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国際機関

2019年2月3日 at 2:44 PM

日本政府は昨年12月26日、クジラの資源管理について議論する国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、商業捕鯨を再開することを決定した。
日本がIWCに加盟したのは1951年であるが、IWCは1982年に資源の枯渇を理由として、商業捕鯨の「一時停止(モラトリアム)」を決定している。日本は1988年に商業捕鯨を中断したが、その前年の87年から、商業捕鯨再開に向けた科学データの収集を目的とする調査捕鯨を開始した。
商業捕鯨の中断から約30年にわたり、日本はIWCでその再開を訴え続けてきたが、先の総会で科学的データを根拠として商業捕鯨の再開を目指す捕鯨支持国27、動物愛護を主張する反捕鯨国41(棄権2)の前にIWCにおける商業捕鯨再開の大目標を断念した。

個人的にはもっと早く脱退していてもおかしくないと思っていた。過激暴力集団シーシェパードの資金集め材料の対象とされ、標的とされた和歌山県太地町の努力と訴えは世界的に見て私には余りに無力に写ったからである。事実、2007年の総会でも脱退は示唆されていた。裏話では、商業捕鯨再開によって国際社会からの批判を受けたくない外務省と、再開を訴え続けてきた捕鯨関係者や水産庁との対立があって、日本側が一枚岩になれなかったことが指摘されている。最終的には官邸主導で日本の主張(クジラの資源量は回復したから、日本文化・産業でもある捕鯨を再開する)を通したということである。ノルウェーは商業捕鯨を行っているし、カナダは1982年にIWC脱退。他にもインドネシアやフィリピンもIWC非加盟国として捕鯨を行っている。反捕鯨国のアメリカも原住民捕鯨枠としての捕鯨は継続している。

現実論からすれば、もはや衰退した捕鯨産業に肩入れし、反捕鯨が大部分を占める欧米諸国を刺激し、他の外交案件で不利な状況を作りたくないという外務省の思惑は理解できる。一方で、大勢におもねってばかりの日本でいいのかという思いも個人としては強い。

日本の国際機関からの脱退で真っ先に思い浮かぶのは、1933年国際連盟脱退表明であろう。国際連盟議場から颯爽と立ち去る松岡洋右の写真は教科書にも載っていたのは記憶に残っている。第一次世界大戦では日本は戦勝国だったので、国際連盟においては1920年当初から新渡戸稲造が事務局次長を7年間務めていた常任理事国であった。脱退のきっかけは満州事変により満州全土を制圧した日本に対して、中華民国が連盟に提訴。その調査のためにリットン調査団が現地に送り込まれ、「満州を中華民国に返還せよ」というリットン報告書が国際連盟において圧倒的多数(42対1、タイ棄権1)により承認されたことにある。

それを契機に盧溝橋事件に端を発する日中戦争に突入。ともに国際連盟から脱退した独伊と三国同盟を結び、結果、第二次世界大戦へ参戦。最終的には国際連盟に参加していなかったアメリカからの経済制裁によって追い詰められていくことになる。

第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年に設立された国際連合は、①国際平和・安全の維持、②諸国間の友好関係の発展、③経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力を目的としている。しかし、戦勝5大国が常任理事国を形成し、拒否権を有し、核を保有している。日本やドイツなどの常任理事国入りは議論はされても承認はされない。いまだに「敵国条項」は維持され、敵国であった枢軸諸国の侵略的動きに対する行動に際し武力禁止義務(国連憲章第2条第4項)が免除されると規定されている。果たしてこれら戦勝国中心の利害渦まく国際連合、そして敗戦国にとって永遠に是正されない不条理な状況は、上記3大目的の達成に合致するものかどうか甚だ疑問である。

国際機関と言えば、高邁な理想を掲げ、世界平和のために公平・公正・平等に運営されていると思うのは危険である。当初の設立趣旨が素晴らしいものであっても、年月を経てそれを隠れ蓑に政治利用する国が必ず出てくる。実は国際機関の内情の多くは国際政治の表舞台でもあり、裏舞台でもある。ユネスコの記憶遺産登録にしても自国や自国に従順な委員を多数送り込み、運営もおざなりなゆえに実質乗っ取ることは比較的容易である。IOCはすっかり金権商業体質になり、過剰接待賄賂は当たり前。オリンピズムの目的は、「いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」はずであるが、その目的に沿った活動になっているであろうか。フェアプレーに徹すれば、開催国に選ばれる可能性は限りなく低くなる。余りに金がかかりすぎるので、誘致国から離脱する都市も出てきているのが、華のオリンピックの実態なのだ。

話を元に戻すとIWCの目的は「鯨類の適当な保存及び捕鯨産業の秩序ある発展」であったはずで「賢い動物を殺すなといった動物愛護」を旗印にするのであれば、それは他の土俵で行うべきで、その意味ではIWCも他目的に転用されてしまった国際組織と言わざるを得ない。大相撲の土俵でレスリングが行われるようになったのであれば、土俵を去る力士の選択肢は尊重されてしかるべきであろうというのが私の意見である。

わび・さび

2019年1月3日 at 5:08 PM

昨年、十数年ぶりに金閣寺(鹿苑寺)を訪れる機会を得た。外人観光客が溢れ、その一行の流れについていく格好で庭園内を歩いていくうちに、何か外国の観光地にワープしたような感覚に襲われた。

金閣寺は室町幕府3代将軍足利義満が将軍職を子の義持に譲ったあと、1397年に西園寺を譲り受け2階3階を金箔貼りに一新し、政治の実権を握っていた山荘である。義満は南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を抑えて幕府勢力を確立した。また、明との勘合貿易で巨万の富を得て、その権勢を誇るため、また明への誇示もあって豪奢な金閣寺を造ったと思われる。4代義持も義満と同様に長男の義量(よしかず)に将軍職を譲ったが、その5代義量は夭折した。6代義教(よしのり)はくじ引きで決まり、僧から俗世に戻る還俗の上で、将軍職に就いた。くじ引き将軍の義教は幕府権力強化のために、強引な強権政治を行ったが、却って部下の守護大名の反発を買い、最後は謀殺されてしまう。義教の死後、幕府は急速に弱体化し、嫡男の義勝が8歳で7代目を継ぐも翌年死去。その弟の義政が幼年にして8代目を継ぐことになり、後に銀閣寺(東山慈照寺)を建立することになる。

金閣寺と並び称される銀閣寺は金閣を模して造営した楼閣建築であるが、見た通り銀は一切使われていない。外壁は黒漆である。銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことで、もともと金閣寺と対照させられる建物ではなかった。

義政の時代の室町幕府は財政難と全国各地で起こった一揆などに悩まされており、13歳で将軍の座に就いた義政は徐々に政治を疎むようになったと言われている。義政は妻の日野富子や有力守護大名の細川勝元・山名宗全らに政治を任せ、自らは慈照寺に住み、趣味の世界に生きるようになっていった。こうした将軍不在の間に政治はさらに乱れ、後の応仁の乱(1467~1477)を引き起こす原因となる。

しかし、一方で義政の文化面での功績は大きく、東山文化と呼ばれた「わび・さび」という新たな美意識を日本に根付かせることとなる。この時代には能、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開き、それらは次第に庶民にも浸透し、今日まで続く日本的な文化を数多く生み出した。「わび・さび」は英語ではやはり訳しようがないのか、Wabi-Sabiと記述されているものが多いが、「Traditinal Japanese Beauty」と意訳しているものもある。

「侘び(わび)」とは「わぶ」という動詞の名詞形で、元来「気落ちする」「嘆く」「寂しく思う」「落ちぶれる」「貧乏になる」という悲観的な意味を持つ言葉であるが、中世になって「貧粗・不足の中に心の充足を見出そうとする意識」へと変容し、室町時代の茶の文化と結びついて、「静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。」といった日本独特の美意識を形成するに至った。

「寂び(さび)」は「さびれる」を意味する「さぶ」の名詞形で、元来「荒れた気持ちになる」「色あせる」「さびる」など時間の経過とともにものが劣化するという意味の言葉が、室町時代に「古びたものの中に奥深いものや趣のあるものが感じられる」といった美意識に変化していった。

銀閣は「さび・さび」の文化を象徴する質素で幽玄な趣を持った建築物で、義満のように己の財力を誇示する金閣とは違い、質素な中にも美を追求し、その趣を楽しむ新たな価値観を創造したと言える。茶をたてて心の平安を求める侘茶、座敷を飾る一輪の立花、龍安寺に代表される枯山水、雪舟により完成された水墨画、わずかな動きで世界を表現する能や狂言、これら東山文化で生まれた「わび・さび」という美意識はその後の日本人の貧しくても心豊かであれといった生活文化に大きな影響を与え、日本文化として連綿と引き継がれてきた。

「恒産無くして恒心無し」とは、孟子が人々の生活安定を政治の基本として、その必要を強調した言葉であるが、十分すぎる収入と資産があるにもかかわらず、飽くなき金欲に囚われの身となった人々を見るにつけ、自分なりの「豊かさ」の中に「わび・さび」の美意識があることにホッとする平成最後のお正月を過ごしています。

科学技術の進化から人の幸せを考える

2018年12月2日 at 5:17 PM

先月28日、ヒトゲノム編集国際会議に出席した賀准教授は「ゲノム編集」を使った受精卵から双子が誕生したとその実験の説明を行った。同氏によると、研究に8組のカップルが参加したが、すべてのカップルについて、男性側がすべてHIV陽性で、女性全員はHIV陰性であり、HIV感染しにくくなるゲノム編集の研究の正当性を述べたという。同会議組織委員会の委員長を務める米カリフォルニア工科大学のデビッド・ボルティモア教授をはじめ、各国の専門家は賀氏の研究を倫理規則に反していると批判し、実験の真偽について疑問を呈した。
賀氏は中国当局が主導する海外の最先端技術を習得し中国に持ち帰る「千人計画」に参加する人物で、当初中国人民日報は「中国の疾病予防分野におけるゲノム編集技術の応用が歴史的成功に達した」と自画自賛したが、国内外からの批判が噴出したため、この数時間後、同記事は削除されている。そして中国科学技術部の高官は賀氏を「調査の上、処分する」と発言し、同氏は現在無給休暇中とされている。
科学者が後になって自分自身の発明を悔やんだものは過去いくつもある。ノーベル賞の創始者であるアルフレッド・ノーベルは彼の弟の命を奪ったニトログリセリンをより安全で安定したものに改良した建設用爆薬を作ったが、その後、兵器に転用され多くの命を奪う結果となった。植物学者のアーサー・ガルストンは植物の成長を早めるホルモン合成に成功するが、のちにそれは濃度を高めてベトナム戦争において枯葉剤として使われ、多くの奇形児と健康被害をもたらした。原子爆弾開発プロジェクトを主導したロバート・オッペンハイマーも水素爆弾などの核兵器に対して反対する立場を取り、後年核兵器開発を主導したことを後悔していると吐露している。
目覚ましい進化を遂げているAI・Robotについても、人間の生活を支援し、より良くする技術である反面、人間の職を奪うのではないかと産業革命期に起きた熟練工による機械打ちこわしを彷彿とさせる恐れも人々に与えている。ネットワークが発達した現代において科学技術の進歩は我々が制御できる速度を超えていると主張する科学者も少なくない。科学技術の進化は今やその影響力の大きさから、既に社会生活から独立したフリーハンドの権利を持った事象ではなくなっていると感じる。
全ての宗教に共通する道徳は⓵人を殺してはいけない、⓶人のものを盗んではいけない、⓷人を騙してはいけない、という3つだそうである。AI・Robot的に解釈すると「人に危害を加えない」ということになろうか。赤ん坊はそういった善悪の判断を持たず、思うがままに振舞う。幸いにして赤ん坊は力がないので、親の監視下から大きく逸脱することなく様々な実体験を通じて、やってはいけないことを学んでいく。AI・Robotは生まれた時から強靭な頭脳と破壊力を持ちうるので、事前に自己制御できるような道徳エンジンを装備しておく必要がある。さもないと人間に危害を加える存在になりかねない。
人間の世界には戦争や死刑が存在する。その存在を忌み嫌う人は少なからずいるであろう。戦争は一部の武器商人を除けば、誰しもやりたくないことであろうし、死刑制度においては、人間が人間を裁いて死という極刑を与えることが認められるか否か議論があって当然である。
軍人同士による殺人は国際法によって処罰されない。それは何故か? 上述の「人」とは「仲間」のことであって、「仲間」以外には適用されない「道徳」だからである。「仲間」でない、つまり「敵」であれば、己や家族を守るために殺しもする(正当防衛は認められている)ことを人間社会が容認し、国際法に定められているからである。
個別の宗教や慣習には特定の集団にのみ適用されている道徳や掟がある。一神教は他宗を邪教として排斥する傾向を持つが、人類はその長い歴史の中で、特定の掟を小さくして共通の掟を広げる努力をしてきた。多くの国際機関がその役割を担ってきた(最近は国際機関を事実上乗っ取り、悪用している国も残念ながら見受けられる)。社会ごとの異なる概念や文化・宗教は多様性を阻害し、個別の掟を強要することによって、戦争や私刑が行われてきた。人々は「仲間」の範囲と資格を規定し、その危害の大きさを想定することで、「無視」「回避」「攻撃」の三段階による対応をして社会規範を維持してきた。明らかにAI・Robotには「攻撃」をさせてはならない道徳エンジンが必要である。「無視」ではなく「再確認」をさせ、「攻撃」ではなく「防御」というアルゴリズムの装填が必要である。
私はこれまでセミナーの中で、「コミュニケーション」こそが人間に残された領域であると話してきたが、コミュニケーションすらAI・Robotが人間を凌駕するかもしれない。ペットロボットが家庭や介護の現場に入ってきているが、人間が肯定的にその立ち居振る舞いや仕草を解釈すれば、誤解も含めて人間同士のコミュニケ―ションを上回る快適な空間を創る可能性は十分にあると考えられる。
人間に残された領域は最終的には「責任」と「善悪の判断」くらいにしかならないのかもしれない。ゲーム理論においてはALLC(全員が必ず協調する:Cooperation)状態では、必ずALLD(必ず裏切る:Defection)が現れ好成績を得る(全てをかっさらっていく)。逆説的に言えば、ALLDはALLCの状態でなければ現れない。全員が善人では集団の安全や安定が維持できないのである。それゆえ、裏切りには何らかの報復がないと道徳自体が崩壊してしまう。
世界に共通する幸せ感とは、⓵美味しいものを食べる、⓶他者に役立っている、他者に頼られている、⓷自分がこれまで出来なかったことが出来るようになる、⓸自分がこれまでわからなかったことがわかる、⓹自己コントロール感の5つだそうである。科学技術の進化がこれら人間の幸せに寄与する形で発展していって欲しいし、そのためにはTechnology議論の前に、それは人を幸せにするのか(社会課題を解決するのか)、悪用によって人を不幸に陥れることは無いのか、を衆知を集めて検証するステップが必要である。AIはBlack Boxと言われる。なぜそういう結果になるのか説明ができない。まずはExplainable AI(説明可能な範囲や領域での活用)に留めようという考え方があり、非常に健全かつ慎重で望ましいステップであると思う。これらの問題には人文知と科学知の両面からのアプローチが必要である。なぜなら、科学技術の発展は人間を幸せにするものでなければならないからである。

ブルー・オーシャン戦略

2018年11月3日 at 4:42 PM

先月、「ブルー・オーシャン戦略」(以下BO戦略)の著者のひとり、INSEAD教授であるチャン・キム氏の講演を聴く機会を得た。「BO戦略」は2005年に刊行され、ベストセラーとなったが、競争の激しい既存市場「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」(以下RO)から、競争のない未開拓市場である「BO(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだとする経営戦略は、当時米国から帰国し、競争の真っただ中にいた当時の私には、ある種の「絵空事」のように聞こえ、本書を手にすることは無かった。とはいえ、世界360万部、44カ国語に翻訳された世界的ベストセラーである本書の内容は表面的ではあるが、把握しているつもりでいた。
最近になって、「競争しない」という概念がいくつかの著書において、クローズアップされてきている。フェイスブックを初期から支えたピーター・ティール(テスラ、ユーチューブ、リンクトインなどの名だたる起業家を輩出したペイパルの伝説的共同創業者)は、トランプ大統領の政策アドバイザーを務め、「競争をしない唯一無二を目指す」という信念でDisruptive(破壊的)Innovationを起こしてきた事業家兼投資家である。「ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか」では、ゼロからビジネスを創り出す偉大さは、1から100にするコピー的事業とは歴然として異なると自らの価値観と重ね合わせて主張する。ZOZOの前澤友作社長は「競争市場における、価格は限界費用まで下落するベルトラン競争では、自分で自分の首をしめるだけ」、ビジネスポリシーは「競争せずに楽しみながら社会の役に立つこと」とシンプルかつピュアな言葉でインタビューに応えている。いずれも競争から身を遠ざけることがビジネスのDNAのごとき発言である。
一方、マイケル・ポーター(ハーバード大学経営大学院教授)は、多くの国や州の政府、および企業の戦略アドバイザーを務め、ファイブフォース分析やバリュー・チェーンなど数多くの競争戦略手法を提唱し、1980年に刊行した「競争の戦略」はビジネスマンの教科書とも言え、今も現役で活躍している経営学者である。筆者もご多分に漏れず、サラリーマン時代において、そのフレームワークを学び、実践への応用を試みてきた。加えて、今でもセミナーやコンサルティングを通じて、聴講者やクライアントにその理論を説明する側にいる者である。
BO戦略を著したチャン・キム氏は一言で言うと、反マイケル・ポーター派である。かといって、ピーター・ティールの破壊的Innovationにも与してはいない。印象に残っているのは、「BO戦略」は「誰も傷付けない」という言葉である。つまり、既存のマーケットを破壊して市場を分捕るZero Sum Game志向(勝ち負けがある)ではなく、あくまで新たな市場を作り上げて、それまで顧客ではなかった層を取り込み、これまでの顧客への新たな価値を提供するという志向(Non Zero Sum)である。それは、これまで私が誤解していた「そんなに新しい市場を創るなんて簡単ではないし、新たな市場に出ていって失敗している例はごまんとある」という批判は必ずしも的を得たものではなく、「BOへの6つのパス」による問い直しからROからの飛び地ではないBO創造こそが実践的BO戦略であるという記述は、その視点・切り口を使ってBO創造に挑戦してみようという意欲が湧くほどの説得力がある。日本での事例に乏しいという指摘から2015年刊行された「【新版】ブルー・オーシャン戦略―競争のない世界を創造する」には多くの日本での事例が盛り込まれ、今年刊行された「ブルー・オーシャン・シフト」には、どのように検討を進めれば、BO創造が可能であるかをステップを踏んで、具体的にフレームワーク化したものなので、ご興味のある方は、そちらをご参照いただきたい。
チャン・キム教授の講演では、どのようにして日本が高品質を実現したかというところから話が始まった。日本の高品質はアメリカ生まれのTQCという理論にHuman Factorを加え、小集団活動により、当事者意識・チームワーク・目標共有を強調することで本家アメリカが成し得なかった品質改善を達成したと説く。次に1970年代の日本の成功は競争戦略で成し得たものではなく、欧米の大企業に対して真っ向から競争を挑まず大衆にニーズに即した商品開発により、ソニー・ホンダ・コマツ・ヤマハは差別化と低価格化の両立を果たす(BO戦略そのもの)ことによって事業地盤を築き、成長していったとする。
「差別化」と「低価格化」の両立はBO戦略におけるコア概念であろう。商品やサービスの競争軸がいくつもあって、それぞれを競争相手とベンチマークして「やや勝っている」「幾分安い」では、本当の差別化にはならない。明確に顧客に伝わらない程度の差では意味がない。まずは競争軸を峻別する。何で圧倒的に勝るかを検討する。それ以外は圧倒的に低く設定するか、削る。顧客への価値に繋がる新たな競争軸があれば、それを追加して差別化要素とする。競争軸の峻別なしには、低価格化は成し得ないと教授は説く。
チャン・キム教授は日本は「アメリカから持ち込まれた競争戦略に毒された」と熱弁し、「業界分析をし」「高付加価値戦略か、低価格戦略かのどちらかを選択する」といったマイケル・ポーターの競争戦略とは全く反対の立場を取る。VE的に表現すれば、「『減らす』『取り除く』ことによる低コスト化と『増やす』『付け加える』ことによる顧客にとっての高付加価値を両立する」ということが重要であると力説していた。さらにもうひとつ重要な点として、「BOはずっとBOではない。常に新しいBOを創る努力を怠らないこと」と教授は釘を刺している。BOは必ずCreate⇒Imitate⇒Competeというふうに辿る運命にあるので、如何に競争環境を作らせない戦略(参入しにくさの創造)を取るか不断の努力が必要であること、BOに安住せず新たなBOを探求する飽くなき姿勢も強調している。教授の見立てでは、日本は米国に次ぐ経済大国になってから保守的になってしまった結果、グローバル経済における存在感を失ったのではないかと指摘している。
日本は失われた30年などと自他ともに認めている感がある。高度成長期(需要>供給)にはマイケル・ポーターの競争戦略は機能したのではないかと私なりに解釈している。低成長期(需要<供給)には狙ったセグメントに訴求するような商品やサービスの創造が欠かせない。それは決して得意でもない成長しそうな市場や分野にリスクを忘れて飛びつくことではなく、ピーター・ドラッカーが喝破したように、「既存顧客の満足・既存市場での競争」と「新たな市場や顧客の創造」の両建てで企業運営していかなければならないということであろう。ポーターの競争戦略とBO戦略の使いどころを間違えずに「失われた30年」が過去のものになるように成長戦略に舵を切る時代は米中を筆頭に既に始まっており、日本でもその萌芽は漸く芽吹いてきていると感じる。

在留外国人、中国残留邦人

2018年10月1日 at 5:15 PM

日本民族の定義とは何であろうか。現代的解釈で言えば、日本語を母国語とする日本列島にルーツを持つ人々ということになろうか。法的解釈からすれば日本政府に申請すれば日本のパスポートが発行される人々ということになろうか。やや歴史を遡れば、大和民族に加え、近世になって日本人に組み込まれたアイヌや琉球民族が包含されよう。いわゆる植民地時代には武力による征服国家に組み込まれた被征服国家の民族も含まれるであろう。
人類学的に言えば、縄文人が日本人のルーツということになっている。2千数百年ほど前には大陸から朝鮮半島や山東半島を経て、渡来人がやってきて(弥生人)席巻したと言われるが、今や縄文人と弥生人の区分けを論じ差別する一般人はいない。
人類のルーツはアフリカのホモ・サピエンスということは定説である。そこから3つのルートで世界に出ていった人類の全ての遺伝子が日本にやってきたとDNAの研究結果から元大阪医科大学学長の松本秀雄氏は言う。氏によれば、現代日本人の半数が弥生人系統、3割が縄文人系統と解析されている。私が最初に外国を旅したのは大学3年生の時であるが、韓国ソウルの百貨店において、店員から容赦なく韓国語で話されたことを鮮明に記憶している。顔立ちが韓国人のそれであったものと思われる。明らかに弥生人系統であろうことは間違いない。親戚にも韓国人と結婚した叔母さんがいた。保守的な親戚等の中には親戚付き合いをしつつも一歩距離を置いた付き合いをしていたことを子供心に記憶している。

日本にいる在留外国人の数は256万人で、日本の総人口の約2%を占める。中国人が一番多く73万人、ついで韓国人45万人、ベトナム・フィリピン共に26万人、ブラジル19万人と続く。日本国民総数からすれば微々たる比率である。同じ敗戦国のドイツでは統計数値に取り方の違いはあるものの、外国人は8.7%、移民の背景を持つドイツ人は10.5%。2割近くがドイツ外からの移住者で占められている。日本のような島国と8つの国と地続きで国境を接するドイツとの大きな違いがこの結果に大きな影響を与えていることであろうことは否定できないであろう(ちなみに日本はドイツより面積がやや大きい)。日本人は幸か不幸か比較論で言えば、純粋培養民族である。

在留外国人には通名の使用が許されている。日本人には許されない。同一人物が二つの名前を有するという事に対して、在日特権を許さない市民の会は、金融機関で名寄せされることがなく、脱税やマネーロンダリングを容易にするとか、犯罪容疑者が本名で報道されないことで、在日外国人が社会的制裁を免れると指摘して問題視している。新聞報道やテレビニュースによる犯罪者表記は本名を出すところも、通名を出すところもあり、メディアの対応により様々である。通名いわゆる日本名で報道された場合と本名(日本人ではなかろうという名前)で報道された場合では私の受け取り方は同じではないことを告白せざるを得ない。在日本大韓民国民団などは、「1人の人が2つも名前を持っているのは、確かにおかしい」としながらも、「本名を名乗ることで就職が難しくなる」という「日本の閉鎖性」を挙げて反論している。また、通名制度を廃止してしまうと、1940年の朝鮮総督府による創氏改名から通名が使われ続けてきた経緯があり、現在も不動産登記などに使われているので、通名廃止による混乱が容易に予想される。また、本名だと読み方が難しく、日本社会への溶け込みが容易ではない、あるいは新たな差別の温床につながるという理由は傾聴せねばなるまい。(マイナンバーの浸透により金の流れは捕捉できるようになろう)

私はこれまで通名問題は外国人にのみあると思っていたが、NHK Eテレ「私は誰 我是誰 ~中国残留邦人3世のの問いかけ~」を観て、日本人にも通名問題があることを初めて知った。この番組で終戦後70有余年経っても、現在に至るまで連綿と戦争の傷跡が深く残っていることを知った。
満蒙開拓団などで中国に渡っていた日本人家族推定50万人が、終戦間際のソ連侵攻によって死に物狂いの逃避行(ほとんどの民間人は置き去りにされ、集団自決、満州人による略奪、強姦、暴行、ソ連軍による機銃掃射、衰弱死、生き別れ、孤児として労働力に使われる、満州人と結婚定住、中国軍への徴兵等など壮絶な辛苦)を余儀なくされたことは山崎豊子の「大地の子」や葛根廟事件、敦化事件などで知られてはいるものの、2世、さらには3世に至るまで今もって物心両面において困難な状況にあるということを知ることはなかった。(ちなみに軍関係者や満鉄関係者らソ連侵攻時、約3万8000名いち早く列車で脱出し生還している)

中国在留邦人は6772名いるとこの番組で知らされた。調べてみると約2万人の中国残留邦人が永住帰国を果たしたとの記録があった。しかし、2世3世を含めると日本には10万人に及ぶ中国残留邦人が存在するらしい。番組は3世に焦点を当てて、帰国した2世の両親が日本語をしゃべれない、あるいはしゃべれてもたどたどしい、中国なまりがあるということで、人前で話をして欲しくなかったという共通体験から話が始まる。そして自分が3世であり、2世の親がなぜ日本語をうまくしゃべれないのかを思春期に知らされる。ある3世は海外への修学旅行の帰国時に自分だけ中国パスポートで、帰国ではなく再入国の列にひとりだけ並ばされた辛さを語った。自分が誰であるかの問いかけを多くの2世に面会することで明らかにしようともがく3世がいた。文革時代に日本語がしゃべれるということで批判され、その後、日本語を忘れるように努力したという老年帰国者は、姉から教えてもらった折り鶴の折り方だけは手が覚えているといった話を語る。中国人として帰国した3世の王芸昆さんは19歳で日本人帰化申請を行うことを決断する。本人だけの帰化申請では許可が下りないので、日本人にはなりたくない母親を巻き込んで帰化申請し、水野幸美という通名を本名にし、念願の日本のパスポートを手にする。そのパスポートを携え、さらなる自分探しにアメリカへ旅立つ。アメリカではチャイニーズアメリカンが普通に暮らしていることを目の当たりにし、なぜ中国をルーツに持つ自分が抑圧された日本社会の中で隠れるように生きていかなければならないのかと疑問を持つに至る。最終的には、帰化8年後に日本人のまま姓を「水野」から「王」に変える手続きを取り、中国姓(中国ルーツ)を持つ日本人という自分のアイデンティティを確立させようと決意する。

中国に行けば日本人と言われ、日本に行けば中国人と言われ、「ちゃんとした居場所がない」と感じる3世、「日本の言葉もしゃべれないで日本人とは言えないじゃないか」と悩む2世。拙い中国なまりの言葉をしゃべる東洋人を日本に来た中国人と簡単に言い切れない複雑な歴史があることを改めて知り、自らの不明を恥じ、戦争の災禍が本当に癒えるまでには想像を遥かに超えた年月がかかるということを改めて思い知らされた番組であった。

死刑制度を考える

2018年9月1日 at 4:18 PM

2018年7月6日、麻原彰晃を含め、オウム真理教幹部7人の死刑が執行された。同月26日には残りの6人も執行され、一連の事件で死刑が確定した計13人全員の死刑が執行された。平成時代の事件は平成時代で終息させるという行政の考え方が反映されたかどうかわからないし、これにより被害者の心が安寧になったかといえば、そういったことでもないだろう。しかし、一連の事件で29人が死亡(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)し、負傷者が6000人を超える日本犯罪史において最悪の凶悪事件はひとつの節目を迎えたことになる。
これらの死刑執行に対して、テレビ各局はワイドショー宜しく執行の度に逐次報道し、新聞各社は死刑廃止が世界の潮流と称して「文化人」のコメントに大きく紙面を割いた。死刑制度に対しては賛否両論あるのは当然であろう。人が人を裁き命を奪うというのは許されることなのか。それは戦場で人を殺すのは国際法によって免罪されていることと同次元の話ではないものの、正当防衛は許されて、正当防衛できなかった被害者はしょうがないと割り切ることは、普通の人間の感覚を有していればできることではないだろう。
人権活動団体のアムネスティ・インターナショナルによると、106カ国がすべての犯罪において死刑を廃止し、142カ国が法律上あるいは事実上、死刑を廃止していると報告している。これをして死刑廃止は世界の潮流だと喧伝する向きもあるが、人口の多いトップ10カ国(中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ナイジェリア、バングラデシュ、ロシア、日本)において、完全に死刑制度を廃止している国は一カ国もない。ブラジルとロシアは事実上の死刑制度廃止国と勘定されているであろうが、ブラジルは1979年に平時における死刑を廃止しているが、戦時下の軍部の重大犯罪には死刑が適用できるようになっている。ロシアは1997年に死刑一時停止措置が定められたが、その解除をすべきだという議論が上がってきており、国民の62%が死刑制度復活に賛成している。もっとも反体制ジャーナリストが100人以上射殺・毒殺・暗殺される国で、死刑廃止云々はあまりに表面的すぎる議論と言わねばならないだろう。結局のところ人口比では死刑制度を維持し、死刑執行している国の人口は世界において多数派なのである。

EUは死刑廃止で一致している組織である。1982年には平時の死刑の廃止を規定する第6議定書を採択、2002年には第13議定書で「戦時を含むすべての状況における死刑の完全廃止」を規定している。EU基本権憲章には、「何人も死刑に処されてはならない」との規定があり、現時点でEU加盟28カ国はすべて死刑を廃止している上、死刑廃止はEUの加盟条件となっている。
EUにおける死刑を支持できない理由は明確である。「いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である。人権の尊重は、犯罪者を含めあらゆる人に当てはまる」という考え方である。さらに死刑制度の欠陥を記すと「不可逆性:検察官や裁判官、陪審員、さらには既決囚を赦免できる政治家であっても、絶対に間違いを犯さないとは言い切れない」いわゆる冤罪といった過ちを完全に回避する唯一の方法は「死刑を廃止すること」という結論である。
つい先月2日に、ローマ法王フランシスコは死刑制度に関する声明を出し、全面的に反対する方針を明らかにした。ローマ・カトリック教会はこれまで、ごくまれに死刑が容認されるケースがあるとしていたが、一切認めない立場に変更したことになる。法王は極めて深刻な犯罪を行った者にも人間の尊厳はあるとして「死刑は人間の尊厳への攻撃だ」と指摘、世界から死刑制度が廃絶されるよう働きかけていくとも表明した。
一方、イスラム教国はほとんどが政教一致である。 イスラム教徒にとってはコーランこそが全てであり、全ての価値観、全ての行動規範がコーランにある。イスラム教を中心としている国々ではコーランを基本とした刑法典を定めている。これがシャリア法といわれるものであり、そこには明確に死刑を定めている。コーランで定めている重罪は殺人罪、強盗罪、窃盗罪、姦淫罪、姦淫偽証罪の5つである。このうち殺人罪と強盗罪は死刑判決が可能である。
仏教はどうであろうか。仏教と死刑制度の関係性を語るのは難しい。殺生をしてはいけないのだから、殺人も死刑も賛成できるはずがない。仏教国はほとんどが政教分離であり、国の定めと仏教の教えが対立することはないと考える他ない。そもそも仏教とは己の悟りが境地なのであって、世俗の迷いの世界を超えているので、議論にもなるまい。
日本の死刑制度は以下の罪により人を死に至らしめた場合には死刑判決が可能である。放火、爆発物破裂、住居侵入、汽車転覆、毒物混入、強盗、強制性交、組織犯罪、人質による強要、ハイジャック、航空機墜落、海賊行為。かなり広範に規定してある。日本における死刑執行は2017年4人、2018年は既に13人。アムネスティによると中国は4桁、イラン・サウジアラビア・イラクが3桁、パキスタン・エジプト・ソマリア・アメリカ・ヨルダンが2桁、北朝鮮やベトナムはデータがない。世界的は不名誉と言える2桁死刑執行となったが、人数が問題ではない。事件そのものが問題だと考えるべきではないか。死刑判決・死刑執行せずに済めばなんと素晴らしいことか。誰も戦争を望んでいないように、誰も死刑制度を望んではいない。
EU加盟国は冒頭の死刑執行を受けて「同じ価値観を持つ日本には、引き続き死刑制度の廃止を求めていく」との声明を発表した。しかし、日本人は欧州と全ての価値観を共有しているわけではない。
日本における死刑制度廃止の賛成意見には、⓵死刑は残虐かつ非人道的な刑罰であり、法の名による殺人に他ならない、⓶死刑が犯罪を防止する効果を持つという証拠はない。実際、死刑を廃止した 国で犯罪が急増したという例はない。殺人を犯す前に「自分が死刑になる可能性を考えた死刑囚はほとんどいなかった」というデータもある、⓷遺族感情の重視は、私的制裁の禁止を原則とする近代法の理念に反する。刑罰は 復讐のためにあるのではない、⓸先進国に限れば、死刑制度を実施しているのは日本とアメリカだけ(アメリカは州単位で制定)である。
さらに、「アサハラの死は、支持者には殉教と映り、新たな指導者を生みかねない」「自殺願望の者が殺人によって死刑を願望する、すなわち死刑の存在が犯罪を誘発することがある」(大阪教育大付属池田小学校における児童大量殺傷事件など)などといった意見もある。
しかし、私は今の段階では「死刑制度を廃止するのが妥当である」といった意見には組しない側の人間である。明らかに現行犯的に凶悪犯罪を繰り返し、罪のない人を殺め、のうのうと世間で生きている人間を到底許すことができない心の狭い人間である。国民の8割が死刑を容認している日本は果たして本当に世界の潮流から遅れているのであろうか。

星野君の二るい打

2018年8月1日 at 4:12 PM

二ヶ月ほど前になるが、一時色々な形で有名になった前川喜平氏の講演を聴く機会があった。醜聞も気にはなったが、教育行政に長年携わってきた前川氏が、今、そしてこれまでの日本の教育をどのように総括するのか若干の興味をもって聴いた。ちなみに前川氏の祖父は前川製作所の創業者、前川喜作氏で、喜作氏が創設した和敬塾(目白台にある男子学生寮)からは村上春樹氏や隅修三氏(東京海上ホールディングス代表取締社長)など錚々たる文化人、経済人、政治家を輩出している。ちなみに前川喜平氏の妹と中曽根康弘氏の長男弘文氏とは婚姻関係にあり、前川喜平氏と中曽根康弘氏は親戚関係にあたる。教育基本法を改正したいと教育審議会を立ち上げた中曽根元総理と、国家介入から教育の自主性を守らなければならないとする前川喜平氏の二人が、政治家と官僚という立場で、少なくとも前川氏の視点に立てば、対立含みの忖度という位置にあったのは、皮肉な話であったと言えよう。
「星野君の二るい打」という話は、この前川喜平氏の講演の中で初めて聞いた。道徳の教科化が始まる平成30年の教科書に載っていて、前川氏曰く、この話はまさに「個」よりも「全体」を重んじる滅私奉公・国家主義的考え方に通ずるものだと批判していた。私は5年前のブログで「道徳の教科化」(2013年7月14日)を取り上げ、反対の意思を表明している。道徳教育は必要だが、教科化としてしまうと評価、得点を付けなければならなくなり、それは「これが正解です」という解があり、指導する教師の立場にすれば、そこへ誘導しなければならないという使命を多かれ少なかれ負ってしまう。子供は大人の考える「正解」に先回りして、点数を稼ぐといったことにも繋がりかねない。
「星野君の二るい打」という話がどの教科書に掲載されているのか色々調べてみたが、わからなかった(文科省のHPにも道徳の教科書の内容~全て読める~が掲載されているが、そのような題名は見つけられなかった。ある人のブログには小学校6年生の道徳の教科書に載っているとあったが、そういった検索ワードでもやはり見つけられない。東京書籍のHPに10分程度のビデオが販売されているので、調べたら1999年度版には載っていたことが確認できた。もしかして、様々な批判を浴びた結果、現在は掲載されていないのかもしれない)。いずれにせよ、この「星野君の二るい打」の話が今も教科書に載っているのかどうかはこの際置いておいて、その中身に入っていきたい。ネットで検索する限り、ほぼ道徳の教科化に反対する題材として、この「星野君の二るい打」が登場する。週刊朝日の亀井洋志氏の要約によると次のように紹介されている。
「バッターボックスに立った星野君に、監督が出したのはバントのサイン。しかし、打てそうな予感がして反射的にバットを振り、打球は伸びて二塁打となる。この一打がチームを勝利に導き、選手権大会出場を決めた。だが翌日、監督は選手を集めて重々しい口調で語り始める。チームの作戦として決めたことは絶対に守ってほしいという監督と選手間の約束を持ち出し、みんなの前で星野君の行動を咎める。『いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ』『ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ』などと語り、星野君の大会への出場禁止を告げるシーンが展開する。」
この話は丁度、日大アメフト部の話や、女子レスリングの伊調薫選手へのパワハラ、またアマチュアボクシング協会の不正疑惑など最近湧き出すスポーツ界の闇と重なってくる。
この「星野君の二るい打」の原文は1947年8月に出版された吉田甲子太郎氏著であり、もともとは高校野球の地方予選決勝での話である。教科書(最初は国語の教科書)に掲載するにあたっては、その時代背景や小学生向けに編集することで、かなりの削除や書き換えが行われている。主人公の星野君は投手で三番打者、まさにチームの主力である。その星野君に監督は試合の翌日、甲子園での出場禁止処分を言い渡す。監督はその場面でこのように口火を切る。「星野君はいい投手だ。おしいと思う。」「(星野君を出場禁止にすることで)、ぼくらは甲子園の第一予選で負けることになるかもしれない。」と苦渋の決断であったことをチーム全員に伝える。
実は、この前段には監督就任時の選手たちとの約束が綴られている。「ぼくが、監督に就任するときに、君たちに話した言葉は、みんなおぼえていてくれるだろうな。ぼくは、君たちがぼくを監督として迎えることに賛成なら就任してもいい。校長からたのまれたというだけのことではいやだ。そうだったろう。大川君(キャプテン)。」(大川君強くうなずく)「そのとき、諸君は喜んで、僕を迎えてくれるといった。そこで、ぼくは野球部の規則は諸君と相談してきめる。しかし、一たん決めた以上は厳重に守ってもらうことにする。また試合のときなどに、チームの作戦として決めたことは、これに服従してもらわなければならないという話もした。諸君はこれにも快く賛成してくれた。その後、ぼくも気持ちよく諸君と練習を続けてきて、どうやら、僕らの野球部も少しずつ力がついてきたと思っている。だが、きのう、ぼくは面白くない経験をしたのだ。」という前置きの後に監督は処分を通告するのである。
これに関係した「福岡県教育センター」の道徳学習指導案を見つけた。これによると主題は「きまりはなんのために」ということである。事前の実態調査によると、「自分が損してまできまりを守ることはできない」と考えている子供が46%。「きまりは大切だが、きまりを破ることで結果が良くなるなら、時と場合による」と考える子供は38%。規則を守る根拠に利害・損得を上げる子供が54%いる半面、他者・相手の尊重を挙げる子供は27%、利便性とする子供は8%、秩序維持という答えが6%、紋きりの理解が5%と続く。最終的な狙いとしては「自分の力を発揮して活躍したい星野君の心情への共感」「監督の命令に背くことに後ろめたさを感じる星野君への共感」「翌日の監督の話をうつむいたままでいる星野君への共感」を通じて、「星野君が置かれている立場や状況を捉える力」「きまりを守ることはなぜ大切なのか、自分なりの根拠をもって明らかにし判断する力」を養うとしている。
最近の改版では最後のくだりが削られているが、このような場面で終わる。「星野はじっと涙をこらえていた。いちいち先生の言う通りだ。彼はこれまで自分がいい気になって、世の中に甘えていたことを、しみじみ感じた。『星野君、異存はあるまいな。』星野は涙で光った目を上げて強く答えた。『異存ありません。』」
今の時代感覚からすれば、この終わり方に強制力を感じる向きもあろう。しかし、1947年に発行された当時、作者が意図していたのは、監督が生徒たちに丁寧に段階を踏んで合意を取り付けていったステップがあり、戦時中とは違う民主主義的な態度を読み取らせようとしてしていると奈良女子大の功刀俊雄氏は解説している。監督の処分に、キャプテンの大川は「だけど、二塁打を打って、クラブを救ったんですから」と星野に助け船を出すが、監督は「ただ、勝てばいいのじゃないんだよ。」と集団としての統制、独善的ではない民主主義的思考、スポーツマンシップの精神を子供たちに注ぎ込もうとしている題材として意図されているようである。
小学校高学年は、まだまだ功名心や利己心や支配欲が強く、統制に従うとか、全体のために自己を抑える訓練が身に付いていない。競技などで勝敗に囚われて規則を尊重しない傾向もあることへの指導という色彩が強く出ている。これをして監督の自己の命令への絶対服従を子どもたちへ強いる「監督絶対主義」として前川氏のように全体主義、国家主義への誘導と取る論調もある。終戦後すぐの題材を現代に流用することの難しさがここにあるが、自己の主張を正当化するために一部を都合よく切り取って反論に使うという手法も古典的で狡さを感じる。
W杯予選の最終試合、ポーランド戦での最後の10分間のパス回しは日本中がと言っても大げさではないくらいに喧々諤々の意見や論調があった。私は個人個人の美意識に通ずるところがあって、それぞれの解釈をすればいいと思う。本戦でのベルギー戦で一時夢を見させてもらったサッカーファンは、ポーランド戦の西野監督の采配を是としていた人がかなり多かった。しかし、もしベルギー戦で一方的にやられていたと仮定すれば、予選で最後まで点を取りに行って、それで負けた方が良かった(花と散る)とする人が多かったのではないだろうか。西野監督は何としても決勝リーグに行くという目的のために賭けに出て賭けに勝った。星野君の場合も結果OKであったが、いつもそうとは限らない。いや、結果が出ないことの方が多いのではなかろうか。それゆえ、こういった話には花が咲く。「星野君の二るい打」の話は小学生のみならず、大人でも意見が分かれ、それを評価することなど、ナンセンスと考えるのは私だけだろうか。ひとつの題材を基に、色々な意見が出され、その中で共感があったり、他者からの学びがあったり、仲間への新しい発見があったり、それで十分である。

明治維新150年、五か条の御誓文を読み返す

2018年7月14日 at 9:41 AM

今年2018年は、明治維新1868年から数えて150年の節目の年である。明治維新をやり遂げた薩長土肥の遺勲や幕末志士の思いなど、その評価にはいまだ毀誉褒貶があろう。当時、清の二の舞になってはいかんと、欧米列強へ対抗せんとした尊王攘夷論は、最終的には尊王開国という形に終結していき、大政奉還に至った。勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城は有名なくだりであり、これにより多くの優秀な人材が犬死することなく以降の時代を牽引することとなるが、その西郷含め、維新前後各10年は多くの血が流れたことは歴史の知るところである。
今世紀に入って2010年にチュニジアで始まったジャスミン革命から波及した、アラブ世界における民主化を求める「アラブの春」は、前例のない大規模反政府デモに発展した。2012年にはエジプトやリビアで強権長期政権が打倒されたが、その後の国内対立とその衝突により混乱を招き、シリアに至っては泥沼の内戦状態がいまだに続いている。それら間隙を縫ってISが建国を宣言し、いっとき大いに勢力を拡大したことは記憶に新しい。
旧体制崩壊後に秩序立てて新体制を立ち上げることは、旧体制を崩壊させることより何倍も困難な作業である。明治維新の元勲等の奮闘努力はやはり歴史上の快挙と言っていいであろう。それら元勲等の陰に隠れて、あまりその評価が表に出ないが、明治天皇が天地神明に誓約する形で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である「五か条の御誓文」は、当時の人心安寧とその後の日本社会における民主主義に基づいた基本的人権の確立に大きく寄与したものと私は考えている。
左巻きの人たちはすぐに「戦前回帰」=「軍国主義復活」などと声高に叫ぶが、日本軍(特に陸軍)が軍国主義に走った時代は1931年の満州事変から1945年の第二次世界大戦敗戦までの14年間であり、その百倍以上の長きにわたる日本の歴史を「戦前」と称して片っ端から否定するというのはまったくもって無知蒙昧の仕業としか言いようがない。
企業経営でも「変えてはいけないもの」と「変えなければならないもの」の峻別が非常に重要で、これを間違ってしまうと背骨の無い軟体動物のような企業体質になってしまう。
その意味で、「五か条の御誓文」(天皇が天地神明に誓ったもの)の内容は、明治維新にあたって天皇により「民主主義」が宣言され、大正デモクラシーを経て日本社会に根付いていったものである。日本の民主主義は決して、敗戦後にGHQから押し付けられたものではないということを日本国民が再認識し、五か条の御誓文の精神は「変えてはならないもの」のひとつとして後世に伝えていかなければならない大きな財産ではないかと、その歴史に思いを馳せるものである。

【五か条の御誓文(現代語訳)】(原案起草:由利公正、修正:福岡孝弟、加筆:木戸孝允)
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
   ・広く会議を興しとは、当時人々の意見を広く集めて会議するという意味はなく、府藩県に渡って広く会議を興そうという意図であったと福岡が語っている。しかし、この思想は後に自由民権運動を経て、1928年に男子普通選挙、1945年に婦人参政権が成立する基盤となる。
   ・万機公論とは、あらゆる重要事項は、広く公開された議論を経て行うという意味で、坂本龍馬の船中八策(1867年)にある「万機宜しく公議に決すへし」から採られたものとされる。
一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし
   ・福岡が「士民」を「上下」に修正し、一層広い意味を持たせ、人心を一つにするという国民団結を謳っている。
   ・経論は一義的には経済振興を表したものであるようだが、経済政策に限らず国家の政策全般のことと解釈して問題ないと思われる。
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す
   ・福岡が「官武一途」(中央政府と地方武家が一体となって)を加えたため、主旨が不明瞭になったと言われるが、要は各々が各々の分野で弛まぬ努力を続けて志を成し遂げることが重要であると説いていると解釈できよう。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
   ・まさに陋習とは「変えるべきもの」であり、変える際には普遍的な自然の摂理や原理原則(当時は国際法などが念頭にあったよう)に基づいて行われるべき、といういつの時代にも通用する考え方と言えよう(木戸の発案)。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
   ・後半の幕藩体制において、極限られた国との交易しかった結果、世の中のことに疎かった反省を踏まえて、知識を世界中に求める重要性を説いている。皇基とは、天皇が国を治める基礎という意味である。

今日においては、現行憲法で「天皇は日本国と日本国民統合の象徴」であることから、天皇は国政に関する機能は全く有していない。五か条の御誓文を発した時の明治天皇は16歳。総裁・議定・参与の三職が若い明治天皇を補佐し、天皇の権威(Authority)を持って近代国家への改革を先導していった。明治天皇は、大日本帝国憲法下あっても、質素な生活と峻厳に自己を律する姿によって、当時から象徴として国民の畏敬の念を集めていた。崩御に至るまで君権政治とか圧政政治とは無縁であった。日本の軍国主義時代は大いに反省すべきところがあるが、かといって、それ以前の日本の文化・慣習・歴史を一刀両断で否定する愚を犯してはならない。古きを温ねて新しきを知る(温故知新)はいつの世にあっても金言である。

今どき、まだ文系・理系ですか?

2018年6月17日 at 2:06 PM

大学受験にあたって、受験生は未だに文系・理系の選択を強いられているのであろうか?
教育現場では便宜上、生徒を文系・理系に分けて、志望校に合格するための必須科目を集中的に勉強するのは手段の最適化という観点からわからないでもないが、卒業して随分経っているにも拘らず、それを引きずって(固執して)いる人を見ると哀れになる。昔はInnovationが50年に一度程度、人生も50歳+αであったので、学生時代に勉強したことで食いっぱぐれることはなかったであろう。しかし、いまやInnovationが十数年に一度、人生100年時代を前提とすれば、生涯学習をもって時代に適応できなくては食いっぱぐれる時代になっていることを認識しなければならない。
昭和2年生まれの私の親父は既に鬼籍に入ったが、現役時代には「私もエンジニアの端くれですから」と半ば誇らしげに人に話していた姿は今でも強く印象に残っている。ちなみに親父は新幹線の車両整備運行に携わるエンジニアであった。
日本の高度経済成長を支えたのは、紛れもなく科学技術の発展によるところが多いであろう。70年代後半には自動車、電化製品、カメラなどは日本製品がNO.1と言われ、日本が急速に貿易黒字を積み上げていった時代であった。また一方で、敗戦により、その後の軍拡競争に巻き込まれることなく、国の資本を経済発展に集中投下できたこと、護送船団方式と称されながらも経済力拡充による国力増強に舵を切った東大をはじめとする法学部等出身者の政治家や官僚が牽引してきた時代でもあった。
外国人から文系・理系という話は聞いたことがない。自分の学んだ専門分野を呼称するのが普通である。人文学部-B.A. (Bachelor of Arts)、経済学部-BEc (Bachelor of Economics)、商学部-BCom (Bachelor of Commerce)、理学部-B.S.(Bachelor of Science)、建築学部-BArch (Bachelor of Architecture)、工学部-B.E.(Bachelor of Engineering)などである。私はアメリカ赴任ビザ取得の際に自分の学位が英語ではBachelor of Political Scienceであることを調べて知るに至った。諸外国では博士課程を修了した人はPh.D(Doctor of Philosophy)と呼称され、日常生活でもDr.~~と敬意をもって呼ばれる。日本ではノーベル賞など世界的権威のある賞を受賞したような余程偉い人でもなければ、~~博士とは呼ばれない。日常生活の中で、通常Doctorと呼ばれるのは医師だけである。
日本で文系・理系と区別され出したのは、大正7年の第二次高等学校令によるとの記載がWikipediaにあった。そこで、「文科甲類」「文科乙類」「文科丙類」「理科甲類」「理科乙類」(甲‐英語、乙‐独語、丙‐仏語)なる区別が為されるようになったとある。橋爪大三郎氏によれば、「そもそもこんな区別があるのは、発展途上国の特徴である。黒板とノートがあればすむ文系にくらべ、理系は実験設備に金がかかるので、明治時代の日本は、(理系の)学生数を絞らざるをえなかった。そこで数学の試験をし、文系/理系をふり分けることにした」そうである。理系の人のそんな矜持が「私もエンジニアの端くれですから」という親父の言葉に引き継がれているのであろうか。
昨今話題の日大には文理学部がある(1958年改称)。文系と理系が複合した学科が18ある総合学部とのことであるが、教員養成の色彩が強く、文理の枠を超えて学問を追究しようといった理念は残念ながら感じられない。卒業者有名人の顔ぶれを見ても、スポーツ選手や芸能人、アナウンサーが目につき、政治家などの文系的人材は輩出しているものの、理系的な活躍をしている人は極僅かと見受けられる。
AI(人工知能:artificial intelligence)は、いまや最も盛んに語られるBuzzwordであろう。人間の敵か味方かなどと無責任なメディアが囃し立て、肯定的にも否定的にも捉えられている。別の意味合いでBIとAIという言葉がある。BIとはBefore Internetで、時代の流れがSlowでSimpleであった時代、つまり将来をそこそこ予測できた時代。AIはAfter Internetで、時代の流れがFastでComplexであり、予測できない手探りの時代。前者は完全無欠(Perfection)を目指す時代から、後者の最善の努力(Best Effort)を目指す時代へ変わってきたとする考えである。学問ではAntidisciplinary(既存の枠を飛び越えた学問)が必要とされる時代になってきており、文系・理系といった100年の前の区分に拘っている時代は遥か昔に終わっている。
そしてEducation(誰かに教わり、それを覚える)時代から、Learning(自分で学びたいことを選び、自ら学ぶ)時代へ変わっていかなければならない。なぜなら、もう既に我々は答えのない時代に突入しているからである。
AIがこれからの時代に大きな役割を担っていくことはほぼ間違いない。学問としてはAIを味方にする教養(プログラミング、論理性、合理性、網羅性など)と、AIに代替できない教養(リベラルアーツ‐歴史、哲学、文化、美術、音楽、宗教、生物学など)、そして全てを疑って掛かる程の学びの姿勢が必要になる。
それら各人各様の違った意見を出し合い議論しながら、ひとつの意見にまとめていく教養と統率力が人間個人に求められていくものと思う。
そして、これから未来を担っていく若い世代が、固定観念に縛られた親や大人のこれまでの経験値による過剰介入によって、子供本来の純真無垢な可能性に溢れた好奇心が侵されないことを切に願っている。

疑似科学

2018年5月3日 at 4:28 PM

疑似科学とは、いかにも科学的であるように見えて、実は科学的根拠がなく、実証も反証もできない事柄の事を言う。例えば、日本では今でも根強い人気がある血液型と性格の関係は代表的事例と言えるでしょう。昔から伝わる占星術や風水などもその例と言っていいでしょう。科学的思考は重要ですが、かと言って現時点で検証されたとされる科学が万能とも言い切れません。科学技術の進展が発見と修正の歴史であることもまた事実ですから。実際、過去科学的に証明されてきたことが、実は間違っていたという例を探してみました。たとえば、以前は植物性脂肪から作られるマーガリンが、動物性脂肪から作られるバターよりも健康に良いと長らく信じられてきましたが、2000年代に入ってマーガリンに使われているトランス脂肪酸が、LDLコレステロールを増加させ心血管疾患のリスクを高めると指摘され始め、国によっては法規制の対象にまでなっています。一方、宇宙科学では、冥王星は他の8つの惑星と性質が違っていると考えられるようになり、2006年の国際天文学連合の総会によって、「準惑星」というカテゴリに分類され、惑星ではなくなりました。体力増進に関しては、星飛雄馬世代には有名な「うさぎ跳び」が、スポーツ医学の進展により、1980年代に入って、膝に危険な力が加わり関節や筋肉を傷めてスポーツ障害を起こす恐れがあるということで、少年時代自主トレで筆者が行っていたうさぎ跳びなる練習は今ではすっかり消滅してしまいました。未だ様々な意見が交わされている二酸化炭素で地球温暖化が起きているという説も、多くの反論が出てきており、環境問題というよりは政治経済問題化してきている感があります。
さて、血液型性格判断に話を戻すと、日本以外では、日本の文化的影響を受けている台湾や韓国など一部アジア地域でのみ盛んなようです。起源を辿ってみると医学の基礎を作ったヒポクラテスまで遡ります。ヒポクラテスは紀元前4世紀の古代ギリシャの医者ですが、彼は「四体液説」を唱えました。それによると「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類が人間の基本体液であり、どの体液が優位であるかが人の気質・体質に大きく影響すると書き記しました。その考えはなんと19世紀の病理解剖学誕生まで続いていたとされますので、長い間人々の間には信じられてきた考えであったと言えましょう。
ABO血液型判定が確立するのは、1933年の第5回太平洋学術会議においてですが、ナチス・ドイツは人種差別を正当化するために、早速この血液型分類を利用しました。「ゲルマン系ドイツ人の血統が優れている」としたい彼らは、「ドイツ人に多いA型」を優れた血液型とし、「高い知能」「勤勉」などと肯定的に喧伝し、一方で「ユダヤ人やアジア人に相対的に多いB型」を劣った血液型として、「暴力犯罪者」「精神薄弱」「感染に弱い」などと非常に否定的に扱ったとされています(文献にあたれず未検証)。
もうひとつ日本ならではの例を挙げると、「マイナスイオンの効果」の是非があります。現時点でこれを疑似科学と断定するまでの結論は出ておらず、肯定派・否定派乱立状態のようです。実際、厚生省の認可を受けた医療機器が存在しますし、筆者自身も自宅に「マイナスイオン生成機」があります(もうどこになるかすらわかりませんが)。時折アウトドアに出かける筆者にとって、滝から発するマイナスイオンは、その説を信じ込まされているせいか、とても気持ち良く感じます。懐疑派で統計物理学者の菊池誠氏に言わせれば、「確かに滝の側で爽快感を得ることはあるが、これは飛び散った細かな水滴が気化する時の気化熱による空気の冷却による涼しさ、都会の喧騒から離れたことによる静けさ(滝の音のみ聞こえる)や空気の清浄さ(車の排ガスなどのない)、また木々の緑が目に及ぼす優しさ等、普通に想定される快適要因による説明で十分であり、あえて科学的に実証されていない『マイナスイオン』を原因として持ち出す必要はないのではないか」と論じています。マイナスイオンなる言葉自体も「イオン化した大気分子の陰イオンを表す造語」に過ぎず、マイナスイオンが何かを具体的に特定できる統一見解はないらしい。
いつからマイナスイオンなる言葉が発生したかを調べてみると、ブームのきっかけは1999年から2002年にかけて、フジテレビ系列の情報バラエティ番組「発掘!あるある大事典」で特集番組が組まれたことであるそうだ。2002年にはマイナスイオンは流行語となり、家電量販店の店頭はマイナスイオン商品で溢れかえることとなった。ちなみに「発掘!あるある大事典」は2007年1月7日放送の、納豆によるダイエット効果を取り上げた「食べてヤセる!!!食材Xの新事実」の放送の影響により、全国各地の納豆が売り切れ、大騒動となったことがある。しかし、その後、虚偽のデータを放映したことが発覚し、番組は打ち切りとなった。 後日談であるが、この捏造報道を受けて、茨城県ではスーパーから大量に発注された納豆が突然キャンセルされ、廃棄処分が出たり、関連書籍も店頭からも撤去、絶版となったそうである。
現在、疑似科学と疑われている事柄も、将来立証されることもありうるし、他人様に迷惑をかけない程度の話題提供であれば、一時の世間話で済むが、悪徳商法・偽医療・質の悪い新興宗教と結びつくことになると大いなる不幸を招いてしまう。疑似科学はそういった悪質な事件と親和性が高い。
米数学者マーティン・ガードナーは、科学的懐疑論者でも有名であるが、1952年の著書「奇妙な論理(邦題)」において偽医療がはびこる理由のひとつとして、「人間の病気のほとんどは心身医学的なものであるため、患者が医師を信頼すれば治療方法が奇妙なものでも、患者はしばしば奇跡のように治癒するおかげだ」と述べている。こうなると理屈はどうあれ、患者にとっては災い転じて福となすとなり、科学と疑似科学の境界の線引きは実社会では甚だ困難を極めそうだ。「病は気から」というのは果たして科学か、疑似科学か。
いずれにせよ、この不確かな、特に「悪質な疑似科学」なるものから自身の身を守るためには、疑似科学の兆候を押さえておく必要がありそうだ。1)主張する人が、反証不能な理論や態度を見せている人、2)あなた、こんなことも知らないの?という無知へのアピールを強調する人、3)自ら立証を試みるのではなく、相手に立証責任を転嫁する人(無いことを立証するのはほぼ不可能)、4)いくつかの体験談を重視し、科学的ルールを軽視する人、5)統計的裏付けに乏しい、6)人間が犯しやすい心理パターンに陥れようとする人などは要注意だ。そして自分自身の思考回路もセルフチェックを怠らないようにしたい。たとえば「自分に都合のいい情報」だけを集めて納得すること(確証バイアス)などは多忙を理由にする人ほど陥りやすい罠であろう。