|   調達科学研ホーム  |   Procurement Science Lab. Home   |

東芝、日産、神鋼、SUBARU

2017年11月3日 at 5:11 AM

日本のモノづくりを代表する大手企業が不祥事に揺れている。それも立て続けに。
東芝は2015年4月3日、証券取引等監視委員会に届いた内部通報をきっかけに「不適切会計」を発表した。以降定時・臨時合わせて6度目の株主総会が行われた2017年10月24日に初めて「不正会計」という表現に変えて、現経営陣が株主に説明を行った。それまでの外部専門家による調査の公表内容に準じれば、早い段階で「不正会計」は明らかだ。当時の社外取締役、会計監査を担当していた新日本監査法人の責任は免れない。知っていれば大問題、知らないでいたとしても大問題。これまでずっと「不適切会計」と称してきたのは、今でも取り調べ中の3人の歴代社長への忖度であろうか。東証も東芝半導体の売却が片付いていない2017年10月11日に特設注意市場銘柄の指定解除を行った。日本を代表する企業が上場廃止となれば、その影響は市場関係者のみならず、従業員、真面目に経営をしている関連会社、その取引先と広範囲に渡る。そこへの忖度はある程度必要であろう。しかし経営トップへの忖度は全く不要。そういった社会風土・会社風土がこういった問題の再発を防げない最大の理由ではなかろうか。SOX法成立のきっかけになったエンロンのCEOは25年の禁固実刑判決を受けている。

四大監査法人のあずさ監査法人は今年8月、新規案件の受注を1年間停止すると宣言した。この間に過重労働に強いられている現場の作業改善を行うとのことである。将来はAIの普及が予想されるが、複雑化する会計処理や決算月の集中により、品質を高めるべき現場とは裏腹に、契約更新維持のための価格競争に巻き込まれ、投資家からの損害賠償のリスクにも晒される。この悪循環は日本株市場への不信感となって日本経済の土台を揺るがす事態を重く見てのことであろう。

日産にカルロス・ゴーンが乗り込んできたのは1999年6月(当時COO)。半年後に「日産リバイバル・プラン(NRP)」を発表し、3つの達成目標を掲げた。⓵2000年度連結当期利益の黒字化、⓶2002年度連結売上高営業利益率4.5%以上、⓷2002年度末までに自動車事業の連結有利子負債を7000億円以下に削減、この3つのうち1つでも未達成の場合には「経営陣全員が辞任する」とカルロス・ゴーンは公約した。⓵の目標を過去最高の3311億円の利益によってクリアしたゴーンは2001年6月に当然のようにCEOに就任した。その後NRPを2年間で達成したゴーンは、すぐさま次の目標を「日産180」として、⓵2004年度末までにグローバルでの販売台数を100万台増加、⓶連結売上高営業利益率(連結ベース)8%を達成、⓷2004年度末までに自動車事業実質有利子負債0の実現をコミットした。結果は⓵はやや達成が遅れたものの、⓶⓷はコミット通り達成した。カルロス・ゴーンは2017年2月、ルノー・日産に新たにアライアンスとして加わった三菱自動車の全体を率いることになり、日産CEOを西川(さいかわ)氏に譲った。

その日産で無資格の完成検査員が車両の完成検査を行っていたことが9月18日の国土交通省の立ち入り検査で発覚した。本件がさらに大きな問題となったのは、再発防止策を講じたとした後も、日産車体の湘南工場・日産自動車の追浜工場と栃木工場・日産自動車九州の4工場で、無資格者が完成検査を続けていたことである。報道陣からの質問に対して「過去から長く続けてきたことに対し、今日からダメだと言ってもなかなか手を打てないことが(他の業務でも)散見される。習慣化した部分を甘く見てはいけないと身に染みて感じた」と西川社長は語った。ダメだと言われたのに、そして新聞やメディアでも大きく報道されていたにもかかわらず、生産現場及び現場責任者が無視したことは、本件が極めて根が深い問題であることを浮き彫りにした。会社の業績が大きく向上したのは、まぎれもなく経営トップであるゴーンの功績である。しかしながら現場の作業基準や検査基準に則って、決められたことを決められた通りに行うということや、法令を順守するという当たり前のことが、なおざりになっていたことである。国土交通省は全自動車メーカーに体制確認を求めたが、その結果SUBARUにも同様の問題が発覚した。SUBARU(当時富士重工)は1968年から2000年まで日産と業務提携をしており、その影響があったかもしれない。SUBARUのケースは日産より規模は小さいが過去3年間のリコールを発表した。機能上の欠陥が見つかっていないにもかかわらずリコールを行うことは異例であるが、消費者の不信感を考えれば当然のことであろう。

神鋼の性能データ改ざん(強度や寸法)は、日産・SUBARUの無資格者検査より重大な問題である。なぜならば、会社として意図的にウソをついて出荷したということだからである。納期優先で基準に達しない製品を出荷納品したというのは著しく信頼性を損なう行為である。東京商工リサーチは、不正のあった神鋼国内グループ7社(神戸製鋼、コベルコマテリアル銅管、コベルコ科研、日本高周波鋼業、神鋼メタルプロダクツ、神鋼アルミ線材、神鋼鋼線ステンレス)の製品販売先が3143社になると発表した。供給先は航空機メーカーや自動車メーカー、ロケットや車両など多岐に渡る。安全性を最も重要視する業界において、偽装品納入による損害賠償・契約違反による取引停止などの措置が取られることは必至であろう。神鋼解体論もささやかれる。子会社のコベルコマテリアル銅管の秦野工場で生産する一部の銅管製品では、JISで定められた規格値を満たしていないにもかかわらず、データを書き換えてJISマークをつけて供給していた顧客が4社あったということで、JIS認証取り消しとなった。詐欺と同じであるから当然である。私は知らなかったが、神鋼グループはこの10年で3度目のJIS認証取り消しを受けたとのことである。ずさんな管理体制と経営層の責任は免れない。最初の記者会見で見せた神戸製鋼所の川崎会長兼社長の表情や受け答えには、とても重大な事件を起こしてしまったという経営トップの意識を、私は一切感じられなかった。このような人が社長になる会社とその風土におかんが走った。神鋼は1999年総会屋への利益供与、2006年にはばい煙データ改ざん、2008年には強度試験データ改ざん、2009年には政治資金規正法違反、昨年も子会社の検査データ改ざん発覚、JIS認証取り消しとなっている。私が神鋼と取引していた30年前は、伝統的な鉄鋼業界に風穴を開けんと進取の精神でアプローチしてきたことを思い出すが、会社とはいつどのように変貌してしまうのだろう。

一連の不正会計・無資格者による検査・性能データ改ざんは、購買担当者にとって受難を意味する。財務データを分析し、工程監査を行い、提出データを信頼し、取引先管理を行ってきた。性善説に立つ日本型オペレーションは取引コストの膨張を防いできた。しかし、それではお人よしすぎると言わざるを得ない現実が見えてしまった。国内メーカーと海外メーカーとの調査や監査には軽重をつけてきた。もはやこれは通用しない。日産やSUBARUの完成車の場合、本来は国が安全性を調べるところを自動車メーカーに代行させている。多くの購買担当者もサプライヤーに自主品質検査の名の下、受入検査を委託している。今や大手有名企業と言えども信用できなくなった。それでも購買担当者が隅の隅までは見通すことはできない。何を頼りにするのか。現場と社長の両方を見極める眼が購買担当者の最後の砦である。現場と決算書と社長の言質との間に違和感があれば、それはどこかに誤魔化しやウソや実態の伴わない美辞麗句が潜んでいる。納得いくまで追究すべきである。

浄土宗・浄土真宗

2017年10月10日 at 4:54 PM

私は新潟の出身で、菩提寺は新潟市内にある善導寺というお寺である。2007年に新潟市は政令指定都市になり、現住所は中央区となっているが、私が幼少の時は「西堀通」と呼ばれていたところに、その善導寺はある。さらに昔は「寺町」と呼ばれ、明治5年に「西堀」となり、名前の由来であるお堀は昭和35年に国体が開かれた時に埋め立てられて、名称も「西堀通」と改められた。昔「寺町」と呼ばれただけあって、この通り沿いにはお寺が多い。1番町から11番町まで約1500mの間に大小43の寺院が存在する。昨年ブラタモリの撮影ロケが行われて、タモリ出没に市内はざわついたと聞いている。
http://www.nokotsudo.info/list/nigata.html#list01

いっとき、身内の不幸が重なり、ここ数年善導寺を何度も訪れた。改めて宗派を確認すると善導寺は浄土宗のお寺である。子供の時に聞いた記憶があるが、いつしか浄土宗だったか浄土真宗だったか記憶が定かでなくなってしまっていた。多くの日本人は宗教意識がなく、お寺には葬儀とお盆の墓参りくらい、新年は神社、結婚式は教会でもいささかの違和感も感じない。妻とは同郷の出身であり、その実家の菩提寺も西堀通にある勝楽寺というところである。ここも近年不幸があり初めて訪問した。ここは浄土真宗(大谷派)のお寺であり、お坊さんに合わせて、配られた正信偈(しょうしんげ)を声明(しょうみょう)するという初めての体験をした。善導寺にせよ、勝楽寺にせよ、唱えていることの意味は分からない。南無阿弥陀仏だけが共通である。幸いにして我家に宗教戦争は無い。

浄土宗は法然上人が、浄土真宗は親鸞聖人が開宗したと学校で学んだ。親鸞は法然を生涯、師と仰いでいたので、浄土往生を説く教えとしては直系の宗派と言える。
世界の歴史を振り返ってみると、宗教と国家権力は結びつきやすいという事例を多く目にする。民衆をまとめ上げる手段として宗教を利用することは少なくない。しかし一方で、国家権力を危うくするものとして宗教を弾圧することもある。四世紀にキリスト教はローマ帝国の国教だったし、東方教会は東ローマ帝国という後ろ盾があった。西方教会(カトリック教会)は世俗的な支援を失い、存亡の危機とまでいえるほど不安定な状況になったこともある。日本でも織田信長はイエズス会を庇護し、豊臣秀吉は、勢力拡大したキリスト教に憂慮し、宣教を禁止した。

話を元に戻すと法然以前の仏教では、顕密の修行・難行を通じて、煩悩を滅し仏に近づき悟りを開く道が正行とされたが、法然は自身を含めた凡夫には、その難行は耐え難く、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて極楽浄土を願う「専修念仏」を易行として説いた。背景には11世紀から社会に広がった末法の世と無縁ではない。摂関政治が衰え院政が蔓延り、法然自身が学んだ天台宗も腐敗していった時代である。法然は日本の仏教史上初めて一般女性に広く布教した僧としても知られている。地方の武士や将来に不安を抱える中央貴族にも浄土宗は広まり、仏教の大衆化に寄与したと言えよう。

しかし、比叡山天台宗の僧徒は専修念仏の広がりに危機感を覚え、念仏の停止を迫って蜂起、これを味方につけようとした後鳥羽上皇により、1207年念仏停止の断が下された。国家権力との関係を断っていた法然は還俗させられ74歳にして讃岐に流罪となった。流罪は10か月と短いものであったためか、現在の四国は浄土宗・浄土真宗も多いが、他県との比較においては圧倒的に天台宗・真言宗系が多い。お遍路で有名は四国四十八ヶ所はほとんどが真言宗です。
一方、親鸞も法然と同様に越後に流罪となっている。親鸞この時34歳。4年後の赦免以降の親鸞の動向は確かな記録が残っていない。しかし、しばらくは越後に留まって布教に努めていたと言われている。新潟において浄土宗・浄土真宗の信徒や寺院が非常に多いことは、その証左と考えられる(ちなみに浄土真宗は親鸞の死後、門弟たちによって開宗されたので、親鸞自身は浄土真宗を広めたという認識はない)。ちなみに親鸞は比叡山天台宗と決別した後、日本仏教史上初めて肉食妻帯を宣言したことでも知られる。当時高貴な流人には身の回りの世話をする女性の同伴が許されており、越後の恵信尼(後妻)との間に6人、前妻との間に1人、合計7人の子供を授かっている。

親鸞の教えの根本となっているのが「悪人正機説」であるが、ここで言う「悪人」とは、窃盗や殺人を犯すような悪人という意味ではなく、「煩悩だらけの凡夫」という意味である。そして親鸞は、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼からすれば、全ての人は悪人であって、善人などいない。善人は、その真実の姿に気づかない悪人であると説いている。阿弥陀仏の救いの対象は煩悩に翻弄される凡夫であり、人間すべてであると捉えているところの正直さが、当時の多くの衆生を惹きつけ、今でも日本仏教最大の信徒を抱える宗派なのであろうと思う。葬式仏教と揶揄される現代ではあるが、現在でも教義にとらわれず、多くの日本人の心に今でも宿るものなのであろうと思う。

色覚多様性

2017年9月16日 at 2:29 PM

日本遺伝学会の第89回大会において、これまで分かりにくく誤解や偏見を招きやすかった用語を改訂することが決まりました。今月中に用語集としてまとめて一般向けに発売するそうです。
高校の生物で履修する遺伝学の「優性(Dominant)」「劣性(Recessive)」という形質は、「優劣」という日本語表記からそれぞれ優れている、劣っているというイメージを与えてきました。
実際には片方の親から受け継いだだけで発現するものを「優性遺伝子」、両方の親から受け継がないと発現しないものを「劣性遺伝子」と言うのですが、字面からそれを読み取ることには困難さがありました。
同学会は、日本人類遺伝学会とも協議して見直しを進め、「優性」を「顕性」に、「劣性」を「潜性」に言い換えるということにしたそうです。新しい言い方はなじみがない分、とっつきにくいかもしれませんが、性質を正しく指し示し、誤解を生じさせない方向へいくのではないかと期待できます。
他にも「突然変異(Mutation)」の原語に「突然」という意味は元々含まれていないので、「突然」を除いて「変異」とすることや、色の見え方も人によって多様だという認識から「色覚異常」や「色盲」を「色覚多様性」と称することが決まりました。同学会では10年ほど前から用語編集委員会を中心にインターネットで意見を聞くなどして見直しを進めてきたそうです。

私は子供の頃「赤緑色弱」と判定され、理数系が得意ではありましたが、当時、医師やエンジニア(抵抗のカラーコードが読める)にはなれない(業務上色の判断を伴う職業には就けない)ことを知り、文科系に進んだという経緯があります。同学会では「色覚異常」や「色盲」という用語について、日本人男性の20人に1人が相当する(フランスや北欧ではその倍)ことなどから、「異常と呼ぶのは不適当」との意見で集約され、科学的に中立な「色覚多様性」という表現を採用したとのことです。
小林武彦会長(東京大教授)は「ゲノム(全遺伝情報)解読が進み、遺伝子の多様な役割が分かってきた時代に合わせた用語改訂だ。広く社会にも定着してほしい」と話しており、文部科学省にも教科書の用語改訂を要請する方針だそうです。
色弱と色盲はかなり程度が違うものと思います。私は一般社会で特に不便を感じることはありませんが、修正に赤線や赤字を使われると正直見にくいです。私は修正には青ボールペンを好んで使います。ゴルフボールのオレンジやピンクは絶対に使いません。くっきり見える色とくっきりとは見えない色があるだけです。女性の場合の色盲は重度なケースが多く、全色盲(モノクロの世界)の人は3万人に1人と言われています。色覚異常とされた人のうちの0.07%という極めて少数な人達です。
他にも青や黄の認識が困難という方たちもいますが、私を含めてほとんどの色覚異常は赤と緑の判別がつきにくいという方たちが大半でしょう。特に、鮮やかでない色や暗い環境、見るものが小さい場合などでは、より似かよって見えるので判別しにくくなります。深緑の葉に小さい深紅の花や、小さい赤い果実などは近くに行かないと気づきませんし、紅葉も正常な方たちより綺麗に鮮やかには見えていないものと思います。

石原忍軍医監によって1916年に開発された色覚検査表は徴兵検査用に使用するためでしたが、後に学校保健の場にも取り入れられました。1989年に改訂されるまで70年以上に渡って、就職差別の記載が残っていました。色覚異常と就職差別は直接的な関係があるわけではないのですが、現実にはそのように判定され、将来を左右された方たちも少なくないでしょう。ネットで検索してみたら、この石原検査表を丸暗記して、就職したという方々もいました。こういう方が実際の職場で不都合を感じずに職責を果たしておられるのか、びくびくしながら毎日を過ごされているのかわかりませんが、事実は事実として受け入れる必要はあると思います。
2003年には学校での検査は保護者の同意が必要な任意実施となりましたが、これには「色覚異常を知る機会がなくなる」「学校現場で、色覚異常の子供への対応が十分なされない」といった反対意見も多くだされ、2016年4月から小学校の健康診断での色覚検査が再開されました。再開した理由は、色覚異常と気づかずに学業を終えた学生たちが企業から門前払いをうけるケースが続出したからだそうです。
先天的色覚異常を本人が早くから認識し、本人が自分の将来を自身で考えることは必要なことです。色覚異常だからと言ってデザイナーになれないわけではありません、ひとつの個性として捉えればいいのです。人に迷惑をかけなければいいのですが、やはり安全という意味において就くことのできない職業があることも現実です。

「色覚多様性」という言葉は、いわゆる差別用語からの脱却を意味しているのかもしれませんが、それにより現実を見えなくしてしまうことは決していいことではないように思います。スマホのアプリで「この色の違いわかりますか?」というゲームがありました。黄色の明るい方と暗い方を判定するゲームでしたが、私は全問正解できました。正常な色覚の人でも間違えている人はいたので、まさに「色覚多様性」といういい方はしっくりきます。個性のある幅のことを言っているわけです。画家の中でも色を忠実に再現できる一流の画家がいる一方、それが上手くない画家もいます。色覚異常と判定されない人の中でも色の感じ方に違いはあるものと思います。(目の網膜に存在する色を感じるたんぱく質「オプシン」は季節によって働きが変わり、メダカの場合、繁殖期である夏にオプシンの働きが活発化し、色がはっきり見えることが突き止められました。哺乳類でも同様な報告がされています)

道交法では免許取得の際に、赤・青(緑)・黄色を識別する適性検査を義務づけています。私の色覚異常のレベルでは問題なく判別でき免許更新できます。視力低下の方が深刻です。しかし、レベルによっては「LED型信号や点滅信号は見えにくい」という人がいたりします。2012年には福岡市で、赤信号の中に特殊なLEDを配置して「×」印を示し、色覚異常の人にだけ「×」が遠くからでもよく見えるようにという配慮から「ユニバーサルデザイン信号機」による社会実験が行われました。米国やカナダでも赤信号の形状を変えるなど、色だけに頼らない信号機が試験設置されているといいます。

CUD(カラーユニバーサルデザイン)をすすめる会というのがあります。CUDとは色覚異常者にも情報がきちんと伝わるように色使いを配慮したデザインのことです。
「色」は情報伝達手段としては非常に有効で、情報・イメージ・想いをのせて日々発信されています。しかし、色覚正常者には「情報伝達」の役割を果たしているものの、色覚異常者にとっては「情報が伝わらない」「不便さがある」「安全の確保ができない」ことがあります。地下鉄や私鉄では路線図や駅をアルファベットや数字の組み合わせなどで表す「駅ナンバリング」が広く定着してきました。路線の色分けと駅名だけの表示が主流だった15年前とは大きく状況は改善されています。「2020年東京五輪・パラリンピックを前に増加する外国人観光客や、首都圏の電車に乗りなれない人など、すべての利用者にとって分かりやすい表示を目指したい」とJR東日本はさらに力を入れていくそうです。世界に2億人と言われる、一般には認知されにくい色覚異常者に対して理解が深まってくれることはありがたいことだと思う反面、「色覚異常」が「色覚多様性」という言葉に置き換わることによって、却って問題を潜在化させてしまうのではないかという心配もあります。「障害者」を「障がい者」や「障碍者」という表記に置き換えてもあまり大きな進歩だとは考えない私は、「正しい知識」と「思いやりの心」こそが問題の本質に迫る正道だと信じるものです。

日本人の心に脈々と流れる武士道精神

2017年9月8日 at 11:54 AM

「武士道」の解説書で有名なのは、五千円札の肖像となった新渡戸稲造の書いたものであるが、これは欧米に日本文化を正しく理解してもらおうとアメリカにおいて1900年に英語で刊行されたものであり、後に和訳されたものを日本人が読むことになったものである。ゆえに本来的に武士道精神の神髄を語ったものではない。
武士の誕生は平安時代後期と言われるが、その当時は「もののふ」などと呼ばれ、幼い頃から武芸に勤しみ、いまでも行事として残る流鏑馬などの技量が秀でた侍が称賛されていました。もう一面は「一所懸命」に代表される命を懸けて領地を守る、ゆえにそこで開墾している農民から安心料としての年貢を徴収する正当性を持っていました。そして武士の名誉として、決して避けることのできない一度きりの死を、主君のために戦場で華々しく散ることが最上の美学とされました。病床にあった前田利家は関ケ原の合戦の前に「畳の上で死ぬのは無念だ」と叫んで死んでいったと言われています。
武士道を語る上で基になるのは甲州武田家の「甲陽軍鑑」です。隆盛を誇っていた武田軍が、なぜ長篠の戦(1575)で敗れたのか、それまでの来し方を見直し、あるべき武士の姿と、あってはならない卑怯未練、こびへつらう者がお家を食い潰していくことを自己批判の筆で書かれています。
さらに武士の内面に対して目を向けたのが「諸家評定」(1621)で、そこでは「意地」(原文は意路)が語られています。意地のない人間は、一時の褒美、あるいはその時の権力のありようによって、風見鶏のごとく態度を変える。これらは外面的な利益誘導に動く人間であり、武士道においてはあるまじき姿であると断じています。「勇」という概念が勇猛果敢という武力の意味合いから、武士の心構えといった精神面に焦点があたるようになってきます。
「可笑記」(1640年前後)では、さらに人間の普遍的道徳性を定義するようになります。つまり武士とは「嘘をつかず、軽薄をせず、佞人(こびへつらう人)ならず、表裏をいわず、胴欲ならず、不礼ならず、物毎自慢せず、人を譏らず(そしらず)、不奉公ならず、朋輩の中よく、大方の事をば気にかけず、互ひに念比(ねんごろ)にして人を取たて、慈悲深く、義理の強きを肝要と心得べし、命をしまぬ計(ばかり)をよき侍とはいはず」といった徳義を磨き、涵養することが武士の心得であるとしています。
大坂夏の陣は1615年に終わり、いわゆる徳川大平の時代に入ります。戦が仕事の武士たちには本来の仕事がなくなってしまいます。天下泰平の時代にあっては、戦がないのですから、農民から年貢を取り立てる大義名分がなくなってしまいます。そこで武士たちが進出していった先は行財政にまつわる役職です。金勘定などは武士が最も軽蔑していた職務でしたが、「勘定奉行」で算盤・帳簿付けを行ったり、町奉行、大目付、大番頭、寺社奉行などの行財政職に就くようになります。そういった職務に就かなくても禄とか知行といった給与はもらえるのですが、次第に行財政職に就いていないものは「無役」と記されて、まるで「役立たず」のように言われはじめます。時代劇でよく出てくる傘張り浪人はまさに1700年前後の武士の生活を表しているようです。
三島由紀夫が愛読したとされる「葉隠」(1716)では、「忠義」について語られます。主君の命とあるならば、理も非もなく、まずもって慎んで承るべきであると書いた一方で、自分の心に照らして得心がいかないことは、いつまでも訴えるべしとしています。「本当にそれでよろしいのでしょうか?」「別のお考えはありませんでしょうか?」「ご再考の余地はございませんでしょうか?」と何度でも訴えかけることが大事であり、ただ黙って従うことが忠義の所以ではないと説いています。実際、この当時は「主君押込」という慣行があって、家臣の諫言をもってしても、主君の暴虐が治まらない場合には、家臣の手によって主君の身柄を拘束して、座敷牢に投ずることがあったそうです。そして、その後も家老などの重臣たちによって説得は続き、長い時間を掛けて再出勤に至ることもあったそうです。再出勤ののちに不幸にも押込した家臣たちを手打ちにすることもあったようですが、家臣としては「即隠居」という手段も取れましたが、命を懸けてお家に対する忠義を貫いていたことが伺えます。
嘘八百は江戸の町の代名詞ですが、「武士に二言なし」と言われるように、武士は信義を貫いて必ず約束を守るというプライドを維持していました。こういった武士の希少性とも言える価値観が、徐々に商人にも広がり、近江商人のような「三方良し」の商人哲学に通じたものと考えられます。商業手形や先物取引といった信用商売も江戸時代には行われていたという記録が残っています。そして一般庶民には通俗武者絵本などを通じて、牛若丸や弁慶の話、義経や静御前の話、義経の壇ノ浦での活躍などが娯楽として浸透し、歌舞伎や浄瑠璃などの大衆文化に結実して、武士道の精神が一般庶民にも広がっていきます。
冒頭の新渡戸の「武士道」は明治時代に入って、刊行されました。日本は日清・日露の戦争を勝ち抜くことによって欧米列強と肩を並べる近代国家に位置付けられていきますが、その過程で、「葉隠」の有名な一節「武士道といふは死ぬことと見つけたり」の本来の意味が消し去られ、国家のために死ぬことが名誉であるという風に利用されてしまった感があります。
「甲陽軍鑑」や「葉隠」が説く強い組織の根本は、内部の人間一人一人が自立しているということを求めています。組織の全員が事なかれ主義で、組織の方向性に何らかの間違いがあっても、保身のために見て見ぬふりをするようであれば、組織は必ず崩壊します。不正を内部から浄化できない企業が報道される度に思います。
(「武士道の精神史」笠谷和比古著 読了後)

ユーゴスラビア連邦の崩壊

2017年9月5日 at 11:16 AM

ユーゴスラビアは、かつて南東ヨーロッパのバルカン半島地域に存在した、南スラブ人を主体に合同して成立した国家である。先日、クロアチア、スロヴェニア、ボスニアヘルツェゴビナを回ってきた。風光明媚な地域で観光客に人気なところであるが、四半世紀前には戦禍にまみれていたところである。
私が学生時代には「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」を持つ多様国家をチトー大統領が一つにまとめて率いた理想社会主義国家と称された。
国家の成立は1918年に遡り、セルビア王国を主体にしてスロベニア人・クロアチア人が集合し、1929年にユーゴスラビア王国に改名され、1945年からは社会主義体制を固めて、ユーゴスラビア連邦人民共和国となった。
チトーは第二次世界大戦後、コミンフォルムの設立者であるスターリンと対立し、社会主義国家でありながら、NATO陣営のギリシャやトルコとの間で集団的自衛権を明記した軍事協定バルカン三国同盟を結んで、NATOと事実上の間接的同盟国となった。
1960年代にはスターリンに代わってソ連指導者となったフルシチョフと和解し、東側からの軍事支援も得た。
その中立的立場から国連平和維持活動にも積極的に参加し、チトーの指導の下、独自路線を歩んでいく。一方で、ソ連からの侵攻を念頭に置いた兵器の国産化も進め、地域防衛軍を組織して自主路線を強化していった。
チトーは1953年から1980年死去するまでユーゴスラビアの大統領として、そのバランス感覚とカリスマ性で国家を率いた。オタワ大学教授ミシェル・チョスドフスキー氏は、1960年から1980年までの20年間のGDP年間成長率は平均6.1%で、医療費は無料、識字率は約91%、平均寿命は72歳、かつてその地域の産業大国であり、経済的な成功を収めていたと評価している。
共産主義国家、社会主義国家においては党主体の独裁と党内の権力闘争が繰り広げられることは現代に至るまで見られることであるが、チトーは与党の中に制限野党を作ったり、体制批判を含めた言論の自由をある程度許し、民族排外思想家を摘発するなど連邦の維持に腐心したとされる。生産手段もソ連流の国有ではなく、社会有つまり経済は政治と分離し、各企業における労働者によって経営を行うシステムを導入し、自主管理社会主義という独自の社会主義を運営していった。
人治国家とも言える当時のユーゴスラビアは、チトーが1980年に死去すると、一斉に各地から不満が噴出した。経済的成功を収めていたスロベニアには分離独立の機運が台頭し、クロアチア人は政府がセルビア人に牛耳られていることへの不満を訴え、セルビア人は自分たちの権限が抑え込まれていると不満を口にした。つまり、裕福な地域は「もっと自由を」と主張し、貧困地域は「もっと社会主義的政策を」と主張し、民族間の亀裂が深まっていった。
1990年代初頭にはスロベニア、クロアチア、マケドニアが相次いで独立。その後はセルビア主導のユーゴスラビア連邦軍との紛争勃発、そしてボスニア・ヘルツェゴビナの独立、最終的には最後まで連邦に留まっていたセルビア・モンテネグロが2000年代に入って連合を解消し、連邦は6つの共和国に完全に解体されることとなる。
ユーゴスラビア内の紛争、そして解体の理由は決して内部崩壊というだけではない。チトー亡き後の西側諸国による自由主義市場への開放という多分に資本主義的な戦略に翻弄された面は見逃せない。実際に紛争の激しい戦禍に見舞われたドブロヴニクで聞いた話であるが、紛争終結後リゾート開発をする地域には爆撃をしないという密約が権益を狙う西側某国とあったと説明を受けた。国連やIMFが主体となって進めた「再建プログラム」は共和国の権限を奪い、自主再建できない形へと引きづり込まれていく。財政再建という名の通貨切り下げ、賃金凍結、公営企業の売却、財政支出の大幅削減。一方で外資規制の大幅な自由化、西側諸国の債権者への利払い優先によって、国内経済は疲弊し、インフレを誘発する結果となった。
最近の動きになぞらえて言えば、EU離脱を決定した英国は、内部にスコットランドの分離独立問題を抱えている。米国はトランプ大統領の登場により、保護主義、格差拡大、人種間亀裂が際立ってきている。内憂外患という言葉があるが、内側にばかり目が行ってしまうと、憂うべき外の動きに気づかなくなってしまう。内輪揉めしているうちに、外部に漁夫の利を与えてしまうこともある。ユーゴスラビア連邦の崩壊は遠く離れたバルカン半島で起こった無関係のことではなく、気づかないうちに近くで起こり得ることとして歴史の教訓とすべき題材である。

ベーシックインカム

2017年8月20日 at 6:13 PM

近い将来、汎用AIや汎用ロボットの実社会への導入が進んでいき、人間の労働の大部分がそれに置き換えられることになると、その経済へのインパクトは計り知れないものになると言われています。これまでもAIやロボットの実社会への導入は進んできてはいましたが、それは特定のタスクをこなすための特化型AIであり、特化型ロボットでした。AIが将棋のプロに勝つようになったり、工場での産業ロボット導入が盛んに行われたりしていますが、基本的にそれらはひとつのタスクをこなすように設計されています。プログラミングすれば応用的な使い方はできますが、将棋AIがホテルの受付をこなすわけではありませんし、工場の溶接ロボットが介護をしてくれるわけではありません。
非営利組織「全脳アーキテクチャ・イニシアティブ」によると、汎用AIは2030年には実現の目途がたっていると想定されています。レベル4の完全自動運転が地域限定とは言え、2020年に実用化するといったNewsと合わせても、確実にかつ着実にこれまでの労働はAI・ロボットに取って代わられる時代がすぐそこまで来ています。
汎用AIや汎用ロボットのコストが人間の賃金を下回れば、雇用主は人間の代わりに汎用AIや汎用ロボットを雇用します。そしてそれら汎用AI・ロボットは労働生産性を高め、つまりはGDPを高め、ひいては一人一人の生産性向上とは無関係に、一人当たりの国民所得を押し上げます。
経営の三要素は「人、物、金」と言われますが、そのヒトの占める割合が相対的に低下していきます。近年は技術の重視やICTの発達などにより、「技術」「情報」を経営要素に加えるべきだと言う意見もあるそうですが、それら二つは勿論、汎用AIや汎用ロボットの得意な分野です。
昨今でも、AIやロボット技術の進展による失業率が問題とされていますが、将来は労働しなくてもGDPは上がっていくことになります。その結果、一人当たりの国民所得も上がっていきますが、その貢献の多くは汎用AIや汎用ロボットによるものになるでしょう。つまり、人間が働かなくても全体の国民所得は上がっていくのです。私世代より上の日本人の労働観では「働かざる者食うべからず」という概念がしみ込んでいますが、働かなくても国民所得は十分にある、いやむしろ働く必要がなくなるという事態が発生するのです。そして、既にその兆候は社会に現れてきています。
スイスでは昨年6月にベーシックインカムを導入すべきかどうかの国民投票が行われました。結果は反対多数で否決されましたが、それでも23%の人が賛成票を投じました。ベーシックインカムを訳せば、「基本所得」。つまり国民すべてに基本所得を保障しようという考え方です。スイスで行われた国民投票の内容は大人一人に毎月2500スイスフラン(約28万円)、子供一人に625スイスフラン(約7万円)を給付して、基本的な生活を保障しましょうという考え方です。生活保護と異なる点は「国民すべてに」という点です。日本でも生活保護世帯には給付がなされていますが、一部にはポルシェに乗って生活保護を受けているなどと報道されているケースがあるように、必ずしも公平な判定・運用になっているとは言い難く、それをさらに徹底するにはかなりの行政コストが掛かってきます。国民に分け隔てなく給付するということになれば、そういった行政コストは非常に低くなるでしょう。
フィンランドでも実験的な試みではありますが、2000人の失業者に月7万円弱の給付を今年始めました。つまり今はMinorityである失業対策の対象が、今後は汎用AIや汎用ロボットの実用化によって、将来Majorityになっていくことを想定した社会構造を構想しなければならない段階にきているのです。
このベーシックインカムの原資はどこから持ってきたらいいのでしょうか。既に所得格差の問題は世界的に軋みを見せてきており、トランプ大統領の誕生はそういった背景と無縁ではありません。貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」は2015年に既に、世界人口の最富裕層にあたる1%が、世界にある資産の48%を握っているという報告書を発表していますし、世界で最も裕福な80人の資産額は、下位半数にあたる35億人の資産総額とほぼ同じという報告もされています。汎用AIや汎用ロボットの進展はその状況に拍車をかけることは間違いありません。その富裕層がベーシックインカムの概念を受け入れ、彼らの余りある所得を増税という形で回収し、それを再配分の原資としない限り、ベーシックインカムの考えは実現しません。そんな提案を富裕層が受け入れるはずがないように思えますが、民主主義国家であれば、金持ちの一票も、貧困者の一票も同じ重みですから、最終的にはMajorityが制することになるでしょう。それがいつなのか、それまでの間にどんな駆け引きがあり、何が起きるのかは全て想像できませんが、民主主義が維持されるならば、その結果はベーシックインカムという着地点に行かざるを得ないでしょう。なぜなら、汎用AIや汎用ロボットは生産活動をしてはくれますが、消費活動は行ってくれません。産業資本家も消費行動を行ってくれる人間を無視しては自らのビジネスが拡大成長しないということに気づかざるを得ないからです。
ベーシックインカムを生活保障と捉えるか、人間を労働から解放し、人間の尊厳を回復してくれるものになるのかは、宗教観と相まって国家間でも違いを見せることでしょう。日本の「働き方改革」の延長には「労働への従属」からの解放という意味合いも持つことでしょう。しかし、人によっては「労働からの排除」と捉える人も出てくるでしょう。毎日暇で何もすることがないというのも苦痛と感じる人は少なくないでしょう。
汎用AIや汎用ロボットの実社会への導入は確実に進んでいきます。人間の生きる意味、価値観、人生観を揺さぶる現象が起きていることに、あらゆる人が無関心ではいられるはずがありません。

ベネズエラで何が起こっている?

2017年7月3日 at 3:11 PM

ベネズエラは、南アメリカ北部に位置する連邦共和制社会主義国家である。北はカリブ海、大西洋に面しており、カリブ海世界の一員でもある。南アメリカ大陸でも指折りの自然の宝庫として知られており、原油埋蔵量は2977億バレルと世界一である。2000年代初め頃までは南米でも屈指の裕福な国であったが、原油価格の下落や政府の失策などにより経済状況が急速に悪化し、多くの国民が貧困に喘ぐ事態となった。2010年代に入ってからは急激なインフレが進み、市民生活は更に混乱に陥ることとなり、まさに危機的状況にあると報じられている。
なぜ、裕福だったベネズエラがこのような状況に陥ってしまったのか、大いに興味をそそられたのが、このブログを書くに至った理由である。

ベネズエラがスペインの植民地から独立を果たしたのは、1830年のことである。その後、幾度となくクーデターが発生し、軍事政権が入れ替わり立ち替わり政権運営を行ったが、いずれも長続きはせず、国民は圧政と貧困に苦しんでいた。
そんなベネズエラで油田が発見されたのは1913年のことである。1926年に石油が大の輸出品となって以来、ベネズエラの政府も国民も天の恵みである石油資源にのみ依存する体質となっていった。
ベネズエラで初めて民主的な選挙が行われたのは1959年のことで、これにより民主行動党の創設者であるロムロ・ベタンクール大統領が誕生した。ベタンクール大統領は元々共産党の指導者であったが、就任時には転向しており、当時のドミニカやキューバといった左翼政権とは敵対関係となり、国内においては度重なる左翼ゲリラの蜂起に苦しむことになった。
その後、ゲリラへの恩赦という妥協策を経て、民主行動党とキリスト教社会党が、二大政党制の下で対話とコンセンサスの政治文化を醸成し、漸く代議制民主主義を根づかせることに成功した。しかし、この40年間にわたる政治安定は、権力者の不正蓄財と政党政治家の腐敗を生み、国民の不満が徐々に拡大していくこととなる。

この政治安定期の半ば、1974年に政権に就いた民主行動党のペレス大統領は、原油急騰による潤沢なオイルダラーを背景に脱石油を目指す大型の国家プロジェクトを推進し、鉄鋼業や石油産業を国有化するとともに、労働者を優遇する種々の社会政策(バラマキ)を行った。これが放漫財政をもたらし、財政赤字と累積債務という問題を積み上げてしまうこととなってしまった。明らかに政治家の失政である。そして次期エレラ政権下の1983年には、遂に通貨切り下げと為替管理を余儀なくされる。さらに1989年には、バス料金の引き上げ等一連の引き締め政策に抗議する市民による商店への略奪を伴った一大暴動に至る。

こうした国民の不満を追い風にして、クーデター首謀者から1999年に大統領に就任したウゴ・チャベスは、反米的なキューバ、ボリビア、エクアドル、ニカラグア、中華人民共和国、ロシア、イランとの友好的な関係を強化し、社会主義政権の基盤を確立していった。
当初は、富裕層の所有メディアにより反チャベス的な内容のものが報道されることが多かったが、チャベス政権成立以降、チャベス大統領に批判的な放送局が閉鎖に追いやられたりするなど独裁色が強められた。
しかし、反市場原理主義・反新自由主義を鮮明に掲げ、「21世紀の社会主義」を標榜して進めたチャベスの貧困層底上げ政策は、表面的なものに留まり全く成果を生むことはなかった。

2013年3月5日のチャベス大統領の死によって「21世紀の社会主義」路線は幕を閉じたかに見えた。事実、2015年議会選挙では、米国などが支援する中道の反チャベス派連合である民主統一会議が勝利し、議会の主導権を握ったからである。
しかし、親米・新自由主義へのかじ取り転換は実現していない。チャベス派のマドゥロ大統領の任期が2019年まであるからである。
マドゥロ政権下においては国際的な原油価格の低下と価格統制の失敗により、チャベス時代から進行していたインフレーションがさらに激化し、今年は既に720%に達している。議会とマドゥロ政権の対立は激しくなり、今年3月にはマドゥロ政権に近いベネズエラ最高裁判所が議会の立法権を剥奪し、裁判所が立法権を掌握すると発表した。しかし、この決定は野党や南米諸国をはじめとする各国からの批判を浴び、撤回に追い込まれることとなる。
それ以降今日まで、反政府デモとそれに対する鎮圧が頻発しており、凶悪犯罪発生率も世界最悪を極め、メキシコのNGOが発表した「世界で最も危険な都市ランキング」では首都カラカスがワースト1位になっている。

信じられないことだが、原油の埋蔵量で世界一のベネズエラが、今や原油を輸入している。食料やトイレットペーパー、紙おむつ、薬などのあらゆる必需品の不足も深刻を極めている。
マドゥロ大統領は来年の大統領選挙に向けて、自身の有利になるような憲法改正を目論んでおり、その準備委員会に自身を支持するメンバーで固めようと躍起になっている。
こうした中、5月にGMはベネズエラ事業を連結対象から除外すると発表した。同社のベネズエラ工場は4月下旬に当局に差し押さえられ、事業を継続できなくなっており、その損害を1億US$と算定している。
ニューズウィークが伝えたところによると、「政府が商品を差し押さえて、勝手に売りさばく」「医療現場では投与する薬がなく、患者は血だまりで横たわる」「電力不足が深刻で公務員は週2日の出勤に制限された」「紙不足で新聞が刷れないばかりか、紙幣も増刷できない」「食料店を狙った略奪は日常茶飯事」。地球の裏側では想像を絶する事態が進行しているのである。しかし、この事態は決して対岸の火事とは言い切れない。慢心とは気づいた時に手遅れなことが多いからである。

科学と生気

2017年6月7日 at 4:46 AM

19世紀は生物学が近代化した時代だと言われている。それまで生命に関しては、他の物質に存在しない超自然的な力を持っているという生気論が支配的であり、基本的には古代ギリシャ時代から変らぬ伝統的意識に宗教的要素が加わり固定化していた。しかし、近世ヨーロッパにおいて18世紀にはあらゆる自然現象が神とは無関係であるという立場を取るディドロ(仏・哲学者)のような学者が現れ、生気論への反論が唯物論者から試みられるようになった。神が創造した「種」が固定的なものではなく、進化によって変化するということを機械論(生気論の反語)的に証明しようとする動きは当時「創世記」への大いなる挑戦であったと言える。

チャールズ・ダーウィンが進化論を唱えた「種の起源」は1859年に出版された。ダーウィンの説は自然淘汰説として有名である。厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えるという説である。この理論は時折ビジネスの場でも引用され、環境に対応できない企業、組織、個人は生き残れないといったような使われ方をされ、一般にも定着している考え方であろう。
この説は適者生存とも呼ばれ、生物の繁殖力は環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体が、その性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。つまりは有利な個体が持つ性質が維持・拡散するというメカニズムである。

19世紀以前は「神の思し召し」としか説明されてこなかった生物の不思議が、ダーウィンにより実際に観察された現象から導き出された自然淘汰説によって、徐々にではあるが、一般に受け入れられるようになっていった。
実はダーウィンの進化論の50年も前、ダーウィンの生まれた1809年にフランスのラマルクという博物学者は「動物哲学」を記し、「用不用説」と呼ばれる進化論を展開している。この説はキリンの首に代表されるように、動物がその生活の中でよく使う器官は次第に発達する。逆に、はじめから存在する器官であっても、その生活の中で使われなければ次第に衰え、機能を失う。つまり個体が後天的に身につけた形質が子孫に遺伝し、進化の推進力になると唱えていた。

ダーウィンとラマルクの説の最も大きな違いは、前者が進化に方向性はなく偶然の産物であるとするのに対し、後者は生物側に進化の主体性を求めるものである。今では遺伝学が発展してDNAによる遺伝メカニズムが広く知られているが、1865年に発表されたメンデルの「遺伝の根本法則」は当時、世の注目を得ることはなく、その功績が認められるのは彼の死後四半世紀経ってからのことである。それゆえダーウィンもその情報を知ることはなく、自身の理論に遺伝の概念は全く触れられていない。遺伝や突然変異の考え方が一般的になった今でも、先天性と後天性のどちらが優位かという議論は分野ごとに盛んに行われており、従来の学問の垣根を超えて広がりを見せている。

冒頭に少し触れたように、進化論はヨーロッパ人の心に永く受け継がれてきたキリスト教的人間観(神、人間、自然の対置)に真っ向から反するものであった。進化論は当初、生物一般を扱ったものであったが、事が人間に及ぶと、当時の宗教界から激しい反発を受けたのは当然であった。ダーウィン自身は自伝で無神論者であることを公表しているが、まさに進化論も極めて機械論的に論理立てた理論を展開している。

一般の生物界では自然淘汰が正常に機能しているのに対し、人間社会ではヒューマニズムが関わって進化論(自然淘汰)が機能しないので、逆選択(淘汰されるべき人間が淘汰されない)が起こるという考え方も生まれた。つまり、人間社会で自然淘汰が機能しないのであれば、人間は進化するのではなく、退化の一途を辿ることになる。この問題を取り上げ優生学を提唱したのが、ダーウィンの従弟のゴルドンである。この優生学とは人種の劣悪化を防ぐための手法を研究目的としたものである。ゴルドンの主張は、人間に人為選択を適用すればより良い社会ができるというものであったが、のちに民族主義と結合してナチスによるユダヤ民族弾圧という極端な事態を生み出すことに繋がってしまった。

科学の発展は近年、土壌汚染や水質汚濁、オゾン層の破壊など負の側面も見せてきた。世界的な環境対策の意識が広がってきたことは歓迎すべきであるが、必ずしも世界市民全員が諸手を上げて賛成しているわけではない。目先の脅威となっている核兵器や生物破壊兵器に対して人類は有効な策を有してはいない。原発推進派はすっかり少数派になってしまった。科学の発展によって冒頭の生気論は近代ほぼかき消されてしまったが、生命現象がもつ全体調和能力をネオヴァイタリズムと称した新生気論も現代生物学では息を吹き返してきている。科学万能時代から時代は確実に揺り戻しがきているように、人間が人間を理解することは機械論と生気論の狭間で暫くは揺れ動き、容易に到達できる領域ではなさそうである。筆者はどちらかといえば「気」の存在を否定しえない生気論者側に立つもので、機械論では割り切りたくない派である。

「良い質問」をする技術

2017年5月1日 at 1:43 PM

標題は昨年ダイヤモンド社から刊行された粟津恭一郎氏の著書である。著者はエグゼクティブ・コーチングに10年以上携わっていた方で、これまでのコーチング経験を基に「『良い質問』をする技術」を書かれている。大変示唆に富む著作で、一気に読み上げてしまった。
文章のそこかしこに調達バイヤーや管理職にも活用できる点が多々あり、ご紹介したいと思う。
著者は質問を①軽い質問、②良い質問、③悪い質問、④重い質問に四類型する。
①軽い質問は相手が答えたくなるが、気づきはない。②良い質問は答えたくなり、気づきもある。③悪い質問は答えたくもないし、気づきもない。Nagativeな気持ちだけが残り、お互い何も得るものがない最悪の質問である。④重い質問は答えたくはないが、気づきがある。

商談でも大体まずは軽い質問から入る。これは相手との関係を良くする質問で、雑談の領域に入る。相手が答えやすいこと、話していて嬉しくなるようなことを質問して話してもらう。後に展開する「良い質問」や「重い質問」の下地を作る大事な工程である。
さて、ウォームアップしたところで本題に入るわけだが、「良い質問」の最大の特徴は「本質的な」質問であること。商談にあたって事前の下調べもせず、改めて聞くまでのない質問や的外れな質問をしてしまったのでは、先方の意欲が削がれてしまう。あるいは、答えた内容をきちんと理解せずに、次の質問をしてしまうのも建設的な商談の阻害要因になる。
商談の場合、質問内容を事前に準備しておくことは重要なことではあるが、流れを無視して紋切り型に話したり、訊いたりしていくのは取り調べを受けているようで、本音を引き出すのは難しくなる。話の流れや今焦点のあたっているトピックスに繋がる形でタイミング良く有効な質問を繰り出していく必要がある。

どのような質問でもそうだが、5W1Hは必須の項目である。商談ではClosed Question(いわゆるYes/No Question)とOpen Question(時に予想していない回答が来る限定的ではない質問)を組み合わせて合意に導くというテクニックがあるが、Closed QuestionよりはOpen Questionの方が、より多くの情報が得られる。様々な可能性をテーブルに並べ、選択肢を増やし、最終的に最善の道筋を見つけるのを商談と定義すれば、「良い質問」をする技術は調達バイヤーにとっても、部下のみならず他部署との連携強化を責務とする管理職にとっても大変重要なスキルと言える。

指示や命令は上位者が部下に下すものであるが、質問は「質問する人」と「質問される人」の立場が時々に入れ替わり、固定化された上下関係を崩す役割を持つ。ゆえに部下が上司の命令に対して質問をすることは許されるべき行為である。質問を許さない関係は最善への道筋を閉ざすものである。「良い質問」は相手の胸襟を開き、積極的にアイデアや意見を開陳するトリガーになる。筆者は質問が人的関係を対等にする力があるという示唆に富んだ指摘をされている。

一方、「悪い質問」は訊かれた相手がネガティブな気分になってしまう類の質問である。相手との関係に配慮が足りない、質問者の価値観や思い込みの押し付け質問、相手を萎縮させる質問などである。これらは質問された側が殻に閉じこもったり、相手を追い込んでしまい、心を閉ざしてしまうので、回避すべきものである。

「重い質問」を発するのは、文字通り誰しも気が重いものであるが、相手のことを本当に思って訊く場合や、業務遂行上どうしてもしなければならないということは少なくない。その大前提としては、相手との関係が構築されていることが必須要件である。人は誰でも初対面の人に踏み込んだ質問は受けたくない。「なぜ、あなたにそんなことを訊かれなければならないの?」というような質問をいきなりする人と、人は良好な関係を築こうとは思わないものです。基本的に否定形やネガティブな表現「なぜ、御社は~~できないの?」の質問は特殊な意図をもってする以外は避けるべきでしょう。
そしてもう一つ重要なことは、目的を共有することです。「こんな厳しい質問を浴びせかけてくるのは私を思ってのことなんだ」あるいは「お互いの共通の目標達成の為なんだ」と納得できる段階になれば、「重い質問」が有効になってくる段階と言えるでしょう。

調達組織内でもそうですし、対サプライヤーでもそうですが、繰り返しの質問⇔回答のプロセスを経ることで、お互いの「しなければいけないこと」を「したいこと」に変換できれば、形だけの合意形成にならず目標達成の確度はグンと上がります。

筆者はエグゼクティブ・コーチですから、経営者との質問応答で経営者への気づきを促していきます。組織の中でよく使われている「質問」は、その集団の「本質」を表すそうです。トップが「売上はどうなっている?」と社員に繰り返し質問していれば、何よりも売上を重視する企業風土が育まれていく。「顧客は満足しているか?」と繰り返し問えば、顧客志向の会社となっていく。業種・業態・規模がほぼ同じでも、企業風土が違うのはそのためです。
つまり、企業風土を変えたいと思うのであれば、「質問を変える」ことが非常に有効だということを述べておられます。社長が口癖のように言っている質問を変えれば、自然と役員や社員の質問も変わってきて、企業風土が変わるということです。社風なんていうものはない、社長風があるだけだ、という方もおられますが、まさに的を突いたご指摘だと思います。

気概の精神

2017年4月4日 at 11:34 AM

鮮明に記憶している小説のセリフがある。「お上の事には間違はございますまいから」。1915年に発表された森鴎外の「最後の一句」の娘いちの言葉である。中学校の教材として学んだものと思う。
話のあらすじはこうである。船乗り業の主人太郎兵衛は、知人の不正を被る形で死罪とされてしまった。悲嘆にくれる家族の中で、長女のいちは父の無罪を信じ、奉行佐々又四郎に助命の願書を出し、父の代わりに自身と兄弟たちを死罪にするよう、単身申し立てる。16歳の娘の大胆な行為に背後関係を疑った奉行は、女房と子供たち4人を白洲に呼び寄せ、責め道具を並べ立てた上で白状させようとする。
白州で、いちは祖母から事情を聞き父の無罪を確信したこと、自身を殺して父を助けてほしいことを理路整然と訴える。佐々が拷問をほのめかして「お前の願いを聞いて父を許せば、お前たちは殺される。父の顔を見なくなるがよいか」との問いに、いちは冷静に「よろしゅうございます」と答える。そして「お上の事には間違はございますまいから」と付け加える。この反抗の念を込めたと思われる娘の最後の一句は役人たちを驚かせるが、同時に娘の孝心にも感じ入ることになる。そして太郎兵衛は、宮中の桜町天皇大嘗会執行を名目に死罪を免れるのであった。
この小説の原作は太田蜀山人の随筆「一話一言」で、鴎外がアレンジを施したとされる。いちの発した最後の一句は軍内で孤立していた鴎外の官僚批判とされているが、当時の背景を知らない筆者は民の強烈な体制への皮肉と受け取った。今思えば、権威の不確かさ、もっと言えば権威の欺瞞性をも痛烈に批判している小説と言えるのではないか。

権力を持つものには高い倫理観が求められる。英アクトン卿の「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」の格言は有名なところである。ゆえに権力の暴走を許さないよう様々な仕掛けが民主主義国家において整備されてきた。その筆頭が憲法である。司法の最高機関である最高裁が「違憲ではあるが、無効ではない」という判断を一票の価値の不平等について見解を出すが、1回は仕方ないにしても何回も出すようでは、三権分立とは言えない。また、新聞・テレビなどのマスメディアも「権力を監視する」という大義名分のもと長年機能してきたと思うが、昨今はそのメディア自体が特権階級化し、世論を意図的に左右するようなモンスターに成長してしまった感がある。インターネットの発展により、SNSに代表される個人の情報発信も盛んに行われるようになったが、事実か否かは判別できないし、情報と意見が混入しているものも多い。確かな情報を取捨選択して掴むことがより個人に課される世の中になっている。情報操作やスパイ行為(売春に次いで人類最古から2番目の職業と言われる)は昔からあり、トランプ大統領もロシアの情報機関の助けを得て当選したとも噂されており、事実CIAとFBIの合同チームがその調査にあたっている。ことほど世の中は複雑化してきており、より個人の確立が重要な局面であることは言うまでもない。

最近のニュースを見ていると、行政府や立法府は本当にやるべきことをやっているのか不安になることが少なくないが、同時に個々人がしっかりしなければならないと強く思う。「働き方改革」なるものも国会において、あるいは新聞紙面を賑わしているが、これは個人と企業の間の話であって、国家が口出すことだとは私には到底思えない。昔は労働組合がその役目を負って、企業側と交渉をしてきた。いまや労働組合はどうしたのか? 日本最大の労働組合である連合はただ選挙の時だけ民進党に担がれるお神輿組織に成り下がってしまったのか?
電通の新入社員が過労で自殺したことが、この「働き方改革」の引き金になっているように思うが、上司はもとより、その周辺の同僚や同期諸氏は全くの無力だったのか? 親御さんには申し訳ないが、個の確立ができていない。社会人になる前に身に付けておかなければならない周囲の状況を判断すること、状況に応じて適応する協調性、そしてこれだけは譲れないという自身のポリシーの確立がされていないのはとても残念なことである。2015年12月7日付のこのブログで掲載した「ストレスチェック義務化に物申す」でも同様のことを書いたが、個人で自己管理を行うべきことが、企業の義務になったりする。こういったニュースに触れる度に、裏に利権が見え隠れすると感じるのは私だけであろうか? 企業で義務化されている健康診断も本来個人が気を付けることであって、上司が健康診断を受けない部下の尻を叩くなどは仕事とは言えない無価値有償労働である。ここにも社会保険料が無駄に費やされている温床が存在する。

森友問題も国会やニュースで時間と金が無駄に費やされている事例である。焦点であるべきは売却額が適正だったかという1点に尽きる。土地評価額9億5600万円から廃棄物撤去費用など8億2200万円が差し引かれ、最終売却額は1億3400万円になった。この経緯に特定の政治家が介在し、不正に値引きされたかどうかを調べるだけである。安倍首相が100万円寄付したとか、昭恵夫人の関与がどうだとか、挙句の果てに「忖度」したのではないかと民進党が追及しているが、いずれも法律に違反しているわけではない。そんなことをほじくり出しても何も出てこない。落しどころのないパフォーマンスだけ、時には嘘・捏造して注目を集めるだけの国会議員には今すぐ辞めてもらいたい。

忖度とは「他人の心をおしはかること」で、人間誰しも対人関係において行っていることである。人間関係の潤滑油とも言えるものであろう。これがなければ「自己チュー」と揶揄される。冒頭のいちは自身の覚悟を権力者である佐々に「お上の事には間違はございますまいから」という一句で乾坤一擲の矢を放った。自己の保身が見え隠れする姿は見ていて見苦しいし醜い。個々人の気概の精神が失われているとすれば非常に悲しいことである。