印刷技術発展の歴史

2014年5月28日 at 11:42 AM

現存する世界最古の印刷物は日本にあります。称徳天皇が政治を任せた道鏡が西暦770年に国中のお寺にお経を広めるために配布させた経典の中に入れた「陀羅尼経」です。ろくろ焼きの百万塔に木版か銅版に彫った文字を紙に刷り取ったものが6年間かけて100万巻も刷られたということです。当時飢饉や疫病の流行、戦乱による社会不安が背景にあり、これを鎮めようと仏教を活用し(鎮護国家)、全国に国分寺を建て、大仏造立の詔も出しています。この頃は遷都も数回行われており、その当時の混迷ぶりが想像されます。冒頭に紹介した「陀羅尼経」を10万巻ずつ10の国分寺に納めました。その一部が4万巻余り今に残っていて世界最古となっています。

その後の日本では300年ほど印刷という技術は全く活用されませんでした。学問は文字が読める一部の偉い人達だけのものでしたので、沢山印刷しなければならないという必要性がなかったからです。その後も日本での印刷技術は大きな発展はありません。必要なものは手で書き写せばよいということだったようで、今でも精神修養の写経は綿々と受け継がれてきています。

やっと江戸時代になって商業が盛んになり、町民たちの間でも読み書きできる人が増えてきて、商売をするのに「読み書き算盤」が必要になってきました。寺子屋で町民の子供たちが読み書きを学び、市中では「東海道中膝栗毛」などの文芸作品や浮世絵、瓦版などが登場し、漸く本格的な印刷文化の誕生を見ることができます。

元々の印刷技術は中国から6世紀に仏教と共に伝わりました。中国では紀元前2世紀には王様が御触れを出すときに粘土にハンコを押して文書を封印していました【欧米では今でも封筒や文書、高級酒などに封蝋(ふうろう)する印璽(いんじ)がありますね】。西暦105年の蔡倫による紙の発明によって、木や石に色を付けたくない部分を彫って使う版画タイプのハンコが民間に広まり、この技法が印刷の始まりと言われています。しかしながら中国に起源を持つ印刷技術が大衆に寄与するにはヨーロッパでの発展を待たねばなりませんでした。

ヨーロッパでは哲学・科学・文学関係の本が紀元前より作られていましたが、宗教色が強まっていった中世の時代になると科学の本は神の教えに反するものとして抑圧された結果普及せず(科学史上では暗黒時代と呼ばれた)、本と言えばもっぱら教会内で僧侶たちが一冊一冊書き写した聖書でした。

14~15世紀になって、イタリアを中心に産業や貿易が盛んになり、職業芸術家や商人たちが商売をするのに(日本と同様)読み書きが必要となってきます。印刷といえばグーテンベルクがまず最初に頭に浮かびますが、15世紀中ごろに始まった彼の印刷技術の発展によって思想書や技術書、そして文学作品が多くの人の手に安価で渡るようになり、ルネッサンスに繋がっていきます。つまり教会による学問の独占が崩れ、職人(今でいう技術者です)と学者が歩み寄る雰囲気が醸成された結果、一挙に科学技術が発展していきます。前者の代表があの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ、後者のそれは解剖学のヴェサリウスや鉱山学のアグリコラなどです。そしてこれも歴史の教科書では定番のマルティン・ルターが当時のカトリック教会の堕落(本来罪の許しに必要な悔い改めなしに贖宥状の購入のみによって償いが軽減された)を糾弾し、聖書に書かれていない斯様な贖宥状なるものは濫用であるとの考え方に立ち、ドイツ語で自分の考えを広めることで当時重税に苦しんでいた農民たちに大いに希望を与えました。印刷技術発展と相まって後のプロテスタントの成立という宗教改革に行き着きます。ルネッサンス時代には急速に科学技術志向が高まっていき、科学の暗黒時代から脱し、それまでの観念論主流から実験に基づく実証研究の発展により数々の偉業(天文学、磁気学、医学等)が成し遂げられました。

活字印刷技術に話を戻すと、文字の種類の多い中国では比較的製作が容易い木版が主流となり、文字数の少ないヨーロッパでは銅などを流し込んで作った金属活字が盛んに使われました。前者は版を作りやすかった反面、厚い紙に印刷することが難しかったので、薄い紙に片面印刷するにとどまっていましたが、後者は版が長持ちする上、厚い紙への印刷も比較的容易であったので、聖書に見られるように早くから両面印刷がなされています。

近代の印刷技術はやはりドイツが最先端で、1600年には新聞が発行され、1833年には1時間に6万個の活字を鋳込む「活字鋳造機」が、1846年には「輪転印刷機」が実用化され、それから10年も経たないうちに1時間に2万枚以上の新聞を刷ることが可能になりました。

日本では鎖国の影響もあり、西洋の印刷技術から大きく取り残されていましたが、新聞発行は1870年、紙幣の印刷は1881年です。現在は日本の印刷技術は世界一と言われ、外国の紙幣を受注したり、印刷機械を外国に輸出したりしています。

こうしてひとつの技術の発展の歴史を辿ってみると、技術とコンテンツ(宗教、商売、文化、情報)がお互いを後押しし、進化していることがわかります。技術は単独で一直線に進むものではなく、コンテンツと重なって大きく飛躍します。何か障害があると、その進展が止まったり、Breakthroughがあって、また大きく発展したりと。ハードとソフト(コンテンツ)は車の両輪という言葉はやはり今でも生き続けていると思います。

男たちの旅路

2014年5月5日 at 10:26 AM

前出の「社会学の基礎知識」という大学時代の教科書を読み返そうとパラパラ頁をめくったら、一枚の新聞の切り抜きが出てきました。30数年前に買った本ですから、全てのページが茶色味を帯びていましたが、その切り抜きが挟まっていたページは新聞の型がそのまま転写し、濃茶色になっていました。そのページには「核家族化に伴う老人問題とその対策」とあり、その間から出てきた切り抜きの題名には「TVドラマ『シルバーシート』に寄せて」(役に立つ、立たないではなく、老人の過去を大事に)とあります。

TVドラマというのは、今でも鮮明に覚えていますが、鶴田浩二主演の「男たちの旅路」です。若かりし水谷豊や桃井かおりが24歳で共演していました。まだ家庭用ビデオは発売されたばかりで高価でしたから、放送時間を見逃さないようにTVの前に陣取っていたことを思い出します。脚本は山田太一で当時43歳。ちなみに鶴田浩二は52歳(今の私より4つ若いんだ!)。放送は76年から82年まで全13話とウィキペディアにありますので、全部見逃さずに見たのではないかと思います。鶴田は最初このオファーを断ったそうですが、その後山田との面会をプロデューサーに求め、特攻崩れとしての鶴田自身の経験・思いを脚本に投影してもらうことで出演をOKしたそうです(実は鶴田は整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場であったとのことで戦友会から猛抗議を受けるが後に和解)。2003年に「同窓会」と称して水谷、桃井、山田3人が顔を揃え(鶴田は87年永眠)、思い出話を語る番組が組まれましたが、当時鶴田はリハーサルでも台本を手元に置かず、共演者の台詞も頭に入れた上で、自ら発した言葉のように台詞を滔々と言っていたと水谷、桃井が(まねをしようとしたが、メチャクチャになってしまい、とてもできないとすぐにやめたと)語っています。鶴田の自身を投影したこのドラマにかける強い想いが感じられる逸話です。

話の筋立ては、ある警備会社に勤める主人公の吉岡司令補(鶴田)が特攻隊の生き残りであり、戦争はどこから始まったのかという疑問を持ち続けて生きる彼を中心に、杉本(水谷)、島津(桃井)、鮫島(柴俊夫)、柴田(森田健作)ら若い世代と、仕事の中から拾い出した疑問に対し、時に激しくやり合いながら真面目に向き合い、出口を探す道筋を語るものです。前記の「シルバーシート」は全13話の中でも出色の出来栄えで、77年芸術祭大賞を受賞しています。この話は老人ホームの4人が車庫で車内にこもって都電ジャックする話ですが、老人から発せられる台詞ひとつひとつに胸を突かれます。「歳を取るってことがどういうことか歳を取るまでわからない」「自分を必要としてくれる人がいません」「私は人から愛情を感じることはあるが、私が人から愛情を感じられることはない」「名誉なんていうものの空しさがわかってくる」「自分の耄碌は自分ではわからない」「私ら捨てられた人間です、いずれあんたも使い捨てられるでしょう」「しかし、歳を取った人間はねぇ、あんたが若い頃に電車を動かしていた人間です」「踏切を作ったり、学校を作ったり、米を作っていた人間です」「あんたが転んだ時に起こしてくれた人間かもしれない」「しかし、もう力がなくなってしまった、じいさんになってしまった、するともう誰も敬意を表する者はいない」「歳をとりゃ誰だって衰えるよ、めざましいことはできないよ」「気の毒だとは言ってくれる、同情もしてくれる、しかし敬意を表するものは誰もいない」「人間はしてきたことで敬意を表されちゃいけないのかね」「いまは耄碌ばあさんでも、立派に何人もの子供を育ててきたということで敬意を表されちゃいけないのかね」「そういう過去を大切にしなきゃ、いったい人間の一生って何だい?」

死ぬまで役に立っている老人なんて希少であって、役に立たなくなった老人に対する姿勢、自分が役に立たない老人になった時の生き方を考えなければならない。老人を待たずして不慮の事故で体が利かなくなってしまうこともある。昨年同年代の数人が生死の境を彷徨った。幸い重篤にならずほっとしている。親介護の問題はいずれは誰しもが通る道筋であろう。世話になっているから、役に立たないからという理由で、不満も口に出さずに心を開かずに態度の良い老人を演じているというのは実に無念であるに違いない。役に立っている人間だけが何かが言える社会というのはどこかおかしい。怠けて世話をかけているのではない、かつては社会を支えてきて、今その力を失ったのである。

退職して個人事業を始め1年強、第二人生小学校2年生に進級した私は10~20数歳年上の方々とのお付き合いが増えた。80歳を目の前にして元気溌剌な方を見ると、私も心身ともに長く若くありたいと思う。退職してからはその努力を改めてしているつもりである。一方、現役の時代には一流企業の経営層でバリバリ活躍された方が、その後大病を患い体が利かなくなっている状況下でも遅々とご自身で一歩一歩を刻むように歩む姿にも接する。私の母は幸いに85歳でもコーラスのグループに参加して息子に苦労を掛けずに一人暮らしをしている。元気なうちに母の過去の苦労にもっと報いたいと心から思う。私は吉岡司令補のように、若者に説教するようなことはできない(説教というものは、本来ありがたい、教訓的なものなのだが、これがあまりに長すぎる時は説教する側が伝えたいことを要約できていないので、いつの間にか説教のはずが、小言または単なる愚痴になっているのもよくある話)。上から目線が一番嫌われる今の時代はいつの頃からであろうか。昔から若者が大人に向かって「偉らっそうに言うな」とかは言っていたが、それは不良の台詞と相場が決まっていた。いつの頃から社会全般に広まったのか、さほど昔のことではないように思う。偉い人が偉そうに言うのは当たり前と言えば当たり前。でも説教している人の多くはその人への愛情から発していることであろう。私自身戦争を経験した者ではないし、戦争を肯定するものでもないが、戦争を経験している人と戦争を知識でしか知らない人とでは決定的に違う刹那の必死さを強く感じる。

【敬称略】

 

組織と個人

2014年5月4日 at 12:18 PM

大学では法学部政治学科に在籍していました。卒論は東大新人会という優秀な人材を多く輩出した組織の宮崎龍介という人物研究でした。ゼミの中ではそもそもこの団体から各界に多くの優秀な人材が輩出したのは何故なのかという課題意識からスタートしていました。当時の歴史的背景、価値観、その組織の強みや思想の基盤あるいは思考メカニズムはどうだったのかが研究テーマの底流にありました。個人研究の過程で様々な人との交わりを通じて生きてきた一人の人生をなぞり研究することは、自分の中で「人間学」そのものを勉強したなあと今でも思い返します。そしてその後私自身が社会で生きていく上での礎になったと思います。

人は一人では生きていけないですし、何らかの形で仲間を作り、お互いに影響しあい、その結果として共通の目標を持って事業を始めたり、あるいは目標は異なるもののお互い刺激しあい、異なる意見を交わしあい、思考を繰り返しながら成長していく社会的動物です。そういう意味で人間が互いに影響しあい相乗効果を上げるといった観点から組織運営というのはひとつの科学なのだと思います。一人よりは二人、二人よりは三人、三人より十人、どんどん効率が良くなっていかなければ複数(組織)でやる意味はありません。指標でよく使われる「一人あたりの~~」というのはその効果を常に意識している証です。反面、組織の構成は個人の集合体であって感情を持った人達の集まりですから、組織論やその中で如何に個々が能力を発揮するかといった研究は様々に行われていますが、一筋縄ではいかない課題ですね。同じことを二人の人が同じ表情で同じ聴衆(構成員)に言ったとしても、その人の日頃の行動、言動、それまでの実績、肩書等々によって全く説得力がなかったり、逆に感動させられたりするわけですから。

学生当時、私が最も興味を持ったのは実は社会学でした。8回の引っ越しをし、沢山の書物を処分しましたが、今でも「社会学の基礎知識」という当時の教科書はずっと書棚から処分せずにいました。いずれ時間ができたら読み返そうと思っていたので、これからじっくり読む積りです。初版発行が昭和44年ですから45年前の本です。目次に目を通すと、社会の構造や家族・経営と労働・社会心理・マスコミュニケーション・社会福祉と社会問題といった項目が並んでいますが、今の社会が抱える課題は昔からそんなに変わっていないなあと感じます。逆説的に言えば、課題は昔からあったが解決されていないということです。ことによっては悪化しているかもしれない課題もありそうです。最近某所で見つけた「実務購買管理」といった本も40年、50年も前に発行された本で、読んでみると中身の構成は本当にきちんとまとまっていて、カバー範囲も十分広義に押さえてあります。30数年間の調達購買実務から離れた後にこういった本に出会うというのはなかなか皮肉なことです。

さて、話を元に戻しますが、大きな有名な会社の社員が全て優秀で清廉潔白でないのは、世の中の事件を見ても明らかです。一方で、小企業の社員は皆凡庸で覇気がないというのも全く違います。よく蟻の実験結果が例に出されますが、蟻の集団で働くのは2割、8割は怠けている。それらをきれいに分けて、働く蟻グループと働かない蟻グループに分けて、それぞれのグループを観察すると、やはりそれぞれに2割の働く蟻と8割の働かない蟻に分かれる。つまり最初働く蟻に区分された8割がサボり、働かない蟻に区分された2割が働き出すということです。但し、最近の研究では2割の働き蟻の中には働きすぎ?で働かなくなる蟻が出現し、8割の働かない蟻の中から働き蟻が出てくるという実験結果があり、どうやら8割の予備要員がいることで長く集団を存続できるというメカニズムがありそうだということです。確かに昔、社内でコーヒーカップを持っていつもぶらぶらしている先輩がいて、皆さんに他愛もない世間話を話しかけていましたが、皆この人が仕事をしていると思ってはいませんでしたが、妙に場の雰囲気はほぐれていましたね。

取引をしていると担当者やその直属の上司、関連部門の上役等にお会いして、意見交換をし、時には激論を交わすこともあります。数万人を擁する大会社であれば、全ての人に会うことは不可能ですから、極一部のお会いした人からその会社の社格や成長性、将来性を見抜かなければなりません。また会社の仕組みが個人に過度に依存するような体制になっていないかどうかも吟味しなければなりません。ですから良い誤解、悪い誤解も含めてお会いした方々の印象から会社(組織)の信頼度を図ります。調達側も営業側も本音の話ができないか探り探り関係を深めていきますが、一方で社会的動物である人間は自社の都合の悪いことをことさら喧伝しないのが通常ですし、何でもかんでもしゃべってしまう人は却って信用置けない人に見られるでしょう。組織を守りすぎた結果、組織が社会的に壊滅に至ることもあるでしょうし、個人が暴走して組織が内部分裂したり、社会的に組織としての信頼を失い衰退することもあるでしょう。個人の能力には様々なモノがあります。蟻と違って適応力も広いはずですし、怠けて見えて実は肝心なところを押さえている上役もいます。なかなか能力は見かけではわからないものです。これまで重要であった能力が技術革新によって重要度が大幅に低下したり、これまでは重要とされていなかった能力が組織の事業変革や社会の構造変化によってクローズアップされる場合もあります。この変化を予見し、タイミングを的確に捉えて組織のTransformationを行える会社が強い組織だと思います。硬直化している組織とはたとえばBrain Stormingで決まった人ばかり悦に入ってしゃべっている、上役の目を気にして当たり障りのない意見ばかりに終始する、昔の成功定理がいつまでも続くと思っている、といったものです。そうならない環境を作ることは簡単なことではありません。たまたま現在所属している組織の業務では発揮できない得意な領域を持っている人もいるでしょう。そういった人達が所属に関係なく遠慮なしにモノが言えて、ひとつの目的に向かって協力していければ、こんなに力強いことはありません。そういった意味では個人の能力を最大限に発揮するには「共通目的の共有」と「構成員すべての個人の尊重」が基礎になくてはなりません。普段遊んで見えてる人が環境の激変に遭遇したときに素晴らしい活躍をすることも決して稀ではありません。もしこういったことが皆無であるという組織体は、人材を埋もれさせていないか、考え方が固定化していないかの再点検が必要です。

ソニーにはこういった逸話が残っています。「総務部にいたころのことです。仕事に余裕があったので、組織図があれば便利だろう…と頼まれもしないのに自主的にソニーの組織図を作ったんですよ。やっと出来上がって上司に提出した。そうしたら上司を通じて盛田さんからひどく怒られましてね、こんなものをなぜ作った。誰が今どこで何をしているかなんてものは、次の瞬間に変わる。こんな組織図なんてなんの意味も持たない、と言うんですよ。」(小澤敏雄~元ソニー・ミュージックエンタテインメント会長)。時に組織図は変化への対応の障害になるものです。特に個人がその組織に馴染もうとすればするほど、その危険度は高くなっているのかもしれません。