哲学のある歯科医から学ぶこと

2014年10月28日 at 11:00 AM

今年に入って歯を一本失いました。近所の歯科医に何軒か行きましたが、話や治療に納得できずに、結局高校時代の同窓生の歯科医を頼って都心の大学病院まで出掛けました。気心が知れているので、残された人生時間を考え不安に思うことを十分納得できるまで話が出来て良かったと思っています。結果として自ら抜歯を選択しましたが、これからの毎日のデンタルケアについて自分なりのスタイルが確立できたかなと思っています。そんなこともあって、たまたまテレビの番組欄で見たプロフェッショナル仕事の流儀という番組の「『ぶれない志、革命の歯科医療』歯科医・熊谷崇氏」を視聴してみました。

熊谷氏は、自身の診療所に通う子供の8割が20歳になっても虫歯が一本もない、70~80歳の高齢の患者さんも永久歯が数本しか欠落していない等、世界屈指の実績を上げています。その根底にある氏の哲学は患者に自分の口の中の状態を良く知ってもらって、自分の歯を守りたいという意識を強く持ってもらい、虫歯や歯周病にならないような予防を徹底するというものです。初診の患者にはすぐには治療に取り掛からず、口の中の写真を10枚以上撮影し、唾液検査を行い、歯科衛生士が丁寧にクリーニングをし、口の中を清潔に保つための説明をし、数回の通院ののち、いよいよ治療に取り掛かるといったスタイルです。

氏の治療方針に同感し、開業医を始めた歯科医夫婦が紹介されていましたが、実費3000円の唾液検査を受けてもらえる患者は1割しかいないと自信を無くしていました。多くの患者が時間がないので、とにかく痛みを取り除いてくれればいいとやってきます。唾液検査によって個人個人の虫歯菌を中和する力の強弱が判定できるのですが、目先の患者の希望をまず満たすのが医師の役目なのではないかと悩んでいました。氏が山形・酒田で今のスタイルでの歯科医療をはじめた35年前、同様な経験をしています。氏のやり方は患者に全く受け入れられず、ときに患者に罵倒されることさえあったといいます。診療所は患者に敬遠され、赤字に陥り、スタッフの給料を自身の預金を取り崩して払っていることもあったそうです。それでも氏はどんな苦境に立たされようと、自身の考え方を曲げずに貫きます。なぜならそれこそが「真の患者利益」につながるとの信念を持っているからです。その地道な患者教育が、次第に患者の意識を変えて、最終的には信頼を勝ち得、今の世界的な実績を確立するに至ります。「真の患者利益」とは一生を通じてどのような治療が望ましいのかを突き詰めた結果と言えるでしょう。歯は1度抜けたり、虫歯のために削ってしまえば決して元には戻りません。そうならないために、歯周病や虫歯の原因となるバイオフィルムと呼ばれる細菌の集合体を歯科医だけでなく、個人の意識改革によって極力排除している訳です。歯磨きだけではこの細菌は取りきれません。デンタルフロスやマウスウォッシュなどのホームケアに加え、歯科衛生士による定期的なメンテナンスが必要だと患者に強く、しかし納得のいくまで説明します。根気のいる仕事です。氏自身も昔を思い出して、本当に毎日一人ふたりでも説得するのに疲れ果てたと述懐していました。

私も遅まきながらこの歳になって歯の大切さをしみじみ感じます。多くの人が歯科治療のドリルの音や振動は嫌いに違いありません。だから痛くならないとなかなか歯医者に行こうとはしませんし、行ったら行ったで早く痛みを取り除いてもらって、治療が終わるまでの辛抱だ、できればもう来たくないと思ってしまいがちです。振り返ってみると、失った歯の周辺はそれまでに何回か腫れてしまい歯科医に治療に行きました。当時飛行機に乗る機会が多かったので、気圧の変化が良くなかったのだろうかと思ったりもしましたが、やはりホームケアが不十分であったのだろうと反省します。

実は番組を観ていて、過去30数年の調達の仕事が蘇ってきたのです。事業が赤字に陥りそうになると「緊急コストダウン」という指令が下りてきたことは何度となくありました。業務ですから、取引先に対して状況を説明し、協力を仰ぐといったことを幾度となく行いました。自社内でもVAやコストダウンなど知恵を絞りましたが、圧倒的に外部の取引先に協力コストダウンを強いていました。まるで虫歯を安易に削り、目先の痛みを取り除き、詰め物をして、治ったと思いたい気持ちが先行していたように思います。しかしビジネスが巧くいかない真の原因は根本的に解決されることはなく、目先改善したように見えても実は歯の土台が弱り、しばらくすると神経にまで細菌が及んでいたことに気付き、最終的に歯を失ってしまったようなことはなかったかと。「緊急コストダウン」は事業がうまくいっていない、つまり売り上げが計画通り上がっていない、円高が急にやってきた、競争環境にない高額部品の突然の値上がりに他の部材の値下げを要請するなど対処療法にすぎません。特に売り上げが想定通りにいかない場合、コストダウンをしてもまず成功はしません。なぜなら売れないということは仕込みが滞留しているということで、コストダウンしても追加オーダーするまでに至らないので、その効果を得ることはほとんどありません。5%コストダウンできましたといって調達の成果を誇示しても、購入実績ひいては販売実績にまでつながらなければ、コストダウンの果実は取れません。こういう場合は調達パワーを新規機種に向けるべきで、売れない現行機種のコストダウンにリソースを充てるべきではありません。失敗に気付いたら早く手仕舞いして、うまくいかなかった原因を分析して次に賭けるべきです。

過去、ある機種の主要部材で高額な半導体メモリーを計画に基づいて購入したものの、販売が振るわず、大量に余ってしまったことがありました。余っただけなら、それを活用して次の機種で流用開発するという手段もありますが、このメモリーはあっという間に市場で半値の価値しかなくなってしまったため、流用しても次機種の価格競争力がありません。事業の存亡に立たされるほどの大きなビジネスインパクトであったので、事業長からは、「何とかしろ」との命が下り、本当に恥ずかしながら購入元に買値で引き取ってもらうという交渉に出かけました。とても成り立つ話ではないとほとんど諦めの気持ちで向かったのですが、その購入元は親切かつ寛大にも要求通り買い上げてくれました。本当に信じられないことで取引先には心から感謝をしました。社内的も良くやったと評価され、事業長もその時は大事まで至らず事なきを得ました。今から20年近く前のことです。しかし、今になって振り返れば、購入元のメモリーメーカーは他社と合併の後今でも苦難の道を歩んでいます。当該事業は10年以上前に消滅していますし、その事業長もその後、他の事業長に就きましたが成果がないまま会社を去りました。

目先を取り繕っても、真因が解決されなければ、歯科治療も事業も最後には年貢を納める時がやってきます。目先の利益や社内での立場を維持するために無駄にした時間とお金はなかなか表面には現れてこないものです。調達の仕事は地道なことが多いと思いますが、下流業務に留まることなく全てのステークホルダーの「真の事業利益」に向けた行動を如何に上流で起こしていけるか己の哲学や信念をもって着実に行っていきたいものです。

遺伝子検査

2014年10月16日 at 9:28 AM

しばらく前から「遺伝子検査キット」なるものがネットでも売られています。お値段はたったの29,800円なので、家族家系内に遺伝因子の影響が強い疾病をお持ちの方はやってみたいという衝動に駆られて当然のことであろうと思います。ヒトのゲノムの全塩基配列は約10年かけて解読作業が行われ、2003年に完了宣言がされました。それは1953年のDNAの二重らせん構造の発見からちょうど50年後のことでした。

手近な遺伝子検査キットをググってみると、「日本人の2/3近くが生活習慣病で亡くなっています。大事な家族のため、自分自身のためにも病気のリスク、体質を知って、食事・運動などのライフスタイルを見直すことで、今からあなたにあった予防を実践しましょう」とあります。検査項目は脳梗塞、心筋梗塞、2型糖尿病、胆石、尿路結石症、腰痛、痛風、不眠症、円形脱毛症、花粉症、緑内障、アトピー性皮膚炎、貧血傾向、十二指腸潰瘍、アルコール、ニコチン依存症、過食症、長寿・寿命など全70項目となっています。最近では遺伝子検査によるダイエット指導や肌老化対策など美容に特化して顧客誘引しているところもあります。

先般、東京医科歯科大学の木村彰方教授のお話を聴く機会がありました。先生のお話は心不全・突然死の遺伝子についてでしたが、日本の三大死因のひとつである心疾患は高齢者のみならず、小児、若年者にも起こっていて、現時点で遺伝的要素がどこまで解析されているかという説明でした。

通常、医者は患者を診て、検査をして、処方をして治すというサイクルですが、先生はこのサイクルで治らない患者がいるということを契機に人類遺伝学を30年前に志したそうです。心臓病は家族性のものと原因不明の突発性のものとあって、まだ全貌は明らかになっていません。しかしながら、肥大心筋症は家族性が50~70%、拡張型心筋症は20~35%と遺伝因子の影響を強く受ける疾病は明らかになっています。前者は筋肉が厚くなって固くなり心臓がポンプの役目を果たさなくなる。後者は心臓が大きくなりすぎて、相対的に筋肉が少なく、これも心臓のポンプの役割を果たさなくなるというものです。正常であれば心臓の大きさと、それに見合う心筋が平均80年ものあいだ正確に動いてくれるわけです。まさに生命の神秘。肥大心筋症や拡張型心筋症は常染色体性優先遺伝病に分類され、父親あるいは母親のいずれかからの遺伝で50%の確率で受け継がれます。運悪く双方から受け継いでしまうと重篤な心臓病を発症する確率が非常に高くなります。遺伝子レベルで言うと、5800文字の情報のうち、たった1文字しか違わないのですが、この1文字が大きな違いを生んでいます。

これら常染色体性優先遺伝病の治療法は今は心臓移植しかないそうです。家族性が非常に強い疾病ですが、家族の病歴が無い方もいます。新生変異と呼ばれ、所謂突然変異ですが、家族歴が無い方でも発症する方がいます。経験的にも感じることですが、この病は男女差もあります。男性が女性より2倍以上多く、重症も多いそうです。そうすると男性ホルモンとの関係が疑われます。マウスで実験してみるとやはり雄雌の差はあって、♂マウスの精巣を取ると女性並みに寿命が延び、♀マウスの卵巣を取ると、さらに寿命が延びるそうです。卵巣も男性ホルモンを作っているそうで、やはり男性ホルモンと心臓病の関係は相関するという結果となっています。

乳児突然死症候群も一時話題になりました。保育園でうつ伏せで寝かせていたら、いつのまにか亡くなっていたというものです。ポックリ病の一種です。突然死で心臓に作用する要因はいくつかあるそうで、音に反応する遺伝子、アドレナリンで反応する遺伝子などがわかっているそうです。前者は目覚ましの音でびっくりして心臓が止まってしまう。後者は興奮によるストレスが血液供給を増大させ許容量を超えて死に至る。カフェインやニコチンもアドレナリンを生じさせ増大させる物質ですが、通常ほとんどの方はポックリ死んだりしません。しかし老若問わず過剰反応する遺伝子をお持ちの方がいるそうです。

先ほどの5800文字のうちの1文字を換えれば発症確率は大きく下がりますが、遺伝子要因なだけに、受精卵の時点で書き換えを行わなければなりません。この行為は結果として親が子どもを自分たちの好きなようにデザインする道をも開いてしまうという「デザイナーベイビー」問題として、多くの生命倫理学者たちが懸念を表明しているものです。

さて、冒頭の遺伝子検査キットに話を戻すと、先の家族性心臓病の原因遺伝子はひとつではなく、10~20もあるそうです。単因子の病気であれば、90~100%の確率で発症がわかるそうです。しかし多因子の病気の場合、たとえば、一般平均で0.5%かかる病気が、遺伝因子50%でかつ作用する遺伝因子が10%しかわかっていないとすると1%に上がるだけという計算になり、遺伝子検査の効果はほとんどありません。因子が数百ある場合は、大地震に遭う遭わない、遭っても不幸にして死亡する、幸運にして生存するといった運不運の世界なのかと私には感じられます。

重篤な単因子の家族性疾病であれば、遺伝子検査キットは効果を発揮しますが、果たして知るのが良いのか、悪いのか。知れば知ったで悩みは深くなるかもしれません。知らぬが仏とはよく言ったものです。この判断は個人個人の人生哲学の考え方によりますね。

ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーは昨年、将来の乳がん予防の為に乳房切除手術をし、話題になりました。病巣はなかったそうですが、中身を切除、乳房再建手術をして、小さな傷がある以外、見た目は手術前と変わらないと寄稿で書いています。彼女の母親は乳がんにかかり、10年近くに及ぶ闘病生活中に卵巣がんも併発し、56歳で亡くなっています。母方の祖母も40代に卵巣がんで亡くなっているそうです。彼女は遺伝子検査(こちらは簡易なキットでの検査ではないので数万ドル掛かったと言われています)の結果、将来乳がんになる可能性が87%、卵巣がんは50%以上とされ、まずは確率が高い乳がんの対策を選択したということです。

先日、先進国でがんで死亡する人が増えているのは日本だけで、他の国は減っているという記事を見かけました。読み方によっては日本ではがん以外の病気を減らした結果、がんでの死亡が増えたとも捉えることができます。人はいずれ必ず死にます。古代不老長寿の薬を求めて、逆に多くの人が亡くなったのではないかと想像します。死亡原因が何かというだけですから、死亡原因1位を親の敵と睨みつけて、病を克服したとしても、死そのものが免れぬ事象である以上、他の死因が1位になるだけです。老衰が1位になれば、ゴールということでしょうか。それにしても若い人の死は心が痛みます。医療関係者の方々には引き続き専門の領域で、不条理と闘っている患者の方々を救ってくださるようお願いいたします。社会にも不条理が沢山ありますが、それらとの日々の闘いが人生と言えるのかもしれません。