日本の領域は世界12位

2016年3月13日 at 2:55 PM

日本の国土面積は37万㎢で世界201国中61位。ロシア、アメリカ、中国などの大国と比較すれば数十分の一と小国であることは間違いないが、上位3分の1に入っているという観点で見れば、多くの日本国民が思っているほど小島国ではない。イギリスの1.5倍、ドイツよりもやや大きめの国土を有している。昨今、海洋資源の重要性が指摘されているが、日本の排他的経済水域(Exclusive Economic Zone; 略称EEZ~いわゆる200海里~沿岸から370kmまでは主権が及ぶ)は非常に広く、アメリカ・オーストラリア・インドネシア・ニュージランド・カナダについで世界6位という海洋国家である。このEEZと国土を合わせた領域では、なんと日本は世界12位の領域を有する国家に躍り出るのである。EEZの比較で言えば、日本の448万㎢に対し、中国のそれは229万㎢と半分しかない。最近の中国の海洋進出は軍事上の観点のみならず、EEZを広げようとする経済行為の一環とも言える。

海洋資源には様々なものがある。日本近辺の海底に眠っている資源では、金・銀・銅・亜鉛・鉛・石油・コバルト リッチ クラスト・メタンハイドレート等の豊富なエネルギー資源や鉱物資源の存在が近年における技術の発展と調査によって確認されている。種々の制約要因(法規制、土地用途、利用技術など)を考慮しない場合に理論的に取り出すことができるエネルギー資源量を「賦存量(ふぞんりょう)」というのだそうだが、300兆円の価値があると算定されている。実際には経済的に見ても実利用できるかどうかは研究開発次第であるが、文科省・経産省・海洋エネルギー資源開発促進日本海連合・JOGMECなどがその調査及び採掘研究にあたっている。

EEZを語るにあたっては各国が抱える領土問題は避けることのできない課題である。皆さんご承知のように、日本ではロシアとの間で北方四島、韓国との間で竹島、中国・台湾との間での尖閣諸島が代表的なものである。ことEEZの話になると沖ノ鳥島が国連海洋法条約において、どのような位置付けになるかが大きな問題になっている。
沖ノ鳥島は東京都小笠原村に属する小笠原諸島最南端の「島」であるというのが日本の見解である。日本は2008年に大陸棚限界委員会に対して、それを根拠に大陸棚の延長申請を行ったが、中国と韓国が異議を唱え(アメリカとパラオは異議を唱えず)、今もって継続審議の状態となっている。

中国と韓国の主張は「沖ノ鳥島は島ではなく、岩である」というもので、ただの岩と認定されればEEZは認められない。EEZを主張するには国連海洋法条約の第121条 第1項「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」あるいは第121条 第3項「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」のいずれかをクリアしなければならない。また第60条 第8項「人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない」とあり、日本は沖ノ鳥島を何とか「島」あるいは「営みのある岩」として位置付けるべく様々な対策を講じている。

沖ノ鳥島は外観で見ると、東西に4.5km・南北に1.7km・面積5.78㎢のそれ相応の大きさの島だが、その実態は北小島と東小島というそれぞれキングサイズベッド程度の岩礁に、以下に述べる対策を講じてその存在を保っている(歴史を辿れば、1933年には6つの露岩が満潮時にも姿を現していたという記録があるが、その後の風化や海食により4つは亡失してしまった)。1987年消波堤設置、2006年サンゴ増養殖技術検討開始、2007年灯台設置運用開始、2013年港湾施設建設開始・2016年完成予定。工事だけでも数百億円の国家予算が投じられている。

沖ノ鳥島の大陸棚延長が認められなければ、日本は37万㎢の国土以上の海域を失うことになり、その経済的損失は膨大である。一方で、中国は南沙諸島でジョンソン南礁(赤瓜礁)で日本と同様なことを行っている。2012年には岩礁の埋め立てを行い、2014年には護岸や桟橋、宿舎などの人口建造物を建造し、2015年には灯台の完成式典を行った。中国との領有権争いをしているベトナムによれば、ジョンソン南礁は満潮時に海中に沈むとしており、地球温暖化による海面上昇はこのようなところにも大きな影響を及ぼしている。また、軍事に絡めて言えば、核と言わず小型爆弾でもこの岩礁を爆破してしまえば、対象国に重大な経済的打撃を与えることができる些少の存在であるとも言えるのである。

モンゴルの歴史

2016年3月10日 at 4:43 PM

モンゴル人と言えば、日本では大相撲で活躍している力士がまず頭に浮かぶ。朝青龍や白鵬をはじめ、相撲史にその名を遺す大横綱がおり、現役3横綱は全てモンゴル出身である。見た目が日本人と変わらないので、よく調べないと日本出身力士かどうか見分けがつかない。そんなモンゴルは国土が日本の4倍、人口は300万人、2014年の一人当たりの名目GDPランキングでは110位、$4000強と中所得国の中位に位置する発展途上国です。しかし、アジアではミャンマーに次ぐ第二位の経済成長率(7.7%)を誇り、豊富な鉱物資源を背景にこれからの発展が期待されています。

一般にモンゴルと言えば、正式名称モンゴル国のことを指しますが、中国内には内モンゴル自治区(面積は日本の3倍、モンゴル族は400万人と言われる)があり、彼らはモンゴル国のことを外モンゴルと呼びます。
モンゴル国はソ連に次いで世界で二番目の社会主義国で、成立は1924年。その後は極左路線を推し進め、日本が樹立した満州国(1932年~1945年)とモンゴルの国境線をめぐって発生した1939年のノモンハン事件では、ソ連軍と同盟を結んで日本の関東軍と戦火を交えています。終戦間際のソ連の宣戦布告の2日後、1945年8月10日にはモンゴルも日本に宣戦布告を行っています(国家承認を得ていないので戦勝国ではない)。

モンゴル国の公用語は勿論モンゴル語ですが、モンゴル文字は特殊なため、現在ではロシア語に使われるキリル文字を流用しており、文化的にもロシアの影響を色濃く受けています。
モンゴルが社会主義の旗を降ろしたのは最近のことで、1992年。その際に日本からのODAで発展を遂げたこと、そしてその援助が国内で大きく報道されたこと、加えて大相撲でのモンゴル出身力士の活躍などが相まって、今のモンゴルにおける親日につながっています。
一方、中国の内モンゴル自治区は、前出の関東軍が清朝の愛新覚羅を元首に据え、敗戦まで実質支配を行っていました。しかし、中華人民共和国建国以来、漢民族の移入により8割以上が漢民族で構成されるようになりました。公用語は中国語とモンゴル語ですが、外モンゴルのそれとは違う方言ですし、モンゴル文字が継承して使われているため、外モンゴルの若者は判読困難になっています。

モンゴル人はもともとは遊牧民です。古来、平原を東西南北縦横無尽に駆け巡っていたものと思いますが、中国の戦国時代(紀元前403~紀元前221年)には中国人と同化していったとされます。秦の始皇帝死後の内乱の中で、モンゴル人は騎馬力を発揮し、冒頓単于(ぼくとつぜんう)という君主が匈奴という国家を拡大しモンゴル高原を支配するようになりました(紀元前209~紀元前174)。その後は中国との間で数百年に渡るつばぜり合い、主従関係、群雄割拠を繰り返しながら、チンギス・ハンの登場を待つことになります。

チンギス・ハンは1200年代から周辺の遊牧民を傘下に収め、1222年にはイスラム王朝を滅ぼし、その後継のオゴディ・ハンがポーランドやハンガリーにまで戦線を進めました。クビライ・ハンの時代には2400万㎢(現在最大領土のロシアは1700万㎢・歴代最大領土は大英帝国の3370万㎢)もの領土を治める連合体を形成しました。今のモンゴル国の国土の15倍の広さです。
クビライ・ハンは1271年に国号を大元という漢字に改め、中国を統一します(元朝)。元朝は100年弱で滅びましたが、クビライ王統の残滓はモンゴル高原へ退却し、さらに100年大元の国号を使い続けていました。その後は政治的空白を経て、明朝との和約を結び地域部族としてその存在を維持していたようです。

1500年代に周辺部族で頭角を現したヌルハチ(女真族)に降伏して取り込まれ、これが満州となり、のちの清朝になっていきます。清朝の275年に及ぶ統治下では蒙地保護政策を受け、モンゴル族の王侯たちはこの頃から自治を認められていました。前出のように1932年に日本が満州国を成立させると、内モンゴル東部は満州国に組み込まれました。関東軍は後に内モンゴル西部にも侵入して中国軍を追い払い、1937年に厚和(現フフホト)で蒙古連盟自治政府を成立させ配下に置きます。1945年の日本の敗戦によって、外モンゴルと内モンゴルの合併の動きもありましたが、ソ連と中華民国との間の駆け引きで、内モンゴルは自治区として中国に留まり、外モンゴルは独立を認められたという歴史的経緯があります。

戦争は大勢の罪のない人々を巻き込むといった戦禍のみならず、その後、多くの民族の分断を引き起こしています。モンゴルは過去一代帝国を築き上げましたが、今の外モンゴルと内モンゴルは同じ民族でありながら、国の形態が大きく違って文字も文化も異なるものとなりました。ドイツのように国家統一に向けての内から湧きあがる民族意識もなくなっているのかもしれません。多くの民族が今でも辛酸をなめています。敗戦によって日本が分割統治されなかったのは、本当に幸運なことであったと実感するとともに、日本も民族の分断に関わっていたことを真摯に振り返る必要があります。このように見てくると、やはり日本民族は世界で特殊な存在であると認識せざるを得ません。弥生人が渡来して縄文人と交わったのは紀元前と言われていますので、日本建国2700年はあながち神話の話とばかりは言えません。中国4000年の歴史は上述の通り異民族の興亡の歴史そのものです(漢民族が支配していたのは漢、宋、明、そして現在)。多くの国の歴史は民族の歴史に比べて非常に短いものであることがわかります。