科学技術の進化から人の幸せを考える

2018年12月2日 at 5:17 PM

先月28日、ヒトゲノム編集国際会議に出席した賀准教授は「ゲノム編集」を使った受精卵から双子が誕生したとその実験の説明を行った。同氏によると、研究に8組のカップルが参加したが、すべてのカップルについて、男性側がすべてHIV陽性で、女性全員はHIV陰性であり、HIV感染しにくくなるゲノム編集の研究の正当性を述べたという。同会議組織委員会の委員長を務める米カリフォルニア工科大学のデビッド・ボルティモア教授をはじめ、各国の専門家は賀氏の研究を倫理規則に反していると批判し、実験の真偽について疑問を呈した。
賀氏は中国当局が主導する海外の最先端技術を習得し中国に持ち帰る「千人計画」に参加する人物で、当初中国人民日報は「中国の疾病予防分野におけるゲノム編集技術の応用が歴史的成功に達した」と自画自賛したが、国内外からの批判が噴出したため、この数時間後、同記事は削除されている。そして中国科学技術部の高官は賀氏を「調査の上、処分する」と発言し、同氏は現在無給休暇中とされている。
科学者が後になって自分自身の発明を悔やんだものは過去いくつもある。ノーベル賞の創始者であるアルフレッド・ノーベルは彼の弟の命を奪ったニトログリセリンをより安全で安定したものに改良した建設用爆薬を作ったが、その後、兵器に転用され多くの命を奪う結果となった。植物学者のアーサー・ガルストンは植物の成長を早めるホルモン合成に成功するが、のちにそれは濃度を高めてベトナム戦争において枯葉剤として使われ、多くの奇形児と健康被害をもたらした。原子爆弾開発プロジェクトを主導したロバート・オッペンハイマーも水素爆弾などの核兵器に対して反対する立場を取り、後年核兵器開発を主導したことを後悔していると吐露している。
目覚ましい進化を遂げているAI・Robotについても、人間の生活を支援し、より良くする技術である反面、人間の職を奪うのではないかと産業革命期に起きた熟練工による機械打ちこわしを彷彿とさせる恐れも人々に与えている。ネットワークが発達した現代において科学技術の進歩は我々が制御できる速度を超えていると主張する科学者も少なくない。科学技術の進化は今やその影響力の大きさから、既に社会生活から独立したフリーハンドの権利を持った事象ではなくなっていると感じる。
全ての宗教に共通する道徳は⓵人を殺してはいけない、⓶人のものを盗んではいけない、⓷人を騙してはいけない、という3つだそうである。AI・Robot的に解釈すると「人に危害を加えない」ということになろうか。赤ん坊はそういった善悪の判断を持たず、思うがままに振舞う。幸いにして赤ん坊は力がないので、親の監視下から大きく逸脱することなく様々な実体験を通じて、やってはいけないことを学んでいく。AI・Robotは生まれた時から強靭な頭脳と破壊力を持ちうるので、事前に自己制御できるような道徳エンジンを装備しておく必要がある。さもないと人間に危害を加える存在になりかねない。
人間の世界には戦争や死刑が存在する。その存在を忌み嫌う人は少なからずいるであろう。戦争は一部の武器商人を除けば、誰しもやりたくないことであろうし、死刑制度においては、人間が人間を裁いて死という極刑を与えることが認められるか否か議論があって当然である。
軍人同士による殺人は国際法によって処罰されない。それは何故か? 上述の「人」とは「仲間」のことであって、「仲間」以外には適用されない「道徳」だからである。「仲間」でない、つまり「敵」であれば、己や家族を守るために殺しもする(正当防衛は認められている)ことを人間社会が容認し、国際法に定められているからである。
個別の宗教や慣習には特定の集団にのみ適用されている道徳や掟がある。一神教は他宗を邪教として排斥する傾向を持つが、人類はその長い歴史の中で、特定の掟を小さくして共通の掟を広げる努力をしてきた。多くの国際機関がその役割を担ってきた(最近は国際機関を事実上乗っ取り、悪用している国も残念ながら見受けられる)。社会ごとの異なる概念や文化・宗教は多様性を阻害し、個別の掟を強要することによって、戦争や私刑が行われてきた。人々は「仲間」の範囲と資格を規定し、その危害の大きさを想定することで、「無視」「回避」「攻撃」の三段階による対応をして社会規範を維持してきた。明らかにAI・Robotには「攻撃」をさせてはならない道徳エンジンが必要である。「無視」ではなく「再確認」をさせ、「攻撃」ではなく「防御」というアルゴリズムの装填が必要である。
私はこれまでセミナーの中で、「コミュニケーション」こそが人間に残された領域であると話してきたが、コミュニケーションすらAI・Robotが人間を凌駕するかもしれない。ペットロボットが家庭や介護の現場に入ってきているが、人間が肯定的にその立ち居振る舞いや仕草を解釈すれば、誤解も含めて人間同士のコミュニケ―ションを上回る快適な空間を創る可能性は十分にあると考えられる。
人間に残された領域は最終的には「責任」と「善悪の判断」くらいにしかならないのかもしれない。ゲーム理論においてはALLC(全員が必ず協調する:Cooperation)状態では、必ずALLD(必ず裏切る:Defection)が現れ好成績を得る(全てをかっさらっていく)。逆説的に言えば、ALLDはALLCの状態でなければ現れない。全員が善人では集団の安全や安定が維持できないのである。それゆえ、裏切りには何らかの報復がないと道徳自体が崩壊してしまう。
世界に共通する幸せ感とは、⓵美味しいものを食べる、⓶他者に役立っている、他者に頼られている、⓷自分がこれまで出来なかったことが出来るようになる、⓸自分がこれまでわからなかったことがわかる、⓹自己コントロール感の5つだそうである。科学技術の進化がこれら人間の幸せに寄与する形で発展していって欲しいし、そのためにはTechnology議論の前に、それは人を幸せにするのか(社会課題を解決するのか)、悪用によって人を不幸に陥れることは無いのか、を衆知を集めて検証するステップが必要である。AIはBlack Boxと言われる。なぜそういう結果になるのか説明ができない。まずはExplainable AI(説明可能な範囲や領域での活用)に留めようという考え方があり、非常に健全かつ慎重で望ましいステップであると思う。これらの問題には人文知と科学知の両面からのアプローチが必要である。なぜなら、科学技術の発展は人間を幸せにするものでなければならないからである。