アメリカでチップ廃止の動き

2015年10月27日 at 12:09 PM

2か月ほど前の米New York Times誌に”As Minimum Wages Rise, Restaurants Say No to Tips, Yes to Higher Prices.”という記事が載った。最低賃金が上がって、サーバー(ウェイター・ウェイトレス)の生活が保障されるようになるのであれば、チップは不要。でもメニューの値段は上がりますよ、という論旨である。この記事を多くのメディアは、「レストランにおけるチップの習慣を廃止する動きがアメリカの一部で広がっているが、多くのレストランは静観の構え」と報じている。しかし、単純に捉えると最低賃金が上がるので、チップは不要です。その代わりメニューの値段は上げさせていただきます。つまりお客の支払いは何も変わらないということである。チップが無くなることによってこれまでも大したサービスとは思われなかったサーバーの接客の質がさらに落ちるかもしれない。ひいては顧客満足は低下するかもしれないという含みを私は感じるが、厄介なチップの習慣に煩わされなくなるのは歓迎だ。
そもそもチップという習慣は何故あるのかを紐解くと、イギリスの貴族社会に起源があるようだ。昔の接客サービス(給仕・ポーター・ドアボーイ等)は貴族の豪邸で始まり、働く場所だけは与えられるが無給であった。それゆえ、何かとお客様の世話を焼いてはチップをもらって生計を立てていたそうである。その流れが移民と共にアメリカ大陸に広がり、定着したもの。つまりチップの習慣は安い賃金(あるいは無給)と不可分の関係にあると言える。生計を立てられないほどの安い給料にキリスト教の施しの精神が加味されて広がっていたものであろう。事実、多くの欧州の国々では最低賃金が保障されるようになってチップの習慣が無くなっていった経緯がある。遅まきながらアメリカでもそういった動きが出てきたことは、逆説的にはそれまでの大国アメリカの行き過ぎた二極化を物語るものでもあろう。
私が毎月海外出張に出かけていた頃は、この国はチップはどうするのか気にして行ったものである。アメリカ居住が長かったので、チップの習慣や計算には慣れていたが、(昔はランチ10%、ディナー15%といった感じだったが、いつの頃からかランチ15%、ディナー20%にチップもインフレ化した。観光地ではチップを置いていかない外国人も多いので、勘定に20%のサービス料が予め加算されている場合も多い。それゆえ気の良い人は二重にサービス料を払ってしまうこともあるので要注意)国や場所によっての使い分けは自分のCommon Senseで判断しなければならなかった。
日本の物価は世界一高いと言われた時期に私はアメリカで生活し始めたので、アメリカは何でも安いなあと毎日感じていた。ほとんどの支払いをカードでしていたので、キャッシュで払った時の感覚より実感は乏しかったが、慣れた頃には「なんだ、チップを加えればそんなに安くないな」と感じたものだ。数人でレストランに行くのであればまだしも、20人くらいの団体で行けば15%と言えどもチップは数百ドルになる。ひとテーブルでそんなに稼ぐなんて何て理不尽なんだと思ったりもした。
チップ本家本元の英Finacial Times誌はこのアメリカのチップ廃止の動きを社説で取り上げ、不透明のお金のやり取りがなくなるのは歓迎すべきものだと論説している。米Wall Street Journal誌はチップをもらえるホールの従業員と料理を担当する厨房の従業員の間に不公平感(手取りは2倍の格差があるとも言われる)が生まれ、調理人には優秀な人材が集まらないという問題を指摘する。チップ廃止によって、経営者が収入の配分権限を持つことで腕の良いシェフを集めやすくなるであろうという趣旨を報じている。確かに工夫がなくて、昔から同じまずい料理を提供しているレストランは多いので、顧客満足に一役買うかもしれない(是非そうしてほしい)。カード支払いのチップは全従業員で平等に分けるということも聞いたことがあるが、Cashのチップは明らかにテーブル担当のサーバーのポケットに無造作に吸い込まれていく(税金は払っていないでしょうね)。日本の料理屋と比べ、アメリカのそれとはFrontとBack Yardの位置づけが(一部を除いて)全く反対いうのは日米文化比較という観点からも興味深い。
日本には「心付け」という習慣がある。旅館で仲居さんにそっと手渡し、より良いサービスを期待するもの。贔屓の芸者に少しばかりの小遣いを渡し好意を示すもの。冠婚祭での祝儀。引越屋さんにお昼代と称してあげる場合も多い。ポチ袋とは目下のものへの「わずかばかりの謝礼」を表すが、その語源は「これっぽっち」から来ているという説がある。なんとも控えめな言い方で、日本の古き良き時代を彷彿とさせる。「心付け」はあくまで感謝の意を伝えるものであるのに対して、チップは生計を立てるために必要なものという大きな違いがあることを認識しておきたい。サービスが良かったらチップは渡すけれども、サービスが悪かったらチップを渡さないというのは歴史的背景を考えれば本来の形ではない。グラスや皿を持ってきてくれたことに対する報酬(感謝ではなく)としてチップがある。お客から従業員への直接の給料というわけだが、日本人としては西洋の階級社会の残滓と考えるほかない。それが変わり始めたというのであれば、唯我独尊のきらいがあるアメリカの変化として歓迎したい。
私は、内外問わず一部にあるAmerican Standardが正義で、Global Standardになるべきという考え方が、American Standardと言えどもGlobal Standardに合わせて変わっていくようになってきた一つの例だと受け止めたい。全く違う領域の話ではあるが、アメリカは1875年に締結されたメートル条約の原加盟国であるにも関わらず、140年経ってもヤード・ポンド法を優先して使っている世界唯一の国である。いずれメートル法を法律で表示させるようにするのか、生活では一切困っていないから関係ないとこれからもうそぶいていくのか。アメリカに対等な二国間関係を求める中国との間に難問山積みの状態では、メートル法は取るに足らない事柄であろうが、超大国アメリカが転機にあることは誰の目にも明らかである。世界の警察として力づくでHard Powerと資本主義を行使してきたアメリカが、どのように内部変革を遂げつつ、巧みにSoft Powerを操るのか。超大国とは言えなくなったアメリカではあるが、中国やロシアの覇権主義に対抗できるのはアメリカだけである。多極化した世界にこそアメリカへの期待は以前よりも増して大きい。

フードサプライチェーン

2015年10月5日 at 4:37 PM

9月27日の国連本部で振る舞われた昼食は、舌の肥えた世界の首脳らを驚かせるのに十分なものであったろう。
昼食を担当した料理人たちは、現代人の食生活にみられる多大なる無駄が、世界的な気候変動に影響を与えていることの再確認につながることを願い、本来なら廃棄処分されるはずだった材料(ゴミ)のみを使って料理を完成させたのだ。
国連本部で提供されたのは、野菜類の絞りかすを原料とするベジタブルバーガーと、それに添えられた「でんぷん状のトウモロコシから作られた『コーンフライ』」だった。
このメニューを考案した著名な料理人ダン・バーバー氏は、「典型的なアメリカ料理をビーフではなく、牛の餌となるトウモロコシで作った。通常なら捨ててしまうものから、本当においしいものを作り出すことへの挑戦」と語った。
と同時に、今回の昼食会のようなイベントを通じて、食文化が徐々に変わっていくことを期待しているとして「長期的な目標は、残飯から食事を作らないようにすることだ」と食べ物の無駄を削減すべきであるとコメントしている。

国際連合食糧農業機関(FAO)の要請により、スウェーデン食品・生命工学研究機構(Swedish Institute for Food and Biotechnology、以下SIK)が2010年8月から2011年1月に実施した調査研究によると、世界全体で人の消費向けに生産された食料のおおよそ3分の1、量にして年約13億トン(7500億ドル相当)が失われ、あるいは捨てられていると示唆した。

日本での統計では、農林水産省が今年4月30日に公表した「食品ロス統計調査」がある。日本の世帯食品ロスは3.7%で、その内訳は過剰除去(調理時の大根の厚皮むきなど)が2.0%、食べ残しが1.0%、直接廃棄(賞味期限切れなど)が0.7%となっている。外食産業では、結婚披露宴で23.9%、宴会で15.7%と高い食品ロス率を記録しているが、およそ世界の食料の3分の1が無駄になっているとはにわかに信じられない数字である。先のSIKの調査によれば、消費段階で廃棄される一人あたりのロスは欧米が年間100kg前後であるのに対して、日本のそれは15kgとまさにMOTTAINAI精神の面目躍如たるものがある(Apple to appleの比較ではないので注意を要する。このブログを書くにあたって、色々調べたが、記事によっては日本の食料廃棄率は世界一であると何か意図的なものを感じるものもあったが、筆者はその根拠を見つけることはできなかった)。

フードサプライチェーンとは食料の生産から貯蔵、流通、加工、販売、消費に至る一連のプロセスを言う。調べてみると、食料の種類や地域によってそのロスの構成に大きな違いがあることがわかった。先進工業地域では廃棄の約4割が消費段階で無駄になっているが、開発途上地域では廃棄の9割ほどが消費前段階の、生産から小売り段階で無駄になっている。つまり開発途上地域では農業生産過程で生じるロスがフードサプライチェーン全体のロス総量の大半を占めているのである。一例を挙げれば、果実や野菜などは、収穫後と流通段階でのロスが甚だしく、暖かく湿度の高い気候条件で腐敗してしまう品質劣化や、供給過剰をもたらしやすい季節性も原因となり、収穫のおおよそ半分が消費段階前に廃棄されてしまうのである。

日本のような先進国の視点から食品ロスを考えると、まだ食べられるのに賞味期限が過ぎたからという理由で捨てられたり、スーパーの高い外観品質基準によって、店頭では並べられないような規格外野菜や魚が出荷されずに無駄になったりということを想起してしまうが、一方の生産地域(特に低所得国)ではフードサプライチェーンの初期段階で、予期しない天候不良、病害虫の発生、貧弱な貯蔵施設、インフラ整備の不足、旧式な輸送形態、食品取扱技術の未熟、あるいは流通段階での非衛生的な市場環境などの悪条件によって大量の食糧が無駄となっているのである。

CSR活動に熱心なネスレはCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)を企業の基本に据え、環境サステナビリティや農業・地域活動に力を注いでいる。世界中に10億人に至らんとする人々が栄養不足の状態にあり、一方で、食べ過ぎで肥満になっている人が10億人以上もいる、この低所得国における低栄養と先進国における過剰栄養という問題を企業の最重要課題として取り組んでいる姿勢は特筆すべきことである。二つの問題は独立事象ではなく、フードサプライチェーンを見たときには双方からの解決のアプローチが重要であることを見逃してはならない。
栄養不足に苦しんでいる人々への世界からの食糧援助量は600万トン、日本一国の食糧廃棄量だけで800万トンという数字を弄んでも、この問題は解決に向かわない。
先進国での消費者意識の変革と、開発途上国での収穫技術、農業者教育、貯蔵施設や輸送方式を改善することによって生産者に展望を与えるという両方に施策が必要である。

日本では、加工食品に3分の1ルールと呼ばれる商習慣があり、賞味期限が6カ月であれば、これを3等分して、メーカーが卸や小売店に納品できるのは製造日から2カ月までの製品。その後、店頭で販売できるのは製造から4カ月までの製品。それを過ぎると、賞味期限まで2カ月残っていても、店頭から撤去、廃棄するという仕組みだそうである。日本の消費者は鮮度にこだわると言われているが、果たして本当に消費者が望んだことなのか、企業が先走ってその方向に誘導したのか。賞味期限も消費期限も無かった時代には、味見して確かめ、時に腹を下したりして実地で体得していったものであるが、今や自分の舌より、良く知りもしない企業の刻印数字を頼りにするのは、過剰サービスの結果なのかもしれない。小売り大手の中には、この期間を見直そう、という取り組みをしている企業もあり、実証実験も始まっているという。健全な消費者と健全な生産者が、将来食糧不足になるかもしれない世界を救う一助になってくれるものと思う。