少し前にNHK Eテレの「100分de名著」で英作家オルダス・ハクスリー著『すばらしい新世界』(1932年発表)を興味深く観た。科学技術と徹底した管理によって、苦痛や病気のない「完璧な幸福」が実現した未来社会を描いた不朽の名作と言われる。話の筋は、人間は胎生ではなく工場で人工受精・培養され、生まれながらに階級(アルファ、ベータなど)が決定されている。感情の乱れは「ソーマ」という副作用のない幸福薬でコントロールされ、一見すると誰もが満足しているように見えるが、そこには自由も家族も、深い思想も芸術も存在しないというディストピアを描いた小説である。当時の産業革命後の大量生産システムによる影響や、世界恐慌とファシズムの台頭といった時代背景が色濃く反映していると思われる。今の時代にも当てはまるような倫理を超えた科学技術の発達や管理社会の到来を予見していたとも言えるかもしれない。精神的な空虚さを「麻薬や快楽で人間を骨抜きにして支配する」という独自のディストピア像の後味はほろ苦いなんていうものではない。
番組の最後にハクスリー唯一のユートピア小説『島』があると言っていたので、さらに興味をもって図書館から借りてみた。こちらは1962年、ハクスリーが亡くなる前年に発表された著作である。
あらすじはこんな感じである。
主人公ファーンビーは、冷酷な新聞王の元で働くジャーナリストで、過去の私生活のトラウマ(妻の死と自身の不貞)を抱えている。ある日、彼はパラ島の近くでヨットが難破し、負傷して島に漂着する。その島は驚くほど進んだ心理療法と優しさで包まれており、彼の心と体の傷を癒やしていく。
実はファーンビーには裏の目的があり、雇い主である新聞王、そしてパラ島の隣国「ランバング」の独裁者であるレンダン大佐と手を組み、パラ島に眠る莫大な石油利権を奪うためのスパイとして送り込まれていた。彼は島を観察するうちに、島民たちの驚くほど豊かで調和のとれた生き方に圧倒され、自身の冷笑的な価値観が揺らいでしまう。
パラ島は一見完璧にみえたが、次期国王である少年ムルガンは島の精神的な教えに退屈し、隣国の独裁者レンダン大佐が信奉する「西洋的な軍国主義、消費主義、資本主義」に強く魅了されていた。ムルガンは母親と共にレンダン大佐と結託し、島を近代化(石油開発)し、軍事化しようと企んでいた。
ファーンビーは島で娘たちと過ごす中で、聖なる儀式である「モクシャ(精神薬)」を摂取する体験を許される。この神秘体験を通じて、ファーンビーは長年の心の苦しみから解放され、宇宙との一体感や「今、ここ」に生きる本当の愛と幸福を理解し、彼はスパイとしての役割を完全に捨て、パラ島を守りたいと願うようになる。
しかし、時すでに遅く、ムルガンが成人して全権を握ったその夜、隣国ランバングの軍隊が突如としてパラ島に侵攻する。ジープの爆音と銃声が響き渡る中、島民たちは武器を持たず、抵抗もせず、ただ静かにそれを受け入れる。島に生息するオウムたちが、島民が訓練した言葉「アテンション(注意しなさい)」「カルーナ(慈悲を持ちなさい)」と虚しく鳴き交わす中、世界最後の理想郷が近代文明の暴力によって踏みつぶされ、物語は幕を閉じる。
さて、どこがユートピア小説なのか??
『島』の解説をネット検索やAIに尋ねてみる。『すばらしい新世界』は人間の内側からの救いがない本当のディストピアであるが、『島』を滅ぼしたのはあくまで「外からの暴力」であり、ハクスリーは「人間は正しく生き、真に幸福な社会を作る能力を持っている」ということ自体を肯定しているとある。ちょっと苦しい解説ではないか??
『島』が執筆された1950年代末〜1960年代初頭は冷戦の真っ只中であり、核戦争の恐怖や、大国による植民地支配・資源略奪が現実に行われていた時代であった。ハクスリーは「人間社会は絶対にディストピアになる」と予言したのではなく、「私たちが『注意』と『慈悲』(島民がオウムに教えた)を忘れて物質主義や暴力に身を任せれば、現実の世界はパラ島のように美しいものをすべて破壊し尽くしてしまう。だからこそ、今ここで生きるお前たちはどうするんだ?」と、未来を生きる私たちにバトンを渡したのだと書評されている。しかしながら、ハクスリーが亡くなって60年以上経った現代社会を見るにつけ、残念ながら私にはこの世が限りなくディストピアに向かっているという想いを払拭するには至らなかった。デジタル社会を襲う邪悪な手によるAI攻撃、正義を振りかざした武力による横暴、麻薬で一時(いっとき)苦しさから逃れる人々が拡がるこの時代の行く末は一転ユートピアに向かうことができるのだろうか?


コメント