複雑系の知

2016年9月18日 at 6:07 AM

「複雑系」と聞いて、皆さんはどのようなものを想起するだろうか? どうやら単純ではないのだろうとは推察できるが、一体どういうものであろうか?
Wikipediaでは、「相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう」とある。
筆者は過去にもこの「複雑系」に興味を抱き、何冊かの本を読んだことがある。学問的にどのあたりから複雑系への体系化の試みが行われたのかは定かではないが、遡っていくと、「全体は部分の総和に勝る」というアリストテレスの言葉にまで行きつくようである。人間はそもそも自然と対峙する形で生活してきた。その中で様々な知恵を生み出し、より詳しく知りたい、危険を賭してでも調べたい、真理を見極めたいという思いが、様々な学問が枝分かれし、専門化していき、数々の発見・発明をしてきた。アメリカの医療は日本と比べると高度に分化しており、筆者も何度かアメリカのPodiatrist(ポダイアトリスト)足の専門医にお世話になったことがあるが、その診断や治療の素早さと的確さに感嘆したことを印象深く記憶している。

最近、田坂広志氏の「複雑系の知」を読み直してみた。長らく学問は「要素還元主義」、つまり複雑なものを単純なものへ分割して研究することで成果を上げてきたが、分割したものを総合という名のもとで集めても本質には行きつかないと解説している。「生物の時間にカエルを解剖し、内部構造を調べて、元に戻して縫い合わせても生き返らない」という例を挙げていますが、最近の神の手を持つ外科医は人の内臓を丸ごと外に出して、悪性腫瘍を取り除いて、体内に戻すという医療を実施しています。言わんとするところは、「総合企画部」とか「総合管理部」とか、「総合」という名の組織はあるが、ほとんど機能していない。なぜなら、色々な部の情報を集めてまとめているだけであって、付加価値を付けていないことを揶揄していると考えるべきでしょう。
水の分子は集まり方で気体・液体・固体の三態を表しますが、それぞれ性質は異なります。雲一つとっても無数の種類があります。H₂Oは決してひとつではありません。液体の水だけ研究してもH₂Oの本質には行き当たりません。
では、どうしたら本質に行き当たるのか? 事・モノの本質は関係性にあるとしています。橋の本質は河を渡るものである。目の前にある橋をコンクリートと鉄筋の複合構造物と定義することはできるが、コンクリートと鉄筋の複合物には、ビルディングもあれば、競技場もある。もしかしたら、単なるオブジェかもしれない。橋の本質は、河を渡りたい人間と、それを遮る河との関係性にあるということです。神が創造した人間の臓器はそれぞれが関係してその全体を保っており、肉体と精神も繊細なる関係性を維持しながら、ヒトの生命を司っているのです。モノの本質に迫るには、洞察と直観、つまり大局観を大切にして、ありのままを観察する。先入観にとらわれず、個別事象が全体を表しているかのような錯覚と誤解を排除し、全体を把握しようとする姿勢が大事なのであろうと思います。筆者はブルース・リーの名言「Don’t think, feel.」を思い出しました。

田坂氏は「管理のパラダイムの限界」についても言及します。理想的な社会や組織の設計をしても機能しない。人間は思い通りには動かない生き物。個の自発性が全体の秩序を生み出すものであるとしています。創発を促すことで自発的に組織が機能する様をSelf Organizationと定義しています。社会をより良くしていこうとすれば、「変えよう」とせず、「変わる」ことを促進すること。「起こす」から「起きる」に発想を転換することが必要であると説いています。
つい先日、西口泰夫氏(元京セラ会長・ソシオネクストCEO・技術経営博士)の話を伺う機会がありましたが、「技術を活かす経営の実践」というお題の中で、「部分最適追求力を高めて、全体最適創出を図ることが重要」と語られていた。筆者の中では「個別」を「個人」と読み替えて、個々の力を充分発揮せしめて、組織(企業)としてはミッション・理念を共有し、ベクトルを合わせることが重要であると理解しました。両氏の見解は基本的には同根なのであろうと思いました。

田坂氏は、「分離の病」と称して3つの分離を指摘しています。
①「知と知の分離」専門主義に陥り、専門用語を駆使し、部外者を排除し、迷宮に入り込む
②「知と情の分離」関わるのは血の通った人間であり、人は共感がなければ動かないにも関わらず、客観主義に傾倒しすぎてしまい、理屈だけで押し通そうとする
③「知と行の分離」企業や組織で分業主義が進み、全体の責任者が不在となり、無責任病が発生。うまくいかなかった時には責任のなすり合いが始まり、誰も反省することなく、同じ失敗を繰り返す
「安全な高み」にいる経営層・管理職と、「現実の深み」に嵌りがちな最前線・現場作業者の分離は、多くの企業が抱える全体最適実現の困難さを語っています。
陽明学では「知行合一」と言われますが、知っていても行いが伴わなければ、知らないことと一緒であるという教えは、分業化した現代の全体最適へベクトルを合わせるひとつの処方であると感じるこの頃です。