強面の中国はどこまで続くか

2016年7月20日 at 8:54 AM

国連海洋法条約に基づくオランダ・ハーグの仲裁裁判所は今月12日、南シナ海での中国の海洋進出を巡り、中国が主権を主張する独自の境界線「九段線」に国際法上の根拠がないと認定しました。中国は1996年に同条約を批准していますが、判決は「紙くず」として受け入れないという声明を発表しています。この裁判はフィリピンが2013年1月に提訴し中国は拒否したものの、3年半かかって中国の主張に根拠はないという審理結果が出ました。この裁判は相手国の同意がなくても一方の国の意思だけで始められるのですが、強制力がないので、冒頭の「暴言」が中国から発せられたわけです。5人の仲裁人に関しても中国側は「公正でない」と批判していますが、フィリピン人妻を持つスリランカ出身の所長はガーナ出身の所長に交代していますし、その他にはフランス人、ポーランド人、ドイツ人、オランダ人それぞれ海洋法に詳しい人たちが人選されています。

仲裁裁判所での案件には過去、国際環境保護団体グリーンピースのオランダ籍の船アークティック・サンライズ号が2013年9月、ロシアのガス田に近づいて運動家がやぐらに乗り移ったので、ロシアが拿捕した事件があります。オランダは国際法違反だとして仲裁裁判に申し立てを行い、仲裁裁判所がオランダの主張を一部認めてロシアに賠償を命じましたが、ロシアはこれに応じていません。
逆に紛争の両当事国が判決を尊重して従ったのが、バングラデシュとインドがベンガル湾で境界を争った事例です。バングラデシュが2009年に仲裁裁判所に申し立てをして、判決が出たのは2014年7月と5年かかっています。両国間の長年の懸案であった海域は約8割をバングラデシュ管轄、残りの2割をインドの管轄という判断になりました。インドは境界が確定すれば、資源開発が進められるとして判決を受け入れています。

仲裁裁判の結果は強制力を持たないので、それでは意味がないとする向きもあるでしょうが、それは必ずしも正答とは言えません。国際組織は一見、公正に運営しているように見えますが、決してそんなことはありません。国際政治の裏舞台は権謀術数が蠢いています。
もし仲裁裁判所が強制力を持てば、その国際組織を牛耳ろうとする力学が必ず働きます。近々の事例では、ユネスコ(国連教育科学文化機関)において中国が「登録小委員会」に働きかけ、南京大虐殺を記憶遺産に仕立て上げました。当時20万人しか市民がいなかった南京において30万人虐殺されたとする反日工作です。南京陥落まじかには中国軍兵士が軍服を脱ぎ捨て、南京市民を殺し、市民に化けて安全区に逃げ込んだりしているのです。日本軍の南京占領後、南京市民は25万人に増えているのですが、もし大虐殺があったとすれば、皆一刻も早く南京から遠い町へ逃げていくのではないでしょう?
日本はユネスコに最も分担金を負担している国です。そのお膝元で、中国は国際機関を利用して「嘘をつき続ければやがて真実になる」がごとくに世界中に喧伝しているのです。世界遺産は比較的厳格に運営されているようですが、記憶遺産の方はまともな審議が行われずに上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」に勧告され、最終的に多数決によって登録が決まったとされています。
そこの事務局長はブルガリアのイナリ・ボコヴァ女史で、次期国連事務総長の座を狙っているとされる人物です。中国からの支持を取り付けるために裏取引したと噂されています。
現国連事務総長の藩基文氏は「国連は中立な機関ではない」と言い放ち、平和を希求する事務総長という立場にありながら中国の軍事パレードに出席する程の厚顔無恥な不適格者です。彼の国連事務総長としての任期は今年限りです。事務総長は、拒否権を有する米英仏露中の1か国でも反対すれば承認されません。ボコヴァ女史が国連事務総長の座を射止めるかどうか注視したいと思います。⇒(10月6日、次期国連事務総長はポルトガル元首相のアントニオ・グテレス氏に内定。ボコヴァ氏は非公式投票では4位、女性ではトップだった。)

登録された南京大虐殺文書は11種類ですが、日本も決して諦めることがあってはいけません。全てに証拠価値がないことをひとつひとつ反論して潰していけば、中国が国ぐるみでウソつきだということを世界にアピールできるチャンスと捉えるべきです。
南シナ海の領有権の当事者である中国は、経済力を背景にフィリピンと個別交渉を始めていますし、ベトナムやラオス、アフリカ・中南米等の小国などにも経済支援をちらつかせ、取り込みに躍起になっています。欧州各国はロシアとの間に抱えるクリミア問題と違い、地理的にも離れており、中国と真っ向から対立することは不利益に繋がるとして、積極的な発言を控えています。日本は米国と連携してこのアジアの海洋問題に積極的に対処していかねばならない立場ですが、アメリカ大統領選挙を控える米国はすぐには明確な行動に出そうもありません。

しかし一方では、中国の外交政治は国内政治と言われ、対外的に理不尽と思われようと、ひとたび弱腰に映れば、国内の共産党への支持が失われ、反体制運動が広がりを見せるという危機を孕んでいます。ですから、強面の中国は当面引っ込む気配はありません。太平洋を米国と中国とで分け合おうという神経の持ち主ですから、地理的距離感から見れば日本は中国に取り込まれてしまう位置にあります。日本の取るべき外交政策は自由と民主主義を標榜する米国と連携し、中国には毅然とした態度で正論を述べ自制を促し、他の世界の国々と対話を深めて、親日国を増やす。日本にも中国含め沢山の人たちに来日してもらって日本の素晴らしさを体感し親近感を持ってもらう。こういった事でしょう。

正しいと思われる主張が悪魔の動機から発せられたとすれば、それを看過することはできません。北朝鮮では韓国の動画を見ると罰せられます。中国でも厳しい情報管制が敷かれています。このネット社会において、いつまでも情報統制は続けられません。習近平氏は、自分が思うほど自分は利口ではないこと、習氏が思うほど国民は馬鹿でないことを悟るべきです。アンデルセンの代表作「裸の王様」は1837年にデンマーク語で発表され、日本には1888年に紹介されています。中国にはきっとまだ紹介されていないのでしょうね。

個人の借金と国の借金

2016年7月8日 at 10:53 AM

今週末は3年に一度の参院選です。18歳以上に参政権が与えられましたから、自分の将来に幾分かの影響を与える政治に、若い方には特に自分なりの考えを反映した投票行動に結び付けてほしいものです。月末には都知事選挙も行われますが、あまりに”Sekoi”都知事辞任の幕切れに大東京は大丈夫かと思う半面、あの程度の方でも都政は安泰という風にも受け取れます。随分前から都知事は人気投票的なものでありましたし、選挙活動を全く行わずに当選した有名人も過去にはおりました。立候補者に政党が乗っかる形はメガシティ東京都知事選ならではという感じもしますが、一方で負け戦と知りながらも志を高く持って、孤高の戦いを挑む勇者もいらっしゃいます。メディアだけの報道に翻弄されず、ネットの発達した時代ですからご自分で候補者を調べてほしいと思います(かくいう私は都民ではないのですが)。

さて、参院選に向けて自民党はアベノミクス推進を謳っていますが、なかなか実感はなく、世界的にも経済の低迷は覆い隠しがたく、日本一国ではもはやどうにもならないという袋小路にいる感がありますね。野党はまさに野合で、聞くべき主張は全くありません。しかし、消費税10%への延期は英断とは言い難いもので、本気で財政再建する気があるのか不安になります。
以前のブログでも触れましたが、「日本の1000兆円超の国の借金はあるのかないのか」論争は未だに続いています。整理すると「ない派」は国債の多くは国民が持っていて、国の借金は国民の資産である。ゆえに日本は心配するほどの状況ではない。財務省が危機を煽って税収を増やしたいだけと主張。「ある派」は国の借金なんだから返すのが筋。現世代が使うだけ使って、そのツケを将来の子供たちに回すなんて、なんて無責任なんだという論調です。国の借金は国民一人当たり800万円超という財務省の数字がそれを後押しします。

そもそも個人と国や企業などの団体はその性質が異なります。人間は必ず死にますから、死んで借金が残れば債権者が困ります。貸した金は忘れろ、借りた金は忘れるなという言葉がありますが、金が絡むと人間関係は厄介なことになりがちで、最悪は人間関係が破綻してしまいます。
企業の貸借対照表は右側に借方があり、その構成は負債と純資産です。左側は貸方で資産です。企業はよくGoing Concernと言われ、永続性を前提にした組織体です。しかし、会社倒産、会社整理ということになれば、債務を清算しなければなりません。債務超過とは、債務者の負債の総額が資産の総額を超える状態であり、資産を全て売却しても、借金などの負債を返済しきれない状態のことを言います。鴻海傘下となったシャープはこれにあたります。貸借対照表で言えば、負債(債務)が資産(財産)を上回った状態ですから、資本(純資産)がマイナスとなります。すなわち、資産の全てが他人資本(負債)によって賄われており、しかも全資産を売却してもまだ負債が残るという状態です。
健全な企業でも借入金はあります。将来の成長のために資金を調達し、成長分野に投資をし、付加価値を上げて、企業収益を上げ、また再投資することで価値を生んでいるのです。無借金経営の優秀な会社もありますが、Going Concernの企業は負債だけを見て、これを無くさなくてはとは考えません。企業の成長のために健全なバランスを保つようCFOなりが目を光らせているのです。

さて、国の場合はどうでしょう。国が倒産するとはどういうことでしょう。一般的にはデフォルト(債務不履行)のことです。
2001年にアルゼンチン国債はデフォルトとなりました。2001年のアルゼンチンの経済成長率は-11%という大幅な落ち込みを記録しました。アルゼンチンペソは、デフォルト前の3分の1~4分の1まで下落してしまいました。しかしながら、会社の株と違い、デフォルトしても通貨の価値はゼロになってはいません。国によっては自国通貨を持てず、あるいは自国通貨が事実上取引不可能な信用状態にあるので、US$が事実上の通貨という国も少なからずあります。
国の債務には対外債務と国内債務の二つがあります。国内債務の返済というのは、新規に紙幣を発行すれば、返済が可能なので、日本の場合には借金がない(より正確に言えば、返す必要がある借金はない)というロジックが成り立つのです(自国通貨を刷りすぎれば通貨の価値が落ちて、ハイパーインフレになるという可能性はありますが)。この点が、よく引き合いに出されるギリシャとの大きな違いです、ギリシャは財政状況が良くないにも関わらずユーロ圏入りしてしまいました。ギリシャは対外債務が多く、EU加盟国のギリシャはユーロで借金を返さなければなりません。ユーロを刷る権限はギリシャにはありませんから、緊縮財政や外貨獲得によってユーロを捻出しなければなりません。できなければ、デフォルトとなってしまいます。

日本の国債は約95%が国内で消化されています。ゆえに、イギリスのEU離脱決定後、一般に安全資産と言われる(ここも実は怪しいのですが)円が買われ、一時100円を割り込む円高に進んでしまったのです。
国の財政と政治運営は切ってもきれない関係です。日本の場合、単純化すれば、国は国民から借金をしている、国民は国債という資産を有している、国の財政はこれから人口が減る中、高齢者は増えていき健康保険や年金負担は増えていく、ゆえに政府は消費増税を行い、将来の負担増に対応しようとしているわけです。将来の負担増に耐えうる構造改革をするには、当然のことながら、収入を増やす努力をすると同時に、支出を減らす努力をしなければなりません。行政改革などの名のもとに構造改革をしようというポーズは見られますが、本気なのでしょうか? 集めた税収で国民を扶養している側面があり、被扶養度が高い人ほど既得権を失わないような投票行動に出ます。財政再建のために無理やり既得権益を剥奪しに動けば、選挙に落ちて実行できなくなる。民主主義の難しさとも言えますし、民主主義とは財政赤字を生む構造を内包しているとも言えるのでしょう。

個人の借金は生きているうちに返すか、返せず(返さず)貸し手に迷惑をかけるかのいずれかです。会社の借入金も同様ですが、債務超過で倒産すれば貸し手、主に金融機関が焦げ付きを出すことになります。国家はどうでしょうか、国家が消えてなくなるということは国民もいなくなりますから、日本のように債務のほとんどが国内債務なのであれば、トータルでチャラ。国債を最後に持っていた人がババ抜きの負けになりますが、それまでの間に国債は売り浴びせられて、最後にはほぼ紙くず同然になるでしょう。ところが国家が消えてなくなるというのは海に沈んでしまうような島国でなければ、清算するという状況はおいそれとは生まれないようです。先に例を挙げたアルゼンチンも3回はデフォルトになっていますし、他にもそういう国はいくつもあります。でもアルゼンチンは消えてなくなってはいない。国家は企業よりもしぶとく生き延びていくのです。無限と言ってもいいかもしれません。無くなってしまえば困るのは債権者ですから、債権者にそれを支えさせる構図を国は巧妙に作り出し、俺が倒産したら困るのはお前だよと言わんばかりに痛みの伴う改革を先送りしていきます。日本では、債権者である国民が、なぜか国の借金を背負い、消費増税は致し方ないというロジックを納得させられ、いつのまにか無駄遣いに蓋をしてしまうずる賢い政治家・官僚に丸め込まれてしまうのです。

サルは目先のバナナを必ず取りに行きます。社会学では目先の利益にとらわれないのは人間だけと解説されています。人間が元から目先の利益にとらわれなかったかと言えば、そうではないでしょう。狩猟民族はその日の食べる分だけ捕獲して生きていました。家族や集落単位でモノを考えるようになり、大きな集団で社会構成員の最大幸福を実現していこうと徐々に考えるようになり、農耕文化が広がると、その社会範囲は広がっていき、益々「社会に生きる」人間の姿がより際立ってきます。食料保存技術が広がると長いスパンで生活を捉える知恵が出てきます。そして財を貯える術を手にした人間は、さらに長期的利益を考えられるようになってきました。人間が目先の利益にとらわれなくなっていくのは社会の存在が非常に大きいのです。人間は相互の関係性を維持拡大することで、効率性や生産性や付加価値を向上させてきたという歴史が浮かび上がってきます。

最近、目先の利益に飛びつくようになった人が目につくのは、そうした社会性が急速にグローバル化して広がりすぎてしまい、そのメリットを享受できない人が享受できている人に比べ、圧倒的に多数になってしまった結果なのでしょう。イギリスのEU離脱決定に至った国民投票もその流れで解釈できると思います。この歯車の逆回転がいつまで続くのか、いずれまた正回転に変わると思いますが、いつのことになるかは予測がつきません。またこの逆回転・正回転の変化のタイミングを狙って目先の利益を獲得しようとする多数の中から「少数の成功者」が生まれるのでしょうね。