限りなくZeroに引き下げていけば、なおさらその傾向は顕著になろう。
TPPにおいて、もう一つ見逃せない、かなり重要な意味を持つものが、「内国民待遇」である。「内国民待遇」とは、自国と同様に相手国の企業や人を扱うという規定である。要するに、あらゆる分野の経済活動において、日本政府は相手国の企業や人を自国民と差別して扱ってはならないということである。これを読みかえれば、国民の権利や財産を守る国の法律よりもTPPの規定(条約)が優先されるということであって、TPPに違反(あるいは違反の疑い)があるような案件は、ワシントンにある国際投資紛争解決センター(ICSID)へ持ち込まれ、個人も企業も国の後ろ盾無しに戦わなければならない状況があり得るという事である。

客観的に見て、レイムダックのオバマ政権が次のアメリカ大統領就任の来年1月までに議会承認を得ることは非常に困難な状況で、議会審議及び批准可否はほぼ間違いなく次の大統領の代に委ねられる。
グローバル経済と資本主義は、世界で見ても、国・地域単位で見ても、一部の成功者と大勢の敗者を生むこととなった。TPPの精神もさらなる自由貿易という意味ではその延長線上にあり、世界貿易が活発化したとしても、果実を得るのはやはり一部の賢い人たちだけになる可能性は否めない。いわゆる格差をさらに拡大するだけの結果に終わり、世界をさらなる混沌の世界に引きづり込んでしまうことになるかもしれない。
TPPの批准が正解なのかどうか私はわからない。方向性は正しいとしても、事を急ぎすぎたのかもしれない。BREXITはその一面でもあろうし、いくつかの国で台頭する保護主義の動きも国民の反射的なWaveなのかもしれない。しかし、もしTPPが批准されずに終われば、アジア経済圏の主導はRCEP(東アジア地域包括的経済連携)日中韓印豪NZの6カ国+ASEAN10か国(インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス)に確実に移行するであろう。すると今後成長するアジア地域において、アメリカは中国に主導権を与えることに繋がる。ひいてはアメリカの成長鈍化、そして日本の後ろ盾であるアメリカのアジアにおける存在感の希薄化に繋がる恐れがあろう。個人的にはアメリカが大統領選挙後に冷静かつ賢明なビジョンを堅持して、今後の成長を担うアジア圏に錨を降ろし、かつ不安定要素を深めるアジア地域において一定の存在感を当面は示し続けてもらいたいと思っている。

複雑系の知

2016年9月18日 at 6:07 AM

「複雑系」と聞いて、皆さんはどのようなものを想起するだろうか? どうやら単純ではないのだろうとは推察できるが、一体どういうものであろうか?
Wikipediaでは、「相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう」とある。
筆者は過去にもこの「複雑系」に興味を抱き、何冊かの本を読んだことがある。学問的にどのあたりから複雑系への体系化の試みが行われたのかは定かではないが、遡っていくと、「全体は部分の総和に勝る」というアリストテレスの言葉にまで行きつくようである。人間はそもそも自然と対峙する形で生活してきた。その中で様々な知恵を生み出し、より詳しく知りたい、危険を賭してでも調べたい、真理を見極めたいという思いが、様々な学問が枝分かれし、専門化していき、数々の発見・発明をしてきた。アメリカの医療は日本と比べると高度に分化しており、筆者も何度かアメリカのPodiatrist(ポダイアトリスト)足の専門医にお世話になったことがあるが、その診断や治療の素早さと的確さに感嘆したことを印象深く記憶している。

最近、田坂広志氏の「複雑系の知」を読み直してみた。長らく学問は「要素還元主義」、つまり複雑なものを単純なものへ分割して研究することで成果を上げてきたが、分割したものを総合という名のもとで集めても本質には行きつかないと解説している。「生物の時間にカエルを解剖し、内部構造を調べて、元に戻して縫い合わせても生き返らない」という例を挙げていますが、最近の神の手を持つ外科医は人の内臓を丸ごと外に出して、悪性腫瘍を取り除いて、体内に戻すという医療を実施しています。言わんとするところは、「総合企画部」とか「総合管理部」とか、「総合」という名の組織はあるが、ほとんど機能していない。なぜなら、色々な部の情報を集めてまとめているだけであって、付加価値を付けていないことを揶揄していると考えるべきでしょう。
水の分子は集まり方で気体・液体・固体の三態を表しますが、それぞれ性質は異なります。雲一つとっても無数の種類があります。H₂Oは決してひとつではありません。液体の水だけ研究してもH₂Oの本質には行き当たりません。
では、どうしたら本質に行き当たるのか? 事・モノの本質は関係性にあるとしています。橋の本質は河を渡るものである。目の前にある橋をコンクリートと鉄筋の複合構造物と定義することはできるが、コンクリートと鉄筋の複合物には、ビルディングもあれば、競技場もある。もしかしたら、単なるオブジェかもしれない。橋の本質は、河を渡りたい人間と、それを遮る河との関係性にあるということです。神が創造した人間の臓器はそれぞれが関係してその全体を保っており、肉体と精神も繊細なる関係性を維持しながら、ヒトの生命を司っているのです。モノの本質に迫るには、洞察と直観、つまり大局観を大切にして、ありのままを観察する。先入観にとらわれず、個別事象が全体を表しているかのような錯覚と誤解を排除し、全体を把握しようとする姿勢が大事なのであろうと思います。筆者はブルース・リーの名言「Don’t think, feel.」を思い出しました。

田坂氏は「管理のパラダイムの限界」についても言及します。理想的な社会や組織の設計をしても機能しない。人間は思い通りには動かない生き物。個の自発性が全体の秩序を生み出すものであるとしています。創発を促すことで自発的に組織が機能する様をSelf Organizationと定義しています。社会をより良くしていこうとすれば、「変えよう」とせず、「変わる」ことを促進すること。「起こす」から「起きる」に発想を転換することが必要であると説いています。
つい先日、西口泰夫氏(元京セラ会長・ソシオネクストCEO・技術経営博士)の話を伺う機会がありましたが、「技術を活かす経営の実践」というお題の中で、「部分最適追求力を高めて、全体最適創出を図ることが重要」と語られていた。筆者の中では「個別」を「個人」と読み替えて、個々の力を充分発揮せしめて、組織(企業)としてはミッション・理念を共有し、ベクトルを合わせることが重要であると理解しました。両氏の見解は基本的には同根なのであろうと思いました。

田坂氏は、「分離の病」と称して3つの分離を指摘しています。
①「知と知の分離」専門主義に陥り、専門用語を駆使し、部外者を排除し、迷宮に入り込む
②「知と情の分離」関わるのは血の通った人間であり、人は共感がなければ動かないにも関わらず、客観主義に傾倒しすぎてしまい、理屈だけで押し通そうとする
③「知と行の分離」企業や組織で分業主義が進み、全体の責任者が不在となり、無責任病が発生。うまくいかなかった時には責任のなすり合いが始まり、誰も反省することなく、同じ失敗を繰り返す
「安全な高み」にいる経営層・管理職と、「現実の深み」に嵌りがちな最前線・現場作業者の分離は、多くの企業が抱える全体最適実現の困難さを語っています。
陽明学では「知行合一」と言われますが、知っていても行いが伴わなければ、知らないことと一緒であるという教えは、分業化した現代の全体最適へベクトルを合わせるひとつの処方であると感じるこの頃です。

米軍基地とは

2016年8月13日 at 11:59 AM

8月に入って突然、沖縄県・尖閣諸島をめぐり日中関係が緊迫化しています。中国は尖閣だけでなく、対韓国(THAAD配備に対する報復)、南シナ海(戦闘巡行)でも強硬姿勢に出ているようです。尖閣諸島近海では300隻もの中国漁船が来襲し、その漁船を守るかのように中国公船も多数随行していました。そのうちの延べ17隻が接続水域(領海からさらに12カイリ・約22km)のみならず、領海(領土から12カイリ)に入域するという暴挙を犯しました。日本側は毎日のように抗議をエスカレートさせ、9日は岸田文雄外相自らが程永華・駐日本中国大使に抗議する事態にまで至りました。
米国務省のトルドー報道部長は10日の記者会見で、尖閣諸島周辺で中国公船が航行していることについて「尖閣諸島に対する日本の施政権を傷つけようとするいかなる一方的行動についても米国は反対する」と懸念を表明し、中国を牽制しました。これは、1972年の沖縄返還以来、尖閣諸島は日本の施政権下にあり、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であることを重ねて強調したことになります。
そうした折、尖閣列島付近の公海(領土から200海里外側)上で11日にギリシャ船籍の大型貨物船と中国の漁船が衝突し、漁船の乗組員14人のうち6人が海上保安庁の巡視船によって救助され(8人が行方不明)、中国側からは謝意(日本側が表した協力と人道主義精神を称賛する)が伝えられたとしています。一方、中国のネット上では「中国海警局の公船はどこにいたのか?」「海保による救出は日本の実効支配を証明したもの」等と批判する書き込みも目立ったとのことです。

沖縄というと、選挙の度に基地問題が取り沙汰されます。沖縄ばかりに米軍基地が集中していると報道でも大きく報じられています。果たして実態はどうなのであろうかと調べてみました。
日本の米軍基地の数は130か所、面積にして1024㎢(国土の0.27%、東京都の半分弱 小泉親司著『2013 日本の米軍基地』)あり、沖縄には32施設、230㎢(沖縄全土の10%強)あるので、米軍基地の22%強が沖縄に集まっていると言える。基地数で次に多いのが北海道で18施設、面積でいえば沖縄よりも広い335㎢(北海道全土の0.4%強)を米軍基地が占めています。次いで神奈川16施設(21㎢)、長崎13施設(4.5㎢)、東京・広島が7施設。面積では静岡89㎢、大分56㎢、静岡・宮城46㎢などが上位県になります。47都道府県のうち、27都道県に何らかの米軍基地が存在していて、駐留人数では軍人が4万4850人、軍属や家族を入れると9万4217人(2008年外務省発表)で、半数近くが沖縄に集中しています。駐留人数の多さが際立っている点が、沖縄における米軍基地嫌悪感に繋がっている大きな要素なのだろうと推察できます。

米軍基地というと米軍が駐屯し、米国が使用している基地と思われますが、50か所の米軍基地は自衛隊も使用していて、有事の際に共同作戦を実施できるように日々訓練を行っています。有事に際してはこのインターオペラビリティ(相互運用性)が大変重要になります。米国が日本と共に日本の領土及び極東の安全を守り、そのために日本が米国に基地を提供することが日米安全保障条約で定められています。

しかし、基地があることでの問題や弊害も指摘されていることです。航空機事故、騒音被害、環境問題(実弾演習による自然破壊、有害物質流出)、電波障害、米兵による事件などがその代表的なものでしょう。米兵や軍属による犯罪は取り立てて大きく報道される傾向がありますが、犯罪発生率で言うと、沖縄全体では人口比0.36%、米軍によるものは0.16%(平成21年)。数字の上では米軍の犯罪率は沖縄全体の半分以下ですから、特段、米兵が凶悪で粗暴であるという姿は浮かび上がってはきません。基地内で起こった事件はカウントされていないので、フェアではないという意見もありますが、基地内であれば、気にしないという理屈もあるでしょう。犯罪そのものは憎むべきもので、個々のケースで公正に裁かれていくべきものですが、個別事件を無理くり帰納法的に「米軍憎し」と結論づけるのは論理的ではないように思います。警察庁の平成24年犯罪統計資料によれば、日本における外国人の犯罪は1位:韓国・朝鮮(3994人)、2位:中国(1252人)、3位:ブラジル(410人)、4位:フィリピン(380人)、5位:アメリカ(187人)となっています。

国家(政府)の最大の責任は、国民の生命と自由と財産を守ることにあります。それは国内の凶悪な犯罪や暴力事件から国民を守るだけではありません。言うまでもなく国外からの侵略や拉致・人質事件を未然に防ぎ、万一それらが起きた時には全力を挙げて国民の生命・自由・財産を守ることが国家の使命であります。憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めています。この規定は個人の人権保障の規定であると同時に、国政を担う政府の責務を定めたものでもあります。国内で暴力団などが地域住民の生命を脅かす事件を起こしたような場合、政府は責任を持って警察官を派遣して、被害を受ける危険のある住民・国民を守る義務があります。それゆえ実効性を担保する上で、警察官は拳銃の携帯・所持を許可されているのです。同様に日本のある地域に外国軍隊が侵入し、そこに住んでいる国民の生命や財産が危険に陥ったような場合、国家は実力をもってその違法な侵略行為から国民の生命を守る義務があります。国の自衛権の根拠はここにあります。米軍基地撤退・自衛隊反対の人たちは警察も不要と言うのでしょうか?

将来、米軍が日本から撤退したとしても、北海道や沖縄の基地はなくならないでしょう。国民の基本的人権が尊重される以上、日本自身で国土を守ることは放棄できないからです。北方も南方も国土を守る上で重要な要所です。日本海側も強化を図らなければならないかもしれません。日本は幸いにして地続きで国境に接していませんから、水際で守る体制が最重要になります。日本の領土の北端(日本の主張は択捉島であるが、ロシアに実効支配されているため、施政下では弁天島)、西端(与那国島)、南端(沖ノ鳥島)、東端(南鳥島)を守るための重点基地配備は至極当然で、国民主権の基本に即しています。それを否定する人は他国のスパイであるとの疑いを持たれても仕方がないでしょう。

強面の中国はどこまで続くか

2016年7月20日 at 8:54 AM

国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所は今月12日、南シナ海での中国の海洋進出を巡り、中国が主権を主張する独自の境界線「九段線」に国際法上の根拠がないと認定しました。中国は1996年に同条約を批准していますが、判決は「紙くず」として受け入れないという声明を発表しています。この裁判はフィリピンが2013年1月に提訴し中国は拒否したものの、3年半かかって中国の主張に根拠はないという審理結果が出ました。この裁判は相手国の同意がなくても一方の国の意思だけで始められるのですが、強制力がないので、冒頭の「暴言」が中国から発せられたわけです。5人の仲裁人に関しても中国側は「公正でない」と批判していますが、フィリピン人妻を持つスリランカ出身の所長はガーナ出身の所長に交代していますし、その他にはフランス人、ポーランド人、ドイツ人、オランダ人それぞれ海洋法に詳しい人たちが人選されています。

仲裁裁判所での案件には過去、国際環境保護団体グリーンピースのオランダ籍の船アークティック・サンライズ号が2013年9月、ロシアのガス田に近づいて運動家がやぐらに乗り移ったので、ロシアが拿捕した事件があります。オランダは国際法違反だとして仲裁裁判に申し立てを行い、仲裁裁判所がオランダの主張を一部認めてロシアに賠償を命じましたが、ロシアはこれに応じていません。
逆に紛争の両当事国が判決を尊重して従ったのが、バングラデシュとインドがベンガル湾で境界を争った事例です。バングラデシュが2009年に仲裁裁判所に申し立てをして、判決が出たのは2014年7月と5年かかっています。両国間の長年の懸案であった海域は約8割をバングラデシュ管轄、残りの2割をインドの管轄という判断になりました。インドは境界が確定すれば、資源開発が進められるとして判決を受け入れています。

仲裁裁判の結果は強制力を持たないので、それでは意味がないとする向きもあるでしょうが、それは必ずしも正答とは言えません。国際組織は一見、公正に運営しているように見えますが、決してそんなことはありません。国際政治の裏舞台は権謀術数が蠢いています。
もし仲裁裁判所が強制力を持てば、その国際組織を牛耳ろうとする力学が必ず働きます。近々の事例では、ユネスコ(国連教育科学文化機関)において中国が「登録小委員会」に働きかけ、南京大虐殺を記憶遺産に仕立て上げました。当時20万人しか市民がいなかった南京において30万人虐殺されたとする反日工作です。南京陥落まじかには中国軍兵士が軍服を脱ぎ捨て、南京市民を殺し、市民に化けて安全区に逃げ込んだりしているのです。日本軍の南京占領後、南京市民は25万人に増えているのですが、もし大虐殺があったとすれば、皆一刻も早く南京から遠い町へ逃げていくのではないでしょう?
日本はユネスコに最も分担金を負担している国です。そのお膝元で、中国は国際機関を利用して「嘘をつき続ければやがて真実になる」がごとくに世界中に喧伝しているのです。世界遺産は比較的厳格に運営されているようですが、記憶遺産の方はまともな審議が行われずに上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」に勧告され、最終的に多数決によって登録が決まったとされています。
そこの事務局長はブルガリアのイナリ・ボコヴァ女史で、次期国連事務総長の座を狙っているとされる人物です。中国からの支持を取り付けるために裏取引したと噂されています。
現国連事務総長の藩基文氏は「国連は中立な機関ではない」と言い放ち、平和を希求する事務総長という立場にありながら中国の軍事パレードに出席する程の厚顔無恥な不適格者です。彼の国連事務総長としての任期は今年限りです。事務総長は、拒否権を有する米英仏露中の1か国でも反対すれば承認されません。ボコヴァ女史が国連事務総長の座を射止めるかどうか注視したいと思います。⇒(10月6日、次期国連事務総長はポルトガル元首相のアントニオ・グテレス氏に内定。ボコヴァ氏は非公式投票では4位、女性ではトップだった。)

登録された南京大虐殺文書は11種類ですが、日本も決して諦めることがあってはいけません。全てに証拠価値がないことをひとつひとつ反論して潰していけば、中国が国ぐるみでウソつきだということを世界にアピールできるチャンスと捉えるべきです。
南シナ海の領有権の当事者である中国は、経済力を背景にフィリピンと個別交渉を始めていますし、ベトナムやラオス、アフリカ・中南米等の小国などにも経済支援をちらつかせ、取り込みに躍起になっています。欧州各国はロシアとの間に抱えるクリミア問題と違い、地理的にも離れており、中国と真っ向から対立することは不利益に繋がるとして、積極的な発言を控えています。日本は米国と連携してこのアジアの海洋問題に積極的に対処していかねばならない立場ですが、アメリカ大統領選挙を控える米国はすぐには明確な行動に出そうもありません。

しかし一方では、中国の外交政治は国内政治と言われ、対外的に理不尽と思われようと、ひとたび弱腰に映れば、国内の共産党への支持が失われ、反体制運動が広がりを見せるという危機を孕んでいます。ですから、強面の中国は当面引っ込む気配はありません。太平洋を米国と中国とで分け合おうという神経の持ち主ですから、地理的距離感から見れば日本は中国に取り込まれてしまう位置にあります。日本の取るべき外交政策は自由と民主主義を標榜する米国と連携し、中国には毅然とした態度で正論を述べ自制を促し、他の世界の国々と対話を深めて、親日国を増やす。日本にも中国含め沢山の人たちに来日してもらって日本の素晴らしさを体感し親近感を持ってもらう。こういった事でしょう。

正しいと思われる主張が悪魔の動機から発せられたとすれば、それを看過することはできません。北朝鮮では韓国の動画を見ると罰せられます。中国でも厳しい情報管制が敷かれています。このネット社会において、いつまでも情報統制は続けられません。習近平氏は、自分が思うほど自分は利口ではないこと、習氏が思うほど国民は馬鹿でないことを悟るべきです。アンデルセンの代表作「裸の王様」は1837年にデンマーク語で発表され、日本には1888年に紹介されています。中国にはきっとまだ紹介されていないのでしょうね。

個人の借金と国の借金

2016年7月8日 at 10:53 AM

今週末は3年に一度の参院選です。18歳以上に参政権が与えられましたから、自分の将来に幾分かの影響を与える政治に、若い方には特に自分なりの考えを反映した投票行動に結び付けてほしいものです。月末には都知事選挙も行われますが、あまりに”Sekoi”都知事辞任の幕切れに大東京は大丈夫かと思う半面、あの程度の方でも都政は安泰という風にも受け取れます。随分前から都知事は人気投票的なものでありましたし、選挙活動を全く行わずに当選した有名人も過去にはおりました。立候補者に政党が乗っかる形はメガシティ東京都知事選ならではという感じもしますが、一方で負け戦と知りながらも志を高く持って、孤高の戦いを挑む勇者もいらっしゃいます。メディアだけの報道に翻弄されず、ネットの発達した時代ですからご自分で候補者を調べてほしいと思います(かくいう私は都民ではないのですが)。

さて、参院選に向けて自民党はアベノミクス推進を謳っていますが、なかなか実感はなく、世界的にも経済の低迷は覆い隠しがたく、日本一国ではもはやどうにもならないという袋小路にいる感がありますね。野党はまさに野合で、聞くべき主張は全くありません。しかし、消費税10%への延期は英断とは言い難いもので、本気で財政再建する気があるのか不安になります。
以前のブログでも触れましたが、「日本の1000兆円超の国の借金はあるのかないのか」論争は未だに続いています。整理すると「ない派」は国債の多くは国民が持っていて、国の借金は国民の資産である。ゆえに日本は心配するほどの状況ではない。財務省が危機を煽って税収を増やしたいだけと主張。「ある派」は国の借金なんだから返すのが筋。現世代が使うだけ使って、そのツケを将来の子供たちに回すなんて、なんて無責任なんだという論調です。国の借金は国民一人当たり800万円超という財務省の数字がそれを後押しします。

そもそも個人と国や企業などの団体はその性質が異なります。人間は必ず死にますから、死んで借金が残れば債権者が困ります。貸した金は忘れろ、借りた金は忘れるなという言葉がありますが、金が絡むと人間関係は厄介なことになりがちで、最悪は人間関係が破綻してしまいます。
企業の貸借対照表は右側に借方があり、その構成は負債と純資産です。左側は貸方で資産です。企業はよくGoing Concernと言われ、永続性を前提にした組織体です。しかし、会社倒産、会社整理ということになれば、債務を清算しなければなりません。債務超過とは、債務者の負債の総額が資産の総額を超える状態であり、資産を全て売却しても、借金などの負債を返済しきれない状態のことを言います。鴻海傘下となったシャープはこれにあたります。貸借対照表で言えば、負債(債務)が資産(財産)を上回った状態ですから、資本(純資産)がマイナスとなります。すなわち、資産の全てが他人資本(負債)によって賄われており、しかも全資産を売却してもまだ負債が残るという状態です。
健全な企業でも借入金はあります。将来の成長のために資金を調達し、成長分野に投資をし、付加価値を上げて、企業収益を上げ、また再投資することで価値を生んでいるのです。無借金経営の優秀な会社もありますが、Going Concernの企業は負債だけを見て、これを無くさなくてはとは考えません。企業の成長のために健全なバランスを保つようCFOなりが目を光らせているのです。

さて、国の場合はどうでしょう。国が倒産するとはどういうことでしょう。一般的にはデフォルト(債務不履行)のことです。
2001年にアルゼンチン国債はデフォルトとなりました。2001年のアルゼンチンの経済成長率は-11%という大幅な落ち込みを記録しました。アルゼンチンペソは、デフォルト前の3分の1~4分の1まで下落してしまいました。しかしながら、会社の株と違い、デフォルトしても通貨の価値はゼロになってはいません。国によっては自国通貨を持てず、あるいは自国通貨が事実上取引不可能な信用状態にあるので、US$が事実上の通貨という国も少なからずあります。
国の債務には対外債務と国内債務の二つがあります。国内債務の返済というのは、新規に紙幣を発行すれば、返済が可能なので、日本の場合には借金がない(より正確に言えば、返す必要がある借金はない)というロジックが成り立つのです(自国通貨を刷りすぎれば通貨の価値が落ちて、ハイパーインフレになるという可能性はありますが)。この点が、よく引き合いに出されるギリシャとの大きな違いです、ギリシャは財政状況が良くないにも関わらずユーロ圏入りしてしまいました。ギリシャは対外債務が多く、EU加盟国のギリシャはユーロで借金を返さなければなりません。ユーロを刷る権限はギリシャにはありませんから、緊縮財政や外貨獲得によってユーロを捻出しなければなりません。できなければ、デフォルトとなってしまいます。

日本の国債は約95%が国内で消化されています。ゆえに、イギリスのEU離脱決定後、一般に安全資産と言われる(ここも実は怪しいのですが)円が買われ、一時100円を割り込む円高に進んでしまったのです。
国の財政と政治運営は切ってもきれない関係です。日本の場合、単純化すれば、国は国民から借金をしている、国民は国債という資産を有している、国の財政はこれから人口が減る中、高齢者は増えていき健康保険や年金負担は増えていく、ゆえに政府は消費増税を行い、将来の負担増に対応しようとしているわけです。将来の負担増に耐えうる構造改革をするには、当然のことながら、収入を増やす努力をすると同時に、支出を減らす努力をしなければなりません。行政改革などの名のもとに構造改革をしようというポーズは見られますが、本気なのでしょうか? 集めた税収で国民を扶養している側面があり、被扶養度が高い人ほど既得権を失わないような投票行動に出ます。財政再建のために無理やり既得権益を剥奪しに動けば、選挙に落ちて実行できなくなる。民主主義の難しさとも言えますし、民主主義とは財政赤字を生む構造を内包しているとも言えるのでしょう。

個人の借金は生きているうちに返すか、返せず(返さず)貸し手に迷惑をかけるかのいずれかです。会社の借入金も同様ですが、債務超過で倒産すれば貸し手、主に金融機関が焦げ付きを出すことになります。国家はどうでしょうか、国家が消えてなくなるということは国民もいなくなりますから、日本のように債務のほとんどが国内債務なのであれば、トータルでチャラ。国債を最後に持っていた人がババ抜きの負けになりますが、それまでの間に国債は売り浴びせられて、最後にはほぼ紙くず同然になるでしょう。ところが国家が消えてなくなるというのは海に沈んでしまうような島国でなければ、清算するという状況はおいそれとは生まれないようです。先に例を挙げたアルゼンチンも3回はデフォルトになっていますし、他にもそういう国はいくつもあります。でもアルゼンチンは消えてなくなってはいない。国家は企業よりもしぶとく生き延びていくのです。無限と言ってもいいかもしれません。無くなってしまえば困るのは債権者ですから、債権者にそれを支えさせる構図を国は巧妙に作り出し、俺が倒産したら困るのはお前だよと言わんばかりに痛みの伴う改革を先送りしていきます。日本では、債権者である国民が、なぜか国の借金を背負い、消費増税は致し方ないというロジックを納得させられ、いつのまにか無駄遣いに蓋をしてしまうずる賢い政治家・官僚に丸め込まれてしまうのです。

サルは目先のバナナを必ず取りに行きます。社会学では目先の利益にとらわれないのは人間だけと解説されています。人間が元から目先の利益にとらわれなかったかと言えば、そうではないでしょう。狩猟民族はその日の食べる分だけ捕獲して生きていました。家族や集落単位でモノを考えるようになり、大きな集団で社会構成員の最大幸福を実現していこうと徐々に考えるようになり、農耕文化が広がると、その社会範囲は広がっていき、益々「社会に生きる」人間の姿がより際立ってきます。食料保存技術が広がると長いスパンで生活を捉える知恵が出てきます。そして財を貯える術を手にした人間は、さらに長期的利益を考えられるようになってきました。人間が目先の利益にとらわれなくなっていくのは社会の存在が非常に大きいのです。人間は相互の関係性を維持拡大することで、効率性や生産性や付加価値を向上させてきたという歴史が浮かび上がってきます。

最近、目先の利益に飛びつくようになった人が目につくのは、そうした社会性が急速にグローバル化して広がりすぎてしまい、そのメリットを享受できない人が享受できている人に比べ、圧倒的に多数になってしまった結果なのでしょう。イギリスのEU離脱決定に至った国民投票もその流れで解釈できると思います。この歯車の逆回転がいつまで続くのか、いずれまた正回転に変わると思いますが、いつのことになるかは予測がつきません。またこの逆回転・正回転の変化のタイミングを狙って目先の利益を獲得しようとする多数の中から「少数の成功者」が生まれるのでしょうね。

大津事件に見る司法の気概

2016年6月19日 at 5:14 PM

ロシアと日本の関係は興味深い。戦後一貫して北方領土問題を抱えてはいるものの、クリミア併合で欧米諸国から一斉に非難の的となっていることを思えば、安倍晋三首相とプーチン大統領の関係は表面上比較的良好と言える。
過去最も大きな事件といえば1904年2月から約1年7か月戦った日露戦争であろう。当時のロシアは強大な軍事力を有した列強であり、不凍港を求めて極東地域への南下政策を採っていた。日本にとっては虎の子の朝鮮半島の利権を取られてしまえば、日本の独立さえも危ぶまれる状況であった。幸いにもロシア拡張主義に懸念を持つ英米の支援を得て、勝利のうちに講和に持っていくことができたわけだが、バルカン半島をめぐって一敗地にまみれていたトルコや、ロシアの支配下にあったフィンランドは日本の勝利に快哉を叫び、多くの有色人種国家の独立への勇気付けとなったと言われている。

一方、日本軍に次々と敗れたロシアは、内政においても帝政に対する民衆の不満が増大し、その年ロシア第一革命が起こり、制圧はしたものの12年後のロシア2月革命へと帝政の弱体化が進行することになる。
革命によりロシア最後の皇帝となったニコライ2世(在位22年)は、日露戦争や第一次世界大戦において指導的な役割を果たすものの、レーニンの命により一家虐殺されてその一生を50歳で終える。
ニコライ2世は子供の頃は女の子っぽかったと称されているが、帝王学を通じて露仏英独語を解し、歴史・政治・経済・軍事にも通じていたという。
22~23歳の時にギリシャ王子ゲオルギオスと共にアジアを中心にして1年弱の旅行をしている。本人は気が進まなかったようだが、両親の勧めと弟の同行もあり、楽しんでいたようである。

1891年4月27日最後の訪問国として日本・長崎に到着した一行は、約3週間日本に滞在した。国力の差を知る日本政府は未来のロシア皇帝を国賓待遇で迎えた。そうした接待が功を奏したのか、ニコライ(皇太子)は「長崎の家屋と街路は素晴らしく気持ちのいい印象を与えてくれる。掃除が行き届いており、小ざっぱりとしていて彼らの家の中に入るのは楽しい。日本人は男も女も親切で愛想がよく、中国人とは正反対だ」と日記に記している。一時は本当に日本人妻を娶ろうと思ったともいわれる。

日本での旅も後半に差し掛かり、大津を訪れ琵琶湖や唐崎神社を見学した一行が京都へ戻る途中に、人力車に乗ったニコライを滋賀県警の津田三蔵巡査がサーベルで襲い掛り、ニコライは右耳を負傷した。世にいう「大津事件」である。この時の斬撃により終生ニコライは後遺症や頭痛に苦しむことになる。この頃の日本の「恐露症」はかなり大きかったらしく、皇太子が来るのは日本を占領するための下見だとまことしやかに言われていた。そういった社会背景が津田という狂人を生んだのであろうが、津田本人は殺すつもりはなかったと後述している。

当時のニコライの記憶ではゲオルギオスが土産物で買った竹の杖で津田を一撃してくれたので、九死に一生を得たと述懐しているが、後の裁判記録によれば、人力車の車夫二人が飛び掛かり、津田が落としたサーベルで車夫のひとりが津田を斬りつけ、他の警官が津田を取り押さえたとある。

この事件の報告を受けた明治天皇はすぐさま京都へ行幸し、ニコライを見舞い、「犯人をただちに処罰する」と確約し、引き続き東京訪問を希望した。両親に相談したニコライは結局東京訪問を中止し、帰国の途に就くことを決めた。
明治天皇は神戸御用邸での晩餐に改めてニコライを招待したが、逆に待機していたロシア軍艦上での晩餐に招待された。「恐露症」閣僚の中には拉致されることを恐れ、ロシア軍艦への搭乗を止めるよう進言する向きもあったが、明治天皇は「ロシアは先進文明国である。そのロシアがなにゆえに汝らが心配するような蛮行をしなければならないのか」と反論し晩餐に出席したという。

日本人により負傷させられたニコライには日本中から多くの手紙、1万通の電報や贈り物が届き、街頭には跪いて合掌し許しを乞う日本国民の姿があったという。ニコライはこれに痛く感動したと日記に記している。神社・寺院・教会では皇太子平癒祈祷、中には自害をする若い女性、津田姓や三蔵名を禁止する村も出たほどである。時の山縣首相は即座に辞任している。当時ロシアの報復を如何に恐れたかが容易に想像される話である。

裁判では、ロシアとの関係悪化を危惧してニコライを日本の皇族同様とみなし死刑を求める松方正義後任首相と、政治的思惑によらずあくまで法治主義を堅持し、一般人への謀殺未遂罪を適用すべきとする児島惟謙大審院長が対立した。時の実力者伊藤博文も前者を主張し、さもなくば戒厳令をもって強行すべしとの意見であった。最終的には後者の罪で有罪とされ無期懲役に処された(同年急性肺炎により獄死)が、これをもって日本は法治国家であるということが列強諸国に印象付けられ、のちの不平等条約改正に有利に働いたと分析されている。

この裁判を通じて政府内では、ロシアとの死罪密約をしていた青木外相、西郷内相、そし病気を理由に山田法相も辞任している。まだ発展途上であった日本が武力報復・賠償請求・領土割譲されかねない緊迫した状況下で、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件とされる所以である。

ロシア外相ギールスは、日本で死刑判決が出た場合にはロシア皇帝が減刑嘆願を行い、両国親善に資するというシナリオを考えていたらしいが、何でも利用しようとする政治の世界はいつの世も魑魅魍魎の巣窟である。

5年後のニコライ2世戴冠式には日本から山縣有朋らが明治天皇の名代で出席するなど、二国間の関係改善に努力していたが、残念なことに事件以降のニコライの日本人観は後遺症もあってか嫌悪的になり、日本人を「猿」と馬鹿にして「腰抜けの日本が帝国ロシアに戦争など挑むまい」と高を括っていたなど、日露戦争の敗因につながったと分析する歴史家もいる。

余談だが、ニコライを助けた二人の車夫は国民的英雄となり、ロシアから一時金2500円(現在の1000万円程)と終身年金1000円が贈られた。日本政府からも勲章と年金36円が与えられ大金持ちとなった。ところが日露戦争が始まると敵国の皇太子を助けたとされた二人は年金を取り消され、前科者の向畑は遊興に明け暮れた挙句に婦女暴行・勲章剥奪、もうひとりの北賀市は独身であったため結婚希望者が殺到し、後に郡会議員まで務めたものの開戦後は「露探(ロシアのスパイ)」と言われ、余生は安穏としたものではなかった。

二国の君主と取り巻きの政治家、そして不安に揺れ動く国民を巻き込んだ歴史絵巻には、大国の驕りと尊大、英雄の毀誉褒貶、無責任に煽る報道、不安に駆られ暴挙に走る者、三権分立の危機といった今の世界のあちこちで見かける様相とそれほど違わぬ風景が繰り返し繰り広げられている。来週結論が出るイギリスのEU離脱・残留問題もそういった断面のひとつである。

近江商人の「売り手よし・買い手よし・世間よし」の精神

2016年5月6日 at 9:55 AM

近江商人の「売り手よし・買い手よし・世間よし」の三方よしの精神は有名な商売理念ですね。お客様に喜んでもらうことはもちろんのこと、世間様にもお役に立つという考え方のもと、そうやって信頼を得ることが結果的には商売を広げることに繋がると実感していたからの理念だと思います。

近江商人の起源は鎌倉時代にまで遡ると言われていますが、江戸中期には商業で力を持ちはじめた近江を幕府が天領として直接治めるようになりました。近江商人は「葵」の御紋が入った通行手形によって、関所を難なく超えてさらに全国に商売を広げていったそうです。

当時は「社会貢献」といった大それた考え方はなかったでしょうが、商売での利得のみならず、多くの人に喜ばれるものを提供し続けて、商人として愛されていった。結果、地域貢献・社会貢献につながっていたことが、現代にまでその理念を引き継いでいることに感嘆します。近江商人の商売十訓は以下の通りです。

⓵商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
⓶店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
⓷売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
⓸資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
⓹無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
⓺良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
⓻紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
⓼正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
⓽今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
⓾商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

どうでしょう、多くが今でも十分首肯できる内容ではないでしょうか。

さて、試みに次のような7パターンの事例を考えてみました。
(1)売り手のみよし:いわゆる詐欺ですね。売り手が「濡れ手で粟」で大儲け。買い手は騙されて粗悪品をつかまされる。最悪はお金だけ取られる。立派な犯罪です。
(2)買い手のみよし:いわゆる買い叩きでしょうか。搾取という言葉もあります。他人に帰属すべき利得を不正に取得することや、他人を使役して不当な利益を得ることを表します。下請法でも優越的権地位の濫用行為を防止しています。コロンブスの新大陸発見から始まる植民地時代には第二次世界大戦終結まで400年以上も、アフリカやアジアの資源や労働力をただ同然で搾取していました。ヨーロッパの繁栄は実はこうした多くの犠牲によるものです。
(3)世間のみよし:私利私欲を捨て、世のため人のために身を捧げる奇特な方たちが目に浮かびます。飢えや病に苦しむ人々や、恵まれない子どもたちのためにインドのコルカタに施設を造り、生活の世話や看病を行ったマザーテレサ。仏教界にも高名な方がいらっしゃるとは思いますが、自身の修養という色合いを強く感じます。政治家などは本来、世の中を良くする高邁な精神を持って志したはずですが、選挙落ちればただの人と、手段が目的化してしまうケースも少なくないようです。
(4)売り手よし・買い手よし:いわゆるWin-Win関係ですね。スティーブン・R・コヴィーの著作「7つの習慣」(1989年)で広く世界に知られた用語です。しかし、考えてみれば双方が利益を得られなければビジネスは成り立ちませんから、当たり前と言えば当たり前。ちょっと毛色は変わりますが、時代劇でお馴染みの「越後屋と悪代官の悪だくみ」では、やはりどこかで誰かが泣いているのはご承知の通りです。単なるWin-Winの影の部分を忘れてはなりません。
(5)売り手よし・世間よし:買い手が馬鹿を見ている構図が浮かびます。わかっていながら敢えて高く買っているとすれば、買い手もよしとなるでしょうが、それはあくまで買い手の主観の問題。金やダイヤの宝飾品や、高級ブランド品(時計やバッグ等)を買っている方はこれに近いのではないかと思います。金の装飾品は金の地金代に加工費、デザイン料が乗っかりますから、買ったときは高くても、金の地金の価格が同じなら、必ず損をします。
(6)買い手よし・世間よし:売り手が赤字でやっている場合は長く続きません。薄利多売のビジネスモデルがこれに近いかもわかりません。過去、このビジネスモデルで大成功をおさめた企業は少なからずあります。「主婦の店」から価格破壊を合言葉に成長したダイエーなどスパーマーケットではよくある業態です。中身は自転車操業ですから成長が止まってしまうと途端に負債が膨らんで破綻してしまいます。需要が伸びている時期には成立するビジネスモデルですが、成長が鈍化したら業態変換を余儀なくされます。BOPビジネスも話題によく上がりますが、本当に買い手が喜ぶ商品開発には難題山積と言わざるを得ません。
(7)売り手よし・買い手よし・世間よし:一言でいえば、ステークホルダー全員の満足ということでしょう。売り手と買い手が扱っているものは、実はその背後、あるいはその先に別の顧客(関係者)がいることを意識するということです。売り手が扱うものを作っている作業場の環境や賃金が劣悪なものでないのか、買い手がそれを基に作った最終製品がお客様の満足に繋がっているか(代金に見合う、またはそれ以上の価値があるかどうか)、製作過程で公害(空気汚染・水質汚染・土壌汚染)を巻き散らしていないか、法律を犯していないか等、ビジネスの全体像をきちんと見据えることが重要です。

情報格差が昔ほど無くなった今の時代、「パナマ文書」のような情報に社会は浴します。企業も個人にとっても、改めて近江商人の行動理念を心に刻む時代になったのではないかという気がします。
最後に二つ、近江商人の行動規範をご紹介して今回のブログの締めとしたいと思います。

利真於勤【りはつとむるにおいてしんなり】投機商売、不当競争、買い占め、売り惜しみなどによる荒稼ぎ、山師商法や政治権力との結託による暴利ではなく、本来の商活動にはげむこと。
先義後利栄 好富施其徳【ぎをさきにすれば、のちにりはさかえ、とみをよしとし、そのとくをほどこせ】人として道理をわきまえた商いをしていれば、利益は必ず後からついてくる。利潤を追求する事が第一ではない。商売を繁盛させて、利益が増えるのはいいこと。そうして得た利益は社会に還元せよ。

NHKに求めること

2016年4月17日 at 4:13 PM

NHKは、放送法に基づき1926年に設立され、1950年には特殊法人となり公共放送を担う事業者として今日に至っている。放送法では「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように豊かで、且つ良い放送番組による国内基幹放送を行うと同時に放送およびその受信の進歩発達に必要な業務を行い、合わせて国際放送および協会国際衛星放送を行うこと」と規定されており、その使命を果たす義務を負っている。
2月に話題になった高市総務大臣の、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及したところ、旧民主党や民放関係者、キャスター等から大きな反発が出ていることはご承知の通りである。論争のポイントは放送法4条(*)が法的規範(法律上の義務を生じるルール)なのか、倫理規範(単なる道徳上の努力義務しか生じないルール)なのかであるが、法規範性を持たない法律とはどういう意味があるのかと私自身は思うので、高市氏の発言は当然の事だと感じる。そもそも無線通信は、限られた無線周波数帯の有効活用と、混信や妨害を防ぐために免許制となっている。それゆえ電波は法律によって適正に管理されなければならない対象である。

これまでテレビ放送は数も制限され、その視覚的影響力が大きいために、特に編集段階における規範を求めたものと言える。テレビに映っているリアルな映像は、「事実」だと思い込んでしまう節があるが、編集によって前後を切り取り、反対の意味合いを持たせることは容易である。また、50人インタビューして、賛否半々だったとしても反対意見ばかり3つほど流せば、ほとんどの人が反対なのだと錯覚させることは、作為をもってすればいとも簡単なことである。
また、多くの放送人が事あるごとに言う「報道の自由」とは、本来は「事実を告げ知らせる行為の自由」であって、勝手なあるいは特殊な意図を持った発言や偏向報道を許しているものではない。40年近くに渡って喧伝されてきた朝日新聞による従軍慰安婦の捏造記事が批判される所以である。また、「報道の自由」は常に「人権との調和」との兼ね合いで語られるべきであり、事実だからと言って何でも報道して良いわけではない。「被害者の実名報道」や「被疑者の犯人視につながる」偏った報道、少年の更生を妨げるような糾弾は批判の対象となる。権力者の暴走をチェックするという論拠も放送人によって度々口にされるが、全て「事実に基づく」「国民の権利を損なう」事項が重要なのであって、重箱の隅を突くような、芸能レポーター並みに権力者の足をすくうような記事を繰り返し報道し、挙句の果てには国会の時間を無駄にする政治屋に使われるような話題にはうんざりする。

だいぶ、横道に逸れてしまったが、NHKに話を戻そう。NHKの受信料の支払い率は全国で72.5%(2012年サンプル調査)だそうである。支払い率の高い県は秋田、島根、新潟と保守県が並ぶ。支払い率の低いのは意外にも沖縄が42%で最低、以下、大阪、東京、北海道と続く。大都市での徴収の難しさ、広い北海道での徴収の難しさがあるのであろう。沖縄について調べてみると、沖縄のNHK受信料は本土に比べて15%ほど安い。沖縄返還後に導入された沖縄租税特別措置法というものがあり、車検も非常に安い(法定費用だけ比べても半額以下、それを利用した違法業者もいる)。それらの一環でNHKの受信料も安く設定されているが、返還後40年以上たっても徴収が進まないという事なのであろうと推察される。

序段の放送法「公共の福祉のために、あまねく日本全国で受信できるように」という部分では、極一部難視聴地域があるものの、ケーブルや光テレビなどの普及でほぼ問題ではなくなっているであろう。インターネットの発達によって多くの若者はテレビを見ないようになっている。幼少の時にはNHKしか見せてもらえないという厳格な家庭があったり、親御さんが安心して子供に見せられるのはNHKだけという妄信もあった。今やNHKの番組は民業(民放)圧迫かと思わせるようなお笑い、芸能(古典ならまだしもアイドルもの)、韓流ドラマも少なからずありますし、質の良い番組は明らかに減っていると思います。本当に「公共の福祉のため」の番組作りをやっているのか甚だ疑問があります。民放の収入源はスポンサー収入ですから視聴率に一喜一憂するのは仕方のないこととしても、NHKの収入は主に受信料です。30数億円の交付金収入もありますし、法人税も免除されています。職員数1万人、平均年齢41歳、平均給与1160万円という数字に納得感を持てない方々も多いでしょう。災害対策基本法ではNHKは指定公共機関に指定されていて、防災計画を作る義務や、気象警報・地震警報・津波警報などを直ちに国民に通知する義務もあります。今後NHKが特殊法人として本当に行わなければならない事業、収入基盤の再検討、スクランブル技術による「見たくない人」への選択権(契約自由の原則に違反していませんか?)など再考するべきだと思います。

放送法の後段の「国際放送」も今や非常に重要で、NHKは18言語で150か国以上にニュースや情報番組を中心に配信していると宣伝していますが、度々意見を異にする中国の中国国際放送局(CRI)は中国共通語と4つの方言、38の外国語を用いて200か国以上に向けて放送をしています。多言語や視聴地域の拡大のみならず、コンテンツの充実を図り、日本の仲間作りにも資するような施策を講じてもらいたいものです。NHKはその存在意義(raison d’ être)からして、一般大衆に媚びを売り、視聴率を稼ぐことではないはず。良質な番組を国内のみならず世界中に向けて発信し、誰でも無料で二次利用できるようにし、公共の福祉に供する姿に戻ってもらいたいと切に思います。

(*)放送法第4条 
放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

日本の領域は世界12位

2016年3月13日 at 2:55 PM

日本の国土面積は37万㎢で世界201国中61位。ロシア、アメリカ、中国などの大国と比較すれば数十分の一と小国であることは間違いないが、上位3分の1に入っているという観点で見れば、多くの日本国民が思っているほど小島国ではない。イギリスの1.5倍、ドイツよりもやや大きめの国土を有している。昨今、海洋資源の重要性が指摘されているが、日本の排他的経済水域(Exclusive Economic Zone; 略称EEZ~いわゆる200海里~沿岸から370kmまでは主権が及ぶ)は非常に広く、アメリカ・オーストラリア・インドネシア・ニュージランド・カナダについで世界6位という海洋国家である。このEEZと国土を合わせた領域では、なんと日本は世界12位の領域を有する国家に躍り出るのである。EEZの比較で言えば、日本の448万㎢に対し、中国のそれは229万㎢と半分しかない。最近の中国の海洋進出は軍事上の観点のみならず、EEZを広げようとする経済行為の一環とも言える。

海洋資源には様々なものがある。日本近辺の海底に眠っている資源では、金・銀・銅・亜鉛・鉛・石油・コバルト リッチ クラスト・メタンハイドレート等の豊富なエネルギー資源や鉱物資源の存在が近年における技術の発展と調査によって確認されている。種々の制約要因(法規制、土地用途、利用技術など)を考慮しない場合に理論的に取り出すことができるエネルギー資源量を「賦存量(ふぞんりょう)」というのだそうだが、300兆円の価値があると算定されている。実際には経済的に見ても実利用できるかどうかは研究開発次第であるが、文科省・経産省・海洋エネルギー資源開発促進日本海連合・JOGMECなどがその調査及び採掘研究にあたっている。

EEZを語るにあたっては各国が抱える領土問題は避けることのできない課題である。皆さんご承知のように、日本ではロシアとの間で北方四島、韓国との間で竹島、中国・台湾との間での尖閣諸島が代表的なものである。ことEEZの話になると沖ノ鳥島が国連海洋法条約において、どのような位置付けになるかが大きな問題になっている。
沖ノ鳥島は東京都小笠原村に属する小笠原諸島最南端の「島」であるというのが日本の見解である。日本は2008年に大陸棚限界委員会に対して、それを根拠に大陸棚の延長申請を行ったが、中国と韓国が異議を唱え(アメリカとパラオは異議を唱えず)、今もって継続審議の状態となっている。

中国と韓国の主張は「沖ノ鳥島は島ではなく、岩である」というもので、ただの岩と認定されればEEZは認められない。EEZを主張するには国連海洋法条約の第121条 第1項「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」あるいは第121条 第3項「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」のいずれかをクリアしなければならない。また第60条 第8項「人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない」とあり、日本は沖ノ鳥島を何とか「島」あるいは「営みのある岩」として位置付けるべく様々な対策を講じている。

沖ノ鳥島は外観で見ると、東西に4.5km・南北に1.7km・面積5.78㎢のそれ相応の大きさの島だが、その実態は北小島と東小島というそれぞれキングサイズベッド程度の岩礁に、以下に述べる対策を講じてその存在を保っている(歴史を辿れば、1933年には6つの露岩が満潮時にも姿を現していたという記録があるが、その後の風化や海食により4つは亡失してしまった)。1987年消波堤設置、2006年サンゴ増養殖技術検討開始、2007年灯台設置運用開始、2013年港湾施設建設開始・2016年完成予定。工事だけでも数百億円の国家予算が投じられている。

沖ノ鳥島の大陸棚延長が認められなければ、日本は37万㎢の国土以上の海域を失うことになり、その経済的損失は膨大である。一方で、中国は南沙諸島でジョンソン南礁(赤瓜礁)で日本と同様なことを行っている。2012年には岩礁の埋め立てを行い、2014年には護岸や桟橋、宿舎などの人口建造物を建造し、2015年には灯台の完成式典を行った。中国との領有権争いをしているベトナムによれば、ジョンソン南礁は満潮時に海中に沈むとしており、地球温暖化による海面上昇はこのようなところにも大きな影響を及ぼしている。また、軍事に絡めて言えば、核と言わず小型爆弾でもこの岩礁を爆破してしまえば、対象国に重大な経済的打撃を与えることができる些少の存在であるとも言えるのである。

モンゴルの歴史

2016年3月10日 at 4:43 PM

モンゴル人と言えば、日本では大相撲で活躍している力士がまず頭に浮かぶ。朝青龍や白鵬をはじめ、相撲史にその名を遺す大横綱がおり、現役3横綱は全てモンゴル出身である。見た目が日本人と変わらないので、よく調べないと日本出身力士かどうか見分けがつかない。そんなモンゴルは国土が日本の4倍、人口は300万人、2014年の一人当たりの名目GDPランキングでは110位、$4000強と中所得国の中位に位置する発展途上国です。しかし、アジアではミャンマーに次ぐ第二位の経済成長率(7.7%)を誇り、豊富な鉱物資源を背景にこれからの発展が期待されています。

一般にモンゴルと言えば、正式名称モンゴル国のことを指しますが、中国内には内モンゴル自治区(面積は日本の3倍、モンゴル族は400万人と言われる)があり、彼らはモンゴル国のことを外モンゴルと呼びます。
モンゴル国はソ連に次いで世界で二番目の社会主義国で、成立は1924年。その後は極左路線を推し進め、日本が樹立した満州国(1932年~1945年)とモンゴルの国境線をめぐって発生した1939年のノモンハン事件では、ソ連軍と同盟を結んで日本の関東軍と戦火を交えています。終戦間際のソ連の宣戦布告の2日後、1945年8月10日にはモンゴルも日本に宣戦布告を行っています(国家承認を得ていないので戦勝国ではない)。

モンゴル国の公用語は勿論モンゴル語ですが、モンゴル文字は特殊なため、現在ではロシア語に使われるキリル文字を流用しており、文化的にもロシアの影響を色濃く受けています。
モンゴルが社会主義の旗を降ろしたのは最近のことで、1992年。その際に日本からのODAで発展を遂げたこと、そしてその援助が国内で大きく報道されたこと、加えて大相撲でのモンゴル出身力士の活躍などが相まって、今のモンゴルにおける親日につながっています。
一方、中国の内モンゴル自治区は、前出の関東軍が清朝の愛新覚羅を元首に据え、敗戦まで実質支配を行っていました。しかし、中華人民共和国建国以来、漢民族の移入により8割以上が漢民族で構成されるようになりました。公用語は中国語とモンゴル語ですが、外モンゴルのそれとは違う方言ですし、モンゴル文字が継承して使われているため、外モンゴルの若者は判読困難になっています。

モンゴル人はもともとは遊牧民です。古来、平原を東西南北縦横無尽に駆け巡っていたものと思いますが、中国の戦国時代(紀元前403~紀元前221年)には中国人と同化していったとされます。秦の始皇帝死後の内乱の中で、モンゴル人は騎馬力を発揮し、冒頓単于(ぼくとつぜんう)という君主が匈奴という国家を拡大しモンゴル高原を支配するようになりました(紀元前209~紀元前174)。その後は中国との間で数百年に渡るつばぜり合い、主従関係、群雄割拠を繰り返しながら、チンギス・ハンの登場を待つことになります。

チンギス・ハンは1200年代から周辺の遊牧民を傘下に収め、1222年にはイスラム王朝を滅ぼし、その後継のオゴディ・ハンがポーランドやハンガリーにまで戦線を進めました。クビライ・ハンの時代には2400万㎢(現在最大領土のロシアは1700万㎢・歴代最大領土は大英帝国の3370万㎢)もの領土を治める連合体を形成しました。今のモンゴル国の国土の15倍の広さです。
クビライ・ハンは1271年に国号を大元という漢字に改め、中国を統一します(元朝)。元朝は100年弱で滅びましたが、クビライ王統の残滓はモンゴル高原へ退却し、さらに100年大元の国号を使い続けていました。その後は政治的空白を経て、明朝との和約を結び地域部族としてその存在を維持していたようです。

1500年代に周辺部族で頭角を現したヌルハチ(女真族)に降伏して取り込まれ、これが満州となり、のちの清朝になっていきます。清朝の275年に及ぶ統治下では蒙地保護政策を受け、モンゴル族の王侯たちはこの頃から自治を認められていました。前出のように1932年に日本が満州国を成立させると、内モンゴル東部は満州国に組み込まれました。関東軍は後に内モンゴル西部にも侵入して中国軍を追い払い、1937年に厚和(現フフホト)で蒙古連盟自治政府を成立させ配下に置きます。1945年の日本の敗戦によって、外モンゴルと内モンゴルの合併の動きもありましたが、ソ連と中華民国との間の駆け引きで、内モンゴルは自治区として中国に留まり、外モンゴルは独立を認められたという歴史的経緯があります。

戦争は大勢の罪のない人々を巻き込むといった戦禍のみならず、その後、多くの民族の分断を引き起こしています。モンゴルは過去一代帝国を築き上げましたが、今の外モンゴルと内モンゴルは同じ民族でありながら、国の形態が大きく違って文字も文化も異なるものとなりました。ドイツのように国家統一に向けての内から湧きあがる民族意識もなくなっているのかもしれません。多くの民族が今でも辛酸をなめています。敗戦によって日本が分割統治されなかったのは、本当に幸運なことであったと実感するとともに、日本も民族の分断に関わっていたことを真摯に振り返る必要があります。このように見てくると、やはり日本民族は世界で特殊な存在であると認識せざるを得ません。弥生人が渡来して縄文人と交わったのは紀元前と言われていますので、日本建国2700年はあながち神話の話とばかりは言えません。中国4000年の歴史は上述の通り異民族の興亡の歴史そのものです(漢民族が支配していたのは漢、宋、明、そして現在)。多くの国の歴史は民族の歴史に比べて非常に短いものであることがわかります。