|   調達科学研ホーム  |   Procurement Science Lab. Home   |

バルト三国の歴史(ヒトラーとスターリンの間で)

2020年5月2日 at 9:27 AM

バルト三国はバルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国で、面積は日本の半分にも満たない小国群を指す。北から順にエストニア・ラトビア・リトアニアと、それぞれ公用語を持つ独立国家であるが、その自立への道のりは苦難そのものであった。今では中世ヨーロッパの歴史的建築物が保護されている世界遺産として観光地としても有名である。エストニアのタリン歴史地区、ラトビアのリガ歴史地区、リトアニアのヴィルニュス歴史地区それぞれの首都の美しい街並みは中世ヨーロッパに紛れ込んだような感覚に誘ってくれる。
バルト三国は18世紀まではロシア帝国の支配下にあったが、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、リトアニアとラトビアの南部は翌年ドイツ軍に占領される。その後、1917年ロシア革命に成功したレーニン革命政権が民族自決を掲げると、その影響を受けてエストニア、ラトビア北部においてボリシェヴィキ武装蜂起が起こり急速に独立の機運が高まった。しかし、翌1918年3月にソヴィエト政府がドイツ等中央同盟国との間で締結したブレスト=リトフスク講話条約において、ソヴィエトは大戦からの離脱を表明した。その折にソヴィエトはウクライナを失いたくなかったことから、バルト全域を事実上ドイツに割譲し、この地域の領土を放棄することになる。その年の11月の大戦終結を受けて、漸く民族自決権を掲げてリトアニアとラトビアが独立。1920年にはエストニアも独立を果たすことができた。
そして、バルト三国はソヴィエトと講和条約を結び、1921年には国際連盟加盟、1924年バルト三国は最終的な侵略者に対する相互防衛協定に調印し国防を図った。1934年にはスターリン指導下のソ連にこの先10年間、1944年までバルト三国を攻撃しないことを誓約させ、平和への歩みを進めていった。

ところが第一次世界大戦に敗北したドイツは、ベルサイユ講和条約によって屈辱的な扱いを受け、領土は縮小され、植民地は戦勝国のものになり、軍備は制限され、何より莫大な賠償金が課せられた。これによりドイツ国内経済は破綻状態になり、国民の生活は長期に渡り混乱した。さらに1929年に起こった世界恐慌が追い打ちをかけ、瀕死の状態となってしまった。ここに登場したのがご存知のヒトラーである。ヒトラーはドイツ民族の優秀さを説き、失っていた自信と誇りを取り戻すための政策を矢継ぎ早に繰り出す。
具体的にはベルサイユ条約の破棄、植民地の再配分、ユダヤ人の排斥を唱え、当時の国際秩序に挑戦し、他民族を攻撃する手法を取り大衆誘導に成功した。表面的には社会主義政策を掲げながら、国民生活の安定を約束する戦法を取った。そして、一般大衆だけでなく、ナチス同様に政府への不満を吸収していた共産党の台頭を恐れた資本家や軍部をも取り込み、ナチス支援に引き込み、結果ヒトラーの台頭を許すことになったと言われている。ヒトラーはこうして1933年に政権の座に就き、周辺各国に譲歩を迫り、その軋轢が1939年のポーランド侵攻による第二次世界大戦へのトリガーとなった。

実はポーランド侵攻に先立つ1週間前にソ連とドイツは期間10年の独ソ不可侵条約に調印していた。大戦終了後に明らかになったこの条約には秘密議定書が含まれており、その条項によるとヨーロッパ北部ではフィンランド、バルト三国はソ連の勢力圏に割り当てられていた。1940年にはソ連が密約通りにバルト三国に侵攻しソ連への併合を果たす。ソ連はバルト三国に対し、軍事施設の建設、数万人規模の赤軍の駐留、シベリアへの大量強制追放などソ連邦への組み込みを強めることとなる。

ところが1941年6月独ソ不可侵条約を破棄したドイツが突如、ソ連に侵攻しバルト三国を再び占領してしまう。最初リトアニア人、ラトビア人およびエストニア人は、ドイツがソ連の過酷な支配から彼らを解放するものであると考えて協力を惜しまなかった。赤軍の進軍に対抗するために志願し結成された領土防衛軍が奮戦している事実がある。その間、バルト三国のユダヤ人の多くがホロコーストの犠牲(16~17万人言われ、特にリトアニアでの大量虐殺率は突出している)となり、逃亡を助けた杉浦千畝の逸話も今は良く知られているところである。しかし、1944年赤軍進攻によりバルト三国は再びソヴィエト化され、シベリアへ10万人以上の強制移住を余儀なくされている。

ペレストロイカ(ソ連政治体制再構築)の中で1985年にソ連大統領に就任したゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)を呼びかけ、「歴史の見直し」が行われた。その際、ソ連は独ソ不可侵条約時の秘密議定書によるバルト三国併合を違法なものであったと認め、1991年のソ連崩壊によりバルト三国はソ連からの独立回復を果たすのである。
こうしてバルト三国の近代史を振り返ると、18世紀はロシア帝国下、第一次世界大戦時には8か月間ドイツ帝国下、終戦により独立を果たすものの、第二次世界大戦勃発により1941年から1944年までは再びドイツによって、1944年から1991年まではまた再びソ連によって占領されていたことになる。一般に第二次世界大戦の帰結は「民主主義によるファシズムへの勝利」と結論付けられているが、バルト三国のそれは、ソ連とドイツに継起的に占領・共産化されてきた歴史である。よってバルト三国はナチのホロコーストと共産革命のジェノサイドふたつの全体主義犯罪を厳しく告発している。ヨーロッパにおける第二次世界大戦には4つの記憶レジームがあると言われる。ひとつは前述したバルト三国のそれであるが、あとの3つは英米による「ファシズムへの勝利を誇る自己賛美(ノルマンディ上陸・ドイツ降伏)」、独による「アウシュビッツに代表されるホロコーストの凄惨な記憶(悔恨と謝罪の念)」、ソ連・東欧による「反ファシズム戦争としての赤軍やパルチザン・ソ連市民の莫大な犠牲と貢献を称える『大祖国戦争』史観(ヨーロッパの解放者)」である。

現代は大量破壊兵器の開発により、事実上戦争は政治の延長たり得なくなってきており、複雑化・小型化・局地化の様相を呈している。一方で、現下の新型コロナウイルス感染拡大で世界経済がかくも脆弱であることが明らかになってしまったことは生物兵器への悪魔の誘いに何人も屈しないと言い切れない状況を生み出してしまったとも言える。生物兵器は理論上は禁止されているが、「裏切り者」が出ないという保証が担保できないことは上述の歴史が証明している。利害対立における最終手段としての戦争手段が今後も様々に講じられていくにせよ、それぞれの国の「正義」の名において人類を裁く戦争を行えば、壊滅的な破壊をもたらしてしまうことも歴史が証明していることである。全人類の共通の敵とも言える新型コロナウイルスとの闘いにおいてくらいは、全世界が英知を結集できないものかと切願するのはお人よしすぎるであろうか。

覇道と王道

2020年4月13日 at 5:19 PM

覇道とは為政者が徳によらずして武力や権謀を以って行う支配の仕方である。王道とはこれに反して、統治するに仁徳をもってする政治の仕方である。前者は韓非子などの法家の思想で、法治主義である。中国統一を果たした始皇帝も、宰相として李斯を登用して法家思想による統治を実施したとされる。一方、後者は孔子を開祖として戦国期の孟子(性善説)によって形作られた儒家の考え方で徳治主義である。滝沢馬琴(曲亭馬琴)が著した「南総里見八犬伝」で「犬」の字を含む名字を持つ八犬士が、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉を持っていたが、まさにこれらが儒教の徳性である。
中国の各王朝は表向きはつねに儒家を尊び、孔子を聖人とし、「礼」(道徳的な規範)をもって自らを律する儒教を政治道徳の鑑としてきたが、実際の政治の運営は法家の思想を手引きとして行われてきた面が大きい(もっとも今の中華人民共和国は法治主義というより、党治体制であるが)。儒家が表の、法家が裏の思想と言われることもあるが、歴史的には儒家の思想が荀子によって変遷し、それが韓非に引き継がれていったという説が定説となっている。つまり孔子が生きた春秋時代は貴族制であり、大貴族である卿が権力を握って治めていた比較的安定していた時代から、戦国時代に入り、大貴族に代わって君主が大きな権力をもつ「専制君主制」へ移行したあたりから、儒家でありながら孔子や孟子を批判した荀子(性悪説)が強調したのは、善になるためには「人為」すなわち教育が必要、人間は生涯学び続けることによって善に至らなければならないと説いたのである。
世界中に数百あると言われる孔子学院は孔子の名を冠してはいるものの、儒学教育機関ではなく、中国語語学教育機関である。アメリカやカナダでは「設置先の大学などの教育機関の学問の自由が阻害されている」「中国共産党政府の宣伝組織だ」「孔子学院が世界の民心掌握のための中国政府の試みの一部である」などと多くの懸念や批判が表明されている。
儒教では身分秩序は固定的なものとされ、秩序の維持の基礎となっているのは「礼」の道である。身分の高いものは君主に至るまですべて徳があり、高い地位は高い道徳を前提として、下々の者がそれをとやかく批判してはならないとされる。天子は天下を愛し、諸侯は領民を愛し、大夫は官職を愛し、士はその家を愛すという徳治主義である。一方、韓非子の人間観は、天子も諸侯も大夫も士(人民)も、みな同じ利己心を備えた、権勢欲に駆り立てられた醜悪な存在として設定されている。臣下たるものは隙あらば君主を収奪して己が勢力を伸ばそうとする存在であり、道徳というようなものの入る余地がないとする。よって、「法」により人間の欲望を制御し、裁量余地のない信賞必罰の厳正な統治をすることで世は治まると主張するのである。しかしながら、始皇帝統一後の秦がわずか14年で滅んでしまったのは、この法治主義という名の恐怖政治の結果と無縁ではないだろう。
日本に儒教が伝わってきたのは5世紀であるが、日本人に浸透したのは江戸幕府による朱子学(南宋の時代に朱熹がまとめあげた儒学の一派)の奨励が大きいであろう。今でも「子は親や先祖を敬うもの」という道徳観念はほとんどの人の心に息づいているはずである。一方、法家の思想はあまり日本には受け入れられなかったように思える。わずかに、安井息軒という江戸時代後期の儒者が管子(法家思想の元祖と言われる管仲に仮託して書かれた法家の書物。管仲の著書だと伝えられているが、篇によって思想や言い回しが異なり著者は複数居るとされる)を高く評価したとされるが、一般の日本人にその思想は浸透していない。大日本国憲法はドイツ人顧問のロエスレルらの助言を得て、伊藤博文や井上毅等がプロイセンの法治主義を基礎として作成したもので、法家由来のものではない。逆に言えば、太平の江戸時代においては、大岡裁きに代表されるように法令に公正でありながらも人情味のある裁定が巷で話題になるような、およそ厳正な法治国家ではなかったのではなかろうか。
一般的に言って、思想的には孔子の仁愛の方が耳障りが良いし、それで世が治まるならそれに越したことはないと思う人が多数であろう。しかし、韓非子は言う「論客たちは口を開けば、仁義を行うことが人君の道であり、そうすれば優れた王道が実現できると言うが、いたずらに高潔ぶってみせ、実効の伴わぬことばかりしている連中が多い。政治が混乱から抜け出せないのはなぜか。民衆に人気があるものと、政治指導者の歓迎するものとが一致して、それが「乱国の術なり」と、ポピュリズムや衆愚政治を徹底的に批判している。
続けて、韓非子の言に耳を傾けてみよう。「民衆というものは、もともと権勢には服従するけれども、正義に従う気持ちを持つことのできるものは少ない。孔子は天下の聖人である。しかし、孔子は詩書礼楽の四教をもって弟子を教えたが、三千人の弟子の中で六経に通じたのは72人のみであったという。思うに、本気で正義を実行するということは事ほど困難なことである」。韓非子は、王道にだけ政治の道を期待するのは危険であり邪道ですらあると主張する。孔子そのものを否定するものではないが、政治と道徳は別であるということを強調しているのである。
コロナ災禍は先が未だに見えない。「ロックダウン」という言葉が海外から伝えられた。日本も緊急事態宣言が発令されたが、ロックダウンと違って強制力はなく罰則もない。これでどうやって8割の接触を減らすのかと一部では喧しい。法体系の違いがある。日本の法体系は良くも悪しくも人の行動の自由を最大限尊重する。国民に自粛をひたすら「お願い」する形である。PCR検査にしても他国とは違うやり方である。中国の隣国にありながら、未だに一部中国人(在住者の家族)を受け入れているにもかかわらず*、死亡者が他国より明らかに少ないという結果は認めるべきである。国は王道だけでは治まらず、覇道だけでも治まらない。これまでの歴史を通じて、各国なりの感染予防対策を行っている。厳正な予防対策の副作用も考慮して決断している。そこには休業補償や雇用安定対策も当然含まれる。そしてこれらは民主主義国家であれば、国民が選んだ政治家の判断であり仕事である。結果失敗したら、それら政治家を選んだ自らを恨むしかない。法に頼り過ぎず、徳をもって治世を行うには、荀子が説くところの国民の民度の高さが求められる。民度が高くなれば孔子の道に、低ければ韓非子の道に引き寄せられていく。全体主義国家では国民の意思とは関係なく、一方的に対策が講じられる。スピードは速いが、失敗すると底なしのダメージを受けることになる。それぞれの国家の王道と覇道のバランスの結果がコロナ災禍が落ち着いたところで判明することになる。

*http://www.moj.go.jp/content/001318291.pdf

檄 三島由紀夫

2020年4月1日 at 11:36 AM

「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」を観た。コロナ禍で映画館も空いていて20人程の観客。いわゆる3密(密閉・密接・密集)の2条件はクリア。コンサートでもクラシック・コンサートは感染確率が低いらしい。なぜなら喋らないからである。感染爆発を抑えなければならないのは勿論だが、経済不況による死者も想定しなければならない。これまでの政府の対策を批判することは簡単だが、この状況下でのかじ取りは本当に難しい。

三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で益田総監を監禁し、バルコニーにおいて自衛官1000名ほどを前に、「檄」を撒布して演説を行い、その後、割腹自決を遂げたのは1970年11月25日のことである。当時私は小5であったが、そのニュースや翌日の新聞に掲載された、その最後の生々しい写真は未だに鮮明に記憶に残っている。

三島の生涯は45年という短いものであったが、遺した作品数は多く642である。「金閣寺」「潮騒」「仮面の告白」など代表作があるが、私自身は一作品たりとも全文を読み切っていない。作品そのものにはあまり興味を持てず、一方、三島の人生観や自決に至る思想にはずっと興味があった。

小5の私に三島の思想が理解できるわけもなく、社会人になってもその思想を自分なりに咀嚼できる余裕はなかった。三島の年齢を超え還暦を経て、漸く自らの人生観・死生観をもって、三島の思想に踏み込む時間を手に入れ、上述の映画がその機会を提供してくれたということである。

「檄」を初めて全文読んでみる。私の理解を以下に要約してみると、戦後の日本は経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本(三島的に言えば、天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守ること)を忘れ、政治は保身、権力欲、偽善にまみれ、国家百年の大計(防衛)を外国(アメリカ)に委ねている。三島は4年間、準自衛官として入隊し、自衛隊に真の日本(人)たるを期待するに至る。憲法を改正することにより、自衛隊が名誉ある国軍となることを夢見たのであった。

しかし、1969年の10.21国際反戦デー闘争(日本の新左翼暴動事件)を受けた政治的妥協により、憲法改正は政治的プログラムから除外され、自衛隊は自らを否定する憲法を守る「護憲の軍隊」という位置に追いやられてしまった。三島はこれに大いに憤激し、自衛隊からもその反駁の声が出ないことを嘆いた。そして生命尊重以上の価値(「日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。」)の所在を見せつけるために、抗議をして腹を切った。

映画を観て、民青(日本共産党の青年組織)と全共闘が戦っている理由を改めて知った。全共闘はゲバルトやバリケードなど過激な面が強調されるが、実は反米愛国が基軸である。一方、三島は天皇親政であり、両者は愛国というところでは共通している。三島はその共通項を以って、全共闘の心を動かそうという意志があると私は感じた。全共闘は若さゆえか、ひたすら論理を振り回し、揚げ足を取るのに精一杯と私には映ったが、三島は若者たちを諭すように丁寧に言葉を吟味して議論をしていたのが印象的であった。

三島の死から50年経った。憲法改正論議はすっかりコロナ禍で霞んでしまい、祖父岸信介が望んだ憲法改正を実現しようとしている安倍総理も来年9月に任期満了を迎える。延期された東京オリンピック開催が安倍総理の最後の花道であるとしたら、私としてはあまりに寂しい。自身が言うように、自民党結党以来の党是である「現行憲法の自主的改正」を行ってこそ、歴史に残る宰相である。占領国の都合で与えられた「現行憲法」を国是に合わせて改正し、これも米国の都合により「警察予備隊」が「自衛隊」と改名された「大きな警察(つまり治安維持)」を「名誉ある国防軍」にしてこそ、初めて独立国家としての日本が存立しうるのである。

最近、私は西尾幹二氏の著作に興味が湧き、いくつか読んでいる。その中に氏が一度だけ三島邸を訪れ、歓談した時のことを記した随筆がある。三島の人間的魅力に魅了されつつ、また別の三島も垣間見えたことを吐露している。氏による三島文芸作品の分析では「論理的一貫性」に芸術的美を見出し、言行一致を旨とする陽明学的行動論理を好んだとある。和魂洋才から洋魂洋才に堕ちてしまい、自他をごまかして(明らかに自衛隊は違憲)保守化していく安定した体制への拒絶感情をみている。三島はその論理一貫性と言行一致に拘わり、人生を終えた。「武士道とは死ぬことと見つけたり」を貫くような人物は現代には少ないがゆえに、三島は今でも多くの人の記憶に残る存在である。

イスラエルの人口増加

2020年3月2日 at 10:30 AM

イスラエルはシオニズム運動(ユダヤ人・ユダヤ教・ユダヤ文化の再興)を経て1948年に建国された国である。面積は四国を少し大きくした程度の小さな国である。人口は900万人を超えているが、過去30年の間に450万人から倍増している。一人当たりのGDPは4万ドルを超え、日本より上位に位置している先進国家である。
イスラエルのイメージはパレスチナをめぐってアラブ人との戦闘がずっと続いているというのが一般的であろう。時折TVで観るイスラエルのネタニヤフ首相は強硬で好戦的なイメージすら感じられる。イスラエル建国70周年を迎えた2018年に米トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都として正式に認めると発表し、在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。自身の支持基盤(正統派ユダヤ教徒や福音派キリスト教徒)に向けた選挙公約を守った形だが、パレスチナ自治政府のアッバス議長は「嘆かわしい」と呼応した。ネタニヤフ首相は「歴史的」な政策転換だと歓迎したが、式典でのツーショットは中東和平を脅かすものとして多くの人々に映ったであろう。
折しも新型コロナウィルスの感染拡大で、日本では全国の小中高等学校が休校となる事態になった。共働きの家庭やシングル・マザー/ファーザー世帯は対応に苦慮し、学童保育の存在が急にクローズアップされた。給食用に栽培していた野菜が行き場を失い、マスク不足はいつ解消するのかといった不安の只中に今の日本はある。
イスラエルも共働き世帯が多いが、合計特殊出生率は先進国の中では際立って高く3.11である。日本のそれは1.44と半分にも満たない。イスラエルの特徴として、高い教育を受けた女性が多くの子どもを産むという傾向があると言われる。これには勿論、ユダヤ教の超正統派(ユダヤ教の中の1割弱)の存在が貢献しているものの、宗教や律法にあまり縛られない世俗派(同4割強)にも同様の傾向が見られるとのことである。イスラエルの宗教分布をみると、ユダヤ教が75%と当然多数派を占めるが、イスラエルは宗教の自由を認めているので、イスラム教徒も17%と相当数いることに私は驚かされた。
イスラエルの高出生率の理由を、日本にも造詣の深いニシム・オトマズキン国立ヘブライ大学教授は伝統、移民、政策の3つをもって説明されているが、政策については異論があったので、日本イスラエル親善協会ビジネス交流委員 新井均氏のコラムを転用した。
1)伝統:ユダヤ人は子どもを沢山持つことは旧約聖書にある神の戒律に従うことと信じている。過去2000年間にわたってユダヤ人は小さなコミュニティーで暮らし、ある時には絶滅の淵に立たされた(ホロコーストでは、当時のヨーロッパのユダヤ人の3分の2にあたる600万人を失った)。子どもを沢山産むことはコミュニティーの存在につながる大事なことという認識が深く存在する。日本においてわずかながらある出生前診断はイスラエルでは先例がない。つまり産むこと自体に意味や価値を見いだしているという別の准教授の言葉を引用している。
2)移民:イスラエルは世界中に散らばっているユダヤ人を「祖国」に帰って来させることを目的につくられたので、重要政策である移民は奨励され、毎年何万人もの移民を受け入れてきた。1990年代、旧ソ連体制の崩壊を受け、100万人ものロシア系ユダヤ人移民をわずか10年間で受け入れた。移民の多くは高い教育を受けており、労働市場において優秀な就労者が集積されていった。ユダヤ人の哲学には、迫害の歴史に遭っても、脳内に納められた知識だけは誰にも奪われることがないといった考えが受け継がれている。教育熱は非常に高い。アルベルト・アインシュタイン、スティーブン・スピルバーグ、アラン・グリーンスパン、マイケル・ブルームバーグ、ジョージ・ソロス、エスティ・ローダ、ラルフ・ローレン、マイケル・デル、ラリー・エリソン、サーゲイ・ブリン全てユダヤ人である。
3)政策:3歳からの公立幼稚園費用は無料。7つある大学は国立で、文理系問わず年間約35万円の授業料(文学部でも医学部でも同額)。子ども1人から6人まで子ども手当が支給されるが、金額は日本とそうは変わらない。実態は両親の家の近くに住み、祖父母の経済的、労力的支援を得ている家庭が一般的なようだ(新井氏)。40歳以上の女性が子どもを産む割合が世界で最も多い国の一つであることは政策と家族協力があってのことだろう。
イスラエルは未だにモザイク国家である。現在20数%のイスラエル・アラブ人口が過半数を超えればユダヤ人国家ではなくイスラム国家となってしまう。したがって、たとえ世俗派のイスラエル人であってもユダヤ人口増加率がアラブ人口増加率を上回らない限り、ユダヤ人国家は存続できないという恐怖観念を抱えているという。ホロコーストの経験から、ユダヤ人には「生き残らねばならない」という集団的記憶が埋め込まれていると新井氏は言う。島国で比較的安寧に暮らしてきた日本人には理解しきれない歴史がユダヤ人には刻まれている。

 

初等科國史

2020年2月8日 at 12:13 PM

昨年10月に[復刻版]初等科国史が配本された。これは戦時中に国民学校(小学校)で歴史教科書として使用されていたものである。戦後すぐにGHQにより廃止・回収・処分され、日本の歴史から抹殺された教科書である。敗戦後、GHQ占領下で日本国民は、ほぼ洗脳に近い形で思想教育をされたことは、今や明らかにされた事実である。端的に言えば、日本の弱体化(二度と西洋国家に歯向かうことのないように)と民主化(戦争遂行に有効な縦社会の命令系統の破壊)を推し進めた。
具体的には陸海軍の解散、軍需産業の停止、治安維持法の廃止、特高警察の廃止、財閥解体、農地改革(大規模地主から国が強制的に土地を買い上げ、それを安く小作人に売り渡す)、皇室財産の接収(当初、天皇制の廃止を目論んだが、国民の総反乱に合うかもというマイナス面、あるいはアメリカの目論みに利用し誘導できる、というマッカーサーの判断。しかし、いずれ絶えるように皇族の縮小化は図った。今まさに男系男子の皇室継続危機にさらされている)、天皇の人間宣言、政教分離等により、国民の一体化を阻む施策(国家神道の廃絶)を次々と断行した。靖国神社も焼き討ちにする案があったが、イエズス会のブルーノ・ビッター神父の「いかなる国や民族にも戦没者を祀る権利はあり、それをいかなる外国人も禁止する事はできない」という意見により中止されたことを知る人は少ない。

教育勅語が廃止され、教育基本法が制定された。軍国主義教育は廃止され、民主主義教育が実施されるようになった。新たな日本国憲法が制定されたが、実質的にはGHQのエリート集団がアメリカの日本統治において都合の良いように6日で書き上げた継ぎはぎだらけの欠陥品と言わねばならない。国際法においては戦勝国が敗戦国の法律を変えてはならないという決まりがあるが、そうではないという体裁を繕っただけの日本国憲法であることということを今一度再認識したい。GHQによる日本統治政策は単に軍国主義の廃絶を目的にしただけのものではなく、以後日本がアメリカの脅威にならないよう、古人から伝えられてきた日本精神の連鎖を断ち切り、あらゆる反逆の可能性をつぶしていくものであった。そしてトルーマンが、敗戦国の日本を奴隷化(人間獣化計画)する為に用いたのは、3S政策といって、「セックス、スポーツ、スクリーン」であり、これに国民の快楽を向けさせる、まさに日本人の愚民化政策であった。さらにWGIP(War Guilt Information Program)により、徹底的に「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつける」ことに成功したのである。「平和憲法」とは戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認により構成されるが、これで国民の生命と財産が守られるはずはない。ゲーム理論でいうところの全員AllC(全てにおいて協調、全員平和主義で他国に攻め入ることはない)の世界だけで通用する話で、現実の世界には必ず裏切り者が出てくる。なぜなら全員が全員を信頼しきっている状態があるとすれば、その時は一人だけ裏切れば、勝者総取りとなれるので、必ずそういった輩が出現するのです。今の日本国憲法はAllCというあり得ない状況下でしか機能しない平和ボケと言われても仕方がない「平和主義」憲法なのです。

初等科國史において、第16代仁徳天皇の逸話が書かれている。「民家から一筋の煙も昇らないのをご覧になって、三年間税を停止した。御生活はきわめて御不自由となり、宮居の垣はこわれ、御殿もかたむいて、戸の隙間から雨風が吹き込むほどになって行きましたが、天皇は少しもおいといになりませんでした。三年の後、かまどの煙が、朝もや夕もやのように一面に立ち込めると、天皇はたいそうお喜びになって『朕すでに富めり』と仰せになりました。」と民草(国民)を心から想う天皇の治世が描かれており、そのお気持ちは平成から令和にかけても確実に現天皇陛下にも引き継がれているこということを確信できる。

日本の国体や歴史は、幾多の危機(大化の改新、建武の中興、明治維新など)にさらされ、そのたびに幾多の忠義の人々が命を捨てて守り抜いたものである。「その間、皇恩になれ奉って、わがままをふるまい、太平に心にゆるめて、内輪もめを繰り返し、時に無恥無道の者が出たことは、何とも申し訳ないことでありました。しかし、そうした場合でも、親子・一族・国民が、互いに戒め合い、不覚をさとし、無道をせめて、国も災いを防いできました。」と連綿と紡いできた日本の歴史を振り返ることができる。

大東亜戦争に関しては、「400年前から葡西、ついで蘭英露が、最後に米が東亜をむしばんできた。日本は早くからその野心を見抜いて、国の守りを固くし、東亜の国を励まして、欧米勢力の駆逐に努めてきた。その大業を完成するために大東亜戦争を行っている。英米は『民主主義対ファシズムの戦争』と喧伝しているが、日本は『正しき東亜の実現と国土の自衛戦争』を目的とし、日満支三国が力を合わせて東亜新秩序の建設に励むこと」で戦争を遂行してきたとする。

文明開化に関しては、「『独立自尊』の福沢諭吉流個人主義・『人の上には人はなし』の自由民権流思想・『封建の陋習』を一掃しえたと思い上がった国民の常識により、『封建の美風』をも一掃して、歴史を忘れ、血を忘れた低俗なる功利主義者に化し終わっていった」と解説文で林房雄の「勤皇の心」の一文を紹介している。「明治の中期以降、金の権力は次第に日本の社会を腐敗させ、明治維新が一度回復した清潔なる国体の理念は混濁し、厚顔なる偽善者と金肥りの俗物と、巧言令色のおべっか者が世を支配し、内に文明開化を唱えつつ、外に欧米者流に追従して、国は西洋の半植民地に化し果てんとする趣を呈した」という一文は、今一度、大和心を取り戻せと予言しているかのようでもある。

三島由紀夫とも交流のあった林房雄は一度はマルクス主義に陶酔した人物であるが、のちに転向している。当時の日本には、国内の危機から脱する手段としてマルクス主義を選択し、日本の国体そのものの破壊を目指したものもいた。急進的な近代知識人なるものは、近代化、合理主義、資本主義の無原則な進行に力を貸し、民族の伝統文化、信仰、それに基づく共同体の解体を推し進めようとした。しかし歴史が証明したマルクス主義は「古い思考」に囚われているとみなされた民衆を、収容所に送り込んで強制労働の中「改造」し、それに従わぬものを粛清する左翼全体主義思想であった。

明治から昭和にかけて、日本はアジアにおける唯一の近代国家として輝かしい発展を果たした。しかし、同時に近代化と資本主義の急速な発展がもたらしたものは、富の格差であり、伝統的価値観と共同体が、全て「資本」の論理によって解体される時代でもあった。さらに国際社会においては、グローバリズムの脅威、ナショナリズムの勃興、近代以前の価値観が宗教原理主義として暴発、東アジアにおける覇権主義大国の暴力が国際秩序を脅かす時代となってしまったのである。「消された」教科書を読むにつれ、いつの世でも歴史に学ぶことは多いと改めて感じさせられる。

Anti-globalization

2020年1月1日 at 3:27 PM

私の企業人としての歴史を振り返れば、1980年代後半からグローバリゼーションが始まったと言える。最初に海外赴任をしたのは1988年である。それまでも先進的な同僚は海外に出向いていたが、まだ少数派だったように記憶している。会社員を卒業する2013年までは、世界がグローバリズムに向かって進化していることに対して何らの疑問も持たずにやってきた。しかし、昨今はイギリスのEU離脱やアメリカのパリ協定破棄など反グローバリズムが台頭してきており、その他の国でも自国第一主義を旗印に票を伸ばしている右翼政党が目立つようになってきた。どうやら、「経済のグローバル化は生活を豊かにする」とこれまで疑問も持たずに突き進んできたことに、大きな疑問符が付くようになってきたようである。

そもそも世界史的に見れば、最初のグローバリゼーションは15世紀にはじまる大航海時代が起源であろう。これによりヨーロッパ諸国がアジア・アメリカ大陸に植民地を作り始め、経済のグローバリゼーションや物流のグローバリゼーションを起こしてきた。その地球規模の獲得競争の行きついた末が、2つの世界大戦だったとも言えよう。焦土と化したヨーロッパ諸国は不戦を誓い欧州連合を立ち上げ、シェンゲン協定により域内での国境通過にかかる手続などを大幅に削減した。さらにその後、外交・安全保障分野と司法・内務分野での枠組みが新たに設けられ、ユーロの導入による通貨統合も実現した。

第二次世界大戦後に急伸したアメリカはソ連とのイデオロギー戦争に勝利し、政治的には東欧諸国の民主化革命が各地に飛び火し、ボーダーレス化が叫ばれるようになった。ソ連が崩壊した1991年以降には、アメリカの自由貿易圏拡大による自由貿易主義(いわゆるアメリカ化)がグローバル化と同義に扱われるようになっていった。1995年にはマイクロソフトがインターネット接続機能を搭載したWindows95を発売し爆発的に普及した。これにより情報のグローバル化も進み、グローバリゼーションそのものが疑いようのない価値として確立したのが1990年代後半であった。

グローバリゼーションは先進国においては安価な商品を手に入れることができるようになり、新興国ではグローバリゼーションの恩恵を受け、多くの人々の生活水準が高まり、地球規模での貧富の差を縮小させた。その半面、先進国における産業の空洞化、失業率の増加、治安の悪化、宗教文化の衝突、感染症の伝播などのデメリットも生じさせた。
EU分裂か、という直接の引き金になったのは、難民受け入れの割り当てをEU本部のあるブリュッセルでエリート達が勝手に決めたことと言われている。難民を受け入れる国々の自国民にとっては、治安の悪化、雇用機会の低下、税金で難民を救済することに対する反感などが重層的に蓄積し、排斥運動から右翼政党支持にまで発展したものであろう。

考えてみれば、国際組織の限界を露呈している状況は少なからず見られる。国連は5大国の拒否権があるがゆえに、各国の政治的思惑が渦巻き、世界の重大案件に協力して対処できず機能していない(国際社会の脅威である北朝鮮の状況は見ての通り)。文化経済の領域ではある程度機能しているとされているものの、組織が肥大化してしまい、プロセスも不透明なため、不公正が横行している。ユネスコは子供のころ、国際平和と人類の福祉を促進する素晴らしい組織だと学んだが、現在では偏ったメンバー構成により「世界の記憶遺産」なる美名の下、明らかに政治利用されている。アメリカはユネスコへの分担金を停止中で脱退も表明した。22%を占める国連分担金についてもアメリカは投資対効果が低いという理由で滞納している。将来脱退を表明するようなことがあれば、世界の国際組織の枠組みは大混乱に陥ることになります。しかし、それは全く可能性のないことではありません。国連加盟国は193か国ありますが、70か国以上は分担金を滞納していて、財政的に非常に苦しい状況にあります。メリットがなければどんなに崇高な精神を謳おうが組織は存続できません。
WTOも上述の国内事情から、本来の目的である保護主義の抑止といった活動は低下し、途上国においては弱体な国内産業の保護という側面が目立ってきました。意思決定もコンセンサス方式を採用しているため、全ての加盟国が賛同しなければ決定されません。紛争処理能力に関してもWTO協定のみが法的根拠になり、環境や社会関連に関する国際法を無視して裁定されるなどの問題点が指摘されています。

組織が肥大化すると、官僚機構化し、問題解決に時間とコストが掛かり、さらにコンセンサスが取りにくい、一部の横行が発生する、強制力もないとなれば、コストをかけて組織を維持することはいずれ困難になります。こうやって振り返ってみると、国際組織が世界平和に善導してくれるというのは、どうやら幻想のようで、参加国が増えれば増えるほど各国の事情によって裏取引や駆け引きが横行し、手段を選ばない政治利用が増えていきます。いきなり「自国第一主義」といった偏狭な考えに引きこもらず、ここはひとまず組織を今の人類が運営できる適度な単位に括り直すのが望ましいのではないでしょうか。
あるいは民衆がクラウドファンディングやNPOを通じて、国家・国際組織にできないのであれば、と立ち上がっていくのでしょうか。あるいは国家を凌ぐような民間企業やその志を共有するNGOが将来世代を考えたCSV活動を主導していくのでしょうか。いずれにせよ皆が身の回りで出来ることから実行していく以外にないのだろうなと、そんな風に考える令和2年元日です。
(P.S.それにしてもカルロス・ゴーン被告の国外逃亡にはびっくりさせられました。日本人には考えつかないです。平和ボケと言われてもしょうがないですが、性善説に立てるのが日本人の良いところ。あとはインターポールの銭形警部に頼んで捕まえてもらいましょう)

如来・菩薩・明王・天部

2019年12月22日 at 5:51 AM

先日、親父の七回忌を終えた。特段、仏教信者ではないし、神道に帰依しているというわけでもない。「普通」の日本人のように無宗教の空間に暮らしている。俗に葬式仏教だとか、正月は神社にお参りするだとか、年末になれば何となくクリスマスを祝う。そういった意味での「普通」の日本人である。海外に行くと、無宗教というのは、一般には信じられない存在で、「特に宗教はないけど」などというとエイリアンのように思われたものだ。それゆえ、キリスト教だとか、ユダヤ教だとか、昨今ではイスラム教がかなり台頭しているので、表面的には勉強もし、スンニ派とシーア派の違いや、なぜに反目しあうのか、偶像破壊をする連中はどういったドグマに侵されているのか等、国際政治の一端を知る上で教養としての知識は身に着けたつもりではいる。

しかし、考えてみれば仏教も色々な宗派があり、何が同じで、何が違うのか、あまりわかっていない。歴史上、宗派間で争ったということも聞いていない。実家の菩提寺は浄土宗であるが、時折、浄土宗だったか、浄土真宗だったか、度忘れする程度の宗教観と実生活においての距離感がある。年をそれなりに取り、神社仏閣に何となくノスタルジアを感じ、地方都市に行った時でも時間があれば足が向かうことも少なくない。その際に仏像や曼荼羅などの仏教美術を見る機会も多い。漸くもう一歩踏み込んで仏教を勉強してみようと思い立ったのは最近のことであるが、少々の知識を持ってそれら仏教芸術を見てみると、より深い古(いにしえ)の先人の想いに近づけるような気がする。

仏教は釈迦を開祖とする宗教であるがゆえに、釈迦が最上位に位置するものと思いがちだが、釈迦には師がいる。それが阿弥陀如来である。有名なのは鎌倉大仏で、西方にある極楽浄土という仏国土に住んでおられ、多くの仏教では最も優れた仏とされている。東方には薬師如来が浄瑠璃世界の教主として、衆生の病苦を救い、無明(煩悩の苦しみ)を癒してくださる仏がいるとされる。そもそも仏とは何ぞや。仏とは悟りを開いた人で52段階ある菩薩五十二位の最上位(妙覚)に位置する。他には大日如来がおられる。大日如来は両界曼荼羅(金剛界と胎蔵界)の中心となる仏で、密教においては毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ:奈良東大寺の大仏)が発展した如来である。ここでは釈迦は毘盧遮那仏の仮の姿とされるので、大日如来も釈迦ということになるでしょう。いずれにせよ、釈迦以外は抽象的な概念の仏ですから、実在していたわけではありません。

それでは密教とは何か? 密教とは顕教(けんぎょう)と対比される「教義や作法について神秘的な要素が多い秘密の教え」で、後期大乗仏教である空海を開祖とする真言宗や、最澄によって日本に伝えられた天台宗などが、その代表例です。その思想の構造を曼荼羅などの図像によって宇宙の本質や真理を表しています。即身成仏(修行者が肉身のまま悟りの境地に達する行)や阿闍梨(一定期間の修行を経て授かる宗派の認定資格者)などが良く知られた言葉でしょう。

浄土宗に話を戻します。実家の仏壇には中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が祀られていました。観音菩薩は慈悲を、勢至菩薩(合掌した姿)は智慧を象徴する菩薩で、中央のご本尊が人々をお救いになるのを助ける菩薩です。菩薩は先述の菩薩五十二位の51位以下に位置する修行中の階位にあたります。その中でも文殊菩薩、弥勒菩薩、観音菩薩などはよく知られている菩薩です。ちなみに弥勒菩薩は51位(等覚)の位置付けで、次にブッダとなることが約束された菩薩ですが、それは釈迦入滅後56億7千万年後というとてつもない時間がかかるとされています。千手観音も有名ですが、これは観音菩薩の変化身(へんげしん)とされており、40本の手がそれぞれ天上界から地獄までの25の世界を救うといわれています。

密教の仏閣には鬼の形相をした明王も多く見かけます。明王は密教において如来の変化身とされます。如来は穏やかな表情をしていますが、仏の教えに従順でない者たちに対しては恐ろしい憤怒の姿形を現して教化する仏として存在します。一般には五大明王が有名ですが、その中でも不動明王はその中心に位置し、「お不動さん」などと呼ばれ親しまれています。

浅草に行けば、帝釈天などまた別の信仰の対象となる神さんがおられます。七福神に代表される恵比寿・大黒天・福禄寿・毘沙門天・布袋・寿老人・弁財天は、それぞれが神道、ヒンドゥー教、道教、仏教、など様々な背景を持っている神を、室町時代に「竹林の七賢人」に見立てて集めたもので、まさに多神教の国ならではのオールスター総出といった様相です。
梵天、帝釈天、吉祥天、弁才天、伎芸天、鬼子母神、大黒天、四天王、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆などは仏教において天界に住む者の総称として天部と呼ばれます。仏教で言うところの六道(りくどう:天界道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の最上界に住んでいますが、煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ません。死を迎えれば、一般の衆生(しゅじょう)と同様に輪廻転生により六道を行き来する存在です。そもそもは古代インドの神々でしたが、好戦的な神も多く、仏教では仏法の守護神として位置づけられました。弁財天や大黒天など現世利益的な信仰を集めるものもあります。

以上を整理をすると、如来は仏教の最終地点である悟りの境地に至った者を意味します。菩薩は悟りに至るために精進する者や、人々が悟りに至ることをサポートする者を指します。菩薩は仏教芸術的にはきらびやかな服装や装飾品を身に付けることがありますが、これはまだ悟りに至っていないことを表現しているものです。明王は大日如来の変化身であり、密教の教えに素直に従わない者を激しく説き伏せることで悟りへの正しい道へ導こうとする存在です。天部は仏教の世界に煩悩が侵入することを防ぎ、人々が悟りに至ることを応援する存在です。そのため、四天王や金剛力士は寺院の山門や入り口に安置されることが多いのです。天部に共通する特徴としては、甲冑や剣などで武装する姿です。煩悩の象徴である邪鬼を追い払うために武装し、にらみを利かせているのです。

最後に、「天上天下唯我独尊」という言葉で締めくくりましょう。釈迦が誕生したとき、右手で天を指し、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と唱えたとされます。言葉尻からすると随分不遜な言葉だなあと感じます。しかし、一般に「この世で自分ほど偉いものはいない」と解釈するのは誤解曲解で、本来は次のような意味だそうです。
「天上天下」とは、天の上にも天の下にも、ということで、大宇宙広しといえども、という意味です。「唯我」とは、六道の中で、ただ私たち人間に生まれた(人間道)ときだけ、ということです。「独尊」とは、たった一つの尊い使命がある、ということです。「唯我独尊」とは、「私たち人間に生まれなければ果たすことのできない、たった一つの究極の目的がある」という意味です。つまり、「人間に生まれたときにしかできないこと」を「自分自身で考えて生きる」と解釈します。

長い歴史の荒波に揉まれながら、後世に伝えられてきた教えには、その風雪に耐え、磨き抜かれた真理があります。しかし、その宗教の威を借りて人心をコントロールしようという人々もいます。先人の教えに自ら直接向き合い、人間として生まれなければ果たすことのできないことをひとつでも実行していきたいものです。六十にして耳順う。。。

驕れる者は久しからず

2019年11月10日 at 5:11 AM

先月のことであるが、女子プロゴルフ界でゴルフ場のバスタオル提供を巡ってツアー通算5勝の笠りつ子プロが副支配人に向かって暴言を吐いた事件が報道された。複数の関係者によると、笠は多くの選手がストレッチなどに利用するクラブハウス内の浴室にバスタオルがなかったことに立腹。一部報道では、コース関係者に「頭が固い。死ね」などの言葉を浴びせたとされる。

同大会では用意していたバスタオルを持ち帰る選手が多く、今年から提供をやめていたという。さらに一部の選手関係者がマナーを守らないため、荷物置き場や長いすも撤去していたとされる。ことは笠のみに限ったことではなく、プロゴルフ界の「常識」としてまかり通っていたことなのではないだろうか。

事件が表面化して日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の小林浩美会長は謝罪したが、選手名は明かしていなかった。笠は自身の公式サイトに、直筆の声明文を掲載し自ら謝罪。当面の間ツアー出場を自粛。LPGAは笠を処分する方向で調査している。男子ツアーより人気が高く、TV放映も多かったが、人気選手の理想像と現実の姿の違いにショックを受けたファンも多かったことだろう。

ゴルフジャーナリストの舩越園子氏がこの事件を受けて、日本のプロゴルフ界の閉鎖性について記事を書いている。「日本のプロゴルフ界には、昔から『ゴルフが上手い者が人間としても上』と見なす傾向が明らかにあった。 かつて私が日本でゴルフの書き手を始めたばかりだった80年代後半ごろ。あるベテランの男子選手を数人のベテラン男性記者たちが取り巻き、その選手とウェッジの話をしていた。 そこに私も近寄り、選手の冗談めかした話を他の記者たちと一緒に聞き、他の記者たちと一緒に笑った。すると、その選手は初めて見る私を睨みつけ、『オマエ、誰だよ?何、笑ってるんだよ?オマエなんか知らねえから、向こう行けよ』。 その場にいた他の記者たちは、そうやって私が追いやられる場面を、ただ黙って眺めていた。」と。

彼女はそれから数年後、渡米し、米ツアーで取材するようになった。当然ながら彼女にとっては全選手が「初顔合わせ」だったが、選手に近寄って話を聞いていて「オマエ、誰?」「向こう行けよ」と追いやられることは決してなく、むしろ「ウエルカム」と手を差し延べてくれたと綴っている。

彼女によれば、日本のプロゴルフ界では成績や人気が上がるにつれ、スポンサー側が「選手様様」と崇めるようになり、選手の方もすっかり思い上がる人が多いという。運転を任されていたマネージャーがうっかり道を間違え、ホテル到着が大幅に遅れたとき、マネージャーを殴った選手がいたとも書いている。

過去プロゴルフ界では、2010年に三塚優子プロが遅延プレーによるペナルティを不服として途中棄権。LPGA史上最高額である200万円の罰金が科された。2018年には片山晋呉プロのプロアマ戦での不適切対応に対して30万円の罰金と厳重注意の処分がなされたことは記憶に新しい。

昨年から今年にかけて、スポーツ界の闇の体質が顕在化したケースが多かった。アメリカンフットボールの悪質タックル問題、アマチュアボクシング界の独裁体制とその崩壊、体操のパワハラ騒動、大相撲界の暴力騒動、Jリーグ・湘南ベルマーレでのパワハラ事件、テコンドー協会の独裁体制批判等々。

そんな中で今年日本で開催されたラグビー・ワールドカップは大成功を収めたと言っていい。高校の体育の授業でラグビー経験があった私ではあるが、やはりにわかファンであることには間違いなく、大会が始まるまでは心躍ることはなかった。しかし、いざ予選リーグが始まって、日本チームが勝ち進み予選リーグを突破できるかどうかが掛かったスコットランド戦ではその興奮が最高潮に達した。決勝リーグにあがって、南アフリカに敗れたものの、ラグビーというスポーツの面白さに引き込まれ、準決勝~決勝、三位決定戦に至るまでチャンネルを合わせるほどに、フィジカル面だけでなく、知的かつ戦略的な試合運びに奥深さを感じ、一瞬のプレーも見逃すまいと画面に食い入るように観るまでになった。

そして何といってもラグビーの感動をもたらしているのは「ノーサイド」である。試合開始前からニュージランド・チーム等が行う「ハカ」(呼び方は国によって違う)によって、自分自身と仲間を鼓舞する。試合前には両チームが相対し、お互い闘争心をむき出しにして死力の限りを尽くし勝ちを競う。しかし、レフリーの吹くノーサイドの笛を境に、勝ち負けを超えてお互いに健闘を称え合う姿は多くの人を感動させているに違いない。(決勝戦で敗れたイングランドチームの一部にメダル拒否の姿が見受けられたのは残念でした)

ちなみに「ハカ」で謡われるカ・マテ カ・マテ カ・オラ カ・オラの「カ・マテ」は「私は死ぬ」、「カ・オラ」は「私は生きる」という意味だそうで、自らを鼓舞する歌詞です。冒頭の他人に向かって「死ね」という意味合いとはまさに正反対の言葉と言っていいでしょう。

子供はふざけて、よく「死ね」と友達に言います。いくつまでそんな言葉を吐くのでしょうか。普通はいい大人になれば「死ね」などと暴言は吐きません。私が会社員時代に部下の中に「武闘派」と呼ばれる数人がいて、取引先に「死ね」と電話越しに言っていることを周囲の人間が聞きつけ、私に「通報」してくれることがままありました。取引先の不手際や約束破りなど、どうしても許せないことがあったとしても、大の大人が「死ね」と口に出してはいけません。本人を個室に呼んで諭すと平身低頭反省しますが、また一時の感情を爆発させることが数年に一度は繰り返されました。大人力が低いと言わざるを得ません。

当然のことながら、仕事が出来れば何をやってもいいということではありません。仕事の成功のために何をやってもいいということでもありません。周囲やファンを不快にする行為言動は、その言葉を発している本人に返ってきます。ゴルフが上手ければ、何でも許されるわけではありません。身も心も磨き、人間としての魅力を身に付けなければ、その名声はその腕からするりといとも簡単に滑り落ちてしまうものです。

コンプライアンスとは~関電金品受領問題~

2019年10月12日 at 12:00 PM

関西電力(以下関電)の会長や社長など経営幹部6人が、関電の原子力発電所がある福井県高浜町の森山元助役から、合わせておよそ1億8000万円の資金を一時、受け取り、税務当局からの指摘を受けて、所得税の修正申告をしていたと報道されたのは2019年9月27日のことである。その日の岩根社長による記者会見で、過去7年間に20人が3億2000万円の金品を受け取っていたことが明らかになった。そして、「社内調査の結果、私を含めた役員・社員の一部が、良識の範囲を超える金品については受け取りを拒んだり返却を申し出たものの、強く拒絶されるなど返却困難な状況があったことから、返却の機会をうかがいながら一時的に各個人の管理下で保管していた。現在までに、儀礼の範囲内のものなどを除いてすでに返却を行っていることを確認した」と説明した。続けて「また発注等、当社の業務に関する問題がないことを確認しているが、コンプライアンス上疑義を持たれかねないものと考えており、本件を厳粛に受け止めている。今後二度とこのようなことが起こらないよう、コンプライアンスの徹底に努めていく」と述べた。翌日の日経新聞には「関電、法令順守の欠如露呈」との見出しが踊ったが、後日の社長の「就任祝いとしてもらったお菓子の下に金貨が入っていた」などという説明はお代官と越後屋の陳腐な時代劇を想像させ笑うしかなかった。

2018年7~9月に社内調査委員会が調べた結果、「不適切だが違法ではない」と判断。返却は事実上個人任せとなっていたことも明らかにした。調査委が発足したのは、金沢国税局が税務調査で元助役から金品が関電役員らに流れていることが指摘されたからで、そうでなければうやむやになっていたことは想像に難くない。実際、調査委の調査対象が2011年以降なのは、国税庁の指摘のあった期間に合わせたためで、それ以前は不明としていることからそのことが伺える。公表についてももっと早い段階ですることはできたし、公益性の高い電力事業者であれば、尚更すべきであったはずである。

関電が福井県で保有する高浜、美浜、大飯の3原発の運転を統括する原子力事業本部を本店内の大阪から美浜に移転したのは2005年のことである。事業本部長は副社長が務めることが慣例になっていた。前2004年8月に美浜原発3号機で11人が死傷する蒸気漏れ事故があり、全原発が停止。県に再稼働の条件として地域対応の強化を求められ、原子力事業本部を移転したが、結果的には地元との癒着が進んでしまった感がある。八木現会長は翌2006年6月に原子力事業本部長代理に就任し、「着任して元助役を紹介され、金品を渡されるようになった」と証言している。その意味でも「本件を厳粛に受け止めている」ならば、調査委の調査は少なくとも2005年から始めていかなければならない。

元助役は2019年3月に死亡しているが、死人に口なしとなった半年後に公表ということも気になるところではあるし、公表後もメディアが報道するまでは森山氏の名前を自ら明かしてはいない。その後の経産省の指導を受けて、原子力以外の全部門で調査をする方針を打ち出したが、行政から指導を受けなければ調査をしないという姿勢は今もって全くコンプラ意識が欠如しているとしか言いようがない。

2011年に九州電力において、玄海原発2,3号機の運転再開を巡り、社員が一般市民を装い再稼働を支持するメールを送っていたことが表面化し、過去に遡って佐賀県と九電の深いつながりが問題視され、当時の社長と会長が退任した事件があった。その後を継いだ瓜生社長はコンプラ遵守を厳格化、中元や歳暮の受け取りを禁止し、外部から疑われる行為自体も止めるように毎年社員に通達を出している。本当に関電にコンプラ意識があれば、この時期にも膿み出しをすることが可能であったはずである。

関電の筆頭株主である大阪市の松井市長は「金品を受け取っていた人全員が責任を取るべきだ」「会見の内容に関わらず代わってもらうのは当然」と10月1日に記者団に述べた。会見の内容次第では株主代表訴訟も視野に入れるとする。関電は翌2日の記者会見で豊松元副社長と鈴木常務が1億円超え相当の金品を受け取っていたと公表。常識では考えられない金額であり、スーツ仕立券以外はほぼ返却済みとしているが、ほぼ半額は税務調査後のことである。元助役が顧問であった建設会社「吉田開発」には入札を伴わない「特命発注」が2014年以降増えており、同社は元助役に3億円の手数料を払っている。福井県幹部にも元助役から就任祝いの贈答品が送られていたことが確認されており、「原発マネー」の還流が疑われても仕方がない構図が浮かび上がってきている。

地域産業の活性化を支援するとして「県内取引先への工事発注と物品購入の拡大」を掲げることは結構なことである。だからこそ取引の透明性が求められる。法外な金品を受け取っておいて、「工事発注とは関係がなく、発注プロセスや金額は適正だったと考えている」と岩根社長は社内ルールの逸脱はないと説明したが、到底理解が得られるものではない。後日、会長の辞任と社長の第三者委員会の調査報告を待っての辞任が報道されたが、辞任で片が付く話ではない。再発防止策をどのように取るかが課題である。以前の総会屋問題を見るような思いである。

多くの新聞紙上でもコンプライアンスを法令順守と同義で記事を書いているが、そもそもコンプライアンスとは法的責任のみならず、倫理的責任を包含するものである。取引においてはその透明性はもとより、公正な取引、公平な情報提供を求められているのである。元助役に工事の発注予定や概算金額の情報提供を秘かに行っていたとすれば、コンプライアンス違反なのである。収賄罪や特別背任罪に問われなければ何をやってもよいということではない。「法律さえ守ればいい、ルールさえ守ればいい」という考え方は、逆に「法律やルールがなければ何をやってもいい」という考え方に至る恐れを含んでいる。毎日の生活に生き死にが関わっているならまだしも、そうでない時代に生きている多くの人たちは変化が激しい時代、そして多様性を求め認める社会に生きている。そういった時代はルールや法律は常に後追いなので、自らの道徳や倫理といった価値観に従って物事を判断し、行動をしなければ、のちのち不祥事に巻き込まれたり、不誠実という汚名を着せられる時代なのである。巨大IT会社となったGoogleへの風当たりは昨今厳しいものがあるが、彼らの社是「Don’t be Evil(邪悪にならない)」は出色の行動規範である。昨年「Do the right thing.(正しいことをしよう)」に修正されたらしい。残念である。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191015-00000060-sasahi-soci&p=1

一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる

2019年9月1日 at 4:09 PM

チャップリンの映画「殺人狂時代」(1947年)で、チャップリン演じる殺人犯が死刑判決のシーンで叫んだ有名なセリフである。原文は One murder makes a villain, millions a hero. Numbers sanctify. 〆には「数が殺人を神聖化する」と続く。この映画は第二次世界大戦の勝利に酔っていたアメリカを強烈に皮肉ったものだ。当時アメリカを覆っていた恐怖のレッドパージ(赤狩り)によってチャップリンは追われる身となり、事実上の国外追放によりスイスに移住することとなる。遡ること7年前ナチスが台頭する戦中に製作された「独裁者」(1940年)では、恐怖によって世界を征服しようと企むヒトラーを容赦なく「滑稽な愚人」として強烈な風刺をもって描いた。激怒したヒトラーが、ナチス全軍にチャップリンの殺害を命令したという。

殺し合いによる大量死者というと多くの人の頭には2つの世界大戦が過るものと思う。第二次世界大戦における死者数は5000万〜8000万人とされ(民間人3800万〜5500万人、軍人2200万〜2500万人という統計数字がある)、第一次世界大戦のそれは3700万人と言われている。想像を絶する恐るべき数字である。

多くの悲惨な国家間の戦争を経て、人類は「ハーグ法」(1910)や「ジュネーブ法」(1949)を制定し国際人道法を確立してきた。戦争による殺人の法的建付けはどうなっているかというと、政府の正規軍等が戦時国際法の規定の範囲で戦闘行為を行い、その結果人を殺しても個人の法的責任は免責とされている。 ただし、戦闘員と言えどもどんな殺人を犯してもよいと規定されているわけではなく、必要性・必然性の無い殺人を行った場合は罪に問われる。また政府軍・正規軍であろうが、正当性を著しく欠く殺人を行うと人道に対する罪に問われ裁かれることになる。 しかし、戦時自体が異常な狂気の状態であって、後に戦勝国が敗戦国を裁く形は変わらない。生死の狭間で戦闘を行う戦闘員にしても、その巻き添えを食う民間人にしても、一挙手一投足を法に照らして行動できるわけはない。戦争による殺人の適法性とは、そもそも戦闘そのものの適法性に関わるが、これは(法)哲学の領域であって、これまでも、そして今でも、そして将来も、世界が一つの国家にならない限り明確になることはない。

なぜ戦時における戦闘員の殺人行為が免責になるのかといえば、国家の正当防衛や緊急避難にあたるというのが、その解釈である。これにより戦時においては殺人罪という違法性が阻却されるのである。戦時国際法では、「文民や民用物が巻き添えになることは不可避であるが、攻撃実行にあたっては、その巻き添えが最小限になるように努力し、攻撃によって得られる軍事的利益と巻き添えとなる被害の比例性原則に基づいて行われなければならない 」とある。文字通り解釈すれば「核攻撃」なるものは手段として正当化されない。事実上の核保有国は増えているが、使用可能性はゼロではないものの、事実上凍結された兵器である。日本への原爆投下を密約したF・ルーズベルトとチャーチルの判断は決して正当化されるものではない。しかし、彼らは戦勝国ゆえ裁かれる立場になかったということは歴史の大きな教訓のひとつである(ちなみにアイゼンハワー将軍は、原爆使用は不要である旨、トルーマンに進言していたし、多くの軍人がそれに同調していたことがのちにわかっている)。

現在では全ての国において、殺人は重罪である。全ての宗教も殺人を禁忌している。しかし、戦争は他国との交戦であるので正当化され、宗教は他宗教との聖戦(ジハード)によって異教徒を殺すことを正当化している。ところが、現代戦争は国家のみで行われることばかりとは言えなくなり、「テロ」という名の個人や組織による殺戮も起きるようになってきた。戦時国際法は国家間戦争を対象にしているが、そういった国家間以外の「戦い」には残念ながら無力・無効である。また、国家司法制度による死刑にしても、その正当性が十分かと言えば、昨今大きく揺らいできていると言わざるを得ない。実際、時の政権が国民の支持を失い交代すると、前政権にはそもそも正当性がなかったとして、死刑執行命令を出したことも違法な行為だったとして、遡って以前の権力者が殺人罪に問われ裁かれることもある。

大量殺戮の歴史は戦争だけではない。毛沢東6000~7800万人、スターリン2000~2300万人、ヒトラー1100~1700万人、反体制分子や人種差別によって無残にも命を奪われた人々の数もおびただしい数に及ぶ。今は情報技術やSNSの進展により、国家は安寧を図るために危険分子を選別するための監視社会へとひた走り、国家発信・個人発信問わず情報隠蔽やフェイクニュースが社会を駆け巡る時代となった。自由民主主義・社会主義問わずSNSという人々の権利に国家も脅かされ、国家と個人の関係性も先鋭化している。国家間、国内の境を飛び越えてテロや全体主義の導火線が飛散しているとも言える。

手元にある日本の某団体が100人に調査したアンケート結果がある。「人を殺せば罪になりますが、戦争では罪にならないことをどう思いますか?」(複数選択)⇒結果は「根本的におかしい」(54)、「人類が未熟」(34)、「戦争なら仕方がない 」(16)、「命は絶対的価値ではない」(14)、「戦争なら当然」(10)、「その他」(14)。半数以上が「根本的におかしい」と答えたのは、人々が以前よりも国家に守られている、守られるべきという意識や精神構造が明らかに変貌したことを伺わせる。もはや戦時国際法も人権に目覚めた人々の支持を得ることは出来なくなっていると考えるべきではないだろうか。

国家も個人も「正当防衛」を主張するということは詰まるところどういうことなのか? それはつまり個々の人権を認めるということではないか。個々の人権を何人も国家も侵すことが出来ないと考えるのが自然ではないだろうか。であれば、結局あらゆる殺人は正当化できないという結論になりはしないか。過度に国家に背を向ける必要はないが、人権を最上位に位置付けるのであれば、理由はどうであれ、全ての殺人は正当化されるべきではない。国家も組織も個人の人権を守るという大前提に立って、これからの社会を構築していかなければ、人類の明るい未来はないと考えるのは甘いであろうか。少なくとも100万人殺せば英雄になるというような時代はご免である。