古代オリエントから辿る歴史

オリエント(太陽が昇る方角)とは東方のことであるが、西方はオキシデント(太陽が沈む方角)という。オキシデントという言葉は、ほとんどの日本人は聞いたことがないのではないだろうか。オリエントはヨーロッパから見て、東方の地域でメソポタミア(イラク)、エジプト、ペルシャ(イラン)、シリア、トルコ辺りを指す言葉である。日本も近代になって西欧から見た場合にオリエントとなるが、それ以前には視界にも入っていない小島であった。日本から見るとヨーロッパは間違いなくオキシデントであるが、そう呼ぶ人は学者以外にはないであろう。多くの日本人にヨーロッパが視界に入ってきたのは江戸末期から明治にかけてで、西洋(Western)という名称が定着していったと考えられる。
古代オリエントのチグリス・ユーフラテス川に挟まれた国土はとても肥沃であった。この辺りが世界文明の最古の起点とされている。大麦の収穫倍率(種を1粒まいたとき、何粒の収穫が得られるか)は欧州の2倍に対して、50~80倍あったとされる。しかし、オリエントには木材や金属がなかった。農耕民と遊牧民(当時は羊や山羊)が交流する中で有無相通(あるものとないものを交換する)交易が始まる。
メソポタミアには楔形文字が生まれた。シュメール人の作だとされるが、これは交易に関して「言った、言わない」という齟齬が発生しないように、契約文書を作って、行き違いがないようにしたものである。これが後世、法律という形に進化していく。

農耕の発達は穀物を保存することができて富を蓄積することに繋がったが、一方で貧富の差を生み出すことにもなった。貧しいが力のあるものは富める者の富を力づくで奪い始めるようになる。戦の始まりである。富める者は富を守るために城壁を設ける。遺跡を訪れて思うのは、城壁都市は争いが絶えなかった時代であったことが想像され、一方、城壁がない宮殿などは平和な時代であったことが彷彿とされる。
奪う側は武器づくりに力を注ぐ。鉄器文化を発達させ、力を持ったのがヒッタイトである。ヒッタイトは武器だけでなく、農耕器具などを鉄でつくり、当時のイノベーションを実現し、富を得て大国にのし上がった。
ヒッタイトが滅亡したのは紀元前1200年頃だが、その理由は長年の干ばつによる食糧不足や内乱に加え、謎の勢力「海の民」の侵入が重なったとされている。
ヒッタイトにとって代わって覇権を握ったのは、アッシリアである。アッシリアは鉄製武器に加えて、騎兵をいち早く実戦に取り入れ、優れた軍事組織と中央集権的な統治によってオリエント最初の統一帝国へと成長した。
現在のウクライナを拠点とするスキタイとアッシリアは敵対と同盟を繰り返し勢力を争っていたが、アッシリアの過度な軍事拡大による財政破綻と、支配された民族による大規模な反乱によって、わずか六十年のうちに急速に崩壊へと向かった。

アッシリアとスキタイの共通点は征服した民族への圧政や重税である。その後、メディア王国など4国分立を経て、アケメネス朝ペルシャ(今のイラン)が紀元前6世紀後半にオリエント全域の再統一を成し遂げた。この時期にはオリエントの主導権が「遊牧民」から「定住民」へ移っていった時代である。
アケメネス朝ペルシャの第3代国王ダレイオス1世は、アッシリアのような武力による高圧統治とは異なり、被支配民の宗教や文化を尊重する寛容な姿勢を取りつつ、効率的な統治機構(23州に分けて王が貴族を派遣して統治させる)を構築して帝国の全盛期を築いた。このような統治によりアケメネス朝ペルシャはマケドニアのアレクサンドロス大王の遠征によって滅亡するまで220年間栄華を築いた。この統治方式はのちのローマ帝国にも影響を与えていく。
時を同じくして、中国の秦も春秋戦国時代を勝ち抜いて、中国統一を成し遂げたが、始皇帝による過酷な強制労働や厳格すぎる法律への不満が爆発し、全国的な大反乱が起き、たった15年で亡ぶことになる。後を継いだ漢は秦の失敗を教訓にした「アメとムチ」の使い分け(郡国制から郡県制への移行)と、「儒教の国教化」によって、途中の新(しん)による中断(偶然にも新も15年間で滅ぶ)を挟みながら合計約400年間続いた。

私が学校で教わった歴史は西洋史観そのものであろう。司馬史観もそうであるが、近代日本の幕開けは明治維新であり、西欧に学び西欧に追いつけでアジアにおける一等国にのし上がった。その結果は帝国主義の一員となり、大戦に突っ込んで屈辱的な敗戦を迎えることになる。大人になって、時間に余裕が生まれてからは意図的に様々な角度から歴史を勉強しようと努めてきた。学校で教わらなかったイスラム圏にも足を運んでその文化を理解しようと努めている。高校では2022年から歴史総合が必修科目となり、特に18世紀以降の近現代における日本と世界の歴史を一体として捉え学ぶようになってはいるが、その根源まで遡らないと、未だに60以上の戦争・紛争が起きている実態に迫ることはできないであろう。

バリ島に古くから受け継がれてきたバリ舞踊「バロンダンス」がある。バリ・ヒンドゥー教の宇宙観の根幹をなすと言われる聖獣バロン(善)と魔女ランダ(悪)の物語である。普通の物語は勧善懲悪で善が悪を滅ぼしてめでたしめでたしとなるが、この物語はどちらか一方が完全に勝利することはなく、両者の力は永遠に拮抗し続けるとされている。この均衡こそが、世界の秩序を保っているという思想がバリ・ヒンドゥー教の根底にはある。そして、その物語の核心は、その闘いが永遠に終わらないという点であろう。どちらか一方だけでは世界は存在しえず、両者の拮抗状態こそが宇宙の調和を保っており、世界は相反する二つの要素のバランスによって成り立っているという考え方である。

現在の多くの紛争が各々の正義をかけて聖戦を行っているのかもしれないが、果たして善とは何か?正義とは何か? あちらこちらの文明や文化に触れると、自身の胸の中にあるバロンとランダは確かに永遠に拮抗し続けるような気がしてくる。しかし、世界の紛争は弱者に容赦なく災禍を及ぼす。戦に勝つ知性と戦をしない理性の戦いも永遠に続くのであろうか。

コメント

  1. 小山 勝彦 より:

    正義とは何か?善とは何か?本当に色々と考えさせられる今世界中で起きている戦争。
    聖戦と言う言葉も?それほど人間の欲望は果てしないと言う事なのか。

    • fujita より:

      宇宙人が攻めてこない限り、地球人は一枚岩にはなれませんから、少なくとも自分、愛する人、家族、大切な友人を危険な他者から守る構えや術(すべ)は必要ですね。サイバー攻撃などAIの劇的進化を耳にするたびにDystopiaに向かっているような気がします。なにしろこの世から邪悪が消えることはありませんから。