遺伝子検査

2014年10月16日 at 9:28 AM

しばらく前から「遺伝子検査キット」なるものがネットでも売られています。お値段はたったの29,800円なので、家族家系内に遺伝因子の影響が強い疾病をお持ちの方はやってみたいという衝動に駆られて当然のことであろうと思います。ヒトのゲノムの全塩基配列は約10年かけて解読作業が行われ、2003年に完了宣言がされました。それは1953年のDNAの二重らせん構造の発見からちょうど50年後のことでした。

手近な遺伝子検査キットをググってみると、「日本人の2/3近くが生活習慣病で亡くなっています。大事な家族のため、自分自身のためにも病気のリスク、体質を知って、食事・運動などのライフスタイルを見直すことで、今からあなたにあった予防を実践しましょう」とあります。検査項目は脳梗塞、心筋梗塞、2型糖尿病、胆石、尿路結石症、腰痛、痛風、不眠症、円形脱毛症、花粉症、緑内障、アトピー性皮膚炎、貧血傾向、十二指腸潰瘍、アルコール、ニコチン依存症、過食症、長寿・寿命など全70項目となっています。最近では遺伝子検査によるダイエット指導や肌老化対策など美容に特化して顧客誘引しているところもあります。

先般、東京医科歯科大学の木村彰方教授のお話を聴く機会がありました。先生のお話は心不全・突然死の遺伝子についてでしたが、日本の三大死因のひとつである心疾患は高齢者のみならず、小児、若年者にも起こっていて、現時点で遺伝的要素がどこまで解析されているかという説明でした。

通常、医者は患者を診て、検査をして、処方をして治すというサイクルですが、先生はこのサイクルで治らない患者がいるということを契機に人類遺伝学を30年前に志したそうです。心臓病は家族性のものと原因不明の突発性のものとあって、まだ全貌は明らかになっていません。しかしながら、肥大心筋症は家族性が50~70%、拡張型心筋症は20~35%と遺伝因子の影響を強く受ける疾病は明らかになっています。前者は筋肉が厚くなって固くなり心臓がポンプの役目を果たさなくなる。後者は心臓が大きくなりすぎて、相対的に筋肉が少なく、これも心臓のポンプの役割を果たさなくなるというものです。正常であれば心臓の大きさと、それに見合う心筋が平均80年ものあいだ正確に動いてくれるわけです。まさに生命の神秘。肥大心筋症や拡張型心筋症は常染色体性優先遺伝病に分類され、父親あるいは母親のいずれかからの遺伝で50%の確率で受け継がれます。運悪く双方から受け継いでしまうと重篤な心臓病を発症する確率が非常に高くなります。遺伝子レベルで言うと、5800文字の情報のうち、たった1文字しか違わないのですが、この1文字が大きな違いを生んでいます。

これら常染色体性優先遺伝病の治療法は今は心臓移植しかないそうです。家族性が非常に強い疾病ですが、家族の病歴が無い方もいます。新生変異と呼ばれ、所謂突然変異ですが、家族歴が無い方でも発症する方がいます。経験的にも感じることですが、この病は男女差もあります。男性が女性より2倍以上多く、重症も多いそうです。そうすると男性ホルモンとの関係が疑われます。マウスで実験してみるとやはり雄雌の差はあって、♂マウスの精巣を取ると女性並みに寿命が延び、♀マウスの卵巣を取ると、さらに寿命が延びるそうです。卵巣も男性ホルモンを作っているそうで、やはり男性ホルモンと心臓病の関係は相関するという結果となっています。

乳児突然死症候群も一時話題になりました。保育園でうつ伏せで寝かせていたら、いつのまにか亡くなっていたというものです。ポックリ病の一種です。突然死で心臓に作用する要因はいくつかあるそうで、音に反応する遺伝子、アドレナリンで反応する遺伝子などがわかっているそうです。前者は目覚ましの音でびっくりして心臓が止まってしまう。後者は興奮によるストレスが血液供給を増大させ許容量を超えて死に至る。カフェインやニコチンもアドレナリンを生じさせ増大させる物質ですが、通常ほとんどの方はポックリ死んだりしません。しかし老若問わず過剰反応する遺伝子をお持ちの方がいるそうです。

先ほどの5800文字のうちの1文字を換えれば発症確率は大きく下がりますが、遺伝子要因なだけに、受精卵の時点で書き換えを行わなければなりません。この行為は結果として親が子どもを自分たちの好きなようにデザインする道をも開いてしまうという「デザイナーベイビー」問題として、多くの生命倫理学者たちが懸念を表明しているものです。

さて、冒頭の遺伝子検査キットに話を戻すと、先の家族性心臓病の原因遺伝子はひとつではなく、10~20もあるそうです。単因子の病気であれば、90~100%の確率で発症がわかるそうです。しかし多因子の病気の場合、たとえば、一般平均で0.5%かかる病気が、遺伝因子50%でかつ作用する遺伝因子が10%しかわかっていないとすると1%に上がるだけという計算になり、遺伝子検査の効果はほとんどありません。因子が数百ある場合は、大地震に遭う遭わない、遭っても不幸にして死亡する、幸運にして生存するといった運不運の世界なのかと私には感じられます。

重篤な単因子の家族性疾病であれば、遺伝子検査キットは効果を発揮しますが、果たして知るのが良いのか、悪いのか。知れば知ったで悩みは深くなるかもしれません。知らぬが仏とはよく言ったものです。この判断は個人個人の人生哲学の考え方によりますね。

ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーは昨年、将来の乳がん予防の為に乳房切除手術をし、話題になりました。病巣はなかったそうですが、中身を切除、乳房再建手術をして、小さな傷がある以外、見た目は手術前と変わらないと寄稿で書いています。彼女の母親は乳がんにかかり、10年近くに及ぶ闘病生活中に卵巣がんも併発し、56歳で亡くなっています。母方の祖母も40代に卵巣がんで亡くなっているそうです。彼女は遺伝子検査(こちらは簡易なキットでの検査ではないので数万ドル掛かったと言われています)の結果、将来乳がんになる可能性が87%、卵巣がんは50%以上とされ、まずは確率が高い乳がんの対策を選択したということです。

先日、先進国でがんで死亡する人が増えているのは日本だけで、他の国は減っているという記事を見かけました。読み方によっては日本ではがん以外の病気を減らした結果、がんでの死亡が増えたとも捉えることができます。人はいずれ必ず死にます。古代不老長寿の薬を求めて、逆に多くの人が亡くなったのではないかと想像します。死亡原因が何かというだけですから、死亡原因1位を親の敵と睨みつけて、病を克服したとしても、死そのものが免れぬ事象である以上、他の死因が1位になるだけです。老衰が1位になれば、ゴールということでしょうか。それにしても若い人の死は心が痛みます。医療関係者の方々には引き続き専門の領域で、不条理と闘っている患者の方々を救ってくださるようお願いいたします。社会にも不条理が沢山ありますが、それらとの日々の闘いが人生と言えるのかもしれません。