ビッグデータ活用と組織の健全性

2014年3月27日 at 10:05 AM

企業経営者は常に現状に何らかの不満を持っており、その現状打破のための新しいパラダイムやコンセプト、テクノロジー、トレンドには敏感である。敏感なことは良いことであるが、得てして万能薬を得られるかのような錯覚に陥り、十分な思慮がないまま形だけ導入して失敗することが数多ある。新しいシステムを導入しても、それを従業員が使いこなせなくては無駄な投資になるし、景気後退を理由に投資を途中で削ってしまい重要Module欠落のまま中途半端なシステム稼働をして全く当初の期待値を得られないばかりか、対投資効果マイナスという例もよく聞く話である。要は道具とそれを使う人間のバランスが重要ということである。使い方を知らなければ道具は宝の持ち腐れであるし、知恵を使うことによって何の変哲もない棒切れが命を救う道具に変わることもあり得る。

ここ数年でビッグデータという言葉はすっかり市民権を得たようで、その運用システム会社のみならず統計学の専門家などが表舞台に現れる状況になっている。ビッグデータでは、効率的に許容経過時間内に大量のデータを処理する卓越した技術、たとえば超並列処理データベースやデータマイニンググリッドなどが必要となる。応用は様々な分野で進んでいて、ゲノミクス・気象学・金融・ソーシャルデータ分析・軍事偵察・医療記録・大規模なeコマースなど多岐に渡る。この手の新しいマーケットやテクノロジーの発展について異議を唱える積りは毛頭無いが、その扱いについて私は上述のような懸念を持たざるを得ない。既にデータ消費者プライバシーの観点から、増加する保存データと個人が特定可能な情報の統合に懸念を示している専門家は多いが、ここでは企業という組織の中で、どのようにビッグデータを扱って成果を上げていくかという視点で論じてみたい。

第一に、膨大なデータを闇雲に分析しても時間と金の浪費であるので、企業は何らかの仮説に基づいてビッグデータを解析する必要がある。初期仮説が正しいかどうかの検証あるいは反証のデータとして使うということである。第二に、果たしてそのデータの母集団は検証に値する偏りのないものであるかも重要である。初期仮説を正しいと導くためにビッグデータが使われるとすれば本末転倒である。最近では夢のSTAP細胞と騒がれた実験データや映像が改ざん捏造ではないかといった疑惑が浮上しているが、それが事実とすれば理化学研究所やネイチャーといった「権威」はそれを見抜けなかったのは何故か大いに疑問であるし、真相究明は非常に興味深い話題である。

第三に、ビッグデータのもうひとつの側面はそのデータが過去あるいはほぼ現在のものであるということである。それらデータを使い将来こうなるであろう、あるいは今後こういう対応をしていこうといった応用がされるのであろうが、その対象が過去および現在の延長線上にあるという前提で応用可能なのかどうかは十分考慮されなければならない。消費材で言えば、あたかもこれまで先進国で歩んだ道をただSpeed Upして新興国が進んできた訳ではないことを我々が知ることとなったことに似ている。電話ボックスを経ずに個人携帯端末に至った多くの新興国はその一例である。インフラが揃ってから電化製品が広まった国と、インフラがない状態で電化製品が流れ込んできた国とでは電気供給のあり方が違う。今後の下水道や交通インフラの整備も同様、最新のテクノロジーとそれぞれの地域に合わせた導入のされ方が模索されていくであろう。つまり過去現在のデータは将来を保証するものではないということである。将来は予測するものではなく、自らが作っていくものとはよく言われることである。

一方これからはアジアの時代と言われており、成長の中心をアジアが占めると予測されている。一昔前はアジアという一括りの市場で見られていたが、中国もタイもマレーシアもインドもトルコもミャンマーもそれぞれの歴史的背景と大きなGlobal化の流れの中で、それぞれに応じた社会発展(あるいは瓦解)を遂げていく。多くの企業がそれらの国々で市場を獲得しようとすれば、それはそれぞれの国の人々、その生活、社会体制、民度、文化、慣習などをまじかに観察して行われて戦略を構築していった方がGoalに早く近づけるのではないかと私は感じる。

多くの日本企業に言われる「変化対応の遅さ」は、企業の組織文化によるものではないかと最近特に感じる。多くの企業は本社が偉くて、現場は指示を受ける立場といった既成概念がまだまだ強いのではないだろうか。組織図ひとつ取っても例のピラミッド型がほとんであろう(敢えて組織図をさかさまにしている企業もあるが、従業員が上にくるのは稀で、せいぜい上は株主)。上位下達がそのまま残った企業でビッグデータを本社が解析し、現場に指示を出す。このような形で果たして機能するであろうか。ほぼ100%機能しないであろう理由は①どんなにわかりやすく、あるいは分析されたビッグデータが本社に提供されたとしても、その処理を正しくできる能力が本社にあるのか、能力不足・工数不足を理由に処理に時間が掛かれば他社に先を越されてしまう、②現場から遠く離れた本社で大きな決断が正しくできるのか、③本社でなされた大きな決断に現場が唯々諾々と従うのか、といった企業の組織健全性といった課題がそれである。東日本大震災の時に現場は一流、マネジメントは三流などと言われたが、現場の強さが日本の成長を支えていたことは衆目の一致するところである。Global化によって現場が本社から遠ざかったことと「変化対応の遅さ」は無縁でないように思う。

増々多様化する世界で、中央集権的な組織体制は見直す時期に来ているのではないか。業績に苦しむ企業の構成員は経営陣は当然のことながら、管理職も一般従業員も変革の必要性を感じているに違いない。ただ人はお仕着せの変革には抵抗する。経営陣の意向にそぐわない人間を排除して外部コンサルタント任せのトップ指針で変革を図ろうとしても大企業ほどうまくいかない。なぜならトップ主導の変革に肚落ちしない多くの従業員の存在があるからである。大企業ほど自ら変革に参加させる体制を作って小さなビジネスユニットの責任を持たせ、本社は活動を管理するのではなく、結果を管理し、現場に自由裁量を与える。本社はビッグデータ分析による提案、そして組織間の調整といった控え目な存在に変わる。本社のアシストを得た現場は事業決断を行い、それが現場で成果を上げているかどうか自らの目で確認し、修正改善していく。評価も上司の評価一辺倒ではなく成果配分型に変えていく。こうした組織変革を促すチャンスにビッグデータを機会として捉えるというのは奇策に映るであろうが、本社と現場が乖離していて血流不全のまま、ビッグデータを本社主導で進めても必ず失敗(対投資効果がマイナス)の憂き目を見ることになろう。

漢字を廃止せよ(昭和20年11月12日付け読売報知新聞)

2014年3月2日 at 12:02 PM

本日付け日本経済新聞の「熱風の日本史」というコーナーで、アメリカが太平洋戦争後に日本から軍国主義を一掃し、民主主義を根付かせるために「漢字の全廃・ローマ字採用」という動きを掛けたことを紹介しています。その論拠となったのが、日本人は漢字学習に膨大な労力を費やしているため、国際社会で常識的な知識を習得する時間がなく、愚民化されてきたというものです。驚くのはこういった主張に日本人自ら同調している人が少なからずいたことです。改革派の国語学者の金田一京助やフランス文学者の桑原武夫などもその賛同者で、志賀直哉に至っては「一番いい、美しいフランス語を国語にしよう」と、本人はフランス語を解さなかったにもかかわらず、こういった珍論を展開したそうです。

明治維新前後にもそのような動きはあり、前島密が徳川慶喜に仮名書き化を建白したとか、森有礼が英語国語論を唱えたとかしたことも紹介されていました。これらの動きは「多くの日本人が過去の日本に自信を失って、初めから出直しだと思った時に盛んになる」と中国文学者の高島俊男氏は「戦後国語改革の愚かさ」で述べているそうです。

小渕内閣の私的諮問機関『「21世紀日本の構想」懇談会』で英語を日本の第2公用語とする構想がありました。その後具体的な計画が進んだという話は聞いていませんが、最近では文部科学省が小学校の英語必修化を打ち出すなど、英語教育の拡充を図る動きは定着しつつあるようです。楽天やユニクロなど英語を社内公用語にすると宣言をしている企業もありますが、メリット・デメリット賛否両論あるでしょう。しかし、ひとたびグローバルビジネスを志し、世界中の顧客を相手にするには、企業として世界中の優秀な人材を引き付ける必要があります。その意味ではその立場にありながらも何十年も一進一退の感がある多くの日本本社の内なる国際化は避けられるテーマでは決してありません。Wikipediaによると2010年の調査で、インターネット上の主要言語は英語が27.3%でトップ、中国語が次いで22.6%、スペイン語7.8%、日本語5%と続くとあります。日本人の人口比からは日本語大健闘というところですが、情報種を広げる意味でも、文化慣習が違う民族とのCommunicationという意味でも英語をはじめとする外国語を理解することに何らのデメリットはありません。

漢字かローマ字か、日本語か英語かといった二者択一の議論こそが偏狭な精神であり、どちらもやればよいし、能力や志のある方は3つでも4つでもやればいいと思います。欧州人の多くはその歴史的・地理的背景もあって数か国語話せる人が少なくありません。中華系マレー人もマルチリンガルが少なくありません。中国人エリートも昨今は英語能力が高いです。「2つの言葉ができる人はバイリンガル、3つできるのがトライリンガル。では、ひとつの言葉しかしゃべれない人を何と呼ぶでしょうか? 」というなぞなぞがありますが、この答えは「アメリカ人」というジョークです。日本人も似たようなレベルかもしれません。私自身も英語は頑張って読んだり書いたりのレベルですから、深い思考を英語ベースでやることは困難ですし、苦痛です。やはり思考を巡らすのは日本語ですし、漢字を主体にした活字です。一目で意味の分かる表意文字の漢字と表音文字のかなを組み合わせて出来た現代の日本語は誇るべき文化財産だと思います。本の厚さを見ても日本語と英語では随分違います(電子書籍ではあまり優劣はないでしょうか)ね。

TVのクイズ番組では昔は難読漢字を答える回答者がもてはやされましたが、最近は「こんな漢字も知らないの?読めないの?書けないの?」といったおバカを売りにするクイズ番組も少なくありません。「これなら私の方がマシ」と視聴者を安心させ、日本人総白痴(差別用語になったのでしょうか、普通に漢字変換されません)化を企てている人がどこかにいるのでしょうか。

ここに語彙数推定テストなるサイトを紹介します。 NTTコミュニケーション科学基礎研究所が単語親密度を利用して開発したテストです。私の結果は何とか大学生レベルはクリアしましたが、知らない単語が結構ありました。これから勉強しなきゃと素直に思います。日本人としては、理解できない日本語が出てくると不安になってしまいます。皆さんはどうですか?

http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/lirg/resources/goitokusei/goi-test.html