死刑制度を考える

2018年9月1日 at 4:18 PM

2018年7月6日、麻原彰晃を含め、オウム真理教幹部7人の死刑が執行された。同月26日には残りの6人も執行され、一連の事件で死刑が確定した計13人全員の死刑が執行された。平成時代の事件は平成時代で終息させるという行政の考え方が反映されたかどうかわからないし、これにより被害者の心が安寧になったかといえば、そういったことでもないだろう。しかし、一連の事件で29人が死亡(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)し、負傷者が6000人を超える日本犯罪史において最悪の凶悪事件はひとつの節目を迎えたことになる。
これらの死刑執行に対して、テレビ各局はワイドショー宜しく執行の度に逐次報道し、新聞各社は死刑廃止が世界の潮流と称して「文化人」のコメントに大きく紙面を割いた。死刑制度に対しては賛否両論あるのは当然であろう。人が人を裁き命を奪うというのは許されることなのか。それは戦場で人を殺すのは国際法によって免罪されていることと同次元の話ではないものの、正当防衛は許されて、正当防衛できなかった被害者はしょうがないと割り切ることは、普通の人間の感覚を有していればできることではないだろう。
人権活動団体のアムネスティ・インターナショナルによると、106カ国がすべての犯罪において死刑を廃止し、142カ国が法律上あるいは事実上、死刑を廃止していると報告している。これをして死刑廃止は世界の潮流だと喧伝する向きもあるが、人口の多いトップ10カ国(中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ナイジェリア、バングラデシュ、ロシア、日本)において、完全に死刑制度を廃止している国は一カ国もない。ブラジルとロシアは事実上の死刑制度廃止国と勘定されているであろうが、ブラジルは1979年に平時における死刑を廃止しているが、戦時下の軍部の重大犯罪には死刑が適用できるようになっている。ロシアは1997年に死刑一時停止措置が定められたが、その解除をすべきだという議論が上がってきており、国民の62%が死刑制度復活に賛成している。もっとも反体制ジャーナリストが100人以上射殺・毒殺・暗殺される国で、死刑廃止云々はあまりに表面的すぎる議論と言わねばならないだろう。結局のところ人口比では死刑制度を維持し、死刑執行している国の人口は世界において多数派なのである。

EUは死刑廃止で一致している組織である。1982年には平時の死刑の廃止を規定する第6議定書を採択、2002年には第13議定書で「戦時を含むすべての状況における死刑の完全廃止」を規定している。EU基本権憲章には、「何人も死刑に処されてはならない」との規定があり、現時点でEU加盟28カ国はすべて死刑を廃止している上、死刑廃止はEUの加盟条件となっている。
EUにおける死刑を支持できない理由は明確である。「いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である。人権の尊重は、犯罪者を含めあらゆる人に当てはまる」という考え方である。さらに死刑制度の欠陥を記すと「不可逆性:検察官や裁判官、陪審員、さらには既決囚を赦免できる政治家であっても、絶対に間違いを犯さないとは言い切れない」いわゆる冤罪といった過ちを完全に回避する唯一の方法は「死刑を廃止すること」という結論である。
つい先月2日に、ローマ法王フランシスコは死刑制度に関する声明を出し、全面的に反対する方針を明らかにした。ローマ・カトリック教会はこれまで、ごくまれに死刑が容認されるケースがあるとしていたが、一切認めない立場に変更したことになる。法王は極めて深刻な犯罪を行った者にも人間の尊厳はあるとして「死刑は人間の尊厳への攻撃だ」と指摘、世界から死刑制度が廃絶されるよう働きかけていくとも表明した。
一方、イスラム教国はほとんどが政教一致である。 イスラム教徒にとってはコーランこそが全てであり、全ての価値観、全ての行動規範がコーランにある。イスラム教を中心としている国々ではコーランを基本とした刑法典を定めている。これがシャリア法といわれるものであり、そこには明確に死刑を定めている。コーランで定めている重罪は殺人罪、強盗罪、窃盗罪、姦淫罪、姦淫偽証罪の5つである。このうち殺人罪と強盗罪は死刑判決が可能である。
仏教はどうであろうか。仏教と死刑制度の関係性を語るのは難しい。殺生をしてはいけないのだから、殺人も死刑も賛成できるはずがない。仏教国はほとんどが政教分離であり、国の定めと仏教の教えが対立することはないと考える他ない。そもそも仏教とは己の悟りが境地なのであって、世俗の迷いの世界を超えているので、議論にもなるまい。
日本の死刑制度は以下の罪により人を死に至らしめた場合には死刑判決が可能である。放火、爆発物破裂、住居侵入、汽車転覆、毒物混入、強盗、強制性交、組織犯罪、人質による強要、ハイジャック、航空機墜落、海賊行為。かなり広範に規定してある。日本における死刑執行は2017年4人、2018年は既に13人。アムネスティによると中国は4桁、イラン・サウジアラビア・イラクが3桁、パキスタン・エジプト・ソマリア・アメリカ・ヨルダンが2桁、北朝鮮やベトナムはデータがない。世界的は不名誉と言える2桁死刑執行となったが、人数が問題ではない。事件そのものが問題だと考えるべきではないか。死刑判決・死刑執行せずに済めばなんと素晴らしいことか。誰も戦争を望んでいないように、誰も死刑制度を望んではいない。
EU加盟国は冒頭の死刑執行を受けて「同じ価値観を持つ日本には、引き続き死刑制度の廃止を求めていく」との声明を発表した。しかし、日本人は欧州と全ての価値観を共有しているわけではない。
日本における死刑制度廃止の賛成意見には、⓵死刑は残虐かつ非人道的な刑罰であり、法の名による殺人に他ならない、⓶死刑が犯罪を防止する効果を持つという証拠はない。実際、死刑を廃止した 国で犯罪が急増したという例はない。殺人を犯す前に「自分が死刑になる可能性を考えた死刑囚はほとんどいなかった」というデータもある、⓷遺族感情の重視は、私的制裁の禁止を原則とする近代法の理念に反する。刑罰は 復讐のためにあるのではない、⓸先進国に限れば、死刑制度を実施しているのは日本とアメリカだけ(アメリカは州単位で制定)である。
さらに、「アサハラの死は、支持者には殉教と映り、新たな指導者を生みかねない」「自殺願望の者が殺人によって死刑を願望する、すなわち死刑の存在が犯罪を誘発することがある」(大阪教育大付属池田小学校における児童大量殺傷事件など)などといった意見もある。
しかし、私は今の段階では「死刑制度を廃止するのが妥当である」といった意見には組しない側の人間である。明らかに現行犯的に凶悪犯罪を繰り返し、罪のない人を殺め、のうのうと世間で生きている人間を到底許すことができない心の狭い人間である。国民の8割が死刑を容認している日本は果たして本当に世界の潮流から遅れているのであろうか。