国際機関

2019年2月3日 at 2:44 PM

日本政府は昨年12月26日、クジラの資源管理について議論する国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、商業捕鯨を再開することを決定した。
日本がIWCに加盟したのは1951年であるが、IWCは1982年に資源の枯渇を理由として、商業捕鯨の「一時停止(モラトリアム)」を決定している。日本は1988年に商業捕鯨を中断したが、その前年の87年から、商業捕鯨再開に向けた科学データの収集を目的とする調査捕鯨を開始した。
商業捕鯨の中断から約30年にわたり、日本はIWCでその再開を訴え続けてきたが、先の総会で科学的データを根拠として商業捕鯨の再開を目指す捕鯨支持国27、動物愛護を主張する反捕鯨国41(棄権2)の前にIWCにおける商業捕鯨再開の大目標を断念した。

個人的にはもっと早く脱退していてもおかしくないと思っていた。過激暴力集団シーシェパードの資金集め材料の対象とされ、標的とされた和歌山県太地町の努力と訴えは世界的に見て私には余りに無力に写ったからである。事実、2007年の総会でも脱退は示唆されていた。裏話では、商業捕鯨再開によって国際社会からの批判を受けたくない外務省と、再開を訴え続けてきた捕鯨関係者や水産庁との対立があって、日本側が一枚岩になれなかったことが指摘されている。最終的には官邸主導で日本の主張(クジラの資源量は回復したから、日本文化・産業でもある捕鯨を再開する)を通したということである。ノルウェーは商業捕鯨を行っているし、カナダは1982年にIWC脱退。他にもインドネシアやフィリピンもIWC非加盟国として捕鯨を行っている。反捕鯨国のアメリカも原住民捕鯨枠としての捕鯨は継続している。

現実論からすれば、もはや衰退した捕鯨産業に肩入れし、反捕鯨が大部分を占める欧米諸国を刺激し、他の外交案件で不利な状況を作りたくないという外務省の思惑は理解できる。一方で、大勢におもねってばかりの日本でいいのかという思いも個人としては強い。

日本の国際機関からの脱退で真っ先に思い浮かぶのは、1933年国際連盟脱退表明であろう。国際連盟議場から颯爽と立ち去る松岡洋右の写真は教科書にも載っていたのは記憶に残っている。第一次世界大戦では日本は戦勝国だったので、国際連盟においては1920年当初から新渡戸稲造が事務局次長を7年間務めていた常任理事国であった。脱退のきっかけは満州事変により満州全土を制圧した日本に対して、中華民国が連盟に提訴。その調査のためにリットン調査団が現地に送り込まれ、「満州を中華民国に返還せよ」というリットン報告書が国際連盟において圧倒的多数(42対1、タイ棄権1)により承認されたことにある。

それを契機に盧溝橋事件に端を発する日中戦争に突入。ともに国際連盟から脱退した独伊と三国同盟を結び、結果、第二次世界大戦へ参戦。最終的には国際連盟に参加していなかったアメリカからの経済制裁によって追い詰められていくことになる。

第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年に設立された国際連合は、①国際平和・安全の維持、②諸国間の友好関係の発展、③経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力を目的としている。しかし、戦勝5大国が常任理事国を形成し、拒否権を有し、核を保有している。日本やドイツなどの常任理事国入りは議論はされても承認はされない。いまだに「敵国条項」は維持され、敵国であった枢軸諸国の侵略的動きに対する行動に際し武力禁止義務(国連憲章第2条第4項)が免除されると規定されている。果たしてこれら戦勝国中心の利害渦まく国際連合、そして敗戦国にとって永遠に是正されない不条理な状況は、上記3大目的の達成に合致するものかどうか甚だ疑問である。

国際機関と言えば、高邁な理想を掲げ、世界平和のために公平・公正・平等に運営されていると思うのは危険である。当初の設立趣旨が素晴らしいものであっても、年月を経てそれを隠れ蓑に政治利用する国が必ず出てくる。実は国際機関の内情の多くは国際政治の表舞台でもあり、裏舞台でもある。ユネスコの記憶遺産登録にしても自国や自国に従順な委員を多数送り込み、運営もおざなりなゆえに実質乗っ取ることは比較的容易である。IOCはすっかり金権商業体質になり、過剰接待賄賂は当たり前。オリンピズムの目的は、「いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある」はずであるが、その目的に沿った活動になっているであろうか。フェアプレーに徹すれば、開催国に選ばれる可能性は限りなく低くなる。余りに金がかかりすぎるので、誘致国から離脱する都市も出てきているのが、華のオリンピックの実態なのだ。

話を元に戻すとIWCの目的は「鯨類の適当な保存及び捕鯨産業の秩序ある発展」であったはずで「賢い動物を殺すなといった動物愛護」を旗印にするのであれば、それは他の土俵で行うべきで、その意味ではIWCも他目的に転用されてしまった国際組織と言わざるを得ない。大相撲の土俵でレスリングが行われるようになったのであれば、土俵を去る力士の選択肢は尊重されてしかるべきであろうというのが私の意見である。