ヴェノナ文書

2018年4月14日 at 12:32 PM

現代日本の有様がどうしてこうなっていったのかを紐解いていくと、第二次世界大戦を通り抜けて日中戦争がなぜ起きたのか、さらに1919年ロシア革命、それを主導したコミンテルンの誕生に遡る。
中国、韓国がなぜあれほど反日なのか、日本国内にひたすら倒閣だけを旗印に活動する議員やメディアがどうして存在しうるのか、戦後の日本はなぜにかくも骨抜きな国家になってしまったのか、それらはコミンテルン誕生、つまりマルクス・レーニン主義を、自らの権力構造確立のためにスターリンがレーニン死後に徹底的に浸透させていった時代(資本論に代表されるマルクス主義の意図的曲解)に突き当たる。
昨今また覇権主義を強行する中国やロシアの台頭によって「新冷戦」と呼ぶ向きもあるが、ソ連崩壊による東西冷戦終結は実は表面的なことであったことに気づかされる。資本主義陣営が、その勝利に酔って油断している間も、冷戦は水面下でずっと続いていたし、実は「米ソ冷戦」と言われる以前から広義の外交手段の一つとして存在していたのである。
このところずっと報道されているアメリカ大統領選挙へのロシア介入疑惑や、対峙する同士間だけとは限らない国家間のスパイ活動を含む情報戦、サイバー攻撃による社会システム混乱誘発など、実は目に見えにくい形の「戦」が以前よりも巧妙な形で繰り広げられてきたことを、色々な情報開示や歴史家の検証によって我々は知ることが出来るようになってきている。
しかし、それを都合良く思わない「連中」は、それをひた隠そうとしたり、相手の取るに足らないところを突くことで目くらまししようとする。ひとりひとりが情報を色々な角度から分析し、正しい知識として蓄積していかないと、いともたやすく「連中」に操られてしまう。情報リテラシーの向上はSNSなど情報手段が多様化している今こそ非常に重要であると再認識しなければならない。
「ヴェノナ文書」とは1995年に英米によって公開された1943年からのソ連スパイの暗号解読文書である。CIAのHPで公開されているが、日本での紹介は2010年発刊の中西輝政氏監訳「ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動」など極一部に留まる。ヴェノナ文書の拡散を良しとしない勢力の圧力が見え隠れする。1992年にソ連からイギリスに亡命したKGBのワシリー・ミトロヒンが持ちだした機密文書「ミトロヒン文書」との突合せを歴史研究家が行っていて、現時点で全てが詳らかになっているわけではないが、原爆投下を決めたルーズヴェルト大統領の政権下に300名近くのソ連の工作員やスパイがいて、日米開戦から終戦後の日本占領政策に至るまで影響力を持っていたことが明らかになってきている。
さて、コミンテルンの話から始めましょう。コミンテルンは別称「第三インターナショナル」と国際組織のような印象を受けますが、1919年創設から1943年解散後も、ソ連を中心に共産党という名称で世界各地で継続的な共産革命活動を行っている組織です。コミンテルンの前身は第一インターナショナルで、ヨーロッパの労働者・社会主義者が1864年に創設した労働組合のような組織です。その後、社会主義者の国際組織に改組され第二インターナショナルとなり、第二次世界大戦後は分裂し、そのひとつがコミンテルン「第三インターナショナル」という共産主義革命活動組織として先鋭化されました。当初は世界同時共産革命を目指していましたが、1919年ロシア革命の成功により、前述のスターリンが「一国社会主義論」を打ち出し、各国の状況に応じた共産革命をそれぞれで目指すことになり、当面は共産革命に成功したソ連の外交政策擁護を中心として世界各地で活動する組織となりました。
1928年の第6回コミンテルン大会では、共産革命の戦術として、⓵資本主義の矛盾を突き、⓶動揺させ、⓷危機を劇化させるという「第三期論」を打ち出します。政治綱領としては⓵自国政府の敗北を助成すること、⓶帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦に転換させること、⓷民主的な方法による正義の平和は不可能という認識に立ち、戦争を通じて革命を遂行することが決定しました。
1935年、最後の大会である第7回では、⓵理想論を捨て各国の特殊事情にも考慮して現実的に対応し、気づかれることなく大衆を傘下に呼び込み、さらにファシズムあるいはブルジョワ機関への潜入を積極的に行って内部からそれを崩壊させること、⓶共産主義化の攻撃目標を主として日本、ドイツ、ポーランドに選定し、この国々の打倒にはイギリス、フランス、アメリカの資本主義国とも提携して個々を撃破する戦略を用いること、⓷日本を中心とする共産主義化のために中華人民共和国を重用すること(この頃よく用いられた「人民戦線」という言葉は、反ファシズムを唱え、あらゆる勢力と協力する方針のことです)が決まりました。コミンテルンの主な攻撃目標にされた日本とドイツは、これにより1936年に日独防共協定を調印することとなります。
1941年に独ソ戦が開始され、苦戦が続いたソ連はコミンテルン自身の弱体化もあって、1943年に英米との協調(まさにこれこそ「人民戦線」)に踏み切ります。そして、資本主義諸国の中の共産党を通じて気づかれることなく共産主義革命を起こすように仕組んでいく、ソ連に対する敵視の原因を除去する必要からコミンテルン解散を判断したとも言われています。1941年に日ソ間で締結された日ソ中立条約もその戦略の一環です。
ヴェノナ文書に話を戻すと、アメリカにおいては、終戦間際に日本本土侵攻やソ連参戦の必要性を唱えたジョージ・マーシャル国務長官や、蒋介石政権の顧問を務めたオーエン・ラティモアらはソ連に通じており、秘かに中国共産党政権の樹立を支援したとあります。実際、中国政府系・アメリカ共産党系のロビー活動によって、ルーズヴェルト大統領は1939年日米通商条約を廃棄し日本に経済制裁(兵糧攻め)を加え、蒋介石政権に対しては1940年、2000万ドルの軍事援助を表明し、日中戦争の長期化による日本の疲弊を狙います。若杉要ニューヨーク総領事は1938~1940年にかけてアメリカの反日運動の背後にアメリカ共産党やコミンテルンの暗躍があることを正確に分析し、その実態について詳細な報告書をたびたび作成し、都度外務省に報告しています。その内容は、共産党の狙いが日米関係を悪化させることにより日米開戦に持ち込むこと、そして支那事変を長期化させることで日本のソ連への軍事圧力を封じるという日米分断策動にあり、それに乗らないよう訴えたものでした。しかし、ルーズヴェルト政権は前述のように反日親中政策を鮮明にし、最終的には日本が全く受け入れることのできないハル・ノートによって、コミンテルンが描いたシナリオ通り、日米開戦となったのです。
1945年ルーズヴェルト大統領、チャーチル首相、スターリン元帥という米英ソ三カ国首脳がソ連領ヤルタで行った密約会談において、国際連合構想にソ連が同意する見返りとして、ポーランドやバルト三国などをソ連の勢力圏と認めることや、ソ連の対日参戦と引き換えに満州の権益や南樺太・北方領土を与えることを認めたことも、ルーズヴェルト側近のコミンテルン工作員の影響が大いにあったとされています。アメリカが共産党の脅威に本当に気づいて手を打ったのは、1947年のトルーマン・ドクトリン(共産主義封じ込め政策)以降です。終戦時にはソ連がアメリカと同じ連合国であったことで、アメリカ自身もコミンテルンを甘く見ていました。その結果、GHQ草案による日本国憲法策定にも大いにコミンテルンの秘密工作員が関与し、未だにその呪縛から日本人の多くは解き放たれていません。
東条英機は東京裁判において、徹頭徹尾「日本は侵略戦争をやったのではなく、自存自衛の為だった」と主張しましたが、負ければ賊軍、訴えは認められずA級戦犯として1948年に絞首刑が執行され裁かれました。左翼主義者の扇動によってあまり日本人には知られていませんが、サンフランシスコ条約締結により主権を回復した翌年の1953年の日本国会において、共産党を含む全会一致で「戦犯として処刑された人々は、法務死であって戦死者とみなす」と決議されているので、その時点から日本に戦犯は存在していません。しかし、野党も中韓も未だにA級戦犯を祀る靖国参拝は許さないなど声高に叫んでいます。蒸し返しもいいところです。韓国政府による従軍慰安婦問題の再三の蒸し返しもさもありなん。慰安婦像はアメリカ、カナダ、オーストラリア、中国、ドイツにも設置されいるそうですが、皆同じ勢力の仕業です。
ヴェノナ文書の公開がさらに進めば、日本を侵略国家として断罪した東京裁判史観が崩壊してしまう恐れがあります。その意味では現在未公開の日本に関する内容は今後も公開されないかもしれません。しかしその件に関しては、既にマッカーサーが東京裁判結審3年後の1951年にアメリカの上院で次のように証言しています。「日本は絹産業以外には固有の産物がない。実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジア海域には存在していた。もし、これらの原料供給を断ち切られたら、1000~1200万人の失業者が発生することを日本は恐れていた。したがって、日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が自国防衛の必要に迫られてのことだった」(They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)と。
資本主義国家間の矛盾対立を煽って複数の資本主義国家が戦争をするよう仕向けると共に、その戦争において自分の国を敗戦に追い込み、その混乱に乗じて共産党が権力を掌握するというレーニンの唱えた「敗戦革命論」は、現在でも日本で進行中であるということを多くの国民は知る必要があります。(5月3日追記:朝鮮半島南北融和が連日報道されていますが、韓国内の従北勢力は日本のそれよりひどい状況です。それゆえ自由主義陣営である韓国で反日運動が盛んである所以です。政権すらそのコントロールができないところまできています。いわんや親北の文在寅大統領の行動は、韓国の民主主義を崩壊させ⇒北朝鮮主導の朝鮮半島統一に向かい⇒日韓関係の破綻へ向かう可能性大です。それこそ共産主義陣営のシナリオ通りです。頼りにならないトランプ大統領ですが、残念ながら彼を含めアメリカ政府の正常化に頼るほかないのです)(2018年9月21日追記:ヴェノナ 単行本 – 2010/1/30 ジョン・アール・ヘインズ (著), ハーヴェイ・クレア (著), 中西輝政 (翻訳), 佐々木 太郎 (翻訳), 山添 博史 (翻訳), 金 自成 (翻訳) を図書館に依頼していた。読むのを楽しみにしていた。横浜中央図書館から電話があり、ご依頼の本は破損してしまい、貸出できないという。絶版で新たな購入もできないという。アマゾンで調べたら中古品がなんと5万円で出品されていた。神奈川県内の図書館から回してもらうようにして手続きをおこなった。何か背後で圧力が働いているように思う)

格差拡大と民主主義

2018年4月10日 at 10:31 AM

富の偏在性を見る指標にジニ係数がある。ローレンツ曲線をもとに、1936年にイタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案されたものである。それによると日本は1981年0.349から一貫して上昇し、2014年0.570まで上がっている。ジニ係数とは、1人が全ての所得を独占した場合は1。完全平等社会であれば0となる。一般にジニ係数の社会騒乱多発の警戒ラインは0.4とされており、これを理由に日本は格差社会だと喧伝する向きもあるが、それは正しくない。日本は資本主義国家の中でも社会主義的な国家運営をしており、かなりの所得再配分が行われている。再配分所得によるジニ係数は1981年0.314、2014年0.376と前述の0.4を下回っており、自由経済の結果による偏在を政策によって是正してきているのである。OECD加盟国30ヶ国中、日本は貧困率がメキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ4番目に高いというデータも持ち出されるが、再配分前の相対貧困率の比較であり、必ずしも生活実態を反映しているものとは言いがたい。ちなみに新興国の貧困率は1日1.25ドル未満という絶対貧困率で表しており、相対貧困率とは全く異質のものである。日本で絶対貧困率に相当する1日150円未満の所得しかない人は、端的に言えば働いていない人であって、選択的失業という存在である。日本の最低賃金は、高い東京で907円、もっとも安い沖縄や高知などでは693円、全国を平均すると798円。事情があって働けない人を除けば、日本で絶対貧困は起き得ない。
日本での相対貧困率はここ数年16%(6人に1人が貧困)前後で推移しており、平成に入ってから3ポイントほど上昇しているが、最近になって急激に増えているわけではない。2015年のデータでは可処分所得中央値が年245万円、その半分が貧困線と言われ年122万円。つまり月10万円の生活である。感覚的に言っても厳しい家計のやりくりが想像される。特に片親家庭では50%の相対貧困率であり、これは大きな課題と認識しなければならないと思う。しかし、その数値も1997年の63%よりは改善をしている。必ずしも相関があるわけではないが、生活保護受給者は1997年90万人から、2015年212万人と倍増している。中には疑惑の目に晒されている受給者もいるが、それは極一部であろう。

まず日本の格差問題の実態を概観したわけであるが、世界に目を転じてみると、ブランコ・ミラノヴィックという経済学者が作成した「象のチャート」はグローバリゼーションによる所得変化をわかりやすく切り出している。
https://voxeu.org/article/greatest-reshuffle-individual-incomes-industrial-revolution
1988~2008年の20年間の間に、グローバル社会でビジネス的成功を収めた一握りの超富裕層Cグループは所得を大きく伸ばし(世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じ)、中国やインドなどの新興国の人たちAグループも所得を大きく伸ばしている。伸びが鈍化しているのが、先進国のミドル・クラスBグループで、これは主に製造拠点が先進国から新興国にシフトした結果であると考えられている。違う観点から言えば、グローバリゼーションによって、国家間の格差は縮まったが、国家内の格差は拡大したとも言えよう。

さらにこれを歴史的に遡ってみると、サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリが次のように分析している。
農業の始まりによって、小麦などを貯える術を得て、人間はその日暮らしからの脱皮を実現し、余剰の富が生まれるようになった。エリート層(いわゆる賢い連中)は、それを収奪して豊かになっていった。そして、その富が権力を生み、権力が富を生む社会構造を創っていった。
収奪が限界値にまで近づくと、生産者は生存できなくなるので、収奪構造はいずれ限界を迎えることとなる。この連鎖を止める方法は、過去の歴史からみれば、戦争、革命、疫病、飢饉の4つであると筆者は言う。
しかし、後者2つは文明の発展によって現代において発生しなくなってきた。限界に行くのを抑える存在が、政治である。ゆえに民主主義が必要であると私は思う(独裁主義には前者2つが待ち受けている)。貧困層が大多数になれば、民主主義が機能する限り、その民意が政治を動かすはずである。民主主義国家ではそれが曲がりなりにも機能してきた。しかし、その結果、多くの国で財政赤字が累積している(いわゆる選挙民へのバラマキ、本質的問題解決の先送り、子孫への負担増)
それでも格差拡大が止まらないのは、自由経済が正常に機能している結果であり、トマ・ピケティが言うところの「資産が生み出す富は、労働が生み出す富を上回る」の結果なのかもしれない。しかし、昨今話題にされている格差問題の本質論は、⓵格差は拡大したとは言っても多くの国では貧困層が生存できないほどのものではないこと、⓶各国の政治が機能(所得の再分配)していることの2つから出発すべきではないか。決して隣の芝生が青く見えるといった感情論から出発すべきではない。⓶が機能していない国では内戦、飢饉、貧困が蔓延っている。これこそが問題の本質である。

グローバル社会とは、ヒト、モノ、カネ、情報の移動が国境を越えて頻繁になっている時代のことである。ある国で起きた問題はすぐに世界に広がる時代であるということである。麻薬の流入、感染症の拡散、難民移動などの問題はグローバル社会で解決していかなければならない。課税額の捕捉もグローバルで対応していかなければならないという動きが漸くかかってきた。いくら保護主義を主張しても、これらの往来は止められない社会になっている。途上国の貧困撲滅、衛生改善、環境保全などへの協力はグローバルレベルで欠かせないし、安定持続的な経済成長には、援助を通じた不均衡の解消が必要である。それが豊かな国(人)が貧しい国(人)を助ける理由である。