気概の精神

2017年4月4日 at 11:34 AM

鮮明に記憶している小説のセリフがある。「お上の事には間違はございますまいから」。1915年に発表された森鴎外の「最後の一句」の娘いちの言葉である。中学校の教材として学んだものと思う。
話のあらすじはこうである。船乗り業の主人太郎兵衛は、知人の不正を被る形で死罪とされてしまった。悲嘆にくれる家族の中で、長女のいちは父の無罪を信じ、奉行佐々又四郎に助命の願書を出し、父の代わりに自身と兄弟たちを死罪にするよう、単身申し立てる。16歳の娘の大胆な行為に背後関係を疑った奉行は、女房と子供たち4人を白洲に呼び寄せ、責め道具を並べ立てた上で白状させようとする。
白州で、いちは祖母から事情を聞き父の無罪を確信したこと、自身を殺して父を助けてほしいことを理路整然と訴える。佐々が拷問をほのめかして「お前の願いを聞いて父を許せば、お前たちは殺される。父の顔を見なくなるがよいか」との問いに、いちは冷静に「よろしゅうございます」と答える。そして「お上の事には間違はございますまいから」と付け加える。この反抗の念を込めたと思われる娘の最後の一句は役人たちを驚かせるが、同時に娘の孝心にも感じ入ることになる。そして太郎兵衛は、宮中の桜町天皇大嘗会執行を名目に死罪を免れるのであった。
この小説の原作は太田蜀山人の随筆「一話一言」で、鴎外がアレンジを施したとされる。いちの発した最後の一句は軍内で孤立していた鴎外の官僚批判とされているが、当時の背景を知らない筆者は民の強烈な体制への皮肉と受け取った。今思えば、権威の不確かさ、もっと言えば権威の欺瞞性をも痛烈に批判している小説と言えるのではないか。

権力を持つものには高い倫理観が求められる。英アクトン卿の「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」の格言は有名なところである。ゆえに権力の暴走を許さないよう様々な仕掛けが民主主義国家において整備されてきた。その筆頭が憲法である。司法の最高機関である最高裁が「違憲ではあるが、無効ではない」という判断を一票の価値の不平等について見解を出すが、1回は仕方ないにしても何回も出すようでは、三権分立とは言えない。また、新聞・テレビなどのマスメディアも「権力を監視する」という大義名分のもと長年機能してきたと思うが、昨今はそのメディア自体が特権階級化し、世論を意図的に左右するようなモンスターに成長してしまった感がある。インターネットの発展により、SNSに代表される個人の情報発信も盛んに行われるようになったが、事実か否かは判別できないし、情報と意見が混入しているものも多い。確かな情報を取捨選択して掴むことがより個人に課される世の中になっている。情報操作やスパイ行為(売春に次いで人類最古から2番目の職業と言われる)は昔からあり、トランプ大統領もロシアの情報機関の助けを得て当選したとも噂されており、事実CIAとFBIの合同チームがその調査にあたっている。ことほど世の中は複雑化してきており、より個人の確立が重要な局面であることは言うまでもない。

最近のニュースを見ていると、行政府や立法府は本当にやるべきことをやっているのか不安になることが少なくないが、同時に個々人がしっかりしなければならないと強く思う。「働き方改革」なるものも国会において、あるいは新聞紙面を賑わしているが、これは個人と企業の間の話であって、国家が口出すことだとは私には到底思えない。昔は労働組合がその役目を負って、企業側と交渉をしてきた。いまや労働組合はどうしたのか? 日本最大の労働組合である連合はただ選挙の時だけ民進党に担がれるお神輿組織に成り下がってしまったのか?
電通の新入社員が過労で自殺したことが、この「働き方改革」の引き金になっているように思うが、上司はもとより、その周辺の同僚や同期諸氏は全くの無力だったのか? 親御さんには申し訳ないが、個の確立ができていない。社会人になる前に身に付けておかなければならない周囲の状況を判断すること、状況に応じて適応する協調性、そしてこれだけは譲れないという自身のポリシーの確立がされていないのはとても残念なことである。2015年12月7日付のこのブログで掲載した「ストレスチェック義務化に物申す」でも同様のことを書いたが、個人で自己管理を行うべきことが、企業の義務になったりする。こういったニュースに触れる度に、裏に利権が見え隠れすると感じるのは私だけであろうか? 企業で義務化されている健康診断も本来個人が気を付けることであって、上司が健康診断を受けない部下の尻を叩くなどは仕事とは言えない無価値有償労働である。ここにも社会保険料が無駄に費やされている温床が存在する。

森友問題も国会やニュースで時間と金が無駄に費やされている事例である。焦点であるべきは売却額が適正だったかという1点に尽きる。土地評価額9億5600万円から廃棄物撤去費用など8億2200万円が差し引かれ、最終売却額は1億3400万円になった。この経緯に特定の政治家が介在し、不正に値引きされたかどうかを調べるだけである。安倍首相が100万円寄付したとか、昭恵夫人の関与がどうだとか、挙句の果てに「忖度」したのではないかと民進党が追及しているが、いずれも法律に違反しているわけではない。そんなことをほじくり出しても何も出てこない。落しどころのないパフォーマンスだけ、時には嘘・捏造して注目を集めるだけの国会議員には今すぐ辞めてもらいたい。

忖度とは「他人の心をおしはかること」で、人間誰しも対人関係において行っていることである。人間関係の潤滑油とも言えるものであろう。これがなければ「自己チュー」と揶揄される。冒頭のいちは自身の覚悟を権力者である佐々に「お上の事には間違はございますまいから」という一句で乾坤一擲の矢を放った。自己の保身が見え隠れする姿は見ていて見苦しいし醜い。個々人の気概の精神が失われているとすれば非常に悲しいことである。